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Archive for 8月, 2014

「歌う」という宿題

11 8月

どうせ歌うなら楽しく
 横浜の小4の孫が、帰省して2週間が過ぎた。いろんな宿題を持ってやって来た。その中に少しだけ私の宿題もある。算数と国語の問題だ。学校の宿題の中には「読み聞かせ」や「歌を歌うこと」が入っている。

 その歌とは、『ゆかいに歩けば』と英語で歌う『エーデルワイス』だ。「エーデルワイス」の発音も「エードゥルワイス」と発言するように習ったらしい。しかし、孫が一人で歌っているだけでは盛り上がらない。

孫を中心に、学校の宿題の『エーデルワイス』や『ゆかいに歩けば』を歌う家内と息子の嫁。みんなで歌えば楽しくなる。

孫を中心に、学校の宿題の『エーデルワイス』や『ゆかいに歩けば』を歌う家内と息子の嫁。みんなで歌えば楽しくなる。

 そこで、家内と,息子の嫁に「歌を宿題と感じないで、楽しいものと感じさせるために、一緒に歌ってくれ」と頼んだ。所々は、孫のソロにし、みんなで大きな声で歌った。

 子どもの宿題だが、「させられるのではなく、楽しんでする」ようにするには、周りの大人達の関わり方である。歌ばかりでなく、漢字の練習でも、周りの大人が、一緒に学べば子どもも気持ちが変わるのではなかろうか。

 国語の読み聞かせの宿題もあるが、真剣に聞いていると、子どもたちも張り合いが出てくるのではなかろうか。そんな気持ちで孫の宿題に関わっていきたいと思う。夏休みも後半戦に入りかけている。勝山でよい思い出をいっぱい持って帰ってほしいと思う。少しでも成長してほしいとも思う。

(日記 午前中、歯医者へ行った。通院に時間を取られるのは悲しいが自業自得だから仕方がない。その後、生け垣の伐採。そして、家内とお墓の掃除をした。午後は、孫の学習を見ながら、数学。夕方は家族で孫の宿題の歌を歌う。あっという間に一日が過ぎた。)

 
 

少子化対策に思う

10 8月

政府の少子化対策で子どもが増えるのか
 少子化は将来の国の存亡に関わる大問題だとの認識は誰もが持っているように思う。高齢者は増える一方で、それらを支える働く世代は減る一方である。年金は破綻するだろうし、国の経済発展も望めないだろう。様々な予測でも、地方は衰退するどころか、消滅の危機さえあるとの予測が出ている。

 国でも少子化担当大臣を設け、少子化対策を進めているが成果はほとんど見られない。国の対策で果たして少子化化が改善されるだろうか。いつも思うことだが、国会での少子化担当大臣の答弁を聞いていると、そんなことで本当に少子化が改善されるのかと思ってしまう。

 そもそも、「子どもがたくさん生まれた時代」とはどんな時代だったのだろうか。私の周辺を見ると、男性は働きに出て、家庭には女性や高齢者(祖父母)が家事や農作業をしていたように思う。子どもたちは、兄弟や地域の異年齢の子どもたちと接し、地域の高齢者などが見守る中で育っていったように思う。子どもをみんなで育てたので、かつては「子育て」という言葉もなかったのではないか。また、車やテレビ・洗濯機などの電気製品もなく、生活レベルはそんなに高くはなかったように思う。このような環境の中では、子どもの一人や二人、増えても家計にはそんなに影響がなかったのではなかろうか。

 ところが、今は子育てのベースとなる家庭や地域社会が弱体化し、あるいは崩壊して、子育ては大変な作業である。子どもを預かる保育所や児童館があればよいというような単純なものではない。核家族の中ではこうした施設があれば子どもを安心して育てられるものではない。

 日本は世界でもまれな残業大国である。特に男性は残業が当たり前である。このままでは女性だけで安心して子育てなどできるはずがない。この点を改めることではなかろうか。その上、女性の社会進出が望まれているが、労働力不足を補い、低賃金で長時間残業を女性にも求めているのではなかろうか。女性の男性化と言えなくもない。こうなると、家庭が子育てを放棄せざるを得ない時代になるのは必然ではなかろうか。このような状況でたくさんの子どもを育てることなどできるはずがない。よほど本気にならないと移民に頼るしか道はなくなってしまう。

(日記 機能で、ようやくこの夏やるべき課題は終わった。残るは個人的な課題のみである。午前中はもっぱら数学。午後は久しぶりに昼寝。その後も、数学。あっという間に一日が終わってしまった。夕方、福井の孫達は帰って行った。代わって横浜の孫達が戻ってきた。久しぶりに孫(長女)と川になって寝た。)

 
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ワークの夏祭り

09 8月

久々の和太鼓
 大方の楽器は『九頭竜ワークショップ』の方々が運んで下さった。そこで、私は、自分の軽トラックに一番大きい大平太鼓とその台を乗せて会場へ向かった。玄関でワークのスタッフの方々が太鼓を車からおろして下さった。

『九頭竜ワークショップ』の夏祭りで和太鼓演奏

『九頭竜ワークショップ』の夏祭りで和太鼓演奏

 控え室で夕食。7時過ぎに、舞台袖で準備。7時15分頃、舞台でセッティング。そして、7時30分から演技開始。会場の人たちも真剣に見て下さったのでやりがいがあった。

 なるべく変化に富んだ曲を演奏したいと考え、担ぎ桶胴太鼓による曲、普通に長胴太鼓を置いた曲、チャッパ(小型シンバル)のみの曲、そして、最後に6分ほどの組曲を演奏した。

 実は、この『九頭竜ワークショップ』には、1月にも来て演奏しているのだ。十数年前には、数年間、「職員チーム」、「入所者チーム」に和太鼓を指導すているのだ。そんな関係で、「帰ってきた」という感じがしないでもない。かつて指導した入所者とも再会した。

 演奏の後、控え室まで来て「よかったよ」とか「ありがとう」と、礼を言うために来て下さった。練習してよかった、和太鼓をしていてよかったと思う瞬間である。職員の方々に楽器を運んでもらって今日の出番を終えた。メンバー全員で楽器を片付けて今日の出番を終えた。

(日記 午前中いっぱい、紙芝居の手直しと練習。完全に寝不足であった。午後2時過ぎに大野市の誓念寺保育園の夏祭りに紙芝居をするために出かけた。午後3時頃から創作紙芝居『こすずめチュン太~ボクにげないよ』を演じた。帰宅してから今度は『九頭竜ワークショップ』の夏祭りで和太鼓を演奏するために準備をして午後5時半過ぎに自宅を出発。午後7時半に雨天のため体育館で和太鼓演奏。忙しいが充実した一日だった。)

 
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深夜まで創作紙芝居の仕上げ

08 8月

もしも明日時間があたら
 そう思って,未完成の紙芝居『野菜ロボット・ベジタ』の仕上げにかかった。ほほ9割以上仕上げてあったのだが、データがどこかへ行ってしまって、6割ほどの完成率だった。これを何とか明日までに仕上げようと取りかかった。

 

創作紙芝居『野菜ロボット・ベジタ』の一場面。

創作紙芝居『野菜ロボット・ベジタ』の一場面。

パソコンのデータ整理は本当に難しい。私の場合、完成した画像と共に、一度使った絵を部品として保存してあるのだ。この人物の画像が、もしかしたら数百枚あるかも知れない。背景などもたくさんある。まるで、劇場の楽屋のようだ。

 というのは、同じ一人の人物でも、喜怒哀楽、種々のポーズを考えると十数枚になる。僧侶もいれば侍も貴族も庶民も、今風のジイジもバアバも子どももたくさん保存してある。

 表情を変えたり、衣装を買えたり、場合によっては着物の柄を変えたり、それば新たな人物になる。しかし、新たに登場するキャラクターやロボットなどはゼロから描かなければならない。しかし、次回からのストックにはなる。

 手や足の向きや動き、ポーズで描きにくいモノは、家内にポーズを取ってもらってそれを見て描いている。それにしてもあちこち直しているうちに、午前1時半過ぎになってしまった。それから風呂へ入り残りは明日にすることにした。

(日記 午前、午後共に創作紙芝居の絵描き。ほとんど机にかじりついてパソコンを見ていたので目が疲れ、腰も痛くなった。でも、完成の見込みがついた。)

 
 

絵入りで数学参考書

07 8月

作る価値があるのか
 今、数学の参考書を作ろうとしている。かける時間は膨大だ。しかし、田舎者の私(“いなかもん”は私の創作時のペンネーム)の私が作ったモノを誰が読むのだろうか。

 「作る価値があるのか」と自問自答することがある。私の手元には百冊以上の参考書がある。そして、今でも買い続けている。どれも似たり寄ったりで新鮮みはそんなにない。

私の数学参考書に登場するキャラクターの高校生達。この6人の喜怒哀楽の顔が揃えてある。

私の数学参考書に登場するキャラクターの高校生達。この6人の喜怒哀楽の顔が揃えてある。

 そうしたモノの仲間入りをしても何の価値もない。ただ、それらと似たものを私が作る意味もない。高校生の役に立って、今までにないものを作るとなると簡単ではない。

 私の作っている参考書は基本中の基本となる“重要例題”で作られている。それぞれ例題の直後に、高校生と私の会話を挿入している。文字だけでは、読みづらいだろうと思って高校生6人の顔を入れている。

 6人のキャラクターが語る重要例題についてのコメントが一つの売りのつもりでいる。それと、最後のまとめとなる“セオリー”(それをごく短くまとめた5・7・5の単文)が売りのつもりでいる。ヒントなども付けているが、これはどの参考書にもある定番のものだ。膨大な時間がかかっているが、高校生達に少しでも役立てばと思って取り組んでいる。

(日記 終日、参考書作り。横浜の孫達は息子の嫁の実家へ。昨日の午後やって来た福井の孫達は、家の中を元気に駆け回っている。夏休みの我が家は賑やかである。)

 
 

雑草との我慢比べ

06 8月

作物が育てば雑草も育つ
 昔の稲作は機械がなかっただけではなく、肥料や除草剤などの農薬がなかったので普段の作業量は現在とは比較にならないくらいの多さだった。そんな中の一つに雑草対策がある。畑の草取りはもちろんのこと、田んぼの草取りも重労働だった。

 歩きにくい田んぼの中を素足で歩き、常に前かかみで、虫除けの「かんこ(ぼろなどを藁で縛り、火を付けて腰にぶら下げて出てくり煙で虫除けにした)」をぶら下げ、田んぼの中を這い回るように作業をするのだ。主に女性の作業だったが、腰の曲がる原因の一つでもなかっただろうか。

 家の周辺もまた草が生える場所だった。今は、草刈り機があり、除草剤があり、防草シートや黒マルチがある。それでも、雑草対策には苦労するのだ。昔の人のすごさが雑草対策一つとってもよく分かる。

私の知っている人にも、黒マルチを使わなかい人がいるが、畑は雑草が生えて大変そうだ。人の何倍も除草作業をしなければならない。涼しい時期ならよいが、夏まっさかりの今の時期なら早朝しか除草作業はできないだろう。

おまけに、昔は自宅で農耕用に馬や牛を飼っていたので、それらのえさとしての草刈りもあった。草との付き合いは不可欠だった。今は、舗装道路や街路樹の根元にも雑草が合えているのをよく見る。不毛の砂漠では困るが、辺り構わず生えてくる雑草にも、当分の間は悩まされるだろう。 

(日記 午前7時過ぎより、田んぼの畦の草刈り。本当は早朝の涼しい時間帯にやりたいのだが、我が家の田んぼの周辺には住宅があるのでそれができない。騒音公害になるからだ。太陽が出てきたので作業を止めて帰宅。それでも、全身汗でずぶ濡れ。シャワーをしてようやく落ちついた。孫呉、孫の学習を見ながら数学。午後も作業を継続。夕方、Y君がパソコンの不具合を見に来てくれた。おかげで私と家内のパソコンの不具合が改善された。午後7時から、和太鼓の練習。長女も福井から子ども(孫)を連れて参加。孫5人が我が家へ集まった。騒々しいくらいの賑やかさだった。)

 
 

孫達と海水浴

05 8月

安全第一で

海水浴場でのスナップ。みんな楽しそうだった。私はカメラマン。

海水浴場でのスナップ。みんな楽しそうだった。私はカメラマン。

孫達が横浜から帰省して約10日が経った。今は、息子の嫁と孫達3人が我が家で夏休みを過ごしている。息子達が、海水浴を計画したが、その日は天候が悪く、中止となってしまった。そして、息子は横浜へ帰っていった。

代わりに我々夫婦が、孫達を連れて海水浴に行くと決めた。大人3人、子ども3人での海水浴だ。先ず一番に考えるのは、完全だ。行き帰りの車、そして、海での泳ぎなど、危険はどこにでもある。

午前9時頃自宅を出発して、「たかす海水浴場」へ向かった。太陽は出ている時間が多かったが、風はとても強かった。浮き輪など、風に飛ばされたら、風に流されて泳いでも採りに行けないような状況だった。

海岸からあまり離れないで、子どもたちは浮き輪を使って遊んでいた。こちらは、波にさらわれないかと気配りしながら、波と戯れていた。夏には一度は海へ行かなければと我が子が小さい頃からずっと海水浴を行ってきたが、今はその孫達との海水浴だ。

平日だったので、浜茶屋もそんなに人がいなくて、のんびりできた。午後4時過ぎに帰ることに決めたが、2歳の孫が海から離れたくないようであった。孫達はそれなりに楽しんだのではないかと思う。孫のおかげで、今年も、私たちは海水浴ができた。無事帰れてよかったと思った一日だった。

(日記 午前9時に、自宅を出てたかす海水浴場へ向かった。海でゆったりと過ごし、4時過ぎに浜を出て自宅へ向かった。今年も、無事、海水浴を終えることができた。孫達のおかげで楽しい一日を過ごすことができた。)

 
 

太鼓好きと共に

04 8月

久々の和太鼓練習
太鼓を始めて30年近くが経った。今も、太鼓好きの女性が集まって『春駒太鼓』の練習に励んでいる。今いるメンバーのほとんどは、10数年前に、共に勝山高校で和太鼓の練習をした連中だ。

私は顧問で、彼女たちは高校生だった。それ以来、今日まで太鼓が好きで、練習を続けている。それぞれ忙しいが、出番があれば練習に集まって来る。

今日も、午後7時から私の事務所へ集まり、スタジオで練習した。練習場があるのはありがたい。私も、篠笛で練習に参加。しばらく練習を休むと、できたこともできなくなる。

でも、一度身に付けたことは復活するのも早い。いつまで、彼女たちと練習できるか分からないが、身体の動く限り、出演依頼のある限り、練習を続けたいと思う。

毎回そうだが、練習の後、お茶などを飲みながら彼女たちは会話を楽しんでいる。私も、時々会話に加わるが、参考になることも多い。今週は、週に2~3回練習するつもりでいる。9日の本番に向けて楽しい演奏ができればと思う。

(日記 朝は雨。その後雨が止んだので、草刈り機で田んぼの畦の草を刈ることにした。とても暑かった。その後、数学。午後も数学。午後7時から和太鼓の練習。楽しかった。)

 
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山道作り 

03 8月

年中行事
年に2回、背後の大師山の整備が行われる。一度は、大師山の林道の草刈りで、もう一回は大師山の登山道の整備だ。そして今日はその登山道の整備。整備の区間はローテーションで毎年変わる。

私たちの班は、村の上から大師山の頂上近くの峠までが作業区域だ。午前6時半に集会場へ集まり、3グループに分けて車で中腹へ。私は、中腹から下へ向かって主に山道の両側にある草や木の枝を草刈り機で刈り取った。

『中休み場』の標柱が残る大師山登山道の休み場。思い出の場所でもある。

『中休み場』の標柱が残る大師山登山道の休み場。思い出の場所でもある。

途中で、『中休み場』の看板が見つかった。山道の片側に、休むための台状の部分があった。子供時代には、ほぼ毎日、薪を取るために、大師山の後ろ側の村の共有地まで薪を運びに出かけたのだ。

薪を担ぐ縄が肩に食い込み、子どもにとってはかなり重労働だった。そんなとき、所々に作ってある『上休み場』、『中休み場』、『下休み場』などにたどり着くとくとホッとしたものだ。

今の、若い者や子どもたちに話しても、理解されないだろう。背中に担いで運んだこれらの薪は、煮炊きや風呂等に使う貴重な燃料として一年中使ったのだ。今のガスや電気に相当する大切なものだった。昔を思い出しながら、休み場の周辺の草を刈った。

(日記 午前6時半に集合して大師山の山道整備に向かった。作業を終えて、下山後、集会所前でしばし歓談。シャワーをしてホッとした。その後、少し数学。午後は、孫達とプール。孫達は3時間ノンストップで遊んでも,自分からは帰ろうと言わない。ある意味ではありがたいことだ。)

 
 

久々の図書館

02 8月

図書館は夢のある場所
孫達が、図書館にいるというので迎えに出かけた。小学4年、幼稚園年長の6歳、そして2歳の3人の孫達は、本を読んだり、ビデオを見たりしていた。

私にとって、図書館は夢のある場所だ。自分の夢につながる書籍がある。興味ある雑誌や書籍がある。しかし、最近、忙しくて図書館に出向くことがなかった。1年ほど前までは、常に、図書館の本を10冊は持っていた。

図書館はいろんな情報を得る受け身的な部分と、いつかはここに自分の書いたモノを並べられたらという夢を抱くことのできる積極的な場でもあると私は考えている。

今は、時々童話サークルで童話を書いているが、いつかは小説を書いてみたいと思っている。童話の長めのモノと小説の区別もつかない私に小説など書けるのだろうか。

でも、そんな夢を抱くことができるのが図書館である。買い物に出かけても必ず本屋を集合場所に決めているくらい、私にとっては“本”は夢につながる大切なモノだ。時間を見つけて時々は図書館へ出かけようとの気持ちを新たにした。

(日記 午前中は数学。孫達は母親(息子の嫁)の実家にいて不在。午後も作業を継続。夕方、孫達を迎えに図書館へ。夏休みがどんどん過ぎていく。今の私には直接関係がないが、夏が終わることは何となくさみしいものである。)