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Archive for 3月, 2014

二人だけの慰労会

31 3月

区の役員最後の日
二年前、地区の区長を仰せつかった。そして、2年間、自分なりにはできることをやったつもりだ。そして、今日がその最後の日。

朝から、最後の残務整理。書類箪笥や残った書類を新区長宅に運んで一件落着。さわやかな気分になった。朝から、家内と二人で外食をしようと決めていた。

午後5時半過ぎに、焼く鳥屋へ出かけた。ビールとウーロン茶で乾杯。家内にもいろいろ助けられた部分がある。あれをやったか、これをやったかとこちらの忘れそうなことをいろいろ思い出させてくれた。

10人の役員とその奥さん方とのお別れ会も三国でやり、短い時間を過ごした。ここ数日間、いろいろ歓送迎会などがあったが、今日の家内と二人での慰労会で、飲み会はすべて終わり。

明日からは、新しい日々が待っていると思うと、うれしい。一番うれしいのは、多くの時間が自分に帰ってくるということだ。この時間を有効に使って、あれこれやりたいことに取り組みたい。

(日記 午前中は、最後の残務整理。午後は、書類等の入った箪笥と共に新区長のもとへ運んだ。種々のカギも玄関に掲げる看板等もすべて運んでさっぱりした、自宅の本箱を占拠していた様々な書類などを運び出したので、その空いた部分に自分のいろいろな書類綴りや書籍を並べた。その後、家内と二人でイチゴに黒マルチをかけた。そして、場所を移してニンニクと玉ねぎの根元に燻炭を入れた。効果があるのかないのかわからないが、自分では満足している。午後5時半から家内と二人で焼鳥屋へでかけて私の慰労会。二年間の区の役員としての役目を終えた。)

 
 

涅槃団子まき

30 3月
読経の後、住職による『涅槃図』の説明。

読経の後、住職による『涅槃図』の説明。

今年度最後の行事
今日は、区内にある佛母寺の『涅槃団子まき』が行われる日だ。役員は午前9時前に集会所へ集まり、準備作業。

昨日までに作った団子、ストーブ、ワイヤレス放送機器、お供え物などを車に積み込み、山際の佛母寺へ運ぶ。

この団子まきだが、私の子供の頃もあった。食べ物のない時代であり、団子も美味しかったように思う。また、この団子をお守りにして持ち歩いたものだ。特に、蛇よけや魔除けになると信じられていた。

長い間、中断していたが、4年前に復活した行事だ。集まった人たちは、必ずしも、村の人ばかりではない。この寺に足を運ぶ人もあれば、地区周辺の人も来ておられた。

いよいよ待望の団子まき。参加者はだくさんの団子を拾ったようだ。今年も一年いい年になりますように。

いよいよ待望の団子まき。参加者はだくさんの団子を拾ったようだ。今年も一年いい年になりますように。

最初に、住職による読経があり、その後、全員が焼香。そして、住職による講話。涅槃図を示しながら、絵の持つ意味などを話して下さった。そして、いよいよ団子まき。役員は村の法被を着て、団子を撒く。

大人も子どもも持参した袋に拾った団子を詰める。人数に比べて団子の数が多いように思う。皆、たくさんの団子を拾ったようだ。

最後に、子どもたちにお供えのお菓子を配って涅槃団子まきを終えた。渡した地区民のほとんどは、浄土真宗の門徒だ。ところが、この佛母寺は曹洞宗の寺院だ。

かつて、村の先人達が、この寺をこの地に移したという。宝慶寺の隠居寺として長い間、宗派を超えてこの寺を守ってきたのだ。異論のある人もあろうが、日本の宗教のよさは他宗と平和的に共存することではなかろうか。

全てが終わった後、団子を使ったぜんざいを味わう。役員の最後の集まりでもあった。二年間ご苦労さんでした。

全てが終わった後、団子を使ったぜんざいを味わう。役員の最後の集まりでもあった。二年間ご苦労さんでした。

(日記 午前中は、涅槃団子まき。私は、佛母寺奉賛会の会長も兼ねているので、朝からあれこれ忙しかった。全ての行事が終わった後、役員が集まり、団子を使ったぜんざいが振る舞われた。そして、二年間の区長としての役目のほとんどが終わった。事務引き継ぎもしたが、あと少しの残務整理がある。午後最後の書類整理もした。午後4時から、隣の高校生に数学を指導。数学を教えることは私の天職だと思っている。楽しい時間を持つことができた。)

 
 

涅槃団子切り

29 3月

みんなで楽しく作業
今日は昨日作った紐状の団子を細かく切る作業の日だ。午前九時に役員や有志が集まって作業を始めた。4色の帯状の団子を1㎝弱の幅に刻むときれいな団子がたくさんできた。

切った団子を袋詰め.

切った団子を袋詰め.

明日の涅槃団子まきに参加できない人のために、5個ずつ袋に詰めて簡単な説明を付けた団子入りの袋も作った。今日の作業はあっという間に終わった。

二人の孫も、作業の周辺で遊んでいた。こうした作業を通して、地区民が集まって話し合うことはとてもよいことだと思う。昔は何かと人が集まったが、今はそうした機会は激減した。

多くの行事が、今の若者達には魅力のないものに映っているのかも知れない。遊ぶこと、食べることについては、ゲーム機などの発達、様々なスナック菓子などが身の回りにあふれていて昔ながらの行事は縮小されたり、廃止になっている。

何を残し、何を廃止するのかをよく考えないと、味気ない世の中になってしまうように思う。面倒なことは止めようという風潮が蔓延していることがさみしい。

孫達も、ばあばの指導のもと、団子きりにチャレンジ。

孫達も、ばあばの指導のもと、団子きりにチャレンジ。

人と人とがふれ合うことが魅力のないものに感じる人間が増えていくことは悲しいことだ。いつの日にか、その有り難みを感ずるときが来るのではなかろうか。

(日記 午前9時から団子切り。午後は、ジャガイモを植えるために家庭菜園を耕した。その後、5時から横浜の孫に算数指導。勉強の後、二人の孫が歌を聴かせてくれた。夜は、猪野瀬地区区長会の歓送迎会。一つずつ、行事が済んでいく。だんだん自由な日々が近づいてくる。嬉しい限りだ。)

 

 

 

きれいにできあがった団子。

きれいにできあがった団子。

 

 

 

 

 

 

 

 

寸暇を惜しんで、ジャガイモを植える場所を耕した。

寸暇を惜しんで、ジャガイモを植える場所を耕した。

 

 

 

 

 

 

 

 

爺ちゃん勉強の後、二人の孫が歌を歌ってくれた。一番楽しいひととき。

爺ちゃん勉強の後、二人の孫が歌を歌ってくれた。一番楽しいひととき。

 

 
 

伝統の団子つくり

28 3月

『涅槃団子まき』に向けて
今日は、日曜日に行われる『涅槃団子まき』のための“団子つき”の日だ。あれこれ段取りを考えながら始動。臼、杵、せいろ、かまど、うるち米粉、餅米粉、食紅、薪などの準備。

最初の作業は水を入れて団子こね。

最初の作業は水を入れて団子こね。

それぞれ分担してある係りが道具などを持ち寄って作業開始。先ずは、うるち米粉、餅米粉の計量。食紅を加え、水を入れてこねてせいろに入れる。そして、蒸し開始。蒸しあがったものを臼に入れ杵でつく。

白、赤、緑、黄色の4色がつきあがった後、4色の団子を混ぜてひも状にして今日の団子つくりは終了。その後、融資による餅つき。昨年はなかったが、せっかく臼や杵を使い団子をせいろで蒸すのに、何も食べることができないというのは悲しい。

そこで、今年は、団子つくりの後、餅つきも加えることにした。突き上げた餅は、おろし餅、黄な粉餅、あずき餅にして作業に取り組んだみんなでおいしくいただいた。これらの作業に子守中の孫たちも参加していた。

(日記 午前中、『涅槃団子まき』のための「団子つき」。午後は子守を兼ねて孫たちと恐竜公園へ遊びに行った。午後7時から新区長になるTさん宅で『新旧役員会』を開催。新役員と旧役

次の作業は蒸して団子つき。

次の作業は蒸して団子つき。

員を代表して私が出席。地区の課題等を話し合った。その後、懇親会。楽しい時間を過ごすことができた。)

 

 

 

 

各色の団子を混ぜてひも状にする。

各色の団子を混ぜてひも状にする。

恐竜公園で子守

恐竜公園で子守

 
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孫守り

27 3月

二十数年前を思い出して
長女の二人の子供(私たちの孫)の守りを頼まれた。一人は四月から小学校入学、もう一人の孫は四月から幼稚園の年中組になるのだ。家内と二人で福井の孫の通うう幼稚園へ二人の子供を迎えに出かけた。

長女達は年度末・年度初めの忙しい時期なので、私たちが二人の孫を預かることになった。おまけに長女は転勤なので何かと忙しそうだ。

今日から3日間は、私たち夫婦が二人の孫の面倒を見なければならない。二人のやんちゃ坊主の面倒を見るのは、簡単ではない。動き回ってじっとしていないからだ。

早速、公園で自転車遊び。

早速、公園で自転車遊び。

二人の子供自転車をワゴン車に積んで勝山へ向かった。そのまま、自宅近くの公園へ連れて行った。二人は、公園で自転車遊び。その後、ブランコなどをしていた。

孫を預かって守りをするのは責任が大きい。けがをさせたら大変だ。目を離すことができない。家の中にいてもじっとしていないので、子守は大変だ。

孫たちはどんどん大きくなっていく。そして活動的になっていく。逆に私たちは、高齢化し体力がなくなっていく。うれしい反面、悲しくもある。20数年前の自分の子どもの育児の時は、体力はあったが時間がなかった。結局子守りはどちらも大変だ。

(日記 午前中は、午前中は『かたせ瓦版』の仕上げ作業とコピー。市の配布物と共に、各班長へ配布。午後は、家内の通院する病院へ行喜、ついでに本屋へ寄る。例によって数学の参考書を2冊購入する。その後、孫達の通う幼稚園へ行き、長女の子ども(孫)二人を預かる。そして、車に乗せて勝山へ。これから、家内と二人で孫の守りが始まるのだ。怪我をさせないようにと気を張る。)

 
 

『かたせ瓦版』

26 3月

いよいよ最終版
2年前の4月の創刊号を皮切りに、毎月2回『かたせかわら版』を発刊し続けてきた。市の配布物のある第2、第4木曜日に合わせて、それぞれA4裏表(A4で2ページ)、A3裏表(A4で4ページ)を発刊してきた。
そして、この3月の第4木曜日が最終号の発刊となった。臨時号も含めて全部で50号だ。今日は、終日、編集作業に取り組んだ。もっとも時間がかかるのは、違い探しの絵を描くことだ。

第4木曜日には、子供たちのために『違い探し』のコーナーを設けてきたのだ。この違い探しの絵を描くのに、朝から始めて午後2時ころまでかかってしまった。「はがき」よりも小さい絵を一枚描くのに半日以上かかった計算だ。

午後は、「退任のあいさつに代えて」と題して自分の考えを書いた。2週間に一度のペースでのかわら版の発刊は楽しい作業であったが、忙しい時には苦しくもあった。

途中で地区の農地保全協議会の会議があったので作業を中断せざるを得なかった。午後9時ころ帰宅して、さらに作業を続け、ようやく編集作業を終えることができた。この2年間の最後のかわら版の編集作業はこうして終わった。

「毎回楽しみにしています」という一部の人の声に支えられてこの2年間作業を続けることができた。90歳を超えた方から、記事の内容についてアドバイスをいただくこともあった。

おそらく、見向きもしない人もあっただろう。しかし、2枚の「違い探し」の絵の中の7つの違いを見つけて我が家へやってくる小学生に、ささやかなお菓子や学用品をプレゼントするのは私の小さな楽しみだった。

これからも、何らかの形でこのような『かわら版』を発刊できたらと思う。地区にこだわらず、テーマを見つけて取材し、別の形で瓦版を発刊できたらと思っている。締め切りを気にすることなく、出したいときに、気楽にできたらと思う。

(日記 午前中は、もっぱら『かたせかわら版』の編集作業。その後、総会後の区の会計処理作業。午後1時半過ぎから、新区長のTさんと区長の引き継ぎ作業。区を運営するための課題などを話し合った。午後4時半から高校生の数学指導。これはこれで楽しい。午後7時から農地保全協議会の会議。私も役員の端くれだからだ。帰宅後、再び、瓦版の編集作業。午後11時過ぎにようやく終わった。最終号だったのでほっとした。)

 
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ラストスパート

25 3月

もうすぐ自由がやってくる
この2年間、区長を仰せつかり、自分なりにいろいろやろうとはしてきた。結果が出たかどうかは、区民の皆さんが判断することで、多少の自己満足をしている。

先ず第一は、普段ならできないようなことを経験できたと思う。自分でやってみようと思うことの一端はできたと思う。役所を退職してから2年間は役所へ顔を出すことはなかったが、この2年間は何度となく役所へ出かける機会があった。

おかげで、以前の仲間といろいろ話すこともできた。アドバイスを受けることもできた。力を貸してもらうこともできた。人と人とのつながりの大切さを再認識できた2年間でもあった。

そして、先日は区の総会も終えることができた。後は、残務整理と最後の行事『涅槃団子まき』を残すのみとなった。最後まで務めは全うしなければならないが、あと数日を残すのみとなった

再び私に自由という“春”がやってくる。自分で求める忙しさはあろうが、他から求められる忙しさや義務感からは解放されるだろう。そういう意味ではワクワクしている。

今度こそ的を絞って、取り組んでみたい。選択と集中が大切だ。その第一は、数学の参考書作り。そして、創作活動だ。童話や子供用の話(小説もどき)を書いてみたいと思う。

後は、自然の中で家庭菜園作業。勝間和代さん風に言えば、『生産的時間』を増やし、『消費的時間』を少なくしたいと思う。もちろん、私にとっては“ウオーキング”は生産的時間だ。春は近い。ワクワクする。

(日記 区の残務処理。午後4時半から高校生に数学指導。午後6時から家内と二人で風に飛ばされた里芋の黒マルチの張り替え作業。黒マルチが風で飛ばされてしまったからだ。農作業もボチボチ始まろうちしている。)

 
 

本格的な春来る

24 3月

久々の日中シャワー
午後、家内と二人で雪囲いを外すことにした。つい、先日二人で雪囲いをしたと思ったのに、もう雪囲いを外す春が来たのだ。

木の雪囲い外し。

木の雪囲い外し。

今日は、特に暖かかった。作業をしていると汗が出るくらいの陽気だった。こんなに暖かいのは久々だ。来ているものを次々と脱いだがそれでも作業をしていると汗が出た。

家の玄関周辺と樹木の雪囲いを外した。ようやく長い冬が明けたと実感することができた。これからは、山々には山菜が芽吹き、桜が咲き、木々が新緑に代わる。

そのうちに、トラクターの運転音が田んぼに響き渡るだろう。そんな春はもうすぐだ。とにかく今日は暖かかった。たっぷり汗をかいた。

久々にシャワーをした。それは、隣の高校生が数学の勉強をしに来るからだ。4時前には、家の前の雪囲いをすっかり取り払われた。木々も喜んでいるようだった。

家の雪囲いを外すと春だ。

家の雪囲いを外すと春だ。

(日記 午前中は、業者が私のパソコンのグラフィックボードを取り換えに来てくれた。私のメインのパソコンがうまく作動しないので創作意欲もわかない。午後は、家内と二人で雪囲い外し。午後4時から、隣の高校生と数学の勉強。数学を教えているときが一番楽しい。相手が理解してくれたらなおうれしい。午後8時45分過ぎの仕事帰りに私のパソコンドクターのY君が立ち寄ってくれた。そして、私の困っている部分を解決してくれた。きっと、明日から快適なパソコンライフが始まるだろう。)

 
 

区の総会と奉仕作業

23 3月

2年間の総決算
午前6時半起床。先ずは、区の奉仕作業。私の区長としての最後の仕事だ。午前8時に区の集会場前に集まった区民のみなさんに作業内容をお知らせし、お白江氏、作業開始。

林道の補修で砂利をまく区民。

林道の補修で砂利をまく区民。

田んぼの水の取水口の泥あげ、林道整備、神社の清掃、公園の樹木の選定作業など仕事は様々だ。先ずは、全手の班の作業現場を巡回。

途中で、一緒に作業。そして終了。午後10時半より、区の定期総会。最初にあいさつ。2年間のお礼。そして、議長をしながら議事進行。

そして、行事計画報告から初めて、一般会計はじめ各種会計の決算承認、新年度の行事計画案、新年度予算案の審議。

最後に、協議事項や連絡事項などを終えて、総会終了。午後12時半ころから懇親会。まだ、最後に一つの行事が残っているが、2年間のほとんどの行事が終わった。

今の気分は、ようやく「終わった!」といい感じだ。長いようで短い2年間だった。

区の定期総会で議長を務めた。

区の定期総会で議長を務めた。

これまで、区長として力を入れてきたことは、「区民の意皆さんに区を愛してほしいと思ったこと、それには区に関心を持っていただくこと」と決めて月に2回『かたせ瓦版』を発行してきたこと。

もう一つは、地区で進む少子高齢化にどのように対応するかを考えてきたことだと思っている。そのために、いろんなことに取り組もうとしてきたことだ。

いよいよ次期役員にバトンタッチ。再び、自由時間が増えるだろうと思う。改めて、「社会のため、家族のため、自分のために時間を使いたい」と思う。

総会の後の懇親会。

総会の後の懇親会。

(日記 午前8時より区の奉仕作業。午前10時半より区の定期総会。午後12時半より懇親会。区長としての最後のあわただしい一日だった。)

 
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高校生と数学

22 3月

教える楽しさ
隣の高校生が数学の質問に来た。春休みの課題を質問に来たのだが、数学を教えるのは久しぶりでとても楽しかった。

生徒にとってはわかりにくいといわれる数学をわかりやすく教えるのはかつての私の仕事だった。自分としては、いろいろ指導法を工夫しながら、教えてきたつもりだ。

そして、そんなことを繰り返しているうちに、かなりのオリジナル教材がかなりたまってきた。今、それらを整理しようとしている。

そんな矢先に、高校生から教えを乞われたので快諾した。そして、今日初めて、一緒に勉強したのだ。やはり数学をしているときが一番楽しい。

とりあえず、数か月間、頑張ってみたいと思う。これで参考書作りに勢いがつくというものだ。この一年間が勝負だと思う。区の仕事を数学に変えてここ一年、頑張ってみたいと思う。

(日記 終日、区の資料の整理。明日の総会の準備をした。午後4時から約2時間あま理、高校生の数学の質問を受け付けた。楽しい時間であった。)

 
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