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「正解」のない問題

03 12月

まるで「正解」があるかのように語る評論家
  このごろ、テレビを見ていたり、ラジオを聴いていたりすると「正解のはっきりしない問題」がとても多いと思う。しかし、学者や評論家はまるで「正解」があるかのように語っている。

  今日もBSテレビを見ていたら、若者の失業率が話題になっていて、その解決法を話題にしていた。そして、コメンテーターが答えらしきものを語っていた。しかし、私は、これらの問題には誰もが満足できる正解はないと思っている。

   これらの解決法は簡単ではない。いろんな問題が絡まっており、誰もが納得できる解決法はないと思っている。みんなが少しずつ我慢しなければならないのではないだろうか。

  若年層の減少は年金の仕組みを破綻しかねない。そこで、年金支給年齢を上げ、そのうちには65歳から70歳かそれ以上にしなければならないように思われる。そこで、高齢者にも働いてもらわなければならなくなる。

  高齢者が長年働くということは、それだけ若者の働く機会を奪うことになるのだ。そこへ、円高が拍車をかけ、働く人にそれなりの賃金を支払えなくなるのだ。低賃金で外国人を雇うか、工場を海外へ移さなければならなくなるのだ。

 どちらの場合も、それだけ日本人の「働く場」が減少することを意味している。高齢者も満足し、若者の雇用も確保できる方法はあるのだろうか。これは簡単ではなく、誰もが自分の経済的欲望を抑えなければならない。

  誰もが「勝ち組」になる答えなどあるはずがないのだと私は思う。欲望のまま行動するのではなく、誰かがどこかで欲望を抑えなければ(我慢しなければ)今よりよくはならないように思う。

 今、ヨーロッパが大変な経済危機に見舞われている。解決策は簡単ではない。遠からず日本にも悪影響が及ぶだろう。欲望のまま、解決策を模索しても、答えのあるはずがない。公務員の多さ、そしてその要求の大きさは破綻を招く大きな要因になっているように思われる。

  それでは、日本はどうか。正解を求めて解決策を模索しても、どうしようもないのではないか。正解がないのならば、よりよい解、近似的な解を求めて折り合いをつけなければならないのではなかろうか。

  農業問題にしても、「評論家」や「学者」、そして「政治家」の出す解決策はどれもこれも正解では内容に思われる。農業といえば、大規模化、効率、収益率ばかりを求めた案が出される。農業のなんたるかを理解しているのだろうか。

  正解はなくとも、よりよい解おを求めて知恵を集めなければならないのではないだろうか。昨今の税じかの言動には目に余るものがある。国政も、一党では人材難のように思われる。「オールジャパン」も無理だし、閉塞感が強まるばかりである。

  官僚主導の政治も、国民不在のように思えてならないし・・・・・、こんなことを続けていると政治不信はますます増幅されるだろう。党に不安を感じ、自分の選挙に不安を感じた政治家が多いのではなかろうか。政界再編は避けて通れないであろう。

  マニフェストという、一見「正解」のような答案を出して、またまた国民を惑わせるのだろうか。それにしても、増税の前にまだまだすることがあると思う。それはm、政治に対する信頼ではなかろうか。

  誰もが満足する「正解」などは、初めからないと思ったほうがよいように思う。誰もが多少の我慢を受け入れて、少しでも正解に近いものを出してほしいと願う。「モノ」が、「金」がすべてではないのだから。

(日記 朝から雨。窓の「雪囲い」作りは中止。部屋の掃除やオリジナル紙芝居作り。昼ごろ、長女が二人の子供を連れてやってくる。午後もパソコンで紙芝居のための動物の絵を描く。午後4時より、親子太鼓練習。半年ほどの練習だが、子供たちも保護者もかなり上手になった。新しいレパートリーも半分ぐらいはできるようになった。太鼓の練習が楽しくなってきた。)

 
 

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