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Archive for 10月, 2012

捜し物

31 10月

元へ戻さないくせを直さなければ
  どうもこの頃、捜し物に費やす時間が多くなった。「携帯?」、「デジカメは?(ブログを書くのでいつも持ち歩いているが)」、「免許証は?」、「服は?」、「ズボンは?」、「めがねは?」とかなりの頻度で捜し回っている。

  大事な資料なども同様だ。捨てずに保管してある様々なものも、ほしいときに使うことができない有様である。これでは何のために保管しているのか分からない。

  間口を広げているので、バッグも一つでは追いつかない。そこで、「バンド鞄」、「和太鼓鞄」、「オカリナ鞄」、「民謡鞄」……と分けて保管しているのだが、他にも、紙芝居の絵や脚本、種々の楽器とその付属品などがあり、その整理が大変だ。

  今日も、うっかりしていて、ミニ耕耘機の二つの部品を土の中へ落としてしまった。30分以上畑の土を掘り返して捜した。その後、家内がそのうちの一つを探し出してくれたので、残りは探せなかったがあきらめて代用品で作業開始。

  捜し物に費やす時間も馬鹿にならない。今後は、使ったものはなるべき元へ戻すことを習慣化したい。今後、気をつけたいのはうっかりと「モノ」を無意識でどこへでも置かないことが大切だ。

 これは、外から見えないパソコンのハードディスクの中も同じだ。しっかり整理して検索しやすい名前を付けておかないと、後で無駄な時間を過ごすことになる。場当たり的に名前を付け、最寄りのところへ保存しておくと、後で捜すのに大変なことになる。

 昔の人はうまく言ったものだ。「急がば回れ!」と。後のことを考えると、やはり多少の時間をかけてもしっかりと整理して保存しておかなければならない。急ぐときほど気をつけなければならない。畑での捜し物でつくづくそう思った。

青空の下での里芋掘り。とても気持ちがよかった。

(日記 午前中は、机の上を整理するために、プリンターの台を作った。十数cmほどプリンターを上へ上げたので、プリンターの下や排紙トレイの下のスペースを有効に使えるようになった。その後、民謡のCDづくり。カラオケも作った。その他、CDジャケットも考えた。午後は、先ず里芋掘り。二人の友人に送るためのものだ。続いて水菜を植える場所をミニ耕耘機で耕した。晴れていて作業はとても気持ちがよかった。晴耕雨読の「晴」の部分に適した一日だった。夕方、里芋発送。)

我が家のヤーコンは不作だったが、家内の友達が立派なヤーコンを留守の我が家へ置いていってくれた。

 
 

なければ作る

30 10月

たとえ余興といえども
 私の家内が属している『さわらび会(食生活改善推進員の会)』は、猪野瀬地区(8地区の集合体)では、婦人会の組織がなくなったので、連合婦人会のような働きも兼ねている。

 そして、毎年公民館祭には、踊りを披露している。その振り付けの多くを私が担当しているのだが、地域性をなくさないで日本各地の踊りの楽しさを導入したいと思っている。

 例えば、山形の『花笠音頭』があったとする。それを踊りたかったとする。安易に考えれば、山形民謡『花笠音頭』に合わせて花で飾り付けされた笠を操りながら踊ればそれなりには見えるであろう。しかし、それではコピーだ。

 そこで、私はさわらび会の皆さんと相談して、民謡は『勝ち山ほがらか音頭』を使い、笠ではなく、ザルを使うことを提案した。ザルは、食生活に大いに関係する道具である。

  ザルは、野菜などを天日で乾燥させるときにも役立つ。例えば、「えのきだけ」を天日で乾燥させるとビタミンDは40倍になるそうだ。いろんな野菜を乾燥させると、味もよくなるのだ。生姜を乾燥させて使ってもよい。

 乾燥野菜は、健康にはとてもよいのだ。ザルはその乾燥野菜を作る道具としても有用だ。そこでザルを花で飾り、それを使って地元の民踊を踊るのだ。そうすれば、曲目紹介でも、食生活の大切さをさりげなくアピールすることができるのだ。

   余興といえども、常に地元に密着したものを使うことで、多くの人たちの共感を呼ぶことができるのだ。特に、市外の人たちには、印象を持ってもらうことができるのだ。

 私の村の銭太鼓も、百年あまりの伝統がありながら、郷土芸能になり得なかったのは、歌も踊りも他県(島根県)のものだったからだ。いつまでも、祭りや文化祭や結婚式の余興にでしか披露することはなかった。

 これを、三年前に村オリジナルの銭太鼓『片瀬豊年ばやし』に変えたとたん、あちこちから出演依頼が舞い込むことになった。これは当然ことであろう。誰も、片瀬の人間が演じる島根県の郷土芸能を見たいとは思わないだろう。地元のものを見たいのだ。

 勝山の新民謡『勝山よいとこ』も、彼女たちのおかげで今も勝山では生き続けている。「他県の郷土芸能を踊ったり演じたりするな」というのではなく、必ず、「地元のものも同時に大切してもらいたい」ということだ。

 地元のものが、「なければ作ればよい」というのが私の考えだ。これは、何も民謡ばかりではなく、どんな分野でも必要なものがなければ作ればよいのだ。組織でも同じだ。地元で有効に働く組織がなければ作ればよいだけのことだ。

「勝山にも八尾『おわら踊り』のような踊りがほしい。」との願いのもとに作ったのが創作新民謡『勝山よいとこ』。初演は食生活改善推進員のみなさんだった。感謝。

  「どんなものでも作る」ということは簡単ではないが、作ることは生き甲斐にも繋がっていくのではなかろうか。遠回りのようでも近道かもしれない。こんなとき、間違ってもできない理由を述べて周囲のやる気を削がないようにしたい。

(日記 午前中、しばらくパソコンで音楽を楽しむ。その後、自家用の里芋を少し掘る。そして、来年収穫するニンニクの成長ぶりを見に行こうと思って畑へ行くとまだ植えてないタマネギの穴に雑草が生えていた。そこで草取り。そこへやってきた村のNさんが「タマネギノ苗をあげましょう」と言ってくれた。早速、普通のタマネギと紫タマネギの苗を頂いて畑に植えた。その後、燻炭用の糠を自宅へ運んだ。雨が降ってきたので、農作業は中止して、再びパソコンで遊ぶ。)

 
 

加点主義と減点主義

29 10月

意外と多い減点主義
  人を育てるのには「加点主義」と「減点主義」とどちらがよいだろうか。当然、加点過ぎだと思う。特に今の時代は。しかし、世の中、どちらかと言えば、「減点主義」がはびこっているように思う。

  日本の社会には、ひとたび何かでミスをするとその後は立ち直れない場合が多い。チャレンジして失敗すると、非難される場合が少なくない。したがって、冒険もせず、ミスも出ないようにしていれば、それなりに出世する仕組みができている。

  しかし、今のように厳しい時代には、「減点主義」では発展や進歩は望めない。子どもたちが、何かに向かってチャレンジし、失敗したら、周囲から責められるとしたら、あえて自ら前へ出ようとはしないだろう。

  世の中で新しい「モノ」を生み出すのは、「失敗」の中からである。失敗から人は多くのことを学ぶのである。その失敗を責めるのはなぜだろうか。組織の長は、長い目でモノを見られないからではなかろうか。

  ほとんどの組織は、10年先、20年先を視野に入れることはできないだろう。なぜなら、それぞれのリーダー(社長や監督、首相、大臣など)が、長期にリーダーでいる保証はないからである。

 したがって、目先の利益や成果を追いかけることになるのである。そうなると、失敗を許す余裕がないのである。結果的に、「減点主義」がはびこるのではなかろうか。

  少なくとも、親や家族は子どもの成長を長い目で見て、今がよくないからと非ばかりを責めるよりも、少しでもよいところを見つめてほめる「加点主義」の方がはるかに子どもを伸ばすのではなかろうか。

  ただし、常に自らを振り返り、失敗の中から学び姿勢は忘れてはならないと思う。一つの成功を得るために、百、千、万の失敗を経なければならないであろう。人の非ばかりが見える人間にはなりたくないものである。

(日記 午前中、某地区のSさんが左義長囃子に私の民謡が挿入できるかどうかを検討しているというので、その民謡の三味線譜を書いた。午後、そのSさんが三味線とギターを持って我が家へ遊びに来た。その後、オカリナの楽譜書き。午後7時半よりオカリナ教室。練習のあと12月に行われる『クリスマスコンサート』について話し合った。コンサートをするためには、かなりいろんなことをしなければならない。少しその分担も話し合った。)

 
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毎年『OB演奏会』ありか……!?

28 10月

出るからには舞台に
  昨晩は、みんなで遅くまで語り合った。「今後、毎年このOB会を開催すべきかどうか」が話題になった。いろんな意見が出た。しかし、参加者で演奏しなかった者達が、「来年こそは」となるのだ。そうした連中がいるので今年は2バンド増えのだ。

演奏後全員で記念撮影。みんな爺ちゃんば婆ちゃんだが、気持ちは若い。

 また、今年初めてバンドを組んだ連中が、思い通りの演奏ができなくて来年こそはと張り切ったりするのだ。我がバンドでも、京都にいて本番まで一度も一緒に練習しなかったのに、本番(ハワイアン)で舞台に立つことができた者もいるのだ。

 それは、楽譜と演奏したCDを送れば、何とか練習できるからだ。「新しい曲が決まったら教えてください」と昨日も言われた。OB会を楽しみにしているのだ。帰りのマイクロバスの中での話を聞いていると、もうすでに全員来年のことを考えている。

 全員が音楽で繋がっているので、懇親会も非常に盛り上がった。誰かが、懇親会の自己紹介で発言していた。「ここへ来ると50年前に戻ることができる。」と。その通りだ。気持ちはあの青春時代に戻ることができるのだ。

帰る前にホテルの玄関で記念撮影。

 私は、ここでは古参の方だ。今回の出席者では年齢は上から3番目だった。ほとんど全員が後輩だ。でも、音楽の話になると年齢は関係がないのだ。誰もが、楽しそうに目を輝かせながらあれこれ夢を語るのだ。

 私も、昨日の懇親会の自己紹介で、「……。バンドに関する夢の中で、一つはフラダンスチームと一緒にハワイアンバンドで演奏すること。そして、もう一つは、ジャズのフルバンドで指揮をすることです。……。」と。

  前者の夢はすでに今年の夏実現した。後者の“フルバンドで指揮をすること”だが、これは次回のOB会で実現できればと思っている。それには、曲を決め、楽譜とCDを参加者に送ることだ。そして、本番まで練習してもらうのだ。

  演奏当日は、少し早めに会場へ来てもらい、合同練習をすることだ。メンバーは、全国に散らばっているので、本番以前に全体

懇親会での楽しい合同演奏。誰もが勝手に舞台に上り一緒に演奏するのも楽しい。

練習をすることは非常に困難だ。でも、今の時代だからこそ、やってみたい気もする。

  それと、夫婦で参加する者も、少しずつ増えてきた。私も夫婦で参加したが、今後も増える可能性がある。女性の方が楽器を始めようとしているのも面白い。今の時代だからこそ、いろんな方法で家族で音楽を楽しんでもらえたらと思う。

  前回も話題になったが、今年も同じことが話題になった。それは「福井大学の学園祭に出ようではないか」ということだった。バンドを創設した初代メンバーは70歳を超えている。

  そうした連中が、20歳前後の若者の前で演奏することは楽しいだろうし、何かを伝えることができるのではなかろうか。若い時代に何か趣味を持っておけば、人生を豊かに生きることができるのではなかろうか。

  このOB会では、音楽以外にもいろんな話を聞いた。脳梗塞から復帰したOB話は身につまされる。趣味も話なども出た。これからは健康維持も大きな課題だ。

家内もOBではないが今や福井バンドの一員のようだ。みんなで乾杯。

  今回のOBは全員60歳以上だ。軽音楽部は、創立後10年ほどで消滅したからだ。それだけに、このOB会の結束は固い。今後も、この会が存続することを期待したい。私も、毎年オリジナルを発表していきたいと思う。

(日記 午前6時に起床。朝ぶろ。そして朝食。午後8時半ホテルを出て高速で福井へ向かう。途中で、石川県から参加しているN君がCDカセットでカントリーソングを聴かせてくれた。車の中ではいろいろ来年のことが話題になった。N君のウクレレの伴奏で、持参のオカリナを演奏した。途中から家内も合流して3人で楽しい時間を持つことができた。途中で昼食。仲間と別れることがさみしくなった。午後3時少し前に自宅へ着いた。たのしいOB会演奏会であった。)

 
 

静岡での軽音楽部OB会演奏会

27 10月

盛り上がる『じいちゃんバンド』
  午前5時45分、片瀬を出発。福井で残りのメンバーを乗せて一路静岡へ。今日は家内も部員ではなかったが、ボーカルとして同行。車中で新曲『60歳』の歌詞を完成させる。静岡へ到着するまで猛練習。

車の中でできたばかりの新曲の猛練習。

  途中のパーキングで早めの昼食を取り、午前10時半に静岡へ到着。早速楽器を3階の運んでステージへ設置。午前11時45分より福井バンドのリハーサルタイム。午後1時よりOB会演奏会開始。私たちの出番は午後3時半過ぎ。首からレイをかけて、最初に『ハワイアンバンド』スタイルで6曲。

  うち2曲はオリジナルだった。ハワイアン3曲とオリジナルフォーク演歌『足羽川慕情』は家内がボーカルだった。その後、百円ショップで買った帽子をかぶってジャズバンドスタイルで5曲演奏した。私は最初の4曲はキーボードとギター、最後の1曲はドラムだった。

  演奏会は午後6時過ぎに終了。午後7時から懇親会。楽しい自己紹介があり、舞台を使っての余興もあった。我々福井バンドも「お椀」と「茶碗」を使った余興『聖者の行進』を歌った。「♪お椀だせ、茶碗出せ(オー ウェン ザ センツ、ゴーマチイン)……」と歌った。

演奏会でジャズを演奏する福井バンド。私はキーボード。

 最後に、私が最後の挨拶。3本締めで懇親会が終わった。その後入浴して、二次会。午前1時頃名残を惜しみながら別れた。楽しい一日だった。

(日記 早朝出発して静岡での『福井大学軽音楽部OB会演奏会』に参加。楽しい一日だった。)

最後の演奏曲『ウオーターメロンマン』でドラムを叩く私。

懇親会では舞台に上がって自由に楽器演奏。私はコンガで参加。

最後に私が挨拶して懇親会終了。

 
 

あと一日足りない

26 10月
あっという間の一年間
  いよいよ明日は、静岡で大学の軽音楽部OB会が開催される日だ。午後1時から各地区ごとに編成された7つのバンドが演奏することになるのだ。十分練習できないうちに前日を迎えた。 

  少なくとも、今日は少しは練習しなければならない。そう思ってまだ完成していないドラムソロの練習に事務所へ出かけた。ドラムソロの流れを考えついたのは午後4時だった。いつでもこうなるのだ。  今回もまた、「あと一日足りない」と言わざるを得ない。いつもこうなるのだ。1年間もあったのに、あと一日足りないなんて情けない。昨日の『かたせ瓦版』づくりもそうだ。もう少し余裕を持って始めなければならない。

  明日の私のパートは、普通のギター、ハワイアンギター、キーボード、そしてドラムの4つだ。演奏するのは全部で11曲。うちオリジナルは2曲。今日はそれぞれ少しずつ練習した。明日はどうなることやら。

 特に電気系の楽器を使うので、準備を慎重にしなければならない。当日は、本番前のアンプやエフェクターの調整も難しい。果たして明日はどうなることやら。

  最後の練習は、静岡までの車の中での練習だ。イメージトレーニングになりそうだ。それに、今年の新曲の詞が完成していない。これもまた車の中でしなければならない。

  最後の最後までなすべきことが残っている。限られた時間を有効に使ってがんばりたい。その一番は楽しむことだ。文字通り音を楽しむことが一番大切だと思う。演奏している者が楽しくなくては、見ている人も楽しくならないだろうから。

(日記 午前中は明日の準備と楽器の練習。午前11時過ぎに花の苗や土の会にホームセンターへ出かけた。夏休みに行った秋花壇用のプランターを作った人に花を配るためだ。各色のパンジーや桜草を40本あまり購入した。そして、昼食時に花と土を配りに歩いた。午後もドラムやキーボードなどの個人練習。午後8時過ぎにマイクロバスにアンプなどを積み込んだ。不安なまま明日は静岡へ出発することになりそうだ。) 

あれから50年。お互いに歳をとったものだ。初代部長のSさん(中央)、二代目の私(右)、三代目のNさん(左)。三人で一緒のバンドを組んでいた時期もあった。昨年の演奏会後の懇親会で。

 
 

改めて『事を成すのは人である』

25 10月

人こそ資源
  最近改めて思う。人こそ最大の資源であると。地域にたとえ歴史ある神社仏閣があろうとも、それが観光資源になるとは思えない。それらを生(活)かす人材(財)がいなければ、資源はただの「モノ」に過ぎない。

  我が村近くに日本一の大仏ができた。誰もがたくさんの観光客が来ると思ったのだろう。いろんな人たちが門前町やその付近で様々な店を構えた。土産品も作られた。しかし、一年と経たないうちに閑古鳥が鳴くようになった。

  そして、櫛の歯が抜けるように土産店は門前町から消えていった。最終的には全ての土産店が撤退した。日本一の大きさを誇る越前大仏、日本一の高さを誇る五重塔、日本一の高さを誇る天守閣を持つ勝山城博物館、いずれも未だ観光資源になり得ていない。

  事を成すのは人である。初めに人がいなくてはならない。そう考えると、その人を育てることを考えなければならない。しかし、現実には、悲しいかな先人の知識をなぞるだけの教育が横行しているように思えてならない。

  現代は、答えのない連立方程式を解いているような状況にあると思う。正解がないとも言える。ならば、ベストがなくても、ベターな答えを見いださなければならない。そんな訓練を受けているだろうか。

 子ども時代から、考えることの大切さを身に付けさせなければならない。よりよい高校、よりよい大学、よりよい会社や官庁を目指す者は多いが、その後が問題だ。いつの間にか自己中心の人間に変身してしまう。

  さて、政界に目をやると、日本の現状を改善すると言うよりも、党の利益、個人の選挙を優先する国民無視の政治家が多すぎるように思う。民主党の与党ごっこもまもなく終焉を迎えるであろう。

  そのとき、自民党がどれだけ議席を獲得できるか、それとも、今日都知事を辞任し新党結成を表明した石原氏の動き、日本維新の会の橋下氏の動き……、どのグループが国民の支持を得るだろうか。

  与党病に憑かれた人たちは、徒党を組もうとするだろう。過半数を目指して政界再編が起きそうだ。絶対にありそうにもないと思われた自民党と社会党が組むことだってあったのだから。

  果たして、この日本をよりよく導くリーダーは生まれるだろうか。国民の税で自分達だけ得をしようとする輩がまだまだ横行しそうな日本でる。改めて言いたい。「出でよリーダー!」と。

(日記 午前10時より鹿谷公民館でおばさん達に銭太鼓の指導。かなり上手になってきた。午後は、もっぱら『かたせ瓦版』の仕上げ作業。 夕方、5時半に完成した。早速班長に配った。慌ただしい一日だった。)

 
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復活「ウインドシンセサイザー」

24 10月

モバイルパソコンで音楽
  昨日、注文しておいた小型のパソコン(モバイルパソコン)が届いた。ずっと前から手に入れたかったものだ。これは、次の四つの目的で買ったものだ。

 1.どこにいても(旅先でも)ブログが書けること(ネット環境が必要)
 2.外出先(舞台など)などでウインドシンセサイザーが使えること(バンドで使いたい)
 3.どこでも音楽スタジオにできること(歌を吹き込み、CDを作りたい)
 4.いろんな場所でパワーポイントが自由に使えること(人前で話すとき、有効。持ち運びも便利だ)

  特に、二番目のどこでもシンセサイザーが使えることは、熱望していたことだったが、あきらめていたことでもある。パソコンと外部音源を使って音を出す楽器だ。クラリネットやリコーダーのように口で吹くことによっていろんな音を出すことができる。

 エレクトーンはキーボードでいろんな楽器の音を出すことができるが、ウインドシンセは笛のように吹くことによっていろんな楽器の音を出すことができるのだ。とはいえ、一定の技術は必要だ。

何とかバンドで使ってみたいウインドシンセサイザー。

 これを昨年買ったが、ソフトの設定がうまくいかず、バンドで演奏したかったが、それがかなわずにいた。今日、息子の友達のY君が新しいパソコンに設定してくれた。これでパソコンも生かせるし、楽器も生かせる。

  しかし、使いたかった今年の大学軽音楽部OB会の演奏会では使用するのは無理だ。演奏会は、土曜日(明明後日)だからだ。パソコン相手なので、舞台上で何が起こるか分からないし、まだ上手く使いこなせない。上手演奏できない。

   YOUTUBEでデモ演奏を聴くことができます。
             ↓   
http://www.youtube.com/watch?v=jcY3OPJ2QHI&feature=related

(日記 午前中は、里芋掘り。昨日は雨だったの里芋畑はどろどろだった。作業は多少ハードだが、みんなと話しながらの作業は楽しい。里芋掘りは一日仕事だったが、私は半日で勘弁してもらった。しなければならないことがたくさんあるからだ。午後、Y君にモバイルパソコンの設定をしてもらった。待望のウインドシンセサイザーが使えるようになった。半ばあきらめていただけにうれしかった。その後、『かたせ瓦版』づくり。夕方までに、ようやく9割以上作ることができた。明日の午前中で完成させて、午後印刷し配布だ。)

 
 

瓦版の特集記事は……『上丹生』

23 10月

住みよい地区を目指して
  私は月に2度『かたせ瓦版』を発行している。第1木曜日は、A4換算で2ページ、第4木曜日はA4換算で4ページだ。私のように書くことが好きな人間にとっては、いつもページが足りない。しかし、読む人の身になってみるとこれでも多いかもしれない。

  第2木曜日には、何かに的を絞って書きたいと思っている。今回は、「まちづくり」を特集したい。勝山市が、数年前から訪問して交流している滋賀県米原町上丹生について書くつもりで作業を始めた。

  私は、今年たまたま村のTさんから誘われてこの上丹生の『チューリップ祭り』ツアー(勝山市のエコミュージアム協議会主催)に参加した。そして、地域の人たちが一生懸命がんばっている姿を目の当たりにした。

  「チューリップ祭り」だけなら、富山県の砺波の方が遙かに規模も大きく、きれいだ。しかし、この上丹生の取り組みは私たちにまちづくりのヒントを与えてくれている。自分のまちのまちづくりに参考になるところが大きい。

 この上丹生に到着して最初に目に飛び込んできたのは、ネットで囲まれた畑だった。獣害に苦労しておられることがよく分かった。まるで鶏小屋に入って畑仕事をするようなものだった。

  この上丹生は、木彫のまちでもある。村内には至る所に木工所があった。この地区のまちづくりを牽引するのは『プロジェクトK』の皆さんだ。それに広場から見えるツリーハウスは本格的なものだった。

  もう一つ気にとめたことは、この地区が滋賀県立大学と協力して宮城県の南三陸町の田ノ浦地区を支援していることだった。チューリップ祭りの利益も全てこの田ノ浦地区に寄付するとのことだった。

上丹生の方々と勝山市の参加者が一緒に記念写真。私のとなりに寺田さんがおられたがこのときは知るよしもない。(寺田さん:前列左側、私は前列中央)

  私もいつの日にか、東日本大震災で被災されたどこかの地区の子ども達のために何かすることはないかと考えていた。自作の紙芝居を制作して続けているのもそのためだ。『チューリップ祭り』では滋賀県立大学の学生が『ホタテ灯り』を販売していた。

 学生達が京都などのお寺で使用されて廃棄されるロウソクを回収し、それを南三陸町田ノ浦地区の女性達がホタテ貝の殻を使った新たのロウソク「ホタテ灯り」としてよみがえらせ、販売しているのだ。少しでも復興のために役立てようとしているのだ。

  上丹生や田浦地区に興味を持って帰宅した私は、大学生と上丹生の『プロジェクトK』の寺田さんからメールをいただいた。そして、たちまち意気投合してメル友になって今日に至っているという次第である。

  メールの話題は、いろんな分野に及び、とても楽しくメール交換をさせていただいている。そのメールのいくつかを紹介しながら、今回は『かたせ瓦版』の特集記事にしたいと思っている。

  私が、学校現場から市教委に入って一番先に書いた原稿に、「事を成すのは人である」と書いたが、上丹生のまちづくりを牽引しているのは紛れもなく『プロジェクトK』のみなさんだ。そして、その中心となって活躍しているのが寺田さんだ。

  瓦版の特集と言ったが、寺田さんのメールの内容はどれも興味深く、貴重なものだが、紙面の都合で十分の一も掲載することができない。後日、瓦版ではなく、冊子か何かにして多くの人に読んでもらいたいと思う。

(日記 午前中、瓦版づくりのために資料と写真の整理。午後も作業を継続。注文しておいた新しいノートパソコンがやって来た。モバイルパソコンだ。画面もそんなに大きくないし、能力もそんなに高くないが、軽量で持ち運びに適したパソコンだ。私は、人前で話したりするときによく「パワーポイント」を使用するが、こうした場合には持ち運びが楽だ。午後7時半過ぎに、Y君が、故障のため修繕してもらっていたノートパソコンを持ってきてくれた。ついでに、新しいパソコンの設定をしてもらった。)

 
 

振り返れば……

22 10月

軸がぶれている……
  どうも最近忙しすぎる。といっても、誰かから何かをさせられたり、引き受けた役柄がたくさんの時間をとっているわけでもない。自分が、手当たり次第にやりたいことをやろうとしているからだ。

  歳を取ったら、間口を狭めなければならないのに、逆に広がっているような感じがする。退職者としての余裕を失うほどだ。これではのんびりと旅にも出かけられない。肝心の創作にも時間を割けない。

  家内に、「何かに的を絞ったら」とよく言われるがその通りだ。自分にとっては厳しい選択だが、ゆとりを回復しなければならない。そうでないと何もかもが中途半端になりそうだ。

  しかし、退職以来、しばらく続けていたが、その後忙しくなって中断したものがある。それは数学だ。退職直後は、産業支援センターへ通い、『ホームページ制作講座』を受講し、数学のホームページを制作していたのだが、忙しくなって一番先に中断してしまった。

  長年、高校数学の教員として生きてきたのに、それをやらなくてあたふたしているのは我ながら情けない。もう一度、2年半前の退職時に考えたように、数学を基軸とし、晴れればほどほどに農作業をし、地域のため、家族のため、自分のために、時間を費やしたいものだ。

公開しながら制作している数学のホームページ『数学は読解だ』の表紙。

  そして、いつの日にか、自作の紙芝居などを持って、東北の子どもたちに喜びを与えてあげることができれば、それがそのまま自分の喜びになるだろうと思う。最近は、時間の中を漂っているような自分だったことを反省したい。

(日記 午前中は、区長としての雑務。区の山林の調査票の書き方が分からないので、奥越農林事務所へ尋ねに行く。午後は、部屋の整理をしながら、時々、静岡で演奏する曲の練習。この頃、譜を読む力が弱くなった。暗記できるよいが、10曲あまりを簡単には暗記できない。結局譜面に頼るが、弾きにくい曲もある。できなければ何度でも練習するしかない。午後7時半より、オカリナ教室。練習の後、お茶を飲みながら、年末のクリスマス演奏会に向けてどうするかを相談する。)