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Archive for 6月, 2012

地域を守る

10 6月

前例改善
  我が村にも少子高齢化の波が押し寄せている。我が家だけを考えても10年前と居間とではずいぶん状況が違う。10年後はもっと違っているだろう。その通り、10年後には、一人暮らしになったり、空き家になったりする家が増えていることだろう。

  今、家庭に子ども達がいるかといって10年後もそうなっているとは限らない。それならば、何をどうすべきだろうか。考えることはたくさんあると思う。

  今日は、村の山検分があった。8月5日の山道作りの下見のために、各班の班長が自分の割り当ての区域の山の状況を調べるために出かけるのだ。二手に分かれて一つは「奥山コース」、一つは「後山コース」の検分に出かけた。

登山道をふさぐ倒木。チェンソーを使わなければ処理できない。

  午前7時軽トラックで大師山の八合目辺りにある大谷峠に到着。8月には大谷峠からは3班が入って作業をすることになっている。今日は歩いて三ツ頭まで山道の状況を調べながら五人で歩いた。

  所々にある地名を表す標柱野ほとんどがクマにかじられている。檜で作ってあるのだが、クマが好むニオイがすると班長の一人が話していた。ほとんど休まず、三頭山まで歩いたが、上り下りがあり、約1時間半かかった。

  山道の所々には松やブナの大木が倒れていた。8月には草刈り機とノコギリだけでなくチェンソーも持っていかなければ作業ができないと思われた。高齢者には、こうした道具を担いで歩くと作業現場へ行くまでには2時間ぐらいかかるのではなかろうか。

  高齢化した我が地区では、こうした作業を続けるのは困難になっている。山道を整備する意味がほとんどなくなっているのだ。私達の子供の頃は、夏休みなどは、一日に一回は薪を担いでこうした山道を通ったのだ。生活の山だったのだ。

  しかし、今はイベントの時に通ったり、町の人達がレクレーションとして、登ったりする山になっているのだ。いろいろ山の歴史を調べてみると、昔は永代使用権があって村の人達が薪や牛馬の飼料としての草を刈ったり、田んぼに肥料として草を刈ったりしていたのだ。

  しかし、今日、私達が下見をした奥山の道は、村が昭和36年に永代使用権を放棄して村の山ではなくなり、市有林になっていたのだ。それにもかかわらず、昔やっていたからと無理をしながら、山道作りをやっていたのだ。

山検分の終点である三頭山山頂。ここまで麓から車を使っても2時間。歩くだけでも疲れてしまう。

  村の山に接した山道は、使う使わないにかかわらず、これからも守っていかなければならないと思う。しかし、そうでない部分は持ち主の市にやってもらいたいと思う。市の関係者に強くお願いしたが、「今年は無理だ」と言う。「来年は予算をとって市でできるよう努力したい」との返事だった。

  私達は、背後にある大師山を地元の山、市民の山として登山道を整備し、頂上の整備を行っていきたいと考えている。他のことも含めて、自分たちの地域のことをもっとよく知り、今の時代に合った取り組みをしなければならないと思う。

  山検分の後、食事を共にしながら、あれこれ村を取り巻く問題について話し合った。「住教育」についても話題にした。村の人達には、これからも村についてのあれこれを「かたせ瓦版」で伝えていきたい。

  勝山市の建築士会が片瀬のまちづくりを応援して下さるという。何を応援してもらうかは私達が考えなければならない。区民が何もしなくて応援してもらっても意味がない。応援はあくまでも応援で、私達自身が何をどうしたいのかをはっきりさせなければならない。

 地域をよくする第一歩は、村に関心を持ってもらうことだと思う。また、高齢者の知恵の活用についても話し合った。子供会関係者は、子ども達は非常に忙しいという。習い事やスポーツ活動があるからだ。これらのマッチングは簡単ではない。

  そういう意味では、地道な「花のあるまちづくり」から一歩一歩進めていきたい。これを楽しみながらまちづくりにつなげていきたいと思う。山検分の反省会でいろんな意見が出た。楽しかった。

  昨年の通りでは、少子高齢化が進む私達の村の発展はない。前例踏襲では面倒くさいことは省略する一方になってしまう。みんなゆとりを失っているように思われる。心を込めてまちづくりに取り組みたい。本当の楽しさを知ってもらいたい。

午前6時からの自衛消防隊の事前訓練。本番の訓練は来週だ。

(日記 午前6時より昨日に続いて自衛消防隊と消火栓班の訓練。その後、午前7時より山検分のため、役員が大師山周辺の山道作りの下見に出かける。午前7時半頃から午前11時頃までほとんど歩きっぱなしだった。午前11時半より居酒屋で反省会。いろんな話題について雑談することができた。早朝からかなり疲れたが運動にはなったと思う。夕方、次女が東京から帰省した。月に一度の顔合わせだ。)

 
 

防災意識の高揚

09 6月

日頃の心構えが肝心
   誰も、自分の家で災害が発生するとは思っていないようだが、いつ何時、どこでなにが起こるかは分からない。自然災害が起きたとき、テレビなどで災害が起こった地区の住民のインタビューを聞いていると、「生まれた初めてこのような災害に遭いました」となる。

  災害が起こるのは想定外であった場合が多い。これでは被害を最小にすることはできない。もしかしたら、災害が起こるかもしれないと思って普段から備えた方が良いと思う。私も若い頃はそんなに気にしなかった。

  例えば、真夜中に地震や火災が発生した場合、どう対処したらよいだろう。火災の場合、初期の段階で気がつくためには、やはり火災報知器が有効だろう。

 最近の火災では、逃げ遅れてしまって子ども達やお年寄りが犠牲になることが多い。本当に痛ましい。ちょっとした大人の気配りで命を救うことができるとなると、やはり真剣に考えておかなければならない。被害を最小限に留めるようにするためには、普段から、実際の場合を考えて備えなければならない。

  例えば、火災を一刻も早く知るには、火災報知器が有効だと思うが、どこにどれだけつけておいたらよいのだろうか。二階で寝ている人が気がつくためには、1個や2個では足りないだろう。火元となりやすい台所、それから、階段、そして、寝室だろうか。一家に数個は必要だと思う。

村の消防署員にポンプの操作方法を聞く片瀬夫人消防隊員。

  また、火災や地震、地滑りなど災害にもいろいろ種類はあるだろうが、こうした場合、停電になる可能性が高い。緊急のために、常備灯がいくつかは必要だろう。一家に一個懐中電灯があればよいというものではない。

 寝室なら枕元に必要だろうし、階段や居間などにも必要だろう。そうなると複数の常備灯を置かなければならない。実際に真夜中に災害が起こった場合には、明かりがなかったら避難するにも苦労するだろうし、それが命取りになる場合もあろう。

  こう考えると、火災報知器も、常備灯も数個はほしくなる。緊急時にはぱっと手に持って避難するためにはどこへ置いておけばよいか普段から考えておかなければならない。寝室ならば、見えなくても手探りで探せるところに置くのがベストだと思う。(我が家はいずれも4個以上は備えてある。)

  来週の自衛消防隊の訓練や今年組織した自主防災組織でこうしたことを訴えたい。訓練のための訓練、形式的な準備ではかけがえのない命は救えない。今朝の婦人消防隊の訓練を見ていてこんなことを考えていた。

越前大仏で行われた稚児行列。

(日記 午前5時半頃起床。午前6時からの「婦人消防隊」の訓練を見に行く。指導は、村にいる消防署勤務のKさん。五人一組でそれぞれが自分の役割を決めての訓練だった。午前9時頃越前大仏の25周年記念の法要に地元区長として参加。あいにくの雨だったが、稚児行列も有り、賑わっていた。午後4時から『親子太鼓教室』。ようやく4曲目をマスターすることができた。夏にはどこかの祭りに出してあげたいと思う。特に、保護者の方は汗びっしょりだった。まさに“太鼓ビックス”だった。私も汗びっしょりになった。いい運動だ。)

今日の越前大仏。ここでも新しい出会いがあった。

 

親子太鼓教室。ようやく4曲目ができるようになった。孫のような子ども達と子どものような保護者と一緒の練習は若返る。

 
 

千年を繋ぐ宮大工の知恵

08 6月

目から鱗
  我が地区は、県の指定により「住教育」について二年間考えることになっている。県下17市町の全てが何らかの研究をすることになっているが、勝山では我が地区がこの指定を受けることにした。というよりも、勧められたと言った方が正しいかもしれない。

水車型のプランターを見ながら三人で話し合い。いろんな話題が飛び出してとても楽しい時間を持つことができた。

  「住教育」と言うと少しオーバーな気がする。「住」を頭に置いて暮らしやすさ、豊かさ、生きがいなどを考えるといった方が正しいかもしれない。私としてはこの研究を通して、「地域に誇りを持ってもらいたい」と思う。子ども達には、片瀬を「ふるさと」と思ってもらえればと思っている。

  午後3時頃、県の土木部建築住宅課のSさんと市内の建築士会のIさんが私の事務所へやって来た。三人で、今度の事業の取り組みについて話した。最初に、小学校で行う住教育「宮大工による本物体験講座」に話が及んだ。

  6月13日に鯖江市の豊小学校で行う本物講座のテキストを見せてもらった。このテキストのイラストは全てSさんが手描きで描いたという。少しでも子ども達に興味を持ってもらおうという気持ちで手描きしたのだという。その心意気に脱帽。

  テキストには、薬師寺三重塔とスカイツリーの比較がなされていた。超近代的なスカイツリーの地震対策に、薬師寺三重塔の心柱の原理が使われているのだという。コンピューターも重機もなかった時代に耐震性の高い建物を建て1,000年余りも倒壊せずに持ちこたえていたのだ。

Iさん達が作ったという水車型のプランター。三段に花を植えることができる。

  そういえば、これまで大きな地震が何度もあったが、五重塔や三重塔が倒壊したという話を聞いたことがない。すごいことではないか。1,000年以上も前の宮大工の知恵がスカイツリーに使われているとは。

  Sさんが持参した資料を読んでいて、五重塔や三重の塔を、5階建ての塔とか三階建ての塔と言わない理由が分かった。それは、独立した一階建ての塔が重箱のように五重や三重に重なっているからだという。そして、それらの真ん中に心柱が通っているのだ。

  各階はそれぞれが独立していて互いにつながってはいないし、心柱ともつながっていないというのだ。そのため、地震に対しては、揺れを吸収し、倒壊しないというのだ。素晴らしい知恵ではないか。

  昔の宮大工のこうした知恵はどうして培われたのだろうか。おそらく、長年の経験から割り出されたものだと思う。コンピューターによってシミュレーションすることもなく、しかも、木造建築で耐震性の高い建物を建築し続けた宮大工の知恵を、なんとしてでも後世に残さなければならないと思う。

  本物体験講座で小学生がどのように感じるのだろうか。秋には南小学校でもこの講座は開催されることになっている。是非とも、私も宮大工の技をこの目で見たいと思う。

  いろんな話が合ったが、先ず入り口としては、竹のプランターと木のプランター作りから始めてみたいと思った。子どもから高齢者までがこの運動に参加してもらえればと思う。建築士会の支援も得られそうなので、村の人も前向きで取り組んでもらいたいと思う。

今日我が家の前庭に建てた竹のプランター。余った竹を使ったので底のないものもある。

(日記 午前中、少し童話を書く。その後、竹のプランター作り。竹が余っていたので、いろんな長さのプランターを6本作った。底のない竹でも作った。底のない竹のプランターは直接地面に押し込んだ。その後、精米。午後3時から県の土木部建築住宅課のSさん、勝山市の建築士会のIさんと、片瀬で行う「住教育(私は住を念頭に置いた暮らしやすさだと理解している)」について意見交換をした。楽しい時間だった。我が村でなにをどうすべきか、ゆっくり考えてみたい。)

お隣さんの竹のプランター。

 
 

新曲発表

07 6月

想いをどう伝えるか
  私は、全くの素人ながら歌作りを趣味としている。自分一人で作詞・作曲をする場合は、「何を伝えたいか」という想いを重視している。これまでいくつかの歌を作ったが、ふるさとへの想い、家族への想い、少しオーバーだが国へ想い等をテーマにしている。

子育て支援センターで新曲『カン・カン・カンガルー』を発表。家内が歌い私がギターで伴奏した。

 数ヶ月前に、子育て支援センターの職員から歌作りを依頼された。子育て支援センターの存在を知らしめるには歌は役立つかもしれない。しばらくして、詞が送られてきた。完全に歌になっているもの(替え歌)や箇条書きにした保護者からの数枚のペーパーなど様々である。

  それぞれに保護者の想いがメモされていた。歌を作る場合、誰の視点で詞を作るかだ。今回は、この支援センターを利用する幼児(0~3歳)の視点でつくることにした。

  難しい言葉はほとんど使えない。簡単すぎて歌にならないのではとの心配もあった。しかし、その歌を発表する日は今日と決まっていたので、とにかく歌にしてみた。

  私は、歌作りに関してこの頃思うことがある。地域の歌や施設の歌を作る場合には、作詞はなるべく地域の人や施設の人に考えてもらいたいと思っている。そうしなければ歌に対する愛着心が湧かず、歌い継がれることはないからだ。

保護者にも新曲を一緒に歌ってもらった。

  必ずしも、字数を合わせて詞を作る必要はない。最も重要なことは、歌に込めたい想いだ。想いがあれば、多少曲が貧弱でも言いたいことは伝わるものだと思っている。そういう意味では、恋愛、恋、別れ、港などを歌った演歌は難しい。人間同士の愛ならば作れるだろうが。

  東日本大震災以降、私は、多くの人達を勇気づける歌ができないかと考えている。しかし、これは簡単ではない。被災された方々の想いを歌にすること、そして、多くの方々に勇気を与えることは今の私の力量でできるだろうかと思う。

  もう一つは、今の政治に対する怒りだ。国内外の指導者は国民を置き去りにしているように思う。そこで、関係者に対して直接的ではなく、間接的に訴えることができないか途考えている。

 例えば、『帰ってきた酔っ払い』のように、宇宙人の声を「速回しの甲高い声」で表現し、宇宙人に語らせるという手法だ。人は、第3者の目で見つめられると気がつくことが多い。

 遠くから見ると、“水の惑星”と言われるだけに、ブルーでとてもきれいだ。宇宙人は、きれいな星を見つけたと喜ぶが、近づくにつれて、地上では、地球人が私利私欲に走り、争いばかり。さらに近づくと、ゴミや廃棄物が散乱し、水も汚れている。「こんな星は住むところではない」と言って逃げ出すというストーリーだ。

  暇にまかせて、こんな事を考えていた。困難ではあるが、「おわら風の盆」をテーマに演歌も作ろうとしている。苦手な恋愛の分野だ。メロディーは数ヶ月前に完成している。ここで自分は本当は何を言いたいのか、定まっていないので、歌詞葉1番しかできていない。それにしても、歌作りは楽しい。

上左:私の畑の里芋。 上右:ようやく芽を出した片瀬特産のショウガ。 下左:タマネギの試し掘りをする家内。 下右:試し掘りしたニンニク。

(日記 午前中、子育て支援センターで、歌作りを依頼されたセンターの歌『カン・カン・カンガルー』を家内と一緒に発表。帰宅して、里芋の畝の草取り。その後、タマネギとニンニクの試し掘り。帰宅して昼食。家内と二人で山へ蕗採りにでかけた。下山してから、家庭菜園へモーターで川から水を上げた。午後7時から猪野瀬公民館で行われた自衛消防隊の防災訓練の会議に出席。引き続いて、区長会に出席。議題の中心は、敬老会についてだった。朝から、かなり変化に富んだ一日だった。)

  

左:蕗採りの合間の山での休憩。空気が旨い。 右:収穫した蕗を洗い“キャラブキ”を作る準備をする家内。

 
 

楽しんでやる

06 6月

長続きするには
  何事も長続きさせるには、楽しんでやらなければだめではないだろうか。義務的にやっているうちは、長続きもしないだろうし、創意工夫を凝らすこともないだろう。従って、楽しいこともないだろう。

竹のプランター作り。今日は横置きのプランターを作った。

  「花のあるまち運動」を始めたが、私の願いは、外国の町で見たように、一つの花を、植えた人と通りがかりの人が共に楽しめるようになればと思う。こんな所にも、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という精神が生かせるのではなかろうか。

  我が家では、花を育てたり、花で飾る場合もそんな気持ちでいる。いろいろ工夫しながら、花を育てたり、花の飾り方を考えたりすることが楽しいのだ。そして、通りがかりの人にも楽しんでもらいたいと思う。

  今日は、竹を細工して花を植えると決めた。家内は、昨年村が購入して使わずに集会所の横に置かれているプランターの土を入れ替えて新たに花を植えた。どちらも、集会所の玄関に飾った。

  集会所の玄関先は、小学生の集団登校の集合場所にもなっている。小学生達はこれらの花を見たらどう思うだろうか。小学生達や中学生、高校生に先日の区民運動会で、花の苗を一人に2本ずつ配ったのだ。

  各家庭にも一戸あたり2本ずつ配ったので、家庭によっては10本近くになったかもしれない。そして、青竹も用意しておいたので小学生達は保護者とプランターを作って花を植えているはずだ。

完成したプランターを集会所の玄関先に飾った。花は全て家内が植えてくれた。

  子ども達には、花を育てることに楽しみを感じてほしいと思う。その過程で、家族や地区の人達と話す機会もあるのではないかと思う。花の種類や花の育て方について会話が進むことを期待したい。

 花を植えることばかりではない。どんなことでも、楽しむためには、真剣でなければならない。義務的にやっていては楽しむどころではない。本気でなければ十分な成果も得られず、結果的には楽しむところまで行かないからだ。

(日記 午前中、先ず金星を見ようとしたが、見えなかった。そこで、双眼鏡と黒いバインダーを組み合わせるとくっきりトップ見えた。何度も見た。その後、市役所へ補助金の書類を提出するために出かけた。帰宅後、竹のプランター作り。完成した後、集会所の玄関先に花を植えて飾った。午後は、明日の「子育て支援センターの歌」の発表のためのCD作り。家内に吹き込んでもらってCDを完成させた。)

 
 

オリジナルの良さ……民謡2曲と幼児の歌

05 6月

地元の作詞で歌作り
赤尾の歌
  隣町の平泉寺町赤尾のSさんが、数日前、作詞を持って我が家へやって来た。赤尾地区にも、我が片瀬と同様に「銭太鼓」がずいぶん昔から伝わっているのだ。

  しかし、片瀬と同様に、島根県の「安木節」を使って銭太鼓のバチを振っていたのだ。我が片瀬は一足先に、自前の曲を私が作ってオリジナル化したのだが赤尾はそのままだった。

 そこで、赤尾区の皆さんもそのように感じたのであろう。半年ほど前に、赤尾区のSさんが作詞をもって「曲を作ってほしい」と頼みに来たのだ。

  しかし、詩は全く字数を無視していたので、それらを頭に置いて、曲を先に作り、逆に「この曲に合わせて詩を作って下さい」と言っておいたのだ。それが約2月前。

  そして、数日前に、Sさんは作詞を持って我が家へやって来たというわけだ。できた詞をみるとよくぞここまで字数を合わせて言いたいことを歌にしていると感心した。数日後には、CD化したいと思っている。

鹿谷町の歌「鹿谷ほがらか音頭」
  ところが、今日鹿谷町のTさんが「歌詞」を持ってやって来たのだ。Tさんの方は私がお願いしたのだ。私は、ずいぶん以前に「勝ち山ほがらか音頭」を作詞・作曲したのだが、歌詞の内容は勝山全体を歌ったものだった。

  そこで、遅羽町の皆さんには詩の内容を変えて「三室ほがらか音頭」としたのだ。三室祭りには小学生からお年寄りまでが踊って下さっているのだ。

  そこで、鹿谷のTさんには「“鹿谷ほがらか音頭”の歌詞を作って下さい」と頼んでおいたのだ。それが今日できたというわけだ。Tさんとは、「矢戸口ええとこ音頭」でコンビを組んでいるので、Tさんなら地元の歌の作詞ができると考え、お願いしていたのだ。これも、数日後にはCD化したいと思っている。

子育て支援センターの歌
  もう一曲は子育て支援センターからの依頼だ。子育て支援センターの職員の方々が「子育て支援センターの歌」を作りたいというのだ。ちなみに、子育て支援センターを「カンガルーのお部屋」というのだ。

  作詞は、利用者の保護者がメモ用紙に詩の断片や言いたいことをメモ書きして数枚渡して下さったので、これらを使いながら詩を考えることにした。そして、ようやく完成した。タイトルは、「カン・カン・カンガルー」だ。

  歌の発表は、6月7日に行われる「子育て広場“みんなで遊ぼう”アンパンマンも遊びに来るよ」の中で披露することになっている。曲が完成したのでCD化しようとしたらパソコンの音楽ソフトがうまく作動しない。

  パソコンにはいつも肝心なところで泣かされる。早速、Y君に助けを求めた。2時間かけて回復してくれた。まったく申し訳ない。彼がいなかったら、木曜日には間に合わなかっただろう。感謝、感謝。

  どんなに下手な歌でも、地元の者が作って地元の者が歌ったり踊ったりする歌は最高だと思う。私達の、区でも、「銭太鼓に使う音楽」をオリジナルにしたとたん、いろんな所からお呼びがかかることになった。オリジナル万歳だ。

(日記 午前中、子育て支援センターの歌作り。「カン・カン・カンガルー」とタイトルをつけた。最後のCDに焼く段になってパソコンが機能しなくなった。その後、区長として金の支払いなどに回る。午後は、作詞を持ってきた鹿谷町のTさんとホテルのロビーで会い、作詞について打ち合わせ。その後、一緒に昼食。約時間楽しい時間を持つことができた。その後、帰宅して「オカリナ事業」の補助金申請の書類を書く。午後7時半にパソコンを直すために息子の友人のY君が来てくれた。最後にはCDを焼くことができた。本当にありがたかった。)

 
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他人のために花を植える

04 6月

回り回れば自分のために
  たとえばの話しだが、60戸の村で、それぞれの家が表通りに花を植えたり、飾ったりしたとしよう。村内を歩けば、誰もが59戸の家庭の花を眺めることができるのだ。自分のためにだけ花を植えたとしたら、自分はその植えた花しか眺めることができない。

  しかし、このことを「言うは易く、行う葉難し」である。なかなか理解されないのではなかろうか。分かっていても、他人のために生きることが自分の快適さにつながることを実感できないと、簡単には私のこの運動は広がらない。しかし、私は今この方法で「花のあるまち」を目指している。

また、竹を選んだ理由は、
 「村内の竹林が荒れていること」
 「竹のプランターは用が済めば自然に帰すことが出来る。」
 「竹の緑に花は似合うこと」
 「加工が簡単である。」
など様々な理由がある。
  そして、村内で入手しやすい竹を多くの人が使っていることで区民の一体感が生まれやすいのではないか。昨日集会所の前に置いた竹プランターに水をやりながら、そんなことを考えていた。

  次のアクションは、先日、九頭竜森林組合の勝山工場で見た木材だ。木材と言っても、製材で柱などを取った残りの木材だ。長さは4mあり、厚さは7cmほどだ。これが一本150円だ。とても安価だ。木の皮が付いた部分もかなりある。

  「花のある町」づくりの第2段は、これらの木材を使って木製のプランターを作り、それに花を植えることだ。農家組合長(村の3役の一人)で大工のY さんが、昨日の竹のプランター作りでも活躍してくれたが、今度も、全面的に協力してくれることになっている。

 子ども達が、一人で1~2個の木製プランターを作り、それらを表通りに並べるのも楽しいことだ。区民の誰もが、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」と思って行動していただけたら村も少しは活性化するのではないかと思う。

今は小さな花だが、早く成長して付近の人を楽しませてほしい。

(日記 午前中、区長の事務的な仕事の処理。午後は、家内と二人で、家庭菜園の畑の作物に水をやり、ちゃんと支柱にくくりつけた。エンドウとキュウリが初めて収穫できた。自家製の野菜は特に美味しい。また、家内は道路沿いにある土管型のプランターに花を植えた。信号が赤になった場合は、ここに植えた花は特によく見える位置にあるのだ。午後7時半より『オカリナ教室』だ。秋以降の「オカリナコンサート」の開催について話し合った。)

今年収穫した最初のキュウリ。

 
 

区民運動会、何とか持ちこたえた天候

03 6月

果たして花が咲くか
   今日は区民運動会。昨日から急に天候が気になりだした。どうも予報は昼から雨だという。雨ならば、1時間開始を遅らせて室内で行うことになる。そうすると準備した競技はほとんどできない。 

上左:県議を迎えての開会式。上右:小学生の自己紹介。下左:幼児の飴拾い競争。下右:満杯リレー。

 昨日の役員会では、競技は公園で、バーベキューは屋内でと仮に決めておいた。そして、決定は今日に持ち越した。朝の予報でも昼頃雨だという。しかし、隣の大野市は午後3時から雨だという。それならばということで外で行うことに決めた。

  そして、開会式を始めた。挨拶で言いたかったことを要約すると次の二つになる。

 ・片瀬を子ども達の「ふるさと」にしましょう。「ふるさと」とは私の定義では、「家族以外に関わる人がいること、我が家以外に関わる場所があること」です。子ども達が、この村でいろんな人達と関わって成長してほしいと願います。それと同時に、今ここから見る景色は、田んぼが広がりとてもきれいです。これらをずっと守ってきたのは、お年寄りの皆さんです。お年寄りの皆さんに感謝すると共に、今度は、私達がこの村を守っていく番です。みんなで、子ども達の「ふるさと」を作りましょう。

 ・今日から、「四季折々花のさくまち作り事業」を展開します。区内の道を歩いたとき、いたるところできれいな花が咲いていたら、区民のみなさんだけではなく、訪問者もとても気持ちよく感じるのではないでしょうか。子ども達と一緒に、竹のプランターを作って我が家の周辺に置いて下さい。おじいちゃんおばあちゃん

上:竹げたムカデ競争 下左:消化訓練 下右:消火訓練の説明

と、お父さんお母さんと一緒に竹のプランターを作って区内をきれいに飾りましょう。「あれ、片瀬の村はなんてきれいなんだ」と外部の人が思うようになったら、しめたものです。そんな地区の里芋なら、ショウガなら、米なら、きっと美味しいはずだと思うかもしれません。「農事組合法人かたせ」の農産物を買いたくなる人が出てくるかもしれません。みんなの力で、花のさくまちを作りましょう。

  みんなの力で、片瀬をブランド化したいと思う。一人ではできなくても、みんなの力を合わさればきっと素晴らしいことができるのではないか。そんな願いを込めて話した。果たしてどうなることだろうか。心に花が咲くかが問題だ。

 この後、子ども達の「自己紹介」を行った。地区の子ども達がどこの誰だか分かるように毎年自己紹介を行っているのだ。自己紹介の中に、「頑張っていること」も各自が伝えてくれたので、親しみを持つことができた。

 その後競技が始まった。一つだけ自慢したいことがあった。それは自転車の「車輪転がし」だ。昔取った杵柄で、圧倒的ナンバーワンだった。区内なら、速い人の倍の速さで進んでいけると思った。途中で模範演技も行った。これが「年よりパワー」だよと子ども達に伝えたかった。

  途中で、天候が悪くなり出したので、バーベキュウ開始を少し早めた。ぽつぽつと雨が降ってきたが、小降りになり、止んでくれた。バーベキューの終わり頃から「竹のプランター作り」を行った。

工務店さんにいろいろ切り方をお願いするお母さんと子ども。

 自らノコギリを使う者は少なく、役員の中にいる工務店さんに切って欲しい箇所を示し、竹のプランター作りを進める者が多かった。そして、できたプランターに、あらかじめ用意した花の中から色や種類を選んで、植え込んで、持ち帰った。

 中には、「私は家でこんなプランターを作りたい」という者も出てきた。今日は短時間の作業だったので、プランターのバリエーションは少なかったが、自宅でゆっくりやればまだまだ独創的なプランターができるのではなかろうか。

 サイコロは振られた。後はどんな目(芽)が出るかが問題だ。少なくとも、今日は盛り上がっていたように思う。近々第2段を進めたい。子ども達から80歳以上のお年寄りまでが一緒に取り組んで下さったので、少しは期待できるのではなかろうか。

 終了間際に雨が降ってきたが、今日のスケジュールをこなすことができてよかった。反省をしながら、少しずつよりよい運動会にしていきたいと思う。

できた竹のプランターに土を入れて花を植える区民の皆さん。

(日記 午前5時半起床。今日は区民運動会。無事終了することができた。一つの種を播いたので、その成長を楽しめる。何もしなければ何も期待できないが、何かを始めればどうなるかという期待感は生まれる。それも、一人ではなく、多くの人が取り組むことなので不安も大きいが期待も大きい。福井の孫達も区民運動会に参加した。)

私は電気ドリルでプランターの底に水抜きの穴を空ける役割を引き受けた。

 

永ちゃん(矢沢永吉)も顔負けの孫の弾き語り。思わず写真を撮った。

 
 

頭の回転がよくない

02 6月

オーバーヒート
  今日は公私混同したような一日だった。今日の出番は4つ。最初の出番はフラダンスの初舞台。と言っても、私がフラダンスをするのではない(当然だと笑われそう)。私は、大学時代、軽音楽部に所属していた。素子お手、ドラムを叩いていた。

和太鼓のメンバーのフラダンスもかなり様になったいた。(於:勝山市営プール)

  しかし、その頃、先輩にハワイアンギターの上手な人がいた。当時、「和田弘とマヒナスターズ」や「バッキー白片とアロハハワイアンズ」、「大橋節夫とハニーアイランダース」など、ハワイアン系や演歌系でハワイアンギターを交えたバンドが多かった。

  そこで、バイトをしながら、ハワイアンギターを購入し、ドラムの傍ら練習していたのだ。そして、50年の歳月が過ぎた。ここ数年、一つの夢として、フラダンスの伴奏を生のハワイアンバンドでやってみたいと思うようになった。

  私の主宰する和太鼓(女子)の連中に、フラダンスを持ちかけると大乗り気だった。そこで、YouTubeを見ながら教材を作り上げた。彼女達はそれらを見ながらフラダンスを練習してくれた。

 私は、バンドの方を考えればよかったのだが、バンド仲間が急に入院し、家内(歌)も今日は別のイベントで出演できなくなった。そこで、バンドの方は、家内の声で楽器カラオケ(ハワイアンギターのパート抜けたカラオケ)を作り、それを使って支援プールのイベントに出演した。

フラダンスに合わせて50年前に買ったハワイアンギターを弾いた。気持ちがよかった。

 私も、ハワイで買ったアロハシャツとレイを着けてハワイアンギターを弾いた。彼女たちは、それなりにフラダンスを踊ってくれた。うまくいったかどうかは分からないが、とにかく、発表することができた。こうして夢を実現することができた。

 私は、ここ数年、健康作りに役立つということで「体操」と「踊り」をいろんな人に勧めている。踊りにもいろいろあるのだ。ヒップホップダンスもあれば、フラダンスもあり、盆踊り(民謡)もある。音楽に合わせて身体を動かすことはとてもよいことだと思っている。

 銭太鼓のメンバーが、鹿谷町から、わざわざ見に来てくれた。とても嬉しかった。彼女たちは足を痛めているので、興味があってもフラダンスは無理だと思っている。しかし、「まだ上半身があるではないですか。椅子を使えば無理なく足も動かせますよ。」と言ったのを覚えている。

  椅子に座っていれば足に負荷をかけずにフラダンスはできると思っている。一番悪いのは、身体の一部が不都合だからといって使えるところまで使わないことだ。いつか、基本だけでも一緒にやってみたい。

こうして彼女たちと並ぶと私もかなり年をとったようだ。でも、今春のハワイ旅行で買ったアロハとレイを使えてよかったと思う。

  フラダンスが終わったら、すぐに、次の準備をし、大師山の頂上へ向かった。今日は、大師山の自然観察会があり、百人以上が参加するのだ。スタッフも数十名はいる。

  家内は、大師山の頂上で食生活改善推進員として豚汁を振る舞うことになっているのだ。午前7時に家を出て山頂へ向かったのだ。山頂に鍋やガスを持ち込み、調理をするためだ。

  そこで、私達は「オカリナ演奏」を披露することになっているのだ。山頂ではオカリナの音がかなり遠くまで伝わるようだ。私は、今日はいつものオカリナでではなく、ギターで伴奏した。とても気持ちがよかった。

  このあたりで、体力的にもかなりばてが来ていた。ここまでで今日のスケジュールの半分しかこなせていない。特に、ハワイアンギターは、かなり暗譜をしなければうまく弾けない。ところが、昨日までの諸準備でかなり疲れてしまって頭がうまく回転しない。

大師山山頂でのオカリナ演奏。私は、ギターで伴奏をした。オカリナの音色が谷間に響いていたようだ。

 頭の回転をyくする為には適度な休養や気分転換が必要なのかもしれない。自分を分析すると、演算装置の能力のないパソコンに無理な作業をさせているような状態かもしれない。

(日記 午前中、市営プールのフェスティバルに、ハワイアンギターでフラダンスのバックを務めた。その後、大師山で行われた自然観察会のアトラクションとして、山頂で行うオカリナ演奏の伴奏をギターで行った。午後2時から観察会の反省会。午後4時から『親子和太鼓教室』。午後7時半から村の役員会。終わったのは午後10時半。今日は、何となく頭の回転がよくない一日だった。完全に容量オーバーだ。気分転換を図らなければならないのかもしれない。そんなことを考えながら、今日のスケジュールをこなした。しかし、どれもこれも興味のあるものばかりだった。ただ、年齢の割には過密なスケジュールだったということだろう。)

 
 

自分の「物差し」で生きる

01 6月

地域固有の生き方を
  近年、あちことへ出かけると画一化した家並み、コンビニ、スーパーなどがあって、地域の個性が薄らぎつつあるように思う。そんな中で、敢えて地域固有のものを見つけて売り出すことはできないのだろうか。

  それには、知恵を絞らなければならないと思う。「よそがやっているから自分たちも……」では“二番煎じ”になってしまう。今のような混沌とした時代には、「本物」でなければ人に伝わらない。

  所で、「本物」とは何だろうか。地域が長年伝えてきたもの、またはそれらの発展形、あるいは、創造(想像)したもの、時間をかけたもの(スローフードなども)、……いろいろあるのではなかろうか。

 「食」を例に取れば、地域独自の食材を使い、地域が長年伝えてきたもの、時間をかけて作ったもの、味に独特の個性があるもの、……、そして作り手が美味しいと思えるもの、作り手が自信を持って薦められるもの、そういうものがあるのではなかろうか。

 本物ならば、価格は多少上がっても、アピールできるのではなかろうか。安価な食品、ファーストフード、画一的な味にならされすぎてはいないか。私達は、大量生産によって価格の安いものに飛びついているうちに、どんどん本物を失っていってるように思う。

 ここは一つ、他のモノマネではなく、独自のものを生み出す努力をしなければならないのではないか。画一的な価値観でものを見るのではなく、自分の目でちゃんと見て、自分で評価しなければならないと思う。

 押しつけられた価値観でものを見ているうちに、自分自信がが見えなくなり、自分の住む地域が見えなくなル。そして、路頭に迷い、とにかく都会へ脱出するという考えの人が少なくないが、それではどこへ行っても安住の地は見つからないだろう。

  私は、自分の物差しで、自分が納得するように生きていきたいと思っている。都会は遊びに行くときだけでよい。地域で気持ちよく生きていくには、「過去を生きず、」現在を生きる」ことが大切だと思っている。

 人とのつながりを大切に生きるには、変なプライドを捨てなければならない。知らないことは、自ら頭を下げて相手に聞くことも大切だと思う。これからも、今まで以上に幼児からお年寄りまで気軽にコミュニケーションをとれる人間になりたいと思う。

 ここ1,2年、職場から開放されて時間ができたお陰で、いろんな人達と対話をする時間がぐっと増えた。対話をする場合、村では、私はだいたい「聞き役」だ。地域の昔のこと、作物の作り方、いろんなことについて教えていただいている。そして、これが楽しいのだ。

  これからも、自分の物差しで、考え、判断し、楽しく、「晴耕雨パソ」で納得した生活を送れたらと思っている。そんな中で、少しの創作活動も加えて。

笑いの絶えなかった“竹げたムカデ競争”の試運転。先頭は家内、真ん中はMさん、一番後ろで笑っているのがMさんの小2のお孫さん。

(日記 午前中、明日の楽譜作り。明日は、ハワイアンギターを弾くことと、山頂のオカリナグループの伴奏をするからだ。家内が、「明日娘が孫を連れて来るので蕗の煮物を食べさせてやりたい」と言い出した。そこで、二人で、蕗を取りにでかけた。山を下りてから、運動会に使う竹をもう一本もらってきた。午後も、楽譜を作り、ハワイアンギターで練習。この楽器の演奏するときには、あまり楽譜を見ることはできない。よそ見をすると手元が狂うからだ。暗譜した方がよいのだが、簡単にはできない。ギターの方は、楽譜を見ながら弾くことができるので安心だ。夕方、明日のために、市営プールへ出かけてアンプの調整をしてきた。帰宅すると、Mさんとそのお孫さんが用事で来ていたので、家内と一緒に運動会の「竹げたムカデ競争」の試運転をしてもらった。小2のお孫さんが終始楽しそうに笑っていたので安心した。楽しかったのだろう。)

 
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