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大震災を後世に伝えるには

21 3月

子ども達へのメッセージ
  私は、市民大学講座で、福井新聞の「お話とんとん」選者の藤井先生から童話の書き方を教わった。教わったから童話が書けるというものではないが、以前よりは少し書きやすくなった。

  今回の大震災に対しては、専門的なことは学者や公的な機関が分析して、新たな防災計画に反映して下さるだろう。専門的なことは学者の先生にお任せするとして私には何ができるだろうか。

  私としては、今回被災しなかった子ども達もふくめて、自然災害の恐ろしさを伝えたいという気持ちを持っている。しかし、これは簡単ではない。

  今から40数年前にも、青年部の機関誌か何かに、童話の形で言いたいことを書いた覚えがある。私ごときの者が、直接、論文調で災害の恐ろしさを伝えることは困難であろう。

  そこで、童話の形にしたらどうなるだろうか、今日は時々考えた。そして、童話の骨組みだけは考えた。果たして、小学生が読める童話にすることができるかどうかは私のつたない文章能力にかかっている。

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 『よわむし進左(しんざ)』
  あらすじは、以下の通りである。

  海沿いの村に、進左と言われる一人の男が住んでいた。進左は、船大工であり、年老いた両親と嫁と二人の子ども共に漁師町に住んでいたのだった。

  進左は働き者ではあったが、村人からは「よわむ進左」、「臆病進左」、「意気地なし」などとあまりうれしくない言い方で呼ばれていた。

  ある日、この村にちいさな地震が起こった。例によって進左はいつものように、年老いた両親を急かし、嫁の美代と共に二人の子ども達の手を引いて丘の上にある神社をめがけて走り出したのだ。

  しかし、わずかにさざ波が起こっただけで津波は来なかった。丘を下りて船大工小屋へ戻る進左に向かって村人達はめいめいに悪口を浴びせた。

  「進左はよわむしだなあ、あんな小さな地震で逃げ出すなんて」
  「度胸なしだなあ、進左は。あんな地震で家族共々逃げ出すなんて」

 「進左の嫁の美代も美代だ。弱虫の亭主を持って気の毒だ。いっしょに逃げ出すなんて」
 「やつの親父も情けない。弱虫の息子を止められないんだから」

  今や、進左の家族は、村の者から笑い者にされていた。しかし、進左は気にしなかった。見るに見かねて嫁の美代が進左に向かって真面目な顔で訴えた。

  「あなた、地震の度に高台の神社まで逃げ出すのを私は悪いとは思いませんが、小さな地震の時には少し、様子を見たらどうですか。村の皆さんが私たちに向かってなんと言っているか知っていますか」

  進左は、頷きながら聞いていた。そして、言い聞かせるように嫁の美代に向かって話し出した。その顔はいつものように穏やかであった。

  「私の考えをまだお前はわかってくれないのか。私は、小さな地震が来たから逃げ出しているのではない。小さかろうが大きかろうが、私には関係がないんだ。地震が来たときにいち早く避難できるように、いつも本気で非難の練習をしているんだ。家族の命を守るには、普段から大津波が来たと思って本気で行動しなければならないんだ。せめて神社までは避難できる体力が必要だということを家族のみんなにわかってほしいからだ。言いたい人には言わせておきなさい。避難訓練に津波の大小は関係ない。」

  その後も、進左は、地震が起こる度に、家族を伴って高台の神社まで駆け上っていたのでした。村のほんの一握りの人たちは進左と行動を共にしましたが、大部分の人たちは進左のことを陰では「よわむし進左」と呼んでいたのです。

  さて、今日も、地面が揺れました。いつもよりは、少し大きく揺れたようですが、新座の家族はさながら大津波が来たかのように急いで高台の神社へ避難しました。

  そして、いつものように高台の神社から沖を見ていました。今日は、いつもとは様子が違います。進左は気が気でありませんでした。沖には白い煙のような者が横一線に立ち上っています。そして、ゴーッと言う不気味な音が響いています。どうやら今度は本物の大津波のようです。

  進左は気が気でありませんでした。丘の上から、
 「大津波が来るぞー!早く逃げろー!!」

  進左の声は、ゴーという大津波にかき消されて村人には届きませんでした。大津波はどんどん小さな漁村に近づいて来ます。そして、頼みの綱の防波堤を乗り越えました。

  最早、進左の声は波音に消されて誰にも届きません。……。
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 物語の展開はだいたいこのようなものです。ここで、進左は決死の行動に出ます。果たして、一つの物語としてまとめることができるかは、私の筆力ですが、自信は全くありません。

  でも、私なりに、文章にできないかを考えていました。「災害は忘れた頃にやってくる。普段からの備えが大切だ。普段の心構えが生死の分かれ道になる」ということを、説明ではなく、読者に気がついてもらえるかどうかがこの物語の生命線です。

手を振って福井駅の階段を下りてきた孫達。

(日記:午前中、自宅で『涙そうそう』の編曲作業。午前10時半に福井駅へ向かう。横浜から、息子の嫁と孫達が帰ってくるからだ。福井駅では、いつものように孫達が手を振りながら、改札口手前の階段を下りてきた。自宅には福井の孫達もいて、一日、賑やかであった。途中で横浜の孫が、習っている新体操も見せてくれた。みんなで楽しく食事ができた。孫とはいっ

4月から1年生になる孫が音楽に合わせて新体操を披露してくれた。

しょに風呂に入ることもできた。風呂の中では最初から最後まで家内と3人で「しりとり」をしていた。)

 
 

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