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Archive for 4月, 2010

地域の誇り「F級グルメ」

30 4月

A級グルメとB級グルメ
  近年、「B級グルメ」という言葉をよく聞きます。また、B級グルメコンテストなども開催されているようです。これは、A級に対して使われる言葉でしょう。私が理解している「A級グルメ」、「B級グルメ」はおおむね次のようなものだと考えています。

   A級グルメ : 洗練された美しさや上品な味を売り物にする、宮廷料理や高級料理店の料理のような一流という定評がある料理

     B級グルメ : 値段は安いが美味しい料理のこと。外食チェーン店や大衆食堂などに見られるような料理。ファーストフード、丼物、惣菜などが含まれる。

  「B級グルメ」を持ち寄ってグランプリを競った「Bー1グランプリ」と呼ばれる大会も開かれている。20066年に青森県八戸市で第1回大会が開催され、以後毎年1回開催されている。

 B級グルメは、全国共通のメニューでありながら、易くて美味しく、地域の個性が出ている料理のように思われます。焼きそばやラーメンなどが代表的なものではないでしょうか。

F級グルメとは
 地域には地域独特の美味しい料理があるように思います。地域の人は誰でも知っているが、その土地以外のものは誰も知らないというような地域独特の料理も、これからの時代には脚光を浴びるのではないでしょうか。

 そこで、こうした料理を「F級グルメ」と定義することを提唱します。

 「F級グルメ」の「F」は“ふるさと(FURUSATO)”のFです。「F級グルメ」は、「ふるさと料理」といってもいいのですが、特に美味しくて、安価なものを敢えて「グルメ」をつけて地域以外の人にアピールしようというものです。

 この「F級グルメ」は、名前を聞いただけでは、最初はほとんどの人がどんな料理か分からないような「地域の個性たっぷりの食べ物」なのです。A、B、C……と来て、Fになるのではなく、最初から「ふるさと」に誇りを持って「F」を使っているのです。

 そして、これを味わうには、その土地へ出かけていくか、特別取り寄せなければ味わえないような仕組みを作れば、地域の発展にも役立つのではないでしょうか。

 「F級グルメ」は、全国共通、あるいは世界共通の「ファーストフード」の対極に位置していると考えています。

 いつの日にか、「F-1フェスティバル」でも開催されれば面白いのではないでしょうか?競い合うのではなく、地域の個性を食べ比べるのです。

 きっと同じ食材でもこのような食べ方があるのかと驚くような「F級グルメ」が存在していると思っています。

(日記:野菜苗・果物苗、花苗を購入。その後、JAへ籾殻堆肥を貰いに出かける(無料)。午後はナスの苗を植え、キウイのオス・メスの苗を植える。キュウリやピーマン等の苗翌日植え付けの予定。)

摘果しなかったためになり過ぎた我が家のキウイ(昨年)

 
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整理整頓

29 4月

パソコンの中は
 
家の中だったら、ものが整理されているかどうかは一目瞭然である。しかしながら、パソコンの中だったら、外からは見えないのでどうなっているかは簡単には分からない。はっきりしていることは、整理されていないということだ。

 せっかく集めた資料や以前に撮った写真、これまでに保存しておいた種々の資料、そしてこれまで作った自分の創作物……、一体全体どこにあるのかさっぱり分からなくなってきている。

 いざ探し出そうとすると、大変時間がかかる。時間がかかっても見つけられればいいが、それでも見つからない場合はがっかりする。

 せっかく保存しておいても、必要なときに見つからなければ、保存していないのと全く同じである。そこで、ここ数日、写真や資料の整理に明け暮れている。

 ほしいときに、すぐに見つけられるよう、分類しながらやっている。どこに保存したかを忘れた場合でも、検索できるように自分流の分類を行っている。整理を終わるまでには、もう少し時間がかかりそうだ。

“整理”に関する本
 これまで何冊か、整理のための本も買った。いくつかは実践しているが、忙しくて場当たり的になることが多い。部屋でいえば、本を乱雑に積んであるような状態で今日まで来てしまったのだ。

 これではダメだ、今度こそはとの思いで毎日パソコンの中を整理している。2,3ヶ月はかかりそうだ。

 作業中、これまで忘れていたいろんな写真に出会った。これらパソコンの中を整理しつつ、一方では、物置や車庫など目に見えるいろんな場所の整理も始めている。捨てるに捨てられないガラクタがたくさんあって整理には本当に苦労する。

 モノのない部屋って本当に気持ちがいい。自分もそうしたいが、簡単に捨てきれない。整理が一段落したら、充電期間を終えて、いよいよ活動を始めたいと思う。

平泉寺中卒業式の謝恩会でエレキギターを弾く(生徒が卒業するまでと思って元旦よりこの日まで髭を伸ばしていた。龍馬にも憧れていた。昭和45年3月)

 

(日記:家の整理。パソコンのファイルの出入り。畑の階段づくり。友人に来てもらってパソコン注文。)

 
 

書店と愛読書

28 4月

福井へ出る楽しみ
 今日は7回目の送別会(歓送迎会)が福井であった。福井へ出るときの楽しみは、予定時間より少し早めに出て本屋へ立ち寄ることだ。

 本を選ぶのはとても楽しいことだ。本を選ぶコーナーは決まっている。その中の一つに数学のコーナーがある。いつかは高校生向けの数学の参考書を書いてみたいという夢がある。

    この程度で本にできるのかと思う本もかなりある。本の形になると、何か凄いことが書いてあるように思うが、読んでみると期待はずれのものもかなりある。

電車の中での楽しみ
 電車で福井へ行く場合には、必ず充電してアイポッドを持って行くことにしている。その日の気分によって聴く音楽は異なるが、最近は『綾香』の曲にはまっている。しかし今日は、綾香を聞いた後、久しぶりにサムテーラーのサックスを聞きながら電車の中でうとうとしていた。 音楽が聴けるのは電車の中での楽しみの一つだ。

 もう一つの楽しみは本を読むことだ。福井ではだいたい2,3冊の本を買って帰ることにしているが、それとは別に、いつも小さな鞄の中に1冊の本を入れて持ち歩いている。書籍の名前は、岩波新書の『教育力(齋藤孝著)』だ。
    同じ本を何度も読んでいる。この本によって何か新しい考え方を獲得するというよりも、自分の考えに近い部分が多いので、自信を持つことができるからだ。

『教師自身が学び続けること』
    「子どもの個性を伸ばす」というスローガンはもっともらしく聞こえる。しかし、教師自身が何か高みを目指して飛ぶ矢のような勢いを持っていなければ、学ぶ側に「あこがれ」は生まれない。      

     教えるという行為にばかり気をとられて、教師自身が学ぶことを忘れている場合が少なくない。学ぶ側はそれなりに進歩しているにもかかわらず、教師の側が10年1日の如くであるとするならば、年々若しさが失われる分、教師の魅力は減っていく。(『教育力』より)

 最近、本県でも学力向上が叫ばれているが、このことを忘れてはなるまい。児童・生徒自身が学ぶ気になったときが、本当の学力が身につくものだと考えている。教師の背中での指導が望まれる所以である。

 
 

楽しく酒を飲むには

27 4月

話を肴に酒をいただく
  私が参加する送別会は、全部で8回ありますが、今日はその6回目でした。楽しく酒を飲むためにはどうしたらいいでしょうか?
 
 一般に酒席では、開会の挨拶済むと、頃合いをみはからって主賓なり上司に酒をつぐことになります。そこでは、多少の会話はありますが、全体で会話を楽しむことはあまりありません。

 あちこちで1:1の会話が進むことが多く、会が終わった場合には、ごく一部の人とだけ話が弾んで他の人とは、ただ会場に居合わせただけということになります。

 従って、団体で酒を飲んでいても、たまたま隣に居合わせた人と最も多く話すことになり、個人的に酒を飲んでいるようでそんなに楽しくありません。かといって全員と楽しく過ごすにはそれなりの時間が必要で、現実にはそんなことはできません。

「もしも私が市長だったら」
 これまで何度も実験をしたことがあります。ある時、公民館の館長さんと酒を飲むことになりました。部屋には、カラオケセットが用意されていました。会が始まった直後に、私はみなさんに一つのお願いをしました。

 「みなさんに一つのお願いがあります。せっかくみんなが一緒に酒を飲んでいるのですから、最初は自分の席を動かず、料理を楽しみながら、一人ずつ自分の想いを話してくださいませんか?あの人に酒を注がなければならない、この人に酒を注がなければならないとばかり考えていては酒が美味しくありません。落ち着いて料理を味わうこともできません。最初の1時間は兎に角自分の席を動かないで、あのカラオケのマイクを持って自分の想いを語ってください。」

  「何を話すんんゃの?」
と、早速質問が飛ぶ。

「“もしも私が市長だったら”ではどうでしょうか?」
と、私。

 結果はどうなったと思われますか。一人ひとりが自分の想いを語り、その最中に質問が飛ぶ。面白いことを言えば、
「座布団2枚!」
と、すかさず合いの手が入り、会場は非常に盛り上がりました。そして、一人ひとりが何を考えているかが分かり、質問や意見が飛び交い、爆笑と自分の意見を主張する声が混ざり合い、大いに盛り上がりました。1時間の予定が2時間もこの調子で会が進みました。

 その後、それぞれが席を動き、あちこちで先ほどの話の続きに花が咲きました。

「生まれて始めてうまい酒を飲んだ!」
という参加者の一人の感想に私は嬉しくなりました。

「最近何にはまっていますか?」
 
今日も、いつものペースで宴会が始まりました。退職した私の所へみなさんが一人ずつ酒を注ぎに来て下さいました。あちこちでは、酒を酌み交わしながら、話が弾んでいます。しかし、1:1の会話がほとんどです。

    そこで私は幹事さんにお願いしました。
「仕事以外で、“最近、自分がはまっているもの”を一人ずつ話していただけませんでしょうか」

 そして、参加したみなさんに、“最近自分がはまっているもの(夢中になっているもの)”を語っていただきました。短時間のつもりが、結構時間がかかりました。話す方も、聞く方もとても楽しい時間をもつことができたように思いました。

 みなさんの新しい一面がわかり、とても興味を持つことができました。参加者全員が、仕事以外にも自分の楽しみを持って毎日生活しておられるのだなあと感心しました。

 みなさんの生き方に感心すると共に、私も勇気をいただきました。明日からも、肩の力を抜いて前向きに生きようと思いながら、帰宅しました。とても楽しく酒を飲むことができました。

 
 

山菜採れずに山菜満喫!?

26 4月

太陽の下で烏と共に
 午前中は、昨日に続いて菜園の準備。ミニ耕耘機で畑を耕すと決まって1匹の烏がやってくる。昨日もそうだった。
 烏はこちらの動きが規則正しいことを知っているらしく、常に自分と反対側で虫などを捕っている。その距離は2mから5m位。畑を耕すことをやめると、烏はどこかへ行ってしまう。

 畑を再び耕し始めると、今度は2匹の烏がやってきた。相棒だろうか、それとも仲間だろうか。烏も生きるためには大変だなあと思う。
  こちらが汗を拭くなど不規則な動きをすると、烏は警戒態勢に入る。飛び立つか、身構えるかである。そこで、こちらは烏を驚かせないように、規則正しい動きで耕耘作業をすることにしている。
 青空の下での農作業(と言うほどのものでもないが)は非常に気持ちがよい。これからも、“一日一汗”で頑張りたいものだ。 

工事中で山菜採りを中断
  午後2時から、裏山へ山菜採りに出かける。途中で生コン車と出会う。不吉な予感。入り口には書いてはなかったが通行不能。本日の収穫は途中で採ったわずかなワラビだけ。方向を変えて別の場所へ出かけたが、ここもゲートが下りていて通行不可(まもなく通行可能となるが)。

 落胆して帰宅すると、車庫に不審な小型の段ボール箱。そーっと中をのぞくと、そこには、山ウド、タラの芽、コシアブラ、コゴミが入っているではないか。そして、メモ。

 山菜が採れずに落胆して帰ってきたが、望みの山菜が玄関先に勢揃い。夕飯はこれらの山菜の料理に舌鼓を打ったのは言うまでもない。Mさん、有り難うございました。

Mさんからいただいた山菜(左からタラの芽、コシアブラ、山ウド、こごみ)

 
 

サンデーファーマー本格始動

25 4月

ファンの多い自家製「いちごジャム」と「Qちゃん漬け」
 午前中は、九州・大阪からの客人の相手。彼等は我が家の自家製いちごジャムとQちゃん漬けのファンだ。今回も所用で九州から飛行機で来たが、ジャムの空き瓶を持っての帰省だ。 この両者のファンは、我が家の息子の家族もそうだ。

 自家製のいちごジャムは、自家製のいちごと砂糖とレモンを使うだけで、添加物は一切ないのだ。「一度食べたら市販のジャムは食べられない」と言ってくれるために、家内はせっせとジャムやQちゃん漬けを作って、子ども達や親類に配り続けているのだ。

 しかし、これらを作るためには、例えば、イチゴはネコの額のような家庭菜園で昨年のシーズンオフから苗を育てたり仮植したりと準備は1年がかりだ。

 Qちゃん漬けの方は、ゴールデンウイーク前後に苗を植えて、夏頃キュウリがたくさん実ったときに作るのだ。

作物の栽培は子育てと同じ
 今日はその準備のために、ミニ耕耘機で畑を耕した。耕した後、肥料を入れ、畝を立てた。いちごの方はクロマルチの穴から可憐な花を咲かせている。この寒さで十分成長してはいないが、たぶんゴールデンウイークが終わった頃から実を付けるのではなかろうか。

 作物の栽培は、子育てとよく似ている。甘やかせば、十分な成長が期待できない。手抜きすれば手抜きしたようにしか育たない。何が成長によいのかを考え、苗の保つ特製を生かして、必要な時期に必要な対応をしなければならない。やみくもに肥料を与えればいいというものではない。

 これからは毎日作物の成長を眺めることができる。すでにじゃがいもは、土の表面に小さな芽を出している。ただ、最近の異常気象のために成長は遅れているように思う。

 サンデーファーマーは、趣味と実益を兼ねた健康的な楽しみだ。 

小さな菜園での耕耘作業

 
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捨てられない

24 4月

いつか何かの役に立つのでは……
 戦後の貧しい時代に子ども時代を過ごした私は、ものを簡単に捨てることができない。どんなものでも、「いつかは何かの役に立つのではないか」と思って保存する性癖がある。

 本が好きなので、家族と買い物に出かけた折には、待ち合わせはいつもの本屋の前と決めている。そうして買った本は、読み終えても捨てられない。

 週刊誌や雑誌もよく買うが、特集記事をカッターナイフで切り抜いてからしか捨てられない。新聞でも興味のある記事があれば必ず切り抜いておく。いつか何かの役に立つのではと思うからである。

 テレビの番組も、毎朝チェックしてビデオに録り、気に入った部分を編集してDVDに焼いている。整理のためには時間もかかるし、費用もかかるが、やめられない。
    こうして、我が家にはいろんなものがたまってていく。本は本箱には入りきれなくなってきている。

一生かかっても読み切れない
  退職を機に、これらを整理して捨てようとするが、これが簡単にはいかない。数学・まちづくり・教育・農業・音楽・パソコン(歌作りと描画)・ビジネス・創作・歴史・文化・漫画(描く方)・デザイン……と多岐にわたっている。集めたものは、いずれは間違いなくゴミになるだろうに……。

    これらの整理のために毎日半日は費やしているが、なかなか捨てられなくて整理できないでいる。現役時代と変わらないくらいのせわしい毎日が続いている。

 幸い息子が東京へ行ったために、仕事場に使っていた部屋が空いた。そこで家にある本やいつかは何かの役に立つだろうと集めた資料を今移している。しかし、壁面に作った本箱もそろそろ限界である。「捨てられないという気持ち」を捨てて、さっぱりしたいというのが、今の私の偽らない心境である。

(日記:午前中DVDなどの整理。午後部屋の整理。夕方から夜にかけて法事。)

 
 

マニフェストって?

23 4月

マニフェストにとらわれ過ぎでは
 最近、テレビを聞いたり(音声だけ聞きながら他の仕事をする)、ラジオを聞いたりしていると、マニフェストについての話題や新党結成の話が頻繁にニュースになっている。

 高速道路の無料化問題を例にとって私見を述べたい。まず高速道路を無料化すれば、どのような事態が発生するかはやる前から明らかであろう。多くの車が押し寄せて渋滞が派生することは明らかである。

 私達が、敢えて金を出してでも高速道路を利用するのは、時間と安全を買っているからであろう。無料になって渋滞が発生しても、高速道路を利用するものはどれだけいるだろうか?

 いきなり、高速道路の無料化を望むものもいるだろうし、子ども手当を望むものもいるだろう。両方望むものもいるだろうが、どちらか一方しか望まないもの、両方とも望まないものもいるだろう。まして財源の確保がおぼつかないままではなおさらである。

  マニフェストを掲げて選挙を行い、それらにとらわれて、国政が混乱してはいないか?よりよいものを求めて審議に時間がかかるのならまだ我慢もできようが、やらなくてもよいようなことに時間をかけて混乱を招くのはよくないことではないか。

マニフェストだからと言って
  例えば、A党が10のマニフェストを掲げ、B党が15のマニフェストを掲げて選挙に突入したとしよう。A党のマニフェストの中には、自分の願うものもあればそうでないものも混ざっているのは当然であろう。
  同様に、B党のマニフェストにも、賛同できるものもあればそうでないものもある。しかし、実際に選挙になると、A党かB党を選択することになる。
    例えば、A党が過半数を獲得したからと言って、A党のマニフェストの全てを認めて国民が投票したものでないことは、子どもだって分かる理屈である。

  ところが、過半数を取ったA党は、開けても暮れても「マニフェスト、マニフェスト」とマニフェストを実現しようと躍起になることになる。国民が賛同できるものもあれば、そうでないものもあるのは当然である。国会の場で、党利党略にとらわれず、十分審議して決定してほしいものである。

  腹が減ったので、和食の店に入るか、洋食の店に入るかを決めなければならないとしよう。和食の店に入ったとしよう。だからといって、和食メニューの全てが好きであるはずがないし、洋食屋にも、好きなものがあるはずである。
    ところが和食屋の店主は、客が望まないのに、次々と和食を作り無理矢理食べさせようとしている。そんな風に見えてしまう。

  マニフェストといえども、選挙が終わった後は与野党が十分審議して、よりよいものを決めてほしい。野党の議員の意見も充分取り入れて審議してほしい。

刺客騒動はやめて!
  今度の参議院選挙では、刺客騒動だけは起こしてほしくない。国民から見れば、数合わせのドタバタ劇にしか見えない。とてもプロの政治家が政治をやっているとは思えない。国政をそっちのけにして党利党略に走っていては政治不信を招くからである。

 今日一日のテレビとラジオを聞いての感想である。

(日記:午前中、我が家の整理整頓。午後は、事務所の整理整頓。)

 
 

事務所開きに向けて

22 4月

部屋の整理
    自分の退職直前に、息子が家族と共に東京へ行き、3年前にリニューアルした事務所が空いた。数年の間、ここを拠点に創作活動をしたいと思う。

 結構処理速度の速いパソコンを購入した。これで絵や歌を作りたいと思っている。また、映像編集もやってみたいと思っている。

 何をやるのにも、マニュアルを読むのが大変である。この年になると、マニュアルを読むのが苦痛になる。しかし、理解できなければパソコンは言うことを聞いてくれない。厄介な代物である。

送られてきた小説
 友人のK.O氏から、小説が送られてきた。K.O氏とは、今から40数年前に同じ職場へ務めていたのだが、彼はそのころから文学青年であったように思う。彼が詩を書き、私が曲をつけ、合唱コンクールで生徒達が歌ってくれたこともあった。

 送られて来た小説のタイトルは、『雨の日のスケッチブック』であった。女流棋士の物語である。特に、田舎で過ごした子ども時代のことがとてもよく書けていて一気に読むことができた。構成もよく、ストーリーも魅力的であった。誰かに紹介したい作品である。

 彼の作品は、私の創作意欲を一気に高めてくれた。彼は仲良しでライバルでもある。いや、私などは足元にも及ばないので、私の目標と言った方がよいかも知れない。

    私も全くのド素人ながら、小説まがいのものを書いている。8割方できているが、時間がなくて最後の詰めができていない。2ヶ月以内には完成させたいものである。

事務所開きの準備をしている建物

 
 

10日間の旅を終えて

21 4月

旅を終えて感じたこと

   鹿児島から始まって宮崎、熊本、長崎、大分、そして、愛媛、高知、香川県を通過した10日間の旅を終えて感じたこと。

高知県立『坂本龍馬記念館』の前で

1.観光地における資源は、必ずしも自然・文化・歴史遺産だけではなく、魅力ある人間がいるかどうかであると感じた。特に、明治維新に活躍した志士たちが光っていた。
   ・薩    摩 : 西郷隆盛、大久保利通、島津斎彬、篤姫(天璋院)、・・・
   ・土    佐 : 坂本龍馬、ジョン万次郎、中岡慎太郎、武市半平太、岩崎弥太郎、板垣退助、山内容堂、後藤象二郎、・・・

  特に、今年は『龍馬伝』の影響もあり、坂本龍馬の人気は群を抜いていた。いろんな形の資料館や博物館が至るところにあった。

 2.外国人観光客が非常に多かった。特に、アジア系の中国・台湾・韓国の人達が多かった。観光地の看板や標識は、日本語・英語・中国語・韓国語で書かれていた。

3.観光地は二極化していた。観光客の多いところ、寂れて施設が荒廃しているところ等が見られた。

4.その土地ならではの食べ物は観光客を引きつける。長崎のちゃんぽんや皿うどん、宮崎の地鶏、土佐の鰹やクジラ、香川のうどん、・・・・。

5.博物館、資料館をたくさん見たが、魅力ある展示は、客を引きつける。特に、物語性が必要である。映像の使い方、イラストなどの活用などで、展示の方法に工夫が必要であると感じた。   

6.ボランティアガイドの簡潔な説明は、観光地の魅力や展示の魅力を倍増することが分かった。

 時間を気にせず、自分のペースで、休んだり、急いだりできて良かった。いろんな人達が、それぞれ工夫しながら、頑張っている姿を見ることができた。

 “事を為すのは人である”ということがよく分かった。本州と四国に橋を架けることができたのも、人の力である。日本を欧米列強から守ったのも薩摩や長州、土佐などの人達である。

 厳しい時代ではあるが、無限にある知恵を活かして頑張っていきたいものであ

◆旅先で買った本:『鹿児島の品格』・『坂本龍馬-自分を大きくする方法』・『坂本龍馬 言行ノート』・『-陸軍特別攻撃隊の真実-只一筋に征く』・『病気を治す食べ方、食べ物』・『「勉強しろ」と言わずに子どもを勉強させる法』・この他旅行関係冊子

(日記:午前中庭木の剪定や旅行の後始末。夜、役所の部課長の送別会があった。久々にネクタイを着用して出かけた。)