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Archive for 3月, 2014

老人会総会に初参加

11 3月

何ができるか 昨年、老人会に入会した。そして、今日が初めての総会だ。参加者は60歳代後半から90歳代までだ。警察官から、安全運転や振り込め詐欺に関する講話を聞いた。 今は大丈夫だろうが、判断力が鈍るとどうなるかは自信が持てない。振り込め詐欺がなくならないのは、「自分は大丈夫だ」と思いながら、判断力が鈍ったからではなかろうか。 講話の後、総会。二、三意見を述べた。その後、懇親会。隣には、70歳後半と八十歳過ぎの方がおられた。幸い両者とも、前を向いていられるので、話が弾んだ。 それぞれに、自分の生き甲斐や楽しみを見つけておられるのだ。高齢者になっても生き甲斐や楽しみを持っておられることは素晴らしいと思う。 両名をみて感じることは、若いことからいろんな事に興味を持ち、仕事の他にもいろいろ取り組むことが今につながっているということだ。 前を向いて暮らしている人からは、昔の話も聞くことができると思う。きっと若いころの話もいろいろ面白いことがあったのではなかろうか。 両者についての共通点は、歌が好きだと言うことだ。歌があるから、農作業ができる、歌があるから毎日を楽しく生きることができる……、そんな感じだった。 いつか、時間のをみて、昔の話を聞かせていただきたいと思う。また、昔の盆踊り唄なども聴かせていただきたいと思う。鼻歌でその一節を歌って下さったが、是非とも、採譜して曲を作りたいと思う。 「前を向いていれば誰とでも友達になれる」は、私の信念だが、今日もさらにそのことを実感した。予想よりも楽しい懇親会となった。 (午前九時より、村の老人会の定期総会。午後は、区の総会の資料作り。会計処理がかなり面倒だ。家内にも応援してもらって午後ずっと事務所で作業。家へ帰らず、夜も外食。でも、途中で家内とのウオーキングは欠かさなかった。かなり習慣化してきたようだ。)

 

さて、今年は何にチャレンジするか

10 3月

かつての同僚に会って
今日は、終日、区の事務処理をすると決めた。いくつかの会計があり、木曜日に監査があるからだ。途中で、市役所へ出かけた。そして、補助金請求のための書類を提出してきた。

帰り際に、かつての同僚であるM部長と会った。そして、まちづくりなどについていろいろ話し合った。また、今年は市制60周年記念の年にあたるので、記念事業がいろいろあるという。

その中で、一般の者が企画する記念事業を募集しているという。そして、一提案事業に関して30万円を補助するという。「ちょっとやってみようか」「どうしようか」と迷った。

何か事業を行おうとなると、かなりの人の協力を得なければならない。一定の人間は確保できるが、それだけではおもしろくない。時代を担う子供たちを巻き込まなければ事業をする意味がない。

締め切りは4月11日だという。今週一週間は考えてみたい。いろんな人たちの理解を得なければならない。かなりのエネルギーがいるだろう。

まだ、体の中にはいくらかのエネルギーはあると思っているが、いざとなると大変だと思う。私の人脈でどこまでできるか試すにはよい機会だ。

伝統芸能とエコノミーを結びつけた新たなイベントを考えている。最終的には地域の活性化や多くの人たちの絆を深めるものでなければ事業を展開する意味がない。ここが思案のしどころか。

(日記 今日は終日、区の事務処理をすると決め手事務所へ出かけた。先ずは役所へ。その後、会計処理のためにJAへ。事務所へ戻り、午後7時まで作業。かなり作業がはかどった。今週は忙しくなりそうだ。)

 

福井国体、そして東京オリンピック

09 3月

自分には関係ないのか
4年後に『福井国体』、6年後に『東京オリンピック』が開催される。しかし、自分にはどのように関われるのだろうか。

昭和43年に開催された前回の『福井国体』では、我が家は山岳競技の役員の宿(民宿)となった。水や防災の検査があり、当日は県内の関係者が泊まってくださった。

このようなボランティア的な関わりはできるかもしれないが、運動はどうだろうか。私としては、すべての市民が県民がスポーツ選手にはなれなくても、健康のために何か一つスポーツに親しむことを県民の、市民の目標にすることを提案したいと思う。

国体やオリンピックが来ると、行政の側の人間や体協の関係者はいかによい成績を収めるかを目標にするだろう。しかし私たち凡人はせっかくの機会だから、この際“一人一スポーツ”を提案したい。

健康は何にもまして大切なものだから。特に年を取るにつれて、健康でなければあらゆる活動は大幅に制限されるだろう。高齢者になったら、働くのも大切だが健康維持はもっと大切だと思う。自分にとっ手も、周囲の者にとっても。

(日記 午前中は、村の神社の春祭り。神主さんを迎えて神事。その後の直らいでは酒を酌み交わし、しばし歓談。午後は事務所へ行く。雪がちらつくような天気だったが、家内とウオーキング。国体まで元気にいられるためにはまずは週3、4回はウオーキングをしたいと思う。その後、何か簡単なスポーツを一つ選んで取組めたらと思う。午後5時から猪野瀬地区体育協会の総会。その後、懇親会。酒を飲みながら歓談。いろんなことが話せてとても充実した時間を持つことができた。何か一つスポーツをということも話題の中に取り入れた。)

 
 

宇宙からのメッセージ

08 3月

「きれいな水の惑星」
◆「△○▼△・・・・・ こちら!新しい惑星発見!惑星発見!」
★「こちら、□□星指令室。しばらく観察し、詳しく報告せよ!」

◆「ただ今接近中!ブルーに輝くきれいな惑星です!」
★「さらに接近し、詳しく報告せよ!」

◆「了解!空気の層(大気圏)に突入。この惑星は水に覆われ青く輝いています。明るい部分は緑の大陸と光り輝く水の広がり、とてもきれいです。白い氷に覆われた部分も見えます」
★「光に当たっていない部分はどうか、よく調べて報告せよ」

◆「きらきらと暗闇に光が輝いてとてもきれいです」
★「さらに接近して上陸が可能か、調査せよ」

「■○△!?☆△◇○◎△・・・・・・・・」

◆「こちらUFO3号!ただ今陸地に接近中、海には何やらおかしなものが浮かんでいます。追いかけっこをしているようです。砲弾が飛び交っています。陸では生き物が睨み合っています。火炎瓶が飛んでいます。銃が発射されています。」
★「こちら、本部!十分気をつけて詳しく観察せよ!」

◆「警官隊と民衆が睨み合っています。あ、火炎瓶が飛んでいます。銃弾が飛び交っています。他へ移ります。」
★「接近してほかの地点も詳しく観察せよ。」

◆「観察地点を変えました。こちらは、地上がよく見えません。煙突から黙々と黒い煙を吐いています。地上を煙が覆っています。遠くから見たきれいな水も、近づく汚れています。」
★「その惑星はきれいなのか、汚いのか、どちらだ!!」

◆「申し訳ありません。遠くで見たときにはきれいな星だと思いましたが、とても我々の住めるところではありません」
★「了解!早くほかの惑星へ移れ!」

◆「了解。この惑星をどんどん離れています。確かに遠くから見れば青く輝くきれいな水の惑星ですが、表面は、何もかもが汚れています。生き物は争いを続けています。報告を終わります。」
★「了解!もっときれいな惑星を探査せよ!報告を待つ!」

(日記 午前11時過ぎより、区内にある仏母寺の役員会。午後4時より法事。集まった人達としばし昭和時代(20年から30年代)について歓談。いろいろ懐かしい話、おもしろい話が飛び出す。昭和は遠くなりにけり。しかし、物質的には恵まれても世の中が豊かになったとは思えない。)

 
 

増える外人三役力士

07 3月

相撲の国際化が意味するもの
幕内の上位力士を見るとモンゴル始め外国人力士がずらりと並んでいる。特に、白鵬の安定感は抜群だ。日本人力士とは、ハングリーさが違うのだろうか。

今日は午後7時からテレビで『スモウスピリット』と題してエジプト出身力士「大砂嵐」を特集している。彼の相撲に取り組む姿勢は素晴らしい。この姿勢は日本人力士ばかりでなく、私にも勇気を与えてくれる。

彼は、日本の相撲にあこがれて入門を目指したが、7つほどの部屋からすべて断られ、ようやく大嶽部屋に入門できたという。彼のことばをいくつか紹介すると、次のようおなものがある。

「石にかじりついても夢をかなえます」と語る大砂嵐関。応援したくなった。

「石にかじりついても夢をかなえます」と語る大砂嵐関。応援したくなった。

「私は相撲を取るために生まれてきた」
「相撲は大好き。一番大好き」
「相撲(の世界)は一つの特別な国です。力士だけは別世界です」
「まるで24時間で48時間分のことをやらされているようです。」

その後、精進して十両優勝。そして幕内へ。最初の場所は負け越し。

「どんな相手が目の前に来ても乗り越えるべき最大の敵は自分です」
「相撲は人生そのものです。夢は横綱になること それは変わりません。石にかじりついても夢をかなえます。」

このハングリーさと、まじめさ、研究熱心さ。私は大いに感銘を受けた。多分、モンゴルから来た力士もそうだろう。日本人力士も大いに見習ってほしいと思った。

(日記 午前中は、区の事務処理。今月は定期総会があるので事務的には忙しい。午後は、家内と事務所へ。私は、数学、家内は手芸。午後3時から、ちらつく雪の中をウオーキング。防寒対策をして出たので、体はポカポカしていた。事務所へ戻り作業継続。その後、家内と三味線練習。)

 
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それって当たり前?

06 3月

「先入観」で頭が働かず
「それって当たり前?」と疑ってみなければならないことがこのようには多いのではなかろうか。その一つに政治家と国民の関係もあるのではなかろうか?

世の中には、「政策などどうでもいい」と思っている人は多いのではなかろうか。政治家が問題にすべき課題は多いが、国民はその多くの課題の中で「“自分の損得に関わること”さえよければあとはどうでもよい」と思っている人が多いのではなかろうか。

おそらく原発事故が起こるまでは、原発の安全に疑いを持つ人はごく少数しかいなかったのではなかろうか。私たちは、「原発は安全」、「原発はクリーン」、「原発は経済的(もっとも低コスト)」・・・・・と、原発の安全神話を信じてきた。

しかし、いざ、事故が起こってみると「安全神話」は作られていた部分があることが徐々に判明してきた。「政府・企業・電力会社」の強固なトライアングルに学者・マスコミ・規制委員会などが一つの集団を作って国民に安全性を訴えてきたのだ。

私たちは、原発で安くてクリーンな電気が得られると疑いもなく信じてきた。しかし、今回の事故によるそれまでは見えなかった背景が見えてくると私の中の「当たり前」にも疑問符が付くようになってきた。

それと同時に、人間というのはお金に弱い生き物だなあとつくずく思う。かならず、物事の後ろには金が動いているように思えてならない。原発の周囲に作られたバーチャル空間「原子力村」。

価値観のトップが、「金」そして「能率」、「快楽」、「名誉」などの欲望では、人間は劣化の一途をたどるだろう。金を求めるあまり失うものが多くなったのが平成はなかろうか。昭和は遠くなりにけりか。

「経済政策一本やり」で国民にアピールし、国民もそれを望んで現在の政府が誕生したように見える。しかし、現在の与党は、その政策に期待した者と野党(前与党)のふがいなさの合作によるものだと思う。

しかし、いざ巨大与党が出来上がると、比較的成果を上げているといわれる(地方ではまだまだアベノミクスの効果は限定的)経済政策を含めて様々な問題が噴出している。

私個人は、健全与党があって政治は安定するのだと思う。数十年前、未来学者といわれるs氏の講演を聞いたことがあるが、与党は圧勝したら必ず崩壊するという意味の言葉を聞いたように思う。一定の健全な野党の必要性を説いておられてように思う。

私達は今、あらゆる分野で「それって当たり前?」と考え直してみる必要があるように思う。それが、与党にも野党にも必要だと思っている。

おかしなことを何とも思わない感覚では日本は私たちの望まない方向へ向かうのではなかろうか。今は、政治的には、非常に不安定な状況にあるように思う。かく言う私は、左でもなければ右でもないと思っている。あえて言うならば、「上」か「下」ではなかろうか。

与党であろうと、野党であろうと、上方から眺めて「よいものはよい」、「悪いものは悪い」と思っている。一つ間違うと、左右のどちらかでは色眼鏡で見られてしまうのは情けない。

(日記 午前中は、パソコンのファイルコピーと整理。その後、部屋の整理。午後は、事務所で数学。一日があっという間に終わってしまった。)

 
 

信頼に足るか

05 3月

国会討論から
私は、いろんな作業をしながらラジオで「国会討論」を聞くのが大好きだ。しかし、その中身たるやストレスが貯まる。与党の持ち上げ、野党に対する理事者側の答弁。

果たして、これらの答弁を聞いて国民はまっとうな討論が行われていると思うだろうか。私はどうもそうは思えない。最近では、「責任野党」という言葉までできている。

与党に同調する党を「責任野党」というのだろうか。そうだとしたら、与党の意見に異を唱える党は「無責任野党」ということになるのだろうか。

与党たる者は堂々と野党の意見に耳を傾け、「よいものはよい」、「悪いものは悪い」と堂々と意見を述べてもらいたいと思う。何でも反対、何でも賛成の政治家では、いずれは国民の支持を失うのではなかろうか。

総理以下与党が、教育委員会制度の改革に異常な執念を持っているのも気にかかる。教委の「責任を取らない体質」を盛んに問題にしている。

責任問題を問うというのなら、原発事故の責任をだれがとったというのだろうか。数限りない人がいまだに避難生活を余儀なくされているというのに。

円安で好調な企業がある一方で、何もかもが値上がりして苦しんでいる多くの企業や一般人がたくさんいることもわすれてほしくない。政治家の言動があまりにも庶民とかけ離れているように思えてならない。

国民が政治家を信頼していれば、消費税が上がろうが、多少物価が上がろうが、我慢をするだろうが、今の状況は必ずしもそうではないようだ。終わりの始まりにならないよう、国民の意見に耳を傾けてもらいたいものだ。

(日記 午前中は、区の事務処理。その後、次期区長のTさん宅でしばし歓談。区の運営などについて意見交換。午後は、事務所で数学。充実した時間であった。夜は加藤寛さんの『日本再生最終勧告』を読む。)

 
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定期検診

04 3月

一喜一憂
今日は定期検診。前回までは2か月に一度の検診だったが、前回の検診で数字がよくなかったので、主治医にお願いして一月に一度にしてもらった。

それが今日だ。いつも、検診の結果は気になる。数字が悪い時はがっかりする。よい時はほっとする。今日は少し数字がよかったのでほっとした。でも目標にはまだ遠い。

最近テレビで面白いことを知った。それは、「空腹が人間を若く保つ」というものだった。いつも遅く寝るので、床に就く前には空腹になってしまう。

しかし、考え直さなければならない。「空腹」の時こそ健康によいのだということを。そういえば、村の90歳過ぎの高齢者の方が、今でも元気にしておられる。

昨年、村の歴史についてインタビューさせていただいたが、「健康のためには、寝る前には胃を休めなければならない」と語っておられたことを思い出す。

この言葉をかみしめて、空腹は健康によいのだということを再認識しなければならない。特に寝る前には。寝る前にものを腹に入れれば寝ている間も胃は働かなければならず、休まらないからだ。

いつも検診の後には、次回こそはと思うが、自分に負けて食事に気を付けなかったり、運動不足になったりしている。

健康維持は自分との闘いかもしれない。自分の欲望に負けているようでは情けない。そんなことを考えながら病院を後にした。

具体的な計画はないが、社会勉強のつもりで『家の森』を見学。

具体的な計画はないが、社会勉強のつもりで『家の森』を見学。

(日記 午前9時過ぎに家を出て『家の森』へ。4棟見学。なかなか面白かった。その後、昼食、少し早く済生会病院へ着いたので、家内と二人で病院周辺をウオーキング。そして済生会病院で定期検診。わずかに数字は改善。ほっとした。その後、家内とショッピング。午後7時から、『猪瀬の活性化を考える会』に出席。まちづくりについてみんなでいろいろ考えた。楽しい時間だった。)

 
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ウオーキング

03 3月

ウオーキングで昔の先輩と会う
この頃、週に2、3回は家内とウオーキングをしている。いろんな健康に関する番組を見ているが、「健康にはウオーキングがよい」と結論付ける場合が多い。

歩くコースは主に4通りだ。
・自宅周辺を1時間ほど歩くコース
・事務所周辺を歩くコース
・車で出向いて歩く勝山市街コース
・車で出向いて歩く大野コース

普段車で通るときは、目的地に向かって大きな道路を使うが、ウオーキングではなるべく普段は車で通らない所を歩くことにしている。そのため、いつも新鮮な発見がある。

「こんなところにこんな建物があったのか」とか「こんなところにこんな店があったのか」と思うことがよくある。車が入り込めない細い路地も歩くことができるし、時には、田んぼ道でも歩くことができる。

最近かなり歩いたので、少し足に筋肉がついたようにも思う。それに、いろんなことを話すことができるので夫婦間のコミュニケーションを図ることもできる。

ウオーキングは、今の私にとっては「歩くミーティング」だと思っている。今はまだ風が冷たいので風の通らないジャンパーを着て、帽子、耳あて、手袋をつけて歩いている。

季節が春に向かうにつれて少しずつ身につけるものが軽くなるだろう。これからも楽しみながら、いろんな街を歩きたいと思っている。

(日記 事務所で区の事務処理。午後は、事務所で昼食。その後、数学の問題集作り。午後3時から大野市のホームセンターで区の和室用椅子を注文。その後、ホームセンター周辺を家内とウオーキング。かつての先輩の家が近くにあるので家内と二人で訪問。しばし歓談。そして家の一部を見せていただいた。帰宅して録画したビデオを鑑賞。)

 
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御法事

02 3月

一日道場で過ごす
今日は村の『御法事』と『戦没者法要』。村の各班が持ち回りで登板を務め、世話をするのだ。午前中は、読経の後、説教。

終日、村の道場で過ごす。自分を見つめるよい機会となった。

終日、村の道場で過ごす。自分を見つめるよい機会となった。

浄土真宗の教えを身近な話を織り交ぜながら、ユーモアたっぷりに僧侶が説教してくださるのだ。子供時代から、説教は聞きなれている。話を聞いていると、自分を見つめ直すよい機会になる。

寺にお参りするのは、当番のほかは主に高齢者だ。昔は、道場いっぱいに区民が集まったのだが、最近は随分お参りが少なくなった。

この調子ではこれからもこの傾向は強まるだろう。宗教は、時には世の中を危うくするが、一般には世の中をよくするために役立つことが多い。

命を大切にしたり、人と好ましく交わったり、争いを避けたり、自分自身に目を向けて自分を律するなど様々な生きる知恵が働いていると思う。宗教が軽視されると、世の中自体が危うくなるのではないかと気にかかることも少なくない。

久々のウェブカム。孫達に元気をもらう。

久々のウェブカム。孫達に元気をもらう。

(日記 今日は、村の『御法事』。午前、午後と村の道場で過ごす。自分を見つめなおすよい機会となった。夜、孫達と久々にウェブカム。楽しい時間をもつことができた。)