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Archive for 8月, 2010

田舎者の身体に染みついた性分

21 8月

働かざる者食うべからず
 子供の頃、私の身体に染みついたもの一つに“働かざる者食うべからず”という考え方がある。考え方というよりも、私の身体に染みついている。例えば、特別な日を除いて、休みの日に朝から晩まで遊んでいたとしたら、きっとその日の晩ご飯は美味しくないだろうと思う。

 子供の頃、夏休みには、私達は、九頭竜川まで泳ぎに行ったものだ。泳いでいる間はとても楽しいが、暑い中をやや登り勾配のたんぼ道を通って家へ帰ると汗が引き出し、水泳の疲れも出て身体はだるくなる。しかし、私のこの日の役割は終わっていない。

 今なら登るだけで疲れてしまう村の背後にある大師山の裏側から、父親が準備した薪を担いで下りてくるのだ。これでようやく家族の一員としての役割が終わるのだ。また、藁を切って馬のごと(えさ)をつくり、それを馬に与えたり、水漏れのする五右衛門風呂で風呂を沸かすのも私の役割だ。

 “ふろ沸かし”はかなりの重労働だ。というのも、ポンプでバケツで水を汲まなければならないからだ。それを子供の背丈からすると胸の辺りの高さだった思われる窓から風呂桶に水を張るのだ。昔の自分を考えると、我ながらよくやったものだと感心するが、これは村の子供なら誰もがやったことで特別なことではない。

 秋の取り入れの頃には、午前中は稲を刈り取り、それを稲株の上に並べて乾燥させ、午後はそれらを束ねながら裏返しにして再び乾燥させるのだ。そして、夕方にはそれらを農道まで運び出し、荷車で「ハサ(稲を乾燥させるための竹で組んだ櫓状のもの)」まで運ぶのである。

 ここで、夕食を食べに家へ帰り、夜に稲をハサに掛けるのである。月明かりでの作業だ。我が家は9時のサイレンが鳴ると作業を終えたのだが、もっと遅くまでやる家もあった。両親も祖母もみんな働くので、文句を言うどころではない。村の仲間も皆同じようなものだった。

 こんな生活を繰り返していたので、自然と“働かざる者食うべからず”と言う考えが、身についてしまったようだ。これは理屈でも何でもない。遊んでいては晩ご飯がうまくないのである。務めに出ている、いないは関係ないのである。親父は、繊維会社の工員だったが、帰宅すればほとんど働きずくめであった。

練習課題として取り組んでいる『いなかもんの演歌の広場』だが、少しずつ壁が高くなってきて悪戦苦闘している。

一汗流してから自分の趣味に取り組む
 小屋の片付けを行った。午前中2時間ほどのつもりが3時間ほどになってしまった。汗だくだくである。これで気持ちよく自分の趣味に取り組むことができる。朝から、自分の好きなことだけをやっていたのでは、晩ご飯はうまくないだろうと思う。もちろん、ビールも。

 シャワーを浴びて早い昼ご飯を食べて、事務所へ向かった。ホームページづくりの練習課題として『いなかもんの演歌の広場』を作っている。

 動画も静止画も音声も何でも使うつもりだ。DVDやマニュアルを見ながらの学習だ。4日間の産業支援センターでの講座も時々思い出しながらの作業だ。

 ようやく、骨格だけはできた。後は、仕上げをしてアップすればそれでよいだろう。しかし、ここから、いろいろ壁が多くなる。特に、デザインが問題になる。「たかがホームぺージ、されどホームページ」である。

 デザインの本まで総動員しての作業だ。

 早く仕上げたいものだ。

(日記:午前中は自宅で作業。午後は、ホームページづくりの勉強。夕方、川からポンプで水を汲み上げ、作物の間を流す。全ての作物に液肥を薄めて与える。夜は、ホームページづくり。)

 
 

久々の川泳ぎ

20 8月

10数年ぶりの川泳ぎ
 横浜(息子の仕事場は東京)から夏休みを過ごすために帰省している孫のために、田舎ならではの思い出を作ってやりたいといつも考えている。孫は夜になるといつも我々夫婦の間で寝ている。こちらの方がいろいろ思い出を作ってもらっているようなものだ。

 海水浴にも行ってきた。今度は、ぜひとも、川へ連れて行ってやりたいと思っていた。孫の方から、「川へ連れて行ってほしい」と言い出した。私の末娘が小学校時代にいつも「川へ連れて行ってほしい」というので坂谷橋上流へ連れて行ったものだ。

 そこには、いつも多くの子ども達が泳ぎに来ていたのだ。川は水が流れていて、魚も多く、プールと違って変化に富んでいるので、子ども達は川の虜になってしまったのだ。近所の子供も含めて何度も坂谷橋上流へ泳ぎに行ったものだ。

 そんなわけで、今日、私達夫婦と、息子の嫁と孫2人で坂谷橋上流へ出かけた。ところが10数年ぶりに訪れた川は、末娘が行った頃とはすっかり川の流れが変わっていて泳ぎに適していないので諦めた。

勝原全景

思い出の地、勝原
 そこで、少し遠いが、勝原へ行くことにした。勝原といえば、30数年前に、自分のクラスの生徒達とキャンプをした思い出の地だ。3年間この勝原でキャンプをしたクラスもあった。

 国道を通り、勝原へ出かけた。3時過ぎではあったが、10数人が泳いでいた。先ず、河へ足をつけてみると、とても冷たい。少し、河の中央部へ向かって歩いてみると、岸辺よりも水温が高い。

 孫は水着を付け、浮き輪を付けて泳ぎ出した。勝原キャンプ場の川は、水泳に適している。川の真ん中に、水面には出ていないが4、5畳ほどの大きな岩があって、そこで休むことができるのだ。岩の上の一番浅いところは30㎝ぐらいだろうか。岩の周りは川底が見えないくらいに深い。

 孫は、浮き輪を付け、岸と岩を往復して泳いでいる。私は、孫の後について泳いだ。大きな岩は途中で休むことができるので私のような年配者にはとても有り難い。“牛に引かれて善光寺参り”ならぬ、“孫に引かれて川泳ぎ”である。

 火照った身体に渓谷の川の水はひんやりしていてとても気持ちが

勝原水泳場全景。川の真ん中にある大きな岩の上で休んでいる中学生達の姿が見える。岩の周囲はとても深い。

いい。河原にいれば、涼しい風が吹き、渓谷の緑が目に沁みる。みんなでもう一度来たいということになった。

 中学生が、岩の上から水中に向かって飛び込んでいる。スリル満点だ。私も、30数年前には、この河原で、泳ぎ、岩の上から飛び込んだことがあるのだ。

 私は川泳ぎ賛成派である。薬品の入ったプールは水泳の練習にはなっても、水と遊んだり、自然に親しむという点では、川とは比べようもない。晴れた日にぜひとももう一度来たいものだ。

 帰りに、国道沿いの「水辺のいこい」の場で、下の孫が水遊び、実は、上の孫が泳いでいる間、下の孫はずっと車の中で寝ていたのだ。

 子供は水遊びが好きだ。

(日記:午前中、家庭菜園で秋ギュウリの支柱立てなどを行う。その後、産業支援センターへ出かけて借りていたDVDと書籍を返却し、新たにDVDと雑誌を1冊借りた。午後は、事務所でパソコン学習。その後、孫達と勝原で水泳。久々の川泳ぎであった。)

孫のおかげで30数年ぶりに泳いだ勝原水泳場

勝原の水泳場ではずっと眠っていた孫が国道沿いの「水辺のいこい」の場で水遊び。

 
 

国を動かす素人軍団

19 8月

プロフェッショナルという言葉を味わってほしい
 どうもこの国を動かす人の多くは素人である場合が多い。防衛大臣をやっていたかと思えば、農水大臣になったり、派閥持ち回りで大臣を務めたり……と国家を動かす長がそれでいいのだろうかと思ってしまう。政治とは、素人でもつとまるものなのか?世襲でいいのか?江戸時代と同じではないのか?

 これは何も国だけの問題ではない。県の役職を見ても、そうである。部課長は、2、3年で全く新しい部局の長になる。市も大きく異なることはない。全く、新しい部局のリーダーとなって、国家や県や市を動かすのである。

 鳩山首相も、米軍普天間飛行場の移設問題に関し、次のように発言している。

「昨年の衆院選当時は、海兵隊が抑止力として沖縄に存在しなければならないとは思っていなかった。学べば学ぶほど(海兵隊の各部隊が)連携し抑止力を維持していることが分かった」

「海兵隊がそんなに大切だとは知らなかった。」

 全くの政治のド素人が総理を務めていることになる。

 介護、福祉、年金をどうしようとするのか。今日も、NHKは、民主党の代表戦で鳩山グループがどう対応するのかといったニュースを流し続けている。この国をいったいどうしようとするのかといった議論はほとんど聞かれない。さみしい限りだ。

 今日も、退職金は2億円あまりと、庶民感覚とはあまりにもかけ離れたニュースが流されている。

 この国には、「プロの政治家はいないのか?」と叫びたくなる。高速料金も迷走し、低速道路になっている。しかも、予想通り、思わぬ方向で影響が出始めている。

「出でよ!プロの政治家(政治屋ではない)!」

「出でよ!平成の龍馬!」

 このままでは、国家財政は破綻してしまう。誰かが言った、「倒産寸前の会社の役員になったつもりで国会議員や公務員は、一番先に何をなすべきかを自ら考えてほしい。」という言葉を私も支持したい。

事務所のパソコンでホームページづくりの勉強。ようやくここまでたどり着いたが、問題はこれからだ。授業を受ける児童・生徒の気持ちがよくわかる。

(日記:午前、午後共にホームページづくりの勉強。一進一退である。)

 
 

信頼される国家づくり-税制を論じる前に

18 8月

税金で生活している人達へ
 テレビを見ていたら「スウェーデンの消費税など」を話題にしていた。消費税は25パーセントであっても、国民は納得しているという。それは国家に対する信頼があるからだ。国家とは、国会議員を始めとする公務員、そしてそれらを支持する国民でもある。国会議員の数も、国会議員の報酬も日本に比べたら、比較にならないほど少ない。

 もしも、国会議員が公用車を乗り回したり、不可解なお金を得たり使ったりして国民の信頼を失うようなことをやったら、当選しないというのだ。また、議員宿舎も日本とは比べものにならないほど、簡素なものだ。従って、国民は国会議員が先頭になって国をよくしようとしているのだと言うことを知っているのだ。

 国会議員を信頼しているということだ。スウェーデン人は、税金は第二の貯蓄と考えている節がある。いつかは自分に返ってくることを知っているのだ。

 消費税を下げようとしたら、国民が反対したとも聞く。税金はとられるものではなく、預けておくものだという感覚だろうか。貯蓄と同じようなものだと考えているのであろう。我が国とは大きな違いだ。我が国では、取られ損になるような感覚がある。

 我が国では、国会議員は何をしているのだろうか?官僚は何をしてきたのだろうか?国家をどうこうするというよりも、高額な報酬を得て、自分のためにだけ頑張っているように思える。そんな議員達が税制を問題にし、税金を上げなければ国家が持たないという。

 税金を上げる前に、なすべきことはないのか?今のままでは、国民は益々国家を信頼しないであろう。ビジョンなき国家はいずれ衰退し、崩壊に向かうだろう。権力争いに明け暮れている政治家を見ていると一番弱い人間が政治家をやっているのではないかとさえ思われる。

 汗水垂らして働いている人達の税金で、生きているのだということをもっともっとよく考え、国民が困っている今こそ何をすべきかということを、全ての公務員は考えるべきだと思う。それにしても、与党の政策もあまりにも幼稚であるように思われてならない。

 また、与党は、今は国政を論じるよりも、党の代表選のことで頭がいっぱいのように見える。国民を無視するのもいい加減にしろと言いたい。「ねじれ、ねじれ」というが、一党が過半数を取ること自体が不自然ではないか。多様な意見を調整して国民のための政治を行ってほしい。

(日記:午前、午後とも、ホームページづくりの勉強。少し先が見えてきたように思う。自分が学んでみると、授業の在り方も見えてくるような気がする。生徒の気持ちもよくわかる。)

 
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お腹空いたら田植えをしよう

17 8月

それをするために何をすべきか
 今日は一日、ホームページ作りに没頭した。といっても、途中で誰かが尋ねてきたり、いろんな用事が出てきて朝から晩まで全ての時間をホームページ作りに費やしたわけではない。

 私は産業支援センターで、ホームページ制作の講座を合わせて4日間受講した。講座を受けたからできるというものでもない。何故なら、私が受講した講座は、指示にした従って動いている場面が多かったからである。

 「はい右へ曲がって10歩進みなさい」、「次に左へ曲がって3歩進みなさい」、「そのまま真っ直ぐ10歩歩きなさい」、「目の前に八百屋さんがあるでしょう」というような調子である。言われたとおりに歩けば、確かに目的地に達する。

 しかし、自分一人で歩くとなるとそうはいかない。歩数を間違えば全く別の方向へ行ってしまう可能性があるからだ。それでも、一度は指示どおりに歩くことも必要かも知れない。

左側にDVDレコーダー、右手にマニュアル、真ん中に設計図と計算機、そして正面にはパソコン。左手でDVDを止めたり、進めたりしながらのホームページ作り。

左手でDVDプレイヤー操作、右手にマニュアル
 今日は、2冊のマニュアル、そして2種類のDVDによる映像講座を使いながら、ホームページ作りを行った。1冊のマニュアルにはDVDが付いていた。また、もう1種類のDVDは産業支援センターで借りたものだ。

 少し進んでは、自分もやってみる。この繰り返しだあった。DVDの講座で作る摸擬のホームページではなく、『いなかもんの“演歌の広場”』と題してホームページ作りを始めた。なかなか大変である。DVDを戻したり進めたりしながら作業を続けた。最後まで行けるのか、多少不安ではある。ぜひとも完成させだい。

本当に作りたいホームページとは?
 私が本当にやりたいことは、『高校数学講座』である。サブタイトルは「数学は読解だ!」である。何か一つの数式なり、文章を見たときに、そこから何が読み取れるかである。国語の読解とは全く異なるが、一つの数式などからどれだけ情報を読み取れるかで数学ができるかどうかが決まる。

 小学校算数を例にあげれば、次のようなことだろうか?

「25人の児童がいるクラスを、10人のA班と15人のB班に分けて空き缶拾いをしました。A班は50この空き缶を拾いました。B班の平均は3個でした。」

 これだけを読んで子ども達は何がわかるだろうか。国語の読解ではなく、算数として何が読み取れるだろうか。実際に、小学校の子供達をお借りして、調査(実験)をしたことがある。子供にとって読み取るレベルは様々だった。(A班の平均、B班の総個数、このクラスの空き缶の総個数、このクラスの平均などがわかる。) 

 私には、いきなり数学講座を展開できるホームページを作ろうとしても無理である。そこで、第1回目の練習としては、『いなかもんの“演歌の広場”』なるホームページを作り始めた。お腹が空いたら田植えの如く、先ず、ホームページを作る技術の修得から始めなければならない。

 そのためには、マニュアルだけでは無理なので、産業支援センターへ出かけることにした。講義も受けたが、産業情報資料室で映像講座のDVDや書籍も借りた。一方では、画像編集の技術も身に付けなければならない。動画編集の技術もほしい。アニメの技術も必要だ。

 このように考えると、正に「腹が減ったので、ご飯を炊く」ではなく、「腹が減ったので田植えをして、米を育て、脱穀、精米して、ようやく炊飯器でご飯を炊けるのだ。道は遠いが、一歩一歩基本から始めるしかない。

(日記:午前中、区長と郷土芸能部長が事務所へやって来る。その後、ホームページ作り。午後も継続する。夕方、長女の家族がやってきた。長男の嫁と子供もいるので夕食はとてもにぎやかだった。)

 
 

盆踊り復活の拠点、村岡町

16 8月

盆踊り復活説明会から1年
 昨年の5月28日だったと思います。村岡公民館で、「盆踊り復活の説明会を開催させていただきました。開催に当たって「まちづくりむろこの会」の会長の木下さんのご協力をいただきました。その後、同じような会を木下さんが区長を務める浄土寺でも開催しました。

 こうした方々の熱心な取り組みにより、今、村岡地区は、盆踊り復活の最先端を走っています。その後、当時の婦人会の役員の皆さんの中から、民謡踊り団体「おどり隊ひらり」が誕生しました。

 昨日の勝山夏祭りでの盆踊り復活イベント「ふるさとのおどり大会」もこの「おどり隊ひらり」の皆さんが中心になって頑張ってくださいました。この他にも猪野瀬地区や遅羽地区の皆さんも多数参加してくださいました。

かつての勝山は「おどり」となるとこのような賑わいでした。(於:昭和30年代の勝山神明神社)

村岡山ちょうちん登山のアトラクション
 今日、8月16日は、毎年「村岡山ちょうちん登山」が行われています。そして、登山前のアトラクションとしていろんなイベントが行われていますが、今年も、「おどり隊ひらり」の皆さんの『勝山よいとこ」の発表に続いて、盆踊り大会が開かれました。

 そして、たくさんに人達が盆踊りを楽しんでおられました。昔は、どこの集落でも盛んであった「盆踊り」が完全に廃ってしまいましたが、今また、少しずつ復活に向けての取り組みが行われています。とても嬉しい限りだと思います。今後もこうした活動を支援していきたいと思っています。

番外-パソコンが壊れる
 愛用のパソコンが昨日壊れてしまいました。素人には全く手が出せない状況に陥りました。原因は、電気の使いすぎでブレーカーが落ちて、電気が切れてしまったからです。

 そのために、息子の友達のY君に助けを求めました。夕方、Y君が我が家へやって来ました。そして、壊れた部分を修復してくれました。命拾いをしました。大事なデータが全て詰まっている意パソコンだったからです。一時はどうなるかと心配になりました。

 こうした仲間に助けられて私は今快適にパソコンを使っています。感謝、感謝でいっぱいです。息子が東京へ行って以来、Y君は私にとってのパソコンドクターです。 

(日記:午前9時より盆踊りに使われた櫓を解体し、越前大仏の門前町倉庫へ運びました。私も少しだけお手伝いしました。その後、家庭菜園の草取りをしました。夏には雑草が伸びるので大変です。午後、昼寝。夕方、パソコンが壊れてしまし、息子の友達のY君が修復するために、我が家へ来てくれました。そして見事に復活して暮れました。その後、「村岡山ちょうちん登山」の会場である村岡小学校へ出かけました。そして、盆踊りなどを楽しみました。)

 
 

とにかく終わった-!

15 8月

分踊り復活アクションの終わり
 6月から始めた盆踊り復活のアクションは、とうとう終わった。天候に恵まれて終わった。ここ1週間は毎日天気予報を見ていた。最初は晴れの予報が出ていたのに、ここ最近は前後が雨で15日は曇りと出ていた。昨日の予報もあまりよくなかった。今朝の予報も踊りの時間帯には一雨来そうな予報だった。

 しかし今日は朝からよい天気だった。午前8時、楽器を積んで西小学校へ行く。9時過ぎから、和太鼓の練習開始。昼近くに、大野市の上庄中学校の同窓会へ行く。最初に赴任した学校で、1、2年生を担任した卒業生の皆さんたちだ。45年ぶりの再会だった。

45年ぶりに再会した上庄中学校卒業生の皆さん

 中途で退席して、勝山へ戻る。4時頃から、ゆめおーれの野外ステージで和太鼓の練習。そして、6時より、郷土芸能発表。最初は、『おどり隊ひらり』の皆さんの踊り発表。続いて、尺八の竹友会と三味線歌で民謡発表。さらに、再結成した『越前勝山春駒太鼓』の和太鼓発表。そして、ステージで有志による『勝山よいとこ』の踊り発表。

 そして、7時頃から、『ふるさとの踊り大会』が始まった。「弁天そばの会」の皆さんが盆踊りに花を添えてくださった。これからも盆踊り復活に向けてがんばりたい。

盆踊りに花を添えてくださった「弁天そばの会」の皆さん盆踊りの写真は後日。 郷土芸能発表で担ぎ桶胴太鼓の新曲『春馬』を披露する春駒太鼓のメンバー

郷土芸能発表で担ぎ桶胴太鼓の新曲『春馬』を演奏する春駒太鼓のメンバー

 

郷土芸能発表で『勝山よいとこ』を発表する「おどり隊ひらり」のみなさん

盆踊り伴奏隊のみなさん

  

櫓を囲んで盆踊りを楽しむ市民の皆さん

 
 

勝山夏祭り

14 8月

天候だけは……
 今日は勝山夏祭り。しかし朝から雨が降っている。最近まで晴れた暑い日が続いたが、ここ数日間天候が安定しない。今日は勝山の夏祭りのメインイベントがある日だ。恐竜パレード、ヨサコイ系のパフォーマンス『勝ち山ワッショイ』、そして花火だ。

 関係者はやきもきしていたのではなかろうか。全くの悪天候だ。どんなに文明が発達しても、今のところ天候だけはいかんともしがたい。人工的に雨を回避する技術はないわけではないが、勝山市レベルではどうしようもない。

 明日は、私が6月頃から取り組んできた『ふるさとの踊り大会がある日だ。合わせて、『手打ちそばまつり』も開催してもらった。それに、和太鼓などの郷土芸能発表もある。しかし、雨となると人の出足はぐっと減るだろう。

 今日の悪天候により花火大会は明日に順延となった。明日は、民謡大会と花火が同じ時間帯に開催されることになる。途中から人の流れが変わるのではないかと心配である。かなりの人が「ゆめおーれ」広場から、弁天河原へ移動するだろう。

 先ずは、晴れること、そしてそれなりの人が集まることを期待したい。広場で盆踊りを楽しんでもらいたい。

 盆踊りが、手打ちそばとドッキングした。人が集まれば、何かが始まる。そこには出会いもあればビジネスも生まれる。盆踊りだけではどうしようもない。盆踊りをきっかけに人が集まり、食と結びつき、健康と結びつき、人とのふれあいが始まり、まちの活性化に繋がることを望みたい。

市役所前を出発する恐竜パレード

恐竜パレードを見て 
 
勝山が全国に誇れるものは何だろうかと考えれば誰もが恐竜と答えるのではなかろうか。それだけに、『県立恐竜博物館』の開館10周年の今年は、勝山あげて夏祭りで恐竜を全国に発信してもらたいと、私は昨年から考えていた。

 期待を胸に、恐竜パレードの出発地点である市役所前の駐車場へ出かけた。かなりの人が集まり、出発式を行っていた。そして、恐竜パレードが始まった。高校のマーチングやプロの業者が作ったリアルで動く恐竜もあったが、この恐竜パレードで市外・県内外から人を呼べるだろうかと考えると、残念ながら十分ではなかろう。

 恐竜に関するパフォーマンスを一般公募する前に、どのようにして勝山が全国に誇る恐竜を夏祭りに取り込むかを十分考えなければならなかったのではなかろうか。1回目だからこれでいいだろうという人がいるかも知れないが、1回目だからこそ、もっともっと練って練って恐竜をアピールしてほしかったと思う。

 勝山でやっても、福井でやっても、敦賀でやっても、同じであるというようなものでは、県内外から観光客を呼ぶことは困難であろう。町の文化祭をやるのか、まちなか観光元年として、全国に誇れるものを目指すのか、コンセプトがはっきりしなかったように思う。

 勝山独特のものをやり、それがある程度のレベルに達していれば、人は集まるであろう。恐竜の活かし方は、まだまだあるように思う。

 勝山の全国に誇れる観光資源は恐竜だから、「恐竜パレードをやろう!」ということまでは理解できても、そこから先、もっともっと議論して、恐竜をどのように生かすのかを考えるべきではなかったか。今日のパレードで満足していては、いつまで経っても、ご町内の文化祭レベルを超えられないのではないか。

 私も参加したかったが、あまりにも多忙で準備ができなかった。それというのも、6月以来、ずっと「盆踊り復活」のためのアクションに時間をとられていたからだ。材料は買ってあるので、今後もこのような催しがあるのならば、私も評論家のごとくが外野席から意見を述べるだけではなく、参加して見たい。

(日記:午前中、事務所でパソコンの勉強。午後、明日の郷土芸能発表のために和太鼓運搬。そして、恐竜パレード見学。夕方、墓の清掃と墓参り。村の当番として、延命地蔵の供養。夜、明日の盆踊り大会の準備。カセットテープの音楽をCDに焼く。多忙な一日であった。)

 
 

ようやく『矢戸口ええとこ音頭』完成

13 8月

「民謡を作りたい」
 鹿谷町矢戸口のTさんから詩が持ち込まれ「矢戸口の民謡を作りたい」という申し出があった。昨年のことであった。民謡というと自分としては、二つの流れがあると思っている。一つは、日本で昔から伝わっている節回しの多い素朴なものと、現代風の楽器を使った明るいものだ。 私は前者のような民謡を作りたいと思っているが、簡単ではない。どうしても今風の民謡になってしまう。今回の『矢戸口ええとこ音頭』は、どちらかといえば、今風の新民謡だ。詩をいただいてから、メロディーを作るのはそんなに時間がかからなかった。しかし、編曲にはかなりの時間がかかった。

 専門家なら、逆かも知れない。私は音楽には素人だから、どのような楽器をどのように使えばよいかという確たる理論を持ち合わせていない。三味線、尺八、太鼓、鉦の他に何を使えばよいのか。いろいろやって聴いてみるしかない。試行錯誤の連続だ。

 カラオケが出来上がったら、Tさんご要望のAさんに歌の吹き込みを依頼した。自宅のパソコンでデジタル録音をした。3回ほど吹き込んでもらえば、後は全てパソコン上で編集できる。便利な時代になったものだ。

自宅で女性が歌う部分をデジタル録音するはるみ(家内)

「男性歌唱」と「男女歌唱」でCD化
 女性の歌は、家内にたのんだ。家内は、普段、歌の練習をしていないので高音が十分出ない。昨日練習して今日吹き込みを行った。5番の内3番はAさんが歌い、2曲は家内が歌った。

 CD化にあたり、一つは男性のAさんだけが歌っているもの。もう一つのCDは、男女が交互に歌うものだ。どちらも歌の最後の部分は一緒に歌うようにした。そして、もう1曲は、カラオケだ。

 そして、3曲入りのCD化を5枚作った。毎日やっていたわけではないが、半年ほどかかった。まだまだ未熟だと思う。この歌が、今後どのように生かされるのか、私は関知しない。どこかの誰かが、歌ったり、踊ったりすることを願うばかりである。

 それにしても、便利な世の中になったものだ。昔なら、レコード盤を作るなんて夢のまた夢だった。40年前、私は自作の民謡『勝山小唄』(作詞:島田慶雄氏)を業者に頼んでソノシートにするのがやっとだった。

 吹き込みは、小学校の音楽室で、三味線、太鼓、ピアノ、アコーデオン(私)、歌などを同時に録音したものだった。誰か一人が途中で間違えば、始めからやり直しだった。

 今は、パソコンの中に好きな楽器が入っている。命令さえしっかりすれば、指示通りに演奏してくれるのだ。歌の吹き込みも、途中で間違おうと気にしないでいい。後でよいところばかりをつなぎ合わせればいいのだ。この調子で時代はどんどん変わっていく。

 しかし、創造性だけは何時の時代も必要だ。これからは、これまで以上に創造性が必要だと思う。決まり切ったことは、 パソコンに任せればいいのだから。

完成した『矢戸口ええとこ音頭』のCD

(日記:午前中、民謡の吹き込み。午後CD編集。音のバランス、各パートのボリュームなどを調整。合間に部屋の整理整頓。夕方、事務所でパソコンを動かす。夜は、『ゲゲゲの女房』を見る。今日は時々雨が降るために、移植したキュウリが何とか生きられそうだ。 )

 
 

ゲゲゲの女房

12 8月

自分のペースで連続ドラマ
 私は、いくつかの連続ドラマを見ている。一つはNHKの大河ドラマでもう一つは朝の連続テレビ小説だ。今年は、前者が『龍馬伝』で、後者は『ゲゲゲの女房』だ。この他、民放のドラマでは、高校時代の奥村正彦さんが監督する連続ドラマが放映されていれば必ず見てきた。これらは録画して必ず夫婦で見ることにしている。

 3月までは、役所勤めであったので、時間通りには見ることができず、早くて半年遅れという状況だった。今年も、ようやく、『龍馬伝』は6月13日(日)まで、『ゲゲゲの女房』は、5月8日(土)まで見終えた。

 普段は、人材育成、教育、まちづくり、音楽、起業に関すものなどを単発的に録画し、DVDに焼いて保存している。また、ドラマや音楽番組が始まる時間に風呂に入らなければならないとなると、録画しておいて風呂を優先することにしている。テレビに生活を合わせたくないからだ。

自分の高校時代とだぶる『ゲゲゲの女房』
 中学・高校時代の私は漫画家志望だった。明けても暮れても漫画を描いていたいた時期があった。中学時代には通信教育を受けた。また、親戚の方が事務員として務めていた大阪の工業高校出身の漫画家、山口勇幸氏にも教えていただいた。山口氏は、主に貸本屋向けの漫画を描いておられた。

 『ゲゲゲの女房』に出てくる主人公の一人水木しげる氏も、最初は貸本屋向けの漫画家だったらしい。山口氏も時々は月刊雑誌の付録などの漫画を描いておられたが、活躍の舞台は貸本漫画であった。

 この 『ゲゲゲの女房』は、漫画家志望だった私には、とても親しみの持てるドラマだ。まだ、5月最初の部分までしか見ていないが、それでもなかなか興味深い。必ず家内といっしょに見ているが、私は特に漫画家の生活に興味がある。家内は、水木氏の奥さんの方に興味があるかも知れない。

 今後このドラマがどのような方向に進んでいくのか、興味のあるところである。

私が中学生時代に描いた4コマ漫画。誠にお恥ずかしい。

昔漫画家志望、今は……
 昔は漫画家志望だったが、大学に入ってからは、趣味は音楽に変わった。テレビの出現で漫画か受難の時代が始まったのだ。私の高校時代前後には、ほぼ全ての月刊漫画雑誌が廃刊になってしまったのだ。山口氏も仲間と共に広告関係の会社を作って漫画家から他の分野へ転向したのだ。

 私の前途は真っ暗になってしまった。しかし、その時代をくぐり抜けた本物の漫画家だけが生き延びて、その後の漫画ブームに乗って活躍したのだ。

 漫画家にはなれなかった私ではあるが、今でも漫画には未練がある。いつかは、何らかの形で漫画に関わりたいと思っている。

(日記:午前中、家庭菜園でキュウリの苗の植え替え。家内が、数週間前に秋ギュウリの種を播いた。一カ所に3粒の種を播いたが、ほとんどが立派に育った。普通は、1本だけを残して間引きしなければならない。しかし、せっかく育った苗を捨ててしまうのはもったいない。そこで、雨の日を待って、間引きする苗を他の場所に植え替えたいと思っていた。晴れが続く間は植え替えられなかったが、今日は雨だった。
 午後、産業支援センターへ出かけ、借りたDVDを返却すると共に、新たなDVD4本と本を1冊借りた。午後は、盆前なので部屋の整理をした。その後、詩を持ち込まれた民謡の吹き込みを行った。男性の歌唱部分は吹き込みを終えていたので、女性の歌唱部分を吹き込んだ。)

女性を描くのは大好き(パソコンで着色)