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Archive for 3月, 2015

数学教室

21 3月

まだ役に立つなら応援したい
これまで村の高校生から数学を教えてほしいと頼まれ、何度か教えてあげたことがある。今回は、隣の高校生が、春休みに質問してもよいかということだった。

それなら、数学をもう少し分かりたい(数学の少し苦手な)高校3年生を相手に、無料の「数学教室」をやりたいとメールで返事をしておいた。退職してからずっと数学の参考書作りをしているので高校生にモニターになってもらえればという気持ちでいる。

私の参考書が高校生に役立つかどうかを実感してもらいたいからだ。私としては、自信を持っている。野球を例に取れば、キャッチボールが十分でなく、バットもうまく振れなくて、野球のルールも知らない者が練習試合ばかりしていても野球は上手にはならないと思う。

やはり、基礎をしっかりと身に付けておいてほしい。そうすれば、後は考えるだけだからだ。何が基礎か、それは現役時代にずっと記録しておいたので自分は分かっているつもりでいる。最後の奉仕として数学の苦手な生徒の手伝いができればと思っている。問題は、どうして私が手伝いのできる生徒を見つけるかだ。そこの所を考えて実行に移したい。

(日記 頭や身体の節々が痛い。それでも明日の軽音学部OB会の練習のための楽譜作り。一日かかってしまった。楽器も少し練習したが、どうも昨日の転倒が悪影響を及ぼしているようだ。気持ちが晴れない一日だった。昨日採ったフキノトウは美味しかったが。)

 
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不覚

20 3月

ぬかるみに足を取られて
ウオーキングを兼ねて、フキノトウを採ろうと山道を歩いていた。道の両側にはまだ雪が残っている。片方は川、片方は山が迫っている。

道には雪解けの水が流れている。山からの泥も流れ込んでいる。ズックの底から水が染み込み始めた。次の瞬間、アスファルトの上のぬかるみに足を取られて転んでしまった。そして、頭を打った。

次の瞬間、以前に手術をした硬膜化出血を思い出した。5年ほど前だが、慢性だったので手術で血を抜くことができた。激烈な頭痛で命拾いをした。

急性の場合は命が危ないと言う。某タレントは急性の硬膜化出血で命を落としているのだ。なんとかなるだろうと思い、帰宅してシャワーを浴びて寝ていると目が回る。

家内に運転してもらって救急で前回手術をした済生会病院へ。CTを撮ってもらったが、急性ではなさそうだ。頭はふらふらするが帰宅した。まったく不覚であった。帰りにヘルメットを買って帰った。遅かったが……。

(日記 午前中はバンドの楽譜作りと楽器練習。午後は、ウオーキングを兼ねてフキノトウ採りに。転んで頭を強打。福井の病院へ行った。ついてなかった。)

 
 

地域の活性化を目指して

19 3月

今年度最後の定例委員会
午前9時より、今年度最後の「猪野瀬地区活性化委員会」の定例委員会。テーマは、地区の活性化を目指してお盆の前あたりに、何かイベントを実施できないかということあった。

ただし、このイベントは、運動会や文化祭のように、猪野瀬地区の各種団体に義務的に関わってもらうのではなく、協力していただける者を募って実施できないかということだ。個人であれ、団体であれ自ら楽しんで参加してみたいという者で実施できないかというものだ。

内容は、地区の人たちが地区の素材で作ったスイーツや加工食品等の販売、地区特産の野菜などの販売、それから「地域力向上基金」」で購入したフライヤー、鉄板、綿菓子機、ポップコーン等の機器を使った屋台、焼き鳥、フリーマーケット等々の模擬店。

そして、午後は、各種の芸能等の舞台発表。そして、夜は盆踊り。一番の狙いは、地区の人たちの「生き甲斐ビジネス」」を行うことと、出会いの場の提供だ。

こうした中で、猪野瀬地区の特産物が生まれることを期待したい。地域のブランドを育てることができればと思う。「若猪野のメロン」、「北市の水菜」、「片瀬のショウガ」・・・、そして地域の食材を使った加工食品、・・・。約2時間半、楽しい時間を持つことができた。まだ案の案だが、実施に向けて少しずつ前進したい。

(日記 午前9時半より猪瀬公民館で「活性化委員会」。午後は、約2時間、久々に数学。その後事務所で楽器(ウインドシンセとドラム)練習。あっという間に一日が終わってしまった。)

 

繰り返すこと

18 3月

繰り返すことに感謝
つい先日、雪囲いをしたと思ったのにもう3月中旬。あちこちで春の足音が聞こえる。今日は気温も高くなるというので、雪囲いを外すことに決めた。

ただ、庭木だけはもう少し今のままにしておきたいと思う。雪が降らないとも限らないからだ。午前中に、家の前後の雪囲いを外した。

毎日もそうだが、1年も繰り返している。繰り返しを感ずるのは、家庭菜園などの農作業、雪囲い、そして、種々の地域の行事だろう。

毎年、種々の行事や日々の暮らしを繰り返しているが、これらを繰り返していられることを喜ばなければならないと思う。繰り返されなくなったら、大変だ。

平凡な日々の繰り返しの中で、「毎日パワー」を信じて、いくつかのことにチャレンジしているが、それらの進み具合や出来具合が単調な日々の暮らしに変化を与えていてくれる。退屈しないでいられるのはこれらがあるからだ。これからも、自分の能力に合わせて、小さなことから積み重ねていきたい。

(日記 午前中は、雪囲い外し。例によってラジオを聴きながらの作業だった。午後は、バンドの編曲作業。各自の演奏能力もあるので楽譜作りは難しい。)

 
 

銭太鼓と紙芝居

17 3月

ボランティア団体の会合に参加して
四十数年間、県内外で餅つき等のボランティア活動を行っている鹿谷の「志愛クラブ」の会合に、いつも練習を見ている会員がアトラクションとして銭太鼓を演ずるというので伴奏係として同行することになった。

せっかく銭太鼓の伴奏に行くのなら、ついでに何かしましょうということで家内と創作紙芝居を演ずるえんずることになった。

久々の好天で会場は非常に明るく、ほどほどに人数もいるのでパワーポイントで紙芝居を演ずることにしたが、映像が明瞭ではなかった。絵を描いた者としては残念であった。

しかし,喜んで下さる人達もおられて少し安心した。その後、昼食を挟んでぜに銭太鼓の演技が行われた。家内は歌で、私は鳴り物(長胴太鼓・締太鼓)で伴奏を務めた。

ここ数日、紙芝居の手直しには相当の時間を費やした。しかしながら、自分の満足するレベルに達するまでにはまだまだ時間がかかると思われた。今後は、東日本大震災が風化しないようにするためにも、現場で聞き取りをしながら創作紙芝居が作れたらと思う。

勉強を終えての語らいは楽し。

勉強を終えての語らいは楽し。

(日記 午前中は、ボランティア団体の会合で創作紙芝居と銭太鼓を演ずる。ここ数日、このためにかなりの時間を費やしたと思う。帰宅して、自分の車のスノータイヤを入れ替えた。今日は非常によい天気。いよいよ春も本番だ。夜は、孫の「爺ちゃん勉強」。)

 

 
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事前練習

16 3月

銭太鼓と紙芝居発表
明日は、ボランティア団体の会合で「鹿谷すいせんサークル(銭太鼓)」が
銭太鼓の発表することになっている。私と家内は、唄と鳴り物(長胴太鼓・締太鼓)で応援することになっている。

今日の午後、鹿谷公民館で合同練習をした。ストリートアンプと太鼓を持って鹿谷公民館へ出かけた。鹿谷の皆さんはメンバーの入れ替えを繰り返しながら銭太鼓を今日まで続けている。

半分以上のメンバーが足や腰が悪いがそれでも練習を続けている。その熱意にほだされて私は練習を見ている。音楽に合わせて何かをするということは、脳にとっては高度な作業だと思う。

やめる理由はたくさんあっても、続けている熱心さに私も見習うところが多い。明日は、銭太鼓の他に私達夫婦は、創作紙芝居『親鸞聖人物語』を演ずることになっている。

銭太鼓の帰りに明日の会場となる温泉センター「水芭蕉」の大広間を見に出かけた。明日はパワーポイントを使うために会場の明るさを調べたかったからだ。残念ながらに薄手のレースのカーテンがあったが、会場は非常に明るく、プロジェクターを使うには不向きにはあった。せっかくの紙芝居の絵が生きないのでは心配になった。

(日記 午前中は紙芝居の仕上げ作業。午後は鹿谷公民館で銭太鼓のグループとの合同練習。その後、会場に下見。夜も紙芝居の仕上げ作業と紙芝居の読み合わせ練習。ここ数日かなり忙しかった。)

 
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永代経

15 3月

子どものことから寺(道場)に親しんだ世代
私達、70歳前後より上の世代は寺(道場)に親しんだ世代であると思う。というのも、私達が子どもの頃は、道場が宗教活動の場であるばかりではなく、集会場として各種の会合が行われたり、文化会館として巡回映画や芸能発表を行った場所である。

また、夏休みにはトランプなどをして遊んだ場所であり、ソロバンを習ったり勉強をした場所である。村の大人や子どものたまり場だったのだ。

今は、ほとんど宗教関係の場となった。今日は『永代経』だ。「永代経」は「先祖への永代の追善供養」という意味もあるが、浄土真宗における「永代経」は、「先達・先祖を御縁として私が経(教)を頂き未来永代に伝える」という意味もあるとのことだ。

言い換えれば先祖のおかげでこうした村のみんなが集まることができ、私達がお経を聴くことができたとも言える。最初は文字通りお経をあげられたが、その後はほかのお寺から招いた住職による「説教」だ。

自分を見直すよい機会にはなった。両親が早くなくなったので、お寺へ顔を出す機会は他の人たちよりも多いかも知れない。今日は家内と一緒だったが、自分にとってはよい機会だったと思う。

(日記 午前9時半より道場での『永代経』に出る。途中で説教を聞く。午後は、紙芝居の絵を描く。作業は夜まで続いた。)

 

 
 

複合副作用

14 3月

「モノ」にはある両面
どのように便利な「モノ」にも、そのモノが持つ長所・ろてん・メリットがある。「モノ」とひとくくりにしたが、それはソフトもハードもある。もちろん政策もその一つだ。

政策を例にあげれば、政治家、特に与党はメリット面や成功面ばかり強調する。デメリットを求めたがらない。反対に野党は、与党のデメリット面を強調しメリットを認めなかったり、過小評価する。

円高により笑いの止まらない企業がある一方、原材料の輸入価格が高騰し存続を危ぶまれる企業もある。そのバランスを取り、利益を再配分する機能が十分に働かなければ、今問題の「格差拡大」や「貧困」が増大する。

それは、あらゆる「モノ」には裏表があり、メリットを活かし、デメリットを少しでも少なくする知恵を働かさなければならない。その努力が欠けてはいないかと心配になる。

北陸新幹線が金沢まで開業した。メリット面は計り知れない。経済効果も上がるだろう。しかし、市民の足である在来線の運営は厳しくなるだろう。ここにもあまり取り上がられない「副作用」がある。都会から北陸へ来る人がある一方、都会へ出る人もまた増えるであろう。その対策もまたわすれてはならないと思う。

(日記 終日、紙芝居の絵の追加作業。)

 
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コミュニケーション

13 3月

タイミングよく話しかけること
知らない人と居合わせたとき、無言でいるのは私にとってはバツの悪いものだ。しかし、うかつに話しかけて相手の気分を壊すような事もしたくない。話しかけてよかったと思う事も少なくない。

「その1」私は週に一回は市営プールへ行っている。サウナの中で知らない人と無言でいるのは苦痛だ。一言話しかけたら、いつの間にか会うたびに話すようになった。今では友達のようだ。

「その2」ジャズコンサート。家内と二人で行ったが、席はばらばらにしか取れなかった。家内は隣の女生と話している。wあたしも、隣の若い男性に話しかけた。二人席にいながら黙っているよりもよほど楽しい。

「その3」出張時の新幹線の車内。隣に見知らない女性。ちょっと話しかけてみたらどんどんのってきて世間話をすることができるようになった。田舎を出て東京で暮らしているという。都会と田舎の違いも話してくれた。退屈せずに東京へ着いた。

相手を見なければならないが、人によっては向こうも話したい場合がある。時と場合にもよるが、お互いにプラスになることも少なくない。iPhoneやゲームやゲーム全盛の時代に顔を合わせて話すことも悪くない。

(日記 午前中は紙芝居の絵描き。午後は、家内とプール。何人かの知らない人と話すことができた。)

 
 

久々の紙芝居作り

12 3月

紙芝居の手直し

創作紙芝居『親鸞聖人物語』の一部分。

創作紙芝居『親鸞聖人物語』の一部分。

今月は、紙芝居上演を2回依頼されている。一つは、市内の50歳位以上の年配者、もう一つは松岡町の児童館で小学1年生から4年生対象に演ずるのだ。

今日は、大人の法の紙芝居の手直しをすると決めた。創作紙芝居『親鸞聖人物語』だ。なかなか理解しがたい話だ。歴史上の偉人の話はかなり史実とは異なる部分がたくさんあるからだ。

図書館で本を借りたが、多くの部分でいろんな説があると書かれている。しかも、宗教上の偉人なのでうかつに取り扱うことができない。そんな中で親鸞聖人の生涯を描くことは私にとっては大仕事だ。人間親鸞聖人を自分なりに描ければと思う。

それだけにやりがいもある。自分流にやってみたいと思う。少しでも、興味を持って理解していただくためには、絵の出し方にも工夫をしなければと思う。

子ども対象の方は、その点、楽だ。創作童話だから気楽にできる。いかに子ども達を惹きつけられるかを考えることは、苦労はあっても楽しい作業だ。今日は、紙芝居の手直しに明け暮れた。

(日記 朝一に、除雪機で家の横の道の除雪作業。その後は、終日、紙芝居の手直し作業。途中で、米かち。一日中、画面を見ていたので目が疲れた。夜は、「爺ちゃん勉強」。 )