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高齢化と雪

11 1月

雪と共に生きるには
先日、久々にプールへ行った際にサウナの中で旧知のHさんと会って話したことはこのブログにも書いた。その時、実はもう一人サウナの中にHさんの知人がいたのだ。

彼は、高校まで奥越で育ち、その後東京の大学へ出てそのまま東京で就職して生活していたらしい。数年前に、父親がなくなり実家の家を守るために帰って来たというのだ。

その彼が言うには、雪は耐えられないものだという。早い時期から屋根には油による融雪装置を付けているそうだが、家が大きいため1ジーズン20数万円油を使い、その上人夫を雇い雪かきをしなければならなそうだ。

彼にとっては、奥越地区は雪のせいで「最悪の場所」になっているという。奥越地区は住むには最悪の場所だと何度も繰り返していた。

家内と二人でこの話を聞いていたが、多少腹立たしくもあり、気の毒にも思った。私は、この地区は「住めば都」だと思っているからだ。

確かに、雪には苦労する。しかし、対処の仕方がないわけではない。私も地面の雪をあちこちへ動かすのは大変な年齢になったので、昨年、春のうちに除雪機を注文しておいた。除雪はずいぶん楽になった。

苦労するのは屋根の雪下ろしだ。昨春、雪下ろしのタイミングが多少遅れてもよいように大屋根の垂木を倍にした。単純に強度は倍になったことになる。

時間をかけてゆっくり雪下ろしをやればよい。通常は2回、大雪の時は3回、豪雪の時は4回雪下ろしをすればすむことだ。今年はまだ一度もしていないが、これから先どうなることやら。

都会に何十年も住んでいて、家を守らなければならない人には、我々が想像する以上に雪には苦労するのかもしれない。

そんな話の最中に、Hさんが話したことを思い出した。「最近、まちの中にも空き家が増えている。私の近所にも、4軒はある。」とのことだった。それも、新たにできた旭町でのことだ。田舎は言うまでもないかもしれない。

高齢者が二人で暮らしているうちはまだ我慢ができるかもしれないが、連れあいが亡くなると、家を守ることができずに、息子や娘の住む特会へ出ざるを得ないとのことだった。

狸のタン吉の化けたフクイ竜に乗って災害の町へ急げ!

(日記 午前中は、紙芝居の絵描き。その後、事務所の駐車場の除雪しようと思ったが、除雪機を運転して事務所まで行くのは時間的にも燃料的にもあまりよいことではない。そこで、軽トラックに積んで運ぶためのアルミブリッジを購入した。そして、軽トラックに除雪機を積んで事務所の除雪をした。午後も、紙芝居の絵描き。午後7時半より今年最初の「春駒太鼓」練習。創作曲や左義長囃子を練習した。当面の目標は鹿谷雪祭りの出演だ。)

 
 

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