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Archive for 10月, 2013

webカム

21 10月

臨場感
週に二回、横浜の孫と一緒に算数と国語の勉強をしている。相手は小学三年生だが、漢字の書き順などではこちらが勉強になることがある。

電話では相手が見えないが、パソコンのwebカムは、パソコンの前で目の前にいるように話せばよい。マイクの感度はよすぎて、辺りの雑音まで拾う。

ノートも見せ合うことができる。感じも、カメラに向かって書けば書き順までよく分かる。算数では線分図をよく書かせるが、これも互いに見せ合うことができる。

パソコンの前で横浜の孫と算数の勉強。一緒に勉強しているような感じだ。

パソコンの前で横浜の孫と算数の勉強。一緒に勉強しているような感じだ。

勉強の前後には、1歳の孫が毎回顔を出すが、このwebカクだけで我々「ジイジ」と「バアバ」を識別できるようになって呼びかけてくる。

マイクに向かって話さなくてもよいので自然体で互いに話し合うことができる。電話もろくになかった時代と比べれば、隔世の感がする。

勉強の終わりには、小三の孫には毎回歌を歌ってもらうことにしている。いろんな歌を伴奏なしで歌う。歌うことが当たり前になっている。

これは大切なことだと私は思う。人前で歌うことが苦手な私には、真似のできないことだ。大きくなるまでのこの調子で進んでほしいと思う。

自作紙芝居の一場面。『野菜ロボット・ベジタ』より。

自作紙芝居の一場面。『野菜ロボット・ベジタ』より。

(日記 今日は終日紙芝居の絵描き。90%と完成した。しかし、目の方は非常に疲れた。午後、宝くじの補助金で買った備品を入れる為の収納庫にニスを塗った。家内がパソコンから離れるよう勧めたものだ。午後7時半からwebカムでの『爺ちゃん勉強』。その後も、紙芝居病が作業継続。)

 
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臨機応変

20 10月

種々の経験が生きる
最近思うことがある。臨機応変に物事に対処する力が現代人から失われていく様な気がしてならない。IT時代になったからだろうか、それとも、時代が高度になったからだろうか。

どのような場面であろうと、“臨機応変”に物事に対処する能力が必要だ。しかし、自分で考える機会が失われた現代では、全ての判断が他人任せになったり、マニュアル任せになっている。

また、そのようにしてきた今の時代の組織にも問題があるような気がしてならない。今一番望まれるのは、既存の知識を頭に詰め込むことではなくて、知識や知恵を場面に応じて活かす“臨機応変力(こんな言葉はないかも知れない)”ではなかろうか。

今回の豪雨で、「警戒警報を出さなかった役場の責任」は免れないにしても、町民の誰かが事の重大さを認識して避難したり誘導することができなかったのだろうか。

こうした臨機応変に物事に対処する力は、教室の中だけでは得られない。教科書からだけでも得られない。自然の中で遊び、自然の怖さを実感した者でなければ得られない。

人と人との関係が疎遠になりつつある現代、こうした力を身に付けることは困難になるだろう。臨機応変に対処する力は、また人と人との関係をよりよくする力でもあるのだから。

綱引きで健闘する片瀬区民(南中体育館で)。

綱引きで健闘する片瀬区民(南中体育館で)。

(日記 今日は、『猪野瀬地区町民運動会』のある日だ。雨天のために、屋内での運動会になった。従ってテントなどの準備は要らない。午前8時に役員は準備のために集会所へ集合。そして、会場となる南部中学校の屋内体育館へ。かつて、当区は優勝の常連だったが、近年は下位争いに甘んじている。今日は7チーム中5位。閉会式の後、例によって抽選会。その後、村へ帰って集会所で反省会。若者が参加してくれたのがせめてもの救いだ。)

先日教えた子どもたちは『平泉寺町民運動会』でしっかりと踊ってくれたようだ。(平泉寺の公民館主事Kさんより送られた写真)

先日教えた子どもたちは『平泉寺町民運動会』でしっかりと踊ってくれたようだ。(平泉寺の公民館主事Kさんより送られた写真)

 
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推進力

19 10月

童話サークルの雑談から
午後3時から、『かっちゃま児童文学会』の例会。参加者は少なかった。皆それぞれに忙しいのだろう。参加者の一人が、ふかしたサツマイモを持ってきてくれた。美味しかった。

今日は、1年の成果物である童話集ができた。この会のおかげで、少なくとも1年に一つは童話を書くことができる。この会がなかったら私も作品は書かなかっただろう。

そういう意味では、この会の存在は私にとっては大きい。この会で作った童話は、もしもこの会がなかったら日の目を見なかったことになる。人間という生き物は時には追われることも大切だと思う。

『かっちゃま児童文学会』で作った童話をもとに紙芝居化した『ナマズのテツ』。

『かっちゃま児童文学会』で作った童話をもとに紙芝居化した『ナマズのテツ』。

会員との雑談も楽しい。そんな中で、自ら選んで何かをすることは大切だという話が出た。退職して日が経てば、誰でも身体は衰える。そんなとき、わずかながらも、前へ進もうとする何かを持っていることは大切だと思う。

退職して大学や専門学校へへ行く者、創作活動に励む者、家庭菜園に取り組む者、……、いろいろである。私にとってそれは創作だと思う。身体がいかに衰えようとも、何かをつくってみたいという気持ちだけは一生持ち続けたいと思う。

(日記 午前中は、紙芝居の仕上げ作業。午後1時から『親子太鼓』。午後3時から『かっちゃま児童文学会』の例会。明日は町民運動会だが天候が心配だ。)

 
 

来春に備える

18 10月

農作物以外に来春に備えるものはあるか
私のような“サンデーファーマー(家庭菜園人)”でも、いろんな作物を収穫するためには、来春に備えて今のうちから準備しておかなければならない。

今日は、収穫を終えたオクラや千石豆のあとを片付けてイチゴを植える場所をつくった。すでに、イチゴは植えてあるが、少し場所が足りないのでもう少し植えたいと思う。

イチゴは生食の他、ジャムにしている。ジャムは身内に喜ばれるからだ。添加物の入っていない自家製のジャムを食べたら他のジャムは食べられない。

すでに、来年のためにニンニクを植えたし、イチゴもすでに植えてある。今後、タマネギ、水菜、エンドウ等も植えておきたい。そうすれば、春には水菜に始まりいろんなものが収穫できる。

夏に植えた大根をはじめとする根菜類、秋ジャガイモ等がまもなく収穫できる。常に先のことを考えて、準備しておけば、次々と収穫物が得られるのだ。

今年最後のショウガを収穫。素人にしてはまあまあのデキだった。

今年最後のショウガを収穫。素人にしてはまあまあのデキだった。

ところで、こうした農作物以外に、来年に備えて収穫できる(成果の得られる)ものはあるだろうか。数ヶ月かけて完成させるものはあるだろうか。農作物しかないとなると悲しい。是非とも、半年、一年掛けて創作活動を継続したいし、数学関係の何かを考えたい。エンドウの収穫ができる頃には、農作物以外からも何らかの収穫を得たいものだ。

いくら退職したからといって、出たとこ勝負の人生では、収穫物は知れていると思う。そんなことを考えながら、来春に向けての家庭菜園準備をしていた。

(日記 午前中は、自宅で写真整理。午後は、暖房器具と扇風機などの入れ替え作業。その後、知人に里芋を送った。そして来春に備えての家庭菜園作業と今年の後片付け。風は冷たく、冬がそこまで来ているようだ。)

 
 

定着するか、盆踊り

17 10月

平泉寺小学校で踊り指導
平泉寺地区では、近年、盆踊り復活を目指す動きがある。先ず平泉寺本村が、3年前から『盆踊り復活』を目指して、50歳代前後の人たちが、祭りで踊りを始めている。

最初の年は、求められて地区の集会所で踊りの指導をさせてもらった。踊り当日は、何年ぶりかの盆踊り復活だった。

児童に盆踊りの意義を話す。

児童に盆踊りの意義を話す。

その際、関係者に「町民運動会で、みんなで踊ったら……」と話したところ、早速学校に話をつけて子どもたちも町民運動会で踊るよう話がまとまった。

このときも、私は踊りの指導を頼まれて小学校まで出向いた。運動会当日は、地区の人たちと共に、全児童と校長先生以下教職員も踊って運動会を盛り上げた。

また、公民館でも踊りの練習会があり、このときにも私は指導させていただいた。昨年も学校へ出かけて踊りの指導を行った。

体育館で、児童と教職員が盆踊りを楽しんだ。町民運動会では踊りを盛り上げてくれるだろう。

体育館で、児童と教職員が盆踊りを楽しんだ。町民運動会では踊りを盛り上げてくれるだろう。

今年も平泉寺の祭りには、盆踊りが行われたらしいが、「今年は自分達だけで練習します。」とのことだった。少しずつ定着している証拠だ。

一方、児童への盆踊りの指導を今年も依頼され、今日、平泉寺小学校へ出向いた。2年生以上は、昨年経験しているので、上手に踊ってくれた。

地元に、“盆踊り復活”の動きがあり、小学校がそれに取り組めば、地域に盆踊りが少しずつ、復活していくのではないだろうか。私は、地元の猪野瀬地区で盆踊り復活に取り組みたい。

勝山市で、地元に学校のない唯一の地区だけにやりにくい面はあるが、なんどか盆踊りの復活を目指したい。猪野瀬では、現在、一団体が熱心に盆踊りに取り組んでくれているので、もう少し広めたい。

(日記 午前中、童話の仕上げ。今週末に『かっちゃま児童文学会』の例会があるのだ。その前に、作品を提出しなければならない。私は、会員に祭り上げられて名ばかりの会長(代表)。今日は『ノラ猫ニャオ太日記帳-おれにまかせろ』を仕上げて、事務局のAさんに届けた。午後1時から平泉寺小学校で全校児童と教職員に盆踊りの指導。その後、サツマイモ掘り。まあまあのでき。その後、知人に送るための里芋掘り。夕食に収穫したばかりのサツマイモを食べた。午後7時半より『爺ちゃん勉強』。今日も変化に富んだ一日だった。)

 
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数学への思い

16 10月

分かってもらう楽しみ
「数学は大嫌い!」という高校生は少なくない。そんな高校生に「なるほど」と分かる喜びを味わってもらうのが私の長年の仕事だった。

だからといって、解き方を教えればいいというものでもない。授業は説明ではない。自分の頭で考えて分かってもらうことが大切だ。ここが難しいところ。

「学校の試験は答えが一つしかない。」とよく言われる。数学も同様だろう。しかし、答に至る道筋は色々考えられる。

ところが世の中へ出ると、どのような問題でも、答えは一つではない。もしかしたら、正解に近いものはあっても正解はないかも知れない。

「少子高齢化に対処するには?」、「過疎化対策は?」、「福井駅前を活性化するには?」、「領土問題を解決するには?」、「今後のエネルギー政策は?」……。

どれをとっても、解決法は簡単には見い出せない。だからといって放置するわけにも行かない。何らかのアクションを起こさなければならない。

学校の勉強には二つの側面がある。一つは、文字通りその教科について学ぶこと。もう一つは、その教科を通して学ぶことではなかろうか。

数学ならば、数学そのものを学ぶことによって、他教科に応用することもできる。それと同時に、与えられた条件の下に解答を導く過程で様々な論理的思考が要求される。

手に取るとワクワクする高校の数学問題集。現役時代の気分に浸れるからだ。

手に取るとワクワクする高校の数学問題集。現役時代の気分に浸れるからだ。

これらは、文理を問わず、社会で色々役立つと私は信じている。理系に進もうと文系に進もうと問題を解決するためには論理的思考は不可欠である。

そんな数学を少しでも高校生に親しんでもらいたいと今でも思っている。しかし、高校生に授業をしなくなってから15年が経過した。それでも数学を指導したいという情熱は今も私のどこかに少しは残っている。

福井へ出かけたついでに、数学の問題週を一冊買ってきた。頭のトレーニングであると同時に、何か高校生に役立つことを考えられないかと思ったからである。行動を起こしたいものだ。

久々の和太鼓の練習。みんな元気でとても気持ちがよい。

久々の和太鼓の練習。みんな元気でとても気持ちがよい。

(日記 午前中、区の事務処理。その後、内蔵のCT写真を撮るために福井の病院へ。帰り際、家内とショッピング。ジャンパーを買い、本屋で数学の問題集を買った。台風の影響で風が強く、雨も強く降って寒かった。午後7時より太鼓の練習。といっても私は8時過ぎに顔を出しただけだが。知人の米寿に招かれているからだ。)

 

 
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中学生と食事

15 10月

獅子舞が取り持つ縁
秋祭りで昨年から中学生に獅子舞を舞ってもらっている。なぜ獅子舞か?私の理由は簡単だ。かつては、秋祭りに子供会は、手製の軽い御神輿を担いで村回りをしていた。

軽い竹で台を作り酒樽を乗せて飾りの花を付けただけの簡単なものだった。小学生4人で担げる重さだった。この神輿を担いで各家庭を回り、お供えのお菓子を配りなにがしかの「志」をいただだいていたのだ。

しかし、あるとき、年配者が子供会のために立派な神輿を購入してくれた。しかし、重くて大人でも担いで村の中を歩けない。やむなく、台車に乗せて区内を引き回していた。

祭りで獅子舞を舞う中学生。

祭りで獅子舞を舞う中学生。

長いロープを引っ張っているだけでは、祭りの喜びは少ない。しかし、最近では、子どもも少なくなり、神輿を軽トラックに乗せて運んでいるだけになってしまった。

それならばと、私は自分が子供会育成会の会長の時に、手製の獅子舞をつくり、笛や太鼓の伴奏で各家庭を回るようにした。この獅子舞は子どもたちには好評だった。

しかし、これも途絶えてしまった。そこで、昨年中学生に話を持ちかけると二つ返事で引き受けてくれる者が現れた。いつも元気に挨拶をしてくれるT君だ。彼は、後輩のK君と共に昨年の祭りに手製の獅子舞で舞ってくれた。

今年は、その後輩のK君が仲間を誘って舞ってくれることになった。彼らは忙しいので短時間の練習で舞台に立てるように心掛けた。ただ獅子頭は宝くじの補助金で購入した立派なものだ。

中学生と祖父に当たるような年齢の私が、獅子舞の練習に取り組む姿は、他から見れば不思議に見えるかも知れない。ともあれ、彼らは獅子舞で秋祭りに花を添えてくれた。

今日はそのお礼に彼らと焼き鳥に行くことにした。昨年もそうしてきた。70歳の私と15歳の孫のような彼らが一緒にいること自体が不思議なことだ。

学校のことなどを彼らの口から聞けることは私にとっては幸せなことだ。前を向いていれば、年齢に関係なく、誰とでも会話ができる関係を続けることができると思っている。彼らの前途に幸多かれと祈りたい。

(日記 午前中は、区の事務処理。市役所のいくつかの課へ出向いた。午後は、私の定期検診で福井の済生会病院へ出かけた。夜は、獅子舞を舞ってくれた中学生と焼き鳥屋へ行く。変化に富んだ一日だった。)

 
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里芋収穫作業

14 10月

ブランドの力
今日は、『農事組合法人かたせ』の里芋収穫作業。先日、「里芋の収穫に出てきてほしい」と理事長から言われた。午前8時に組合の農舎前に集合。

快晴の空のもと、みんなで組合の里芋収穫作業。和気藹々のうちに作業が進む。

快晴の空のもと、みんなで組合の里芋収穫作業。和気藹々のうちに作業が進む。

里芋の収穫を始めた。里芋の茎を切る者、黒マルチを取り除く者、そして、機械で里芋を掘り起こす者、最後は親芋から子芋をばらして袋詰め。

いろんな作業を分担しながら行った。秋晴れの空のもと、仲間と雑談しながら、気持ちよく作業を進めることができた。

しかし、里芋と言えば、「上庄」か「大野」がブランドになっている。我が片瀬も昔から「里芋」を作っているが「量に於いては上庄の足下にも及ばない。

戦う恐竜の下を通る天空の回廊。三歳の孫は恐る恐る前進。(於:恐竜公園)

戦う恐竜の下を通る天空の回廊。三歳の孫は恐る恐る前進。(於:恐竜公園)

しかし、味は変わらない思っている。中には、片瀬の方が美味いと太鼓判を押す消費者もいる。しかしながら、ブランド力では、横綱と幕下以上の差があるように思う。

せめて、十両までには昇進しなければと思う。『片瀬三兄弟』で「里芋」と「ショウガ」と「米」を少しでもブランド化できないものかと作業をしながら思った。

(日記 午前8時より3時間、組合の里芋収穫作業。午後は、福井の長女が自分の仕事がしたくて孫を連れて我が家へやって来た。家内と二人で子守り。恐竜公園へ行くことにした。約3時間弱公園にいたが、孫達は元気はつらつ。行ってから帰るま

恐竜公園でのスナップ。かき氷が販売されるくらい暑かった。

恐竜公園でのスナップ。かき氷が販売されるくらい暑かった。

で、動きっぱなしだった。私は、午前中の里芋の収穫の疲れもあって子どもの動きにはついて行くことができず、見ているだけだった。しかし、晴れていたので気分はとてもよかった。)

 
 

「芋」と「ショウガ」と「旨い米」

13 10月

「せんいまつり」に参加して
今日は、「ゆめおーれ勝山」で「せんいまつり」が開催され、我が片瀬の銭太鼓保存会もアトラクションに招かれた。

歌のキャッチフレーズである「芋とショウガと旨い米」にちなんで、緑の葉っぱの付いた「里芋」と同じく葉っぱの付いたショウガと歌のタイトル『片瀬豊年ばやし』の名前の付いた米を持参することにした。

自分の育てた里芋を示しながら終わりの挨拶。隣は、片瀬特産のショウガと福井産コシヒカリ『豊年囃子』を持っている。

自分の育てた里芋を示しながら終わりの挨拶。隣は、片瀬特産のショウガと福井産コシヒカリ『豊年囃子』を持っている。

私は、自分の畑で収穫した葉っぱの付いた里芋を準備した。ショウガと米は他のメンバーが持ってくることになった。

午前9時頃、自宅を出発。開会式の後、幼稚園の園児のアトラクション。そして、いよいよ銭太鼓の出番。

いつもは狭いステージが多かったが、今日は広い野外ステージ。秋晴れの空のもと気持ちよく演技をすることができた。

演技の中と、演技の終了後、餅まきをした。全てが終わった後、片瀬の特産の芋とショウガと銭太鼓の曲でもある『豊年ばやし』と名付けた米袋(3kg)を示しながら挨拶をした。

銭の入ったバチを振るメンバー(上)と歌い手(下)。

銭の入ったバチを振るメンバー(上)と歌い手(下)。

願いはもちろん、「かたせ」のブランド化である。「市民の皆さんが「かたせ」と聞いたとき、これらのうちどれか一つでも思いだして下さればと思う。

(日記 午前7時半過ぎに、アトラクションに使う里芋一株を取りに、畑へ行った。その後、午前9時頃自宅を出発して『ゆめおーれ』へ。銭太鼓『片瀬豊年ばやし』を実演。おおむね好評ではなかっただろうか。午後、寺より報恩講参り。3時半過ぎから、家内とニンニクの種を植えた。夕食後、ウオーキング。)

 

集落に迫る猪

12 10月

集落に現れる動物たち
地球は人間のためにだけあるわけではない。しかし、人間は全ての動物の頂点に君臨してきた。そして、邪魔な動物はこの世から抹殺しようとしてきた。

また、狩猟の対象となった動物を絶滅に追い込んだ場合もある。毛皮や肉などを取ったためだ。像なども象牙のために数を減らしている。

それぞれ立場があるので簡単には論評できない。しかし、共存という考え方もある程度は必要だ。

今朝、村の人から、猪が家の屋敷に現れた。子どもたちも怖がっている。駆除してほしいというものだった。

役所の知人に聞いてみると、檻を仕掛けるしかないだろうということだった。最近では、山際の民家や田畑まで猪は降りてくるようになった。

山際の田んぼでは、もはや電気柵も無力だ。隣の平泉寺では鋼管に金網を張った檻で田んぼを囲っている。我が村では、まだ電気柵でしのいでいる。

しかし、山際の竹藪などは竹の子はほとんど猪に掘られてしまっている。この他、カモシカもよく出くわす。クマも時々人里へ下りてくる。

市街地に近い我が村でもこのような状況だから、もっと奥地の集落は今後過疎化に拍車がかかることになるだろう。

地域に住むには、そこに住むだけの理由がなければ若者は定着しないだろう。野生動物との共存は、今後の集落の存続にも関係する大きな課題だ。

 

親子太鼓の練習。

親子太鼓の練習。

(日記 午前中は、紙芝居の描画作業。午後も作業を継続。午後4時より親子太鼓の練習。少しずつ子どもたちの腕は上達している。11月3日の舞台が楽しみだ。午後7時半から、明日の繊維祭りに出演するために銭太鼓『片瀬豊年ばやし』の練習。)