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Archive for 3月 13th, 2023

勝山を愛した男 上田秋光さん 安らかに

13 3月

常に前を向いて走った人
 上田秋光さんと親しく付き合い出したのは、私が市教委にお世話になった頃からだ。それまでは、間接的に上田さんの活躍ぶりを第三者から、またはマスコミで知っていたくらいでした。

 上田さんは「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を地で行くような人でした。本当の実力者は、一切自慢などはしない。しなくても、その力は自然に滲み出てくるもので、それが人を引きつけるのです。私の方が年上ですが、彼と話していると、色々触発されて勇気をもらえる人でした。

 上田さんは若い頃から、一流のスポーツマンでした。特に、5,000mの県記録保持者で相当長い間この記録は誰にも破られませんでした。上田さんの猛練習ぶりについては、高校時代には坂の多い平泉寺から学校まで走って通学したとか、バイクに前を走らせてスピード練習をしたとか、いろんなエピソードがあります。努力の人でした。

 そして、地元でたくさんの長距離ランナーを育てました。ある時期、福井県の女子駅伝チームの選手はほとんどが勝山の選手でした。当然ながら、その監督を務めるなど、県内でも存在感のあるアスリートでした。また、ご子息は日本のトップクラスのバドミントン選手であり、指導者となってからは、たまたま今日もドイツオープンで優勝した世界ランキング1位の山口茜選手の育ての親でもあるなど、上田家はスポーツマン一家でもありました。

アイディアマンであり誰からも好かれた男
 私が一緒に仕事を始めてからのエピソードは数え切れないくらいあります。たくさんの思い出の中から、そのいくつかを書いてみます。

 勝山の人なら誰もが知っている「ゆめーおーれ」ですが、かつては市内の機業場でした。それを、産業遺産として、観光資源として残すためには、周囲の環境から考えて、その位置を動かさなければなりませんでした。

 そのために、曳家(ひきや=建物を解体せずに文字通り引いて動かす)をしなければなりませんでしたが、その作業自体をイベント化して世間にアピールする企画の中心になったのが上田さんでした。機業場の大きな建物を大勢の人が綱引きのように引いて動かすことをイベントにしたのです。そして、見事に成功させました。当日は、鳶のはしご乗りなどもあってそれは賑やかでした。

自然体験学習課から「恐竜のまち勝山応援隊」へ 
 現代の子どもは室内でゲームなどをして過ごすことが多いが、自然の中でいろんなことを体験しなければダメだということで、教育委員会の中に「自然体験学習課」をつくることになりました。もちろん上田さんの発想であり、初代の課長にもなりました。

 その後、勝山市の長尾山に恐竜博物館ができてからは、上田さんは、この博物館を中心とする長尾山を自然体験の舞台とすることが夢となりました。

  そして、この博物館を含む長尾山を公園とし、その管理を行うと共に、自然体験を行う団体をつくりたいということで動き始めました。そして、名前を考えたので見てほしいと、いくつかの名前案を持って私の部屋へ来られました。

 私は、その名前案の中から、応援隊という言葉に惹かれて「恐竜のまち勝山応援隊」を選びました。上田さんは「やはりそれがいいですか」と言って、部屋を出て行かれました。それが、今のNPO法人「恐竜のまち勝山応援隊」に繫がっているのです。(その後、初代理事長) 

 一刻も早く、「恐竜のまち応援隊」としての仕事をしたいということで、建設部長でありながら早期退職し、その後は、文字通り、恐竜のまち勝山の応援隊として、あれこれアイディを出し、それを一つ一つ磨き上げ、実現しながら勝山のために頑張ってこられました。「恐竜のまち勝山応援隊」の生みの親であり、育ての親でありました。

上田さんの仕事あれこれ
  『《オオタカの育ての親》 勝山市の豊な自然を活かした「体験学習」「自然観察会」や全国トップクラスの発掘量を活かした「恐竜化石発掘体験」などのプログラムを実践している勝山市の自然体験学習課の課長さん。
長尾山で生息する「絶滅のおそれのある国内希少野生動物」であるオオタカの生息環境を守る事業にも取り組んでいます。オオタカは、全長50~56cmの中型のワシタカ類で平野部から山地帯の緩やかな地形の森林で繁殖します。勝山市では平成9年度よりオオタカ生息環境保全委員会を設置し、保護区域を設けて観察を続けています。保護開始から平成15年までに12匹のヒナの巣立ちを確認しています。』(『 』内はネット記事)
 ※ 離れた場所から大鷹を観察するためのカメラ設置も上田さんがやられたと聞いています。 

NPO法人の理事長として、公園管理のほか、様々なイベントを考案したり、実施したりしておられました。
 ・かんじきによる公園内散策  ・保存した雪で夏にそり滑り ・大きな雪山からのタイヤ滑り
 ・池でのカヌー遊び  ・スノーモービルを使ったそり遊び ・バスでの園内周遊  ・クロカンマラソン
 ・正月イベント ・恐竜雪だるま ・・・・・(ありすぎて書けません)  

上田さんの想い
 何度か、私たちはは三人で、一緒に酒を飲んだり、ごはんを食べたりしたことがあります。その中で上田さんから聞いた話ですが、忘れないことがあります。ここで書くべきか迷いましたが、後輩の皆様方にもよく考えていただきたいので、敢えて書かせていただきます。

 後輩の皆さん方にも、上田さんのように損得を考えずに、勝山を愛し、前を向き、広い視野で仕事をしていただきたいからです。

 恐竜博物館へ行く人は誰でも、曲がりくねった坂道を上りながら、博物館前へ向かいます。そして坂道を登り切り、博物館前の駐車場へ向かった次の瞬間、博物館の入り口と共に、卵形の博物館本体が目に飛び込んできました。「博物館へ来たんだ」とその建物の雰囲気から、期待に胸が膨らんだものでした。(敢えて、過去形で書きました)

 上田さんはずっと、博物館を訪れた人にこのワクワク感を味わってほしかったのです。ところが、玄関先にある建物が立つ計画が持ち上がりました。いつも恐竜博物館を眺めながら、仕事をしていた上田さんですから、自分の庭のようにいろんなことが分かっておられたようです。

 「建物の位置をよく考えないと、このようなことになりますよ」と、図面を描いて訴えたそうです。説明を聞いた市のトップの方もなるほどと思いながら、後戻りもできずに、計画が進んでしまったのだそうです。

 決定してしまった後は、上田さんからはその件については一切話を聞いていません。しかし、私の心の中には、「後戻りのできない事業を行う場合には、現場の意見をよく聞いて実行しなければならない」との教訓が今も強く残ってきます。そして、私の生きる力の一部になっています。ありがとうございました。

 上田秋光さん、安らかにお休み下さい。私の心の中には、あなたとの思い出や生き方がいつまでも残っています。まだまだ書きたいことはたくさんありますが、このあたりで筆を止めます。