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Archive for 6月, 2010

団子まき

20 6月

復活の団子まき
 私達の村には、曹洞宗の仏母寺がある。西暦1700年頃に、この村の有志が、曹洞宗の方慶寺の住職の隠居寺として建立したのだという。しかし、村のものは全員浄土真宗の門徒であり、宗派は違うが門徒のいないこの寺を長年守ってきたのである。

 そして、私達の子どもの頃には、この寺で涅槃会には団子まきが行われてきたのである。それを今年は何十年ぶり課に復活したのである。この木曜日に、この寺の住職(三国から兼務でこの寺の住職を務めていただいている)から涅槃団子の作り方を教えていただいたのである。

 最初に、村に伝わる郷土芸能『銭太鼓』を中年会の有志が奉納し、その後、涅槃会が営まれ、住職の読経が一時間あまり行われた。

 そして、待望の団子まきが行われた。この頃には、子ども達も集まり、かなりの賑わいとなった。この寺とは疎遠だった者も、久々にこの寺へ集い、復活した団子まきを楽しんだ。

 昔は、この団子を小袋に入れて持ち歩くと、蛇に噛まれないのだという言い伝えがあり、誰もが、団子を持ち歩いたものである。一種のお守りであった。

仏母寺で数十年ぶりに復活した『団子まき』

 
(日記:和太鼓楽譜づくり。午後、物置の整理。和太鼓の楽譜づくり。夜、子ども達とウェブカム:パソコンを使っての会話)

 
 

50年前の手紙

19 6月

漫画家志望
 家にある諸々のものの整理は容易ではない。ある人によれば、2年はかかるといい、先日我が家を訪れたI先生は、10年かかりますよとおっしゃる。

 毎日、半日ぐらいは家の諸々のものの整理をしているが、いずれにしても簡単でないことはよく分かる。あれこれ資料を整理していると、思いがけないものが出てきて、思わず見入ってしまう。尊簡作業は中止だ。

 今日は、50年前の手紙が見つかった。

 秋田書店からのものだ。

 秋田書店と言えば、1952に少年雑誌『冒険王』を創刊し、同誌の大ヒットをきっかけに漫画の出版を柱とするようになった。私の子ども時代には、『イガグリくん』(福井栄一)や『木刀君』(高野よしてる)が有名であった。また、漫画雑誌『漫画王』も創刊している。1969年に『週刊少年チャンピオン』を創刊し、同誌に連載された『ドカベン』(水島新司)や『ブラックジャック』(手塚治虫)、『がきデカ』(山上たつひこ)などの漫画作品は国民的大ヒットとなった。

わくわくして封を開いた秋田書店からの手紙(約50年前のもの)。

出版社から返事が来て大喜び
 中学・高校時代に漫画家志望だった私は、せっせと出版社へ漫画を送り続けていたのだ。このときは、カラーで西部劇漫画の表紙だけを送り、後に、中身を送ったことを覚えている。

 当時は、手紙(返事)が来るだけでも、大したものだといわれていたので本当に嬉しかったことを覚えている。

 こんなものまで保存していた自分が愛おしい。!?

(日記:午前中家の整理。午後、和太鼓の楽譜書き。そして今からサッカーを見る予定。)

 
 

農舎の地鎮祭

18 6月

米作りは持続するだろうか
 午前五時起床。午前6時より『農事法人かたせ』の農舎の地鎮祭が行われた。既存の農舎が手狭になったので、拡張するのだ。そして、新たな作業ができるように、施設を充実するのだ。しかし、この法人に関わって一線で活躍している者は皆60歳、70歳過ぎの高齢者ばかりだ。

 高齢化したり、後継者がいなかったりして、田んぼを守り米作りが困難になった人たちの田んぼを預かり、耕作するのだが、請け負う人たちが高齢化しているので、今後どうなるかが心配だ。増築してもこの先大丈夫だろうかという心配がないでもない。
 
 神事の後の神主さんの挨拶にあったように、静かな朝に小鳥の声を聞くのは久しぶりでとても気持ちがよかった。

 帰宅途中に、散歩中の元同僚とあった。立ち止まって少し話をした。彼は時々散歩をしているらしい。散歩も悪くないなあと思った。晴れた日、一週間に一度か二度、農道を散歩してみたいものだ。

(日記:午前中、和太鼓の楽譜づくり。午後、家庭菜園の耕耘作業。夜、事務所で和太鼓の楽譜づくり。)

 
 

ふるさとを思う気持ち

17 6月

ふるさと賛歌
 ふるさとを離れてふるさとを思うのは、誰もが抱く自然な感情だろうと思う。特に、田舎で生まれた人はその気持ちが強いかも知れない。また、新しく移り住んだ土地が、ふるさとと環境が大きく異なる場合にはなおさらそうかも知れない。

 朝、市内に住むI先生から電話があった。
「北谷出身の高齢者のMさんが作った詩を、同じ北谷出身のGさんが私の所へ持ってきて、曲を付けてほしいというのですが、私にはできないので、作ってあげていただけませんか」
というものであった。

 できた歌をCDにして、地区の行事に使いたいらしい。しかし、一人の思いつきで、勝手に地域の歌を作って、それを地域の行事で使用するということは、よいことであっても、よく思わない人も出てくるはずだ。そうなれば、紹介したGさんも、その話に乗った私も快くは思われないだろう。地区の歌を作るとなるとそう簡単にはいかないと思うのだ。

 たいがい私は、自分ができることであれば、人に頼まれればいやとは言わないようにしている。そこで私はIさんに伝えた。

「今日の話はもう少し詳しく聞かせていただけませんか。それから、詩を見せていただけませんか。」
と伝えた。しばらくすると、I先生とGさんが我が家へやって来た。

「Gさん、せっかくいいことをやっていながら地域の理解を得られないと非難されかねません。一度、区長さんに会わせていただけませんか。本当に地区のみなさんが地区の歌を作るることを望んでおられるのかどうか確かめてみたいのです。」

 地域の人達の願いがそうであれば、私は、可能な限り頑張ってみたいということも申し上げた。この先どうなるかは分からないが、何かを思いついても、理解者がいなければ反発を招くだけだということをこれまで何度も経験してきた。

 ことがうまく進んで、ふるさとを思うMさんの歌詞が歌になることを望みたい。

谷の「お面さん祭り」の夜、道場のいろりの周りでふるさと料理を味わい、思い出話に花を咲かせる。

 

(日記:午前中、来客(北谷の人)。午後、和太鼓の楽譜整理。夕方、長女が二人の子ども連れてやって来る。)

 
 

郷土芸能に関わった一日

16 6月

郷土民謡の振り付け表
  朝、9時半に村岡公民館へ出かけた。勝山の郷土民謡の「振り付け図」の写真を取るためだ。「民謡隊ひらり」のみなさんの協力を得て、4曲の民謡の振り付け写真を撮影した。一人でも多くの人が勝山の民謡の踊り方を知っていただきたいという願いからだ。

 連続した踊りを分解して、一枚一枚撮影することは、モデルになってくれた「ひらり」のみなさんにとっては大変なことだ。撮影する方も、いろいろ考えて苦労した。

 協力してくれたミラ里のみなさんに感謝したい。「

 次は、郷土民謡の「踊り方」のDVDを作りたいと考えている。

二人のアメリカ人に和太鼓指導
 午後、5時から私の事務所で、二人のアメリカ人に和太鼓を指導した。来月アメリカへ帰ると言うが、何とか、勝山でのよい思い出にと和太鼓を教えている。そして、帰国する前に、彼女たちの「ミニコンサート」ができればと思っている。

 二人のうち一人は、アメリカの大学で『三宅太鼓』を練習してきている。太鼓サークルで学んだそうだ。今日はこの曲と私の作った曲を指導した。予想以上に熱心で、上達も早い。後、数回しか練習できないが、彼女たちの日本の土産としたい。

このときのメンバーが駆けつけてくれた。うれしい限りである。

和太鼓チーム復活
 夏祭りの「盆踊り」を計画しているが、この中で「郷土芸能の発表」も考えている。祭りと言えば和太鼓があってもいいと思っている。元のメンバーの一人に声をかけたところ、5人のメンバーが私の事務所へ集まってきた。

 彼女たちが20歳の頃、いっしょに和太鼓をやったメンバーだ(高校時代には部活動でも指導したが)。彼女たちは、今、全員が22歳だ。若いメンバーの力を借りて、新しい『越前勝山春駒太鼓』の「再出発だ。私の息子は、東京へ出てしまって今回は二人いた男子メンバーがいないのでさみしいが、それでも、何とか頑張ってメンバーを増やしたいと思っている。

(日記:午前中、盆踊り写真写真撮影。午後、家庭菜園作業。夕方、外国人女性に和太鼓指導。夜、『越前勝山春駒太鼓』の再結成のためのミーティング。)

 
 

市民大学講座

15 6月

勝山よいとこ
 午前中、市民大学講座に顔を出した。講師の(民謡隊ひらり)方々から頼まれたからだ。高齢者の方が生徒で、民謡グループのみなさんがこれまで教えてくれたのだ。

 実は、今日練習した曲は、私が、一昨年に作った曲だ。去年はかなりたくさんのグループのみなさんが、この踊りを練習してくださった。有り難いことだ。

 実を言うと、この曲は、私が『盆踊り復活』を願って作ったものだ。いわば、分踊り復活運動の“テーマ曲”のようなものだ。普通、盆踊りというと、誰もが簡単に輪の中へ入って踊れる「郡上おどり』系とどちらかというと見せることが中心の「八尾おどり」に大別されるかも知れない。

 郷土民謡が10曲あったとすれば、9曲は「郡上おどり」風である方がいいと思っている。しかし、1曲ぐらいは見ても楽しい「八尾風の盆」のような優雅な踊りがあってもよいだろう。

 そう思って作ったのが、この『勝山よいとこ』だ。

 教育会館のホールでこの踊りの指導を行った、。と言っても、私は踊りの素人だ。でも、自分が作って自分が吹き込んだこの曲は何とか踊り方ぐらい教えられるかも知れないと思って、引き受けたのだ。楽しい時間を過ごすことができた。

(’日記:午前中、市民大学講座。午後、福井の本屋へ出かける。夕方、小松空港へ家内とその両親を迎えに行く。)

『勝山よいとこ』の練習風景。手前は民謡隊ひらりのTさん。(勝山市教育会館)

 
 

三度の食事

14 6月

準備と後始末
 昨日から家内が親孝旅行(2泊三日で九州)にでかけたため、3度の食事は自分で考えなければならない。いざというときのために、カレーだけはたくさん作っておいてくれた。

 しかし、いくらカレーが好きだからといっても三度ともカレーじゃたまらない。朝は、わかめとアゲを使ってみそ汁を作った。それにサラダ、卵、漬け物、ご飯で何とか持たせたが、三日間大丈夫だろうか。

 特に、食事の後の食器洗いが大変だ。洗剤を付けて一つ一つ洗わなければならない。なるべく食器を使わないようにしなければならないと思う。単純な食事でさえ、準備と後始末が結構面倒だ。

 IHにしたために、炎を見ることはなくなった。台所周りも結構すっきりしている。しかし、もし停電になったらどうすればよいのだろうか?いざというときの備えは不可欠だ。食事をしながらよけいなことを考えている。

三度の食事
 これまでは、わが家庭は、分業でやって来た。しかし、四月から外へ働きに行かなくなったので、三度の食事の手伝いを少しはしなければならないと思っている。

  「サラダを担当する」と宣言したが、実際にはほとんどできていない。せいぜい食事の準備を少し手伝うくらいだ。三度の食事に関しては、まだまだ客人だ。 

 できることから少しずつ始めなければと思っている。食事に関しては、まだまだ、家内におんぶにだっこである。
 
 三度の食事は、外で働く仕事に匹敵する大変な仕事であるとこれまでも思っていたが、その通りである。

 昔、職場の同僚(スポーツウーマン)が、「夕方になると食事のことを考えて憂鬱になる。」と言っていたのを今も覚えている。「今晩何を作るか」、「そのためにどんな買い物をする必要があるのか」、「年寄りと若い者の好みの違いをどうするか}など考えることが多いとのことだった。

 当時も今も、「その通りだ」と思う。

(日記:午前中歌作り。午後、和太鼓の楽譜づくり。)

 
 

久しぶり

13 6月

恐竜のまち勝山応援隊
 今日は家内が、姉といっしょに実家の両親を旅行に招待するために、九州へ行ってしまった。そこで、久々にNPO「恐竜のまち勝山応援隊」の理事長であるUさんを自宅に呼んだ。ビールを飲みながら、あれこれ話した。

 彼は、文字通り、「恐竜のまち勝山」の応援隊である。今月も連日「恐竜の森」へ出かけているそうだ。早いときには、4時にはもう公園で仕事をしているとのことであった。

 今年は、県立恐竜博物館ができてから10周年を迎えるために、様々な行事が仕組まれている。正に、勝山の誇る学術的・観光資源である。これを生かさない手はない。

 今年を元年に、恐竜のまちにふさわしいイベントを期待したいものである。それと同時に、私には何ができるのかを考えてみたい。傍観者ではなく、参加者としてまちづくりの一端を担えたらと思っている。

恐竜から何を学ぶか
 恐竜という素材は大きな可能性を秘めている。地球の歴史を紐解くと、ある時期、この地球上で繁栄を謳歌し、そして絶滅していったのである。

 彼等の絶滅から私たちは、学ぶことがないのだろうか?

 環境に適応することは是か非か?

 答えは、「NO」である。確かに環境に適して生きることは大切だ。しかし、適応しすぎると、環境の大きな変化で生き残ることが困難であるからだ。

 恐竜がそうであるように、環境に適して生活していた時期は長いが、環境の激変により、絶滅してしまったのだ。そして、恐竜の全盛期に、細々と生き延びていた動物たちがその後も生き延びて、様々に変化して現在に至っているのである。

 長い地球の歴史の中で、生物の絶滅期は何度も訪れているのである。環境に合わせすぎて、その変化についていけないようでは悲しい。今こそ、自然環境を守り、自然の一部であることを自覚し、暮らしていきたいものである。

(日記:股旅演歌づくり。資料整理。ハワイアンギター練習。夜は語らい。)

 
 

YES WE CAN

12 6月

読んでもらいたい一心で
 今、家の様々なものを整理している。捨てられなくて、保存しておいたものを整理しながら、少しずつ捨てている。

 そんな中から、いろんなものが出てくる。その一つが『福井県高等学校教育研究会・進路指導部会』の会報だ。私は、昭和63年度、平成元年度と進路指導部会の事務局をあずかった。そのために、年度末には「会報」を発刊しなければならない。

 しかし、表紙も中身も文字ばかりのこの会報を誰も読んではくれないだろう。お堅い内容のこの冊子を何とか少しでも読んでもらいたいと考えた。

 そこで、次のようなことを、実行することにした。

・表紙にいきなり「YES WE CAN」と大きく書き、なんだこの冊子はと思わせるようにする。
・それまでなかった対談記事を載せる。
 ◎『県内企業の人事担当者に聞く』として
   ○昭和63年には『新しい感覚で行動するために(』(セーレン株式会社)
   ○平成元年度には『多様化時代への対応をめざして』(三谷主事株式会社)
   今、企業で求められている人材について話を伺い、対談記事を掲載した。
・それまでなかった写真を入れる。(創意工夫を凝らし、安価で自ら編集した。)
・しかし、費用は予算内で行う。

昭和63年度の『福井県高教研・進路指導部会・会報』にでかでかと書かれた「YES WE CAN」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オバマ大統領の誕生
 オバマ大統領が誕生した。リンカーン大統領、キング牧師の時代を経て、初の黒人大統領オバマ氏が誕生した。リンカーン大統領やキング牧師の夢が叶ったのだ。

 そして、オバマ大統領は「YES WE CAN」と世界にメッセージを発したのだ。

 今から20年あまり前に、「YES WE CAN」と大書したことが懐かしい。

(日記:午前中、平泉寺物語の絵の修正など。午後、収集物の整理。夜、孫達とウェブカム。)

 
 

健康器具あれこれ

11 6月

通販と訪問販売健康器具
 「これまで私はどれだけ健康器具を買っただろうか?」と考えてみると、結構ある。
 ・振動型マッサージ器具 ・腹筋器具 ・ボート漕ぎ器具
 ・ウオーキングマシーン(プログラム可能) ・全身マッサージ器具
 ・子どものためと称して「ウイースポーツ」……、
 まだまだあるように思う。

 しかし、ウオーキングマシーンと全身マッサージ器具以外は、ほとんど使わないで粗大ゴミと化している。

 もう二度と買わないでおこう、そう思っていた。きっと使わないだろうから。

テレビショッピングで腹筋マシーン
 そう思っていたが、数日前の昼食時間に家内と二人でテレビを見ていた。そこで、腹筋マシーンの宣伝が繰り返されていた。

 私は、ひと頃より引っ込んだとはいえ、下腹が出ている。家内も、下腹が出始めている。腹筋というと、これまで何度も挫折してきた経験がある。

 何度も見ているうちに、だんだんほしくなってきた。しかし、家内は、私の性格をよく知っている。
「買わなくていい。また使わないんだから。」
と言う。

 そう言われると返す言葉がない。今まで、そうだったのだから。しかし、“今回ばかりは引き下がれない”という気持ちになってきた。

 そのうちに家内も迷い始めた。今だとばかりに、電話で注文してしまった。

 そして、二日ほどして、宅急便で品物が送られてきた。箱を見た瞬間、家内はがっかりしている。箱を開けると私もびっくりしてしまった。「これは、高い!」と思ってしまった。値段の割に器具があまりにもシンプルだからだ。

 しかし、使ってみるとまあまあだ。何も使わずに腹筋運動をやろうとすると、かなりハードだが、この器具は、バネがアシストしてくれる。アシストレベルは3段階である。

 昨日から、一日百回を目標にして腹筋運動を始めた。今のところ続けていけそうだと思っている。半年後にどうなるか楽しみだが、それまで腹筋運動を続けているかどうかが問題だ。

 他の運動と共に、『かつやま健康スタンプラリー』の中に組み込んで何とか頑張りたいと思っている。秋が楽しみだ。

(日記:午前中、泰澄大師物語制作。午後、家の整理。夕方、家庭菜園作業。)