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Archive for 1月, 2012

高齢化と雪

11 1月

雪と共に生きるには
先日、久々にプールへ行った際にサウナの中で旧知のHさんと会って話したことはこのブログにも書いた。その時、実はもう一人サウナの中にHさんの知人がいたのだ。

彼は、高校まで奥越で育ち、その後東京の大学へ出てそのまま東京で就職して生活していたらしい。数年前に、父親がなくなり実家の家を守るために帰って来たというのだ。

その彼が言うには、雪は耐えられないものだという。早い時期から屋根には油による融雪装置を付けているそうだが、家が大きいため1ジーズン20数万円油を使い、その上人夫を雇い雪かきをしなければならなそうだ。

彼にとっては、奥越地区は雪のせいで「最悪の場所」になっているという。奥越地区は住むには最悪の場所だと何度も繰り返していた。

家内と二人でこの話を聞いていたが、多少腹立たしくもあり、気の毒にも思った。私は、この地区は「住めば都」だと思っているからだ。

確かに、雪には苦労する。しかし、対処の仕方がないわけではない。私も地面の雪をあちこちへ動かすのは大変な年齢になったので、昨年、春のうちに除雪機を注文しておいた。除雪はずいぶん楽になった。

苦労するのは屋根の雪下ろしだ。昨春、雪下ろしのタイミングが多少遅れてもよいように大屋根の垂木を倍にした。単純に強度は倍になったことになる。

時間をかけてゆっくり雪下ろしをやればよい。通常は2回、大雪の時は3回、豪雪の時は4回雪下ろしをすればすむことだ。今年はまだ一度もしていないが、これから先どうなることやら。

都会に何十年も住んでいて、家を守らなければならない人には、我々が想像する以上に雪には苦労するのかもしれない。

そんな話の最中に、Hさんが話したことを思い出した。「最近、まちの中にも空き家が増えている。私の近所にも、4軒はある。」とのことだった。それも、新たにできた旭町でのことだ。田舎は言うまでもないかもしれない。

高齢者が二人で暮らしているうちはまだ我慢ができるかもしれないが、連れあいが亡くなると、家を守ることができずに、息子や娘の住む特会へ出ざるを得ないとのことだった。

狸のタン吉の化けたフクイ竜に乗って災害の町へ急げ!

(日記 午前中は、紙芝居の絵描き。その後、事務所の駐車場の除雪しようと思ったが、除雪機を運転して事務所まで行くのは時間的にも燃料的にもあまりよいことではない。そこで、軽トラックに積んで運ぶためのアルミブリッジを購入した。そして、軽トラックに除雪機を積んで事務所の除雪をした。午後も、紙芝居の絵描き。午後7時半より今年最初の「春駒太鼓」練習。創作曲や左義長囃子を練習した。当面の目標は鹿谷雪祭りの出演だ。)

 
 

65歳になったら

10 1月

健康維持も大きな仕事
   久々にプールへ行った。2歳年下のHさんとサウナの中で会った。そこで聞いたことだが、Hさんは毎日プールへ来ているのだという。そして、トレーニング室のランニングマシンで走り、プールで泳ぐのだという。その他、時々はスキーにも行くとのことだった。

   とても真似のできないことだが、それも大切なことだと思った。退職した者にとっては、少しでも長い間、健康でいることは、本人はもとより家族など周囲の人にとってもありがたいことだ。退職した後に無理をしすぎて健康を害する人は少なくない。また、無理をして肩や腰を痛める人も少なくない。

   そうなる前に、健康に気をつけることは私のこれからの人生においても大切なことだ。とても、毎日プールへ行くことは出来ないが、せめて週に2回はプールへ行こうと家内と話した。

  プールでは、水中ウオーキング、水泳、ジャグジー風呂、サウナを2回繰り返して帰宅した。これからは元気が一番なんだ。無理は駄目だと分かっているが、ついつい無理をしてしまう。

避難所にいる人たちを少しでも慰めたいと、得意の魔法を使って校庭を花畑に変えた狐のコン子。

  ここ数日はパソコンで紙芝居用の絵を描いているが、これは指と腰と目に負担をかけている。医師からも、「休みながらやりなさい」と言われているが、 いざ始めると夢中になって途中で休憩を取ることもできない。

  知り合いのHさんのようにはいかないが、65歳を過ぎたら(私はとっくに過ぎているが)、健康に留意しながらいろんな事に取り組むべきだとプールへ行って再認識した。わずかなことでも、毎日続けることは本当に難しい。一日一日を無駄にしないで過ごしたい。

(日記 午前中、少し絵を描き、10時から市民プール(相互プール)へ出かけた。午後も、自作童話を紙芝居にするための絵を描いた。雪が降らないのでありがたい。)

 
 

民謡事始め

09 1月

誰もが簡単に参加できる盆踊り
  ここ数年、盆踊り復活をまちづくりの一つとして取り組んでいる。頼まれれば、どこへでも民謡の楽しさを伝えるために、出向くことにしている。昨年は、遅羽地区、片瀬町、地元の猪野瀬地区、旧勝山地区婦人会、そして初めて平泉寺地区にも出かけた。

  特に、平泉寺地区は初めてであった。公民館で、民謡教室を開催し、地区の人たちに民謡の楽しさを伝えようと試みた。その後、平泉寺町平泉寺地区から「秋祭りに民謡をやりたいので手伝ってほしい」と依頼された。

  そのため、平泉寺の集落センターで2回講習会を行い、本番でもそれぞれの民謡の1回目には簡単な指導を行った。そして、.久々に平泉寺地区の祭りで盆踊りを復活することが出来た。その後、平泉寺町民運動会にも指導を頼まれて出かけた。

猪野瀬さわらび会(食生活改善推進員)の新年会のための演し物練習。(於:猪野瀬公民館)

  特に、平泉寺小学校の子ども達の子ども達の指導に際しては、先生方も積極的に参加して下さった。本番の平泉寺町民運動会では、昼休みに小学生とその保護者、そして町民の皆さんが参加して下さり、指導に出向いた私も大いに満足することができた。

  ここでも、一回目だけは私がマイクを持って簡単に指導し、その後はみんなで大きな踊りの輪を作って盆踊りを楽しむことが出きた。平泉寺地区は、私が今年初めて出向いた地区だったが、踊りに興味を持って下さる人もできた。今年も盆踊りに向けて地区の皆さんと頑張りたいと思う。

  さて、今日はさわらび会(食生活改善推進員)の皆さんの盆踊り練習会だ。さわらび会の新年会の余興として私の作った創作民謡を踊って下さることになり、練習を見てほしいということで猪野瀬公民館へ出かけた。

   この「さわらび会」の皆さんが、数年前、新年会の余興で私の創作民謡「勝山よいとこ」を一生懸命練習して踊って下さった。それを見ていた人達がこの民謡を踊りたいということでどんどん広がって行った。さわらび会のみなさんの取り組みが、今日までこの民謡が勝山で歌い踊られている最大の理由だと思っている。

横浜へ帰る息子たちと玄関先でパチリ。

  今年も、私の創作民謡メドレー『勝山よいとこ-勝ち山ほがらか音頭』を踊って下さることになっている。余興ではあるが、真剣に取り組んでくださることで他の人たちにそれなりの感動を与え、次々と出演依頼があるのだと思っている。

  それにしても、さわらび会の皆さんは、五〇歳代、六〇歳代、70歳代の人たちだ。さわらび会の皆さんの体力作り、脳のトレーニング、仲間作り、楽しみ作りの面で、盆踊りは大いに貢献していると思っている。

  今後も、機会あるごとに、盆踊りの復活を目指して様々なアクションを展開したいと思っている。さほどの準備も必要なく、年齢も男女も関係なく、誰もが気軽に楽しめる盆踊りの普及は私のライフワークの一つかもしれない。人と人との絆を築くためにも、地域の活性化のためにも価値ある取り組みだと思っている。

(日記 午前中、除雪機による除雪作業。午前11時頃、息子の家族は車で横浜へ向かって帰って行った。孫達は暮れの30日にやってきて今日まで勝山で過ごしたのだ。いろいろ触れ合うことができてとても楽しかった。何度も抱き合って別れを惜しんだ。孫の目には涙が光っていた。午後も、紙芝居制作作業。午後7時頃から、猪野瀬さわらび会(食生活改善推

木の葉を頭に乗せて「ヘンシーン!」

進員)の新年会の演し物の練習会に出向いた。衣装をつけての練習だった。私の創作民踊を踊って下さるのだ。ありがたいことだ。)

 
 

新年になって早くも1週間

08 1月

光陰矢の如し
つい先日、正月が来たと思っていたが、早くも8日が過ぎようとしている。まさに「光陰矢の如し」である。こんな中で、時間に流されるのではなく、時間を泳がなければと思う。

よほどしっかり目標を定めておかないと、何もしないうちに、月日だけが経ってしまうことになる。若い頃なら1年や2年どうということはないが、今の私には1年1年がとても大切だと思う。

いつまでも、元気で生活できるとは限らないからだ。この1週間を振り返ってみると、横浜から帰省している孫達と暮らしているが、仕事始めの4日から「じいちゃん学習」と言うことで小1の孫と一緒に“算数と国語と音楽(歌)”を勉強している。

私自身は、ラジオ体操やスクワットなどは欠かさずやっているが汗をかくほどの運動はしていない。七〇歳を超えた鳥越俊太郎さんが筋トレをやっているのに比べるとまだまだ甘い。

後は、“子育てマイスター”の活動を豊かにするためということで自作童話の紙芝居づくりを継続している。とにかく、作業を止めないことだと思っている。そうそればいつかは完成に近づくのだから。

『白山平泉寺物語』や『泰澄大師物語』の簡易アニメを作ったときにも、膨大な絵を描き続けた。その時は1月2日から毎日作業を続けたのだ。しかも、現役で仕事をしていた中での作業だった。

自分自身が「毎日パワー」を信じてわずかでも作業を継続していれば時の過ぎるのはそんなに気にならない。やることをやっていれば、後は時間に流されながら、孫達との生活を楽しめばよいのだ。

ただ、今日までの反省点は、自分の本職であった“数学”がおざなりになっていることだ。それと、創作活動もお留守になっている。

これは、来週からボチボチと始めればいいかなと思っている。“時間に流されない”は、今の私の生活目標である。このブログを一日も欠かしていないのは自分としてはよくやっていると思っている。

微々たることでも何かを毎日続けていれば、時が経つにつれて成果が姿を現す。時間が経つことによって成果を実感できることは喜びにつながり、さらに次への意欲に繋がっていく。

何もしなければ、何も得られない。そして、時の経つのを悲しく思うだけだから。これからは、一日一日春も向かう。その前に、雪かきをしなければならないような大雪にはなってほしくない。

(日記 午前中は、紙芝居の絵描き作業。以前に紙芝居の絵としてゴジラを描いたが、これは著作権が問題になると気がついてマンモスに改めた。このために半日を要した。午前11時半から今日も孫の算数と国語を勉強する。その後歌も歌った。午後、家の外では福井と横浜の孫達が雪遊びをしている。私も、雪兎を作った。その後、紙芝居で花の絵を描く。一部分を描いただけで一場面を完成するまでには至らなかった。孫達はいよいよ明日横浜へ帰っていくのだ。今日は最後の夜。楽しい思い出をありがとうと言いたい。)

 
 

“幼児教育を考えるつどい”に参加して

07 1月

心に伝わる「加古里子」さんからのメッセージ
   午後2時から福井国際交流会館で『今、そしてこれからの幼児教育を考えるつどい』が開催され、私も、子育てマイスターとして参加した。多くの参加者は、県内の保育園、幼稚園、小学校の現役の先生方であった。

   最初に、「本県幼児教育の実態」と題して、福井県幼児教育プログラム策定委員会の西村副委員長(仁愛大学教授)からの報告があった。内容は、幼児教育に関わる教職員と保護者に対して県が行ったアンケートの結果についての報告だった。

  その後、ベネッセ次世代育成研究所の二人の研究員が、「幼児教育の実態の全国比較」と題して、同じく本県と首都圏の0歳から5歳までの幼児の保護者に対するアンケート結果の報告があった。

 首都圏の最近15年間で見られる傾向は次のようなものであると報告された。
・女性の就業率の増加により、保育園児が増加している。
・経済的困難から、教育費が減少している。特に、低年齢児に顕著に出ている。
・幼児は早寝・早起きの傾向がある。(共稼ぎの影響)
・保育の長時間化により親子の負担が増えている。

  上記のようなことが、アンケート結果から分かるとのことだった。特に目新しいことではない。福井県は三世代家族が多いこと、共稼ぎの家庭が多いことなども報告された。これもすでに言われていることだ。

  その後、DVDによる加古里子(かこ・さとし)先生の『本県幼児教育への応援メッセージ』がDVDで放映された。加古先生だが、武生市で小学校二年生まで育ったとのことであった。先生は福井での8年間の生活が自分を育ててくれたとおっしゃった。

 ※ 加古先生は200冊以上の絵本を描いておられ、そのうち150冊は科学に関する絵本である。80歳を超えた現在も意欲的に創作活動に取り組んでおられる。昨年12月には全国に伝えられている習わしや祭りや行事を表した子どもの自然と生活シリーズの出版を開始されたとのことだった。

加古里子先生のビデオでメッセージ。残念ながら、先生は来られなかったが、私にはビデオでも十分にメッセージが伝わった。

 メッセージの中で私の心に残った部分は以下の通りであった。
・福井の鳥や虫や魚など豊かな自然と周りの人が今の私を育ててくれた。
・福井のすばらしい学力・体力の基盤の上に花を咲かせていただきたい。
・軍人の学校にあこがれていたが近視が進み不合格になり、工学部を目指した。
・当時軍人を目指した人たちはほとんど戦争で亡くなった。
・その反省から、子ども達に正しい判断力をつけてもらいたいと考え、幼児の教育に関わりを持つようになった。
・大人達は子ども達が伸びていく環境をつくればよい。
・子どもの自ら伸びる力を生かす。大人はしゃしゃり出ない。
・子ども達の望むことは、大人にあまり頼らない。大人をよく観察してどうしたらよいかを考える。
・大人の行動を見て、批判できる心を育てて欲しい。自分で自分を鍛えていってほしい。
・自分にあったやり方を見つけてがんばってほしい。 
・ ・・・・・・・。

 私が思うには、現在の教育は、生まれてから、高校を卒業するまでは、ほとんど全ての活動に大人が関わっているように思われる。幼児期はもちろんのことだが、小学校へ入ると、学校ではもちろんのこと、放課後の児童センターやスポーツ・文化活動でも全て大人が仕切っているのだ。

  中学校、高校でも授業はもちろんのこと部活動などでも教員が指導に当たっている。子ども同士が自ら切磋琢磨する時間は非常に少ないのだ。こうした中では、創造性や人間関係を育てることは非常に困難ではないのだろうか。昔はこうではなかった。

  加古先生も今の福井県の素晴らしい教育の基盤(学力・体力が日本の上位)の上に花を咲かせてほしいと望んでおられた。それは子ども自らの力で咲かせてほしいと望んでおられるように感じた。大人の関わりは時と場合によっては子どもが自ら考える力や機会を奪うことがあると、言っておられるように思った。全く同感である。

 私は、この集いのアンケートにもこのことを書いておいた。ともすれば、行政というのは、余計なお節介をすることが多いからだ。成果を上げるために、近道を選ぶことが多いからだ。結局は子どものためにはならないのだから。

魔法学校「木の葉学園」の卒園式。

(日記 午前中はオリジナル紙芝居の絵を描いた。昼過ぎに福井へ向かった。『幼児教育を考えるつどい』に参加するめだ。その後、福井の本屋へ立ち寄り、本と手帳と週刊誌を買って帰宅。仕事のため一人で横浜へ帰った息子が再び帰省。月曜日には家族全員で横浜へ帰るのだ。今日は長女と二人の子どもも福井から来ているので我が家はまだまだ正月気分だ。)

 
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地球は生きている

06 1月

地球は動く火の玉
   長い年月で見れば、地球は大きな動きの中にある。かつては、すべての大陸が一つの大きな大陸であった。それが大陸の移動によって各大陸に分かれたのだ。そして、その動きは今でも続いている。

 ※パンゲア大陸 : 約2億5000万年前の地表は、1つの超大陸と1つの超大洋だけであったと考えられている。1つの超大陸とは現在の6大陸であるユーラシア大陸、アフリカ大陸、北アメリカ大陸、南アメリカ大陸、オーストラリア大陸、南極大陸が1つに繋がった巨大な大陸であったと考えられることから、これらを「パンゲア大陸(Pangea)」と呼んだ。

 ハワイは1年に何センチかは日本に近づいているのだ。そして、日本海溝で日本列島の下に潜り込もうとしている。そこで蓄えられた地球の歪み(エネルギー)が地震となって解き放たれるのだ。この動きは、今後もずっと続くのだろう。

  そうなると、今後も大地震は免れない。津波も避けられないことになる。今後は、都市計画も、エネルギー問題も、住宅建設なども、すべてこうした前提で進めなければならないのだろう。

  明治29年にも岩手県釜石町の東方沖200kmを震源としてマグニチュード8以上の巨大地震が発生し、この地殻変動によって引き起こされた大津波は、観測史上最高の海抜38mの高さまで押し寄せたといわれている。

  それにもかかわらず、地震学者や国は満足な対策を打ち出せずに、今回の東日本大震災では多くの犠牲を払うことになってしまった。その上、こうした地域に、「安全だ」とのお墨付きを与えて原発を多数作ったのだ。

  素朴に考えても、私たちは、火の玉の上を動く大地の上で生活しているのだということをもう一度認識する必要がある。科学がいくら発達しても、自然を制御することはできないのだから。

  科学万能のように思うが、「この世の中で“絶対”ということはありえない」ということを肝に銘じて復興計画を立ててもらいたいと思う。犠牲になられた多くの方々の無念を思うとき、「想定外」などという言葉では済まされないのだ。

  「私たちは、火の玉の上を絶えず動く大陸の上で生活している」のだということを忘れてはならない。特に、東日本のように危険な地域で「安全だ」との企業家、一部の政治家、御用学者の言葉を信じて何基もの原発を作ったことの責任を誰が負うのだろうか。

   今後、数十年、あるいはそれ以上の期間住めなくなった人たちの人生は今後どうなるのだろうか。本県においても他人事ではない。大震災のニュースに接するたびに、怒りがこみ上げてくる。

狸のタン吉と狐のコン子が卒業旅行に出発。

(日記 午前中、孫の勉強相手と紙芝居作り。パソコンの画面を見て絵を描いているので目が疲れた。午後も作業を継続。途中でやめて読書。孫たちは母親の実家へ行った。孫との勉強で思うが、1年生には日本語は難しい。ついたち・ふつか・みっか・よっか・いつか・むいか・なのか・ようか・ここのか・とおか、そして、はつか。漢字で書くと簡単なのに、読むのは本当に難しい。子どもが、八日をはつかと読むのも無理はない。)

 
 

運動不足

05 1月

一日一汗は大変
   今考えてみると、夏は健康にはとてもよいシーズンだったかもしれない。農作業をしていると汗がしたたり落ちる。一日に、三回シャワーをすることも珍しくなかった。

   肉体労働で汗を流すので身体にはとてもよかったと思う。冬は雪下ろしでもしない限り汗だくになることはない。おまけに、こたつに入ったり、デスクワークが多いので目や腰が痛くなる。そして、周囲には正月の食べ物があるので、ついつい手が出てしまう。

  毎朝ラジオ体操やスクワットなどをやっているが汗をかくにはほど遠い。こんな生活を送っていたら、きっと次回の定期検診ではろくな結果が出ないような気がする。

  こうなったら、明日はプールへ行ってサウナへ入るしかない。サウナで人工的に汗をかくのは健康的でないような気もする。しかし、背に腹は替えられない。今日も少し除雪をしたが、機械があるので、これもほとんど運動にはならなかった。

魔法学校の校庭で闘う恐竜とマンモス。狸と狢が化けているのだ。 一日一汗は、今の私の一番大切なことだ。夏は、いとも簡単にクリアできたが、冬は意識的に何かをやらないと、これは難しい。とにかく、明日から何らかの形で汗をかきたいものだ。

(日記 午前中は孫の勉強相手と、自作童話を紙芝居にするための絵を描いた。午後は、少し機械で除雪作業。まだ機械の運転は十分ではない。その後も、絵を描く作業。子ども達は雪の中で遊んでいる。横浜には全く雪がないので珍しいのかもしれない。あっという間に、新年も数日が過ぎた。このままでは、何もしないうちに月日がどんどん過ぎていく。そうならないためにもと、絵だけは描くことにしている。)

「子どもは風の子」とはよく言ったものだ。雪の中で傘を差しながら寝そべっている。見ただけでも寒くなる。

 
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一日一歩

04 1月

何でもいいから少しは前へ
次女は今日から仕事。長男は明日からの仕事始めのために横浜へ(仕事場は東京)。私も、今日から何かをしなくっちゃと思ってパソコンの前へ座る。

先ずは自作童話の紙芝居化と絵本化だ。これは、国民文化祭のために書いた恐竜がらみの童話だ。これを紙芝居にして子どもたちの前で実演すること。これも今年野一つの目標だ。

そのために、基礎となる絵を描いた。いたずら狸の男の子とやさしい狐の女の子が災害に襲われた町で色々人助けをしながら成長していく童話だ。

20枚近くは絵を描かなければならないだろう。どう考えても1~2ヶ月はかかりそうだ。たとえ何ヶ月かかろうとも先ずは一歩を踏み出さなければならない。目標を定めたら先ずは着実に進むことしかない。

紙芝居や絵本作りに使う自作の童話はいくつかすでにできている。後は、絵を描けば紙芝居や絵本になるのだ。毎日少しは完成に向けて歩みたい。

また、昨年から「子育てマイスター」になったので、子育てを考えるためのヒントとなる話も紙芝居にしてみたい。教育がらみのことはやることがたくさんあり、その延長で東北地方を巡回できたらと思う。

今年は、「数学のホームページ」作りも進めたいし、やることはいっぱいある。大切なことは常に前へ進めるということだ。明治大学のラグビーではないが、「前へ」進めなければ全てのアイディアは画餅に帰することになる。

(日記 午前中、小一の孫の勉強相手。漢字と算数、そして、家内と一緒に歌を歌った。全部で1時間半の楽しい学習タイムだった。毎日少しずつ相手をしたい。午後は、紙芝居の絵を描く。第二回目の除雪機による除雪作業。長男と次女は帰京。)

 
 

知恵無限

03 1月

知恵無限+毎日パワー
 以前にも書いたと思うが、知恵やアイディアは頭から引き出すものだ。金もいらなければ道具も何も入らない。泉のようなものだ。大切なことは出そうとするかどうかだと思う。

 ただし、アイデアを出すためには、いろんなものに興味を持っていなければならないとは思う。インプットなくしてアウトプットだけを期待しても出てくるアイディアに限りがあるかもしれない。またインプットは学校の勉強だけでは十分ではないように思う。

 今日、こたつに入って息子と雑談していて私の方から提案したのだが、「毎日アイデアを出す」と決めた。アイディアが出たら息子と繋がっているパソコンにアップするのだ。もしかしたら何かに繋がるかもしれないからだ。

 毎日アイデアを出すというのは、アイデアを出す癖をつけるためだ。私は考えることが大好きだ。農作業などの単純作業中に、これまでは殆どラジオを聴いていた。おかげで前向きに生きるヒントをいくつも得ることができた。

 しかし、これからは、何かテーマを決めてアイディアを出すことにもチャレンジしたい。いつも手帳を持ち歩いて。そうでないと、せっかくのアイディアが思い出せなくなるからだ。

 本当は、いろんな人達がいろんな立場で「できない理由を考える」よりも「どうしたらできるようになるか」を毎日考えた方がよいと思う。いろんな職場でもっと考える癖を大事にしてほしいと思う。

 アイデアは頭の中に無限にあるのだ。それを「出そうとする」かどうかだ。出し続ければ出やすくなるように思う。 また、アイディアを出すというのは頭の体操になり、楽しいことであるように思う。

 いつか“まちの活性化”に繋がったり、“ビジネス”に繋がったり、“教育の改善”に繋がったり、……、するかもしれない。そうなれば、生活に張りが出るだろうと思う。

 無限にある知恵やアイディアを毎日考え出し続けること、これは「知恵無限+毎日パワー」で大きな生き甲斐につながり、何かの役に立つと私は信じている。今年は楽しみながら“考える”生活したいと思う。

バナナ型のソリの上で家族そろって一休み。

(日記 午前10時頃、長女と長男の子ども達とスキージャムへ出かけた。特に、長男家族はせっかく横浜から勝山へ来たのだから、雪に親しませてやりたいとスキージャムへやって来たのだ。青空も見える素晴らしい天気で、親子連れもかなり来ていた。ソリコーナーで動く歩道のようなリフトを使いながらソリ遊びを楽しんだ。小1の孫には短時間だけスキーを教えた。午後2時過ぎまでジャムで遊んで外食して帰宅。正月に珍しく気持ちの良い天気だった。)

横浜に住む孫にスキーを楽しんで貰いたいと練習に付き合うじいちゃん(私)。

ソリをする長男と子ども(孫)達。

 

帰りがけに家族で記念写真。

 
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毎日パワー

02 1月

継続する力
   これまでいろんなことにチャレンジしてきたが、中途半端になっていることが多い。今は、自分自身に「手を広げるな」と言い聞かせている。ますます中途半端になるからだ。

  一日は長いようで短い。そんな中で、たとえ5分でも10分でも続けられることを見つけてやってみたい。周囲の子ども達には「継続は力なり」と言うよりも、“毎日パワー”と言った方がわかりやすいと思ってこの言葉を使っている。

  年をとると、やりたいことがあって始めても「これは無理だ」と簡単にあきらめてしまうことが少なくない。そして、自分は出来ないと決めつけてしまうのだ。これでは自分自身に申し訳ない。

  今年は、夢とか希望とか目標とは別に、何か一つか二つ、“毎日続けられることを見つけて取り組んでみたい。健康に関することや趣味に関することがよいかもしれないと思っている。

  そんな中の一つにウインドシンセサイザーがある。買うまでは、欲しくて欲しくてたまらなかった。しかし、いざ手に入れてみると、途中で投げ出してしまった。静岡でのバンドで使いたいと思って購入し練習したが、パソコンの設定がうまくできないために、使うことが出来なかった。アドリブも練習したのに。

  そのうちに、楽器そのものも箱に入れたまま放置されている。ほぼ毎日続けていた“ラジオ体操・スクワット・腿(もも)上げ・腹筋”運動も、肋骨を強打してから滞りがちになっている。

  今年は、もう一度“毎日パワー”の効用を自ら実践して試したい。それと同時に子ども達にも伝えたい。なぜなら、子ども達には無限の時間があるのだから。

久々に顔を合わせた子ども達と孫達。こたつを囲んで歓談。

(日記 午前中、来客有り。雑談して過ごす。その後、箱根駅伝を見たりしてぶらぶら過ごす。午後2時頃私の3人の子どもの家族が全員集合。一緒に食事をする。孫同士も遊んでいる。普段は別々に暮らしているのに。)