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Archive for 12月, 2010

自宅のパソコン入れ替え

21 12月

パソコンも消耗品
  今春退職と同時に、事務所のパソコンとノートパソコンを新しくした。自宅には、5年以上使っていた愛用のパソコンが2台あったが、秋口から故障で動かなくなった。

  しかたなしに、もう1台の古いパソコンを使うことにした。しかし、このパソコンは、どういうわけか寒さに弱いらしく、朝スイッチを入れても動作しない。 ストーブをつけて部屋を暖めていると、夕方にようやく動き出すという調子だった。いったん動き出すと普通に使えたが、これでは話にならない。

  ところがこのパソコンも、音楽ソフトを使うときには不具合が出てきた。私のパソコンから音楽をとったらただの計算機になってしまう。

私の机で新しいパソコンにソフトをインストールするY君。彼のおかげで私はパソコンを使うことができる。感謝感激だ。

  修理するには数万円がかかるという。「新しいパソコンを買ったら」と言う妻の一声で息子の友達のY君に新しいデスクトップパソコンを注文したのは先週の初めだった。

  今日、そのデスクトップパソコンをY君が持ってきてくれた。本体は以前のモノよりは一回り小さくなったが、性能はぐーんと向上した。

  早速、私が使いそうなソフトをインストールしてもらった。音楽関係、映像編集関係、文章関係、描画関係、印刷関係等様々なソフトをインストイールしてもらった。

   これまで一番困っていた音楽ソフトが、午後10頃、正常に作動した。これで、また、作った楽曲をCDに焼くまでの作業ができるようになった。

  和太鼓の練習やオカリナの練習では伴奏用のカラオケが必要だが、ここ10日ほどは満足にできなかった。新しいパソコンとY君のおかげで音楽環境が復活した。  

  創作のための機器やソフトがようやくそろった。後は、自分のやる気だけだ。最近、パソコンの音楽関係の部分の調子が悪かったが、これでようやく元の状態に戻った。ありがたいことだ。

(日記:午前中、数学のホームページ作り。午後、部屋の整理と掃除。夕方新しいパソコンが入った。種々のソフトをインストールしてもらう。スイッチを入れてから7、8時間しなければ立ち上がらなかった自宅のパソコンが自由に使えるようになった。とてもうれしい。)

 
 

漬け物がなければ食事にあらず

20 12月

漬け物の仕込み
  私は漬け物好きだ。漬け物がなければご飯を食べた気がしないタイプの人間だ。年がら年中三度の食事に何か漬け物を準備してもらっている。と言っても、家内がそうしてくれているだけだが。

  今の季節なら、白菜漬け、酢大根、カブの浅漬け、ベッタラズケ、お葉漬けなどのいずれかが食卓に出てくるので、食事が楽しみである。

  今日の午後は、家内は大根の糀漬けを作り、私は、保存用の白菜漬けと野沢菜の漬け物を作る手伝いをした。

冬期保存用の漬け物を作るために野沢菜を洗う私。

  秋に、種を蒔いておいた大根、カブ、野沢菜、春菊などが次から次へと生長し、野菜を買うことは少なかった。これらが、漬け物の材料となっている。

  すでに、保存用の漬け物としては、きゅうちゃん漬け、奈良漬け、梅干しとその中に入れた紅ショウガ、ショウガの味噌漬けなどがあり、季節の漬け物がないときにはこれらのいずれかを出してもらうことにしている。

  気をつけなければならないのは漬け物の塩分だ。そこで、塩分は控えめにしてもらっている。幸い私は血圧は今のところ正常なのでありがたいが油断はできない。

  そして、ほとんどの漬け物には七味をかけて食べている。白ご飯にピリリと辛い漬け物、これさえあれば私は満足だ。そろそろ漬け物の量だけでもセーブしなければならないと思っている。

(日記:午前中、数学のホームページづくり。午後は、家内の指示に従って漬け物づくり。退職して初めての漬け物作りだ。その後ホームページ作りの作業を継続。午後7時半より、オカリナ教室。25日の図書館でのクリスマスのための練習をした。短期間にしてはかなり上達している。)

 
 

オカリナで初の『ミニコンサート』

19 12月

村岡町の「わいわいクリスマス2010」
  11月の第2週から始めたオカリナ教室の発の出番が今日あった。「まちづくり村岡の会」の主催で行われた「わいわいクリスマス」に出演したのだ。

村岡公民館のイルミネーションの前でオカリナのミニコンサート(右端は私)。

  オカリナは素朴な楽器だ。その素朴な楽器で全員がただ同じメロディーを奏でているだけでは単調過ぎて楽しくないだろう。そう考えて、できたら少しでも多くハモりたい。

  そこで、今日本番だというのに、午後になって楽譜を書き始めた。書き始めたというよりも、編曲を始めた。私は、音楽の専門家ではないので、ハモるといっても単純なアイディアしか浮かばない。

  一曲すべてハモらないにしても、サビの部分だけでもハモりたいと思って楽譜を手書きで始めた。パソコンが作動しないからだ。だいぶん劣化したのだろう。朝からスイッチを入れておいたら午後3時半頃ようやくパソコンが起動したので、パソコンで書き続けた。

  書いた楽譜を持って午後5時少し前に村岡公民館へ向かった。楽譜をコピーしてみんなで練習を始めた。そして、午後6時半頃からミニコンサートを開始した。

  別に私はオカリナを上手に吹けるわけではない。楽譜を準備したり、練習環境を整えているだけだ。単調にならないように、これからも楽しいオカリナ教室が続けていければと思っている。

  それにしても、こんな寒い時期にイベントを行う村岡の皆さんには感心している。焼きおにぎりや豚汁、甘酒などが無料で振る舞われた。演奏した後、焼きおにぎりや豚汁をいただいた。

  寒いの中での出番ではあったが、たき火と暖かい豚汁と村岡町の皆さんの温かい心に触れた一日だった。こうした出番を作ってくれた皆さんに感謝したい。また、新しい仲間ができたと思っている。感謝感謝の一日だった。

女性オカリナ隊と私(村岡公民館前で)。

(日記:午前中、数学のホームページづくり。午後、精米。娘の車のスノータイヤ交換。タイヤを洗って所定の場所に格納。その後、オカリナの編曲作業。午後5時頃村岡公民館へ。「わいわいクリスマス」でオカリナのミニコンサート。)

 
 

断捨離

18 12月

捨てられない世代
  私は、モノのなかった時代に育ったために、モノを捨てるのが苦手だ。私の母親もよく似た性格だった。端布から包装紙まで何でも大切に保存していた。そして、それらをうまく利用していた。

  着物なども、一度糸を外して布きれに分解し、糊をして張り板に貼って再生させていた。私はこうした親の姿を見て育ったせいか、モノを見るといつか何かに使えるのではないかと思ってしまう性格だ。

  それに、好奇心があるために、何でもやってみたくなる性格だ。そのために、ハウツー(HOW TO)ものの本はたくさん買った。また、古くなった雑誌などもそのままではかさばるので、切り抜いて保管している。

  ざっと、順不同で思い出してみると、水墨画の描き方、仏像彫刻、作詞、作曲、水彩画の描き方、庭園の作り方、ログハウスの作り方、観光地の案内本、地図、数学関係のエッセイや参考書、健康関係の書籍各種、英会話、まちづくり、……、政治、起業、あげたらきりがない。

 これらに関するたくさんの資料や切り抜き、各種のビデオ、またはビデオを焼いたDVD、こうした視聴覚関係の資料も少なくない。自ら作った音楽のCDやDVDもたくさんある。

  写真もたくさんある。学校時代のモノから家族のモノまでたくさんあり、アルバムもたくさんある。ビデオテープもある。これからは、ハードディスクやパソコンに映像を保存することになるだろう。

  音楽関係の本だけでもたくさんある。弾けなくても、バンドの参考になるだろう、編曲の足しになるだろうと思って集めている。楽器もギターが数本、アコーデオン、ウクレレ、ピアノ、……オカリナ、娘が使っていたピアノやキーボードもある。

  和太鼓は、十数個はあるだろう。付属の篠笛や三味線、鉦、……とあげたらきりがない。

  そして、捨てられない衣服。退職したら着るモノが全く替わってしまった。背広やカッターシャツはたくさんあっても使えない。収納が大変だ。健康器具も思い出してみるとずいぶん買った。

 これらを捨てられたらどんなに気持ちがいいだろう。そうは思うがなかなか捨てられない。 何もない部屋ってどんなに気持ちがよいかと思ってしまう。

 日ごろからきちんと整理していればいいのだがそうもいかない。

 断捨離(だんしゃり)!この言葉を聞いたときどきっとした。

 年末に向けて実行しなければと、今日は集めておいた市報を思い切って捨てた。雑誌もかなり捨てた。まだまだ捨てきれない。毎日、断捨離を実行だ。

  モノに対する執着心を捨てたら、っころに余裕が出てくるだろう。断捨離は今ブームになっている。『断捨離』関係の本も各種出ているようだ。モノを少なくする生活、モノを追いかける生活からそろそろ離れたい。今日から、大晦日まで断捨離を実行だ。

(インターネットによれば)
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断捨離とは、

 断=入ってくる要らないモノを断つ
 捨=家にはびこるガラクタを捨てる
 離=モノへの執着から離れる

 そうじをしたり、モノを捨てたりすると、なぜか心も軽くなる、というのは誰もが経験していることです。「断捨離」とは、皆が漠然としている「そうじ」や「片づけ」を再定義し、自分の「内在智」(心や体を快方向に導くセンサー)を磨くための行動へと落とし込んだ手法です。

断捨離(だんしゃり)キーワード

  • モノは使ってこそ生かされます
  • モノを絞り込むと収納術は「まったく」いりません
  • あると便利かなと思うものは実はなくても困らないんです
  • 視点をモノから自分へ移し、自分にとって真に大切なものを見つけていきましょう
  • モノとの関わりが変わると人生のあちこちに予期せぬ素晴らしいことが起こり始めます
  • 不要なものがなくなると気の流れがよくなり運気がUPします♪」

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    (以上インターネットより)

(日記:午前中、数学のホームページづくり。午後、断捨離実行!午後5時頃から10時半まで明日のオカリナ発表のために編曲作業。パソコンが思うように動かないので、四苦八苦。明後日には、自宅にも新しいデスクトップパソコンが入る予定。今のパソコンは、朝スイッチを入れると使えるのはその日の夕方。音楽はデスクトップパソコンと決めている。)

 
 

素人と玄人

17 12月

プロとアマの違い
  本来プロであるべき者が全く素人のようであったり、素人でありながらプロのように優れている人など世の中は様々である。

  そんな中で、教員はどうであろうか。プロと言われる者は非常に少ないように思う。大学4年間でプロの教師になるというのは無理なことである。

  そこで、そうしたことを自覚し、研鑽に励めばいつかはプロに近づくであろう。児童・生徒に学ぶことを教える者は自ら生涯学び続けなければならないと思う。

  そうすれば、技量は未熟でも、その背中で、学ぶことの大切さを子供達に教えることができるからである。

  教師は、教科を通して様々な力を教える仕事である。算数や数学を教えるだけではなく、算数や数学を通して生きる力を教えるのである。算数や数学で教えるのである。

  政治家はどうであろうか。大臣になった人たちは、担当する部署の知識をどれだけ持ち合わせているのだろうか。昨今の政治家の様々な言動を見聞きすると、とてもプロであるとは思えない。

  短期間で、次から次へと担当部署を渡り歩く政治家に、この国の舵取りはできるのであろうか。前法務大臣の発言はとてもこの国の舵取りを任せられないような稚拙なものであった。

  公務員はどうであろうか?よく似た部分がある。2~3年で担当部署を渡り歩いて、何ができるというのであろうか。そのことを自覚し、自分の考えを持ってほしい。

  自分の家庭のことならいざ知らず、国や県や市町村の行方を左右する大事な役目を担っているのだから、もっともと勉強してほしい。大切な税金を使っているのだから。

  この国は、多くのド素人軍団によって動いているように思えてならない。したたかな外国相手に渡り合うことは困難であろう。

 国民は、すべて1億総評論家のようである。政治家の皆さんも1億総野党的態度である。与党がいないと言っても過言ではない。

  責任ある立場にあることを自覚してしっかりと困難な今の時代の舵取りをしていただきたい。今のままでは、政界再編は避けられないように思う。

自宅から見た雪の大師山。泰澄大師ゆかりの山である。

(日記:午前中数学のホームページづくり。午前11時頃歯医者へ行く。午後も、数学のホームページづくり。自宅の音楽用のパソコンの調子が悪い。午後9時過ぎに息子の友達のY君がパソコンを見に来てくれた。いつものことながら、感謝している。)

 
 

ウェブカムで孫と対話

16 12月

隔世の感
  息子の嫁から「ウェブカムしましょう(パソコンでテレビ電話)」とメールがあった。パソコンを使って孫達と対話をするのだ。台所の食卓にノートパソコンを置くだけで、受話器も何もなくても孫達と対話ができるのだ。

  お互いの部屋にいるまま、自然に話すことができ、映像も送られてくるのだ。音楽に合わせて一緒に歌を歌ったり、遊技をすることもできるのだ。新体操を習っている孫は時々演技を見せてくれることもできる。

  幼稚園で発表した遊技の写真も見せてくれた。幼児用のピアノも弾いてくれた。横浜と勝山と離れてはいるが、帰省の話などもすることができた。

  昔なら、電話がやっとだった。私の若い頃は村には1カ所しか電話がなかった。自宅に電話をつけられるようになったときには本当にうれしかった。始めて携帯電話を見たとき、ただ対話ができるだけでも驚いた。

  その当時は、携帯電話がここまで発展するとは思っても見なかった。パソコンが携帯に、携帯がパソコンに接近してしまって、どちらがどちらかわからないくらいだ。

ウェブカムで孫達がいろんな表情を見せてくれた。一緒にいるような臨場感がある。

  ウェブカムによって表情を見ながら話をすることができるのはうれしいことだ。孫達とはいつでも気軽に話をすることができるのはありがたい。

  これから先、時代はどのように変化していくのだろうか。

  ただ、物事には必ずプラスの面とマイナスの面があると思っている。マイナス面の複合作用によって人間にとって予期せぬマイナス面が襲いかかってくることもある。車社会になって便利な部分がある反面、マイナスの面も計り知れない。

  テレビによってプラス面もあれば、これまたマイナス面も少なくない。パソコンしかりである。選択能力のない子供達に、様々なモノが洪水のように襲いかかり、成長に多大な影響をお呼びしている。人間を思わぬ方向に持って行きかねない。

  文明の進歩が人類の進歩につながらないもどかしさがある。どんどん人がモノとして扱われるようになるのではないか。人類は進歩から退歩に向かっているようにも思える。

(日記:午前中、温泉に入り、食事をしてゆっくり福井へ向かう。福井でショッピングをし、午後2時過ぎに帰宅した。午後3時より事務所で数学のホームページづくり。もう少しで一部公開できるところまで漕ぎ着けた。問題は、高校生にどう受け入れられるかだ。自信と不安が頭をよぎる。午後7時半より1時間あまり孫達とウェブカム。楽しい時間を持つことができた。)

 
 

二人だけの忘年会

15 12月

カラオケに昔を想う
  退職してから早くも9ヶ月が過ぎた。私は、自分の集落に属している以外は、組織に属することがなくなったために、日頃、付き合う人の顔ぶれもすっかり変わってしまった。

  義理的な付き合いもすっかりなくなった。肩の力を抜いて日々の生活ができるようになった。しかしながら時々、前職の名前で呼ぶ人がいて戸惑うことがある。

  いろんなことを人に頼まれるが、時間の許す限りはそれらに応じている。ただ、軸足としては。数学の教員であったことだけは忘れないでいたいと思っている。

  今日は家内と二人で忘年会と称して温泉へ来た。食事の後、家内と二人でカラオケルームで1時間半歌を歌った。と言ってもほとんどは30数年前の歌だった。

  石原裕次郎の歌を歌うと、若かりし日の裕次郎の映像が流れて懐かしさが倍加した。特に、私自信に大きな影響を与えたのは、『嵐を呼ぶ男』で裕次郎がドラムを叩く場面だ。

  この姿にあこがれて、大学でドラムを始めた。大学の軽音楽クラブではドラムでバンドのレギュラーになった。演奏会では、「ドラムソロをどう叩くか」をあれこれ考えるのはとても楽しかった。

山代温泉にて

  小樽へ行ったときにも、石原裕次郎館へ立ち寄ったが、そのドラム姿にジーンと来た。思えば遠くへ来たもんだ(青春時代からずいぶん時間が経過した)と懐かしさと共に寂しくもあった。

  今日も裕次郎の若かりし姿を見てそう思った。一日一日を大切にしたいと思った。昔の歌を選ぶと、時々本人の映像が出てくるが、歌が古いので登場する歌手の姿はみんな若かった。

  カラオケの伴奏を聞いていると、編曲が気になった。「なるほど、そのようにして楽器を使い分けるのか」、「この歌はそんなリズムで作られていたのか」と無意識に考えてしまう。

  今日は温泉へ愛用のノートパソコンを持参した。4月に購入してあった無線LANのソフトを温泉でインストールしたため、どこででもインターネットが可能になった。

  このブログも持参のパソコンで書いている。一日も欠かさずに書くことが目標だ。ボケ防止のつもりでもあるし、福井、東京、大阪に住む3人の子供への近況報告にもなっている。

(日記:午前中は数学のホームページづくり。途中で歯医者へ行く。午後、山代温泉へ。妻と二人の忘年会だ。これからの人生は二人で進んでいかなければならない。
  お互いに、 “GIVE & WILL BE GIVEN(相手に尽くそう、そうすれば尽くしてもらえるだろう)”で頑張りたい。“GIVE & TAKE”ではない。)

 
 

頭の体操

14 12月

何が頭にいいのか
  歳をとるといろいろ身体に問題が発生する。加齢によるものならばあきらめざるを得ない。そうした中で、認知症だけは、避けるか発症を抑えたいものだ。果たして何が認知症予防に効果があるのだろうか。 

  私は、自分では“考えること”、“新たなことを始めること”、“創造(創作)すること”、“工作すること”、“指先を使うこと”、“コミュニケーション(対話)”、“音読”、“記憶すること”などが効果的ではないかと思っている。

  特に、“新たなことを始めること”は、最初はなかなか大変である。しかしながら、徐々にできるようになってくる。それによって楽しみも増えてくる。これからも、無理をせずに新たなことを始めたいと思っている。

  もう一つ効果的だと思っていることに、“コミュニケーション”があると信じている。引きこもったり、何か一つのことに没頭するだけではなく、人と交わることが大切だと思っている。それによって、脳が活性化すると信じている。

  退職してからは、時に村の人たちと交わる機会が多くなった。法人の農作業で、村の行事で、村の郷土芸能づくりや練習で普段あまり話をすることがなかった人たちとも話す機会が増えた。事務所へ遊ぶに来る人も増えた。

 また、数学のホームページを作成している関係で時々問題を解くことがあるが、計算力が若い頃に比べて劣ってきたなあと実感している。それでも、あきらめずに計算を見直し、答えが出たときには、やはりうれしい。

支柱にするために竹を切って、それにシュロ縄で生け垣の貝塚いぶきをくくりつける作業そしている私。

(日記:午前中、数学のホームページづくり。午後、生け垣の修理(支柱づくり)を行った。これは雪囲いではなく、1年中設置しておくものだ。苗木を買ってきて家の周囲に植えたものもたくさんある。数年ぶりの作業だが、急に晴れ間が見えたので、暗くなるまで作業を続けた。これで数年は持つだろう。)

  

 
 

パソコンの寿命

13 12月

相次いでパソコンの不具合
  最近、自宅にある私のデスクトップパソコンが相次いで故障した。歌も作れない。CDも焼けない。私の創作活動には大いなる打撃だ。自宅のデスクトップパソコンは、2台とも、5年以上経っている。

  インターネットやユーチューブやブログなら今年退職と同時に買ったノートパソコンで用は足りる。今もノートパソコンでこのブログを書いている。しかし、歌作りは、自宅のノートパソコンと決めている。それは、自宅にギターやピアノなど、楽器が置いてあるからだ。

  事務所には、高速のデスクトップパソコンが置いてある。これは、絵を描くこととホームページづくりなどに使っている。映像編集はまだ十分にできないが、事務所のパソコンでやりたいと思っていた。役割分担を決めていたのだ。

  しかし、自宅のデスクトップパソコンが2台とも故障して、お手上げだ。パソコンにも寿命があるのだ。5年経ったら、いつ故障してもおかしくないようだ。今春、事務所のパソコンを買ったのに、自宅のパソコンも買わなければならない。

  今日、息子の友達に、新しいパソコンを注文した。2台目のデスクトップなので、あまり高性能でなくても、音楽にさえ使えればよいと思っている。パソコンは、日進月歩で、そんなに高価でなくても、これまでのものに比べるとかなり高性能だ。

 それにしても、手持ちのパソコンが次々に古くなって、1年に3台も買うはめになるとは思っても見なかった。パソコンがなければ、本当に不自由だ。

パソコンは私の友達
  私はパソコンが大好きだ。と言っても、インターネットなどにはあまり使わない。ほとんど創作活動に使うのだ。文章を書くこと、絵を描くこと、両方で絵本を作りたいと思っている。

  また、私にとっては、歌を作るのには、パソコンは必要不可欠だ。自分の指示通りに楽器を操ることができるからだ。しかも、デジタル録音までパソコンでできるのだ。テープレコーダー時代とは雲泥の差だ。

  先週の土曜日にビデオカメラを買ったので、映像編集も勉強したいと思っている。市内のいろんな風景や行事を映像編集し、自作の音楽もつけてDVDにしたいと思っている。簡易映画も作れたらと思う。

 しかしながら、新しいことを学ぶ能力は年々衰えていくようだ。記憶が悪くなって物忘れが進行しているようだ。歳と戦いながら、パソコンを友として、有意義な時間を過ごしたい。

  と言っても、一日の半分はパソコンを離れて、自然の中で過ごしたいと思う。長時間パソコンを使っていると、肩は痛くなるし、目も疲れる。パソコンで作った歌に踊りをつけて、地域の郷土芸能を作るなど、パソコンお宅にはならないようにしたい。

(日記:午前中昨日のブログを編集し直した。パソコンが不調でオカリナ教室のCDや楽譜が作れない。やむなく、手書きで楽譜を作った。午後、北部中学校で、今年最後の和太鼓の授業があった。帰宅してから、パソコンがかろうじて動き出したので、オカリナ教室のカラオケを作った。しかし、不調でCDに焼くことまではできなかった。午後7時半から.オカリナ教室。クリスマスソングを中心に練習した。午後、9時にむすこのともだちのY君が自宅へ来てくれた。パソコンを注文した。)

 
 

おーい追っかけ時次郎?!

12 12月
 
日帰り追っかけ
  朝6時半に起きて、えち鉄、サンダーバードで大阪へ。その後、御堂筋線で心斎橋へ。今日は末娘のライブ。リハーサルを終えた娘と再会。その後、アメリカ村界隈を散策。5時頃ライブ会場のサンホールへ。  

大阪、心斎橋のサンホールでの娘(ボーカル)のライブ。

  最初は男性二人の歌。次に奈良発の若者5人組バンド。強烈な重低音が響き、ボーカルが絶叫。そして、大学生のバンド。みんなエネルギーを爆発させているようだ。  

  6時半過ぎに娘のバンド”べルデ(フランス語で緑の意味)”が登場。娘はボーカル。ギター、ベース、ドラム、キーボードと共に数曲歌う。どちらかというと地味に育った感じの末娘だが、左義長太鼓で変身。毎年櫓に登っている。  

末娘のボーカル

    始めて左義長ばやしを見た家内は、あまりの派手な演技に土肝を抜かれたようだ。自分の目を疑ったようだ。指導者のKさん(保存会会長)のおかげだ。  

  大阪で一人暮らしをしながら、ネットでの呼びかけに応じてバンド活動を始めたらしい。今日はどうだろうかと思ったが、感動した。みんなと仲良くバンド活動をしている姿を見て、40数年前の自分の姿がダブった。  

  娘のバンドの演奏の後、わずかな時間話して、すぐ帰路についた。最終のサンダーバード、最終のえち鉄に乗って勝山へ着いた。サンダーバードが遅れたために、えち鉄も出発を遅らせた。勝山へ着いたのは、午前0時を回っていた。  

バンド「ベルデ」のメンバー

    久々の追っかけであった。子供達の発表を見るために、かつては、家内達は奈良へ横浜へと追っかけをしていたが、この年になって再び追っかけをするとは思ってもいなかった。思い出の残る一日だった。  

末娘

  

演奏の後、司会のインタビューに応じる末娘

バンドスナップ