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Archive for 3月, 2011

大震災を後世に伝えるには

21 3月

子ども達へのメッセージ
  私は、市民大学講座で、福井新聞の「お話とんとん」選者の藤井先生から童話の書き方を教わった。教わったから童話が書けるというものではないが、以前よりは少し書きやすくなった。

  今回の大震災に対しては、専門的なことは学者や公的な機関が分析して、新たな防災計画に反映して下さるだろう。専門的なことは学者の先生にお任せするとして私には何ができるだろうか。

  私としては、今回被災しなかった子ども達もふくめて、自然災害の恐ろしさを伝えたいという気持ちを持っている。しかし、これは簡単ではない。

  今から40数年前にも、青年部の機関誌か何かに、童話の形で言いたいことを書いた覚えがある。私ごときの者が、直接、論文調で災害の恐ろしさを伝えることは困難であろう。

  そこで、童話の形にしたらどうなるだろうか、今日は時々考えた。そして、童話の骨組みだけは考えた。果たして、小学生が読める童話にすることができるかどうかは私のつたない文章能力にかかっている。

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 『よわむし進左(しんざ)』
  あらすじは、以下の通りである。

  海沿いの村に、進左と言われる一人の男が住んでいた。進左は、船大工であり、年老いた両親と嫁と二人の子ども共に漁師町に住んでいたのだった。

  進左は働き者ではあったが、村人からは「よわむ進左」、「臆病進左」、「意気地なし」などとあまりうれしくない言い方で呼ばれていた。

  ある日、この村にちいさな地震が起こった。例によって進左はいつものように、年老いた両親を急かし、嫁の美代と共に二人の子ども達の手を引いて丘の上にある神社をめがけて走り出したのだ。

  しかし、わずかにさざ波が起こっただけで津波は来なかった。丘を下りて船大工小屋へ戻る進左に向かって村人達はめいめいに悪口を浴びせた。

  「進左はよわむしだなあ、あんな小さな地震で逃げ出すなんて」
  「度胸なしだなあ、進左は。あんな地震で家族共々逃げ出すなんて」

 「進左の嫁の美代も美代だ。弱虫の亭主を持って気の毒だ。いっしょに逃げ出すなんて」
 「やつの親父も情けない。弱虫の息子を止められないんだから」

  今や、進左の家族は、村の者から笑い者にされていた。しかし、進左は気にしなかった。見るに見かねて嫁の美代が進左に向かって真面目な顔で訴えた。

  「あなた、地震の度に高台の神社まで逃げ出すのを私は悪いとは思いませんが、小さな地震の時には少し、様子を見たらどうですか。村の皆さんが私たちに向かってなんと言っているか知っていますか」

  進左は、頷きながら聞いていた。そして、言い聞かせるように嫁の美代に向かって話し出した。その顔はいつものように穏やかであった。

  「私の考えをまだお前はわかってくれないのか。私は、小さな地震が来たから逃げ出しているのではない。小さかろうが大きかろうが、私には関係がないんだ。地震が来たときにいち早く避難できるように、いつも本気で非難の練習をしているんだ。家族の命を守るには、普段から大津波が来たと思って本気で行動しなければならないんだ。せめて神社までは避難できる体力が必要だということを家族のみんなにわかってほしいからだ。言いたい人には言わせておきなさい。避難訓練に津波の大小は関係ない。」

  その後も、進左は、地震が起こる度に、家族を伴って高台の神社まで駆け上っていたのでした。村のほんの一握りの人たちは進左と行動を共にしましたが、大部分の人たちは進左のことを陰では「よわむし進左」と呼んでいたのです。

  さて、今日も、地面が揺れました。いつもよりは、少し大きく揺れたようですが、新座の家族はさながら大津波が来たかのように急いで高台の神社へ避難しました。

  そして、いつものように高台の神社から沖を見ていました。今日は、いつもとは様子が違います。進左は気が気でありませんでした。沖には白い煙のような者が横一線に立ち上っています。そして、ゴーッと言う不気味な音が響いています。どうやら今度は本物の大津波のようです。

  進左は気が気でありませんでした。丘の上から、
 「大津波が来るぞー!早く逃げろー!!」

  進左の声は、ゴーという大津波にかき消されて村人には届きませんでした。大津波はどんどん小さな漁村に近づいて来ます。そして、頼みの綱の防波堤を乗り越えました。

  最早、進左の声は波音に消されて誰にも届きません。……。
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 物語の展開はだいたいこのようなものです。ここで、進左は決死の行動に出ます。果たして、一つの物語としてまとめることができるかは、私の筆力ですが、自信は全くありません。

  でも、私なりに、文章にできないかを考えていました。「災害は忘れた頃にやってくる。普段からの備えが大切だ。普段の心構えが生死の分かれ道になる」ということを、説明ではなく、読者に気がついてもらえるかどうかがこの物語の生命線です。

手を振って福井駅の階段を下りてきた孫達。

(日記:午前中、自宅で『涙そうそう』の編曲作業。午前10時半に福井駅へ向かう。横浜から、息子の嫁と孫達が帰ってくるからだ。福井駅では、いつものように孫達が手を振りながら、改札口手前の階段を下りてきた。自宅には福井の孫達もいて、一日、賑やかであった。途中で横浜の孫が、習っている新体操も見せてくれた。みんなで楽しく食事ができた。孫とはいっ

4月から1年生になる孫が音楽に合わせて新体操を披露してくれた。

しょに風呂に入ることもできた。風呂の中では最初から最後まで家内と3人で「しりとり」をしていた。)

 
 

人の温かさ

20 3月

普段は感じない人の温かさ
  私たちは、普段、自分や家族だけで 生きているつもりでいる
  でもそれは そう思っているだけかもしれない

  いろんな人に支えられているのだ
  今 いろんなところで 人の温かさがみられる

  被災者の人たちは いろんな場面で涙を流しておられる

  肉親を亡くした悲しさに 涙を流す人
  探していた肉親に会えて 涙を流す人

   自宅を失って 涙を流す人
  働き場を失って 涙を流す人

  一方では 人の温かさに触れて 涙を流す人も少なくない

  献身的な医療活動に従事する 人たちの温かさに触れて
  ボランティアの 温かさに触れて 

  他県(山形)から たっぷり山形牛の入った暖かい芋煮を振る舞われて
   「避難所で 初めて温かいものをいただいた」と 感謝で涙を流す人

   中学生の献身的な奉仕活動に 感謝の涙を流す人
   原発での命がけの消火活動に 感謝の涙を流す人   

    あちこちで いろんな形で涙を流す人がおられる
  誰もが 心の奥底には 優しい心が宿っている

  ふだんは あまりの忙しさに 他人を思いやる「心のゆとり」をなくしている
  「心の温かさ」や「他人を思いやる心」を 封印したまま生活している人も少なくない

   もっと もっと 自然体で「やさいさ」を表現できたら
  世の中は もっと もっと 明るく 暮らしやすくなるのでは

  今 日本中に 「人の温かさ」が 満ち溢れている
  被災者の皆さん方には  一日も早く 元気になっていただきたい

   多くの人たちが 被災地の皆さん方を 支えているし
   今後も 支えようとしているのだから

(日記:午前10時半より集会所で「片瀬区の総会」が開かれた。いろんな意見が出て、午後2時までかかった。その後、昼食を食べながらの懇親会。特に、総会では、若い人たちが率直に意見を述べていたのがよかった。今は、世代交代の時期だろうか。前例踏襲ではなく、前例改善を図りながら地区の活性化に努めて行かなければならない。今日、福井の娘が子どもを二人連れて我が家へやってきた。明日は、横浜の孫達もやってくる。急に我が家も賑やかになる。うれしいことだ。 )

 
 

人はみんな繋がっている

19 3月

 みんなこの星に生まれた仲間  

    普段は 自分一人で生きているように思っているかもしれない
  実は みんなつながっている

  親子や身内だけがつながっているのではない
   全ての人がつながっているのだ 普段は気が付かないけれども

  人は誰でも 困った人を見ると 何とかしなければと思う
  震災で被害を受けた人を見ていると 自分が何かできるかと 真剣に考える

  普段は 厳しく非難しあったり 厳しい競争をしている 国と国も
  困難なときには 心から援助を申し出る仲となる

  単なる競争相手であって 憎むべき相手のように思うけれども
  いざとなると 手をさしのべる仲なのだ

  国と国は 繋がっている
  地球に住むみんなは 見えない糸でつなげっている
 
  東北の人たちと 東京に住む都会の 人もつながっている
  福井に住む私たちとも つながっている

  人は いつ どこで 誰のお世話になるかわからない
  ふだんは厳しい競争社会に 住んでいるけれども

  この星に住むものは いざとなれば 
  困った人に 助けの手を差し伸べる仲間なのだ

  普段は 誰ともつながっていないように思うけれども
  誰かがいつも後ろに 控えているのだ

  そう思うなら ふだんから お互いが心を開き
  仲良くできないだろうか いがみあわないで

  私たちは みな「宇宙船地球号」という
  小さな星の上で 奪い合い 傷つけあっている

  たまたま時を同じくして  この船に乗り合わせているだけ
  人類の歴史に比べたら ほんの一瞬だけ乗り合わせいるだけ
 
  何があっても この星から逃れられないのに
  いざとなれば 助け合う仲なのに

  困った人を助けるのは 誰のためだろうか
  困った人のためで あるように見えて
  実は 自分のためではないのか

  勇気をもらっているのは 被災しなかった 私たちではないのか
  私たちが 気付かせてもらっているのではないのか

  みんな つながっていることを
  この世に たくさんいる人たちと つながっていることを

  私自身が この地球に生きている  証として
  何かお手伝いをさせて もらえないだろうか 被災者の人たちの

(日記:午前9時から午後1時まで、『数学のホームページ』づくり。午後は、編曲作業。そして、部屋の片付け。捨てるものがあるとうれしい。被災者の皆さんのがんばりを見ていると、勇気をもらうことができる。自分も頑張らねばと思う。パソコンの中のファイルも整理。40数年前に作った曲も出てきた。「森のある町」というタイトルで作詞は同僚のWさんだった。市の音楽会にも発表した曲だ。懐かしい。懐かしがっているから整理は遅々として進まない。)

 
 

大震災の影響

18 3月

震災の影響はこれから
  今回の東北・関東大震災は、原発事故も加わって大惨事になっている。私たちは、これらの情報をもっぱらラジオに頼っている。

  今日初めて、宮城県塩竃(釜)市に住むYさんの家庭に電話で話すことができた。塩竃市は仙台市の隣に位置し、Yさんは仙台高校の校長で今年退職することになっていた。

  実は、Yさんは、今から20年余り前に文部省の海外研修(約1ヶ月)でいっしょにヨーロッパやアメリカを旅した仲間である。Yさんは高校の教員だったが通訳として参加していたのだ。

  その後、ずっと年賀状を通して交流を続けていたのだ。20数人で旅をしたのだが、何となく彼とは馬があっていたように思う。

  私が電話をした午前中は、Yさんは不在であったが、奥さんから色々話を聞くことができた。幸いYさんのお宅は高台にあり、津波の被害は免れたが、海岸沿いの住宅は全滅とのことであった。

  また、Yさんの勤務校は、避難所となり、地震の日からずっと学校に泊まり続けて対応しているとのことであった。本当に大変であったと思う。

  夜、そのYさんから電話がかかってきた。今日初めて自宅へ帰れたとのことだった。震災の情報をいろいろ聞かせていただいた。

  チリ地震での津波も経験していたそうだが、今回の津波は、それらとは比較にならないほど大きなものであったという。まさに地元のものでも想定外であったということだ。「1000年に一度の大災害だ」と述べておられたのが印象的だった。

  生徒の中にも、親を亡くしたものがいるとのことであった。幸い、彼の勤務校も、高台にあるので津波の被害は受けなかったそうだ。

  これからの町の復興は大変であるとの感想を持った。いつか、再会を果たすことを約束して電話を切った。震災がより身近なものとなった。

苦難の道はこれから
  今日の朝のテレビで、ある被災者が、「これからのことを思うと不安になる」と述べておられたが、肉親をなくした人、家屋をなくした人、働く場を失った人、漁船や漁具を失った漁師の皆さん、……、こうした人たちが平常の生活に戻るのはいつのことだろうか。

今、被災者の皆さんに勇気を与えているアンパンマン。その仲間であるこきんちゃん(左)としょくぱんまん(右)。

  新聞に、書かれた論評の中に、ガソリンや電気に「復興税」を上乗せする案が出ていたが、
私個人は賛成である。

  災害が未曾有の大惨事である以上、その対応もそれ相当の覚悟を持って実施しなければならないであろう。なぜならば、たまたま今回は自分に災難が降りかからなかっただけのことである。

  天災や人災は、いつ、どこで、誰の身の上に降りかかるかわからない。時と場合によっては、自分が被災者であったかもしれないのだ。自分が助けられる立場であったのかもしれないのだ。

  自分が肉親を失う立場であったのかもしれない。そう思うとき、多少の不便は我慢しなければならないと思う。被災者の皆さんのためになることならば。

(日記:午前中、事務所で『数学のホームページ』づくり。午後は、“断捨離”のつもりで、不要なものを整理した。まだまだ、すっきりとはしないが、これからも続けていきたい。)

 
 

“非常事態”に備えるための“省”の設置

17 3月

非常事態に対応するために
  我が日本では、これからも、天災や人災で「非常事態」が起こるかもしれない。これらに対応するために、専門の「省」または「庁」があってもよいのではなかろうかと思う。 

  今回のような異常事態が発生した場合には、「非常事態省」のリーダーが、全体を掌握しながら人命救助を最優先に、医療チームや工作チームなどの特殊部隊と連携しながら、全体を指揮することができるのではないか。 

  また、情報収集チームは、現在とは全く異なる回線による情報網を確保し、直ちに、作戦本部に情報を送り、次の指示を出すために役立てるのだ。 

  今の携帯やインターネットは何もない穏やかなときしか使えない。先の福井大豪雨の時にも、机上で考えたの情報網はほとんど役立たなかった。 

  先ずは、情報収集をしながら人命救助を最優先させ、救助した人、避難すべき人、救急医療を要する人などを、選別し、直ちに行動に移す。 

  その後も、食料や医薬品、衛生品、日用品など救援物資の輸送を円滑にするための輸送路の確保を行う。当然、これらの車両が通行する道路を確保するために、交通規制を行うのだ。 

  また、これらの車両には、燃料を優先的に回し、いち早く災害に対処するのだ。また、避難所からの情報を常に入手し、何が必要かを把握して確保する。 

  このように、非常事態に対処するために、日頃から、訓練を行い、あらゆる場合を想定し、それなりの権限を持って迅速に対応しなければ救える命も救えない。 

  災害と言っても、自然災害からテロや伝染病、治安、サイバー攻撃など様々なものがあろうし、想定外のことも起こりうる可能性はある。誰かが専門的に、取り組まなければ救える命も救えない。 

  今回の「東北・関東大震災」から、いろんなこを学び、亡くなられた方々の無念さを思うとき,残された私たちは今回の大震災から多くを学び、次の世代へつなぐ責任があるのだ。 

  今の私たちが謳歌している平和な生活を少しは見直さなければならない。私たちは、際限のない欲望を少しは押さえ、限りある資源を有効に使いながら、少なくとも、無駄は省きながら生活しなければならないであろう。 

  それと同時に、地方の人たちが、食料、エネルギー、きれいな水や空気など様々なものを大都会の人たちに提供しているのだということを多くの人たちは認識したことだと思う。 

  また、このような非常事態の中で、詐欺が横行したり、自分さえよければと買い占めに走る人が多くいるのは悲しいことである。 

多くの国民に勇気を与えているアンパンマン(右)。左はおこわちゃん、中はみるくぼうや。

(日記:午前中、部屋の片付け。まだまだ、あまり使わないようなものがある。少しずつ整理して捨てたい。事務所近くの福井新聞勝山支局へ心ばかりの義援金を届けた。午後は、事務所で、ラジオを聴きながら「数学のホームページ」づくり。ラジオからは、震災情報やニュースの合間に、リスナーのメッセージも入る。そんな中で、「アンパンマンの歌に励まされた、感動した」という声が多かったと伝えていた。そして、今日も、アンパンマンの歌が流された。自分の身を削って人助けをす

卒園式のあった孫とウェブカムで対話。もうすぐ会える。

る姿が多くの人たちの心を打ったそうだ。また、避難している子ども達にも勇気を与えているとのことだった。歌の力は大きい。夜、横浜に住む孫とウェブカム。今日は幼稚園の卒園式だった。パソコンの前で卒園証書を受け取る様子を再現してくれた。息子の嫁によれば、横浜では豆腐や納豆、乾電池、トイレットペーパーなどかなりのものがないとのことだった。) 

「アンパンマンの歌」の歌詞
 http://takoweb.com/~mebi/text/2006/anpan.php

 
 

雪の中での救出作業

16 3月

今、自分にできることは
  多くの国民が、「この災害に対して自分には何ができるか」を考えておられるのではなかろうか。災害は、いつ,どこで起こるかわからない。他人事ではないからだ。

  「何かしたい」と多くの人たちが考えていることだろう。間接的にできることとしては、省エネであったり、買い占めに走らないなどは当然心がけたいことだ。寄付などにも参加したい。

  直接的なこととしては、時期が来たら、高齢者の方々の家屋などの後片付けや避難所の清掃活動などに出かけたいとも思う。ただし、自分の年齢では、迷惑になりはしないか心配だ。

  今すぐできることとしては、避難を望む方に我が家の部屋をお貸ししたいと思う。子どもさんを預かってもよい。しかし、これは、個人で発信するわけにも行かない。

  そういう機会があれば、率先して手をあげたいと思う。外国人をお泊めしたように。少なくとも、あたたかい食事とお風呂だけは自由に使っていただけるのではないかと思う。

  今回の東北・関東大震災は、単なる災害というよりも、国難であり、有事であると思う。災害に遭わなかった者も、いつ自分に降りかかるかわからないのだから、他人事ではない。

  東京の生活を支えるために、福島の原発がこれまで役立っていたのだ。今回、誰もがそのことを認識したと思う。東京が率先して電力の節約に当たるのは当然であろう。

三月中旬だというのに雪が降った。(今日の勝山市片瀬、矢印は我が家)

  本県にもたくさんの原発があるから、他人事ではない。安全性については、再度総点検が必要であろう。机上の安全対策だけでは、有事には対応できない。

  それにしても、大震災でも大変であるのに、原発事故まで加わって、まさに日本は、戦争並みの混乱状態である。指導者は、今こそ「知恵」寄せ集めてこの難局を乗り切ってほしい。

(日記:午前中、『数学のホームページ』作り。午後は、午後は音楽研究。夕方、久々に、風呂へ行く。)

 
 

幼児の前でオカリナ演奏

15 3月

童心に返って
  今日は「子育て支援センター」でのボランティア活動に参加。『わくわくボックス』にオカリナ隊の一員として夫婦ともに出演。午前10時頃に、地場産セーターにある「子育て支援センター」へ行き、先ずはリハーサル。

子育て支援センターで「アンパンマン」を演奏するオカリナ隊。

  そして、午前10時半より『わくわくボックス』本番。最初は大型絵本の読み聞かせ。ギターで即興的に音楽をつける。

  次は、メンバーが手遊びの指導。「かえるのうた」、「むすんでひらいて」、「大きな栗の木の下で」を幼児とその保護者といっしょに楽しんだ。私はギターで伴奏。

幼児といっしょに「大きな栗の下で」の手遊びを指導するメンバー。

  その後、オカリナで、「となりのトトロ」、「アンパンマン」、そして、アンコール曲として「さんぽ」を演奏した。私はみんなとオカリナを演奏する。

  今日の『わくわくボックス』では、そろいの衣装でメンバーといっしょに、童心にかえって楽しく過ごすことができた。終了後、メンバーが一室に集まり、お茶を飲んで解散。

  オカリナがなければ、このメンバーとは集まってオカリナを演奏したり、お茶を飲むこともなかっただろう。出会いとは不思議なものだ。当たり前のように仲良く、楽しく過ごすことができた。

読み聞かせ(後ろの二人)に合わせて即興的にギターを弾く私。

  帰宅して昼食をとり、我々夫婦とメンバーのSさんが福井の「湊公民館」へ向かった。「オカリナの体験とミニ演奏会」があるというので見学するためだ。

  我々とは、形状の異なるオカリナを使っていたが、参考になることが多かった。今後の「オカリナ教室」で生かせることもあり、はるばる福井まで見学に出かけた甲斐があった。

東北・関東大震災について
  今回の大震災は、日本の歴史始まって以来の大惨事だ。従って、その対策も、従来の考え方で延長ではなく、“超法規的”と言うか、“前代未聞”の対応でなければならないと思う。政府のやり方を非難する前に、政府によりよい方法を進言すべきである。

  地震や津波などに対する防災や原子力関係の学者も、これまで予測できなかったことを大いに恥じ、解説ばかりをしていないで、現地に入りよく勉強して、新たな対応を研究してほしい。

(日記:午前中は、「子育て支援センター」での『わくわくボックス』にオカリナ隊で出演。午後は、福井の「湊公民館」での「オカリナ体験教室とミニ演奏会」の見学のために福井へ出かけた。参考になることが多かった。オカリナに縁のある一日だった。)

 
 

天災に対する備え

14 3月

想定を超える災害規模
  次々と地震や津波に関する情報が明らかになる。地震・津波・原発と重大な天災や事故が重なって日本はまさに危機的な状況にある。

  これらに対処するのは簡単ではなかろう。多くの人の命が失われ、町も破壊された。戦争中と同じような悲惨さである。現地に出向いての支援もあるだろうが、しばらくの間、ライフラインのしっかりした安全な地へ迎え入れることも必要ではなかろうか。

 家をなくした人、身寄りをなくした人、避難場で不自由な人たちの状況をテレビで見ていると、 我が家でも、一家族や二家族、または、子ども達を迎え入れても良いと思うが、これも簡単ではなかろう。

  不便な地域で生活支援をするよりも、戦時中のように疎開することが必要ではなかろうか。町そのものが破壊してしまって住宅も田畑も道路も病院も商店もなくなってしまっているのだから。

  今のままでは、人々が健康を損なう可能性は十分になる。今こそ、政治が前例のない方法で国民を守る番だ。協力者はいくらでもいると思う。

  緊急事態が発生すると、本当にほしいときに、必要なモノが手に入らない。皮肉なことだ。先ずは、情報を伝達する大切な機器である電話や携帯は全く役に立たない。

  普段は自由に会話のできる携帯電話も命が危機にさらされている重大な場面では、通話不能になる。または、電源がなくて使用不能になるのだ。

  災害が発生した時にこそ必要なモノがことごとく役に立たないのだ。この地震でなくなった人たちの無念さを考えるとやりきれない気持ちになる。

  決してこの人たちの命を無駄にしてはいけないと思う。次の世代に向けて、今回の地震や津波から得た教訓を伝えなければならない。

  町のあり方も、根本的に考える必要がある。従来の考え方ではない、安全で安心できる町を作るために、国民の知恵を結集するときだ。

子育て支援センターでの演奏に向けて練習するオカリナ教室の皆さん。

(日記:午前中『数学のホームページ』作り。11時頃、Yさんが、11時半頃U君が事務所へ遊びに来る。2時過ぎまで、昼食もとらずに話し込んだ。楽しい時間であった。午後も、3時頃から作業を継続。夜は、オカリナ教室。新曲と共に、明日、子育て支援センターで演奏する曲の練習をする。帰宅すると、ニュースは地震関係ばかり。自分に何ができるのか、考えたい。)

 
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一日も早い復旧を

13 3月

一日も早く被害者の救出を
  テレビや新聞の報道を見る限り、信じられない巨大地震と津波が襲ったようだ。先ずは、生存者の救出を急いでいただきたいし、一人でも多くの人の命が救われることを祈りたい。

 あまりのひどさにコメントのしようもない。普段、何気なく当たり前のように使っている電気や水、食べ物、そして、車や携帯電話、冷暖房、風呂やトイレなどは、ひとたび災害が起きれば、どれも使えない。

  当たり前とはいうものの、何も起こらないということは、やはり非常に恵まれているのだということを感じないわけにはいかない。感謝しなければならない。

  それと同時に、災害になれば個人の力では何もできない。普段から、隣近所が助け合い、防災については自分のことだと思って備えを十分にしなければならない。

  テレビで、被災者の方が語っておられたことが特に印象的だった。 「家に戻らず、とにかく避難しなければならない。」という言葉に実感がこもっていた。

  今回の被災者の中には、家へ戻ったために津波にのみ込まれた人も少なくなかったようだ。今回の事故以前には津波警報で高台などに避難していた人が語っておられた。

  「いつも非難していたが逃げる必要がなかったので、ついつい今回ものんびりしていて津波に襲われた」と語っておられたが、「だまされても、やはり、避難を優先すべきだ」とのことだった。

  このような状況の中では、娯楽番組を見る気がしない。被災者の方々は、これから非常なご苦労をされるのだろう。町が消えてしまった方々は、これから先、町の再興に何年かかることだろう。

  画面を見る限り、戦争で爆撃にあった町のようだ。これは、国家の非常事態でもある。つい先日まで、国民を放り出して政局に明け暮れていた議員の皆さん方も、ここ当分の間は、災害復旧に全力で取り組んでもらいたい。

  また、家を失った子ども達は、今後どうするのだろうか。相手が望むなら、落ち着くまで子ども達を預かりたいくらいだ。とにかく、被災者の方々には、一日も早く平穏な日々がおとずれることを祈りたい。

「ばあちゃん所へ来たら帰らなければならない。バイバイ、孫達!」

(日記:午前中、『数学のホームページ』づくり。午前中、長女が子ども(孫)達を連れてやって来た。午後は、短時間ではあったが、久しぶりに日曜大工を行った。あまりの惨事になんとなく浮かない一日だった。)

 
 

自然の猛威

12 3月

想像を絶する大惨事
  テレビは朝からずっと地震関係のニュースだ。画面で見る限りは想像を絶する大惨事。「町が壊滅的な状態になっている」とのレポートが多い。

  地震も大変だが、津波はそれに勝るとも劣らない大きな被害をもたらす。地域によっては、役場そのものがなくなってしまい、被害を把握するどころではない。

  そのため、町によっては、住民の安否がつかめない。火災があちこちで発生しているが、道路が寸断していて、消防車や救急車さえ現場に到着できない。津波が運んだ様々なものが道路をふさいでいるからだ。

  おまけに、原発が事故を起こして、それ自体が問題であるのに、電気を生み出すこともできない。水や電気はいまや生きるために不可欠なものだが、それがストップしているのだ。

  まさに生き地獄の状態だ。しかも、今回は、広範囲に被害が出ている。生き埋めになっている人も少なくない。しかし、重機も被害を受け、道路が寸断されていて、現場へ行けない。

  天災はいつどこで起こるかわからない。今の私に何ができるだろうか。何かをせずにはいられない。今は、私のようなど素人には手を出せないだろうが、そのうちに私でもできることがあるかも知れない。

  何かできる機会があれば、ぜひとも参加したい。一日も、早く復旧することを願うが、粗大ごみと化したさまざまなものを片付けるだけでも、大変なことだ。

  あまりのひどさに、かける声も見つからない。今こそ、「オールジャパン」でこの災害に対処しなければならない。官民上げて、対処してほしい。今の自分に何ができるかを真剣に考えてみたい。

(日記:終日、編曲作業。テレビで見る地震と津波と原発の災害に恐怖を感じる。いつどこで、どんな災害に遭うかは分からない。夜、オカリナ教室。子育て支援センターでのアトラクションの練習。)