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自分と国家の青春期

30 3月

人は時代と共に生きる
  終戦(昭和20年)直後に青少年だった者にとっては、自分の青春の時期と国家の青春の時期が同じ時期であったように思う。閉塞感の漂う今の時期が青春期の若者とは大きな違いだ。

  家庭には今なら当たり前の電話もなければ、テレビも冷蔵庫も洗濯機も自動車もない。あるのは、自転車とラジオぐらいだった。食べ物も粗末だった。そんな時代を私たちはそれが当たり前だと思って過ごしてきた。

  戦後の復興が進むに連れて、テレビや電話、冷蔵庫、自動車などが各家庭に入ってきた。勝山でも二つの映画館でいろんな作品が上映されていた。しかし、テレビの普及で廃れてしまい、勝山でも大野でも映画館は完全に消えてしまった。

  そんな中で、大型店が各地に進出し、市内の専門店はどんどんなくなっていった。商店街はどんどん歯抜けになってしまった。山間地の集落は、後継者が都会へ出てしまい、過疎化してしまった。

  そして、「限界集落」というありがたくない言葉までできてしまった。私たちが年をとるにつれて日本も閉塞感が漂うようになってきた。少なくとも、私たちの青春時代は日本の青春期と重なり、どことなく希望に燃えていたように思う。

  今の時代はどうであろうか。消費税増税に「不退転の決意」で臨むと宣言している総理。そうしなければこの国が破綻するというのだ。緊急手術でも施さなければ不治の病に侵されて再起不能に陥りそうである。

 若者たちは、それまで「胴上げ」型で高齢者を支えていたが、「騎馬戦」型になり、まもなく「肩車」型になるという。年金は破綻するということだ。これでは将来に期待が持てないだろう。

 国家の老衰期に、自分の青春期が重なった今の若者たちは気の毒である。持続可能な社会を目指して、政治化もすべての国民も知恵を出し合う時期ではなかろうか。ある意味では、私たちの過ごした時期は、幸せな時期だったのかもしれない。

恐竜博物館の動く恐竜の前で「はい!チーズ」。

(日記 午前中、区長としての文書作り。昼過ぎに、孫たちと恐竜博物館へ行く。地球上に、恐竜が、われわれ人類の先輩として生きていたことが不思議だ。次々と地球上の生命体は変わっていくのだろうか。人類の未来はどうか。午後8時から孫たちと越前大仏の門前町でダンスを教えているN君の教室を見学に行く。ダンスを踊る若い子達は楽しそうだった。)

 
 

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