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Archive for 12月, 2012

“give & take”と“give & will be given”

11 12月

自己中心か協調か
  最近、自己中心的な人が増えたと思う。「自分さえよければよい」という風潮が以前より強くなったように思う。それは生活スタイルの変化から来ているのかもしれない。

  かつて、特に、小さな農家は自分だけでは米作りの全てをすることができなかった。大きな田んぼへ一人で入り、田植えをしたり稲刈りをしたりしているのではなかなか能率が上がらなかった。

  そこで、互いに協力し合う「結(ゆい。私たちの地区では“い”と言っていた)」による農作業が盛んに行われていた。お互いに手伝いしながら、作業を進めてきたのだ。また、農耕馬や臼スリ機なども小さな規模の農家は仲間で購入して使うことが多かった。

  風呂さえも、お互いが手間と燃料を省くために、隣近所へもらい風呂に出かけたり、来てもらったりしたものだ。そのうちに個人が豊かになると、機械なども自分で持つようになった。お互いに作業を助け合うことも少なくなった。

  結婚式などでご馳走をいただくと「おすそわけ」と言って、隣近所へ配ったものだ。せっかくのご馳走が隣近所へ配ることによって減ってしまったが、その分、隣近所から思いがけないときにご馳走をいただくこともあった。

 何はともあれ、隣近所が協力し合うことによって地域は成り立っていたのだ。しかし、今は、何でも自力でやれるような時代になった。他人の世話にならずとも自分の家であらゆることが完結するようになった(と勘違いしている人が多くなった)。

  あたかも生活が豊かになったかのように思うが、必ずしもそうではないだろう。というのは、かつてはなかったいろんなことが問題になり始めたからだ。孤食(たった一人で食事を取る)、孤独死、過疎化……などの言葉はかつてはなかった。

  大型店の進出などで、いなかでは小売店が経済的に成り立たなくなった。仕事を求めて、あるいは、さらなる豊かさを求めて若者達の多くが都会へ出た結果、地方では少子高齢化が急速に進んだ。

  勝山市内のどこを見ても、高齢者の一人暮らし、二人暮らしがどんどん増えている。5年、10年……と経過すれば、集落そのものも持続が危ぶまれている。寂しい高齢化社会が近づいている。

  高齢者のこのような状況は全て自分の将来の姿であることを自覚し、今のうちから誰もが自己中心の生活スタイルを、少しは他人を思いやるライフスタイルに変えていかなければ人生の終盤戦は悲しいものになるのではなかろうか。

  こうした風潮の改める鍵は、大人が持っており、改めて行くには子どもたちを含めた住民一人一人が一度自分の将来、地区の将来、地域の将来について考えてみる必要がありそうだ。

  私は、“give & take” という言葉はあまり好きではない。与えた分だけ取るというイメージがあるからだ。自己中心のイメージが少し残っているように思う。他人に「与えた分」だけ、他人から「もぎ取る」というのは打算的な響きがある。

 それよりも、“give & will be given”(と言うかどうか知らないが)の方を支持したい。他人に与えなさい。他人のために尽くしなさい。そうすれば、いつか他人からも与えられるかもしれない、場合によっては与えられないかもしれない。

  他人のために尽くすことは、それ自体が自分の満足感につながるように思う。他人から与えられるかどうかは、この際自分から問題にしないでおきたいものだ。大切なことは人と人との絆だと思うからだ。

(日記 午前中は、年末の大掃除で物置中心に整理。特に、衣料はまだまだ使えるので捨てがたい。わずかな上着などしか捨てられなかった。整理はできたと思うが。午後は、紙芝居制作作業。選挙公報が我が家へ届いた。各班長に配った。国民の選択はどうなるのだろうか。いろんな小党が合併したり、乱立し、何となく制作が見えにくくなった。選挙が終わると、思いがけない行動に出るのだろうか。国民を置き去りにしないようにしてもらいたい。)

 
 

花との一年

10 12月

花にはそれぞれ特徴がある
  『世界に一つだけの花』という歌がある。

    作詞・作曲・編曲 槇原敬之

  花屋の店先に並んだ
     いろんな花を見ていた
  ひとそれぞれ好みはあるけれど
  どれもみんなきれいだね
  この中で誰が一番だなんて  
  争う事もしないで
  バケツの中で誇らしげに
  しゃんと胸を張っている
  ・・・・・・・・・・

 今年一年、村の中にいろんな花を咲かそうということで、竹や製材端材の「こあ」を使ってプランターを作ったりしながら、区民の皆さんの協力を得て、花を育ててきた。

  暖かい気候を好む花、寒い気候でも雪の下でも枯れずにきれいな花を咲かせる花、きれいな花だが咲いている期間が短いものなどいろいろある。 「花いっぱい運動」としては、なるべく長期間咲いている花がよいと思う。

6月に植えた集会所前の花。11月まで咲いていた。

  春から秋まできれいな花を咲かせ続けるものとしては、「ベコニア」が一番ではないかと思う。きちっと世話をすれば晩秋まできれいな花を咲かせ続けてくれる。ただし、同じ花を同じ土で育てても、水やりなどで差がつくことも分かった。

  来年も、春はいろんな色の「ベコニア」を基本に他の花を組み合わせていろいろな花を咲かせたいと思う。今春は、他に、サルビアやマリーゴールド、ニチニチソウなども育てた。

  今は、秋の花として、「パンジー」や「ビオラ」を中心にプランターで育てている。他に、「ナデシコ」や「桜草」を育てている。集会所や我が家の玄関先は今これらの花がきれいに咲き続けてくれている。もちろん区民の皆さんの庭先にも同じように咲いている。

  これらの花は、来年のゴールデンウイーク頃まで咲き続けてくれるはずだ。しかも、雪の下に放置しておいても春には立派な花を咲かせてくれる寒さに強い花だ。

 今日は、集会所の玄関にあるプランターのいくつかを集会所の南側へ移した。ブルで集めた堅い雪がプランターの上に落ちないようにするためだ。南側で時折顔を出す太陽を浴びて気持ちよさそうだった。秋の花はあまり手がかからないのでありがたい。

 来年も花を愛する人が増えるようこの市が勧める『四季折々の花の咲くまちづくり事業』に参加するつもりだ。子どもたちにも、是非とも参加してほしいと思う。花を咲かせてみて分かったこと、それは「花と心を通わせること」ではなかろうか。

春の花に混じって秋の花もコア(製材端材)で作ったプランターできれいに咲き始めた。

 花の気持ちを少しでも理解し、いつ水がほしいのか、いつ肥料がほしいのかを察知し、花と太陽との関係を理解するよう努め、忙しい中でも花との対話を続けたいと思う。

(日記 朝一番、除雪機を動かした。午前中、家の片づけ。といっても、あまりはかどらなかった。あっという間に昼になってしまった。午後は、集会所前のプランターの移動。ブルの押した圧雪から避けるために集会所の南側へいくつかのプランターを移したのだ。その後、紙芝居の絵描き作業。時間の割には進まなかった。それでも、毎日作業を続ければいつかは完成するだろう。)

今日の一枚。背景を未完(借り置き)。

 
 

雪に備える

09 12月

水中ポンプと除雪機
  本格的な冬が到来し、雪囲いをするなどして、冬に対する準備をしてきたつもりでいた。除雪機にはガソリンを満タンにし、これで完璧だと思っていた。しかし、一つだけ忘れていることがあった。

  それは水中ポンプの設置だ。水中ポンプのスイッチを入れると井戸水は坂道を流れ下って坂道の下にある車庫までの雪を融かしてくれる仕組みだ。水量が多いので、井戸の水が一定の水位を下回ると水中ポンプの電源が切れてモーターが焼けるのを防いでくれるのだ。

  そして、井戸に一定の量の水が貯まれば水中ポンプのスイッチが入り再び動き出すというわけだ。この水中ポンプは一回約5分間かなりの水を出し、15分間休むペースだ。これで、通常の降雪は解けるのだ。我が家の車の出入りを確保する重要なポンプだ。

除雪機の初運転。楽しくて作業は苦にならない。

 昨年から、これに除雪機が加わった。今日は初運転をした。車の出入りは、この二つで通常の雪なら対応できる。しかし、屋根雪だけは今のところどうしようもない。屋根に上がって下へ落とすしかない。

  除雪機は、自分にとってはおもちゃのようなものだ。それと同時に、頭(脳)の体操に役立つ道具のようでもある。除雪機をどの方向に進めるのか、前進か後退か。そして、スピードはどうか。投雪方向と上下の角度も決めなければならない。

  また、投雪のパワーの変化もある。さらに、路面からどの高さまでの雪を取り除いて投げ飛ばすのか。路面の傾きに対しての角度調整もある。これだけのことを一度に考えるとなると大変だ。

  ただ、機械が頼りになるのは、危険なことが起こりそうになったら、両手をレバーから離せば、全ての動作が止まることだ。エンジンは止まらないが、機械が止まってくれれば落ち着いて考え直すことができる。

  時々、違うレバーを操作し、思わぬことが起こるが、そんなときはあわてて手を離して考えることにしている。除雪機は、私にとっては実用的な機械であると同時に、頭の体操に役立つ機械だと感心している。怪我をしないように気をつけなければ操作したい。

今日出演したオカリナのメンバー。

(日記 朝食前に、井戸に水中ポンプを設置した。朝食後、除雪機の初運転。その後、オカリナの編曲作業。午後1時過ぎまでかかった。そして、楽譜を書いた。パソコンが思うように動作しなかったので時間がかかった。機械の怖いところだ。今日は遅羽公民館で、遅羽の婦人会主催のクリスマス『ミニコンサート』があり、オカリナバンドが出演するのだ。午後2時過ぎから午後3時頃まで練習し、4時過ぎから本番。22日に行う自分たちのコンサートのリハーサルになった。その後、明日の練習を繰り上げて遅羽公民館で少しオカリナの練習をした。それにしても、遅羽の人たちのまちづくりに対する取り組みには感心する。)

コンサートで演奏中の写真

 

ミニコンサートで演奏するオカリナのメンバー。

 
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雑談の効用

08 12月

猪野瀬区長会研修旅行に参加して
     今日は猪野瀬区長会の研修旅行。午前7時45分に猪野瀬公民館を出発。一路小型バスは、冬の北陸道を通り、小矢部・砺波ジャンクションを経由して氷見市へ。ここで、昼食休憩。

加賀二代目藩主前田利長公の菩提寺である国宝『瑞龍寺』の総門前にて。

  その後、加賀二代藩主・前田利家公の菩提寺である国宝『瑞龍寺(曹洞宗)』を見学。加賀百万石の威光を目の当たりにした。江戸時代に作られた建物の多くが残り、400年あまりを経過した欅の柱が歴史の重みを感じさせてくれた。

 木材加工の機器や建設重機のない時代にこのような立派な建物が建てられ、台風や地震などの襲来にも負けずに、今日までその姿を留めていることに感銘を受けた。

 当時の棟梁の技術に敬意を表したい。いつかも書いたが、東京スカイツリーも、法隆寺の五重塔の建築様式を参考にしているのだから驚きだ。その秘密とは、「心柱」のことだ。1300年以上も前の木造建築物の技術が、現代でも通用しているのだ。

 台風や地震で「法隆寺五重塔」が倒れたことは、一度もない。その技術がスカイツリーに使われているのだから、昔の人たちの能力は我々が推し量ることのできない位卓越したものであったのだろう。

  行き帰りの車の中で、隣り合わせた4人の区長同士が、雑談をして過ごした。区の運営、政治、方言、昔の生活、公民館のあり方、行事の反省など様々な事が話題になった。久々に語り合い、笑い合い、日頃の考えていることを出し合い、有意義な時間を過ごすことができた。

参加した区長が夕食時に記念写真。

  テーマを決めての話し合いも大切だし、テーマを特別に決めずに話し合う雑談も大切だ。どちらが大切であるというよりも、どちらも大切だと思う。たまたま隣に居合わせた二人が話し合っているだけでは、団体旅行の意味がないように思う。

(日記 午前7時より午後6時まで区長会の研修旅行。終日、強風が吹き、吹雪が舞う悪天候だった。バスは高速道路上では左右に蛇行していた。昼食時には氷見の寒ブリ昼食。ぶりづくしだった。ぶりのお造りに舟盛り、ブリしゃぶ、ぶりの焼き物、ぶりのあら煮、……。大きな舟盛りは全員で半分も食べることができなかった。みんなの感想は「1年分のぶりを食べた。もうぶりは食べたくない。」だった。帰宅してから、少し、紙芝居制作。)

 
 

雪のシーズン開幕

07 12月

同時開幕“創作の季節”
  雪が降り地面までが白くなりかけた。空はどんよりと灰色になり、空から白いものが降り始めた。雪のシーズン到来だ。屋外での活動は少なくなる。若い頃なら、スキーができるとわくわくしたが、今は年に一、二度スキーができれば十分だ。

  それよりも、腰を落ち着けて机に向かえることがうれしい。雪のシーズン開幕は、創作シーズン到来でもある。退職した当時、行き場を失って不安になるのではないかと心配したが、自分の机が仕事場だと思えるようになった。

  机に向かって創作活動をするのが、気分的に一番落ち着く。机に向かって事務的な作業をするのは、あまり好きではない。創作活動ができることが一番幸せだ。

  今日も、車庫の片づけや軽トラにスノータイヤを入れたりしたが、早く終わって机に向かいたいと思った。昨日と今日で、二つの車庫はかなり整理された。除雪機にも満タンにガソリンを入れた。いつでも出番OK!

  これから年末までは、半日は家を片づけたりしなければならない。しかし、ものが少なくなったり、いろんなものが整理されると気持ちがよい。今は紙芝居の絵を描くことに時間を取られて、創作的な文章(小説もどき?)を書く時間がとれない。

 今年の冬が暖冬でありますようにと祈るばかりだ。運動不足解消のために多少の雪かきは苦にならないが、度を超した除雪作業は時間的にも身体的にもつらい。来年は、ブログに数学講座を載せられないかと今考えている。

走るのら犬も兄弟。ここからが大事件。

(日記 午前中、車庫の片づけと軽トラにスノータイヤ装着。午前11時過ぎから、紙芝居の絵を描き始めた。この作業が午後10時頃まで続いた。夕食前に、『役員と語る会』の案内を各種団体長に配布しに出かけた。期待している会だ。)

 
 

年末大掃除開始

06 12月

断捨離はなるか!
  いよいよ12月も上旬が終わろうとしている。年末に向けて大掃除をしなければならないと思う。今日から、「半日ずつ掃除をしよう」と決めた。掃除と言うよりも、長年集めた“ガラクタ”の整理の意味合いの方が大きい。

 大掃除というよりも、“断捨離”実行といった方がいいだろう。今日は「車庫兼物置」の清掃を始めると決めた。ざっと眺めるとほしいようでいらないモノがたくさんある。

  例えば、角材やいたの切れ端などがたくさんある。捨てて新しいのを買江波いいのだが、簡単にはそうはできない。いざ何か作ろうとすると、それらの端材が結構役立つのだ。

  しかし、こんなことを考えていたらいつまで経っても何も捨てられない。車庫の二階には古いドラムがある。捨てればスッキリするのになかなかそうはいかない。

  それぞれのモノが“まだ使えること”、そして、それらのモノには物語があるからだ。「まだ間に合う。もしかしたら何かに使えるかもしれない」、そう思うと、捨てられなくなってしまう。又、買ったときの状況、使った思い出などがモノには染みついているのだ。

  それらを無視してはなかなか捨てきれない。かくして“断捨離”は少しずつしか進まない。どうせ、次の世代には捨てられてしまうだろうに。従って、何度もチャレンジなければならないのだ。

  背広やYシャツやネクタイを使う機会が激減した。捨てようとすると、頭の中に「もしかしたら劇にでも使えるかもしれない。」そう思ってしまうともう捨てられなくなる。しかし、何度かこうしたことを繰り返しながら背広も何着かは捨てることができた。

  捨てるのがいやならば、買わなくてもよいのではと思うが、ショッピングセンターへ行くと、やはり新しいモノがほしくなる。減った分新しいモノを買うのだから、いつになっけも全体量は減らない。

  それでも、今日は、軽トラックに3分の1ほど捨てるモノができた。早速大野にあるゴミの処分場へ出かけた。みんなあれこれ捨てている。大型の破砕機が容赦なく、まだ使えそうな家具などを「バリバリ!」と裁断している。

  こうしたことが行われているので、経済が上手く回転するのかもしれない。戦後の貧しい時代を生きた“モッタイナイ”人間が減ったら、“断捨離”も上手くいくのかもしれない。

  また、明日も、半日、“断捨離”にチャレンジだ。車にいっぱいモノを積んでゴミの処分場へ行くのは本当に気持ちがいいものだ。心を鬼にしなくっちゃ。そのうちに、手持ちの本の処分もしなければならない。これも困難の伴う作業だ。モッタイナイ(笑い)!

(日記 午前中は、車庫の片づけ。捨てたいモノがあるのに捨てきれない。昼食後、軽トラでゴミの処分場へ行く。午後は、区の役員と各種団体との語る会の案内作り。住みよいまちをつくるために各種団体ごとに、語る会を開催する予定だ。区の運営や各種行事に対して、各年代層の意見や提案を聞かせていただくためだ。果たしてどうなることやら。午後5時過ぎにようやく紙芝居の絵を描き始めることができた。待ちに待った時間だ。)

 
 

頭と体の体操

05 12月

難しいときこそ頭の体操
  地域の民謡グループの皆さんに頼まれて余興の踊りを教えることになった。年齢は60歳代から80歳までの女性だ。踊りは施設慰問で披露するのだ。余興用の簡単なものだが、テンポが結構早いので、次々に振りが変わり、考えている時間が短いのである。

  そのため、練習している皆さんは1回目できたかと思っても、2回目の繰り返しでミスしたりするのだ。何度も同じ動作が繰り返されるのだが、初めての練習なので、思うように踊りが出てきなかったりするのだ。

  そんなとき、「覚えられん」と言う人が必ず出てくる。時と場合によっては、がっかりする人もいる。そんなとき、私は決まって二つのことを言うようにしている。

  一つは、「一度の練習でできるような簡単なことを、人前でやる(演ずる)のでは、見ている人に申し訳ないでしょう。」と。やはりある程度練習して、人前で演ずるというのは礼儀ではないだろうか。

  もう一つは、「今、頭の体操をしているんですよ。脳が一生懸命働いているんですよ。音楽を聴きながらそれに合わせて手足を動かすことは脳にとっては大変なことですよ。脳が一生懸命働いているんですよ。脳が一生懸命運動しているんですよ。」と。

  実際その通りだと思う。体を動かし、脳を働かせるこうした踊りは健康にとてもいいと思う。ストーブを点け、厚着をして踊りの練習を始めた人たちはたちまち暑くなり、ストーブを消しても暑い暑いを連発していた。

 できないからといって諦めるのか、それとも、できないからこそこつこつ練習するのか。健康には後者がよいに決まっていると私は思う。できないからと言って諦めたら、何もかもができなくなってしまう。

  歳をとったら無理をせず、諦めず、ゆっくりと取り組めばよいのではないか。それによって、体も頭も鍛えられ、仲間作りにもなるのではないかと思う。そんなわけで、私は、盆踊りについては無条件で引き受けることにしている。心身の健康によいと信じているからである。

オカリナコンサートの入場整理券。ドリンク券を兼ねている。もちろん無料。

(日記 午前中、コンサートのチケット作り。午後、区の用事であちこちを回る。工務店の事務所でしばし歓談。その後、市役所でも用事の後にしばし歓談。話す人がいることは楽しいことだ。帰宅後もチケット作り。午後3時より、猪野瀬公民館で民謡グループに踊りの指導。施設訪問の最後に踊る楽しい踊りだ。わいわいがやがや言いながら練習した。80歳の人もがんばっている。すばらしいことだと思う。帰宅してから、ポスターとチケットの印刷にコンビニへ行く。)

 
 

衆議院選挙公示

04 12月

混色で本当を色が見えず
  ついに、衆議院選挙が始まった。新党が出来たときには、それぞれの党の目指す方向がはっきりしていたが、多数派工作のために小党が合体する度に、方針がぼやけてきた。

  ついに、3極か、4極か、5極かがはっきりしなくなった。似たり寄ったりになって、互いを中傷し合うようになった。経済と人命が天秤にかかったりして有権者としては、非常に選択しにくくなった。

  政治家とは何だろうか。官僚とは何だろうか。それぞれに大切な役割があると思う。しかし、それらが、別の力学で動いているように思えてならない。

  エネルギー問題1つとっても、将来の方向性がだんだんぼやけてきていると思う。10年後に原発ゼロと言って、それが15年かかっても、一生懸命努力した結果なら、国民は納得するだろうと思うが。

 どこかのと政党のように、嘘をつきたくないからとはっきりと方向性を打ち出さない。当選したらどちらへ向かって走るかわかったものではない。

 政治家は、確たる方向性を出すべきではないのか。いろんな方面からの見えない力に振り回されて、思わぬ方向に動き出しているようにおもえてならない。

  安全だと御用学者に言わせて世界で最も甘い規制で原発を動かした結果が、今回の事故に繋がったのではなかろうか。

  「自分の関わっている期間に事故が起きなければそれでよい」と考えが横行しているのではなかろうか。今回のトンネルの天井落下の事故ではっきりしたのは、形ばかりの点検で済ませているところが至る所にあるだろうということだ。

 橋も、トンネルも、エレベーターも、建物、原発も、いつ何が起きても不思議ではない状況にある。経済優先、効率優先の前に今一度、人命第一を徹底してもらいたいものだ。

 政治家の責任は重い。多数派工作にうつつを抜かすことなく、次世代が安心して暮らせる国を作って貰いたい。電気が値上がりすると不安をあおり、安全よりも経済優先する動きを止められるのは政治家にしか出来ないのではないのか。

 何を訴えているのか分からない政党が多くなったきた。じっくり政見放送を聞かせてもらって、たった一票ではあるけれども大事に使いたいものだ。

(日記 午前中、市の健康診断のために福祉健康センター『すこやか』へ行く。胃の検診のバリュームを飲んでの検査はかなりハードだった。というのは、頭を下にしたときに、手で身体を支えなければならないが、これは結構苦しかった。健診の後、区の事務のために、あちこちへ出かけた。その後、オカリナバンドの編曲作業。午後7時半より、ブラスバンドでフルートを吹いているTさんと会って、演奏会でのオカリナとフルートの合奏曲を1曲決めた。Tさんは予想通りうまくフルートを吹いてくれた。しばらく、ギターの伴奏でフルートを吹いてもらって練習をした。)

 
 

時間の使い方

03 12月

間口を狭める
  私は自称「物好き」だと思っている。かっこよく言えば“ a man of curiosity ”か。好奇心旺盛だ。そうはいっても、このままでは体が持たない。一つのことを極めた人はすばらしいと思う。

  私はといえば、全部中途半端で手広くやっている感じだ。それならば、どれを止めるかとなると、簡単に決められない。それどころか、間口が広がりつつあるのが現状だ。

  これは自分のやっていることばかりではない。持っているモノも同様だ。捨てればいいものを捨てられないでいる。いつか何かのときに間に合うのではないかと思ってしまう。

  モノも間口が広く、やろうとしていることも間口が広い。限りある一日に収まりきらなくていつも忙しい思いをしている。退職者ののんびりした生活とはほど遠い。

  こんなことを考えながら、タマネギに燻炭を撒いていた。昨日はニンニクに、今日はタマネギにだ。来春の収穫が楽しみだ。作業をしながら、音楽を聴き、時間をどのように使うか、考えていた。

オカリナ練習。ほとんどはピアノ伴奏だが、ギター伴奏もある。ギターは私の担当。

(日記 午前中、先ず区の雑務。あまりにも天気がよいので、外での作業をすることにした。先ずタマネギに燻炭を撒き、次に枝打ちした木の枝や、庭木の剪定したものを軽トラックに積んで、大野市のゴミ処分場へ持っていた。その後、イチジクの木の剪定。外での作業を止めて、紙芝居の絵を描き、続けてオカリナの編曲作業。午後7時半よりオカリナ教室。遅羽地区のクリスマスと、自分たちのコンサートの練習をした。)

 
 

冬支度

02 12月

ようやく完了
 
12月に入った。いつ雪が降ってもおかしくない。冬支度も終盤戦に入った。畑の後始末がある。今日は、キュウリやナスや豆などに使った支柱を片づけた。また、牛糞堆肥の円形枠を分解してこれもそれぞれ所定の場所へ片づけた。これで、畑の後始末は完了。

大豊作だった我が家の家庭菜園のイチジク。完熟しなかった実が葉の落ちた枝にまだこんなについている。来年は、少し摘果しなければならない。

  その後自宅へ帰って、樹木の雪釣り。ほぼ、冬支度が終わった。雪が降る前に、もう一つ、しておきたいことがあった。

   それは、先月末に自宅で作った籾殻燻炭をニンニクとタマネギの根元に撒くことだ。マルチの穴にはニンニクと共に雑草が生えているこれを取り除きながらの作業となった。

 ニンニクに燻炭が効くのかどうかは分からない。しかし、虫除け、保温には効果がありそうだし、肥料分も少しはあるのではなかろうか。「炭はそもそも燃料として作られたものだが、近年の日本では燃やすよりも植物を元気にしてくれる効果に注目が集まっている。」とのことだ。

  燻炭も炭の一種なので、細かい穴が多く、ソコに微生物が住みやすいとのことだ。これが、植物を元気にするらしい。私は、感覚的に土によいと思っている。作物を育てると、土は弱ると思う。燻炭により、土自身も元気になるのではなかろうか。

  冬を前にしておくべきことは、家や庭ばかりではない。車もそうだ。自宅にある3台の車のうち、2台にはすでにスノータイヤが入っている。後1台も近々入れなければならないだろう。今日で、ほぼ冬支度は終わった。後は雪が降れば、井戸に入れてある水中ポンプのスイッチを入れればよい。家の横の坂道の新雪を溶かしてくれる。

  一番困るのは、屋根の雪下ろしだ。若い頃に比べて筋力が落ちたので、肩に負担がかかるのと、足腰が衰えたので、屋根の先端では恐怖心が出てきたことだ。作業そのものはいやではないが、体力の衰えとどう折り合いを付けるかがこれからの問題となるだろう。

制作中の紙芝居の画面。まだ2枚目。先が長い。

(日記 午前中は、紙芝居の絵描き。あまり進まなかった。11時半過ぎに昼食を食べ、家庭菜園の後始末。その後、庭木の雪吊り。先日枝打ちした樫の木の後始末。作業がほぼ終わったので、畑のニンニクに燻炭を撒いた。帰宅して、夕食前に、区の雑務。そして、再び紙芝居の絵描き。あれこれ雑用の多い一日だった。)