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学校は地域の中心であるべきでは

16 3月

南小学校そして南部中学校を中心に市街地が
 学校と周辺の町の変化について考えてみる。私は新築の成器南小学校の1年生として入学。この頃の、南校と言えば、田んぼの中の一軒家のようだった。周辺はほとんど田んぼでかなり町外れにできたと思う。
 
 そんな状況の中で、南小学校と元町の間に洋風の赤い屋根の家が一軒建っていたのを覚えている。片瀬の自宅からは南小学校が見通せたものである。

 南小学校界隈の大きな道路と言えば、本町ー立石ー山岸機業ー南小ー高島ー若猪野ー下荒井橋を通って、大野へ行く道が一本。これが勝山と大野を結ぶ主要道路だった。そして、もう一本は、立石ー毛屋ー平泉寺を結ぶ平泉寺街道だった。後は、集落間を結ぶ道があるだけだった。

 その後、国道ができたり、南部中ができたり、都市開発が進み、周辺は二つの学校の周辺は住宅地へと変貌していった。そして、ホームセンターやスーパー、病院など生活に必要な店舗が並び、集合住宅もできていった。いずれも、学校を中心に周辺が市街化していったのである。

勝山高校界隈この60年余
 勝山中学校と併設していた勝山高校が火災になり、勝山高校は、長山の麓へ移転することになった。あれから70年近くが過ぎた。

 勝山高校界ができた頃は、北側は長山公園、西側は狭隘な道の市街地、南側は精華高校(現奥越特別支援学校)東側は山地や三谷集落(現昭和町2)に囲まれていた。

 元々周辺が広がりようのない狭隘に地であったためにが、西側に国道ができたこと以外はほとんど同じような状況である。そのため、この70年近く、周辺は他の地域に比べて変化の少ない地域であった。

 ここに、新たに、勝山唯一の中学校を建てることにどのような意義があるのだろうか。以前にも書いたが、高校よりもはるかに大きな新中学校が建設されれば、何もかも高校と共用しなければならず、果たして、どちらの学校に対してもプラスになるのだろうかと考えてしまう。

 そして、勝山高校と新中学校との併設が、勝山高校の定員割れに起因していること、そして、中学校を併設すれば、勝山高校への進学者増が期待されると考えていること、併設すれば連携による教育効果が上がると期待されていること。これらのいずれもが果たしてそうかと多くの人が疑問を抱いていること。

 以上を考え合わせると、この学校再編問題を少なくとも、もう一年考え直してよりよい方向性を見いだすべきではないのかと私は考えるのだが、皆さんはいかがお考えでしょうか。

 

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