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Archive for 7月, 2013

一段落

11 7月

一息入れて
  先月末から今日までかなり忙しかった。何かに追われているような感じだった。とてもじゃないが、現役時代以上の忙しさだった。退職者ののんびりした生活とはほど遠い状況だった。

  どれもこれも、自分が勝手にしていること、自分が勝手に引き受けたことなので、誰も恨むことはできない。若い頃は、頼まれると自分のできそうなことはたいてい引き受けてきた。そして、どうにか期日までに仕上げてきた。今は気をつけなければならない。

    毎週第2木曜日(A4二ページ)、第四木曜日(A4四ページ)は、『かたせ瓦版』の発行日。今日に関しては、午前中はまだ一ページしかできていなかった。午前10時より鹿谷へ出向き銭太鼓の指導。

 帰宅してから、編集作業を継続。午後3時過ぎに完成。コンビニでコピーをして完成。市の広報と共に、各班長へ配布。ようやく完成。一番ホッとできる時間。ようやく周囲の景色を見る余裕もできる。

     ここから先、私が苦労しそうなのは、和太鼓の編曲だ。それは、和太鼓選手権に出るからだ。創造する作業なので、どれがいいのかなかなか分からない。よくないというのは分かるような気がするが、「よい」ことはわかりにくい。

  メンバーの技量はまあまあだと思っている。ここから先は、私の曲作りの能力がチームのできに直結しそうだ。私がだいたい曲を考えると、メンバーが修正してくれるのだが、少しでもよい曲を作ろうとすると、寝ていても太鼓が目に浮かぶことがある。

  太鼓が済んだら、「○○」、その次には「○○」……とやりたいことが並んでいる。そんなことの一つに「数学」がある。当分の間は、何かを追いかける日々が続きそうだ。そして。毎日何かに追われるのだ。

 とにかく、今日はもう何もしない。せいぜい大河ドラマ『八重の桜』を見るぐらいか。昨日まで午前様だったので今日は早く床につきたい。一つはっきりしていることは、何でも“始めたらいつかは終わる”ということだ。

(日記 午前中は、瓦版作りと鹿谷のおばさん達の銭太鼓指導。午後も、瓦版作り。コピーしてようやく完成。忙しさから解放された。「ばんざーい!」と叫びたいぐらいだ。夜はのんびりとビデオ視聴。家内は東京に住む次女と1時間以上スカイプ。便利な世の中になったものだ。 )

 
 

子育て時代

10 7月

光陰矢のごとし
  今日は、大野公民館で幼児と保護者の集まり『家庭教育学級学習会』が行われた。私たちは、二つのことを頼まれての出演となった。一つは、「幼児向け紙芝居と手遊び」でもう一つは「子育てワンポイントアドバイス」だ。

  昨年まで公民館に勤めていたYさん(今年は他へ異動)からの依頼で出演することになっていたのだ。昨年もそうだったが幼児と保護者を対象に何かをするということは一番難しいことだ。

例によって私のギター伴奏で家内が手遊びの指導。幼児も保護者もいっしょに楽しんで下さったようだ。

  最初に、家内が手遊びを親子に指導した。私は、ギターで伴奏役。その後、幼児を対象にストーリーのある紙芝居は演じた。昨年もそうだったが、「かくれんぼ」と称して、テレビに出てくるキャラクターや象や虎などの動物を探し当てる紙芝居をすることにした。

  紙芝居が始まるまではかなり賑やかに飛び回っていた子どもたちも、紙芝居が始まると画面を真剣に見てくれているようだった。紙芝居の後、しばらくして今度は保護者対象の紙芝居『手伝いと役割分担』を演じた。

 私は、手伝いと役割分担を別のものとして考えている。そして、子どもたちが家族の一員としての自覚を持つのは、『家庭で役割分担を持っている』子どもの方だと思っている。

保護者向けの紙芝居。内容を分かっていただけただろうか。

  というのも、自分の子ども時代にはいくつかの役割分担があったように思う。「馬のえさやり」、「ふろわかし」、「掃除」などは手伝いではなく、自分の仕事だった。夏休みには、一度山へ行き薪を担いでくるのも自分の仕事だった。

 役割は、年齢と共に変わるものだ。今の子どもは、親に頼まれて学校へ行き、家庭では「客人扱い」だ。これでは、いつまで経っても家族の一員としての自覚は生まれないように思う。そんなことを伝えたかった。楽しい行事であった。

  それにしても、大変だと思っていた子育て時代はあっという間に過ぎてしまった。5人の孫もどんどん大きくなっていく。子育て時代は長い人生のごく短期間の出来事だった。済んでしまうとなつかしいものだ。

(日記 午前中は、紙芝居の練習。そして、大野公民館で幼児とその保護者の前で話、紙芝居、手遊びなどを行った。午後は、和太鼓の編曲。なかなか難しい。午後6時から孫

幼児向け紙芝居『かくれんぼ』には幼児も保護者も集中していたようだった。

の『爺ちゃん勉強』。午後7時から10時まで和太鼓の練習。まだ曲がはっきりと決まっていない。今が曲作りの正念場だ。)

 
 

猛暑

09 7月

自然に起こるのか、それとも……
  最近、異常気象が続いているように思う。今日は、体温より高い37度や38度を超えた地域も出ている。ところで「熱中症」という言葉は昔あったのだろうか。記憶がない。

  今は、大人から子どもまでが、熱中症にかかり、命を落とす人さえいる。今のような異常気象は自然現象なのだろうか。それとも、人間の行動が何らかの影響を及ぼしているのだろうか。

  私は後者の方も影響しているのではないかと思っている。近代化によって、二酸化炭素の空気中への放出が大規模に行われるようになり、それが大気の温度に変化を与えているのではなかろうか。

  次から次へと農業や牧畜業から工業化へと舵を切る国が多くなり、自然に対して影響を及ぼすまでになったのではなかろうか。日本、韓国、台湾、中国、インド、東南アジア……と工業化し、今後もアフリカ大陸へとその動きは広がっていくだろう。

大師山の作業マップ。

  人類は、50年前と今では比べものにならないくらい多くのエネルギーを使うようになった。今や「異常気象を起こすレベルに達したのではないか」というのが、私の“ド素人的推測”だ。

  そうした推測とは別に、地球は火の玉で、私たちはその上にある大陸に乗っている。そして、大陸は常時動いているのだ。そのひずみが限度を超えて起こる地震は全くの自然現象かも知れないが、異常な二酸化炭素や熱の放出は人為的なものであるように思う。

  昔なかった言葉で異常気象を表すものとして、「ゲリラ豪雨」や「爆弾低気圧」がある。特定の地点で集中的に雨が降ったり、低気圧の発達が時には台風以上の激しさで襲ってくるのだ。今春は、日々寒暖の差が大きかった。

  これからは、「異常気象」という言葉は死語になるかも知れない。それは、異常ではなく、「当たり前」になるからだ。毎日毎日「熱中症」という言葉がニュースで聞かれるが、そのたびに、高温が続くのは自然現象だけではなく人間の活動が影響を及ぼしてるのではないかと思った次第。

(日記 午前中は、先ず、里芋の子ズイキ切り。里芋の茎を1本だけにして脇から出る小さなズイキを切り落とすのだ。本当に熱かった。その後、家庭菜園作業。今日は熱くて沢山の汗をかいたので、かなり体重も減った。午後は、明後日発行の『かたせ瓦版』の編集準備。奉仕作業として8月に『山道作り(整備)』がある。高齢化する地域のために、市と交渉して作業範囲を狭めてもらっ

我が家の「里芋(左)」と「しょうが(右)」。“芋とショウガとうまい米”は我が地区の特産物だ。

た。(長年、本来やらなくてもよい範囲まで作業雨やっていた。)今年から、何十年ぶりかに作業範囲が変わるので、それをイラストに描こうとした。かなり時間がかかった。)

 
 

西日を遮る“家紋入りすだれ”作り

08 7月

まちづくりの一環として
 県の土木部建築住宅課のTさんが午後2時に私の事務所へやって来た。昨年から県の建築住宅課の皆さんには区の花いっぱい運動や生活改善アンケートの実施に協力していただいている。

 今日は、今年の事業の一環として、区の親子や希望者の皆さんといっしょに西日を遮るすだれを玄関や窓に吊して省エネ運動やまちづくりの一環として取り組もうという話だ。

  そして、このすだれに各家庭の家紋を刷り込もうという話だ。希望者の参加による事業だが、こうした事業を通して家族が協力し合ったり、各家庭のルーツを考えたり、家紋を通して地区の人たちが話し合ったりすることもできるというわけだ。

家紋入りすだれの見本(家紋はCGで合成)とTさん。実際には家紋ではなくTさんが刷り込んだ文字が入っていた。

   我が片瀬が区をあげて一つの事業に取り組むことは区民のまとまりという面からも好ましいことだと思う。家紋をすだれに刷り込むためには、多少の工夫も必要だ。そこに、協力が生まれるのだが。

  我が片瀬は、西に向かって村が開けているために、どの家も西日を受けやすい。かくいう私の部屋も夏場は西日に悩まされている。冬は暖かくていいが、夏場は暑くてクーラーか扇風機が必要だ。

  個人的には、このすだれも自分たちで編んだら面白いと思うが、材料の入手が困難だろう。しかし、事業の実施日には竹や藁等ですだれやコモ編みを実演して、昔の生活の知恵を子どもたちの前で見せられたらと思う。

 区民が、この事業に興味を持って下さるかどうかが問題だが、実用性と楽しさが兼ね備わった事業なので、少しでも多くの人が参加して下さることを望みたい。

(日記 午前中は、和太鼓の曲作り。午後2時から県の住宅建築家のTさんと私の事務所でまちづくりについて話し合った。具体的な取り組みとしては、“西日を遮る家紋入りのすだれ”作りだ。面白そうな取り組みだと思った。)

 
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林道草刈り

07 7月

歩いて登った山が今では
  今日は地区の林道の草刈り。かつては、この山は歩いてしか頂上へ登れなかった。山の頂上へ行くには、汗をかきながら苦労して登るしかなかった。しかし、林道ができてからは、事情が変わった。

 車で頂上へ行くことができるのだ。おかげで、普段登ることのできない人までが頂上へ立つことができるようになった。しかし、それは、林道を常に整備しておいての話だ。

草ぼうぼうの林道(上)が、軽トラも軽快に走れる林道(下)に変身。草刈り作業のおかげだ。

 山道は一年経つと草が生い茂ってどこが道なのかそうでないのかわかりにくい。そこで、年に一度、草が生い茂っている今の時期に林道の草刈りを行うのだ。

  各班に別れて決められた範囲の草を刈るのだ。私たちの班は頂上付近だ。今後、村全体が高齢化しそうである。そうしたとき、こうした作業を村で引き継いでやっていけるだろうか。少し心配である。

  今回は、「林道の草刈り」だったのでどの班も自分たちの作業場までは車で行くことができたが、8月4日の山道作りは、ほとんどの作業場まで草刈り機を持って歩いて行くしかない。

 昨日の役員会で、「75歳以上は山道作りの作業では現場へ行かなくてもよい」と決めた。代わりに、神社の草取り等をしていればよいように決めた。神社を割り当てられた班の若い者が代わりに山道へ出向くのだ。

  昔は、遠方と近場の作業があった場合、遠方の作業場を割り当てられた高齢者と近場の若者が作業場所を替えることが当たり前のように行われていた。今回は、それをルール化したのだ。

  やはり、地域で助け合わなければこうした作業は地域で伝わっていかないだろうと思う。とにかく、今日は雨だったが、林道の草刈りは終わった。いい汗をかいた。

途中で休憩。我が班のメンバーと記念写真。

(日記 午前5時半過ぎに起床。午前6時半頃集会場へ行き、林道の草刈り作業開始の挨拶。その後、各班に別れて草刈り作業開始。帰宅後、メンバー5人と和太鼓の練習のため福井へ。原点に返って為すべきことあり。午後7時半より『爺ちゃん勉強』。勉強の後、息子の近況を聞く。草刈りがあったためか疲れた一日だった。)

 
 

演歌な一日

06 7月

天童よしみコンサート
  今日、JAふれあい企画『天童よしみコンサート』がサンドーム福井で行われた。午前9時過ぎに自宅を出て、途中で用事を済ませ、午前10時半頃サンドームに着いた。

  少し並んで、会場へ入った。場所は自由席。階段状の席なのでステージからは遠いが、前の人の頭が気にならないのでストレスはない。これまで、指定席を求めたこともあったが、フラットな場所に椅子が並んでいるので、前の人の頭が気になった。

 天童よしみさんは、昨年の日本レコード大賞の『最優秀歌唱賞』を受賞しているらしい。大賞は、作詞・作曲・歌唱を含めて最高の作品に与えられるが、歌唱賞は歌手個人に与えられるので歌手にとっては最高の名誉らしい。

 さすがに歌は上手かった。私としては、生バンドの迫力や編曲に興味があった。なるほどそのように楽器を使うのかとか、なるほどリズムはそのように入れるのかなど、歌作りそのものに非常に興味があった。

『天童よしみコンサート』のチケット。

  また、何を歌のテーマにするのかも大いに参考になった。大阪の坂田三吉や、夫婦の関係が歌のテーマとして結構使われていた。何を歌にするのかは、私にとっても大いに興味がある。

  東日本代震災復興ソングとしては、「花」がテーマになることが多い。私も、東日本大震災の復興をテーマにした歌を作ってみたいと思う。しかし、具体的に何をテーマにすればよいのか、未だに決められないでいる。

 今日のコンサートを聴いて少し先が見えてきたように思う。やはり、何を歌にするかは、これからも私の大きなテーマになるだろう。言い換えれば、歌を通して何を伝えたいのかにつきる。勉強になった一日だった。

(日記 午前11時半からの『天童よしみコンサート』」を聴きにサンドーム福井へ行った。外食して帰宅後の午後4時より『親子和太鼓教室』。午後7時半より区の『定例役員会』。色々話し合うことがあった。いろいろあり忙しい一日だった。)

 
 

町の活性化とは

05 7月

Y君との雑談
  「町の活性化とは?」と問われたらどう答えられるだろうか。「住んでいる人たちが生き生きすること」、「住民が豊かに暮らすようになること」だろうか。そうなれば「次の世代も住み続けることができる」のではなかろうか。

  私も、地域の活性化には大いに関心がある。私の場合、地域とは自分の住む「片瀬区」であり、「猪瀬地区」であり、「勝山市」である。他人に何かを期待するのではなく、これらの地域でまずは、自分には何ができるかを見つけ出すことだ。

  まちづくりに関心のある仲間が集い、もう少し大きな広がりの中で、自分も含めて地域で豊かに過ごすことを目指したいと思う。この「豊か」にもいろんな意味があろう。経済的に潤うこともあれば、精神的に満足することもあろう。

  ただ待っているだけではなく、それぞれが自分自身を生かす場があればもっとよいと思う。そうした人間がつながれば一人ではできないことができるようになり、楽しみも大きくなるのではなかろうか。

 地域がこのような状況にあうることを、私は地域が活性化すると思っている。今のままでよいと思う人も、他人と力を合わせて、それなりに努力することによって、よりよい経験、今よりも充実した生活を味わうことができれば、前向きに生きることの意味が理解されるのではなかろうか。

  何にしても、人は一人では生きていけない。人と人との絆を深めることによって、自分が生かされ相手を生かすことができれば誰もが充実した人生を送ることができるのではなかろうか。

 仲間と行動する楽しさをお互いに味わいたいものだ。仕事であろうと、趣味であると、まちづくりであろうと。そして、まちづくりに必要だと言われる「馬鹿者」、「若者」、「よそ者」の力によっては、住みたくなるまちを作るために楽しみながら取り組みたいものだ。

(日記 今日は久々に何かに追われることなくのんびり過ごすと決めた。先ずは、家のあちこちにある様々なものの整理だ。整理というよりも、一つでも多くのモノを捨てることだ。いつかどこかで使えるのでははないかと思うとなかなか捨てられない。心を鬼にして「欲しければ買えばいい」と自分に言い聞かせているが、資料的なモノはなかなかそうはいかず、捨てきれない。午後は、少し歌作り。途中でパソコンの音楽ソフトが作動しなくなった。大野で用事があるというY君に家へ寄ってもらった。ソフトはほどなく回復した。その後、しばらくの間、まちづくりについて話し合った。楽しい時間だった。)

 
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参院選始まる

04 7月
ねじれていても
  「ねじれ国会」という言葉がある。衆議院と参議院で多数派が異なる状態を「ねじれ」と呼んでいるが、これを諸悪の根源のように言うのはどんなものだろうか。

 「ねじれ」国会で一番影響を受けるのは法案審議だといわれているが、果たしてそうだろうか。衆議院で可決した法案が、参議院でも「カーボンコピー」のように可決されては二院制の意味がないように思う。

 
  参議院は「良識の府」と呼ばれることがあるが、衆議院で可決された法案を「大所高所から審議する」という精神も期待されているからだろう。ところが、必ずしもそうなっていないところに問題がある。

 これは、与党ばかりではなく、野党の責任でもあると思っている。党利党略に走り、素人が考えてもおかしいような意地の張り合い、なんでも反対の野党の存在が「決められない政治」の根源だと思う。

 
 私見だが、「ねじれ」が問題ではなく、参議院議員がその責任を果たしていないことが問題ではなかろうか。きっといつかはそのことが明らかになると思っている。
 衆院も参院も与党が圧倒的に過半数を占めたら、どうなるだろうか。今回そんな予感がするが、今度は与党の責任が非常に大きくなるように思う。国民や少数野党の意見をよく聞き、よりよい政治を目指さなければ、圧勝は終わりの始まりになりかねないと思う。
  私としては、国民に信頼される政治を行ってほしいと願っている。北欧などは、日本人が聞いたら目の玉が飛び出しそうな高い税が国民に課せられているが、それでも国民がなんとか納得しているのは政治(家)に対する信頼があるからではなかろうか。
  最後に、経済は非常に大切な問題だが、それに頼りすぎると格差が拡大し、豊かな国になりかねないのではなかろうか。国のありようとのバランスが大切だと思う。結局世界は、金という引力の上で動いているのだろうか。
 
(日記 午前中は、区の事務処理。半日かかった。午後もその延長。4時過ぎから、久々に頼まれていた歌作り。どうも、最近は創造的なことをするのに苦労をする。しかし、年のせいにはしたくない。悪戦苦闘する。夕食後、久々に家内とウオーキング。)
 
 

和太鼓選手権に向けて

03 7月

終日曲作り
  毎週水曜日は和太鼓の練習だ。来月の選手権に演ずる曲目の一部を新たなものにしたい。そこで、朝から机に向かい、これまで作ったレパートリーを参考にしながら新しいリズムを考えた。

  これまでいろんなリズムを聞き、いろんなリズムを試してきた。その中から、気に入ったものを組み立てるのだ。こうしなければならないという規則はないのである意味では楽だ。自分の感覚だけが頼りだ。

今日考えた部分は新しい動きなので、何度も練習した。

  朝から、手で机を叩きながらリズムを考えた。時には三つの太鼓を操るので、打つ手の順番も大切だ。夕方までにようやく1分あまりのリズムを考えた。

  午後7時からの練習でメンバーと一緒に手直しするのだ。選手権は一ヶ月後。久しぶりに、わくわくしている。結果はともかく、当日まであまり日はないが、しっかり頑張りたいと思う。

(日記 終日和太鼓の曲作り。途中で本屋(カボス)へ行き、定期購読の本と先日福井新聞の『越山若水』で紹介されたので注文しておいた『60歳で小説家になる(森村誠一著)』を取りに行った。ついでにハウツー本『Line & Twitter』も購入した。ゆっくり本を読む時間がほしい。午後6時から『爺ちゃん勉強』。午後7時から一部のメンバーで和太鼓の練習。9時半過ぎに終わった。結構忙しい一日だった。『60歳で小説家になる』の前書きには次のように書いてあった。
 「現在の自分を、最も老いていると感じるのは、過去だけしか見ることのできない人間である。だが、未来に目を向ければ、今の自分が一番若いのである。」その通りだ。この言葉を信じて前を向いていたい。)

 
 

新作紙芝居『大野はげっしょ鯖物語』大野で初演

02 7月

今日は『はげっしょ鯖』を食べる日
  大野市のショッピングセンターから、「はげっしょ鯖」についての紙芝居を作ってほしいと頼まれていたが、今日がそれを演じる日だ。午前8時に家で一回練習して、午前9時過ぎに準備をして大野市のショッピングセンター「ヴィオ」へ向かった。

例によって手遊び歌から始めた。

  今日は、大野市の開成保育園の年長組が社会勉強をかねて、紙芝居を見たり、鯖焼きを見たり、焼き鯖を試食したり、奥越明成高校の生徒が考案した「鯖バーガー」を試食したりと盛りだくさんの体験をするのだ。

  子どもたちが、「ヴィオ」のホールへ到着したので、例によって先ず、手遊びで雰囲気を盛り上げた。その後、「鯖」と「半夏生(はげっしょ)」について簡単に説明。

 そして、いよいよ今日の本番の創作紙芝居『大野はげっしょ鯖物語』を演じた。これも例によってギターで音楽を入れながら紙芝居を演じた。セリフも二人で分担した。

  子ども達は、比較的集中して紙芝居を見てくれた。子どもたちに理解できたかどうかは分からないが、少しは理解してくれたのではなかろうか。童話や民話ではないので少しは話が難しいがやむを得ない。

 その後、子どもたちは鯖焼きを見に出かけた。「奥越明成高校の生徒がやってくるまで時間があるので何かをやってほしい」と頼まれたので、手遊び歌『大きくなったら何になる』を子どもたちと一緒に歌い、子どもたちに「大きくなったら何になる?」と尋ねた。

いよいよ本番の紙芝居。子どもたちは真剣に見てくれた。

  多くの子どもが、「ケーキ屋さんになりたい」、「サッカー選手になりたい」、「野球選手になりたい」などと元気よく手を上げて応えてくれた。中にはアニメのキャラクターになりたいと答える子どももいた。

  その後、「前へ出て歌いたい人いませんか?」と呼びかけると、沢山の子どもが手を上げてくれた。一人一人前へ出て数人に歌ってもらった。子どもたちのつぶらな瞳を見ていると心が洗われる思いだった。

  午前11時半からは、大人を対象に再び紙芝居を演じた。その後、事務所でヴィオのイベント担当者と雑談をした。そのなかで「販売促進だけを考えるのではなく地域に貢献したい」と述べておられたのが印象的だった。

  鯖を買って帰るとき紙芝居を見て下さった女性が「紙芝居、よかったですよ」と声をかけてくれた。これだけでもありがたいと思った。保育園児ともふれ合うことができて楽しい一日だった。

「鯖バーガー」を作った高校生達がやってくるまでの間、子どもたちと歌を歌って過ごした。

(日記 午前中は、ショッピングセンター『ヴィオ』で創作紙芝居の初演。午後は少し休んで和太鼓の曲作り。あっという間に一日が過ぎた。)

ヴィオの入り口では『はげっしょ鯖』が焼かれていた。香ばしい匂いが辺りに立ちこめていた。