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参院選始まる

04 7月
ねじれていても
  「ねじれ国会」という言葉がある。衆議院と参議院で多数派が異なる状態を「ねじれ」と呼んでいるが、これを諸悪の根源のように言うのはどんなものだろうか。

 「ねじれ」国会で一番影響を受けるのは法案審議だといわれているが、果たしてそうだろうか。衆議院で可決した法案が、参議院でも「カーボンコピー」のように可決されては二院制の意味がないように思う。

 
  参議院は「良識の府」と呼ばれることがあるが、衆議院で可決された法案を「大所高所から審議する」という精神も期待されているからだろう。ところが、必ずしもそうなっていないところに問題がある。

 これは、与党ばかりではなく、野党の責任でもあると思っている。党利党略に走り、素人が考えてもおかしいような意地の張り合い、なんでも反対の野党の存在が「決められない政治」の根源だと思う。

 
 私見だが、「ねじれ」が問題ではなく、参議院議員がその責任を果たしていないことが問題ではなかろうか。きっといつかはそのことが明らかになると思っている。
 衆院も参院も与党が圧倒的に過半数を占めたら、どうなるだろうか。今回そんな予感がするが、今度は与党の責任が非常に大きくなるように思う。国民や少数野党の意見をよく聞き、よりよい政治を目指さなければ、圧勝は終わりの始まりになりかねないと思う。
  私としては、国民に信頼される政治を行ってほしいと願っている。北欧などは、日本人が聞いたら目の玉が飛び出しそうな高い税が国民に課せられているが、それでも国民がなんとか納得しているのは政治(家)に対する信頼があるからではなかろうか。
  最後に、経済は非常に大切な問題だが、それに頼りすぎると格差が拡大し、豊かな国になりかねないのではなかろうか。国のありようとのバランスが大切だと思う。結局世界は、金という引力の上で動いているのだろうか。
 
(日記 午前中は、区の事務処理。半日かかった。午後もその延長。4時過ぎから、久々に頼まれていた歌作り。どうも、最近は創造的なことをするのに苦労をする。しかし、年のせいにはしたくない。悪戦苦闘する。夕食後、久々に家内とウオーキング。)
 
 

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