RSS
 

Archive for 10月, 2013

里芋収穫

31 10月

共同作業は楽し
急に「里芋の収穫作業の呼び出しがかかった。私も、私たち夫婦や子どもたちだけでは食べきれないほど自分で里芋を作っている。

子どもの頃から食べ慣れているが、それでも美味しい。この里芋を村の多くの人は自分で作っているが、組合でも作っている。

今日はその作業だ。集まったのは、男子8名、女子7名。先ず、里芋の茎を切り、黒マルチを取り除くと、トラクターで里芋を掘り起こす。

その後、里芋についている土を取り除き、トラクターで農舎へ運搬。昨日までの雨で、田んぼはぬかるんでいて、泥だらけになった。それでも、多くの人たちと話しながら、作業をするのは楽しい。

仲間での作業だと、全員にノルマがあり、勝手に休憩することができないのはちょっと窮屈だが、作業そのものは楽しい。

そういう意味では、組合を作り、共同で作業をするのは、区民の親睦にもなり、私にとっては喜ばしいことだが、そうは思わない人もいることだろう。

午前10時頃、全員、農舎前で休憩。ジュースを飲み、菓子をかじりながらの休憩。こんな作業がなかったら、村の人たちと話をすることも少なかっただろう。

午前10時頃、全員、農舎前で休憩。ジュースを飲み、菓子をかじりながらの休憩。こんな作業がなかったら、村の人たちと話をすることも少なかっただろう。

ただ、このシステムが、次の世代も引き継いでくれるかとなると、甚だ疑問だ。TPP問題もあり農業は曲がり角に来ているのは間違いなさそうだ。

選挙のことを考えると、政治家の皆さんも簡単には方向性を見いだせないのではなかろうか。私の予想では、ある程度、農産物も自由化し、その代わりに何らかの補助金で穴埋めするのではなかろうか。

結局、農業を保護する政策は変わらないのではなかろうか。しかし、村づくりの観点から考えると、農業を効率や利益優先で考えることは危険だと私は思う。それは、地方が崩壊しかねないからだ。

(日記 午前中は組合の里芋収穫作業の出る。午後は、紙芝居の描画作業。本番は明後日後だというのに、まだ、校正作業が続いている。明日は何が何でも完成させなければならない。午後7時半より、同じく明後日のさつき苑の文化祭に出演するために、銭太鼓の練習。忙しい一日だった。)

 
 

12種の音が作り出すもの

30 10月

並べ方で特色が出るメロディー
世界にはいろんな音楽がある。いろんな歌があり、いろんな曲がある。それらを構成するのは、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シの7種の音とド♯・レ♯・ファ♯・ソ♯・ラ♯の5種の音、合わせて12種類の音(これらのオクターブ違い)である。

しかし、その並べ方によって特色が出る。演歌にもなれば、ジャスにもなる。沖縄の音楽にもなれば、アラビアの音楽にもなる。

アフリカの音楽にもなれば、アメリカの音楽にもなる。たったこれだけの音をどう並べ、どんなリズムで組み合わせるかで変わるのだ。

私はメロディーを作ろうとすると、どうしても、子供時代、若い時代に聴いたメロディーがどこかに影響を及ぼす。

それは、私たち日本人が英語を発音するとき、どうしても母国語の日本語が影響を及ぼすのと似ている。ドイツ人の英語、フィリッピン人の英語、……、海外旅行をしてみると、何となくそれを感じる。

同じ音を使っているのに、演歌と童謡ではずいぶん聞いた感じが異なるし、日本の歌とアメリカの歌でも同様だ。

同じ材料を使いながら異なる絵を描くように、同じ材木を使いながら異なる建物を建てるように、同じ素材を使いながら異なる料理を作るように、歌にも同様のことが言える。

そんな中で、何とか演歌ではない、メロディ-を紡ぎ出したいものだ。なぜ、こんなことを考えたかというと、今日ラジオを聞いていてロックの面白さを再認識したからだ。

やはり、歌を作るからには、メッセージを込めたいと思う。そうなると、伝えたいメッセージによって音楽の種類も変わるのではなかろうか。何とか、面白い歌を作ってみたいものだ。

描き直した絵。親鸞聖人の生きた時代。

描き直した絵。親鸞聖人の生きた時代。

(日記 終日、紙芝居描画作業。できたつもりでも脚本を考えていると、絵を描き加えたくなる。午後も区の事務処理の後、描画作業を継続。午後7時半から太鼓の練習。私は、途中から参加。少し雑談して解散。帰宅して日本シリーズを見る。)

 

 

 

 

 

日曜日の出番に向けての和太鼓の練習。

日曜日の出番に向けての和太鼓の練習。

 
 

隔世の感(2)

29 10月

チケット購入
昨日に続いて、最近「かわったなあ」と驚くことは、チケットの購入だ。昨年春、家内といっしょにハワイ旅行をしたが、その際、チケットの購入は全てパソコンで済ませた。

飛行機のチケット購入では、座席まで選んで購入することができた。ホテルも何もかもパソコンででき、支払いまでもが机の前でできた。

向こうの空港へ到着すると、ちゃんと迎えの車が来て、ホテルまで荷物を運び、連れて行ってくれた。少し心配したが、うまく事が運んだ。

帰りも同様であった。座席まで選んでチケットを購入できるとは驚きだった。昔なら、業者に頼まなければならなかっただろうし、時間もかかっただろうと思う。

今日もまた、東京での観劇のために切符を買ったが、それぞれの席が、劇場のどこかまでわかり、納得してチケットを買うことができた。

その後、座席図面で購入した自分達の席を確認することができた。この頃、市内で買えないものをネットで買うことがあるが、一日か二日で送られてくることもあり、本当に便利な世の中になった。

パソコンやネットの発達がこのようなことを可能にしているのだろうが、だからといって、必ずしも光の部分ばかりではないだろう。

陰の部分があることをよく認識してこのような時代を乗り切らなければならないと思う。あの手この手でだまそうとする輩も同時に生まれるのだから。

吉水の草庵で法然上人の説教を聞く場面。そこへ親鸞聖人が向かうのである。

吉水の草庵で法然上人の説教を聞く場面。そこへ親鸞聖人が向かうのである。

(日記 今日は天候も悪いので、終日、紙芝居の描画作業を続けた。おかげで、追加の絵はほとんど描き終えた。明日からは、脚本の見直しだ。親鸞聖人物語は、全くの創作ではないので脚本づくりは困難を極める。おまけに、浄土真宗の開祖であり、北陸は真宗王国であるので、うかつなことは書けない。今になって大変なことをしているとその重大さに身の引き締まる思いがしている。午後7時半より、銭太鼓の練習。 )

 
 

隔世の感

28 10月

お風呂物語
子どもの頃、風呂を沸かすのは私の役割だった。手伝いではない。私が風呂を沸かさなければ誰も風呂には入れない。当時風呂を沸かすのは大仕事だった。

パソコンの中に、『昭和の子ども』と題して私の子供時代のことをいろいろ書いた詩(と私は表散る思っている)がある。

風呂

風呂を沸かすは 子の仕事
手押しポンプで 水汲んで
バケツに入れて 水運び
胸まで差し上げ 風呂ヘジャー

小学生には 重労働
五回・十回 くーたくた
おまけに釜から 水漏れだ
火が消え煙が もーくもく
目痛い涙が ポーロポロ
薪持った手で 涙拭きゃ
顔中炭で  インディアン
笑い事では 済まされぬ
外へ突進 二度三度
新鮮空気で 元気つけ
またまた煙の 中へ行く

風呂が沸いたら お隣へ
「湯、入んに来とくんねんしぇー」
当然ふれ事 子の仕事
同じ湯再度 沸かした日
「古湯ですけど、入んに来とくねんしぇー」
またまた近所を 一回り

毎年たくさんの実を付けてくれる我が家のキウイフルーツ。

毎年たくさんの実を付けてくれる我が家のキウイフルーツ。

この頃は五右衛門風呂で水がもれ大変だった。その後、風呂はタイル張りになり、電気温水器になって風呂を沸かす仕事はなくなった。

そして、風呂はステンレスになり、今はボタン一つで好きな温度で風呂を沸かすことができる。この半世紀でずいぶん便利になった。

薪を必要としなくなっただけでもありがたかったが、さらに進んでボタン一つになったのだ。正に“隔世の感”である。便利さの陰で何かが失われていくのだろう。

(日記 午前中は、紙芝居の追加の絵描き。今週の土曜日に、猪野瀬公民館で行われる高齢者サロンで創作紙芝居『親鸞聖人物語』を演ずるためだ。一度平泉寺公民館で演じたものをマイナーチェンジするために絵を描き加えた。もう2、3は描き加えたい。午後は、家庭菜園の片付け作業。トマトの支柱を片付けた。トマトはほとんどが枯れていたが、2本だけ実を付けていたので残しておくことにした。畑のイチジクは、毎日10個ずつ実を付ける。いくらイチジク好きでも食べきれない。今日も、隣人にあげた。それで

松虫・鈴虫の決死の聞法(『親鸞聖人物語』の一場面)。

松虫・鈴虫の決死の聞法(『親鸞聖人物語』の一場面)。

も自宅にはたくさんのイチジクがあり、食べきれないので家内がイチジクジャムを作った。パンにのせてもヨーグルトに入れても美味しい。今日は畑でキウイを120個収穫した。まだまだある。キウイはこのままでは食べられない。リンゴなどと一緒に追熟しなければならない。冬の美味しいフルーツだ。イチジクもキウイも畑仕事のプレゼントだと思っている。自然の恵みに感謝。夜は再び、紙芝居の絵描き。)

 

昔話を学ぶ

27 10月

『第19回福井県児童文学のつどいin福井』
福井市の『福井市おさごえ民家園』で『第19回福井県児童文学のつどいin福井』が開催された。私たち『かっちゃま児童文学会』から3人が参加した。

囲炉裏の周りで聞く昔話はとても雰囲気がよくよかった。

囲炉裏の周りで聞く昔話はとても雰囲気がよくよかった。

『おさごえ民家園』へ行くのは初めてだった。会場の藁葺き民家へ入ると、囲炉裏の周りには各地区の童話グループの会員が集まっていた。

挨拶の後、第Ⅰ部は、各地に伝わる昔話や伝説の読み聞かせだった。読み聞かせの中に方言が入るととても新鮮だった。話し言葉もなかなかいいなと思った。

その後、この文学界の代表である藤井先生の『昔話の語り口とその魅力』についての講話があった。童話を書く際にも参考になる話だった。

しばらく休憩して,第Ⅱ部が始まった。まず最初に「ももたろう」の朗読があり、五つのグループに別れて「ももたろうのその後(後日談)」をグループのメンバー全員で考え、創作し、文章にして発表するのだ。

 

グループに分かれて、各グループ一つずつ「ももたろう」の後日談を創作した。みんなの意見をまとめて一つの話にするのは、時間はかかるが楽しい作業だった。

グループに分かれて、各グループ一つずつ「ももたろう」の後日談を創作した。みんなの意見をまとめて一つの話にするのは、時間はかかるが楽しい作業だった。

私の班は6人だった。それぞれが思い思いに「ももたろう」の話のその後を考え、一つの話にまとめて発表するのだ。なかなか面白い作業であった。しばらくして、五つの班が「ももたろう」のその後の話を創作して囲炉裏の前で発表した。

3人寄れば文殊の知恵というが、各班5、6人で考えて一つの話にするのでいろんな話があり、各班のメンバーの想像(創造)力に感心した。

創造することの面白さを再認識した。今後も童話づくりに取り組みたいという気持ちを新たにした。昔話とかやぶき屋根の家や囲炉裏はよくマッチしていた。

県内各地の民家が並ぶ『おさごえ民家園』。なつかしい風景であった。

県内各地の民家が並ぶ『おさごえ民家園』。なつかしい風景であった。

(日記 午前中は、オカリナ曲の編曲。その後、TさんとSさんの三人で福井の『おさごえ民家園』で開催される『第19回福井県児童文学のつどいin福井』に出席するために車でいっしょに福井へ向かった。楽しい会であり、勉強になった。また、『おさごえ民家園』のかやぶき屋根の家や囲炉裏がなつかしかった。囲炉裏の周りで聞く方言の入った昔話は、自分を子供時代に引き戻してくれるようだった。楽しく、刺激のある会であり、参加してよかったと思った。)

 

寺の役目

26 10月

寺は地域の学びの場
大野市の誓念寺で報恩講があり、子どもやその保護者が100名以上集まっている中で、家内と二人で紙芝居をすることになった。

お経があったり、話があったり、歌があったり、紙芝居(パワーポイント)があったりして、いよいよ私たちの出番となった。

目の前にいるのは、4,5歳児から小学校6年生までの子どもたちで、保護者と一緒にお御堂にいる。私たちは、急に演目を替えて、魔法学校の卒業生である狸のタン吉と狐のコン子が旅をする話『タン吉・コン子旅日記-大雨に負けないぞ-』を演じた。

魔法で恐竜に化けて、人助けをする話だ。いろんな恐竜が登場するのだ。勝山の恐竜を生かしたいと、数年前に書いた童話を紙芝居化したものだ。

会場は静まりかえっていた。子どもたちは集中して見てくれた。かつて大野高校で担任をしたMさんも母親になっていて、親子で見てくれた。

寺で宗教的な行事と共に、子どもたちが話を聞いたり、歌ったり、ゲームをしたりするのはとてもよいことだと思う。

恐竜紙芝居の一場面。いずれも狸のタン吉が化けたもの。

恐竜紙芝居の一場面。いずれも狸のタン吉が化けたもの。

かつて寺は、宗教の場であるばかりでなく。村の文化センターでもあったのだ。住民は、祈り、話を聞き、種々の芸能を楽しんだのだ。

高齢化が著しく進む地域にあっては、今また、住民の学ぶ場、交流の場、楽しむ場として、寺は大きな役目を担っているのではなかろうか。

紙芝居の後、ご住職(園長)夫妻としばし歓談。いろんな話をして、しばし楽しい時間を持つことができた。朝から、この紙芝居にかかりきりだったが、子どもたちが集中して、私たちの演ずる紙芝居に集中してくれたことが何よりもうれしかった。

(日記 午前中は、紙芝居をパワーポイントに変更したために、映像ならではの絵を描き加えた。午後2時頃家を出て、大野市の誓念寺へ。しばらく車の中で練習しながら、始まる時間を待った。たくさんの子どもが親子で見てくれていた。自分としては楽しい一日だった。充実した一日だった。)

 
No Comments

Posted in 教育

 

紙芝居づくりに明け暮れた一日

25 10月

雀との交流
明日、大野市で幼稚園児と小学生に紙芝居をすることになっている。といっても、子どもの数が多いので、紙芝居のかわりに、パワーポイントで画面を大きくして演じたいと思う。

慌てて、描いた絵をパワーポイントで上演できるように編集した。今回の紙芝居『子すずめチュンチュン-ボクにげないよ-』は、子すずめと子どもの交流を描くものだ。

春に9割ほど完成させておいたもので、今日は最終的な仕上げを行った。〈雀と人間が仲良くなれるのか〉が一つのテーマだ。

数十年前、私の恩師のN先生は、校長室の窓辺にえさ台を作って雀に餌を与えておられた。窓を開けると、雀たちは、どこからとも集まってきて餌をついばむのだ。

創作紙芝居『子すずめチュンチュン-ボクにげないよ-』の一場面。

創作紙芝居『子すずめチュンチュン-ボクにげないよ-』の一場面。

N先生と雀の交流があったのだ。最近では、先輩のH先生が、毎年、窓辺に雀のえさ代を作っておられるのだ。今日改めて、電話で話を伺った。

雀たちが、「子どもを連れて餌を食べに来る姿を見るのはとても微笑ましい」といっておられた。8月末になると餌を取りに来るのを一時中断するとのことだった。しかし、冬になると再び現れるといっておられた。

実は、私は今年、孫にもらったヒマワリの種を植えて、たくさんのヒマワリの種を収穫したのだ。冬、小鳥たちにやりたいと思って保管してある。

小鳥が食べに来るだろうか。そんなことを考えながら、紙芝居の脚本を完成させた。明日、この紙芝居を初めて人前で演ずることになる。子どもたちに受けるかどうか、楽しみである。

(日記 終日、紙芝居の仕上げ作業。紙芝居としては午後早く完成したが、パワーポイントで演ずるために、作り直した。そして、家内と2回ほど練習した。午後5時頃ようやく仕上がった。午後7時から猪野瀬公民館で行われた『交通安全講習会』に参加した。安全運転に努めなければという気持ちを新たにした。)

 
 

ふーっ!

24 10月

一段落
ここしばらく、かなり忙しかった。公私、用事が入り乱れてあれこれ忙しかった。しかし、半分は公的なこと、その中には瓦版のように勝手にやっているものもあるけれど。

図形 A

図形 A

後は、全て、自分が勝手に選んでやっていることばかりだ。しかし、生き甲斐としては、両者とも大切だ。

退職したら時間があるだろうと思っていたが、この時間貧乏性的な性格は直らない。何もすることがなくてぼんやりしているのも嫌だけど。

さて、毎週第二木曜日夕刻は、「ふーっ」と溜息の出る時間帯だが、「ほっ」とする時間でもある。こんな日の夜は撮り貯めておいたビデオを見るに限る。

明後日から、またいろいろしなければならないことが入ってくる。追われて忙しくなるよりも、追いかけて忙しくなる方がよい。

(日記 朝から区の『かたせ瓦版づくり』。文章はあっという間に終わるが、意外と時間がかかるのが、『ちがいさがし』だ。しかし、これは、小学生との接点でもあるので手抜きはしない。大人には、脳トレーニングのつもりで描いている。「七つの違いを見つけられなくて、寝られなかった」という大人もいるけれど。見つけられると皆ホッとするらしい。明日は誰が我が家へやって来るだろうか。小学生には粗品を進呈しているので。午後4時頃完成した。市の配布物などと共に班長宅へ配った。配り終えたこの瞬間が「ふーっ!」と「ほっ」とする時間だ。)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

図形B

図形B

図形Aと図形Bには七つの違いがあります。それはどこでしょう。

(『かたせ瓦版』〈10月24日号より〉)

 
No Comments

Posted in 雑感

 

草魂

23 10月

雑草の魂
『草魂』とは、元近鉄投手の鈴木啓示氏の造語であり、意味は、踏まれても踏まれても立ちあがる「雑草の魂」の略語であり、同氏の座右の銘である。

鈴木氏は、当時の弱小「近鉄球団」に属し、通算317勝を記録(歴代4位)した名投手であり、同氏を最後にプロ野球では300勝投手は現れていない。

また、同氏が近鉄球団で付けていた現役時代の背番号1は、パリーグ唯一の永久欠番であったが、近鉄球団がなくなり失効。

家のコンクリートの隙間で育つトマト。左は8月2日のトマト。右は今日のトマト。写真はだいたい同じ倍率。

家のコンクリートの隙間で育つトマト。左は8月2日のトマト。右は今日のトマト。写真はだいたい同じ倍率。

さて、話は変わって、自宅の家の基礎と土間のコンクリートの隙間にトマトが芽を出した。正に雑草の魂である。せっかく芽を出したトマトに敬意を表して抜かずに育てることにした。

といっても1本の割り竹で支柱をしたこと以外は何もしなかった。水もやらなかった。トマト、自立して育っていったのだ。

8月2日現在、トマトが一つ実をつけた。その後、赤く熟れた実を付けてくれたが。このトマトもこれで終わるだろうと思っていると、トマトはコンクリートの隙間で成長を続けた。

水もやらず、肥料もやらないのに時々日陰になる過酷な条件の中で、どんどん成長し、今日(10月23日)現在、写真のように実がたぶん百個近くつけているのではないだろうか。

畑で育てたトマトは、全部枯れてしまってシーズンを終えたのに、コンクリートと石の隙間で育った我が家のトマトは青々としている。

野菜育てに関して、このトマトから学ぶことがあるように思う。余計なことはしない。トマトは、それ自身が自ら生長しようとしているのだから。

トマトは、人間が勝手に、あれこれ手を加えるために、病気になったり、成長が止まったり、異常に成長して早く枯れてしまったりと、いろんなことが起こるのではなかろうか。

トマトの気持ちを理解せずに、勝手に手を加えることを反省しなければならない。トマトも私たち人間と同じ生き物なんだから、少しはその気持ちを理解しなければならない。

畑のトマトはとっくに枯れてしまったのに、コンクリートの隙間のトマトは、今誇らしげにたくさんの実をつけている。

畑のトマトはとっくに枯れてしまったのに、コンクリートの隙間のトマトは、今誇らしげにたくさんの実をつけている。

トマトの生命力に脱帽。肥料たっぷりの中で育つトマトと、1センチ足らずのコンクリートの隙間で育つトマト。どちらが、しっかり育つか、簡単には判断できない。人間も同様だ。

(日記 昨日、「来年、里芋を植える場所にマルチをかけるので出てほしい」と、組合の理事長から昨日電話。午前8時半に男女10数名が農舎前に集まり、畑へ移動して1本の長さが100mほどある畝にマルチをかけた。腰の痛む作業だった。午前中で作業終了。午後は、紙芝居制作の最終作業。午後4時過ぎに完成。約1ヶ月かかった。でも楽しかった。)

 
No Comments

Posted in 教育

 

家庭菜園

22 10月

来年に向けて
家庭菜園は私たち夫婦の大きな楽しみの一つだ。安全な野菜を食べることができ、青空の下で作業する楽しみを味わうこともでき、一石二鳥だ。

素人が家庭菜園を楽しむには、連作だけは気をつけなければならないと思っている。私も、小さな畑を大きく4ブロックに分け、さらにそれぞれを二つに分けてローテーションしている。

色々やっているうちに、最近何をどれだけ作るかが問題になってきた。普段は夫婦二人暮らしなので、作りすぎると大変なことになる。冷凍したり、塩漬けにできるものはよいが、そうでないものは無駄になる。

まもなく熟すイチジクがたくさん家庭菜園で待っている。畑へ行く楽しみだ。

まもなく熟すイチジクがたくさん家庭菜園で待っている。畑へ行く楽しみだ。

来年は何をどれだけ作るかよく考えて植えようということになった。ニンニクも今年は作りすぎてしまった。里芋も来年は少し減らそうと決めた。

エンドウ、トウモロコシ、トマトなどは増やしたい。イチゴはジャムで保存できる。このジャムは引く手あまただ。添加物がないので安心できる。

それから、家庭菜園へ行く楽しみがもう一つある。それは初夏から晩秋までイチジクがほぼ毎日数個ずつ収穫できることだ。甘く熟したイチジクは、休憩時のおやつとして最高だ。

今年も、いよいよ家庭菜園の仕舞い時。それと同時に春の準備が始まっている。土の恵みに感謝して来年も健康で頑張りたい。

家庭菜園には、やや小ぶりだがたくさんのキウイが実っている。これはリンゴなどで追熟しなければ食べられないが、冬の楽しみだ。

家庭菜園には、やや小ぶりだがたくさんのキウイが実っている。これはリンゴなどで追熟しなければ食べられないが、冬の楽しみだ。

(日記 午前中は区の事務処理。区民の要望の回答を求めて市役所へ行ったり、会計処理のためにJAへ行ったり、書類提出に公民館へ行ったりした。帰宅して短時間、紙芝居の仕上げ作業。午後は、牛糞堆肥をたっぷり入れて水菜を植える場所を耕した。春一番に食べることができる緑の野菜だ。午後は、黒マルチに玉ネギの穴を開けた。帰宅してから、再び、紙芝居の仕上げ作業。かなり忙しい一日だった。)