RSS
 

Archive for 10月, 2013

籾殻燻炭づくり

11 10月

朝から作業開始
今日は,天気もあまりよくないので籾殻燻炭を作ると決めた。籾殻燻炭などの炭は、植物の生育に好影響を与える微生物の生育にはよいと言われている。

そうかどうかは知らないが、土に籾殻燻炭を混ぜて使うと何となく植物の成長によかったように思う。

上:燻炭づくり 中:ほぼ完成 下:広げて水をかけて完成

上:燻炭づくり 中:ほぼ完成 下:広げて水をかけて完成

午前8時に自宅前で種火を付け、煙突を設置。そして、組合からもらってきた籾殻4袋を煙突の周りに置いた。

家の前で作業を始めたのは、常に進捗状況を見なければならないことと、火を使うので近くにいなければならないからである。

時々、風が吹くので困った。午前7時半に準備し、午前8時に着火。正午にだいたい完成した。水を撒いて灰にならないように広げた。

燃焼と炭化は似て非なるものだ。通常木材などの炭素化合物を加熱すると燃焼が起こり、炭素は周囲の酸素と結合して気体の二酸化炭素になる。

しかし、酸素を遮断した状態で加熱を行うと、炭素化合物は分解し、その中から揮発性の低い固体の炭素分が比較的多く残る。この現象が炭化なのだ。

燃やして灰にするか、酸素を絶って加熱して炭にするかの違いだ。この燻炭づくりでも一つ間違うと、籾殻は燃えて白くなり、灰になってしまう。そうさせずに炭化させるためには少しは気を遣う。

今日もだいたい上手くいった。もう一二度燻炭づくりをやりたい。植物の成長によいと言われる燻炭をふんだんに使うためにも、もう一頑張りしたい。

(日記 燻炭づくりをしながら、紙芝居の絵を描いた。午後、4時から、大野で約1時間家内と一緒にラジオを聞きながら、ウオーキング。見慣れぬ土地を歩くのもなかなかよいものだ。車では気がつかないいろんなものが見える。午後7時から踊り指導。事務所近くの女性二人に『勝山よいとこ』を指導。『勝山よいとこ』は、おわら踊りを参考に創作したおどりだ。市内のあちこちで踊って下さる人がいるのでありがたい。)

 
 

勝山にみんなで歌える民謡を

10 10月

昭和40年頃の話
今から50年ほど前の話。昭和43年に福井国体がやってくると決まった。勝山市では、バドミントンやソフトボール、クレー射撃、山岳競技などが行われることになった。
そして、我が家は山岳競技の民宿にもなることが決まった。そんな頃、私が考えたことは、勝山には市民が気軽に歌える全市共通の民謡がないなあと気付いた。

そこで、勝山市民が気軽に歌える民謡を作ろうと考えた。そして、当時の市会副議長が元校長で校歌などの作詞も手がけておられたので、新しい民謡の作詞をお願いした。

曲は自分で作り、旅芸人のMさんらに吹き込んでもらい、ソノシート(簡易レコード盤)にした。そして、できあがったのが『勝山小唄』だ。市内のレコード店で500枚が短期間で売れた。

この歌は、市内の民謡グループに引き継がれてここ50年ほど歌い継がれ、踊り継がれてきた。とてもありがたいとことだと思っている。

私の事務所で楽しく『勝山小唄』を踊る芳野区の皆さん。明日は他のメンバーに伝達するらしい。

私の事務所で楽しく『勝山小唄』を踊る芳野区の皆さん。明日は他のメンバーに伝達するらしい。

ところが、市内でも活気のある芳野区の左義長グループが、左義長の挿入歌として昨年からこの『勝山小唄』を取り入れて下さっているのだ。

そして、今年はこの曲に合わせて踊りも加えたいということで、今日区民の代表10人ほどがビデオカメラ持参で私の事務所へやって来た。

私も、新しく振り付けを考えてあったので、その踊り方を自分なりに教えてあげた。この歌を歌い継いで下さることは、歌を作ったものとしてとてもありがたいと思う。その上踊りまでとなれば最高だ。

みんなはノリノリで汗をかきながら踊りを楽しんでおられた。この芳野区は月に4回ほど出番があるらしい。楽しい時間を過ごすことができた。

(日記 午前中、紙芝居の絵描き。午後は、米糠を法人の農舎から自宅へ運んだ。米糠を受かって燻炭を作るためだ。炭は、植物に好影響を与える微生物にはよいらしい。夕方、生姜を収穫する。酢漬けを作るためだ。午後7時から芳野区の皆さんが『勝山小唄』の踊りをマスターするために我が事務所へやって来る。午後8時から銭太鼓の練習。結構ハードな一日だった。)

 

書類づくり

09 10月

慣れない仕事
いろんな補助金を申請しようとすると、先ず申請のために書類を作らなければならない。その後、事業が終われば終わったで実績報告書を提出しなければならない。

そうした一連の作業が苦手な人は、申請することもできないのではなかろうか。私は、面倒なことでも必要とあらば、やる方だと自分では思っている。

今日は、宝くじの補助金を申請して物品を購入したので、その後の処理をするために時間を費やした。写真を揃え、領収書や納品書などをそろえた。

そして、市役所の担当部署の所へ出向いた。しかし、一部不備があったので、業者の所へ出向いて資料を揃えた。

物事を始めるとき、補助金などで物品を揃えてから始めるか、事を始めながら不足する物品を補助金などで補うかのどちらかだろう。

私はあくまでも後者の方だ。不便を覚悟で事を始めてみる。どうしても不足するものがあれば、補助金等を活用するタイプだ。

モノが揃わなければ何事も始められないようでは情けない。やる気が最初に必要で、先ず始めてみることだと思う。

宝くじの補助金で購入した物品の一部。有効に活用したいものだ。

宝くじの補助金で購入した物品の一部。有効に活用したいものだ。

金がないから何もできない。モノがないから何もできない。人がいないから何もできない。こんな事を考えていたら、モノがあろうが金があろうと人がいようと何もできないと思う。

(日記 午前中は、補助金の書類作成作業。午後は、紙芝居の描画作業。夜は、和太鼓の仲間と来たるべき出演に備えて選曲と練習。仲間との雑談も楽しい。)

 

市長と語る会

08 10月

区の要望
午後7時より猪野瀬公民館で『市長と語る会』が開催された。市内全町で開催される『市長と語る会』は、当猪野瀬地区を皮切りに開催されるらしい。
この会では、5月末に提出した地区からの要望事項の回答が関係部署の部長から述べられることになっている。

我が片瀬区からの要望は、「片瀬第二公園にゲートボール場を設置してほしい」というものだ。現在、当区のゲートボール愛好者は、公園のグラウンド部分で行っている。

しかし、ゲートボールのラインが子どもの足に引っかかるために非常に危険である。そこで、公園の中であまり使われていない部分に移設してほしいというものだ。

私自身は、ゲートボールをほとんどやらない。年に一度、地区のゲートボール大会に誘われて数日間するぐらいだ。ゲートボールよりも、区民が集まることに意義を感じている。

また、普段あまりスポーツをしない女性にもストレス解消や雑談の場としてゲートボール場を新設して活用してほしいと願うがある。

市の、建設部長の返答は「経費があまりかからないように地元と協議させていただきたい」というものだった。少なくとも「できない」という返事ではないと信じている。

できないものには、「できない」とか「前向きに検討させていただきたい」という返答があるはずだが、そうではなかったからだ。

猪野瀬町民からは、あまり質問などがなかった。私も、2回だけ質問させていただいた。質問がなくなり1時間半弱で『市長と語る会』は終わった。せっかくの機会に早く終わったのは少し残念だった。

(日記 午前9時より猪野瀬公民館で、『猪野瀬地区の活性化を考える会』のアンケートの袋詰め作業。全町民に、一世帯二通のアンケートをするのだ。もちろん一人暮らしの場合は、一世帯一通だが。帰宅してからは、木曜日に発行する『かたせ瓦版』の編集作業。午後1時半からは、鹿谷公民館で銭太鼓の指導。新人二人が入会したため全員で基本から練習した。帰宅してから、瓦版の編集作業継続。夕方、里芋とショウガを収穫する。午後7時から猪野瀬公民館で『市長と語る会』。当区の要望事項が実現することを望む。)

 

健全なる野党

07 10月

多数でもまれた意見
 いかに立派なリーダーであろうと、周囲にアドバイスできる人間を持たなければ組織を思わぬ方向へ持って行きかねない。

国家もまた同様ではなかろうか。戦争を始めたのも、負けるとわかっていながら戦争をなかなか止められなかったのも、真のリーダーがいなかったからではなかろうか。

今こそ、健全な野党が国家にも地域にも必要ではなかろうか。だからといって反対したり対立するだけの野党では役に立たない。今野党らしい働きをしているのは、もしかしたら与党の中の公明党かも知れない。

当分の間選挙もなく、圧倒的な数を頼みに与党が方向を誤ることのないよう、健全な野党とよく議論し、その中から進むべき道を定めてほしいと思う。

リーダーの力が強くなると、周囲は意見をしにくくなるものだ。そして、リーダーの暴走が始まるということは組織の大小にかかわらず起ころうることだ。

過去の日本を見れば、幾度も方向を誤ってきたように思えてならない。原発も未完の技術であることを忘れてはならないと思う。福島はいつになったら、復興するのだろうか。

土を凍らせて放射能を含んだ水を遮断できるのだろうか。そのコストは、維持費はどうなるのだろうか。何とかしなければならないということは分かるが、考えが甘くはないか心配である。

(日記 午前中は、家庭菜園作業。トマトの屋根を分解した。その後、ニンニクやタマネギを植える場所に黒マルチをかけた。これで、半日がかかってしまった。午後は、村の事務作業。一日はあっという間に過ぎ去ってしまう。)

 

 
No Comments

Posted in 政治

 

遅羽で息づく二つの流れ

06 10月

三室祭りを見て
今日は遅羽町の三室祭り。今年の関わりは、社会教育指導員のOさんに頼まれ

新曲の演奏をする三室太鼓の皆さん。合格点の演奏だった。

新曲の演奏をする三室太鼓の皆さん。合格点の演奏だった。

て三室太鼓の為に新曲を書いた。その練習のために、ここ二ヵ月間毎週木曜日に遅羽へ通った。

そして、今日がその発表日。朝練習のために、午前8時半に遅羽児童館へ出向いた。その後、直前練習のために、午後1時半に再び、遅羽児童館へ。

そして、遅羽の太鼓が始まった。子ども太鼓から、大人子どもの混成チームと演奏が進んで、いよいよ今日初めて人前で演奏する新曲『三室』。

二ヵ月間の練習にしては、まあまあのデキではなかっただろうか。遅羽での太鼓指導はもう十数年は経つだろう。私の作った太鼓の曲が十数年間この地で生き続けている。

今日は、十年ぶりぐらいの新曲だろうか。一度も指導することのなかった中学生も二人参加していた。ここ二ヵ月間ですっかり知り合いになった。和太鼓を通じて、若者と知り合いになれるなんてうれしいことだ。

子どもから、大人まで、各世代が和太鼓を演奏。きっと、これからも、子どもたちが遅羽の太鼓を継いでくれるだろう。

子どもから、大人まで、各世代が和太鼓を演奏。きっと、これからも、子どもたちが遅羽の太鼓を継いでくれるだろう。

もう一つは、三室祭りの最後を飾って『盆踊り』が行われたことだ。みんなで踊った5曲のうち、2曲は私の作詞・作曲、1曲は作曲のみ、1曲は県内の民謡を私がCD化したもの、最後の一曲は演歌であった。

その中の一つ、『遅羽ほがらか音頭』は地元の若い衆が歌い、最初と最後に踊られた。私も盆踊り復活をライフワークの一つとしているのでとてもうれしかった。

特に、小学校高学年の児童が浴衣姿で参加しているのが可愛らしくうれしかった。学区の子どもたちが踊ってくれることがうれしい。子どもたちが、踊り伝えてくれるのではないかと思うと頼もしくなる。

平泉寺でも、同じように『盆踊り』が復活しつつある。今月20日に行われる町民運動会では、地域全体で盆踊りを踊ることになっている。私は、平泉寺小学校の児童に対して踊りの指導を頼まれている。

小学生は浴衣で、踊りに参加。地元の若い衆が歌った。町民も参加して踊りを盛り上げていた。

小学生は浴衣で、踊りに参加。地元の若い衆が歌った。町民も参加して踊りを盛り上げていた。

和太鼓と盆踊り、私の関わった二つのことが、遅羽では見事に生き続けている。ありがたいことだ。地域に学校のあるよさでもあろう。我が猪野瀬のみ、地域に学校がないのだ。このハンディーを何で補うか、少し考えてみたいものだ。

(日記 午前8時半より、遅羽の太鼓の朝練習に付き合う。午後1時半、同じく直前練習に付き合う。その後、遅羽の三室祭りを見る。抽選会、最後の餅まきまで楽しんで帰宅。その後、家内と二人でショウガの収穫。夕食後、ウオーキング。楽しい一日だった。)

 
No Comments

Posted in 芸能

 

ジンジャーガールズ(生姜女子)

05 10月

ショウガを地域の特産に
知人から電話がかかってきた。「ラジオを聴いていたら、福井にショウガを作るグループ“ジンジャーガールズ(ショウガ女子)”があるとのこと。ホームページに載っているらしいとのこと。

立派に育った我が家のショウガ。

立派に育った我が家のショウガ。

早速ホームページを開いてみると、確かに“ジンジャーガールズ”についての記事が載っていた。この地区は、ショウガをブランド化すべく昨年からショウガ作りを始めているとのこと。

わが片瀬は、100年以上の伝統がある。しかし、昨年から始めたJA福井に負けそうだ。それは、関わる人間と栽培規模だ。

記事によれば、福井市のJA女性部は、昨年から本格的にショウガ栽培を開始し、女性ブランド野菜づくりグループ「ジンジャーガールズ」として活動しているとのこと。

左義長ばやしを演奏する大人たち。太鼓は子供中心だった。

左義長ばやしを演奏する大人たち。太鼓は子供中心だった。

今年(2013年)のメンバー数は、昨年の409人を遙かに上回る698人。我が村の人口の3倍ほどもあるのだ。そして、このグループは栽培技術とショウガの品質の底上げを目指しているとのこと。

さらに、新たな取り組みとして「特化チーム」制度と「強化地域」を設け、JA管内に17チームを設置し、「特化チーム」では、メンバーで協力しながらチーム単位で技術向上を目指しているらしい。

また、昨年の実績が高かった一乗と美山地区を「強化地域」とし、体験談を交えながら他地域への技術指導や情報提供を行うとのことだ。

2年目にして、この勢い。伝統があると思っていた我が村の100年の歴史を数年で乗り越えて一大産地になるのではなかろうか。品種も複数取り入れて地域ごとの適性を探るという。

先日、子供達と慰問に出かけた介護施設『さくらんぼ』での和太鼓演奏。

先日、子供達と慰問に出かけた介護施設『さくらんぼ』での和太鼓演奏。

さらに、面白いのは、11月にはショウガを使ったオリジナル料理を募集する「ショウガレシピコンテスト」や、グローブのように大きなショウガを栽培することを目指す「グローブショウガコンテスト」などを開く予定という。

2年目にしてこの勢い。羨ましくもある。生姜の収穫の様子を動画でYouTubeにアップしている。本当に数年で福井ブランドのショウガができるかもしれない。その時、我が村のショウガはどうなっているだろうか。

(日記 午前中は、紙芝居の絵描き。午前9時半から親子太鼓の指導。次回の出番に向けて練習。午後は、紙芝居も絵描き。その後、区の『各種団体合同会議』の資料作り。そして、午後7時半から『各種団体合同会議』。続いて『九月定例役員会』。今日もかなり慌ただしい一日だった。)

 
3 Comments

Posted in 農作業

 

PM2.5

04 10月

昨日の日本
中国から飛来する有害な微粒子PM2.5が問題になっている。しかし、考えてみると、日本の産業の発展は同時に公害を産み出してきたように思う。

明治時代には、 足尾銅山の鉱毒垂れ流しが流域の渡良瀬川流域に大きな被害を与えた。現在では「日本の公害運動の原点」とも言われている。

大正時代には、 神通川流域では、農作物に被害が広がり、カドミウムによるイタイイタイ病が発生。

昭和に入ると、水銀による水俣病が広がった。最初は、猫などの小動物に異常な動作がみられるようになり、やがてそこに住む人間にも現れてきた。水銀に汚染された魚介類を食ベたからだ。

また、四日市の石油コンビナートの稼働による近接地域の呼吸器疾患の多数発生。これらは「四日市喘息」と呼ばれた。

その後も、新潟県阿賀野川流域で有機水銀に侵された食物を摂取したことにより第2水俣病が発生した。

東京近辺では、光化学スモッグが発生した。首都圏(東京、神奈川、千葉など)で、夏の運動場にいた生徒たちが眼やのどの痛み、めまい、呼吸困難、痙攣等の症状が多数発生したのだ。

これらは公害のごく一部だ。日本は公害先進国であったのだ。その経験をめざましい経済の発展している中国で生かせないのだろうか。

狭い地球で、信頼し合うよりも、被害者意識を持ち憎み合うことの方が遙かに多い。人間とはなんと悲しい動物なんだろうか。

中国の公害をどう見るか、発展途上国の公害をどう見るか。それらはいつしか傍観者である近隣諸国にも降りかかる大きな問題になり得るのだ。知恵を寄せ合ってほしいものだ。

 

今年は里芋もショウガも素人の私には大豊作だったと思う。どちらも希望者には差し上げたい。

今年は里芋もショウガも素人の私には大豊作だったと思う。どちらも希望者には差し上げたい。

(日記 午前中は、創作紙芝居の絵描き作業。午後は、親戚へ送るために里芋とショウガを収穫した。どちらもデキはよい方だ。その後、再び紙芝居の絵描き。夕食後家内と夜間ウオーキング。週3回は歩こうと決めた。

 

 
No Comments

Posted in 政治

 

ウルトラショウガ

03 10月

薄切りにするのはもったいないけれど
我が村は、ショウガの産地だ。ショウガは健康によい。しかし、区民のみなさんはどれだけショウガを食べているのだろうか。

かくいう私は、ショウガ大好き人間。特に柔らかい新ショウガの味噌漬けは最高だ。一夜漬けでよい。3~5mmの厚さにスライスした新ショウガを味噌の中に入れておくだけでよい。

塩分は身体によくないと思うので、私は味噌を洗って食べることにしている。新米と一緒に食べれば食が進む。辛さが最高だ。

ところでこのショウガだが、一年中食べるには、少し考えなければならない。保存食なら、味噌漬け、醤油漬け、酢ショウガ、梅干しの中に入れる紅しょうがだろうか。

片瀬特産のショウガで健康によい『ウルトラショウガ(乾燥ショウガ)』づくり。少し日射しが弱いので、2、3日かかりそうだ。

片瀬特産のショウガで健康によい『ウルトラショウガ(乾燥ショウガ)』づくり。少し日射しが弱いので、2、3日かかりそうだ。

調味料としてなら、おろしたものをビニール袋に入れ、薄くして冷凍すればよい。チョコレートのように、割って使うことができる。

もう一つの使い方は、『ウルトラショウガ(乾燥ショウガ)』にすることだ。体を温めて「免疫力」をアップすることができるのだ。

体の「冷え」は万病の元。 体温が、一度か二度下がるだけで免疫力は大きく低下し、病気になる危険が増えるそうだ。低体温改善に「しょうが」はとても有効だ。

生のしょうがは、一時的に手の指の温度を上げるが、その後、体の内部の温度を逆に下げてしまうらしい。ウルトラショウガはしっかりと体温を上げてくれるらしい。

「ウルトラしょうが」とは、乾燥したしょうがなのだ。   作り方は簡単だ。ショウガを薄切りにし、天日で一日、または室内なら一週間乾燥させるだけでよい。

私は乾燥したショウガを粉砕して粉末にしておくのだ。そして、小さな瓶などに入れて食卓に置けば、何にでも使える。味噌汁に入れてもよいし、鍋にも使える。

日射しのまだ強い9月半ば頃に作っておくべきだったが、何となく忙しくて今日になってしまった。日射しが弱いので、乾燥には2、3日かかるかも知れない。

せっかく作った大きなショウガを細かく切り刻むのは、心苦しいが、やむを得ない。でも、薄切りにするにはこうするしかない。片瀬特産のショウガが健康に役立てばと思う。

新曲を演奏する三室太鼓の皆さん。中学生2人、二〇歳代3人、後の4人は40、50歳代。果たして私の作った新曲を上手く演奏してくれるだろうか。気になるところだ。

新曲を演奏する三室太鼓の皆さん。中学生2人、二〇歳代3人、後の4人は40、50歳代。果たして私の作った新曲を上手く演奏してくれるだろうか。気になるところだ。

(日記 午前中は、紙芝居の原作づくり。あるコンテストに応募するためだ。宝くじは買わなければ当たらないように、コンテストも応募しなければ入賞しない。目標を持って行動することが楽しいのだ。結果はどうでもよい。午後は、親戚に送る里芋とショウガを収穫した。そして、『ウルトラショウガ(乾燥ショウガ)』作りもした。夕方は、横浜の孫の『爺ちゃん勉強』。夜は、猪野瀬公民館で文化祭についての会議。続いて猪野瀬区長会。e その後、遅羽公民館へ。約二時間半、文化祭に出演する三室太鼓のメンバーに新曲を指導。今日が最後の練習日。本番でうまく演奏できるだろうか。午前中はのんびりしていたが、夕方から夜にかけては忙しかった。)

 
 

消費税増税に思う

02 10月

政府や政治家に信頼感はあるか
来年の4月から、消費税率が現行の5%から8%に引き上げられることが決まった。 これは増え続ける日本の債務残高を少しでも減らすために行われるもので、社会保障費の支払いや赤字国債の発行を減らし、持続可能な国家財政を運営していくために引き上げられると言われている。

増税により税収が安定すれば、それによって政府は様々な施策を行うことができ、オリンピックを控えて 老朽化したインフラの整備や社会保障の拡張、教育制度の改革など様々なことに 予算を振り分けることができるようになる。

一方で、国民の負担は増加することになる。増税により国民が消費を手控えれば、経済全体の流れが悪くなり、日本国内の企業の業績にも悪影響が出る可能性がある。

そうなれば結局はその社員である国民の給与も減らされることになり、更に生活が苦しくなるという可能性もあります。消費税増税は、メリットとデメリット両方を伴っている。

消費税、医療費、年金などの増税に、円安、原油高などによる負担、一方では景気回復という割には給料は増えないというのが大多数の国民が置かれた状況ではないだろうか。

今回の消費税増税は頭ではよく理解できる。しかし、スッキリしないものがある。それは、政府に対する信頼感だ。政治家を信頼できるかどうかにかかっている。

今一度、消費増税の前にやるべきことがあるのではないのかを考えてほしい。税金の無駄遣い、議員定数の削除、天下りの排除、特殊法人改革など、予算執行の面では多くの課題がある。

政治家が自ら身を切る覚悟をしないで、納税者に負担増だけを求めるのは筋違いではないかと強く思う。他人に対する負担については「決められる」が自らの問題に対しては昔も今も「決められない」でいる。

やがて、国民の仕返しが来るのではなかろうか。政治に信頼があれば、北欧のようにもっともっと税金が高くても国民は納得するのに日本では今だその域に達していない。悲しいことだ。
(日記 午前9時頃から午後2時頃まで、『三室太鼓』の新曲の篠笛のメロディーづくりと大太鼓ソロを考えていた。かなり時間がかかった。今度の日曜日が三室祭りだ。うまく演奏してくれるかどうかが心配だ。)

 
No Comments

Posted in 政治