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Archive for the ‘未分類’ Category

あの感激をもう一度

09 12月

福井で軽音楽部忘年会
  福井の駅前で大学の軽音楽部の忘年会が行われた。福井市、坂井市、勝山市、大野市、白山市などから11人の部員が集まった。

 今年の10月に浜松市で行われたOB会演奏会に出演したのは、このうち6人だが当日OB会に出席したのは今日の参加者のうち9人だった。

 今回バンドはしなかったが次回には是非ともバンドをやりたいという参加者もいて頼もしかった。今日の参加者の年の差は、10歳あり、最年長は私であった。次が、3歳下の者であった。

 私の年齢が突出している感じだ。しかし、軽音楽部のOBであるということでは繋がっている。今後のバンドの組み方、練習法、曲目などについて話し合った。

駅前の飲み屋で行われた軽音楽部の忘年会。時の経つのも忘れて、語り、食べ、飲んだ。

 今回バンドを組んだ連中とは、今年になって初めて顔を合わせたのだが、昔からずっと知りあいでバンドを組んでいたような感じだ。これは私だけではなくみんなも感じているそうだ。

 クラスメイトとは全く異なる関係だ。また、今日の参加者の中には、元プロのバンドマンもいるのだ。今回バンドを組まなかったが、次回はいっしょにやれるだろうと思う。

 午後7時に始まった忘年会は午後10時半過ぎまで続いた。幹事が「もう終わろう」と催促してようやくみんな腰を上げた。それほど飲み放題の楽しい会であった。

 早速、別れ際に「今度は新年会をやろう。先ず第1回目の練習会を(私の事務所のスタジオ)でやって、その後泊まりがけで新年会をやろう。」と言う提案があった。

 全てのOBの意見を集約中だが、「毎年演奏会をやろう」という案と共に「隔年開催でいこう」という案も出ているらしい。たとえ隔年開催になっても、福井バンドは来年も場所を探して演奏会をやりそうな勢いだ。

 「第二の人生に音楽を」を地で入っているような連中ばかりだ。下手ながらも練習に明け暮れた夏が懐かしい。そして、慌ただしい中で行った演奏会。みんな「あの感激をもう一度」と思っているようだ。

(日記 いつ雪が降ってもよいように、家の周囲と事務所の周囲を片付けた。そして、.軽トラックだけにスノータイヤを入れた。午後3時頃、家内と二人で軽トラックに乗って福井へ向かった。明日雪が降るという予報だ。ワゴン車はノーマルタイヤのままなので、軽トラックにしたのだ。午後7時から、軽音楽部の忘年会。10時半過ぎに、福井の長女の家にいた家内に迎えに来てもらって娘の家で泊まることにした。)

 
 

二日がかりで一つの壁を

08 12月

映像編集に光
   昨日、映像編集の勉強をしたが、途中で止まってしまった。にっちもさっちもどうにもならない。あきらめてしまった。そして、今日だが、午前中はパソコンを槍、午後は、掃除をしたり、モノを片付けたり、冬の準備をすることにした。

  今日も、パソコンを動かしてみると、昨日と同じところで止まってしまった。ああ、今日もここまでかとがっかりしたが、よくよくマニュアルを読見、いろいろ触っていると、今まで前へ進めなかったところが急に開けた。

  とうとう一つの壁を乗り越えた。そう思っているとキーボードが全く動作しなくなった。これではパソコンを使うどころではない。ちょうど昼食時間でもあったので、Y君に電話をかけてみると、「キーボードがパソコンにつながっているかを調べてみて下さい」とのこと。

  調べてみると、キーボードのコードがパソコン本体から離れているではないか。恥ずかしいトラブルだった。接続してみるとうまく作動した。ちょっと、トラブルがあったが、二日がかりで一つの壁を乗り越えることができた。

  やはり、「習うより慣れろ!」だ。マニュアルも大切だが、行き詰まったら、あれこれやってみることだと思った。そのうちに道が開けることもあるのだ。この調子で、自分で撮影したモノを編集して、DVDに焼いたり、映像を「You Tube」に早くアップしたいものだ。

  考えてもいれば、映像編集は一つの技術であって、それ自体出来るに越したことはないが、それが目的ではない。問題は、何を映像に撮り、編集して、どう情報発信するかが問題だ。

   一方では、この技術は、教育や習い事にも役立つと思っている。何を伝えるか、何のために役立てるかという問題はあるが、とにかく使い道は大きい技術だと思う。

(日記 午前中、映像編集の勉強。一つだけ壁を乗り越えることがだ来た。明日以降、映像編集について少しは前へ進むことだろう。午後は、正月前なので、車庫の片付け。車止め(車庫の壁にぶつからないように作った木製の車止め)に板を張って物を置けるようにした。片付けた工具を取り出しての大工仕事だった。午前は遊び(映像編集)、午後は作業の一日だった。夜は、映像ファイルの整理。パソコンの中も時々整理しないと、どこに何があるか分からなくなってしまう。)

 
 

習うより慣れろ

07 12月

前途多難な『映像編集』
   次女の大阪でのライブを機会にビデオカメラを買った。しかし、映像をパソコンに取り込み、それらを編集して、DVDに焼いたり、“You Tube”にアップしたりする技術はまだ習得していない。写したものをただ見るだけしかできない。

  今日は朝から雨だったので、「晴耕雨パソ」でパソコンをする日だ。映像編集の勉強をしようとしたが、なかなか難しい。第一ビデオカメラを自由に扱えない。マニュアルを見ながらあれこれやってみるが思うようには作動しない。

  マニュアルも大切だが、いろいろやってみることも大切だとつくずく思った。いろいろやってみると新しいことに気がつく。それには時間が必要だ。物事、やはり「習うより慣れろ」だ。

  それにしても、ここ十数年でテレビやパソコンの映像はきれいになった。「今」はいつでも時代の先端だが、数年、あるいは数十年経つと格段の進歩をしていることが分かる。それにしても、今はやろうとすれば何でも出来る時代だ。

   しかし、一方では、何もかもがあり過ぎで、「子ども達の“考える”機会を奪っている」のも事実だ。結局、何もかもがありすぎて、何にも出来ない子どもを増やしてはいないか。

 ごく一部の者には創造する力、想像する力がつくだろうが、大部分の者は受け身的に一生を送ることになるのではと心配だ。あれこれやってみる、そして、その中から創意工夫をこらして何かを生み出す力を獲得してほしい。

  他人から習うばかりではなく、自ら悪戦苦闘することによって、何かを獲得してほしい。「習うより慣れろ」の経験も必要ではないかと思う。それが、新しい世紀を生き抜く力になるのではなかろうか。

画面をみながら、「ああでもない、こうでもない」と相談しながら、フラダンスの練習。先生は、パソコンだ。

(日記 朝から雨のため、終日、映像編集の研究。と言っても、時間ばかり経って得られるものは少なかった。強いて挙げれば「習うより慣れろ」と気がついたことか。午後7時半より、成人チームの和太鼓の練習。といっても、最初から今日はフラダンスの練習も行うと決めていた。最初は、「フラダンスを誰かに習おうか」とみんなで考えていたが、経済的なこともあるので、パソコンで“YOU TUBE”等を見て、自分達で独習しようと決めた。今日は、パソコンを見ながら練習した。若いだけに、飲み込みが早いように思えた。私の方は、彼女たちに負けないように、ハワインギターを練習しなければと思った。夏には、私のハワイアンギターで彼女たちにフラダンスを踊ってもらいたいと思う。それにしても、今は、その気になれば、パソコンで“何でも学べる”時代だ。)

 
 

雪に備えて

06 12月

週末に初雪か
  天気予報では週末に雪が降るという。そうなると、いろいろしなければならないことがある。午前中は、先ず、日曜大工で作った二つ目の窓用雪囲いの完成。だいたい完成していたが、微調整が必要だった。

  午後は、先ず、ニンニクとタマネギの追肥。ニンニクは来年収穫するにしては、現時点では成長しすぎではないかと思われるぐらいに大きくなっている。しかし、根元には雑草が生えているので、まずは草取りから始めた。その後、化成肥料を数粒ずつ撒く。

ニンニクの根元に生えた雑草。

  そして、自作の籾殻燻炭に鶏糞を混ぜて根元に与えた。本で読んだ知識と、村の人から聞いた知識を自分流に解釈してのことだ。雪の下で冬を越し、来年どのように成長するのか、大いに楽しみである。

  先日、「ニンニクとタマネギの後には、秋ジャガイモを植えたら・・・・・ 」とは村のおばさん(と言っても自分より若い)達が私にアドバイス。一昨日の収穫感謝祭で二種類の秋ジャガイモを買い、じゃがバターにしたがとても美味しかった。今秋は是非とも作りたい。

  4時半過ぎまでかかった。腰が痛くなった。農作業は長時間すると本当に腰が痛くなる。もっと早くやっておけばよかったと悔やまれた。

  腰を曲げての作業は2時間以内、できれば1時間以内にするよう気をつけたい。農家の高齢者が、腰を曲げて長時間作業をしているうちに腰が曲がってしまうのもよく分かる。

  家内の方は、保存用のネギと大根とカブの収穫。近日中には、大根や白菜を使った漬け物作りを始めるだろう。私は、どんなにごちそうがあっても、漬け物がなかったらご飯を食べた気がしない人間だ。

 新鮮な漬け物が食べられないときのために、キュウチャン漬け、紅ショウガ、ショウガの味噌漬け、ニンニクの溜まり漬け、奈良漬け、そして、梅干しなどが保存してあるのだ。しかし、健康のためにも、塩分には気をつけなければならない。

(日記 午前中、窓用雪囲い作り。午後は、枯れてしまったところを補充するためにNさんにタマネギの苗をもらいに行った。そこで、春キャベツの苗、レタスの苗、そして、ラディッシュとネギをいただいた。タマネギの苗を補充した後、タマネギとニンニクに追肥を行った。その間ずっと、ラジオで国会中継、参議院予算委員会質疑を聴いていた。外国人からの政治献金、防衛大臣の問題などを延々とやっていた。野田政権も非常に厳しい局面に立たされている。ラジオのお陰で、農作業で腰は痛かったが退屈はしなかった。もうすぐ本格的な冬がやって来る。)

 
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オリジナルこそ命

05 12月

“つくる”楽しみ
 他人から見たら私のやっていることは物まねに見えるかもしれないが、自分としては“創作すること”に生き甲斐を感じてそれらを楽しんでいるつもりだ。

 既存の音楽は大好きだが、同じように自分で作ることも大好きだ。また、既存の音楽でも編曲は一種の創作ではないかと思う。

 例えば、滝廉太郎の作曲した『荒城の月』でも、クラシック風に、ジャズ風に、ジャズと言ってもスイングジャズ、デキシーランドジャズ風に編曲することができる。ラテン調に編曲することもできる。

 ジャズの場合には、アドリブもある。これは誰でも楽しむことができる。原曲と同じ伴奏で全く異なるメロディーを奏でるのだ。素人は即興では難しいが、よく考えてメロディーを創作することはできる。

紙芝居『かくれんぼ』(動物編)のために描いた虎。この絵をジャングルの絵の中に隠し、子ども達に見つけさせたい。

 また、最近、紙芝居にも興味を持っている。パワーポイントで絵を表示し、物語を読むのもいいが、紙芝居のあの“アナログ”なところはどことなく人間的に思える。

 その紙芝居だが、昔は紙芝居の舞台(箱)といくつかの紙芝居を買って子ども達の前で演じていたが、今は、紙芝居そのものはオリジナルで作りたいと思っている。

 自作の童話に絵を書いて作りたいし、誰かに何かを伝えたい場合に、紙芝居を使えないかと考えている。時間がなくて思うように作業は進まないが、

 今は、「かくれんぼ」をテーマに“動物紙芝居”を作りたいと思って少しずつ絵を描き始めている。  例えばジャングルの絵を描き、所々絵をくり抜いておき、その向こうに動物の絵を描いた紙を入れておき、子ども達がジャングルに隠れている動物を探し当てるという紙芝居だ。

 先日は、0歳から2歳向けに「アンパンマン」のキャラクターを使って試作してみたが、今は3歳から5歳向けに“ジャングルの動物”を探し出す紙芝居の絵を描いている。

 この「かくれんぼ」シリーズは、海底の魚、氷山の動物、恐竜などいろんなシリーズが考えられる。探し当てた動物たちがどのように生活しているかも、子ども達に語ることができるのではないかと思っている。

 自作の「数学問題集」や自作の「演歌や民謡」を作っているときは、最高に楽しい。今年の夏は、少し家庭菜園などの農作業に時間を割き過ぎたように思う。冬は、創作に沢山の時間を使いたい。

クリスマスソングを練習するオカリナ教室の皆さん。

(日記 午前中、勝山市のがんなどの検診を受けるために福祉健康センター「すこやか」へ。何人かの知りあいに会った。役所時代の職員、そして退職した人達だ。どこも悪くなければよいが。その後、動物紙芝居の絵を描いた。午後7時半からは、オカリナ教室。12月の出番のため、クリスマス曲を中心に練習した。)

 
 

『農事組合法人かたせ』の収穫感謝祭

04 12月

さといも販売とソバ打ち
今年1年間の『農事組合法人かたせ』の農作業が終わった。今日は、組合の感謝祭だ。午前10時より組合の農舎でサトイモ販売と大根やねぎなどの野菜販売が行われた。

そして、来場者には豚汁と芋でんがくが振舞われた。今年が第1回目のサトイモ販売なので、宣伝が行き届いていないのか、来場者は少なかったように思う。

里芋の販売などが行われた組合の農舎

『農事組合法人かたせ』の主題歌でもある「片瀬豊年ばやし」が会場に響いていた。ただ、広報活動が不足しているため来客は少なかったのは残念だ。いかに市民の皆さんに知っていただくかが今後の大きな課題だ。

私は、胡桃とあきじゃがを購入した。その後、集会所へ行きソバ打ちを行った。この収穫感謝祭のおかげで、私も上手ではないが一人でソバを打てるようになった。

集会所で収穫感謝祭のためのソバうちを行う私。

午後3時からは、集会所に区民が集まって収穫感謝祭が行われた。区民の打ったソバ、サトイモの煮っ転がし、沢庵の煮物、カブラの酢漬け、豚汁、いのししの焼き肉、そしてビールと酒が振舞われた。

私も、今年は組合の作業にかなり参加したし、組合から借りた畑で、さといも、唐のイモ、ショウガ、ヤーコンなどを作った。その過程で多くの村の人たちと出会い、話をする機会があった。

集会所に区民が集まっての収穫感謝祭。

また、栽培法などの情報を得ることができたし、勝山ミズナ、たまねぎなどの苗をいただくことができた。昨年までは、話をしたことがないような人達とたくさん話をすることができた。

何はともあれ、今年の組合の農作業はほとんど終わった。いずれはこの村もTPPの影響を受けることになるのだろうか。経済優先ではなく、生きがい優先でがんばれば新たな道が開かれると信じている。

(日記 午前中、動物紙芝居の絵を描く。午前10時ころから組合のさといもや野菜の販売の会場である農舎へ行く。その後、集会所でソバうち。昼食後、福井の長女の家族が帰って行った。午後3時より集会所で行われた収穫感謝祭に出席。次女が帰省している。月に一度は帰って来るので東京にいるけれども同居しているような感じだ。)

 
 

「正解」のない問題

03 12月

まるで「正解」があるかのように語る評論家
  このごろ、テレビを見ていたり、ラジオを聴いていたりすると「正解のはっきりしない問題」がとても多いと思う。しかし、学者や評論家はまるで「正解」があるかのように語っている。

  今日もBSテレビを見ていたら、若者の失業率が話題になっていて、その解決法を話題にしていた。そして、コメンテーターが答えらしきものを語っていた。しかし、私は、これらの問題には誰もが満足できる正解はないと思っている。

   これらの解決法は簡単ではない。いろんな問題が絡まっており、誰もが納得できる解決法はないと思っている。みんなが少しずつ我慢しなければならないのではないだろうか。

  若年層の減少は年金の仕組みを破綻しかねない。そこで、年金支給年齢を上げ、そのうちには65歳から70歳かそれ以上にしなければならないように思われる。そこで、高齢者にも働いてもらわなければならなくなる。

  高齢者が長年働くということは、それだけ若者の働く機会を奪うことになるのだ。そこへ、円高が拍車をかけ、働く人にそれなりの賃金を支払えなくなるのだ。低賃金で外国人を雇うか、工場を海外へ移さなければならなくなるのだ。

 どちらの場合も、それだけ日本人の「働く場」が減少することを意味している。高齢者も満足し、若者の雇用も確保できる方法はあるのだろうか。これは簡単ではなく、誰もが自分の経済的欲望を抑えなければならない。

  誰もが「勝ち組」になる答えなどあるはずがないのだと私は思う。欲望のまま行動するのではなく、誰かがどこかで欲望を抑えなければ(我慢しなければ)今よりよくはならないように思う。

 今、ヨーロッパが大変な経済危機に見舞われている。解決策は簡単ではない。遠からず日本にも悪影響が及ぶだろう。欲望のまま、解決策を模索しても、答えのあるはずがない。公務員の多さ、そしてその要求の大きさは破綻を招く大きな要因になっているように思われる。

  それでは、日本はどうか。正解を求めて解決策を模索しても、どうしようもないのではないか。正解がないのならば、よりよい解、近似的な解を求めて折り合いをつけなければならないのではなかろうか。

  農業問題にしても、「評論家」や「学者」、そして「政治家」の出す解決策はどれもこれも正解では内容に思われる。農業といえば、大規模化、効率、収益率ばかりを求めた案が出される。農業のなんたるかを理解しているのだろうか。

  正解はなくとも、よりよい解おを求めて知恵を集めなければならないのではないだろうか。昨今の税じかの言動には目に余るものがある。国政も、一党では人材難のように思われる。「オールジャパン」も無理だし、閉塞感が強まるばかりである。

  官僚主導の政治も、国民不在のように思えてならないし・・・・・、こんなことを続けていると政治不信はますます増幅されるだろう。党に不安を感じ、自分の選挙に不安を感じた政治家が多いのではなかろうか。政界再編は避けて通れないであろう。

  マニフェストという、一見「正解」のような答案を出して、またまた国民を惑わせるのだろうか。それにしても、増税の前にまだまだすることがあると思う。それはm、政治に対する信頼ではなかろうか。

  誰もが満足する「正解」などは、初めからないと思ったほうがよいように思う。誰もが多少の我慢を受け入れて、少しでも正解に近いものを出してほしいと願う。「モノ」が、「金」がすべてではないのだから。

(日記 朝から雨。窓の「雪囲い」作りは中止。部屋の掃除やオリジナル紙芝居作り。昼ごろ、長女が二人の子供を連れてやってくる。午後もパソコンで紙芝居のための動物の絵を描く。午後4時より、親子太鼓練習。半年ほどの練習だが、子供たちも保護者もかなり上手になった。新しいレパートリーも半分ぐらいはできるようになった。太鼓の練習が楽しくなってきた。)

 
 

ミニバンド

02 12月

我がバンド歴
  私は、小学校時代から音楽が大好きだった。といっても、学校の音楽の授業はそんなに好きではなかった。小学校時代にはハーモニカ、中学校時代には縦笛やギター、高校時代もギターが大好きだった。

 大学へ入ってからは、寮でバンドを作ろうと仲間とあれこれ相談していた。そんなとき、1学年上の先輩達が軽音楽同好会を作ったのでそれに合流した。

 そして、私はドラムを担当して先輩達とあちこちへ演奏活動に出かけた。石川県や富山県へも出かけた。その後、上級生が卒業して、同級生や下級生とバンドを組み活動を続けた。

 大学卒業直後は、同時に卒業した仲間や近所の者、従兄弟などとバンドを組み、地域のイベントに出演したりしていた。その後、教員をしながら、高校生とバンドを組んで活動した時期もあった。

 しかし、それぞれが県外へ出たりしてばらばらになり、バンド活動もできなくなった。しかし、大野高校に転勤した頃から、和太鼓に興味を持ち始めた。

 また、この時期、我が村に日本一の大きさを誇る越前大仏が建立されることになったために、自分の子ども達を中心に『越前勝山春駒太鼓』を創設し、活動を続けて現在に至っている。

 一方、休止していたバンド活動は、子ども達が大きくなったのを機会に、短期間ではあるが家族で始めることになった。特に、子供の音楽会には家族で出演したりもした。

 その子ども達も、進学して家を出たために、完全にバンド活動を止めてしまった。その後は、コンピュータ・ミュージックで出会い、自作の歌を作るようになった。

 このコンピュータミュージックは、パソコン上ではバンドを組んでいるようなものであった。自分の思い通りに好きな楽器を操ることができるからだ。これによって、自作の歌を作るようになった。

 そして、今春、大学の軽音楽部のOB会で演奏会を開くというので、後輩達と再びバンドを組むようになった。親爺バンドと言えばよいのか、じいちゃんバンドと言えばよいのか、わからないがとにかくバンド活動を再開したのだ。

我が家の居間の隅に置かれたキーボード。新しい楽しみが増えた。

 一方、数日前に、家内のために新たなキーボードを購入した。二人でミニバンドを始めようと決めたからだ。脳の健康にも良いだろうと思っている。

 このキーボードは自動伴奏機能がついているので、二人であっても、数人でやっているような楽しさがある。いつまで続くか知らないが、孫達の歌の伴奏でもできたらと思っている。

(日記 午前、午後とも二つ目の窓用雪囲い作り。暗くなるまで頑張ったが、完成しなかった。あと少しの所で時間切れとなった。明日は完成させたい。今日もラジオを聴きながらの作業だった。夜、家内と二人でハワイアンソングの『南国の夜』を練習。楽しい時間を過ごすことができた。)

 
 

コンピュータ・ミュージック

01 12月

第二の人生に音楽を
 大学の軽音楽部のOB会演奏を機会に知り合った石川県白山市のNさんが私の事務所へやって来た。コンピュータ。ミュージックを勉強したいということでやって来たのだ。

 私が特に優れているというわけではないが、息子のおかげで早くからコンピュータミュージックを始めたのは事実だ。今回の、演奏会のための親父バンドの練習に際しても、練習カラオケを作ったので、それを教えてほしいということだった。

 午後1時に、Nさんはやって来た。全くのゼロからの指導だ。コンピュータミューを始めるには、先ずソフトとハード(音源)が必要だ。

 私は、ソフトとして「シンガーソングライター」を使い、ハードとしてローランドの「スタジオキャンバスSD-90」と同じく同社の「モバイルスタジオキャンバスSD-50」を持っている。

 ソフトとハードが必要なことを説明し、キー、リズム、拍子などを定めてマウスで楽譜を入力する方法を説明した。その後、楽譜にいろんなニュアンスを付けること、これは個人の感覚が大切だと言うことも説明した。

私の事務所のパソコンでコンピュータ・ミュージックを勉強する石川県から来たNさん。

 一通り、説明した後、彼が持参した楽譜集からラテンの『ベサメムーチョ』を題材に実際に入力して貰うことにした。一度説明したからといってスラスラとできるものではない。ここまでで4時間ほどかかった。

 途中途中で説明しながら、どうにか入力を終えた。彼は、「なるほど、こういうことか。ハードとソフトが必要なことも知らなかった。少し理解できてよかった。」と、納得したようだった。

 全く、楽器を使わず、楽曲を作るのだ。今日は既存の今日を既存の曲を入力しただけだったが、今後は、オリジナル曲を作ることもできるのだ。

 この方面では、ソフトもハードもかなり進化している。私達の若い頃にはこのようなものは一切なかった。あれば、若い感性でもともっといろんなことができただろうにと思うことがある。

 私も最近は創作活動から遠ざかったいたので、時間のできる冬には、いろんな曲を作ってみたい。それから、映像編集の技術を勉強して、自作の歌を「You  Tube」にアップしてみたいと思う。

 いい年になって、パソコンを使ったいろんな技術を勉強しようと思うが、能力と技術が追いつかず苦労することが多い。それでも諦めたくはない。

 はるばる石川県からやって来た軽音楽部の後輩(と言っても、同時に大学に在籍したことはない)のNさんにもコンピュータミュージックを楽しんで貰いたいと思う。

12月に入っても葉が落ちかけても熟した実をつける我が家のイチジク。

(日記 午前中は、雪囲い制作作業を休んで、事務所のパソコンで音楽制作のソフトとハードが動くように準備した。しかし、途中でにっちもさっちもいかなくなり、例によって息子の友人のYくんに電話して、電話で手取り足取り教えて貰った。そして、うまく音楽ソフトが起動するようになった。午後1字に石川県のNさんがコンピュータ・ミュージックの勉強になってきた。4時間ほど、勉強して帰って行った。)

 
 

誰が一番力持ち

30 11月
一票の重み・・・・・選挙民のパワー
 大阪の橋下新市長が率いる「大阪維新の会」から当選を果たした松井新府知事が30日朝、上京し、選挙戦では距離を置いてきた民主党や自民党などの幹部と相次いで面会したという。
 選挙前には考えられなかったことだ。大阪維新の会が無視できない存在になっているとのことだろう。両候補の力であると同時に彼らを選んだ大阪府民、市民の力がそうさせた部分もある。
 完勝に湧く維新の会陣営には、祝意を伝えに中央政界から議員が訪れるなど、早くも「橋下ブランド」を巡る駆け引きが始まっていた。予想通り、橋下氏争奪戦の幕開けの感がする。
 大阪市の職員や連合大阪に教育関係者、そして、大阪市が筆頭株主であり、橋下氏とバトルを繰り広げる関西電力など多くの団体が、積極的に平松氏の支援に回ったにもかかわらず、橋下氏の牙城は崩せなかった。そのブランド力に、中央政界や地方の政治家が触手を伸ばそうとしている。
 選挙民の一票が大きな力を発揮したのだ。このような選挙結果が示されるまで、大阪都構想には無関心だった既成政党やそれらに属する国会議員も橋下氏率いる「大阪維新の会」から抵抗勢力と見なされては自身の選挙が危うくなると感じたのだろうか。
 橋下氏に擦り寄る姿が見え隠れしている。「にわか橋下支持」が増えているように思う。大阪府民や大阪市民が投じた票の数が、今や国政に大きな影響を及ぼすようになったのだ。
 たかが一票、されど一票である。国民の力は集まれば強力な力となるのである。私たちは、この貴重な一票をこの国の発展に使うべきであろう。

ようやく完成した居間の窓用雪囲い。昨年に続いて3カ所目が完成したことになる。

自分の利益だけを求めていると、いつかはそれが災いとなって自分に返ってくる場合がある。世の中、「良いとこ取り」はできないのである。時には耐えること、我慢をすることも必要である。

政治のレベルは国民のレベルであると言われることがある。政治家の言動が好ましくない場合には、それは政治家個人の問題であると同時に、選んだ国民の責任でもあるのだということを私たちは自覚すべきであろう。
ここしばらくは、橋下氏や大阪維新の会の動向が注目したい。節操のない政治家の動きが始まりそうである。政治家の皆さんには、この国を、どうするのか、将来を見据えた政策を掲げて行動して貰いたい。

完成し、ビニール袋に詰めた籾殻燻炭。作業の後、黒くなったコンクリートを清掃する家内。後は、黒くなったみびにーるぶくろにかんせ

(日記 終日、窓用の雪囲い作り。予想以上に時間がかかったが、一カ所だけは完成した。夕方には二つ目の作業を始めた。後、一日はかかるだろう。作業の間、ラジオを聴いていた。党首討論、親子の問題、川柳、嫁と姑の問題、そして、ニュースなどいろいろあり、楽しみながら作業をすることができた。隣では、家内が完成した籾殻燻炭を乾燥させ、袋詰めにしていた。)