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Archive for 5月, 2011

やっと家庭らしくなった

31 5月

一人暮らしよ「サヨウナラ」
  約3週間、妻が入院したので私はその間一人暮らしだった。今日、退院してきたのでよかった。「一人暮らしよサヨウナラ」だ。

  一人暮らしも10日ほど過ぎると何をどうしなければならないか、少しずつわかってきた。生活の知恵という奴かもしれない。

  安易に持ち物をポイとどこへでも置くと、それらを探すのは大変難しいことがよくわかった。“ものを探している時間”がずいんぶんあった。

  「2台の車の鍵」、「携帯電話」、「デジカメ(常に持ち歩いている)」、「免許証」、「カード類」、「工具類」などだ。家内と二人でいるときは、「……知らない?」と言えば、「……で見たよ」と答えてくれることが多かった。

 また、音楽の楽譜については、色々持っていてもほしいときには出てこなくて困ることが多かった。「演歌の本」、「民謡の本」、「ハワイアンの本」、「ジャスやロックの本」、「Jポップの本」、「映画音楽の本」、「フォークソングの本」、「オカリナの本」、「コーラスの本」、「童謡・唱歌の本」、「楽器演奏の本」……これらの本を持っているが、ほしいときには出てこなくて困った。

退院して帰宅する前に寄った事務所横の家庭菜園で記念写真。エンドウが実をつけ始めた。

  「モノ」は所定の場所を決めて、使ったら必ずそこに置いておくことを守らなかったら、一人暮らしはできないだろうと思う。

  二人暮らしでも何人暮らしでもそうだろうが、「使ったら元へ戻す」ということをいやと言うほど学んだ。「モノ探しの時間」を減らすためにも、このことはこれからも守りたい。

食事もなかなか大変だった。食べたいものを買うのだが、一人暮らしには全て量が多すぎる。するとどうなるか。あれが残っているから食べなければ、これが残っているから食べなければ腐ってしまうと気にかけなければならない。

  「食べたい」というよりも、「食べなければ」という気持ちの方が強くなっていく。食事の楽しさや作る楽しさが半減してしまうのだ。そして、食べきれずに捨ててしまうこともあった。やはり、二人以上でないと不経済になる。

  洗濯も時間を有効に使って、少しまとまったら必ずすること。そして、食事の後片付けはたまらないうちにすること。使った食器を貯めると、後始末が大変だし、使う食器が多いと、洗った後に入れておく「洗いかご」もいっぱいになってしまう。

  誰とも話さない生活は精神的にもよくないだろう。今日から二人暮らし。お互いにできることをやりながら、日々の生活を楽しみたい。

  二人が共通にできる部分を持つと同時に、一方ではそれぞれが勝手に過ごす時間を持ちながら、これからの生活を送りたい。1+1が2より少し多くなるように互いを尊重しながら、日々の生活を充実させたい。

(日記:午前中、家内を迎えに医科大病院へ行く。荷物を載せ、家内と一緒に、福井の方へ出て楽器屋へ寄り、食事をしてをして、家具屋へ寄り、オットマン付きの椅子を二つ注文し、腐葉土や野菜作りの土を買い、スーパーで買い物をして、自分の家庭菜園へ寄った。妻は、成長した野菜を見て喜んでいた。午後4時から、勝山城博物館で祭りについて話し合いを持った。その後、『中庄小三郎音頭』の楽譜とカラオケ(CD)を持って、大野市へ向かい、歌謡教室の先生の所へ行った。後日吹き込んで貰うためだ。私の作った歌のほとんどはこの先生にお願いしている。本当に頼りがいがあり、尊敬できる先生だ。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を地でいくような立派な先生だと思っている。この先生のおかげで、私の創作意欲が継続していると言っても、過言ではない。)

 
 

盆踊りでまちづくりに取り組むまち

30 5月

春江町中庄地区の取り組み
  午後1時半頃に坂井市春江町中庄地区のみなさん5人が私の事務所へやって来た。村の中に団地ができて。団地の方が人口が増えているとのことだった。

  それでも、旧地区と団地のみなさんがいっしょに祭りに取り組むなど新旧地区の融和に向けて努力しておられると感じた。

  そんな中で村のいわれなどを歌詞にして新たな地区の民謡『中庄小三郎音頭』を作り、それで区民が踊りの輪を作り、盆踊りを楽しむと同時に地区の融和を図りたいとのことだった。

  この地区では、昨年は、100人ほどが踊りを楽しんだらしい。三重の輪ができたとのことだった。踊りに使われる民謡のほとんどは、県外のものであるらしい。そこで、1曲ぐらい自分たちが作った民謡で踊りたい、世代間交流を図りたいとのことだった。

  一応、詩も曲も地区の人達が自分たちで作ったものがあったが、これをもっと民謡らしくしてほしいということで数日前に私の所へ楽譜とCDを持ってこられたのだ。それが今度OB会でいっしょにバンドをするメンバーの一人だった。

  昨日、テスト版のCDを作って渡したところ地区に人達が大変気に入って下さって、早速、村の役員や実行委員がそろって私の所へ今後の取り組みについて相談に来たのだ。

  その熱意や村の取り組みは素晴らしく、私もうらやましいと思うくらいだった。私が手がけたのは、村の人達が作ったメロデーをなるべく尊重しながら、約半分ぐらいは新しいメロディで構成し、前奏と間奏を作り、三味線、尺八、太鼓、鉦などで編曲したのだ。

  村の人達が、自分で詩も曲も作り、それに踊りを振り付けて秋祭りとは別に、盆踊り大会を開催するというのだ。たぶん秋祭りでも踊るだろうということだった。

  私は、踊りの力を信じている。老若男女が踊りの輪を作って踊りを楽しみながら、交流することは、いろんな面からも意義のあることだと思っている。

  まして、新しい団地ができたりすると育った環境の全く異なる人達がやってきて融和を図ることが難しくなる中で、こうした取り組みを行うことは本当に素晴らしいことだと思う。

  私も、早速、知り合いの歌の先生にお願いして吹き込みを行い、編集してCDを制作し、中庄地区の皆さんの要望に応えたいと思う。祭りでは、小学生に、前歌を歌って貰い、大人が本歌うという構成だ。本番では、村の人達が歌を歌い、踊ると言うのだ。成功を祈りたい。

(日記:午前中は、OB会のバンドの楽譜作り。午後1時半に、春江町中庄地区の皆さん5人が、『中庄小三郎音頭』の件で私の事務所へやってくる。約2時間、今後の進め方について話し合った。中庄地区のみなさんの熱意と取り組みをうらやましく思う。その後、勝山城博物館で今年の夏祭りのあり方について話し合う。前途が厳しくなってきた。明日もう一度話し合うことになった。)

 
 

じいちゃんバンド始動

29 5月

見知らぬ者がハーモニー
  10月に大学の軽音楽同好会のOB会が開催されることになった。OB会では、午後3時頃から演奏会をやって、夜は懇親会という日程だ。「バンドをやらないか」というアンケートが来た。

  私は、「希望しない」と返答したが、福井の仲間からおだてられ、まつりあげられてバンドをする羽目になってしまった。後輩達とバンドを組むことになったのだ。あまり自信はないが、悪い気はしない。

 「東京バンド」、「浜松バンド」、「カラオケに合わせての個人演奏」など当日の音楽会では様々なバンドや個人が出演するのだ。私たちは、「福井バンド」だ。

  今日初めて、私の事務所(山児童館)のミニスタジオで「福井バンド」の練習が行われた。集まったのは、私を含めて5人だ。県外の者には、楽譜を送って練習してもらい、当日ぶっつけ本番で合わせるというのだ。

心は青春の「じいちゃんバンド」のメンバー(山児童館ミニスタジオにて)

  今日は、ハワイアンギター(私)、ギター3学年後輩(私とは4年1年の関係だ)、ギター・ドラム4年後輩、ベース5年後輩とトランペット・キーボード5年後輩だ。

  いっしょに学校生活を送ったの一人だけ。でも、同じサークルの後輩と言うだけで何となく親しみがわく。OB会の演奏だけで解散するのはもったいないので、今後も続けたいという意見もあった。

  いざ練習を始めて見ると、うまくいく部分とうまくいかない部分が見られた。これから、4ヶ月間あるのだから、今よりはもっと上手になっていることを願いたい。

  大学時代に買った楽器を持っている者もいる。私も、今日まで沢山の楽器を買ったが、ハワイアンギターだけは、大学時代にアルバイトをして買った楽器だ。何十年ぶりかで練習を始めたが、前途は洋々たるものがある。

  「おじさんバンド」を通り越して、「じいちゃんバンド」みたいだ。それでも、気持ちは青春時代。5曲演奏するうち、3曲はハワイアンをやろうということになった。後の2曲はボサノバだ。

  後者は、トランペットやリズムを重視してやる予定だが、はたしてどうなることやら。4ヶ月後が楽しみだ。頭の運動にはなりそうだ。脳は驚いているだろう。脳にとってもよいトレーニングになることは間違いがない。

レクレーション大会で、区民に自己紹介する子供会の子ども達とその家族代表。

(日記:午前10時から村のレクレーション大会。残念ながら雨のために、バーベキューはテントを張って外でやったが、食べるのは室内と二手に分かれだ。用意しておいた様々な企画は雨でできなかった。抽選会の直前に「片瀬豊年ばやし」踊ることになったが、参加者は少なかった。輪の外側で見ている者が多かった。その後、抽選会。私は2本しかない2等だった。運がよかった。午後3時より、福井県の「おじさんバンド」ならぬ「じいちゃんバンド」の第1回目の練習会。10月のOB会に向けて練習開始だ。4ヶ月後に上手になっていることを願いたい。)

 
 

小野社長と懇談

28 5月

「勝山城博物館夏祭り」について懇談
  今年は、夏祭りの盆踊りなどを「ゆめおーれ」から「勝山城博物館」周辺にに会場を移して、開催するつもりでいる。ここ2年ほどは、お盆の時期に行ったが、いずれも花火大会と同日になり、やや盛り上がりに欠けていた。

  そこで、今年は、お盆の時期を外して、一週間前の日曜日を考えていたが市会議員選挙投票日と重なるということでさらに一週間前の7月31日を予定している。

懇談を終えて小野社長とカメラに収まる。(於:越前大仏)

  勝山城博物館の館長さん達と相談して、相互タクシーの小野幸親社長にも実行委員に加わっていただこうということになった。「社長に合わせて下さい。」ということで館長さんにアポイントをとっていただいたところ、今日それが実現した。

  今日は午前10時より「越前大仏」大祭があるので、小野社長は早めに勝山へ来て下さった。午前9時頃、大仏の社務所の一室で話をさせて貰った。

  私が期待するのは社長のネットワークだ。それと、本気で取り組むという意志表示をしたいからだ。おおむねこちらの要望を聞いていただくことができた。

  こうしたらどうでしょうかという祭りの運営についてもアドバイスを下さった。さすがは経営者だという一面を垣間見ることができた。それと同時に、タクシー業界の一端を話して下さった。

大仏さんの前で行われた「第24回越前大仏大祭法要」。

  「このままではタクシーはなくなりますよ。次を考えないと……」ということでタクシー業界の今後についても抱負を述べて下さった。それと同時に、人脈の多さには驚いた。

  テレビや新聞などのマスコミ、産業界や学識経験者など様々な人との人脈があるのだ。今回の「勝山城博物館夏祭り」にその一部でもご協力を願えたらとの思いを強くした。

  その後、越前大仏の第24回目の「大祭法要」に参加した。大師山でのオカリナ演奏が中止になったので、急遽出席できることになったのだ。

  商工会議所の会頭とも会った。立ち話で終わったが、改めてこの件について話をしたいと思う。何となく、慌ただしくなってきたように思う。

(日記:午前9時より相互タクシーの小野社長と会って、夏祭りについて話し合う。終了後、OB会バンドの楽譜を作る。午後、事務所で少しハワイアンギターの練習。その後、疲れて昼寝。現役時代に、ある退職者から「退職して一番嬉しいのは昼寝ができることだ」と言っておられたことを思い出した。買い物、夕食づくり、ブログなどで結構な時間になった。)

 
 

今日は音楽デー

27 5月

終日音楽がらみの作業
  今秋の「軽音楽同好会OB会」でバンドをやろうということになり、今週の日曜日、私のスタジオに大野、福井、坂井などの軽音楽同好会OBが集まってくる。

  メンバーはかろうじて一人が知っているだけで、後の連中は私が卒業してから入学して来た連中だから全く知らない。でも、同じ部のOBだと思うと親しみがわく。

  OB会に参加する県内のメンバーは数人だ。メンバーの多くは、東京や大阪や全国に散らばっている。我が福井のOBがやれそうな楽器は、ギター、エレクトーン、トランペット、ハワイアン(スティール)ギター、ドラム、ベースなどだ。

  私は、後輩におだてられてハワイアンギターを弾くことになった。ハワイアンギターは約50年前に買ったものだ。エレクトーン、ギター。ベース、ウクレレ、パーパッションでバックを務めてくれるという。

  どの曲にするか、なやむところだ。時間はあるが、手や頭が、20歳の頃とはずいぶん衰えている。それに逆らって曲を覚えるということはとても難しいことだ。

  逆に言えば、脳にとっては、とても刺激になっているかもしれない。脳にとっては、最高のトレーニングだろう。そう思って楽しみながらやっている。

 どの曲にしようか迷うところである。一曲だけは決まった。『南国の夜』だ。これは、20歳の頃に覚えた曲だ。でもバンドとなると、メロディーだけを弾いているわけにもいかず、バックを弾くとなるとかなり苦労するかもしれない。でも楽しみだ。

   事務所で、少しハワイアンギターを練習してみた。やはり、理屈よりも慣れなければならないと思う。10月までには、少しは聴けるように練習したい。

春江地区の民謡作りの手伝い
  春江町中庄地区の民謡作りの手伝いをしている。ようやく、メロディーは固まった。後は、前奏や間奏を作り、全体を編曲することだ。午前中、編曲作業をしていた。

  ようやく、歌らしくなった。一度聴いて貰って、最終的には、CDにしなければならないと思う。譜面を渡すだけではどんな歌になったのかわからないからだ。

山頂で『ふるさと』をオカリナで演奏
  続いて、オカリナ曲の編曲作業。明日大師山山頂で演奏する曲に『ふるさと』を追加することにして、その編曲作業を行った。

  ところが、途中で電話がかかってきて「雨になりそうなのでオカリナ演奏は中止します」との電話だ。気が抜けた。

『片瀬豊年ばやし』の総踊り振り付け
  日曜日に、村のレクレーション大会がある。そのときに、昨年私が作った『片瀬豊年ばやし』に合わせて総踊りをしようと区長から提案があった。

日曜日に行われる区のレクレーション大会で踊る『片瀬豊年ばやし』の総踊りの練習。

  そこでその振り付けを考えることにした。約2時間かけて振り付けを考えた。インターネットで様々な動作を確認し、どの動作が最も簡単で楽しいか、そんなことを考えながら、部屋の中で踊ってみて振り付けを考えた。

 午後7時半から、集会所で作った振り付けで踊ってみた。練習しなくても、村の人達が簡単に踊れるかどうかが問題だ。実際やってみると、10分もあれば、他人の動作を見ていれば踊れることがわかった。

  自作のCDに合わせながら何度か踊ってみた。とてもいい運動だった。日曜日は、晴れればよいが、雨になりそうだ。公園でみんなで踊りたかったが、どうもそれは無理なようだ。

(日記:オカリナ曲の編曲作業。春江の民謡作り作業。『片瀬豊年ばやし』の総踊りバージョンの振り付け。OB会で演奏する曲の選定と練習。夜は、『片瀬豊年ばやし』の総踊り練習。)

 
 

定期検診

26 5月

少し改善して安堵
  二月に一度、私は済生会病院で定期検診を受けている。今日がその日だ。結果は、学校の通信簿のごとく数値で表される。良いか悪いかは一目瞭然である。

  医師の前に出るとどきどきである。まさに通信簿を渡される生徒のごとく緊張する。数値が改善しているとホッとし、悪化しているとがっかりし、「今度こそは」と思うのである。

  こうしたことを繰り返しながら何年か経っている。数値の善し悪しの理由ははっきりしている。全て自分のせいだ。食と運動と休養が全てだ。

  今回は、3月末から5月末までの成績が出たのだが、この時期は、農作業のおかげで結構汗をかくことができた。運動不足ではなかった。しかし、間食も少なくなかった。

  ここ2週間の数値は必ずしもよくなかった。自炊のために、バランスを失っていたのだろうか。好きなモノを中心にメニューを考えていたのは間違いがない。

  数値がよくなるともっとよくしたいと思う。先月、グラフを作ったが、今回少しよくなったのでもっとよくしたいと思う欲が出てきた。しかし、今日一日は、完全に食の部分では不健康だった。食べ過ぎと間食とアンバランスだ。

  明日から、次の検診に向かって健康のためになることを大いに楽しみながらやりたい。時々羽目を外しながらも。少しばかり気分をよくして、家内の入院している医科大病院へ向かった。

(日記:午前7時に納税。7時半に医科大病院へ向けて出発。オカリナグループからいただいた花を家内に渡して済生会病院へ。定期検診後、医科大へ戻り、家内の退院日を相談する。5月31日と決まった。あと数日の辛抱だ。帰宅して『中庄小三郎音頭』の編曲と仕上げ。午後7時から、Aさんと『勝山城博物館夏祭り』について話し合う。第1回目だけに多くの困難があるだろうと思う。いくつかの団体や個人は協力を申し出ているが、これからも多くの団体に協力を申し出たい。何とかみんなで楽しい祭りにしたいモノだ。)

 
 

歌の力

25 5月

子ども達に村の歴史を
  大学の軽音楽同好会のOB会が静岡で10月に開かれる。その準備のやりとり中に知り合った春江のSさんは、地区の歌を作ろうとしている。『中庄小三郎音頭』だ。

  メロディーらしきものはできているのだ。CDに吹き込んであったので、聞かせて貰ったが、あまりの難しさに誰も歌えないだろうというような難解な歌だ。

  好きなメロディーを並べただけでは歌にならない。全体的な統一感がなければ誰も歌えない。楽譜の読める人が楽譜とにらめっこしてどうにか歌えると言うぐらいに難しい歌だ。

  これをどうにかしてほしいという。「元歌をできるだけ尊重しながら、何とか作品に仕上げてほしい。」とのことだ。元歌をできるだけ尊重しようとすると歌になり難い。

  今日電話でSさんに、「できるだけ尊重しなければならないとなると私にはできない」と電話で告げた。最終的には私に任せるということだったので、帰宅して編作・編曲作業を続けた。

  村の歴史を歌にして機会あるごとにこの歌を歌ったり、踊ったりするというのだ。踊りを振り付けて盆踊りにも踊るという。歌はまだ完成していないのに、歌の長さを決めて、すでに振り付けは踊りの先生に頼んであるという。

  もしも村の伝承や歴史を文章にしたら、村の人達がその文章を何度も読むことは絶対ないだろう。ところが歌にしたら、何度繰り返されても、どうと言うことはない。

  踊りの練習、祭りの当日、盆踊り本番などで、毎年、何度こうした歌が繰り返し流されたとしても、違和感はない。そのうちに、みんな歌の中身を知ることになるだろう。

  私が作った「勝ち山ほがらか音頭」は遅羽地区では「三室ほがらか音頭」となって、毎年の「三室祭り」で地元に人達に歌われ、踊られている。そのたびに遅羽地区の名所旧跡や伝承芸能などが聞いている人に伝わるのである。

  私も、村のために『片瀬豊年ばやし』を作ったが、村ではいろんな機会に流してもらっている。銭太鼓の練習にも何度も流されている。これが歌の強み、歌の力だと思う。

  春江町中庄の「中庄小三郎音頭」も完成すればいろんな機会に歌われるだろう。村の伝承が歌詞になっているので子ども達や区民がそれらを再認識することができるだろう。

  Sさんは、大学時代の後輩(と言っても同時に大学に在籍したことはない)である。何とか、少しでもいい歌を作って故郷を思う気持ちに答えたいと思う。

  来週は地区の人が私の事務所へ来るという。それまでにはなんとか仕上げたい。今日は気合いを入れて作業に取り組んだので9割方できた。

            『中庄小三郎音頭』

 前歌:(小学生が歌うらしい。本歌が始まる前に必ず歌う。)
      ※  小三郎さん 小三郎さん 小三郎さん ホイホイ
           中庄 中庄 ホイの ホイの ホイホイ
 
 本歌:(大人が歌う予定)
     1.越前福井は 坂井の郡(こおり) 春江西方 中庄在所
       昇る朝日に 輝きたもう 御霊(みたま)まします 御霊(みたま)まします
       エーエーエー 神明神社

     2.古き豊原 三千坊の 流れ汲みたる 専法の寺よ
       お泊まりなされし 後鳥羽の帝 今も伝わる 今も伝わる
                     エーエーエー 近衛の館(やかた)

     3.帝のお弟子の 小三郎さん 村を悩ます 日照りや水を
         治めて流るる 磯部の小川 眠る地頭の 眠る地頭の
       エーエーエー ありがたさ

     4.雨乞い神事の 様子を伝え 今も残るは 字(あざ)「牛殺し」
       米を運ぶは 馬場の先よ 河を渡るは 河を渡るは
       エーエーエー 院の橋

       (以下略。全部で8番と「番外」がある。)

   番外.さても皆様 お伝えしたい 歴史や季節や 風習などを
       太鼓の調子に 乗せられまして 踊る笑顔の 踊る笑顔の
       エーエーエー 村の衆

(日記:今日は「農事組合法人かたせ」より頼まれて、畦の草刈り作業を行った。参加したのは6人。70歳代2人、60歳代3人、50歳代1人。草刈り機は、法人のもので、ノコギリ型が5台、ナイロンの紐型が1台ある。私は、前半は紐型の草刈り機を、後半はノコギリ型の草刈り機で、法人に田んぼを預けながら草刈りのできない人の田んぼの草を刈った。午前中で作業は終わった。作業に出ると色々話せるので楽しい。帰宅して昼食。午後は、先ずホームセンターでゴーヤの種を買い、枯れたナスの苗を1本、「とのいも」の種芋を買った。そして、自宅で育てておいた最後の3鉢のトマトを畑へ移植した。その後、事務所で久々に「数学のホームページ」作り。そして、4時過ぎに帰宅。春江のSさんから依頼を受けた「中庄小三郎音頭」編作作業(示された楽譜を元に歌を作る。なるべく元のメロディーを尊重しながらも、歌い易い歌に仕上げる)。メロディーを完成させてから編曲、録音、CD作りへと進む。その後地域野盆踊りで踊るらしい。夢中になっていたので、夕食は8時近くになった。)

 
 

種か苗か

24 5月

意外と高価な苗
  先日、法人の田植え仕事に出たときの話だが、「農業で何が儲かるかとなると、苗が一番だろう」という話になった。

  考えてみればそうだろうと思う。キュウリでもトウモロコシでも種で買えば一袋にかなりの数の種が入っている。そして発芽率も高い。しかし、これを苗で買えば、一本100円近くもする。

  また、学校花壇では、沢山の苗を使うが、これを一本ずつ買ったら大変高価になってしまう。花壇コンクールで上位入賞する学校の陰には苗作りの上手な校務員さんがいるのだ。

  私は、今日2番手のキュウリの種を播いた。最初のキュウリは苗で買った。一種類は普通の苗でもう一種類は接ぎ木の苗だ。これからは、時期をずらせて種で育てるのだ。

  カボチャとオクラとトウモロコシは最初から種だ。特に、トウモロコシは時期をずらして今日3回目の種を播いた。時期をずらしてもう一回種を播くつもりだ。これでまた、畑を見るのが楽しみだ。

  今、私の家庭菜園はほとんど詰まっている。ジャガイモの収穫を終えたら、そこに「甘瓜」と奈良漬けなどに使う「黒瓜」を植えるつもりだ。

  そこで、今、自宅でポットに種を播いて育てている。双葉が出たので今日は大きめの鉢に植え替えた。畑に移植するまでにかなり時間がかかるので、普通のポットよりも大きい植木鉢に移植したのだ。

  苗を育てるのも子育ても似たところがある。どちらも、しっかり育てればそれなりに育つ。手抜きをすればそのように育つ。退職者の趣味としては家庭菜園は最高かもしれない。

(日記:午前中、家庭菜園で、種を播いたり、キュウリやトマト、ナスを支柱に固定するなど家庭菜園で時間を過ごした。午後は、紙芝居の脚本を書く準備をした。資料を読んだりもした。突然電話がかかってきた。「明日、法人の草刈りをやってほしい」と。了解した。そろそろ一人暮らしも疲れてきた。買い物、洗濯、食事作り……とすることは色々あるからだ。あと1週間頑張ろう。)

 
 

政界の裏話

23 5月

退職公務員連盟総会に参加
  午後2時から、「勝山市退職公務員連盟総会」に参加した。総会は、約1時間で終わった。少し休憩して、講演会が行われた。

  坪川常春氏が、『日本のいま』と題して、昨今の政界の裏話などを興味深く話して下さった。その中でも、各新聞社の動き(記事)を見れば政界の裏側が見えてくるというような話もあった。

  確かに、若い頃は新聞は1紙しかとっていなかったので、比べようもなく、新聞に書いてあることは全て正しいと思って暮らしてきた。

  しかし、何紙かの新聞を見る機会があってそれぞれ見比べてみると、新聞社のスタンスは全く違っていた。また、新聞社自体がどちらかへ傾斜していることもよくわかった。

  新聞社が、政治的に行動している場合が少なくないことも学んだ。本当は数紙読むと、色々わかるんだろうが、時間的にも経済的にも困難である。

  講師の話によれば、日本にはリーダーがいないということを何度も述べておられた。考えてみればそうかもしれない。ここ何年かは、日本の総理が1年前後で次々と交代している。

  1年に満たない総理も少なくなかった。震災で一時期、政局的な話は表から消えたかに見えたが、裏では各党による裏工作が続いているというような話もあった。

  ここ何日かが山場だとも言われた。新聞の片隅の小さな記事でも、それが政治の大きな流れに繋がっている場合があるとのことだった。

上:「日本のいま」と題して講演する坪川常春氏。下:勝山市退職公務員連盟の新役員。

  今や与野党入り乱れて総理の退陣を画策しているとの話もあった。確かに政界は一寸先は闇かもそれない。自民党と社会党が組み、社会党の村山氏が自民党に担がれて総理になったこともあるくらいだから、どのような形で政界再編があっても驚きはしない。

  興味のある話だった。講師は、いろんな情報網を持っておられるのだろうと思った。それらを組み合わせて面白く「日本のいま」を語って下さった。坪川氏の話はこれまで何度も聞いたが、いつも興味深い話が多かった。

(日記:午前中、楽譜の整理。オカリナの伴奏のために、ギターの楽譜を作った。今回の大師山頂上でのオカリナ演奏では、12弦ギターを使うつもりでいる。普通のギターよりもよく響くからだ。北部中学校で午前11時半から「選択音楽・和太鼓」野授業を行った。昨年よりは、順調に授業が進んでいる。午後2時より、「退職公民連盟」の総会に出席。新女性部長のMさんから来年の公務員連盟の県大会でのアトラクションとして、「片瀬豊年ばやし」に取り組みたいとの話があった。ありがたい話だと思った。講演終了後、帰宅して楽譜作りの作業を継続。午後7時半より、オカリナ教室。ギターの伴奏で大師山頂上で演奏する曲を練習した。)

 
 

親子で算数の勉強会

22 5月

いかに子供が自分の頭で考えるか
  昨日、長女から電話がかかってきた。「算数の授業についていっしょに考えてほしい」と。この年になって少しでも子ども達の役に立つことは嬉しい。

  午後6時に医科大で会うと約束した。  夕方5時に家内の入院している医科大へ行って娘を待っていた。午後6時過ぎに、娘がやってきた。医科大の談話室で、家内と3人で算数の授業について話し合った。

  昨年3月まで9年間、ずいぶん多くの授業を参観した。そして、気がついたことは、一般論だが、次のように感じていた。

  それは、山登りにたとえるならば、「子ども達を一斉に3合目までバスで連れて行って、そこから7、8合目まで並んで登らせている」ように思えた。これでも、一定の点数はとれる。

  しかし、これでは、新しい山に自力で登ることはできないと思う。先ず、麓から自分の足で(自分一人で考えて)登らせてやってほしいと思う。

  子供達の能力は様々だ。一度は、自分自身で考える癖をつけてやってほしい。どうしてもわからない時に初めて、一人一人に合ったヒントなどを与えればよいと思う。

 「自分の言葉で語る」、「自分の頭で考える」ことが最も大切だと思う。「知恵無限」であり、世の中へ出たら、学校時代とは異なり、正解が1つであることなどほとんどないからだ。

  結果は同じでも、自分で考えて解いたか、解法を(先生などから)習って答えを出したかでは大きな違いがある。社会へ出たら、誰も1から10までは教えてくれないからだ。

  家内も加わって、3人での算数勉強会はとても楽しかった。何かの役に立ったかどうかわからないが、何かをつかんでくれたようなので、少しホッとした。

  また、家内が退院したら勉強会をしようということで別れた。子ども達の役に立つことがあってよかった。満足して帰宅した。

法人の畑を借りて植えた片瀬特産の「里芋」が芽を出した。これからどう育てるかは、子育てや教育にも通じることではなかろうか。

(日記:午前中は雨が降っていたので、紙芝居『白山平泉寺物語』の絵の最終チェック。そして、来週土曜日の大師山植物観察の後のアトラクションとして山頂でオカリナ演奏を行うのでその伴奏楽譜を作成した。午後6時から医科大の談話室で、長女の算数の研究授業の勉強会を行った。家内も色々と話題を提供してくれた。子供の役に立てて嬉しかった。9時過ぎに別れて帰宅した。)