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Archive for 12月, 2010

さよなら2010年

31 12月

今年は何をしたのだろうか?
  2010年の3月までは、役所勤め。教員36年、市教委9年合計45年の教育関係の仕事から退いた。青年団活動や地域の活動など常に本職と共に、併走していたように思う。

  そして、4月1日からは、すべての時間が自分に返ってきた。退職前から決めていたこと、それは「地域のため」、「家族のため」、「自分のため」に時間を使うことだった。

  時間は十分あるだろうと思っていたが、まだまだ足りないと思った。あれもしたい、これもしたい、あれもしておかなければ、これもしておかなければと思っているうちに時間ばかりがどんどん経過していった。

  いろんな人から、「暇になったでしょう」と聞かれることが多かったが、暇な時間はほとんどなかった。一日が50時間会ってもよいと思うぐらいだ。

九州・四国旅行。高知桂浜にある坂本龍馬像の前で家内と写真を撮った。

  しかし、忙しくしているのは自分であって、いつでも、自由な時間を作ることができるのは退職者の特権である。

  この間、東京や横浜へは2回、九州・四国へ11日間かけて当てのない旅をすることができた。龍馬にふれる旅でもあった。温泉へも行くことができた。

『平成夢追い道中』のジャケット

  4月以後、何をしただろうか。歌は、3曲しかできなかった。自分の村の民謡『片瀬豊年ばやし』を作り、銭太鼓の振り付けを考え、女踊りの振り付けも考えた。

http://song.inakamon.net/s_yume.html
 ※ 『平成夢追い動中』が聴けます。

  おかげで、あちこち出番が増えた。村の行事、町の行事、市の行事、そして、来る1月8日には福井でこの銭太鼓を披露することになっている。

  次に、美山の歌好きな人と出会って作った『平成夢追い道中』。股旅演歌のつもりで作った。また、鹿谷町矢戸口のTさんから依頼された『矢戸口ええとこ音頭(作詞はTさん)』。村の祭りで区民が踊ったということだった。

  もっともっと歌を作りたいと思うが時間が足りない。演歌作りのために、三味線の先生から『津軽じょんから節』の個人レッスンを受けた。

  なかなか難しく、まだまだであるが、津軽民謡の素晴らしさにふれることはできた。この成果を津軽演歌作りに結びつけたいと思う。

  童話は一つだけ書くことができた。もっともっと書きたいと思う。書きさしの小説も完成させなければならない。それには時間が足りない。

 退職して私が思うことは、日頃の生活の中心となるものがあると生活のリズムが一定になるのではないかと思うことだ。 私は、数学の教員だったので、やはり、数学だ。

  今年、一番力を入れたことは、数学のホームページ作りであった。これは、自分にとっては本当に楽しかった。誰かの役に立つかどうかはわからないが、まだまだ一部分しかできていないが、これからも、毎日作る続けたいと思う。

  人に頼まれて続けているものに、『和太鼓』の指導(北部中学校の「選択音楽」と外国人女性に指導)と『オカリナ教室』がある。私は、よほどでない限り頼まれたことは引き受けることにしている。

  二つとも頼まれての指導だ。頼まれるうちが花かもしれない。自らやってみたいこととしては、原点に返って小学生の和太鼓チームを作れたらと思う。

   家庭菜園は、楽しみながら収穫物があり、気分転換にもなる最高のものだ。種から芽が出て、病気や害虫と戦いながら、成長していくのだ。成長の楽しみは野菜も同じだ。

  今年できなかったことは、2011年にやればいい。新年も、慌てず、とどまらず、一歩ずつ着実に自分の定めて夢に向かって歩みたい。

(日記:午前中は、私の役目である仏壇や神棚、床の間、玄関などの飾り付けをおこなった。午後、少しだけ、数学のホームページ作りに事務所へ行く。帰宅して風呂に入り、毎年、仏壇の前で先祖に感謝し、恒例のお経を読んだ。夕食はすき焼き。50年以上は欠かさずに続けているメニューだ。そして、家族みんなで紅白歌合戦を見ながら、飲んだり食べたり。この後、村の神社へ参り、村の道場で区民がお経を上げることになっている。そして、神明神社、越前大仏へ初詣に行く予定。)

 
 

年末恒例行事

30 12月
家族みんなで餅つき
  年末恒例の行事に餅つきがある。我が家は例年12月30日と決めている。今は、餅つきがあるが、以前にはこんな器械はなかった。

  

家族そろって丸餅作り。私以外の者は丸め役。

 

  15歳の時に、父親が亡くなったために、その後は常に私が餅をついてきた。ペッタンペッタンと搗いたら餅米が飛び跳ねるために、最初はある程度粘りが出るまで小搗きをしなければならない。  

  小搗きは、特に面倒な作業だった。お鏡さん、雑煮持ち、何色ものかき餅、こん餅(小米餅)7,エビや豆などの入ったのし餅などいろんな餅を搗いた。  

  これらは一人でつくのは重労働であった。作業が終わると、手が震えてしばらくは字を書くこともできなかった。最近は、餅つき器でついている。  

  しかし、手で搗いた餅とは、微妙に違う。餅の組織が違うのだろう。それでも、 私は餅が大好きなので機会あるごとに餅を食べる。一年中、餅を食べたいくらいだ。特に、甘い餅よりも雑煮が大好きだ。 

餅つきの合間に食卓でソバ打ち。身体が熱くなった。

 

  私は餅が大好きなので、冷凍しておいて、時季外れに雑煮を食べることもある。米寿の餅も雑煮にしてしまうくらいの餅好きだ。  

  今日は、我々夫婦の他に、息子の嫁とその子供(ふたりの孫)、末娘の6人でもちつき作業を行った。器械による餅つき作業は一回に1時間あまりかかる。  

  そこで、私は、作業の途中にソバ打ちを始めた。ソバ打ちの経験はこれまで、2度ほどしかない。マニュアル通りにソバ打ちを行った。  

  餅つき作業の最後に、餅を食べた。おろし餅、あべかわ、あずき取りにして、昼食代わりにした。餅を作ると、いよいよ正月だなあと思う。毎年元気で正月を迎えたいものだ。  

 

「おろし餅」「黄な粉どり」「あずきどり」にして餅を食べた。白菜と大根を添えて昼食とした。

 

  夕食は、手打ちソバを食べた。まだ改善の余地はあるが、おろしソバ、とろろソバ、天ぷらソバにして食べた。次回はもう少し上手にソバ打ちができそうだ。  

(日記:午前中、書き残した年賀状を書く。その後、持ちつき作業。今年は「かきもち」も作ることにした。餅を食べる楽しみが一つ増えた。餅つきの合間にソバを打った。その後仏壇の掃除を行った。夕食にソバを食べた。)

 
 

坂本龍馬とリーダー論

29 12月

日本人が坂本龍馬にひかれる理由
  昨日は人間の大きさとかリーダーについて書いた。今朝起きて、朝食の後、少しテレビを見ていたが、面白い番組がないので家内が録ってくれた『ミヤネ屋』の坂本龍馬特集のビデオを見ていた。

  昨日の私の書いたブログとそっくりな部分が出てきて驚いた。(以下テレビから)

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『龍馬の名言』
 1. 「世の人は われをなにとも ゆわばいへ わがなすことは われのみぞしる」
 2. 「ことは十中八九まで自らこれを行い、残り一、二を他に譲りて功をなさしむべし」
 3. 「俺は議論をしない。もし議論に勝ったにせよ相手の名誉を奪うだけだ。」
 4. 「達人の見る目は大したものだとか、なおエヘンエヘン(お姉さんに送った手紙から)」
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  人間が大きくなければできないことではないだろうか。上記の逆の人間のなんと多いことか。特に、2などはよほどの人間でなければできないことではないのか。

  この坂本龍馬特集の最後で臨床心理士の八幡洋氏が、『日本人が坂本龍馬にひかれる理由』を述べていた。同氏の発言は次の通りであった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「坂本龍馬は弱い男ぜよ」
  ・自分に自信を持ちきれない。
  ・オレは一番だみたいなふんぞり方をしない。
  ・
いざとなったら無名のパシリでも結構、長州・薩摩のつなぎ役でも結構だと思っていた。
  ・周りの人の気持ち、なるべく対立がないようにしようという細やかさを持っていた。

  よく言われる坂本龍馬の先見の明
  「
自信のある人」
   ・自分のやっていることが一番正しいと考える。
   ・人の良さを認めない。
  「龍馬の場合」
   ・ある程度、自分に自信の無さがあるので人の良さがすぐに分かってしまう。
   ・自分より優れたものがあると思えば、昨日まで敵対視していた勝海舟からでも学べるものはすぐに学ぼうとする。
   ・龍馬が自信の無さを持っていたからこそ、先見の明を持ち、状況に柔軟に対応できた。

 「弱いリーダーのいいトコどり」
  ・自分が一番とは思っていないからこそ人の良さを素直に認めて、すぐにそれに学ぼうとする『先取の気質』を持って
     いた。
  ・
人間関係、人を大事にするところからくる人と人を結びつける『ネットワーク力』をもっていた。

   弱いリーダーだからこそ持ちうる資質を坂本龍馬は持っていた。

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   これは八幡氏の意見であって、同調できるところもあればそうでない部分もある。人間が弱いから他人の意見に耳を傾けることができたのか、人間が大きいからそうできたのか。私は後者のほうをとりたい。

  ある程度自分に自信があれば、見栄を張ったり、格好をつける必要がないと思う。今晩と明晩、『龍馬伝』の総集編がある。早速、ビデオをセットした。

(日記:午前中、数学のホームページ作り。途中では医者へ行く。午後は洗車。4時頃から孫たちと正月の買出しに行く。夕食後、再び、事務所へ行き、数学のホームページ作り。途中で作業を中止して、孫と風呂へ入るために帰宅。今は、孫との風呂の方を優先したい。こんな時期はあっという間に過ぎてしますのだから。)

 
 

キャパシティー

28 12月

人間の大きさ
  人間の大きさを何で測ることができるだろうか?私は思う。それは、相手を受け入れる度量の大きさではないだろうか。自分の持っていないものを誰からでも学ぼうとする謙虚さではないだろうか。

  ところが、政治家も含めて多くの人間は、相手を受け入れることが苦手のようだ。相手から、何かを吸収するのは苦手のようだ。特に、身近な人からのアドバイスはなかなか受け入れられないようだ。

  人は、他人のすばらしさを素直に認めることができるだろうか。同僚や、ライバルの意見を素直に認めることができるだろうか。他党のよいアイディアを認め、実行することができるだろうか。

  「自分が……、自分が……」と思っているうちは、できないだろう。リーダーと言われる人の人間の大きさは、部下を含めて自分以外の人間の意見を認め、それを実行できるかどうかで推し量ることができるように思われる。

  他者の意見に耳を傾け、そこから学び取ろうとする謙虚な態度を持つのは簡単なようで簡単ではない。これは、よほど人間ができていないとできないことだからだ。

  自分の考えより優れた意見やアイディアを取り入れ、それを実行することによって現状をよりよくすることは一見当然のように思うが、これは、かなりハードルの高いことだ。

  多くのことを「自分がやった」と自慢する人はこれまで数多く見てきた。相手の意見を非難することも多く見てきた。しかし、自分の非を認め、他者を賞賛することのできる人は少ない。

  結局、凝り固まった自分の意見しか信ずることができないリーダーはあまりにも多い。そして、肝心なところでは、他者に責任をなすりつけるようなリーダーは多い。最近のニュースや国会答弁を聞いているとつくづくそう思う。

 よいものをよいと素直に認めることのできる度量の大きさを持ちたいと思う。他者の良さを求め、これを賞賛できる人間になりたい。これは簡単ではない。もっと、もって謙虚になり、他者から学ぶことを忘れないでいたいと思う。

『数学ホームページ』に登場するこれまでのキャラクター(左3人)に加えて新たなキャラクター(右二人)を作成。

(日記:終日、事務所で数学のホームページづくり。今日から新しい部分を作り始めた。高校生のキャラクターを二人増やした。これだけでも結構時間がかかった。特に、絵が小さく、ピクセル数が少ないので、少しのことでも表情が変わり難しかった。夜は、孫達と夕食、.食卓が急に賑やかになった。末娘も帰省して我が家は急に賑やかになった。)

 
 

お帰り!!

27 12月

孫達の帰省
  昨年10月に、息子の東京就職と共に、孫達も、横浜へ引っ越してしまった。今年も、夏休みには、1ヶ月ほど勝山で過ごしたが、横浜へ戻っていった。途中の期間は、ウェブカムでのテレビ電話があるのみだった。

「お帰り-!」改札口を出たところで孫達と再会(家内は長靴を持って行った)。

  今日は、二人の孫と息子の嫁の3人が勝山へ帰ってくる日だ。私たち夫婦は、福井へ迎えに行くことになった。12時2分、白鷺で福井到着。我々は、長靴を持って福井駅まで迎えに行った。

  福井へ向かう途中は、雪のため、かなりの渋滞だったが、12時頃福井駅へ着いた。久々の再会。昼食時だったので、帰りに外食。そして、雪の勝山へ到着した。福井と永平寺辺りでは雪の量が違う。

  勝山へ入るとまた雪の量が違う。横浜では全く雪が降らないという。と言うよりも、日本海側で雪が降っているのに、太平洋側で葉快晴の時が少なくない。

雪の我が家。いよいよ本格的な冬の到来。

孫達は雪の勝山をどう思うのだろうか
  孫達の目には、雪の勝山はどのように映っているのだろうか。
  また、若者達は、雪の降らない太平洋側、あるいは南国がよいのか。それとも、雪深い北陸がよいというのだろうか。

  それは、子供時代に雪に親しんだかどうかで決まるのではないだろうか。インドアスポーツやグランドでのスポーツに取り組む子供は多いが、やはり、それぞれの土地の良さを生かした取り組みをさせな蹴ればならないのではないか。

  昔は、どの子も、春には春の、夏には夏の、秋には秋の、冬には冬の遊びに夢中になったものだ。今の子はどうであろうか。年がら年中一つのスポーツに打ち込んでいたり、年がら年中一つの文化的な活動に取り組んでいたり、年がら年中ゲームに夢中になっている子供が増えているのではないか。

  これでは、地域への愛着心は育たないだろうなと思う。自然を舞台に遊ぶことの少なくなった子供達の多くは、きっと雪は邪魔なものと感じているのではないだろうか。そんなことを考えながら、雪の量がどんどん多くなる勝山へ向かって車を運転した。

  孫達には、冬には、雪を楽しませてやりたいと思う。雪に親しみを持たせてやりたいと思う。夏には、河原へ連れて行って水遊びをさせたように。勝山をふるさとと思うように。

今年最後の『片瀬豊年ばやし』の練習。9月以降、かなり練習したのではないだろうか。

(日記:自宅を10時に出て、用事をしながら福井駅へ孫達を迎えに行く。午後は年賀状書きの続き。事務所の除雪。夜は、今年最後の『片瀬豊年ばやし』の練習。)

 
 

除雪もまた楽

26 12月

除雪も運動だと思えば
  いよいよ本格的な冬が到来。朝飯前に、先ずは自宅の車の出し入れがスムースにいくように、除雪をした。これまでなら、除雪は面倒なものと思っていたが、今は、運動だと思って、取り組んでいる。

  朝食後、事務所へ出かけた。車の出入り口が、除雪車のかき分けた雪でふさがれている。最初に、スノッパーとスコップで、雪を排水溝に投げ込む。排水溝が、すぐにいっぱいになってしばらくは雪を投げ込めない。

  その間、川に水中ポンプを仕掛けて、駐車場に水をくみ上げた。約1時間かかった。水中ポンプで川の水を流しておけば、雪は自然に解ける。このポンプは電気を入れている間は、作動するポンプだ。電気を入れっぱなしにすると、モーターが焼ける心配がある。

雪が降って汚れた地面が見えないために、清々しく感ずる事務所前の駐車場。

 事務所で作業をしながら、時々外へ出て、排水溝に雪を投げ込む。しばらくすると雪が解けて雪を投げ込むことができる。この繰り返しだった。道路から車が自由に入れるようになった。

 午後は、自宅の井戸に仕掛けてある水中ポンプの電気を入れるためのスイッチ(ポンプを作動させる元のスイッチ)をつける作業をした。これまでは、雪が降ると、コンセントにモーターの電源を差し込んでいた。

 これからは、電源を差し込む代わりに、スイッチをポンと押せばよい。自宅の水中ポンプは、雪が降ったり、雪が路面にある間は電気を入れっぱなしにしておくことができるのである。 ポンプから勢いよく水が出るために雪はよく解けるが、井戸の水がしばらくするとなくなるので、ポンプは自動で止まるようになっている。

  井戸に水がたまるとまた自動でポンプが動くのである。この繰り返しで、道路と駐車場の雪はいつも解けるという具合である。雪が降らないときには、モーターのスイッチを押して電気を止めれば、モーターは一切作動しないのだ。

  今の水中ポンプは三台目である。約三年で壊れてしまうのである。常時井戸の中に浸かっているためであろう。それでも、我が家の車の生命線であるために、不可欠なものだ。

  ものは考えようで、「除雪も運動だと思えば、また楽し」である。現役で時間のなかった頃には、やっかいな仕事だと思っていたが、今は汗をかくことは快感である。

(日記:午前中、ホームページ作りと水中ポンプ設定。自宅と事務所の二カ所だ。その後、年賀状の宛名書き。これは、毎年ながら大変な仕事だ。真夜中までかかった。)

 
 

子供達の笑顔に勇気をもらって

25 12月
 

子供達にバルーンで作った『刀』をプレゼントするオカリナ隊のメンバー

『わくわくBOX』にオカリナ隊が出演

  私たち夫婦は、オカリナ隊として、この集いで、「聖夜」「赤鼻のトナカイ」「さんぽ」「ジングルベル」の4曲を演奏することになっていたる。

  今日は、勝山市立図書館で行われる『冬の子どものつどい-わくわくBOX-』に出演する日だ。

  今日のこの集いは、手品、バルーン、イントロクイズ、紙芝居、そして、オカリナ演奏があり、最後にプレゼントがあるのだ。私は、トナカイの衣装を着るよう求められた。

  ぶっつけ本番でギターを使って紙芝居に音楽を入れ、挿入歌にメロディーをつけた。寸劇的な部分にも求められるまま参加した。オカリナの演奏時には子供達も歌ってくれたので、気持ちよく演奏することができた。

オカリナ隊のメンバー。私は、トナカイの着ぐるみで参加。

  会が終了した後、オカリナ隊のメンバーと8番ラーメンンへ出かけた。オカリナを通して、普段なら絶対に話をしない人たちと談笑するのもまた楽しい。

  今日もまた“音楽の楽しさ”を実感した一日だった。いろんな人たちと音楽の楽しさを分かち合いたい。昨日、偶然テレビでハンドベルを見かけたが、本格的な楽器で演奏してみたいものだ。

(日記:午前中、図書館で行われた『わくわBOX』に出演。午後は年賀状の印刷。いよいよ住所印刷という段になって新しいパソコンにソフトが入っていないため、これまで作った住所録が全く使えない。何とかしなければ……。本当にパソコンというやつは……。)

 
 

もう一ひねり

24 12月

久々の銭太鼓練習
  9月に作った新しい郷土芸能、片瀬の銭太鼓『片瀬豊年ばやし』が1月8日にホテルフジタ福井で行われる『(社)明日の福井県を創る協会・2011事始めの会』に出演することになった。

  他県の郷土芸能『安木節』を我が村に伝えてから100年近くが経っている。これらを村のオリジナルにするために新しくした。そのため、新しい地域の郷土芸能としては、まだ3ヶ月あまりしか経っていない。

猪野瀬公民館祭で銭太鼓『片瀬豊年ばやし』を披露する片瀬区有志の皆さん

  今日は久しぶりに練習があった。この銭太鼓のおかげで普段なら会わないであろう人たちと練習のために顔を合わせ、練習後にはお茶を飲み、歓談することができることは喜ばしいことだ。20歳代から60最代までが一つのことをしているのだ。

  同じ地域に生活しながら、車社会のおかげで挨拶を交わすこともなく、毎日を過ごしている。1年に1度か2度の地域の行事の時しか顔を合わせない人もかなりいる。高齢化してこうした行事に出席しない人とはほとんど顔を合わせることがない。

  さて、この『片瀬豊年ばやし』だが、もう一ひねりすることが必要だと思っている。技術的な部分だけではなく、ユーモアが必要だと思っている。以前の銭太鼓には、ドジョウすくいがセットになっていたからだ。

  昔の農作業をユーモアたっぷりに表現できたらと思っている。人力や牛馬による田作り、人力による田植え、除草、稲刈り、はさによる乾燥、脱穀、籾乾し、臼すりなどの作業があった。

  ドジョウすくいに負けないユーモラスな踊りを加えられたらと思う。また、餅つきの実演も加えられたらと思う。2~3年後には、立派な郷土芸能にできたらと思う。

 いずれにしても、後、一ひねりはほしい。

(日記:午前中は数学のホームページづくり。遅々として進まず。テキストを読む時間が多かった。午後は年賀状の図案を考えた。夕方、新しいパソコンのディスプレイが来た。いろんな設定をしてもらった。午後7時過ぎから『片瀬豊年ばやし』の練習。その後、12時近くまでY君(息子の友達)に、パソコンを調整してもらい、新しいソフトの使い方を習った。)

 
 

追い込み

23 12月

前途洋々
  毎日、5~6時間取り組んできた「数学のホームページ作り」が、一部公開までもう少しとなった。しかし、最後に思うようにレイアウトができなくて悩んでいる。

  どうしても思うようなホームページにならない。DVDを見ながらあれこれ試すが、マニュアル通りにはならない。マニュアルに書かれていないことが多すぎる。

 もしも、第三者に頼むとなったら大変なことになるだろう。作りながら考えるので業者には相手にしてもらえないだろう。自分でやらなければ思うようにならないと思う。そう思って、産業支援センターで講座にも参加してきた。

 私には、数学のホームページ作りのために、「数学的な知識」と「ホームページを作る力」の二つが求められている。特に、ホームページ作りについては全くの素人であるので、非常に苦労している。

  今日は、DVDを見ながら、終日、ホームページの作り方を学んだが、もっと若いときに、やっておけばよかったとつくづく思う。これからまだまだ、技術は進歩するだろう。

  いろんなソフトが出てくるだろうと思う。しかし、それらを使いこなすことは至難の業だ。いくつかの作業に的を絞って取り組まないと技術の進歩についていけないと思う。

  私の夢は、「ホームページを自由に作れる技術を身につけること」(まだ簡単なものしかできない。)
        「音楽ソフトを自由に使いこなせるようになること(CD制作も)」(自分のやりたいことはまあまあできる……。)
        「自由に絵を描くこと(アニメも)」(静止画は何とかかけるがアニメは全くできない。)
        「動画編集ができること」(少ししかできない。)
   この4つの技術を使っで情報発信をしたい。そして、創作活動の道具としたい。

 今日は、四苦八苦しながら、基本にかえってホームページの作り方を学んだ一日だった。目に見えた進歩はほとんどなかった。

「ハッピーバースデー!!」 家内の誕生日に福井からやってきた長女と孫(次男)。

(日記:午前、午後とも数学のホームページを作るための勉強。前途多難である。何とか、今週中には一部公開にこぎつけたい。今日は家内の誕生日だった。昨日、一日早く、ケーキを食べた。)

 
 

断捨離パート2

22 12月

心を鬼にしなければ
  私は、毎日ラジオを聞きながら、数学のホームぺージ作りを行っている。最近は、年末の大掃除などが話題になっている。何もない部屋はさぞかし気持ちがいいだろうなと思う。

  私は、これまで整理に関する本を何冊も買ったが、なかなか思うようにはいかない。それは、心のどこかで「いつかどこかで何かの役に立つのでは」と思う気持ちを捨てきれないからだ。

  実際、何年も使わないものがたくさんある。オーダーで作りながら一度も着たことのない背広まである。買って包装したままの道具まである。

 また、これまで、いろんな資料を集めてきた。しかし、いざ退職してみると、そんなにあれこれできるものではないということがわかりかけてきた。

  自分自身を説得して、これから先何をするのか、何を優先したいのかを考えてみると、そんなにあれこれできるものではないということがわかる。そうなると、その方面の資料は不要になる。

  それに、無理に資料を集めなくても、インターネットで収集できるものもある。そう自分に言い聞かせて心を鬼にしながら、整理を始めている。

 

  写真にしても、デジカメ時代になって、ずいぶんたくさんの写真を撮った。それらが十分整理されないまま、パソコンの中に眠っている。目に見えるモノも多いけれど、デジタルデータになっているモノもかなりある。

  春までには、今持っているものの半分は処分したいと思う。とはいうものの、まだまだ使えるモノを捨てるには相当勇気がいる。まだまだ着られる衣類、まだまだ使える道具類、まだまだ使える種々の品々……。

パソコンの隣で私を励まし続けてくれる坂本龍馬像。パソコン画面は、制作中の数学のホームページ(事務所=山児童館)。

  女性の場合には、フリーマーケットがあるだろうし、ネットオークションもある。我が家の娘達も、サンドームでのフリーマーケットに出店したり、ネットで不要品を売っているようだが、我々の年代になるとそうはいかない。

  一方では、種々の品物が有り余っていながら、一方ではあれがほしい、これがほしいという自分がいる。「断捨離」は今の私に突きつけられた大きな課題である。

(日記:午前中、数学のホームページづくり。11時過ぎに歯医者へ。午後は整理整頓。午後4時より『津軽じょんから節(津軽三味線)』の「個人レッスン。夕食後も、事務所へ出かけて2時間ホームページづくり。夜、家内のバースデーのケーキを食べる。お互いに誕生日をあまり喜べない歳になってきた。)