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Archive for 11月, 2014

風邪

18 11月

風邪によって鈍る行動力
 かなり長い間、風邪をひいたことがなかったが、最近風邪をひいている人と接することが多かった。そして、「いのせ文化祭」当日から、のどが痛く、咳をするようになった。

 せっかく、ここ数ヵ月間の忙しさから解放されたというのに、情けない。9,10,11月は様々な行事が立て込み、本当に忙しかった。

 特に、11月は、文化の日を含む3連休の他、その後の日曜日は全て行事で埋まってしまった。そこへ文化祭の準備や打ち合わせのために、公民館へ出かけたり、自宅で準備するなど多忙を極めた。

 やっと全てが終わったと思ったら風邪で行動力が鈍ってしまった。午前中は、いつものように、近くの小児科へ診てもらいに出かけた。

 薬をたくさんいただいた。なんとか早く直さねばと思う。冬への備えがもう少しある。雪囲いはほとんど終えたが、エンドウを植える場所を耕さなければならないし、イチジクの雪釣りもしておかなければならない。週末には出かけたいと思うが、風邪の程度によっては中止になるかもしれない。最近は、風邪を引くと若い頃に比べて回復が遅れる。風邪を引かないように気をつけなければと思う。

(日記 午前中は、風邪のため、近くの小児科へ出かけた。その後、公民館へ。文化祭の話しや今後のことなど館長と雑談。午後は、部屋の整理。とにかく風邪を早く治さねばと思う。)

 
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『3丁目の夕日』を見て

17 11月

診察待合室で
 昨日、済生会へ行った際、眼科の待合室で順番を待っていたが、その横に、たくさんの漫画『三丁目の夕日』が置かれていた。映画は見たことがあるが、漫画はあまり読まない。あまりにもたくさんの同名の単行本が置かれていたので、読む気にもなれなかった。

 しかし、自分の番がなかなか来ないので、そっと手に取ってみた。「昭和30年代の夕日町三丁目を舞台に描かれる懐かしき世界……」とあり、何となく気になってページを開いてみた。

 たくさんの単行本が出ているが、短い話が集まっている感じだった。そこで、その一つを読んでみた。なるほどと懐かしさで一杯だった。私も、何年か前に、自分の子供時代(昭和30年代)の自分の生活を詩らしきものにしていたので、漫画を読んで感動した。このブログでそれらを紹介できたらと思う。

・・・・・・昭和時代の子ども(7・5調)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

風 呂
 風呂を沸かすは  子の仕事
 手押しポンプで  水汲んで
 バケツに入れて  水運び
 胸まで差し上げ  風呂ヘジャー
 小学生には  重労働
 五回・十回   くーたくた

 おまけに釜から  水漏れだ
 火が消え煙が  もーくもく
 目痛い涙が  ポーロポロ
 薪持った手で  涙拭きゃ
 顔中炭で  インディアン
 笑い事では  済まされぬ
 外へ突進  二度三度
 新鮮空気で  元気つけ
 またまた煙の  中へ行く

 風呂が沸いたら  お隣へ
 「湯、入んに来とくんねんしぇー」
 当然ふれ事  子の仕事
 同じ湯再度 沸かした日
 「古湯ですけど、入んに来とくねんしぇー」
 またまた近所を  一回り

(※ 今はボタンを押すだけで、風呂に水を張って沸かしてくれる。しかも、好きな温度に設定できてぬるくなったら熱くしてくれる。熱過ぎずぬる過ぎず、保温までしてくれるのだ。昔は一体何だったのだろうかと思ってしまう。)

(日記 午前中は、数学。午後は、文化祭準備。)

 
 

ニュー『いのせ文化祭』開催

16 11月

体育館で開催

上段:「振る舞い餅つき」で杵を振るう山岸市長 下段:模擬店とそれを手伝う中学生ボランティア

上段:「振る舞い餅つき」で杵を振るう山岸市長 下段:模擬店とそれを手伝う中学生ボランティア

 これまでに、『いのせ文化祭』は,公民館の内外で行われていた。ステージ関係は,あまり広くないホールで、うどん・そば・ぜんざい等の飲食コーナーは,これもあまり広くない公民館横の駐車場で行われていた。

 そして、作品展示は公民館の2階で行われていた。公民館のホールで行われステージイベントは常に閑散としていた。開会式なども、無理矢理人を集めなければ来賓に申し訳ないぐらいの状況だった。

 そこで、今年は、会場を「体育館(林業者健康トレーニングセンター)」に移して開催することにした。ステージを中心に、観覧席を設け、その周囲に小型のカラーテント(240cm四方)の模擬店が並び、会場全体が“お祭り広場”になるように設定した。

ステージを賑わした子どもたちと模擬店(右下)

ステージを賑わした子どもたちと模擬店(右下)

 ガスを使って揚げ物をする模擬店だけは、安全を考えて体育館の玄関に設置した。おかげで、これまではステージイベントが全く見られなかった模擬店関係者も、ステージでの演技を見ることができるようになった。

 私も、活性会員会として、子どもたちのために、『駄菓子屋』を開店することにした。店番は中学生が引き受けてくれた。反省点もあるがこれまでより」はるかに活気のある文化祭ができたように思う。

ステージのバンド演奏を見る人たち

ステージのバンド演奏を見る人たち

(日記 午前8時より文化祭の『駄菓子屋』開店の準備。模擬店の様子を見ながら、午後3時まで、文化祭の裏方やステージで『片瀬豊年ばやし』を演じるなど、忙しい一日を過ごした。後始末をして帰宅したが、「終わった」という安堵感と風邪気味で疲れたという感じが入り交じった一日だった。)

 

甘ーいぜんざいを販売する「さわらび会」の模擬店からもステージイベントがよく見える。

甘ーいぜんざいを販売する「さわらび会」の模擬店からもステージイベントがよく見える。

 

遠方より友来る

15 11月

50年前の先輩
 私は、大学入学直後、バンドを組みたいと思っていた。寮で仲間を集めて合奏等を楽しんでいた。そして2年になった時、1学年上の工学部の連中がバンドを始めたの、私も入部することにした。

 そして、大学でのバンド活動が始まった。そのとき、1学年上で初代の軽音学部部長を務めたSさんが福井での同窓会の後、私のところへ尋ねてくることになった。(私は2代目部長)

 私の事務所で約2時間雑談をした。Sさんは、私の使っている音楽ソフトに特に興味を持ったようだった。昔話やこれからのことなどいろいろ話が弾んだ。

 その後、焼き鳥屋でさらに2時間歓談した。いつかは初代のメンバーでバンドをやりたいという願いを持っている。今の予定では、再来年、福井でのOB演奏会に一緒にバンドを組む予定だ。

会場の体育館を「お祭り広場」に変えた後、一休み。さわらび会の皆さんの作ってくれたおにぎりをいただいた。

会場の体育館を「お祭り広場」に変えた後、一休み。さわらび会の皆さんの作ってくれたおにぎりと味噌汁をいただいた。

 50年前に一緒にバンドをやっていたおかげで、二人とも、青春時代に逆戻りした様な気分になった。OB会の合い言葉「第二の人生に音楽を」をこれからも大切にしたいと思う。50年前の先輩との再会が又、夢や勇気を与えてくれたように思う。

(日記 午前中は、いのせ文化祭の準備のために、体育館へ行った。前半は、会場設営。後半は子どもたちのために、『駄菓子屋』開店準備。一段落したところで食生活改善推進員「さわらび会」の皆さんの作ったおにぎりをいただいた。その後も、模擬店開店の準備や看板作りなどを続けた。50年前に一緒にバンドを組んでいたSさんが私を訪ねてきた。午後3時から午後7時まで私の事務所と焼き鳥屋で歓談。旧交を温めた。)

 
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紅葉の那谷寺へ

14 11月

ガイドの説明を聞きながら境内を散策
 OB会の旅行で、那谷寺へ行き、温泉で昼食を取る日帰り旅行に参加した。那谷寺については、白山や泰澄大師ゆかりの寺ということしか知らず、これまで出かけたこともなかった。

 ガイド本などによれば、次のように書かれていた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・

雨の那谷寺境内をガイドの説明を聞きながら散策。

雨の那谷寺境内をガイドの説明を聞きながら散策。

 真言宗の別格本山。広い境内は奇岩遊仙境と称される。紅葉狩りの名所としても有名。奈良時代、泰澄法師によって開かれた、美しい岩山と四季の草花に囲まれた歴史ある寺。広い境内には奇岩が集まった岩窟や霊石などがあり、山水画のような美しい景色が広がる。本堂、三重塔、護摩堂ほか重要文化財が多数残る。

  白山の神を信仰し、洞窟の中に千手観音をまつっている。 洞窟は母親の胎内とみて古い時代より、「胎内くぐり」の聖地です。 新たに生まれ変わり、罪が浄められると信じられてきた。 平安時代花山法皇により岩屋寺より那谷寺と改名された。 中世には一向一揆等の戦乱で、伽藍が焼失、江戸時代、三代藩主前田利常公が荒廃を嘆き、再興された。 現在は7棟の国重要文化財と、名勝指定園があります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

紅葉と岩山の仏像群と展望台。

紅葉と岩山の仏像群と展望台。

 確かに、広大な境内に岩山があり、紅葉がきれいであった。ここにも、泰澄伝説が生きているという感じだった。現在は、かなり観光地化された寺でもあるようだ。

(日記 午前8時半に勝山を出て、那谷寺へ。その後、山中温泉へ。総会、入浴、昼食。入浴は、露天風呂に入った。雨が降っていたので、屋根のない露天風呂“湯畑”には私しか入浴していなかった。谷川のせせらぎの音を聞きながら紅葉を眺めていると命の洗濯をしているという感じだった。午後4時に勝山へ到着。早速、公民館へ向かい、文化祭の準備。午後7時半より、「いのせ文化祭」で司会をするSさんと打ち合わせ。当日、Sさんには私の作った拙い『振り込め防止の数え歌』を歌ってもらうつもりだ。昨晩作ったカラオケで練習してもらった。)

 
 

児童の前に立って

13 11月

南小学校の生活発表会に参加
 南小学校の1年生の先生から頼まれて、生活発表会の「1年生の発表~まちの名人~」に出演することになった。300人あまりの全校生徒と保護者の前で、紙芝居の一部を披露するというのだ。幼稚園の演じも最前列に陣取っていた。

紙芝居の一場面。

紙芝居の一場面。

 私と家内は、紙芝居名人ということで、恐竜の登場する「タン吉コン子旅日記」の3つの場面を演じることになった。全校生徒の前なので、パワーポイントで演じたのだが、とても新鮮だった。

 時間の都合上、3場面だけしか演じることができないので、場面を選ぶのには苦労した。タヌキのタン吉が「チチン。プイプイ。ホーイノホーイ!」と言って恐竜に化ける場面では「パンパカパーン?」とハーモニカを吹いた。子どもたちは静かに見てくれたよだった。

 これまで、1年生では、2回紙芝居を演じていたので、少し知り合いができたようだった。ステージ上で、子どもあっちを見ていると現役時代のことがおも出されて懐かしかった。

 私も、最近は、学校から頼まれたことは何でも引き受けるつもりでいる。過去を気にせず、今を大切にして子どもたちに接していられたらと思う。よい経験になった。

(日記 午前9時半から南校の生活発表会で紙芝居を演じた。時間の都合上、わずか3場面だったが楽しかった。終了と同時に、「いのせ文化祭」の打ち合わせのために猪野瀬公民館へ向かった。午後も文化祭の作業を継続。)

 
 

定期検診に思う

12 11月

定期検診結果と生徒の試験結果
 今日は、月に一度の定期検診。知人に紹介されて済生会へ通うようになって数年が過ぎた。そろそろ地元の病院へ戻ってもいいように思う。

 いつものことだが、血液検査と尿検査を行うので、村結果が出る診察時は不安になる。悪かったら何とかしなければならないと思うからだ。しかし、予想に反して結果なはよかった。

 気分がよくなった。結果がよいとこの次もまた頑張ろうという気分になる。これは何も健康の問題ばかりではない。

 現役の教員時代も同じようなことを考えていた。生徒達の諸活動の結果があまりにも悪いとこの次も頑張ろうという気持ちが萎えてしまう。そのためにも、どんなことでも、ある程度の結果が残せるよう指導に注意しなければならないと思っていた。

 指導法の改善にはいつも心掛けていたつもりだ。その延長に今の数学参考書作りがあると思っている。定期検診の結果も生徒の試験結果も共通する部分が少なくないと思う。

(日記 午前8時過ぎに自宅で採れた里芋を持っていつも童話童話作りでお世話になっているF先生の自宅へ向かった。幸いにも外出徳前の先生とお会いすることができた。その後、済生会へ向かう。眼科と内科で定期検診。眼科はパソコンの使い過ぎからかドライアイで涙が出て困っているので診てもらった。その後内科検診。勝山へ戻り、公民館で文化祭準備。)

 
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里芋の収穫

11 11月

「芋と生姜と旨い米」
 家庭菜園といえども、天候に左右される。明日から天気が悪くなるというので、今日は残りの里芋を全て収穫すると決めた。晩秋の太陽の下、ラジオを聞きながらの里芋収穫作業はとても気持ちがよい。

秋空の下、今年最後の里芋の収穫。

秋空の下、今年最後の里芋の収穫。

 昨年は里芋を作りすぎたので、今年は少し量を減らした。9月の終わりから少しずつ収穫を始めて今日が最終日だ。やはり食べるのは旬のものが最高だ。

 里芋は、堅さの好み料理法も地方によってはずいぶん違うようだ。私たち片瀬の者は、堅い芋が好きな者が多いようだ。また、料理法は、皮をむかずに洗って煮っ転がしにするのが最高だと思っている。 都会の方では、大きな里芋の皮をむいて料理すると聞いている。私たちは、里芋の皮をむかずに芋洗い機などで洗うので、小芋の方が美味しいと思っている。

 この里芋だが、昔は芋穴に貯蔵していた。玄関の床の下に大きな穴が掘ってあり、そこへ土のついたままの里芋を保存していたのだ。今でもこの方法で里芋を保存している人も少なくないだろう。我が家では改築したときに、芋穴を埋めてしまったので、今は冷凍庫で保存している。しかし、旬のものとはずいぶん味が違う。

秋ジャガイモの試し掘り。でっかいじゃがいもが収穫できそうだ。

秋ジャガイモの試し掘り。でっかいじゃがいもが収穫できそうだ。

 今日は里芋収穫の最終日。何人かに里芋を配った。私は、農作物を作っても、ほとんどが自家用か子どもたちや知人や親戚に配るだけだ。配るものがあるのは嬉しい。明日は、福井の知人に持って行くつもりだ。今年も、美味しい里芋が食べられて大満足。美味しい里芋が夕食の食卓に上った。大満足。

(日記 朝一に、電話をしたり、書類を書いたり事務処理。その後、里芋の収穫。天気がよくてとてもよかった。午後は、公民館で文化祭の臨時実行委員会。どうしたら、準備のことや文化祭を盛り上げるための話し合い。少しでも文化祭を盛り上げたいと思う。)

 
 

情報を伝えることの難しさ

10 11月

『いのせ文化祭』のポスター作り
 次の日曜日は『いのせ文化祭』だ。公民館では、公民館だよりで知らせ、特別な公民館祭の広報紙(チラシ)を配布している。

自作のポスター。子どもたちに文化祭が開かれることを伝えられるだろうか。

自作のポスター。子どもたちに文化祭が開かれることを伝えられるだろうか。

 これだけ、広報活動をすれば大人にも子どもにも伝わるだろうと思うが、アンケートを行ってみると「文化祭があることを知らなかった」とかなりの中学生が答えている。

 大人の側では伝えたつもりでも、子どもの側では情報を受け取っていないのだ。市の広報誌や公民館からのたよりを大人も子どもも読んでいない場合が多いのだ。

 そこで私は、ポスターを作ることにした。通学の途中などに見てもらえたらと思ってのことだ。世の中にはいろんなことがあるが、よほど関心を持っていないと、私自身も知らないことが多い。

 今度の『いのせ文化祭』は、私たち活性化委員もかなり力を入れて支援している。会場も変えて、『林業者健康トレーニングセンター(体育館)』をお祭り広場として開催するものだ。ポスターぐらいで関心のない人たちに文化祭の開催を周知できるかどうかは疑わしいが何もしないよりはましだろうと思って半日かけてポスターを作った。

(日記 午前中は、『健康福祉センターすこやか』へ検診に出かけた。種々の検査が行われた。結果は後日出るのだ。ショックだったのは、身長が少し縮んだことだ。帰宅してから、公民館祭のポスター作り。午後4時過ぎにできあがった。データを公民館へ持って行った。果たして見てもらえるだろうか。『いのせ文化祭』に多くの人が来てくれるだろうか。)

 

血が騒ぐ

09 11月

蘇る青春時代
 最近毎日半日は雪囲いなど家庭の仕事。そして、残りの時間のほとんどはパソコンの前での作業だった。いささか運動不足だ。

 脳と身体の体操を兼ねて、事務所のスタジオでドラムを叩いてみた。両手両足を動かすのだから、身体と脳の体操になるだろうと思った。

身体と脳の体操を兼ねてドラムを叩いてみた。気分爽快。

身体と脳の体操を兼ねてドラムを叩いてみた。気分爽快。

 音楽は、スイングジャズ。音は、カセットなどよりも、ヘッドフォンの方がよい。iPhoneからイヤフォンで音を取り、好きなボリュームで音楽を聴くことができる。

 それに合わせてドラムを叩くのだ。好きな曲を「1曲リピート」で繰り返す。思えばドラムを始めたのは、石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」を見てからだろうか。

 今から50年前の大学時代には一生懸命ドラムを叩いていた。今は、当時のようにはスティックを振れない。しかし、気分はジャズドラマーだ。とても気持ちがよかった。心身ともにリフレッシュしたような気がする。

(日記 午前8時半に集会場へ集合。勝山市の「繊維祭り」に出演するために、『片瀬豊年ばやし』の朝練習。午後9時に「ゆめおーれ」へ向かう。雨のため、ステージにはテントが張られていた。9時半

ちょうど50年前の学生時代。軽音学部の仲間と。

ちょうど50年前の学生時代。軽音学部の仲間と。

頃に、『片瀬豊年ばやし』を演じた。帰宅後、午前10時半から始まる村の仏母寺の開山忌に出席。午後は事務所で数学。気分転換にドラムを叩いてみた。脳と身体の運動を兼ねて演奏。とても楽しかった。)