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Archive for 8月, 2010

技術の進歩についていけるか?

11 8月

自分で何でもしようとすると
 今私が、パソコンを使ってやってみたいことの一つは、「HPで数学講座を展開したい」ということだ。それには、いくつかの基本的な技術が必要になる。それができないと、業者など誰かに頼まなければならなくなる。これまではは息子頼りだった。しかし、今は東京に出てしまって近くにはいない。 

 基本的な、三つの技術がどうしても必要になる。その技術とは次のものだ。 

 (1)HPを作る技術があること。今、「Dreamweaver CS4」を勉強中だ。 

 (2)映像編集技術だ。今、「Adobe Premiere Pro CS4」を勉強中だ。
    このソフトを使うには、映像変換ソフトが必要んある。 

 (3)画像編集や描画ソフトだ。これは、「Adobe Photoshop CS4」を少し使えると思っている。  

 この中で、(2)の映像変換ソフトについては、息子の友人でIT関係の仕事をしているY君から「TMPGEnc MPEG Editor 3」を買った。彼は、今日、私の事務所へソフトを持って来てくれた。そして、私のパソコンにインストールしてくれ、ソフトの使い方まで教えてくれた。 

「地球の歴史」より太陽系の誕生(パソコンで描画)

 

お腹が空いたので田植えをする
 一つのソフトを使いこなそうとするが、最低限の技術を習得する前に、ソフトがバージョンアップしてしまう。どうせならと思って新しいものを買い求めるが、技術習得に時間がかかる。 

 また、新しいソフトを買ったと思ったら、もう次のソフトが出ている。アドビ社の製品は、「CS4」を買い求めたと思ったらもう「CS5」が売り出されている。まさに「ドッグイヤー」だ。技術習得は、ますます困難になる。 

 今は、時々、東京へ行った息子の代わりに、息子の友達や昔の仕事仲間が応援してくれるのでありがたい。マニュアルも買うがマニュアルだけでは理解できないことが多いので、彼らの存在は私にとってはとてもありがたい。 

 何かをしようとすると、そのためには「あれもしなければならない」、「これもしなければならない」とどんどん勉強することが増えていく。 

「地球の歴史」より哺乳類の祖先となったといわれるエオマイア(パソコンで描画)

「お腹が空いた」ので、「ご飯を食べる」というのではない。「ご飯を食べる」ためには、「米が必要である」。「米が必要である」なら「米を収穫しなければならない」。そのためには、・・・・・。このようにして、田植えまで遡らなければならないことになる。「空腹を満たすのいつのことか」と愕然とする。 

 しかし、何もアクションを起こさなければ何もできない。映像編集技術の習得と共に、ホームページを作るための技術を同時に学ばなければならないと思っている今日この頃である。この他、歌も作らなければならない、「津軽じょんから節」をマスターしたい。あれやこれやで、毎日が超多忙だ。 

 しかし、現役時代と異なるのは、今日できなければ明日やればよいということだ。スケジュールを自分で調整できるということだ。先ずは毎日、一歩ずつ歩みながら考えたい。 

(日記:午前中、和太鼓のキャスター作り。その後、事務所の整理整頓。午後、Y君から映像変換ソフトを購入し、使い方を習う。夕方、福井に住む娘と外孫が来たので、外食。結構忙しい一日だった。) 

 
 

盆踊り練習会を終えて

10 8月

練習会参加者に感謝
 8月15日の盆踊り大会に向けて7月から始めた練習会も今日が最後となった。練習会は日中の方がよいという人もあれば、夜がいいという人もある。それで昼2回、夜3回の練習を行った。そして、今日が最終練習日だ。これまで参加したみなさんに感謝したい。

 伴奏隊は、尺八5人と三味線3人だ。太鼓は私で、歌が2人だった。今日は最終日なので、踊り手も合わせて練習した。福井新聞の取材も受けた。果たして当日どれだけの人が来てくれるだろうか。

 少しでも多くの人が来るようにと、「弁天そばの会」のNさんにお願いして、手打ちそばのコーナーを設けてもらうことにした。また、盆踊りは7時開始だが、その前の6時から「郷土芸能発表」を行うことにした。

 6時から7時までの1時間に踊り発表と民謡発表、そして、我がグループ『越前勝山春駒太鼓』の発表、そして、「勝山よいとこ」の総踊りを行う予定である。ソバを食べながら見ていただければ幸いである。

 7時からは、特設櫓には常に4人があがり踊りをリードして貰い、尺八・三味線・太鼓の伴奏のもとに3人の歌い手が勝山の民謡を歌うことになっている。問題は、どれくらいの人が来てくれるかだ。

歌、尺八・三味線・太鼓(私)に合わせて、踊る参加者の皆さん(於:勝山教育会館)

本番では一人でも多くの参加を願いたい
 それに当日の天候も気になる。雨天の場合は、教育会館で盆踊り大会を開催することになるが、たぶん盛り上がらないだろう。晴れになることを祈るばかりだ。今日までやるだけのことはやった。後は、当日の天候がよくなることと、一人でも多くの人が民謡を楽しんでくれることを祈るばかりだ。

私の孫もばあちゃん(家内)と一緒に盆踊りを楽しむ

 

(日記:午前中米かち、家庭菜園の手入れ。午後は、郷土民謡作り。夜は、夏祭りの盆踊り練習会。伴奏隊で太鼓を叩いた。疲れた一日だった。)

 
 

創作の苦しみ

09 8月

野菜作りは準備から
 午前中は、炎天下の中、夏キュウリの支柱をこわし、秋キュウリの支柱を立てた。こんな小さな家庭菜園でも、日々の食卓を旬の野菜が賑わすことが多い。毎日の食卓に出るおかずのほとんどは自分たちが育てた野菜だ。今晩の食卓を例にあげれば、トマト、なす、キュウリ、ササゲ、ピーマン、カボチャが自家製で、肉と豆腐ぐらいが買ってきたものだった。

 また、ゴーヤは「ゴーヤチャンプル」にしても食べきれないほどできる。そこで、「ゴーヤジュース」にして毎日飲んでいる。私はこの苦さには絶えられるが私以外の家族はジュースでは飲めない。家庭菜園でこうした野菜を育てるには、先へ先へと準備をしておかなければならない。そんなわけで、今日は種を播いておいた秋キュウリの支柱を立てたというわけだ。

 お盆がすんだら、秋の野菜である大根、白菜、野沢菜などの種まきが始まる。

 今日も暑かった。しかし炎天下の中で作業をした。私は、原則として半日は家庭菜園や家の仕事、午後半日は、自分の趣味やボランティアなどに費やすことにしている。いつもは、午前5時頃に起きて畑へ行くのだが、今日は遅く目で寝ていて、9時頃にしか畑へ行くことができなかった。

炎天下で作った秋ギュウリの支柱

いいメロディーだと思ったら……
 午後は、村の銭太鼓に使う民謡を作ろうとパソコンの前に座った。音源のスイッチを入れ、パソコンを立ち上げた。後は、いつものように、ギターを抱えて、メロディーを考え、即座にパソコンのソフトで譜面化していくのである。音の種類は、三味線、尺八、太鼓、鉦などである。なるべく素朴に作るために、今回の民主では洋楽器は使わない。

 いいメロディーができたと思ってパソコンに入力して何度も聞いてみると、どこかで聴いたメロディーだ。調べてみると自分が以前作った別の曲と似通っている。約5時間創作に熱中したが、結局満足なものはできなかった。途中で、それまで考えたものを全部捨ててまた作り直す。そんなことの繰り返しだ。作りには作ったが、納得のいくものはできなかった。

 うまくいくときは、1時間で1曲できてしまう。しかし、編曲は10日ほどかかる。それは専門家ではないからだ。

(日記:午前中、家庭菜園での作業。午後、民謡作り。成果なし。夜、夏祭りのための和太鼓練習。)

 
 

日本民謡のシャワーを浴びる

08 8月

池田町「冠荘」で民謡を聴く
 このブログを通して知り合いになった河間氏からお誘いを受けて池田町で行われた『福井民友会ゆかた会』に出かけた。この会は、民謡(三味線や歌)を学ぶ皆さんの内輪のおさらい会である。踊りの会や尺八の会の人も招いて日本の民謡28曲を演奏し、歌い、踊った。

 会場は池田町の「冠荘」の一室であった。私が40数年前に作った『勝山小唄』もプログラムにあり、勝山から参加しているKさんが歌って下さった。この曲に対しては、私が即興で太鼓を打たせていただいた。休憩を挟んで約3時間たっぷりと民謡の生演奏を楽しんだ。

 正に日本民謡のシャワーを浴びている感じであった。民謡は、それぞれの地域の人達が、ある時は労働歌として、ある時は祝歌として、歌い継いできたものである。それだけに、聴いていても、心に響くものがあった。

 また、踊りのグループも参加していて、会場を盛り上げていた。私は、会のリーダーである河間氏に厚かましくも、「津軽じょんから節」だけを教えてください」とお願いしたのである。そして、その第1回目のレッスンをすでに受けることができた。指使いが難しく、前途洋々たる状況である。

 そんな「津軽じょんから節」を会の皆さんは新節も旧節も楽しそうに弾いておられたのである。一日も早く、この曲をマスターしたいという気持ちを強くした。また、この「冠荘」のある池田町の『池田追分』の保存会の方も来られて踊りを指導しておられた。

 この『池田追分』は歌も踊りもすばらしいと思った。私も今、自分の集落(片瀬)の銭太鼓に使うオリジナル民謡を考えている。今日、日本民謡のシャワーを浴びたことは大いにプラスだったと考えている。

 全28曲が終わった後で、河間氏から突然提案があった。

 「2人で即興演奏をしましょう。私は三味線を弾きますから、太鼓を叩いてください。」

と。民謡と合わせて太鼓を叩いたことなどなかったが、逃げるわけにもいかず、即興で太鼓(平太鼓と締太鼓)をたたいた。楽しい一日であった。

『津軽じょんから節』を披露する三味線と歌の皆さん。(池田町「冠荘」にて)

(日記:午前中庭の草取り。昼近くにCD作成。午後、池田町『冠荘』で行われた福井民友会のおさらい会を見学。)

 
 

川清掃と川の思いで

07 8月

大用水の清掃
 今日は私の集落の川をきれいにする日だ。午前9時に集会所へ集合して、大人はゴミ袋を、子ども達は魚を捕るための網やバケツを持って、近くを流れる勝山大用水の清掃を行った。

 私は、最初から、ズックを履いて出かけた。ほぼ全員が長靴であった。それは、深い所では長靴の丈をこして水が入るからだ。越前大仏辺りからハシゴで川に下りて空き缶などを拾った。子ども達は、川の中で魚を捕まえていた。

 川の両岸は、護岸ブロックが積まれ、川には水草が茂っていた。そして、歩くたびに泥が舞い上がる汚い川であった。ビニールや空き缶がたくさん捨てられていた。上流に行くと、膝を遙かに超す深さになった。長靴の連中は誰も来ず、私と魚を追い掛けてやって来た子ども達だけであった。

 そのために、たくさんの缶を拾った。用水の中にこんなにたくさんの缶があるとは情けない。誰かが捨てたのだ。缶の中の泥を捨ててごみ袋に入れるのだが、中で何かが暴れる音がした。私達が「ビシ」と呼んでいた、黒っぽい魚であった。

 それにしても、川は汚れているなあと思った。とても泳げたものではない。これは何も大用水ばかりではない。九頭竜川の本流でも、昔と比べるとずいぶん汚れている。川のイベントで、何度か泳いでみたが、泥が舞い上がり、視界が悪くなるほど汚れていた。

左:用水で空き缶を拾う私(家内撮影) 右:川の中で網を使って魚をとる人たち

清流九頭竜川どこへ
 昔は、今と比べれば川はきれいであったように思う。それは、上流にダムがないために、雨が降ると一気に水かさが増えて、増水した流れが川の汚れを流し去ったからだ。そのわかりに、洪水はたびたび出て家屋が流されることは当たり前であった。

 しかし、その後、九頭竜川の上流にダムができて水量をコントロールするようになってからは、洪水が起こることはほとんどなくなった。一度だけ、河川敷のグラウンドが大水で流されたことがあるが。

 特に勝山は、途中で発電のために水を取っているために、夏場は水が少なく、川は汚れているのだと思う。九頭竜川のごみ拾いで多く見かけるのは、農業用マルチである。あちこちの石矢木に引っかかっているのである。

 かつてのきれいな川を知っているものにとっては、川の汚れは本当に気になるものである。清流は思い出の中にしか存在しないとは寂しいものである。今の子供たちは、それが当たり前であるように思っているのかもしれない。子供たちが泳げる川にすることは、困難なことだろうか。

「猪野瀬さわらび会(食生活改善員)」による『勝山よいとこ』の踊り発表。2曲踊ってくれたがいずれも私の作った歌であった。皆さんに感謝。

(日記:午前中、川の清掃。午後、事務所でDreamweaver CS4を使ってホームページ制作作業。夜、さつき苑の夏祭りに出かける。家内達が、ボランティアで芸能発表。知っている人とたくさん出会う。)

 
 

動画投稿サイト

06 8月

情報の受信から発信へ
 インターネット上のサーバに、不特定多数の利用者が投稿した動画を、不特定多数の利用者で共有し、視聴出来る動画共有サービスサービスがある。今から7年ほど前に登場したサービスで、日本でも急速に発展した。日本では数千万人、世界では数億人の利用者がいると言われている。 

 中でも、『YouTube』が人気あるようである。一般人が撮影して投稿したもの、自治体が作って投稿したもの、企業が作って投稿したものから、違法コンテンツまで様々なコンテンツが雑多に入り混じっている。 

 著作権上の問題が発生して新聞やテレビで問題になる場合もある。 

 私も、これらのこれらのコンテンツを利用することがある。これらの動画から学ぶことも多い。 

 しかし、こうした動画をただ見ているだけでは私は満足できない。情報の受け手になるだけではどうしようもない。時には、積極的に情報の発信者になってみたいと思っている。 

 以前にも書いたが、動画の情報発信者になるには、様々な機器やソフトが必要であり、技術も必要になる。時には、アニメーション制作能力も必要になってくる。 

統一されていないファイルの規格
 私は、今春の退職と同時に、デスクトップとノートのパソコンを購入した。そして、ソフトも最新のものを購入した。単体ではなく、セットで購入した。アドビ社のマスターコレクションシリーズCS4を買ったのだが、購入直後にバージョンアップしCS5が出た。

 少しがかりしたが、以前のものはCS2だったので、「以前よりレベルアップしているので我慢するか」と自分を納得させた。ソフトは新しくなったが使いこなせないものが多い。 

 実は、昨日まで3日間受講したときに用いたホームページ制作ソフトの『Dreamweaver CS4』や画像編集ソフトの『Firewroks CS4』もセットの中に入っていたのだ。 

 画像編集をしようとすると一番先に困るのはファイル形式である。ちょうど昔ビデオの規格が異なっていたために、機器からテープ、録画機まで全部異なっていて互換性がなかったのだ。動画ファイルも同じようにいろいろあるのだ。これらの動画を編集しようとすると、ファイル形式が異なるために、画像編集ソフトでは読めなかったりして編集どころではない。 

 DVDを読み込むにしても、ファイル形式が異なると読み込めないので編集できない。そこで、今日の午前中、かつての同僚のSさんにお願いしてファイル変換について教えてもらった。また、コンピュータ会社へ行っているY君(息子の同級生)に早速「画像変換ソフト」を注文した(フリーソフトもあるのだが)。 

 ちょうどお腹が空いたときに、ご飯を炊くのならまだいいが、田植えをするように、いろいろ事前に勉強しておかなければならないことが多い。これからも、産業支援センターの『産業情報資料室』で書籍やDVDをお借りして、最低の基礎は理解しておきたいと思っている。 

施設の夏祭りのために、私の作った『勝ち山ほがらか音頭』の練習をする猪野瀬さわらび会(食生活改善員)の皆さん

(日記:午前中、まず歯医者へ出かけ、事務所でSさんに動画ファイル変換について教えてもらう。午後は、日時を間違えて池田町まで行ってしまった。本当は日曜日であった。今後は日程をしっかり確認してから出かけなければならないと思った。夜、明日の施設の夏祭りの余興練習をする猪野瀬さわらび会の皆さんの練習を指導する。)

 
 

3日間の講座を終えて

05 8月
生徒の気持ち
 今日は、産業支援センターの『ホームページ制作講座』の最終日。3日間、午前9時から午後5時までいっしょに講座を受けていると、若者達とも何となく同志のような気持ちになる。お互いに、自らは話しかけることは少ないが、何かのきっかけで話し始めると急に話がはずむ。 

 パソコンの長所であり短所であることは、言われた指示通りのことを即座にやることができる。しかし、指示が少しでも間違うと、全く動いてくれない。察してくれるということはないのだ。 

 そのために、予期せぬミスが出ることがある。そんなときには、多少恥ずかしくても、手を挙げることにした。ここに集まっている人達は、ほとんどが会社から派遣されているのである。従って、基本的な技術を持っている人が多い。 

 ところが、パソコンにおいては、私のように基本は他人間任せで、応用ばかりをやって来た人間には新しいことを始めることは本当に難しい。あまり分からないのに、授業を聞いている生徒の心境だ。今日は予期せぬミスが出て20分近く全く進まない時間があった。 

 それでも授業は進んでいく。学校ならこんなことは多いのだろうなと思った。私の場合には、休み時間に遅れた部分を講師の先生に教えていただいた。

福井産業支援センターでの『ホームページ制作講座』風景。企業から派遣された若者達が多かった。

パソコンを何に使うか?
 現在はどのような職場にも、パソコンはある。しかしながら、パソコンの威力を理解して活用しているところはどれくらいあるだろうか。単なるワープロや計算機、あるいは業者の作ったソフトを活用して事務効率を上げているだけという場合が多いのではなかろうか。 

 本気で考えると、積極的な活用法はいろいろあるように思う。そして、積極的に活用するには、この産業支援センターを有効に利用した方がよいように思う。私の知っている勝山でも、このセンターの支援を受けて、業績を伸ばしている会社がある。 

 また、教育関係の場面でも、まだまだ活用できる分野はあると思う。人間のできることを機械にやらせるというだけではなく、機械を補助的に使い、児童生徒の持っている創造力や思考力や意欲を伸ばす方向で利活用できないかを考えてほしい思う。 

 また、退職する教員の持っている知恵や研究成果、指導法などは、ほとんどが顧みられることもなく、利用されることもなく、捨てられ、忘れ去られていくのである。研究物として残しても、次の世代が古い冊子を探し出して日々の指導に活用することはほとんどなかろう。 

 単に、資料としてどこかに保存され、そのうちに、廃品として捨て去られるだけであろう。しかし、これらをパソコンで管理して、次の世代がいつでも検索して活用できるようにすれば、話は変わる。知恵の宝庫となる。 

 そうすれば、次の世代は、それらをさらに発展させ、改善して、その次の世代に伝えていくことができるからである。現状は、次の世代が、またゼロから始めていくだけで、いっこうに積み重ねができないのである。 

 これらの財産を、どこにいる誰でもが利用できるようにするために、ホームぺージの形で公開できないのだろうか。これは、私が願うホームページの活用法である。 

 今回、このような講座を受けた理由の一つは、長年蓄えた自分達の経験や指導法を、ホームページを使って次の世代に伝えていけないのかどうかを試すためでもある。長年蓄えたものをゴミにしないためと言い換えてもよいかも知れない。 

 とにかく、3日間の講座は終わった。この経験を活かすも活かさないも全て自分にかかっている。若者達は、会社から期待されていようが、私は、私自身に期待している。 

(日記:午前9時から、午後5時まで、パソコン講座(3日目)受講。夕食後、家庭菜園の水やり。ポンプで川の水を畑に汲み上げた。)

 
 

何のためのホームページ制作講座

04 8月

自らのことばで情報発信
 「何のためにこの年になってわざわざ産業支援センターまで出かけてホームページ制作講座を受けるのか」と自問自答してみる。自分の思いを情報発信したいからということになる。それならば、「なぜ、これまでに技術を習得しなかったのか?」ということになる。

 結論は簡単である。すべて技術的なことは息子に頼むことができたからである。わざわざホームページの作り方を学ぶ時間があったら、音楽ソフトで曲を作ったり、描画ソフトで絵を描いたり、簡易アニメの原画を描いたり、映像編集ソフトを使いこなすほうに時間を使ったほうがよいと考えてきたからである。そして、それをホームページにアップしていればよかったのである。

 しかし、息子がIT修行のために東京へ出てからは、もう頼ることができなくなったのである。彼も、開発やら何やらで寝る時間も惜しんでパソコンに向かっているような状況にあり、自分に合ったホームページを作ってくれる余裕もなくなったのである。

 それでもあきらめきれないので、やむなく、この『ホームページ制作講座』を受けて、少しでも自分にあったホームページを作ろうと考え、講座を受ける気になったというわけである。

 今日は、講座の二日目である。見やすいホームページを作るための様々な技術を学んだ。しかし、自分一人になったときに、果たして思い通りのホームページを作れるかどうかとなると自信は全く持てない。

 私がホームページで一番やってみたいのは、二つのことである。一つは、楽しくて、ためになる高校の数学講座をネット上で展開してみたいこと。もう一つは、自作の歌(主に演歌やポップス)の発表の場を作ることである。

左:産業支援センター全景  右:センター内の「産業情報資料室」。 私は早速ユーザー登録してDVDを借していただきました。

 

 前者は、是非とも進めたいと思っている。長年の教員生活で、材料は十分あると思っている。ただ、数学となると、積分記号やΣや数列や対数など数学特有の記号をネット上でうまく使えるかということが心配になる。うまく記述できなければ、画像にして貼り付けなければならないかもしれない。

 後者は、ネット上で知り合った人たちと一緒にいろんな歌を作りたいと思っている。ホームページがあれば曲を先に作って作詞を募集することもできる。この逆では、私も、何人かのネット上で知り合ったアマチュアの作詞家の人たちの詩に曲を付けたりしてきた。現にいくつかの歌は、今もネット上に存在している。

 今回の講座には、会社から派遣された人たちもかなり参加している。私のように、個人で参加している者は非常に少ない。みんな若い。皆さんに伝えることがあるとすれば、習ったこをを早めに復習して若いうちに技術を身に付けておいた方がいいですよと。他人に頼っているといつまでも技術は身につきませんよと。

 私も、今度こそ、なるべく自力でホームページを作り上げて情報発信したい。ホームページに詰め込む内容は有り余るほどあるのだから。

若い力に期待  
 今日も、和太鼓の練習だ。8月15日の夏祭り本番に向けて、最後の追い込みだ。和太鼓の曲はすべて私が作っているが、今では、若い娘たちと一緒に曲作りをするのも楽しいと思っている。私の作った曲で、もっとこうした方がよいと思うアイディアがあったら、遠慮せずに改めてほしいと言っている。

 今日も私の事務所で、彼女たちは真剣にあれこれ考えながら、曲の一部を新しくしてくれた。動きに合わせて、楽しくなるように変えてくれたのだ。後は練習を積んで、身体で表現することだ。若い娘たちと和太鼓を打つという一つの目標に向かってがんばることは楽しいことだ。昼はパソコン講座、夜は和太鼓練習では、退職の身には結構こたえるが、私の活力になっているのは間違いない。

 あと一日、『ホームページ制作講座』をがんばりたい。

私の事務所で新曲の振り付けなどを考える春駒太鼓のメンバー

 

(日記:午前、午後、『ホームページ制作講座』。夜、10時まで私の事務所で和太鼓練習。)

 
 

超忙しい……

03 8月

産業支援センターで終日講座
 情報発信には、HPが一番だ。以前は1から10まで息子に頼り切りだった。自分は更新しさえすればよかったのだ。その息子が、東京へ行ってしまった。彼も超多忙らしい。

 こうなったら、自分でホームぺージを作るしかない。そこで、産業支援センターでまず基礎の基礎の講座を受けた。そして、今日から、3日間、朝から晩までアマチュアからプロまでが使うという“dreamweaver”&Firewroks”を使った3日間のホームぺージ講座を受講することに決めた。

 受講生の内訳は、19人の受講生に対して、男性は6人、女性は13人であった。ほとんどの者が20代、30代であり、60歳以上の者は私一人だった。ほとんどの者が、会社から派遣されているようだ。

 講義が進むにつれて少しずつ、難しくなった。パソコンのイヤなところは、少しでもミスすると思うように動かないということだ。その都度、手を挙げてサブティーチャーを呼んで個人指導を受けた。

 休憩があるとはいえ、午前中3時間、午後4時間の講座はかなりきつい。でも、何とか自分に適したホームぺージを立ち上げて情報発信をしたいと思っている。

福井産業支援センターでのホームページ制作講座

 

『津軽じょんから節』の特訓
 途中で、家内からメールが来た。「津軽三味線のK先生が来ました」という。「えっ?今日だったのか?」と驚いてしまった。K先生は勝山へは月に二度指導に来られるという。先週お会いしたので、今週は勝山へ来られないだろうと信じ切っていたのだ。

 ところが、今日も勝山で三味線教室があり、その前に、私に『津軽じょんから節』を教えてくださるというのだ。4時からだというのに、パソコン講座は5時までだ。松岡から勝山までは30分以上はかかる。おまけに、午後7時からは盆踊りの練習会だ。

 コンビニによってパンを買い、車の中で食べて夕食とし、5時40分に事務所に着いた。それから約50分間『津軽じょんから節』の特訓を受けた。クーラーが効いているのに汗をかいた。手が思うように動かない。

 自分からお願いした三味線の個人授業を忘れているなんて、我ながら情けない。ほんとうにK先生には申し訳なかった。練習を終えて、すぐ盆踊りのために、教育会館へ走った。

歌・尺八・三味線などの伴奏隊も加えての盆踊り総合練習会

 

伴奏隊と踊りの総合練習開始
 今日はじめて、伴奏隊の尺八4人と三味線4人、歌2人を交えて総合練習をした。まだまだではあるが、第1回目の踊りと歌を合わせた総合練習としてはまあまあか。

 1週間後にもう一回、総合練習をして8月15日の本番を迎えることになる。果たして本番ではどれだけの人が集まってくれるだろうか。数十年前には、動員方式で、何百人という踊り手が会場を埋めたこともあったが、あっという間に盆踊りは廃れてしまった。

 動員方式ではなく、参加したいという一人ひとりが集まって盆踊りを復活させて盛り上げたいと思っている。前途は洋々たるものだ。それでも、諦めずに今年も盆踊り復活に向けて頑張っている。自分にあきれる。

(日記:午前、午後と福井産業支援センターでホームページ制作講座。夕方、津軽三味線の練習。夜、盆踊りの練習会。伴奏隊も加えて総合練習を行った。)

 
 

祭りシーズン到来だが

02 8月

郷土芸能づくり
 私の地区では、9月の第3土曜日に秋祭りが開催される。しかしながら、年々祭りは寂れていく。今では、昼に子供御輿が各家々を巡り歩くことと、子供会や青年団などの模擬店が並ぶぐらいである。あまり人が集まらないので、人集めのために抽選会をやっている。

 これでは、次世代に伝えていくものはほとんどない。踊りもなければ太鼓も叩かない。昔合った子供相撲や大人の相撲などもない。個人の楽しみが変わってしまったのか、面倒くさいことは一切やらないでおこうという考えなのか、とにかく祭りは廃れていく。

 おまけに親類などを招く家も年々少なくなっていると聞く。こんな祭りを少しでも変えることができないのかということ今私の地区では考えている。現在の計画では、私が地元の民謡をつくり、伝統の銭太鼓の振り付けを考え、踊りも加えようという計画である。それと神前で「浦安の舞」を踊ることができないのかということも考えている。

 これまでは、『安来節』に合わせて銭太鼓やどじょうすくいをやっていたが、単なる物まねということで、100年近くの伝統があっても、郷土芸能にはなり得なかったのである。

 そこで、拙いものでも、自前で歌や踊りを振り付け、郷土芸能にしようという計画である。「ソーラン節」はいくら上手に歌っても踊っても、私の村の郷土芸能にはならないのである。

 ただし、真似ることは郷土芸能の世界では当たり前である。北前船で「ハイヤ節」が全国に伝わったり、各地に似たようなものがあったり、伊勢参りの影響で「伊勢音頭」が変形して各地の民謡を生んでいるのはよく知られたことである。

 「郡上踊り」なども「伊勢音頭」の影響を受けていると言われている。

産みの苦しみ
 そんなわけで、銭太鼓によく合い、踊りにもよく合い、地元の伝統を生かせる歌を作ることになったのだが、実際には簡単ではない。今日の午前中は、まず最初に、孫娘のために、和太鼓練習用のCDを作った。全くの入門編だ。

 その後、午後は、新民謡づくりに熱中した。メロディーを作るのは苦しい作業だ。いいいメロディーができたと思うと、以前に自分が作ったメロディーに似ていたり、誰かの歌に似ていたりと、苦労は多い。

 歌は、極論すれば、ドレミファソラシの7つの音の組合わせである。もちろん半音もあるが、これだけの音で、世界中の音楽ができているのだ。プロの作品でも、似ていて盗作問題に発展することが少なくない。

 今日いいと思ったメロディーも、次の日聞いてみるとがっかりということは当たり前である。何とかお盆までには作りたいのだが、あれこれ忙しくて、産みの苦しみを味わっている。

 また、私は、一方では、すっかり寂れてしまった「盆踊り」の復活を目指している。これは非常に苦労が多い。しかし、理解者も、わずかではあるが増えている。

生まれて3年目の新民謡『勝山よいとこ』だが、皆さんに支えられて今も踊ってくださる人がいるのは有り難いことだ(練習しているのは猪野瀬さわらび会=食生活改善員の皆さん)。

 

(日記:午前中、孫娘の和太鼓CDづくり。午後、郷土民謡作り。夕方、家庭菜園。夜、和太鼓練習。)