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Archive for 5月, 2013

二極化

11 5月

アベノミクスの功罪
  輸出中心の大企業の中には、1円円安になるだけで数百億円の利益が出るところもあるらしい。最近の円安は、昨年と比べても、20円近く円安になっている。輸出中心の会社は大きな利益を得ているようだ。

   しかし、一方では、円の値打ちが下がり、輸入品は割高になっている。利益を上げるどころか倒産の危機にあえいでいる企業もある。市内の一般家庭はどうであろうか。

  個人的にも、笑いが止まらない人、生活が苦しくなっている人、様々であろう。これらを政治の力である程度、調整できるのだろうか。地方の過疎化に歯止めがかかるのであろうか。

   地域の衰退を止めることが出来るのだろうか。超高齢化社会を乗り切ることが出来るのだろうか。高齢化社会は、確実に人口減少をもたらす。地域では、物を買う人間がどんどん減っている。さらに過疎化が進むだろう。

  勝山市内には、量販店やコンビニが増えていく。過当競争ではないかと思われるぐらいである。「まちを活性化させる」という問題の答えは、簡単には出すことができないだろう。

  よほどの発想の転換を図らないと、地域を活性化させることは難しいだろう。真剣に知恵を集めているのだろうか。行政は真剣に考えているのだろうか。難しい問題に簡単に答えを出しているように思えてならない。

 都市と地方、輸出中心の企業と輸入中心の企業、二極化して行くようだ。これらの解決にはいろんな力が必要になるだろう。真剣に考える組織が必要だと思う。

 かねてから、「勝山総合研究所」なる組織が必要ではないかと思っているが、未だ理解者に恵まれていない。今のところ、私は、私設“勝山郷土研究会”でまちの有り様を細々と考えているに過ぎない。二極化に対して傍観しているだけでは悲しい。

(日記 今日は雨。心おきなく紙芝居の絵描きに集中することができた。午後4時より、親子太鼓の指導。寒いと思って練習に出かけたが、汗だくだった。帰ってシャワーをするほどだった。午後7時半より、『各種団体合同会議』。主な議題は、6月2日の「区民運動会」についてだった。区の活性化も簡単ではない。それだけにやり甲斐もある。勝負は、区民のみなさんに区に対して関心を持って貰うことだ。今日で忙しさが一段落する。ようやくやりたいことができそうだ。)

 
 

音を楽しむ

10 5月

音楽の原点
  今年の『爺ちゃんバンド』の練習が始まった。しかし、私は少し練習方法を考えなければならない。というのは、練習の準備に相当の時間を取られるからだ。今年は、余り時間をかけないで取り組みたい。

久々の銭太鼓『片瀬豊年ばやし』の練習。

  いつも思うが、退職したにしては、毎日が本当に忙しい。なかなか自分の思うことができない。やりたいことが一日24時間の中に収まりきれない。となると、何かを諦めなければならない。

  完全に止めるわけにはいかないが、参加の仕方を考えなければならない。オカリナバンドの練習もかなりスリムにした。しかし、子ども達の和太鼓練習だけは今までのままにしておきたい。

 少しぐらいスリムにしても、あまり時間ができない。貧乏性だろうか。昔から、“貧乏暇なし”といわれるが、ひょっとしたら私のことかもしれない。それとも凝り性だからだろうか。

 今日のバンド練習には、石川県から二人、福井から二人、春江から二人がやって来た。いざバンド練習が始まると、楽しくできる。今日は二曲練習した。それぞれのメンバーを生かすために、かなり苦労する。欠席者もいるが新しいメンバーが二人やって来た。

庭の牡丹。行商のおばさんから買ったのだが、毎年綺麗な花を咲かせてくれる。まさに“花は咲く”だ。

  メンバーの一人が、小さなヨットで3ヶ月間の旅に出るという。宿には泊まらずに、ヨットの中で眠るそうだ。韓国にも寄港するという。うらやましい気もするが、自分には絶対にできないことだ。

  そろそろ歌も作ってみたい。歌が作れるほどの時間を何とか作りたい。この頃、なかなかメロディーが湧きにくくなった。最近、曲を作っていないからだろう。とにかく、音楽の原点である、楽しむことだけは忘れたくない。

(日記 午前中は紙芝居の絵描き。午後は夕方までバンド練習。夜は、片瀬の銭太鼓の練習。来週、木田神社の春季例大祭に出演するためだ。久々のい練習。楽しかった。今日も慌ただしく過ぎた。)

 
 

童話の会

09 5月

事務所で『かっちゃま児童文学会』
  午後7時より、会場の都合で、私の所属する『かっちゃま児童文学会』の例会を私の事務所で行った。本当は今日まで作品を持って集まらなければいけないのだ。何ヶ月もあったのに今日まで童話を書けずにいた。

  私は、朝から色々あって、童話を書き始めたのは、午後3時過ぎであった。途中まで書いた時点で時間切れ。夕食を食べ、事務所へ向かった。他のメンバーも同様であった。

 完成した作品、筋書きだけの作品、私のように途中で終わった作品などいろいろであった。全員が素人なので、お互いに、自分ならという立場で、作品の展開を予想したり、感想を述べ合ったりした。

  次回は、児童文学者の藤井先生を招いて作品の批評をしていただくのだ。そのためにも、今月中には童話を書いて先生のもとに届けなければならない。私も、みんなも締め切りがあるおかげで毎年作品を完成させることが出来るのだ。

  こうして書きためた童話の中から、私は脚色して紙芝居を作っている。私の場合、自分の生い立ちからどうしても「野良猫」や「野良犬」が主人公になってしまう。飼い犬よりも厳しくても自由のある野良猫や野良犬を応援したくなる。

  私は、紙芝居を10作品完成させたら、東北の子ども達の前で演じたいと思っている。その際、童話の本を集めて持参したい。前回の例会で、このことを提案して賛同を得た。会員の一人が今日の例会に童話を10数冊持参してくれた。

  久々に楽しい童話の会を持つことが出来た。無から何かを作り出すことは難しい作業だが、それだけに楽しい。会員の一人が、途中で小学校1年生の教科書にある短い童話を読んでくれた。

 素晴らしい作品であった。真似のできない素晴らしさであった。私なら、どうしても話が長くなってしまう。さすがにプロは短くても感動的な作品を完成させてしまう。まだまだ勉強だ。

(日記 午前10時より鹿谷公民館でおばさん達に銭太鼓の指導。今日は新しいメンバーが3人見学に来ていた。素晴らしいことだ。午後1時より教育会館で公募した『勝山市の歌』の歌詞の審査会。全国各地から作品が寄せられていた。どんな曲が付くのやらと思うと、楽しみでもある。帰宅して、慌てて今日の『かっちゃま児童文学会』の例会のための童話を書くが未完成。もっと早く書いておけばよかった。午後7時より私の事務所で『かっちゃま児童文学会』の例会。楽しかった。結構忙しい1日だった。)

 
 

時代が人を呼ぶ

08 5月

リーダーの出にくい世の中
  幕末の時代、その後の日本の行方を決定づける英雄が何人も出現したように思う。日本の周囲から虎視眈々と日本に迫る強国があった。国内で、争っていいる場合ではない。そう感じた下級武士達が国を動かしたのではなかろうか。

  目の前で今、坂本龍馬に関する番組を放映しているが、彼もまた幕末という時代が待望した英雄の一人ではなかろうか。時代が生んだと言っても過言ではない。

 平成の今の時代、どのような人物を必要としているのだろうか。勝手に坂本龍馬を気取る人は少なくない。日本維新の会の橋下氏もその一人だろうか。坂本龍馬の船中八策になぞらえて基本政策を発表している。

 鳩山邦夫氏も、自称“平成の坂本龍馬”を名乗っている。いずれも龍馬に申し訳ないと思う。自分で龍馬を名乗るのは偽物の感がする。

 自分の信念で動く人間を、後の世の人が“平成の坂本龍馬”と評するのなら分かるが、自ら龍馬を気取るのは、あまりにも横柄でスケールの小さな人間のすることではないだろうか。

 近年はあまりにも自己中心的で、私利私欲に走る人間が多いように思う。今の世の中は、決して安定しているようには思えない。それは、健全な野党が育っていないからではなかろうか。

 憲法を変えたいと思うなら、どこをどう変えたいのか、国民の前で大いに議論してほしい。今は、どこをどう変えるかよりも、憲法を変えやすくすることに力点を置いているように思える。このままでは一抹の不安がつきまとう。

 出でよ!真の平成の龍馬!!この国の行き先をしっかりと考えられ人間の出現を願う。今こそ、真のリーダーが必要ではなかろうか。国民を説得できるリーダーの出現を待ちたい。

(日記 午前中、スタジオと事務室の清掃。午後は、『かたせ瓦版』の仕上げ作業。その後、紙芝居の描画作業。午後6時から『爺ちゃん勉強』。午後7時半頃からオカリナの練習。1日があっという間に終わってしまった。)

 
 

植物にも必要な愛情

07 5月

人も植物も生き物としては同じ
  昨年から、市の『四季折々の花の咲くまちづくり事業』に参加し、地区で花を育てる運動に取り組むことになった。花を育てて分かったことは、やはり花を育てるには愛情が必要であるということだった。

  特に、片瀬独自の取り組みとして、青竹を切って作ったプランターに花を植えたために、真夏の猛暑には朝晩の水やりが欠かせなかった。何かの都合で水やりを欠かすと翌日はてきめんに花はプランターの中でぐったりしていた。

我が家の車庫の前の花たち。

  同じ大きさのプランターで同じような花を育てながら、すぐに枯らしてしまう人とそうでない人がいた。私は、集会所前に置いた十数鉢、数十本の花にほぼ毎日2回水やりを続け、猛暑の夏を乗り切った。

  こうした取り組みを通して、花に対する愛情が芽生えたと思っている。ぐったりした花に水をやると、次の日にはしゃきっとしている。「ああ、元気になってよかった」と思う日が何回かあった。

  しっかり育てている村の人を見ると、素晴らしいと思う。これは何も花ばかりではない。野菜も同じだ。生き物を育てるということは動物であれ、植物であれ、全く同じだと思う。

  春先に植えたトウモロコシの畝に家内がビニールをかけた。そのうちに芽が出てきた。晴れた日には40°を超える。そのために、時々ビニールをまくり上げて温度を下げたりしていた。もういいだろうを思って、ビニールを外したとき、急に寒い日が続いた。

Kさん宅の花。いつも道端できれいな花を咲かせている。

  「今日は寒くないだろうか」、「今日は暑くないだろうか」と家内は心配している。水不足、水のやり過ぎ、肥料不足、肥料のやり過ぎ、いずれにしても野菜はうまく育たない。

  確かに野菜や花を育てることは簡単ではない。しかし、愛情をかければそれに応えてくれる。そんなわけで、今年もまた野菜作りや花作りに愛情を込めて取り組みたいと思う。

(日記 午前中は、家庭菜園作業。風が強い。トマトの支柱の補強や、花の咲き始めたイチゴに鳥を防ぐための網をかけたりした。午後は、『かたせ瓦版』の編集作業。夕方、Y君がパソコンの不具合を直しに来てくれた。映像編集ソフトが生き返った。感謝。)

小さな竹の中できれいな花を咲かせてくる花たち。

 
 

能動的な力の喪失

06 5月

受け身に慣らされた生活
  この頃、時々思うことがある。それは、自分から行動を起こす力の欠如だ。何か行事をしようとすると、なるべき簡単に、なるべく前例通り、出来れば参加したくない、出来れば小規模にという意見が若い者の口から出る。

 高齢者が発するならまだ分からないでもないが、若い者の口から出るとは悲しい。なぜなら、次の世代を担う者がそのような言動では悲しい。

  事をなすとき、「どうしたらもっと良くなるか」、「自分に出来ることはないのか」、「少しでも新しいことを加えられないのか」と考える人間が出ることを期待したいのだが。

トマトの雨よけビニール屋根の設置。真っ赤のトマトを食べることが出来るだろうか。

 それには、子どもの頃からの、物事に対する関わり方、大人との接し方が大きく影響しているように思う。全て、大人の背中から長年にわたって学んできた結果であろう。

 子どもの挨拶を例にとれば、「きっちり挨拶のできる子」、「こちらが声を掛けると挨拶できる子」、「こちらが挨拶してもあいさつを返せない子」に分類される。これは何も子どものせいばかりではない。

  家庭で挨拶の習慣がなかっただけであろう。大人が積極的に挨拶すれば、子どもは自然に挨拶が口から出るものだ。このように考えると、問われているのは子どもではなく、大人達なのだ。

  子ども時代に、ゲームや習い事などで過ごし、地域での様々な体験や関わりのないものが若者になれば、地域での様々な行事などは面倒くさいだけのものに感じるだろう。なるべく簡素化したい気持ちは理解できる。

  しかし、これでは地域は活性化は望めない。小さくても成功体験を積み重ねるしかない。今、私達大人の取り組みが問われている。「見ています あなたの姿 子や孫が」を頭に置いて、地域で楽しく豊かに暮らしたい。

現役時代、行商のおばさんに買った牡丹。今年も綺麗な花を咲かせてくれた。

(日記 午前中は、紙芝居の絵描き。横浜の孫の『爺ちゃん勉強』の計画表作り。午後は、家内と二人で夏野菜の苗を買いに行った。ナス4種類、トマト3種類、キュウリは3種類、キンカン瓜、スイカ、シシトウ、ピーマン等の苗と種を買い求めた。帰宅して、苗を植える準備をした。特に、トマトの支柱とビニール張りには苦労した。春の農作業のかなりの部分が終わった。午後7時半から横浜の孫の『爺ちゃん勉強』。楽しい時間だ。勉強の後、歌を聴かせて貰っているがこれも楽しい。)

 
 

楽しい農作業

05 5月

語らいの場
  今日は、『農事組合法人かたせ』の田植え。酒米「五百万石」の田植えだ。今日は、オペレーター1人と補助員5人の計6人が1つのチーム。今日のチームの内訳は、20歳代1人、40歳代1人、60歳代2人、70歳代2人。

今日のチーム(他にカメラマンがいる)。黄色い帽子が私。

  補助員同志が、いろんな話をしながら作業を続けた。理事者がチームを決めるのだが、一緒になった者同士は、一日一緒に作業をするので、いろんなことを話し合うことが出来る。

 もしもこの作業がなかったら、少なくとも20歳代のS君とは同じ村の住人であっても、殆ど会うことはなく、話すことは全くなかったであろう。しかし、この作業のおかげでいろんなことを話すことが出来た。

  S君はギターをやっているということは知っていたので、我が片瀬の創作民謡『片瀬豊年ばやし』の三味線を担当してくれるよう頼んだ。快諾してくれた。地域作りの補助金で新品の三味線が6月末には購入できることになっている。

  私達の『片瀬豊年ばやし』は、残念ながら、伴奏はカラオケと締太鼓で演奏している。これを完全に生の楽器で演奏できたときに、初めて本当の郷土芸能になると思っている。

作業を終えて農舎前で洗車。

 今日の作業のおかげでメンバーを一人獲得することが出来た。他の補助員とも、いろんな話をすることが出来た。私にとってはこの作業はとても楽しい。

  自分一人では、とても米作りなどは出来ないだろうが、この組合のおかげで田んぼを荒らすことなく米作りができている。後継者のいない我が村の多くの者が救われている。

  時々作業を割り当てられるが、そんなときは、コミュニケーションの場だと思って参加している。おまけに、一定の作業賃が出るのだ。区民が顔を合わせて一緒に作業をしながら、いろんな話をして関係が深まるのだから一石二鳥だ。

 この仕組みがいつまでも続いて農業が継続されることを願っている。田植えの補助員はもう一回ある。「コシヒカリ」を植えるときだ。また今日とは異なるメンバーと一緒になって作業が出来る。喜ばしいことだ。

玄関の花。竹プランターは片瀬オリジナル。話は心が慰められる。

(日記 朝8時から夕方6時まで、田植えの補助員を務める。午後7時から村の体育委員会に出席し、区民運動会について話し合う。週末の合同委員会へ出す原案作り。少しでも楽しい運動会にするために、どうすればいいかなどを話し合った。)

 
 

パソコンの可能性

04 5月

発生するトラブル
   「パソコンで何ができるか」を考えることは無理だろう。可能性が無限にあるからだ。高速計算機的な部分と人工知能的な部分が両立している。そして、コンピューターが将棋の名人にも勝てる時代になった。

  ところで、パソコンを使って自分のやりたいことはいくつかあるが、それらをマスターすることは至難の業だ。相手が、機械やソフトであるだけに、融通が利かない。少しでも間違うと動作してくれないからだ。

  それだけではない。予期せぬトラブルが発生することだ。久々に愛用のソフトを使おうと思ったら、使えないというメッセージ。こうなると、お手上げだ。直しようもない。

  機械的なものなら、だましだまし使うこともできようが、パソコン相手だと、些細なミスでも動いてくれない。ストレスはかなり大きい。こうしたことを乗り越えないと、自分のやりたいことができないから大変だ。

  「絵を描いたり画像を編集すること」、「音楽ソフトを自由に使うこと」、そして「映像編集をすること」は最低やりたいことだ。この他にもアニメをやりたいが、これは諦めなければならないだろう。ホームページを自由に作ることも、大変だ。

  携帯電話をiPhoneに替えた。いろんなことができそうだが、マスターするのは大変だ。最低限のことができればよいと思っている。最もやりたかったことは、どこででもパソコンを使ってインターネットができることだが、これはできそうだ。

  iPhoneを受信機にして、パソコンを動かすことができる。そのために、携帯をiPhoneに替えたのだ。これで旅先からでも、車の中からでもブログを書くことができる。便利な世の中になったものだ。

 今後も、パソコンやソフトはどんどん進化するだろう。いつこれらから取り残されるかだ。もうしばらくは、くっついていたい。そして、創造的な作業の道具として、機能の一部でも使い続けていきたい。

(日記 午前中から絵描き作業。午後も作業を継続。途中で、ソフトと印刷インクを買うために、パソコンショップへ。午後は、パソコンのトラブルで思うように作業を進めることができなかった。)

 
 

読みにくいマニュアル

03 5月

マニュアルは難しい
  最近、どんなソフトや電子機器や電気製品などを買ってもマニュアルがついている。しかし、これを読み下すのは簡単ではない。特に、マニュアル通りにソフトや機器が動作しない場合には、その先が進めない。

  昔の携帯でさえも、マニュアルの厚さは、学校の教科書の倍ほどあった。機能のごく一部しか使わないで済ましている。いろんな機能がついている分、高価である。しかし、年を取る毎に、マニュアルは読みにくくなる。

 私もそうした人間の一人だ。ごく簡単なことはいいが、少し難しくなると、最初からこれは無理だと思ってしまうことがある。そんな人間は私だけではないだろう。

   一方、マニュアルの読みにくさをビジネスにして成功している会社がある。県内にあるW社がそうだ。アナログ的に、人間がビデオやDVDでマニュアルを解説しているのだ。

  一冊のマニュアルをDVD化しようとすると、かなりの枚数になる。それぞれが数千円するので、ソフト一つのDVDが万単位のお金になることも少なくない。それでも、冊子になっているマニュアルよりは、理解しやすい。

  私も、W社のマニュアルを産業支援センターで借りて見たことがある。マニュアルとあわせて見ると、どうにか理解できる。今後、いろんなソフトが出てくるだろう。本当の意味での読解力(文理の能力)がないと、読めないのではないか。

旧仏教や権力者から弾圧を受ける僧侶達。(人物、背景などの濃淡、拡大率などは未調整)

  今日は、iTunesとiPhone・iPodの設定等をGWで帰省中の次女に教えてもらった。自分では絶対にできなかっただろう。習ってみると、そんなに難しいことではないが、自分で会得しようとすると、簡単ではない。

  ここで諦めたら、二度と自分ではできないだろう。幸い、私には、質問できる子供や知り合いがいるのでありがたい。自分一人だったら、とっくの昔に音楽も絵を描くことも、諦めていただろう。

  学校の勉強もおなじだろう。理解に苦しむ生徒は少なくないだろうから、教える人間もそれなりに努力することが必要だ。私にも、何かすることがあるように思える。今年は、そうしたことにチャレンジしてみたい。

(日記 午前中、家庭菜園で、トマト、ナス、ピーマンなどナス科の作物を植える場所に有機肥料(六呂師の牛糞堆肥、自作の籾殻燻炭)を入れて耕した。我が家の小さな家庭菜園は全て耕したことになる。後は、夏野菜の苗を植えればよい。午後は、紙芝居の絵描き。4日ほどかかってようやく一枚の絵を描いた。沢山の人物が登場するので大変だった。夕食は、長女と孫達、そして次女が来ているので賑やかだった。次女のおかげで、iPhoneやiPodの使い勝手がよくなった。)

 
 

毎日パワー

02 5月

世界チャンピオンボクサー内山高志選手
  朝テレビを見ていたら、ボクシングで現役最長防衛を誇るWBA 世界スーパーフェザー級王者の「内山高志選手」について、放映されていた。まもなく7度目の防衛戦があるとのことだった、

  番組の中で、内山選手には「継続力」があると紹介されていた。「継続力」という部分に私は番組に釘付けされてしまった。先ずは、高校時代から、18年間一日も欠かさずランニングをしているとのこと。できそうでできることではない。

  内山選手は、ボクシングの名門高校に進んだが、インターハイでの成績はバンタム級でベスト8。その後、ボクシングの名門拓殖大学に進んだが、補欠にも選ばれず同級生の荷物運びという厳しい扱いを受けたそうだ。しかし、ひたすら努力。

  その後、頭角を現し、国内では活躍するが、オリンピックではアジア地区予選で敗退。本線に出場できず引退を決意する。しかし、プロからのスカウトにより、2度の引退決意を翻して、プロ入り。

 2010年、プロ入り後全勝で世界チャンピオンに。そして、6度の防衛を経て、現在に至る。まもなく 、7度目の防衛戦があるとのことだ。テレビで紹介されたのは、内山選手の考え方だ。

  「自分は弱いから、毎日練習する」がモットーで、正に練習から這い上がったボクサーであると言える。また、毎朝、歩道橋の上から、走る電車を眺め、電車の中にいる人を集中して見ようとしているとのことだった。動体視力を鍛えるためだそうだ。

  そして、プロ入り後、8年間、毎朝9種類の野菜の入ったジュースの飲んでいるとのことだった。自分の弱さを知っているので、長年、一日も欠かさずトレーニングを行っているのだ。正に「努力の人」だ。「継続力」を持った人だ。

  こうした内山選手の活躍が、母校の道徳の教科書にも載っていて、後輩の小学生がその継続力や努力を学んでいるとのことだった。普通なら、とっくの昔に諦めてしまっているであろうボクシングを今も続けて世界チャンピオンを維持し続けているのだ。

 このような内山選手の活躍には、小学生ならずとも、刺激を受ける人は多いだろう。私も、その一人だ。どんなことでも、一日も欠かさずに、取り組んだら、一歩ずつ前へ進んでいくだろう。「継続力」を私は、「毎日パワー」と呼んでいる。

 33歳の内山選手の、今後の活躍を願わずにはいられない。全く、知らない世界チャンピオンだったが、今日からファンになってしまった。「子どもたちの手本になりたい」という内山選手の7度目の防衛を祈りたい。

キュウリと豆の支柱作り。私は、インゲン、ササゲ、千石豆など豆類は大好物だ。

(日記 午前中は、紙芝居の絵描き。午後は、キュウリやインゲン豆など種々の豆類の支柱作り。今日は寒かった。その後、ニンニクの雑草取り。夜も少し紙芝居の絵を描いた。)