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Archive for 3月, 2011

大地震発生

11 3月

わが子達にも影響が
  東北地方で大地震が発生した。ちょうどこの頃、私たち夫婦は、買い物のために福井へ出かけた。ラジオからは地震に関する情報が繰り返し流されていた。

  福井へ到着すると、親戚から子ども達の安否を尋ねる電話がかかってきた。そのうちに、東京へ転勤したばかりの娘からメールがきた。

  新宿のビルの42階にいた末娘からのメールでは、ひどい揺れで死ぬかと思ったほどの恐怖だったらしい。また、目黒区にいる息子は、交通がストップして、今日は横浜の自宅へ帰れないらしいとメールが来た。

  横浜にいる息子の嫁と孫達は、幼稚園の「卒園児を送る会」が終わって帰宅しようとグランドの側を歩いている最中に地震にあったらしい。相当長くして振動してい手怖かったとのことだった。

 こんな時には、携帯や普通電話はほとんどつながらないのだ。横浜ではガスはストップし、水も十分ではないそうだ。

  肝心なときに電話や携帯が役に立たなかったのは、あの美山や福井地区を襲った大豪雨の時にもそうだったらしい。我が勝山市でも、そんの経験から電柱にスピーカーをつけた防災無線放送を備えたのだ。

  机上で考えた防災体制が本番に役立たないことは少なくない。もしも、今自分の地区が地震に襲われたらどうするだろうか。慌てふためいていただろう。

  今のうちに、どこへ逃げるか、水や電気が止まったらどうするかを考えておかなければならないだろう。食事はどうするのか。冬なら暖房はどうするのか。

  我が家でも、電気を使う暖房やIHはほとんど役立たないだろうと考えて。カセットコンロや電気を使わない型の古いストーブも残してはあるが、まだまだ防災には非力だ。非常食ももっと考えなければならない。

  帰宅してテレビを見ていると、想像していたよりもはるかに大きな地震であり、被害も大きかったようだ。余震も、続いているらしい。まだまだ油断はできない。

  このところ、地震がよく起こる。今回の地震を教訓に、防災に対する意識を高め、備えをもう一度見直さなければならない。

(日記:午前中、家内と二人で例によって事務所へ出かける。私は、『数学のホームページ』づくり。2時頃、昼食をとり、福井へ買い物に出かける。後でわかったことだが、この後、東北地方で大地震が発生したのだ。メールをやりとりするのだが通信状況はきわめて悪かった。福井のショッピングセンターでは、家内と別行動を取り、私は楽器屋と本屋で時間を過ごす。オカリナ教室のために、NHK朝ドラ「てっぱん」の主題歌“ひまわり”の楽譜を買う。その他、本屋で「iPhoneアプリ」の本と「野菜作り」の本を買った。途中、東京にいる娘や息子達と地震に対するメールを送った。思うように通信できなかったが、全員が無事であることがわかってよかった。)

 
 

キャラクターの力

10 3月

ゆるキャラブーム
  最近はいろんなところで自治体などのキャラクターを目にすることがある。まちの特徴を表したものや特産品をキャラクターにしたものなど様々なものがある。

  人気のキャラクターは、様々な分野で利用され、経済的にも大きな力を得ている。そして、ゆるキャラのコンテストまで開かれている。人気のキャラクターは各地に招かれている。

  我が福井県にもキャラクターはあるが、まだ全国級ではないようだ。勝山市の「チャマゴン」や「チャマリン」もまだまだローカルスターに留まっている。

昨日、今日、作ったカレーパンマンとレアチーズだそうだ。

  最近、家内が幼児のために作っている漫画の「アンパンマン」もすごいパワーを持っている。 幼児には絶大な人気を得ている。

  おもちゃを始め、教材や衣類などにも利用され、アニメや映画やミュージカルにもなっている。そして、アンパンマンの仲間は今も次々と増えている。

  絵は誰にでも描けそうなくらいにシンプルだ。しかし、子どもの心をがっちりとつかんでいるようだ。悪役のバイキンマンもいるのだが、憎めないキャラクターになっている。

  ド素人の私が、気の利いたキャラクターを作れないかと思うのだが、絵が描ければいいというものではない。素人がネット上でキャラクターを作っても、どのような活躍の舞台を与えられるかが問題だ。

  デズニーの「ミッキーマウス」や「ドナルドダック」、手塚治虫の「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」など世界的なキャラクターもあるし、ゲゲゲの鬼太郎のようにまちの観光に役立つキャラクターもある。

  さて、私のような者にキャラクターを作る資格があるだろうか。どんなキャラクターを作り、どこで活躍させようとするのか。無理なことではあるが、可能性は0ではないと思っている。

  ネット上で、発表する機会はある。アニメキャラクターに人口音声(初音ミクなどのボーカロイド)で歌を歌わせることは可能ではないか。しかし、これには音楽の能力が必要だろう。

  今作っている数学のホームページにキャラクターを作り、「セオリー」を歌わせることも可能ではないか。こんな夢のようなことを考えているだけでも楽しい。昔、漫画家志望だったときの残り火がまだ身体の中に残っているようだ。

(日記:午前9時過ぎに、家内と二人で弁当を持って事務所へ出かけた。途中で、昼食をとり、午後6時過ぎまで、事務所で過ごした。私は、ホームページ作り、家内はアンパンマンキャラクター作り。いつか、これらのキャラクターが、子ども達への歌や読み聞かせ、紙芝居などに活用できるといいな。)

 
 

学力向上というけれど

09 3月

教科書が厚くなる
  「ゆとり教育の見直し」が叫ばれ、教科内容が増えた。教科書が厚くなり、子ども達は消化不良になるのではと心配する教職員も少なくない。

  日本の子ども達の学力が国際的に比較して低いということが「ゆとり教育」から「学力向上」へ舵をきった最大の理由だ。

  ところでこの「学力」だが、何を意味するのだろうか。ペーパーテストでは測れない学力もあるはずだ。単なる知識の詰め込みで高得点を取ったからと言って学力があるとは思えない。

  1から10まで大人の指示に従って学習して、点数を取ったからと言って学力があるとも思えない。受験術を習い、得点が良かったからと言って学力があるとも思えない。

  豊かな感性の育つ子ども時代に、創造的によく遊び、様々な体験をし、よく働くことによって将来、知識が知恵に変わるのではない。知識のみでは今の世の中をよりよく生きていくことが困難ではないか。

  人はそれぞれ皆異なる。同じ価値観の人間を多数輩出しようとしても、世の中を良くはできないだろう。持ち味を活かし、「学ぼうとする意欲」を持たせることが大切だ。

  学ぼうとする意欲は、ペーパーテストでは推し量りにくい。今の時代は、学ぼうとすれば何でも学べる時代だ。しかし、「学ぼうとする気持ち」を持てなければ、何にもならない。

  「学ぼうとする気持ち」は、「学ばされ続ける」状態から生まれにくいように思う。私のこれまでの経験では、本人が学ぼうと思った時が一番学力が伸びるのだ。

  どんなに御馳走や栄養のある食事を並べて、「健康になるからさあ食べなさい」と急かしても、本人に食欲がなければ身につかない。せいぜい甘やかせて肥満児にするだけだろう。

  頭でっかちの理屈っぽい人間が世の中に増えても、社会はよくならないだろう。それどころか、学力向上を言い過ぎて、一つの方向へ子ども達を向けすぎても、全てが成功するわけではなく、かえって二極化を招きかねない。

  豊かな経験を持つ者が、知識を得れば,それらはいつしか知恵になったり、さらに学ぼうとする意欲を持つことにつながるのではないか。たとえ狭義の学力でも、結果として身についていることは大切だが、それだけを目指して豊かな経験を軽視するのは考え物だ。

  知識も含めて人間力を高める教育を目指すべきではないか。知識一辺倒は、二極化を招き、決して社会のプラスにはならないと思い。

  今日の結論。よく遊び、よく学べ!

(日記:午前中、家内と事務所で過ごす。私は、『数学のホームページ』づくり。家内は人形づくり。午後も作業を継続。時々、オカリナ練習。メロディー作り。午後7時半より、事務所でオカリナ教室。練習の合間に、子育て支援センターでのボランティアに向けて、当日の演出などについて話し合う。)

 
 

オールジャパンでやれないのか?

08 3月

大切なのは何?
  昨年の退職以後、テレビでニュースを見たり、ラジオを聴くことが多くなった。国会討論なども見るようになった。しかし、いつも悲しくなることが多い。

  野党は与党の政策に対して、ほとんどの場合、非難するだけである。相手の弱点を責め立てるだけである。これでは、日本の信頼は得られないであろう。

 この苦難の時に、知恵を寄せ集めて“オールジャパン”でよりよい政策を立案できないのか。壮大な無駄を行っているように思われる。

  年金の問題では、大臣を辞めさせることだけに集中しているように思われる。これでは、与野党が入れ替わったら、この逆になるだけであろう。非難の応酬ではどうしようもない。

元々、同じ政党の中でも意見の異なることは少なくないと思う。まして、野党とは意見が異なるのは当たり前である。意見の異なった部分を各政党間でよく議論し、最も良い方向にまとめていくことはできないのだろうか。

  もはや、国民不在で自分さえ良ければという狭い了見の政治家が多すぎるように思われる。年金問題でも、担当の厚労省が頭をひねり、各政党が知恵を寄せ合い、議論を尽くして、国民の納得できる方向へ進めることができないのだろうか。

  責任者を追求しているだけでは、この問題は解決できないのではないか。国のことを考えるよりも、自分のこと、自分の党のことしか考えられないようでは、政治不信は高まるばかりであろう。

  信頼できない者が考えた政策を支持できるだろうか。国民の6割が支持政党なしという政治不信の中で、これから先、日本はどこへ向かっていくのだろうか。

  増税なんてとんでもないと思う人も少なくないであろう。日本よりもはるかに、税の高い国があるが、政府を信頼しているからできることだろう。

  コメンテーターの意見を待つまでもなく、“オールジャパン”でこの難局を乗り越えてほしい。今や、政治不信はピークに達しているように思われる。

  私たち自身も、政治に関心を持ち、誰が、どの党が日本をよりよく導いていくのかをよく考え、来るべき選挙には、自分の貴重な一票を行使しなければならないと思う。

 今の政治にどんなに不満があっても、今の政治家は、全て私たち国民が選んだのだということを忘れてはならないと思う。そのためにも、政治に関心を持たなければならない。 

(日記:午前中、ハワイアンの練習用バンドカラオケをつくる。ハワイアンギターを練習するためのものだ。午前10時過ぎに事務所へ行き、『数学のホームページ』づくり。事務所で昼食をとり、午後も作業を継続。時々、ギターの練習、メロディー作りなどを行う。家内は、終日事務所で人形作り。)

 
 

選択音楽授業『和太鼓』最終日

07 3月

自分との戦い
   昨年、春のことだった。退職記念の旅行で九州へ向かった。霧島神社あたりを通過しているとき、勝山市から電話が入った。「生徒達に和太鼓を教えてもらえないだろうか」という北部中学校のS校長から携帯に電話があった。

  「講師などはしない」と決めていたが、和太鼓であることと週一回ということで引き受けることにした。授業に参加するのは、中学3年生女子16名。これまで、たくさんの子供達に和太鼓を教えてきた。

北部中学校音楽室での最後の和太鼓授業。

  地元の子供達はもちろんのこと、勝山高校、福井農林高校、県立盲学校、九頭竜ワークショップの入所者と職員、遅羽の子供やその保護者、北郷の子供達、……。そして、一般企業の大人達の余興としても教えてきた。

  しかし、学校の授業としては初めてであった。子供達は、初めてにしては、予想よりはリズム感があった。しかし、和太鼓はリズム感がよければいいというものではない。

制作中のアンパンマン一家

  リズムとフォームが一体になっていなければならない。手を伸ばす、体重を移動する、視線、リズム、強弱など、いろんなものが一つになり、打ち手のすべてが心を一つにしたとき聴く者に感動を与えることができるのだ。

  しかし、中学生達の多くは、しっかり手足を伸ばすなど、フォームをよくすることは苦手だった。このあたりを十分指導できなかったのは、指導者としては、残念だった。

  どうしても、羞恥心を捨てられないのだ。「太鼓教えるのではない。」、「和太鼓教えるのだ。」そんな気持ちで1年が過ぎた。そして今日は最終日だ。授業50分のうち、最近練習していた「昇竜」を、そして、残りの10分間は最後のメッセージを伝えた。

贈ることば
  中学生達に次の言葉を贈った。

  ・知恵無限
  ・DREAM & ACTION
  ・毎日パワー
   そして、
  あかおやま(挨拶・感謝・思いやり・約束を守る・マナー向上)

ノートパソコンで孫達とスカイプ(テレビ電話)

 (日記:午前中、事務所で『数学のホームページ』づくり。午後、北部中学校で今年度最後の和太鼓指導。その後、事務所でホームページ作業を継続。家内は、アンパンマンのキャラクター作り。果たして、幼児達は喜んでくれるだろうか。時々、ハワイアンギターの練習とメロディー作り。
  夜、孫達とスカイプ。レオタードに着替えて新体操や歌を披露してくれた。)

 
 

さがし物

06 3月

人生のかなりの部分が「さがしもの」
  私は“断捨離”の逆の人生を歩んでいるように思える。モノに愛着が強く、モノを見ると、「いつか何かの役に立つのではないか」と思ってしまい、捨てられずにいる。

  モノが多いために、どこへしまっておいたのか、忘れてしまって、さがすのに苦労をする。人生のかなりの時間を「ものさがし」に費やしているように思われる。時間の無駄だ。

  ここ数日間、さがしていたモノは、「ハワイアンギターのスティールバー(金属棒)とピック」だ。これがないと、楽器があってアンプがあっても演奏のしようがない。必死にさがしたが見つからない。

  ハワイアンギターは事務所にセットしてあって、スイッチさえ入れれば演奏できる状態にしてある。アンプもフットペダルもエフェクターも全て接続してあるのだ。「どこへ行ってしまったのだろうか。」いくら捜しても見つからない。

  ほしいときに見つからないのでは、「ない」に等しい。自宅も含めて捜し回ったがどうしても見つからない。この頃は、置き場所を確認してモノを置かないと、見つからないことが多い。

事務所の机でアンパンマンキャラクターを作る家内。幼児の施設への慰問に役立つかと思っての作業だ。

  思い出すのにとても時間がかかる。ここ数日間、捜していたスティールバーなどがようやく見つかった。ネームランド用のテープやマニュアルを入れる箱の中のマニュアルの下に隠れていたのだ。用が済むと、適当なところへ置く癖がある。

 そのため、思い出せなくなるのだ。時間を無駄にしないためにも、日曜大工の道具や各種機器のマニュアル、パソコンソフトのマニュアル、様々な本などを整理して置かなければならないと思っている。

  保存しておいた大概のモノはほとんど使うことがない。捨ててもいいようなモノが多い。

  しかし、まれに、役立つことがあるのだ。例えば、ハワイアンの教則本や楽譜(編曲してあるモノ)などは、今も役立つことがある。

  本の裏表紙を見ると「’63.6.7」と書いてあった。48年前の本だ。昨日買ったハワイアンの本の著者は、私が48年ほど前に買った本の著者「佐藤 信」氏の次男の「佐藤 実」氏であった。

  そんな昔の本まで保存しているのだ。今日、その本を出して見てみた。今も役立つ部分が多い。こんなことを経験するとますます捨てられなくなる。

  一方では、整理するたびに、少しずつ捨てるモノがあると、気持ちよくなる自分がいる。何度かこのようなことを繰り返しているうちに、少しは整理ができるであろう。

(日記:午前中、『数学のホームページ』づくり。かにも、事務所で一緒に過ごした。今日は、二人で弁当を持って、この事務所へ来たのだ。ラジオを聞きながら二人でそれぞれの作業を続けた。夜『江』を1回分見る。その後、BSで歌を聴く。歌の作り方に感心する。)

 
 

まだまだ勉強

05 3月

福井へぶらり
  久々にショッピングで福井へ出かけた。プールで使う私たちの水着を買うためだ。所期の目的は早く達した。それぞれがお気に入りの水着を買った。

  家内が商品について伺うと男性の社員が快く応じてくれた。しかし、この男性、どこかで見たことがあるなあと思いながらにいた。店内放送で「元プロ野球の広瀬選手が店内におります。……。」と放送があった。

  改めて、広瀬選手に挨拶した。そして、いくつかお聞きした。毎週、土日にはこの店におられるらしいとのことだった。また、少年野球などの指導もするとのことだった。

  この広瀬選手だが、その昔、あのユウちゃんが入団した「日本ハムファイター」の主将で、1番、遊撃手、ベストナインとゴールデングラブ賞に輝いた名選手だったのだ。

  非常に腰が低く、笑顔でお客さんの相手をしておられた。一塁へのヘッドスライディングなどで闘志溢れるプレイが持ち味で、攻守に活躍した人気選手だったとは思えないくらいだ。小さな子どもにはキャッチボールのコツを教えておられた。

難しい歌作り
 例によって、途中で家内と別れて店内では30分あまり別行動をとることにした。私は一目散に楽器屋へ向かった。そして、3冊の本を買った。『よくわかる作曲の教科書』、『よくわかる作詞の教科書』、『HAWAIIAN UKULELE METHOD』だ。

  作曲に関する本はたくさん持っているが、1冊目の本は、和音についてわかり易く書いてあったからだ。2冊目の作詞の本もいくつか持っているが、メロディーに歌詞をのせることなどが具体的に書いてあったからだ。

 3冊目のこの本もいくつか持っているが、私の好きな曲の「ウクレレ・ソロの楽譜」がたくさん載っていたからだ。この夏には、フラダンスとハワイアンバンドのコラボをできないかと夢のようなことを考えている。

 それにしても、歌作りに関しては勉強することがたくさんある。自宅から福井へ向かう途中、車の中で、絢香のCDを聴きながら、それらの曲の楽譜を見ていた。歌作りについて感心するところが多かった。

  譜割り、言葉の使い方、和音のつけかたなど、色々参考になることが多かった。まだまだ勉強が足りないと思った。これでは時間がいくらあっても足りない。

(日記:午前9時過ぎから午後2時近くまで、『数学のホームページ』作り。その後、昼食を食べてショッピングに福井へ向かった。夫婦で水着を買い、その後は自由にショッピング。買った本の内容を早く見たくて、ベンチに座りながら本を読んでいた。夜、NHK『平成22年のど自慢チャンピオン大会』を見た。チャンピオンはブラジルの日系三世の男性だった。歌はとてもよかった。また、歌も素晴らしかった。選曲もよかったのだ。いい歌を作りたいという思いを強くした。)

 
 

久々に感動!ギターの響き

04 3月

10年前に買った機器
  今から10数年前、私たちは娘達とよく金沢まで遊びに出かけたものだ。その頃は、携帯も持っていなかったが、香林坊のとあるビルを待ち合わせ場所にしてそれぞれが自由にまちの中を歩き回ったものだ。

  私の落ち着く場所は決まっていた。本屋か楽器店だ。楽器店では買う買わないは別にしてあれこれ見て歩き、時には楽器にふれてみるだけで満足したものだ。

  そして、そんなに高価ではない機器などを買って帰ったものだ。そんな機器の一つにハワイアンギターの音色や響き、エコーをコントロールする機器がある。

  ハワイアンギターを使うときには、この機器がなければとてもじゃないが弾く気にもなれないというほど気に入ったものがあった。今でも、事務所では常時ハワイアンギターに接続してある。

  この機器が気に入ったので、別の機会にギター用のマイクとギター用に同種の機器を買っておいた。しかし、.こちらの方はこれまで一度も使ったことがなかった。

  今日の午後、例によって事務所の整理をしていたところ、この機器が出てきた。これまでは買ったままで一度も使ったことがなかったが、今日初めて使ってみた。

  私は、エレキギターも、マイクの付いたアコースティックギターも持っている。しかし、今日は、普通のフォークギターのサウンドホールにこのマイクをつけてアンプにつないで弾いてみた。

  エレキギターとは異なるきれいな音が出た。アコースティックギターの響きがアンプから心地よく流れ出た。感動した。

  ギターってこんなにいい音がしたのかなと驚くほどよく響いてくれた。思わず、時間を忘れて昔の曲を弾いてみた。これからは、これらの機器がなければギターは弾けないだろう。

  ギターは安価なものだが、響きは自分にとっては最高だ。これならいろんな曲ができそうだ。事務所へ行ったら、毎回ギターにふれてより良いメロディーを作りたいものだ。

機器の準備
  夕方、息子の友人のY君が家へ来てくれた。音楽関係のソフトをインストールしてくれた。自分でもやろうとしたが、あれこれ設定が多く、断念していたものだ。

  これで、ハードを動かすソフトのインストールも終わった。後は、自分の能力だけだ。こればかりはマニュアルにもない。頭からわき出るメロディーを書き留めるだけだ。

  安易にメロデーをつくると、かつて聴いたことのあるメロディーが所々顔を出してしまう。以前に書いたように、7音+半音5音の12種類の音を使っているので確率的にもよく似たメロディーが出てしまう。

  無理にでも、自分オリジナルのものに変えなければならない。そのために、メロディーにぎこちなさが出る場合もある。ある点では、ジグソーパズルをやっているようなものだ。

  ようやく準備万端整った。後は、こちらがソフトを使いこなす勉強をするだけだ。これは単純ではないが、楽しみでもある。

(日記:午前中、『数学のホームページ』作り。午後は、事務所の清掃。アコースティックギターのマイクと音色を調整する機器が出てきた。早速アンプにつなぐと素晴らしい音が響いた。しばし、ギターを楽しんだ。毎日、自宅でギターに触れているが、こんなにギターがきれいに響いたのは久々だ。夕方、息子の友人のY君が音楽関係のソフトのインストールに来てくれた。自分でも試みたがうまくインストールできなかったものだ。今日も、Y君に感謝、感謝。)

 
 

いつかどこかで役立つのでは……

03 3月

断捨離は苦行
  テレビなどで、 「モノ」のないがらんとした部屋を見ると、思わず「いいなあ」と思ってしまう。今日は、モノの整理をすると決めて、家内と二人で居間から掃除と片付けを始めた。

  毎回、整理をしたり掃除をする度に少しは捨てるモノが出てほっとするが、それでも、全量を減らすほどにはならない。モノを捨てることによってすかっとしたいのだが、簡単ではない。

今から46年前、大学の寮で描いた似顔絵。これよりも早い時期に描いた絵を本人に送ったら返事が来た。整理をしていると、こんなモノまで出てくる。

  モノを見ると「いつかどこかで役立つのでは……」と思ってしまう。そうすると、簡単には捨てられない。自分の将来のことを考えると、そうそうあれこれできる時間はない。

  だから、関係のなさそうなモノは捨てればいいのだが、これが簡単ではない。今のままでは、そんなに捨てられないだろう。根本的に考え直さなければならない。

  資料的なモノは、デジタル化して元になっているモノを捨てる、本は図書館にありそうなモノは捨てる……、今はそう考えている。しかし、ほかのモノは簡単ではない。

 特に、音楽関係のモノは簡単には捨てられない。中でも、楽譜はいつかどこかで何かの役に立つのではと思ってしまう。図書館でも簡単に閲覧できないからだ。

  こんなことを考えていたら、「断捨離」は夢のまた夢になってしまう。目には、見えないがパソコンの中にも膨大なデータがある。これも整理して、順次捨てていかなければならない。

 整理をしていると思わぬモノが出てくる。それらに目をやっていると、ついつい整理のペースが落ちてくる。心を鬼にしてこれからも捨てることにチャレンジしたい。

(日記:午前中、そして午後も4時過ぎまで部屋の整理整頓。その後、6時まで「メロディー作り」を行った。今日は最初から演歌に的を絞って作業を行った。曲先での作業だ。詞は後から考えればよいと思っている夜は、NHK大河ドラマ『江』の3回目を見る。)

 
 

情報化社会の功罪

02 3月

自宅で切符を予約
  九州(熊本)で家内の甥が結婚することになり、我々夫婦に招待状が送られて来た。今回は、飛行機で行くことにした。小松-福岡を往復し、熊本で2泊するつもりでいる。

  そこで、インターネットを使ってANA(全日空)の「飛行機+宿泊」プランを予約することにした。日程や人数を入力すると、熊本のホテルが色々画面に示された。

  これらを選択し、カードで支払うことにした。わずかな時間で予約ができた。4月下旬の結婚式のために今朝申し込んだので、「特別割引」で予約できた。

  昨年の春の大阪南港から鹿児島までのフェリー「サンフラワー」の乗船切符も、旅館の割引も、みんなインターネットでできた。しかも、インターネットの方が割引率が大きいのだ。

  この辺りでは手に入れられない音楽関係の機器も全てインターネットで申し込んで入手できた。このように、昔なら考えられないようなことがネットで簡単にできる時代になったのだ。

  私の動向は、このブログによって県外にいる子ども達も手に取るようにわかるようだ。また、知らない言葉が出てきたとき、辞書などはなくても、簡単に調べることができる。

  NHK朝ドラ『てっぱん』に出てくる「尾道焼き」も美味しそうだと思って、ネットで調べてみると、写真入りで作り方を知ることができた。

  そして、最近、数回実際に作って食している。昔と比べて便利さは格段に向上した。しかし、手放しで喜んでばかりもいられない。簡単に情報が入手できるために、誰もが、自ら苦労して情報を得たり、考えることをしなくなっているのではないか。

  大学生など、インターネットの情報を「コピー」し、それらを「ペースト」すれば、苦労せずにレポートなど書けてしまうのだ。「コピペ」は大学の悩みだという。その場をやり過ごすには便利かもしれないが、自ら考える力は身につかないだろう。

  今回の、入試問題漏洩事件も、こうしたネット社会を逆手に取った犯罪なのだ。インターネットにはあら売る情報が氾濫しているが、それらの中には反社会的な情報も溢れている。

  情報選択能力のない者に対しては。その負(-)の部分が悪影響を及ぼすであろう。今、深刻な問題になっている「無縁社会」を増幅させる危険性もはらんでいる。

  人間には、デジタルとアナログのバランスが必要である。高度な情報化によって、これから先、世の中はどのような方向へ進んでいくのだろうか。手放しでは喜んでいられないように思う。

(日記:午前中、『数学のホームページ』作り。午後は、久々に市営プールへ行く。最近運動不足であったので、プールで少し泳いで、たくさん歩いた。また、サウナでも汗をかいた。その後、メロディー作り。最近、メロデーの作り方を変えている。パソコンのベース、ギター、ドラムでロックのリズムを流しながら、それに乗ってギターでメロディー作りを行っている。パソコンは「疲れた」などと文句を言わないのでありがたい。)