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Archive for 3月, 2023

デジタルデバイド

21 3月

子供や若者に教えを乞う高齢者
 IT化が進む現代において、デジタルデバイド(情報格差)がますます広がろうとしている。特に、情報化社会に到来により、かつては職場などでは新人とベテランでは仕事の上では明らかな差があった。

 新人は、ベテランにものを教わり、その背中を見ながら、少しずつ追いつき追い越すというのが一般的なパターンだった。したがって、精進の後、先輩や親方を追い越して初めて恩返しができたという感じであった。

 ところが、近年急激に発達したデジタル機器やデジタル社会の到来により、年長者よりも若者、時には子供たちの方がそれらに柔軟に対応し、スマホなども、子供や若者の方がはるかに高齢者よりも技術的にも上の社会になってしまった。

 この面では、これらについて学ぶ機会がある高齢者はよいが、そうでない高齢者は様々なサービスを受けられず、情報を手にすることもできず、放置されようとしている。

進むデジタル化と取り残される高齢者
 2020年のコロナ禍をきっかけとして、デジタル環境は急激な変化を続け、さまざまな手続きのデジタル化やリモートでのコミュニケーションが一気に進み、リモートワークも増えた。

 そのような中、優先されるべき高齢者が情報格差によって取り残されがちな状況が起きつつある。私も、スマホを持ち、パソコンをネットにつないでなんとか、振り落とされないようにしているが、技術的には相当レベルが下であると自認している。

 私の場合、幸い、息子がこの世界で飯を食べているので、トラブルに際しては、遠隔で私のパソコンに入り込み、あれこれ不具合を直してくれるので何とか、これらの機器にへばりついて、楽しんでいるという具合である。

 もしこうした環境でなかったら、おそらく、絵を描くことも、映像を編集することも、音楽に関しても、すべて、何もできないでいただろうと思う。そして、デジタルの恩恵を受けることなく、日々暮らしていたかもしれない。

 自力でインターネットを駆使できなかったり、スマートホンやパソコンでの操作ない人たちと、そうでない人たちの格差が広がらないように願うばかりである。これも、現代の大きな差別ではなかろうか。

 いよいよ明日決勝を迎えるWBCも、通常のテレビでは見ることができず、つい最近までは映像抜きの実況を聞いていたが、ようやく、スマホで動画を見るように教わったばかりである。

 そして、今日、それをテレビで見る機器を買ってきたので、明日は大画面で日本ーアメリカ戦を見られるだろうか。わくわくする。きっと、ここにも大きな情報格差があるのではなかろうか。

 
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観光資源というと

20 3月

観光資源は神社仏閣、名所旧跡、自然、動植物、名物、・・・・・
 どこかに何かを見に行くとき、何を目当てに出かけるだろうか?出かけたいだろうか?上記に書いたものもその一つかも知れないが、私は是非ともこれらに人間を加えたいと思う。

 あの人の話を聞きたい。あの人と一緒に過ごしたい。そんな人が複数いる町なら最高だ。是非とも訪れてみたい。それらの人を訪ねて話を聞いたり、いっしょに食事をしながら話し合うことが得きれば最高だし、教えを請うことや生き方に気づかせていただければ最高だ。

 神社仏閣や名所旧跡は大概はそんなに何度も出かけたくはならないだろう。人は時間が経てばまた会いたくなるだろうし、話を聞きたくもなろう。

 大学であれ、研究所であれ、職場であれ、あの人の元で働きたいと思うような人がいれば、いずれは観光資源のような存在になるのではなかろうか。魅力のある人間、人を引きつける人間と言うことだろうか。

 時々そのような人がいる。しかし、私とは生活空間が異なっておいそれと会いに行くことができない。今は、心の中で暖めておくしかない。でもいつかは出かけてお会いしたい。

 個人的には、東に話を聞きたい人がいれば出かけて(何度も)話を聞き、西に面白そうな人がいれば行って話を聞いた時期はある。それが、何かをするときの大きな力になったことは間違いない。

 今また、そうした人ができつつある。相手の年齢には一切関係がない。人生、人との出会いで楽しくなる。生き甲斐に繫がる。今は離れていても、SNSがあるのが嬉しい。そのうち、リアルで会いたいものだ。 

 

 

 

 
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夢物語~鐘撞堂とAR(拡張現実)

19 3月

釣鐘のない鐘撞堂
 我が村にある佛母寺が、令和7年、33年に一度の御開帳を迎える。そのときには、開扉式を行って秘仏が公開されるのだ。私は、今から64年の高校時代、31年前の49歳の時に御開帳に巡り合わせている。

 村にあるこの佛母寺だが、曹洞宗の末寺だ。ところが、村人はほとんどが浄土真宗であるために、この佛母寺には門徒がいない。それでも、これまで村をあげてこの寺を守ってきたのだ。

 今日は、村の総会で2年後の御開帳についても議題になり、今後の取り組みなどについて話された。日程や諸行事のあり方などについても報告された。

 この寺は以前は藁葺き屋根の古いお寺で、屋根の葺き替えには、村人が割り当てで茅を刈って持ち寄ったものだ。ところが、越前大仏の建立と共に、道を隔てたこのお寺も新築していただけることになった。

 本堂はそれでよいのだが、今にも倒れそうな鐘撞堂があり、釣り鐘はない。戦時中の金属供出により釣鐘も軍に差し出したからだ。釣り鐘のない鐘撞堂。せめて一夜だけでも、鐘の音を響かせられないだろうか。

福野氏のフェィスブックより

ここからは想像の世界
 早速、スマホで福野氏(jig・jp会長)に相談。私の夢を伝える。“張りぼて“の釣り鐘を作って、本物のごとく、鐘をつくと、そこから本物の鐘の音が「ゴ~~ン~」と鳴り響く。許されるならば、本山、永平寺の鐘の音だ。

 というのは、福野氏の会社jig・jpが上場したときに、いつもテレビで観るあの鐘を鳴らす機会があったそうだ。その後、福野氏はデジタルでその鐘をたたくことを考えたというのをフェイスブックで読んだからだ。だから、“張りぼて“の鐘でも可能だということだった。

 ところが、しばらくして、福野氏からの返事は「ARで鐘を作って、鳴らすと大音量で鳴るとか?」と返事が送られてきた。AR?拡張現実だ。現実の景色の中に、大きな鐘が現れるのだ。そこで、綱を引いて鐘をつくと大音量で「ゴ~~ン~」と永平寺の鐘が響くということだろう。

 私の想像をはるかに超えている。考えることは楽しい。一時、素晴らしい夢を見ることができた。できる、できないはともかく夢をいただいた気がする。この先どのような時代が来るのだろうか?

 
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人と人との出会い

18 3月

人との出会いは必然のようで偶然、偶然のようで必然
 人と人との出会いは偶然のように感じることがある。たまたま、紙切れ一枚(辞令)で思わぬ所へ勤めるようになる。そして、将来に関わる大切な人との出会いが生まれる。

 そう考えると、その人との出会いはたまたま紙切れ一枚でそこへ出向いたための偶然のようにも思える。しかし、もう少し、深く考えてみると、その人と会ったのは私一人ではない。

 誰もが、将来に続く関係を結べるわけでもない。互いに、認め合う何かを持っていたからだろう。そう思うと、偶然から生まれた必然のようにも思える。

 この年になると、これまで生きてきた中で続く友達関係を大切にしたいと思う。上司部下ではなく、せいぜいあるのは歳の上下ぐらいであろう。それだって、関係の上下ではない。

 そうした関係が長く続くのは、やはり、前を向いているからではないかと思う。やはり、自分の考えを持っている人、前を向いている人、何かを目指している人、正義感のある人、そうした人なら何歳であろうと友達でいたいと思う今日この頃である。中学生から70歳代までいろんな人がいて、時々LINEをしたくなる。 

 
 

WBC大谷選手の活躍

17 3月

WBCを観るために
 NHKでも民放でも我が家のテレビではWBCは観られない。先日、横浜の孫娘が高3を終えた卒業旅行として我が家へやって来た。ところが、彼女のスマホでは動画で観られるのだ。アマゾンプライムで。

 しかし画面が小さい。大きく映そうとしてテレビにつないでも、大きくならない。そこで、苦肉の策としてもう一台のスマホで孫娘のスマホの画像を写し、それをテレビと拡大して映すという方法で何とか、観ることができた。

 しかし、昨日のイタリア戦は、孫娘がいないので、観ることができない。そこで、息子に教えてもらい、アマゾンプライムのアプリを入手して何とか動画で見ることができた。準決勝は面倒くさい方法ではなしに、大画面で観られるように今のうちから準備しておきたい。

大谷選手の活躍に勇気づけられる
 大谷選手の気合いのこもったピッチング。意表を突くバント、岡本の活躍などで日本は快勝した。大谷選手の活躍に、私も何か頑張ってみたい、そんな気持ちが湧いてくる。

 一昨年から、衛星放送で大谷君の出場する試合をかなり観ている。そして、一喜一憂している。毎回打席ではホームランを期待しているし、投げれば勝ち投手になることを祈っている。

 しかし、ただただ彼の活躍を傍観しているのもさみしい。彼がインターナショナルに活躍するなら、私もインターナショナルに活動することはないのか。レベルもスケールも彼に比べれば像と蟻くらいの違いがあるだろうが、気持ちだけは「俺だって」と年甲斐もなく、刺激を受け、できることを探している。

 失礼だが、WBCの試合を観ていると、日本のプロ野球が小さく見えてしまう。
   この時期は 二軍に見える NPB
とおかしなことを考えてしまう。マイアミでも、これまで同様日本チームに、大谷君に頑張ってほしいと願う。

 そして、大谷選手の一歩ずつ歩んで夢を掴んだ過程を若い人達にも見習ってほしいと願う。大谷選手の原点は、既に高校時代からの一歩一歩から始まっているのだから、みんなも自分の夢に向かって、一歩一歩、歩こうではないか。

大谷選手が高校時代に書いた夢実現のためのマップ(ほとんど全ての項目をクリアーしている)

 

 
 

学校は地域の中心であるべきでは

16 3月

南小学校そして南部中学校を中心に市街地が
 学校と周辺の町の変化について考えてみる。私は新築の成器南小学校の1年生として入学。この頃の、南校と言えば、田んぼの中の一軒家のようだった。周辺はほとんど田んぼでかなり町外れにできたと思う。
 
 そんな状況の中で、南小学校と元町の間に洋風の赤い屋根の家が一軒建っていたのを覚えている。片瀬の自宅からは南小学校が見通せたものである。

 南小学校界隈の大きな道路と言えば、本町ー立石ー山岸機業ー南小ー高島ー若猪野ー下荒井橋を通って、大野へ行く道が一本。これが勝山と大野を結ぶ主要道路だった。そして、もう一本は、立石ー毛屋ー平泉寺を結ぶ平泉寺街道だった。後は、集落間を結ぶ道があるだけだった。

 その後、国道ができたり、南部中ができたり、都市開発が進み、周辺は二つの学校の周辺は住宅地へと変貌していった。そして、ホームセンターやスーパー、病院など生活に必要な店舗が並び、集合住宅もできていった。いずれも、学校を中心に周辺が市街化していったのである。

勝山高校界隈この60年余
 勝山中学校と併設していた勝山高校が火災になり、勝山高校は、長山の麓へ移転することになった。あれから70年近くが過ぎた。

 勝山高校界ができた頃は、北側は長山公園、西側は狭隘な道の市街地、南側は精華高校(現奥越特別支援学校)東側は山地や三谷集落(現昭和町2)に囲まれていた。

 元々周辺が広がりようのない狭隘に地であったためにが、西側に国道ができたこと以外はほとんど同じような状況である。そのため、この70年近く、周辺は他の地域に比べて変化の少ない地域であった。

 ここに、新たに、勝山唯一の中学校を建てることにどのような意義があるのだろうか。以前にも書いたが、高校よりもはるかに大きな新中学校が建設されれば、何もかも高校と共用しなければならず、果たして、どちらの学校に対してもプラスになるのだろうかと考えてしまう。

 そして、勝山高校と新中学校との併設が、勝山高校の定員割れに起因していること、そして、中学校を併設すれば、勝山高校への進学者増が期待されると考えていること、併設すれば連携による教育効果が上がると期待されていること。これらのいずれもが果たしてそうかと多くの人が疑問を抱いていること。

 以上を考え合わせると、この学校再編問題を少なくとも、もう一年考え直してよりよい方向性を見いだすべきではないのかと私は考えるのだが、皆さんはいかがお考えでしょうか。

 

TIME IS MONEY

15 3月

光陰矢の如し
 この頃、月日の経つのがやけにはやい。この前正月だったのに、もう3月半ば。この調子で時間が過ぎたら何もできないと思う。80歳になった今、やりたいことを少しは絞りたいと思う。時間というのは、誰にも平等で、私たちは、後戻りのできない時間の道を進んでいる。

 こんな貴重な時間を、様々な「モノ」が奪おうとしているように思えなくもない。昔、読んだ本の中に、「ビジネスとは、欲しい人にモノを売るのではなく、欲しくない人にモノを売ることだ」と書かれていたのを今でも覚えている。

 そんなことが、気になって、自費出版した『じいじ達の子供時代』には次のような7・5調の歌を作ったことがあった。

物、物、物の今の世は

 物がなかった 昭和の世
 物がないから 考えた     
 物あり過ぎる 今の世は
 新たな物を 買いたがる

 考える暇(ひま)  ないほどに
 新たな物を 次々と
 作り続けて 買えと言う
 考える暇  与えずに
 物を作って  宣伝し

 あの手この手で 売りまくる
 ローン重なり 四苦八苦  

 物に溺れて  物を買う
 物に流され  物を買う
 物を買うため  働いて
 働いてまた  物を買う

 気がつきゃ「時」が  流れてる
 買えない「時」が  減っていく
 貴重な「時」が  過ぎていく
 後でどんなに 悔やんでも
 月日はただただ 進むだけ

学校の協力により、地元の高校1、2年生全員に調査させていただいた。

時間の使い方もいろいろあるのでは
 実は高校の活性化の一環として、当時の高校の校長先生の協力を得て調査したもので、高校生のゲームやスマホなどの使用時間を問うと共に、プログラミングに興味があるかどうかなども尋ねた。

 こうした文明の機器を使うなとは言いたくない。私も愛用者だからだ。使い方を考えてほしいと思うだけだ。余計なお世話かも知れないが、高校3年間にこうした機器に対して一体どれだけの時間を使うのだろうか。

 それだけの時間があったらもっといろんなことができるのではないかと思ってしまう。貯金と違って時間は貯えておくことができないのだから。その年にしかできないこともあるのではと思ってしまう。

 楽しいこと、身につけたいこと、作ってみたいこと、造ってみたいこと、創ってみたいこと、調べたいこと、鍛えたいこと、体験したいこと、語り合いたいこと、書いてみたいこと、…………いろいろあるではないか。

 スマホに費やす時間の一部でも,こうしたことに時間を使ってほしいと思う。きっと楽しくなるだろう。きっと充実した生活に繫がるだろう。

 大学時代、ある英語の先生がおっしゃった。「趣味の多い人間ほど、人生にもてあそばされることが少ない」と。確かにこのようなことだったように思う。今も、妙に記憶に残っている。そして、80歳になった今も、この言葉が現実味を帯びている。

 
 

トマトのちから

14 3月

10,000個のトマト
 トマトという作物について、強く頭に残ったことは、筑波万博での10,000個のトマトだ。頭上にある棚から真っ赤な無数のトマトが実っている姿は壮観だった。

 この状況に、感銘を受け、トマト栽培に乗り出した人達がいる。そして、それぞれが、一本のトマトから何個のトマトを収穫できるかを競っている。そして、15,000個を超え、20,000個を超えるまでになっている。

 なぜ、一本のトマトから、こんなにたくさんの実が実るのだろうか?それは、トマトにストレスを与えず、伸び伸び育てることだという。そのために、土を使わずに水耕栽培で行う方が根にストレスを与えないのだという。

 そういえば、トマトって不思議な作物だと思う。我が家でも、毎年トマトを育てているが、水耕栽培でなくても、育て方によっては、雪が降るまで実を収穫することができるのだ。

家の基礎の隙間からトマトが
 逆に、一切栄養を与えなくても、どんどん育つこともあるのだ。ある時、家(旧宅)の基礎の5mmほどの隙間から一本のトマトが芽を出したのである。そこで、どうなるか、抜き取らず、成長を観察することにした。

 すると、トマトはどんどん生長していくではないか。トマトが頑張っているのだからと、肥料は与えないが、支柱を取り付けることにした。そのうちに、芽を出し、トマトが実り始めたのだ。

雪が降るまでどんどん実を付けた家の基礎の隙間で育ったトマト

人間にも通じる無限の可能性
 トマトにも潜在能力があり、ストレスを少なくすれば無限に育つのだ。きっとこれは人間にも通じるはずだ。そう思って、私は、自分の教員生活の経験と自分が見聞きしたトマトの潜在能力から『トマト』と題する小説もどきを書くことにした。

 この、仮称、小説『トマト』を同級生の映画監督のO君に読んでもらった。そして、読後感想をいただいた。かなり厳しい指摘もあった。今度は教育経験者に読んでもらいたいと思っている。

 簡単に言うと、教えない老数学講師の話である。その講師が進学校で働くことになった。受け入れる生徒、受け入れない生徒、そして、……。

 私が考えているのは、今の世の中、次々といいろんなモノを作り出して、子ども達の創造や想像のチャンスを奪っているのではないか。また、大人達は教えすぎて子どもの考えるチャンスを奪っているんではないか、そんな思いから、この『トマト』を書く気になったのだ。

 大人のお節介を排除して、子どもが自らその潜在能力を発揮する世の中こそ、子ども達が楽しく生き甲斐を感じる世の中になるのではないか。この『トマト』でそれを伝えたかったのだが。1本のトマトでさえ、本気になれば2万個以上のトマトを実らせることができるのだ。それなら、人間は……?

小説『トマト』 読むに耐えるかは心配

 

勝山を愛した男 上田秋光さん 安らかに

13 3月

常に前を向いて走った人
 上田秋光さんと親しく付き合い出したのは、私が市教委にお世話になった頃からだ。それまでは、間接的に上田さんの活躍ぶりを第三者から、またはマスコミで知っていたくらいでした。

 上田さんは「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を地で行くような人でした。本当の実力者は、一切自慢などはしない。しなくても、その力は自然に滲み出てくるもので、それが人を引きつけるのです。私の方が年上ですが、彼と話していると、色々触発されて勇気をもらえる人でした。

 上田さんは若い頃から、一流のスポーツマンでした。特に、5,000mの県記録保持者で相当長い間この記録は誰にも破られませんでした。上田さんの猛練習ぶりについては、高校時代には坂の多い平泉寺から学校まで走って通学したとか、バイクに前を走らせてスピード練習をしたとか、いろんなエピソードがあります。努力の人でした。

 そして、地元でたくさんの長距離ランナーを育てました。ある時期、福井県の女子駅伝チームの選手はほとんどが勝山の選手でした。当然ながら、その監督を務めるなど、県内でも存在感のあるアスリートでした。また、ご子息は日本のトップクラスのバドミントン選手であり、指導者となってからは、たまたま今日もドイツオープンで優勝した世界ランキング1位の山口茜選手の育ての親でもあるなど、上田家はスポーツマン一家でもありました。

アイディアマンであり誰からも好かれた男
 私が一緒に仕事を始めてからのエピソードは数え切れないくらいあります。たくさんの思い出の中から、そのいくつかを書いてみます。

 勝山の人なら誰もが知っている「ゆめーおーれ」ですが、かつては市内の機業場でした。それを、産業遺産として、観光資源として残すためには、周囲の環境から考えて、その位置を動かさなければなりませんでした。

 そのために、曳家(ひきや=建物を解体せずに文字通り引いて動かす)をしなければなりませんでしたが、その作業自体をイベント化して世間にアピールする企画の中心になったのが上田さんでした。機業場の大きな建物を大勢の人が綱引きのように引いて動かすことをイベントにしたのです。そして、見事に成功させました。当日は、鳶のはしご乗りなどもあってそれは賑やかでした。

自然体験学習課から「恐竜のまち勝山応援隊」へ 
 現代の子どもは室内でゲームなどをして過ごすことが多いが、自然の中でいろんなことを体験しなければダメだということで、教育委員会の中に「自然体験学習課」をつくることになりました。もちろん上田さんの発想であり、初代の課長にもなりました。

 その後、勝山市の長尾山に恐竜博物館ができてからは、上田さんは、この博物館を中心とする長尾山を自然体験の舞台とすることが夢となりました。

  そして、この博物館を含む長尾山を公園とし、その管理を行うと共に、自然体験を行う団体をつくりたいということで動き始めました。そして、名前を考えたので見てほしいと、いくつかの名前案を持って私の部屋へ来られました。

 私は、その名前案の中から、応援隊という言葉に惹かれて「恐竜のまち勝山応援隊」を選びました。上田さんは「やはりそれがいいですか」と言って、部屋を出て行かれました。それが、今のNPO法人「恐竜のまち勝山応援隊」に繫がっているのです。(その後、初代理事長) 

 一刻も早く、「恐竜のまち応援隊」としての仕事をしたいということで、建設部長でありながら早期退職し、その後は、文字通り、恐竜のまち勝山の応援隊として、あれこれアイディを出し、それを一つ一つ磨き上げ、実現しながら勝山のために頑張ってこられました。「恐竜のまち勝山応援隊」の生みの親であり、育ての親でありました。

上田さんの仕事あれこれ
  『《オオタカの育ての親》 勝山市の豊な自然を活かした「体験学習」「自然観察会」や全国トップクラスの発掘量を活かした「恐竜化石発掘体験」などのプログラムを実践している勝山市の自然体験学習課の課長さん。
長尾山で生息する「絶滅のおそれのある国内希少野生動物」であるオオタカの生息環境を守る事業にも取り組んでいます。オオタカは、全長50~56cmの中型のワシタカ類で平野部から山地帯の緩やかな地形の森林で繁殖します。勝山市では平成9年度よりオオタカ生息環境保全委員会を設置し、保護区域を設けて観察を続けています。保護開始から平成15年までに12匹のヒナの巣立ちを確認しています。』(『 』内はネット記事)
 ※ 離れた場所から大鷹を観察するためのカメラ設置も上田さんがやられたと聞いています。 

NPO法人の理事長として、公園管理のほか、様々なイベントを考案したり、実施したりしておられました。
 ・かんじきによる公園内散策  ・保存した雪で夏にそり滑り ・大きな雪山からのタイヤ滑り
 ・池でのカヌー遊び  ・スノーモービルを使ったそり遊び ・バスでの園内周遊  ・クロカンマラソン
 ・正月イベント ・恐竜雪だるま ・・・・・(ありすぎて書けません)  

上田さんの想い
 何度か、私たちはは三人で、一緒に酒を飲んだり、ごはんを食べたりしたことがあります。その中で上田さんから聞いた話ですが、忘れないことがあります。ここで書くべきか迷いましたが、後輩の皆様方にもよく考えていただきたいので、敢えて書かせていただきます。

 後輩の皆さん方にも、上田さんのように損得を考えずに、勝山を愛し、前を向き、広い視野で仕事をしていただきたいからです。

 恐竜博物館へ行く人は誰でも、曲がりくねった坂道を上りながら、博物館前へ向かいます。そして坂道を登り切り、博物館前の駐車場へ向かった次の瞬間、博物館の入り口と共に、卵形の博物館本体が目に飛び込んできました。「博物館へ来たんだ」とその建物の雰囲気から、期待に胸が膨らんだものでした。(敢えて、過去形で書きました)

 上田さんはずっと、博物館を訪れた人にこのワクワク感を味わってほしかったのです。ところが、玄関先にある建物が立つ計画が持ち上がりました。いつも恐竜博物館を眺めながら、仕事をしていた上田さんですから、自分の庭のようにいろんなことが分かっておられたようです。

 「建物の位置をよく考えないと、このようなことになりますよ」と、図面を描いて訴えたそうです。説明を聞いた市のトップの方もなるほどと思いながら、後戻りもできずに、計画が進んでしまったのだそうです。

 決定してしまった後は、上田さんからはその件については一切話を聞いていません。しかし、私の心の中には、「後戻りのできない事業を行う場合には、現場の意見をよく聞いて実行しなければならない」との教訓が今も強く残ってきます。そして、私の生きる力の一部になっています。ありがとうございました。

 上田秋光さん、安らかにお休み下さい。私の心の中には、あなたとの思い出や生き方がいつまでも残っています。まだまだ書きたいことはたくさんありますが、このあたりで筆を止めます。 

 

中学校再編~高校の立場で考えると~

12 3月

中学校が併設されると高校生や高校教員にとってどんなメリットがあるのだろうか
 現在の勝山高校のグラウンドに中学校が建設されると、高校生や高校教員にとってどんなメリットがあるのだろうか?急には思いつかない。今回の勝高併設案は、元々勝山高校の活性化とか、定員増を期待されてのことだと何度も説明されてきた。

通学方法が大きく変わる高校生
 中学校が併設されれば、現在の勝山高校やその中にできる中学校へ通う生徒の総数はかなり増えることになる。そのため、北部中校下全域、南部中校下の大部分の生徒がスクールバス通学を強いられることになる。そうでなければ家庭の車による通学になる。

 従って、現在の勝高生はバス通学、家庭の車での送迎のいずれもが、ジオアリーナにできるバス停か駐車場で車を降りなければならないことになる。そこから、国道157号線を横断するために、中学生と共に地下通路を通らなければならないことになる。

 現在の想定では、おそらく中高生の半分以上が短時間にこの地下通路を通らなければならないために、そこでは、相当の混雑が予想される。地下通路は現在の計画では「上履き帯」と「下足帯」に二分されているために、地下通路の幅はそんなに広くは取れないので、追い越しも簡単にはいかないだろうから、中高生の歩く速さが異なればいずれにもストレスになるであろう。

中学生との校舎の共用はどうだろうか?
 現再編計画では、2つの体育館やグラウンド、図書館(メディアセンター)は中学校と共用されることになる。また、高校の特別教棟の一階には中学校の理科室や技術室、2階には高校の理科室、3階には中学校と高校の各音楽室、そして各階には中高の共用部分があるという環境は、高校生にとってはどうだろうか。

 常に、高校生は、中学生と出会うことになるのである。それが高校生にとってどのようにプラスになるのだろうか。中学校の先生方とも、何かにつけて出会う環境は高校生にとってどうだろうか。

 高校生は、中学校の先生と常に出会う環境を嬉しいと思うだろうか、それとも、一度は離れてみたいと思うだろうか。いろんな情報が双方に入ることになるだろう。果たして、高校生はどう感じるだろうか。

 校舎やグラウンドの使用、そして、部活動の場所を巡っても、年下の中学生を優先させて考えるべきか、それとも、元々高校の校舎に中学校が入り込んできたのだから高校生を優先すべきではないのかなど、意見の分かれるところであろう。どちらもゆずりたいし、ゆずりたくはないと悩むであろう。

高校の教員にとってはどうだろうか
 高校の教員にとって、中学校の校舎が併設されることにどのようなメリットがあるのだろうか。何かにつけて、連絡調整しなければ実施できないようなことになりはしないのか。

 何か問題が発生した場合に、その責任問題はどうすればよいいのだろうか?県立と私立が校舎を共有すれば、どのような問題が発生しどのように対処すべきか、予算的にどちらがどのような割合で負担すればいいのだろうか?

 何か行事を行う場合に、中高が一体となって行うべきか、独自に行うべきか、いずれの場合にも、両者の調整が必要となろう。煩わしさを上回るメリットが発生するのだろうか。

 進路面で、期待されるように中学生が併設される勝山高校に進学するのだろうか?元々、中学生は多様な方向に進むことになり、併設によって普通科という特定の学科へ進む生徒を増やすことができるのだろうか?

 精神的にもリセットしたい時期にある高校生や中学生が、中高一貫校でもない学校で6年間学校生活を送りたいと思うだろうか?一度は地元を離れて新たな場所へ旅立ちたいと思うのが、この時期の子ども達の素直な気持ちではなかろうか?

 高校生や高校教員とのこうした様々な議論が不足したまま、現計画が進められていることに違和感を覚えるのは私一人だろうか?今一度、検討する時間を持ってもいいのではないかと私は思うのだが。

高校生の登校経路は、「校門方向」と「ジオアリーナー地下通路方向」とに二分されるが