日頃の心構えが肝心
誰も、自分の家で災害が発生するとは思っていないようだが、いつ何時、どこでなにが起こるかは分からない。自然災害が起きたとき、テレビなどで災害が起こった地区の住民のインタビューを聞いていると、「生まれた初めてこのような災害に遭いました」となる。
災害が起こるのは想定外であった場合が多い。これでは被害を最小にすることはできない。もしかしたら、災害が起こるかもしれないと思って普段から備えた方が良いと思う。私も若い頃はそんなに気にしなかった。
例えば、真夜中に地震や火災が発生した場合、どう対処したらよいだろう。火災の場合、初期の段階で気がつくためには、やはり火災報知器が有効だろう。
最近の火災では、逃げ遅れてしまって子ども達やお年寄りが犠牲になることが多い。本当に痛ましい。ちょっとした大人の気配りで命を救うことができるとなると、やはり真剣に考えておかなければならない。被害を最小限に留めるようにするためには、普段から、実際の場合を考えて備えなければならない。
例えば、火災を一刻も早く知るには、火災報知器が有効だと思うが、どこにどれだけつけておいたらよいのだろうか。二階で寝ている人が気がつくためには、1個や2個では足りないだろう。火元となりやすい台所、それから、階段、そして、寝室だろうか。一家に数個は必要だと思う。
また、火災や地震、地滑りなど災害にもいろいろ種類はあるだろうが、こうした場合、停電になる可能性が高い。緊急のために、常備灯がいくつかは必要だろう。一家に一個懐中電灯があればよいというものではない。
寝室なら枕元に必要だろうし、階段や居間などにも必要だろう。そうなると複数の常備灯を置かなければならない。実際に真夜中に災害が起こった場合には、明かりがなかったら避難するにも苦労するだろうし、それが命取りになる場合もあろう。
こう考えると、火災報知器も、常備灯も数個はほしくなる。緊急時にはぱっと手に持って避難するためにはどこへ置いておけばよいか普段から考えておかなければならない。寝室ならば、見えなくても手探りで探せるところに置くのがベストだと思う。(我が家はいずれも4個以上は備えてある。)
来週の自衛消防隊の訓練や今年組織した自主防災組織でこうしたことを訴えたい。訓練のための訓練、形式的な準備ではかけがえのない命は救えない。今朝の婦人消防隊の訓練を見ていてこんなことを考えていた。
(日記 午前5時半頃起床。午前6時からの「婦人消防隊」の訓練を見に行く。指導は、村にいる消防署勤務のKさん。五人一組でそれぞれが自分の役割を決めての訓練だった。午前9時頃越前大仏の25周年記念の法要に地元区長として参加。あいにくの雨だったが、稚児行列も有り、賑わっていた。午後4時から『親子太鼓教室』。ようやく4曲目をマスターすることができた。夏にはどこかの祭りに出してあげたいと思う。特に、保護者の方は汗びっしょりだった。まさに“太鼓ビックス”だった。私も汗びっしょりになった。いい運動だ。)