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Archive for 2月, 2013

いつまでも諦めないで

18 2月

銭太鼓指導に思う
  私は今、鹿谷町の銭太鼓グループ(メンバー5人は全て女性)の指導に関わっている。メンバーの一人と市営プールで会ったのがきっかけだ。昨年までは月1回の指導だったが、最近は月2回に回数が増えている。出番が近いからだ。

  このグループはずっと銭太鼓を続けているのだ。メンバーの年齢は、70歳代が3人、69歳が一人、66歳が一人だ。そのうち3人は膝などに持病を抱えている。しかし、主に上半身を使う銭太鼓にチャレンジし続けている。

  先ず、このことに頭が下がる。足(膝)が悪かったりすると、出歩くのがおっくうになるが、かの女達は毎週欠かさず練習に励んでいる。そのため、銭太鼓のバチのさばきは勝山では一番上手いと思う。

演技を終えてポーズが決まったところ!(いいぞ!おばちゃん達)

  なぜそのような上手な人たちに、私が関わっているのかというと、音楽のリズムに乗りきれない部分があるので、それを直してあげるためだ。リズム感が悪いという意味ではない。歌の入りが、必ずしも小節の頭から入っていないので、リズムに乗り切れないのだ。

  ある部分は、小節の頭から、ある部分は半拍休んで、ある部分は一拍休んで、ある部分は一拍半休んで、そして、別の部分は2拍休んで……というように、それぞれ歌の入りが異なるのだ。そのため、歌を聴いてばちを振ると、リズムに乗れないのだ。

 そこで、こうした部分を毎回指導させてもらっている。約半年間通って、3曲をマスターしつつある。最初の出番は、来週の月曜日、そして、次の出番が来月の7日だ。練習の合間にお茶を飲み、健康について話すことが多い。

 今日は、「半分主義」について話した。彼女たちの休憩のおやつは、大きなシュークリームであったり、大きなプリンであったりする。膝に負担をかけないようにするには、体重をコントロールしなければならない。

 そのために、「大きいものは半分しか食べない」か、「半分ぐらいの大きさのシュークリームやプリンを買ったら……」などと話した。これは、おばさん達へのメッセージであると同時に、私自身が心掛けなければならないことでもある。

 70歳前後のおばさん達には体のどこかが悪いからといって諦めないで、大丈夫な部分を使っていろんなことにチャレンジしてもらいたい。それは、私自身の気持ちでもある。従って、どんなに忙しくても、彼女たちの指導には喜んで出かけることにしている。がんばれ、おば(あ)さん達!

(日記 午前10時より鹿谷公民館で銭太鼓グループ『すいせん会』を指導。出番1週間前となった。人前で演技しても十分見られるレベルに達した。すごい。練習後、創作民謡『鹿谷ほがらか音頭』の踊りの振り付けを教えてあげた。帰宅して遅い昼食。午後から、夜の十時半過ぎまで総会に向けての区の会計処理。かなり忙しい一日だった。紙芝居どころではなかった。)

 
 

TPPと農事組合法人の総会

17 2月

持続可能か「日本農業
  午前6時、山中温泉で起床。風呂に入って朝食をとり、午前7時35分峠越えで勝山へ向かう。昨日の降雪と凍結で路面は真っ白。しかも山越え。少し心配だったので安全運転で帰ってきた。そして、9時から始まる『農事組合法人かたせ』の総会だ。

  帰路、ずっと『報道2001』を聞いていた。今日は、TPPがテーマだった。TPP反対は、自民党の中谷議員(元防衛庁長官)のみで、後は自民党の議員もコメンテーターもほとんどTPP加盟賛成の意見を持っているようだった。

  中谷議員は、TPP反対の最大の理由は、農業にとっての影響が限りなく大きいとのことだった。賛成派は、農業の改革を唱え、農業も規制緩和をして一般企業が農業に参入することを盛んに話していた。

  「地域では、農業はどのような役割を果たしているのか」を賛成派の議員屋コメンテーターは知っているのだろうか。効率を追い求め過ぎて、異常に規模拡大を図ったり、経費節減を求めすぎると、日本人は農業から追い出され、地域はますます崩壊するのではなかろうか。

  また、TPPの問題は、農業ばかりではないと思う。マスコミも、本当のことをあまり分かっていないのではなかろうか。影響は、農業以外にも出てきそうである。保険、医療、食品、投資等様々な分野で影響を及ぼしそうである。

『農事組合法人かたせ』の総会。活発な質疑が行われた。

  そして、日本がルールに従わなければ、訴訟に持ち込まれる可能性も大なのだ。まだまだ、情報が十分ではないのだ。「情報が不足している」というと、賛成派の政治家は交渉に入らなければ情報は手に入らないという。

  先の衆院選の自民党の政治公約は、「聖域なき関税撤廃ならTPP加盟反対」というものだった。しかし、選挙カーからは「TPP反対!」のみがよく聞こえてきた。果たして、安倍総理のアメリカ訪問でTPPは問題になるのだろうか。それとも、7月までは表沙汰にしないでくれとでも言うのだろうか。

  自民党は、政権公約を実行しなければ、「うそつき」と言われて、先の衆院選の揺り戻しがあるのではなかろうか。さて、我が片瀬の組合だが、少しでも品質の良い米を作って、米購入の常連を作り、多少安い外国産が入ってきても、その影響をあまり受けないようにしなければならない。

  日本の動きと、小さな集落の農業が多少は関連しているように思われる。少なくとも、我が地区にとっては、農業は地域作りと深く関わっている。農業には、効率や経済面だけでは測りきれないものがたくさんあるように思う。

(日記 新雪が降り、凍結した路面をゆっくり走りながら、山中温泉から帰宅し、午前9時から始まる『農事組合法人かたせ』の定期総会に出席。いろんな意見が出た。この法人を継続する建設的な意見がもっとほしいと思った。今日は、道場で『永代経」』が行われた。午後2時より道場へお参りする。読経の後、説教があり、説教の後、珍しく質疑が行われた。何人かが質問した。私も、自分なりには調べてあったが、親鸞聖人の『悪人正機説』について説明を求めた。しかし残念ながら説明はあまり理解できなかった。)

 
 

区切りの年に当たって

16 2月

長女家族と温泉で誕生パーティー
  私の年齢はまもなく大台に達する。これからは一日一日をありがたく感謝しながら過ごさなければならないと思う。父親は40歳と少しで、母親は50歳少しでこの世を去った。いずれも、残念だったに違いない。 

 気持ちは、若い頃とはあまり変わらないが、やはり体力や記憶力はかなり劣ってきたように思う。楽器などを演奏しようと思うと、指の動きが若い頃に比べて鈍くなったり、暗譜が苦手になったりしている。 

温泉で中央3人の誕生祝い。私は古希。

 

 しかし、今のところ、創作意欲はそんなに衰えていないと思う。しかし、体でも壊せばたちまちそうした気力も萎えてしまうであろう。これからは、体に無理をかけないで、特に、内蔵にも無理をかけないで、栄養、運動、休養のバランスを取りながら、楽しんで創作活動を続けたい。 

 特に、自分の活動の基軸となる「数学」に関しても何らかのアクションを起こしたい。また、自分のできる範囲でまちづくりにも、関わりたいと思っている。幸いなことに、時間には現役時代よりは余裕があるので、選択と集中に気を配りながら、元気で過ごしたい。 

(日記 午前10時より市民会館で家内と映画『我が母の記』を見る。その後、福井へ寄り、長女の家族と合流し、温泉へ向かう。長女の誕生日が2月17日、長女の長男が18日、私が20日と3人の誕生日が近いので、一緒に誕生祝いを行った。ちなみに長男の長女の誕生日が23日。全く関係がないが、巨人の長嶋監督は私と同じ2月20日だ。夜は、丸々2時間長女家族と合わせて6人でカラオケを楽しん 

6人全員が歌好き。みんなの歌を聴きながら、演歌以外の曲も作りたいと思った。

 

だ。来週は、横浜に住む長男家族、そして東京に勤める次女とも会うつもりだ。これからも、子どもたちに刺激を受けながら、自分なりに頑張りたいと思う。)

 
 

初めに結論ありき

15 2月

どう理由づけするか
  最近世の中の動きを見ていると、何かを始める場合に、「最初に結論」を置き、それにいろいろ理由づけをしているように思われる。公正に考えて実施できるかどうかを十分検討するというよりも、結論を先に定めて専門家と言われる「ムラ」の住人に、正当性を追認してもらうという印象が強い。

 このような進め方をすれば、我々凡人は簡単に引っかかってしまう。しかし、今後はそうはいかないかもしれない。今、テレビでは、原発の再稼働について放映されている。

 日本原電は原子力の直下に活断層はないと言う。一方、規制委員会は、活断層の疑いがあるという。両者がそれぞれ、自分の都合の良い論陣を張るのではなく、公平に調査し、結論を出してほしいと思うが、実際には、電力会社は再稼働を前面に出している。

 これは、何も原子力の問題だけではない。世の中で問題になっていることの多くが、このように結論を先に置き、それに都合の良い専門家がその正当性を証明しているように思う。何もなければそれでよいが、ひとたび事故が起きると、一般人が大きなダメージを受けることになる。

  今回の原子力発電所の崩壊は、津波のみの影響を受けたのか、それとも、地震の影響を受けたのか、まだはっきりしていないのではないか。というよりも、地震の影響を受けてはいないと言いたい電力会社側は、「現場は暗い」などと理由を付けて政府の調査委員会にも立ち入り検査を許していないと報道されている。

  これも同様の考え方だ。先に地震の影響は受けていないという結論を置き、それに都合の悪いことは極力隠したり、触れたくないようだ。こんな事が、衆院の予算委員会で問題になっている。政治不信は、ますます大きくなっていくように思われる。

  TPPに関しては、与党内でも、結論が分かれている。日本の国益を考えるよりも、自分の選挙を優先したり、党の次回の選挙のことばかり考えているように思われる。特に、地方を地盤とする議員と都会の議員の対立があるように思うが。

  これではいつになっても、政治の信頼は回復しないのではなかろうか。TPPに関しては、一般人に対してあまりにも説明不足になっているのではなかろうか。結局、国民が痛い目に遭い、誰も責任を取らないという状況がこれからも繰り返されるのだろうか。

花の植えつけ作業。春が待ち遠しい。

(日記 今日は、朝からずっと、区の総会のための資料作り。数ページの資料を作らなければならない。金の出し入れとその証拠書類の整理も必要だ。午前、午後と作業を続けたが、まだ終わらない。特に、市との関係があるので、資料作りはかなり複雑だ。夕方、『四季折々の花の咲くまちづくり事業』の一環として、最後の花植え作業。今、各家庭や地区の集会所には花々が寒さの中で静かに春を待っている。春を待つのは人も花も同じではなかろうか。)

村のあちこちのプランターの中で春を持つパンジー達。

 
 

『ティラノサウルス』スタイル

14 2月

朝礼直後にティラノサウルス出現
  パソコンはずいぶん職場に普及した。私が学校から市役所に移った頃は、パソコンと言えば、ほとんど個人持ちであった。そのうちに、グループ毎にパソコンが2~3台ずつ配置され、最後には一人一台となった。

   全員に行き渡った頃には、最初の機種は古くなり、入れ替えなければならなくなった。今もこうした状況は続いていることだろう。それは、ハードもソフトも常に進化しているからだ。ネット環境も格段に進歩した。

  パソコンで事務効率が上がったかは、簡単に言えないところがある。会議などの資料の枚数が多くなり、それらを作成するために、多くの時間を必要としている。会議では、資料を理解するために、多くの時間を要することになる。

  会社によっては、「会議の資料はA4で1枚に納めよ」というところもあるらしい。それまでなら、手書きの原稿をさっとコピーして用を足していたものが、字体や体裁を整えているうちにかなりの時間を使ってしまうことになる。

 かつての職場では、朝礼が終わると職員が一斉にパソコンに向かう。その姿は、「ティラノサウルス」に似ていなくもない。各人が前屈みになって両手でキーボードに向かう姿がどことなく「ティラノサウルス」の格好に似ているのだ。

  パソコンと言っても、その利用形態は、「ワープロ」か「計算機」か「辞書(ネット利用)」として使うのがほとんどではなかろうか。何のために、パソコンを使うのか、使わねばならないのか、……。これは今も昔も、私に課せられた課題である。

平泉寺方面へのウオーキング。歩道に雪が全くない冬も珍しい。(後ろは平泉寺の『菩提林』の入り口)

(日記 今日は、 『かたせ瓦版』の発刊日。午前中は、瓦版作り。私は、自宅のパソコンで編集し、それをきれいに印刷して、外でコピーしている。毎月第2、第4の夜はいつもほっとする。区民の中には、おそらく全く読まない人もいるだろうが、「楽しみにしている」という人もいるので、何とか発刊を続けている。その後、区の会計事務を行い、図書館へも立ち寄った。現在制作中の紙芝居『親鸞聖人物語』制作のために、親鸞関係の本を7冊、『絵本のしくみを考える』など絵本関係の本を3冊借りた。親鸞聖人の生涯を理解するのは非常にむずかしい。今日は青空が見える。午後、各班長宅に市の広報誌や『かたせ瓦版』を配った後、家内と二人で平泉寺方面へウオーキングに出かけた。今年は、屋根の雪下ろしをしなくてもよい程度の雪しかないので、晴れた日にはズックでウオーキングができる。去年、一昨年とはずいぶん違う冬だ。)

 
 

各種団体との語る会

13 2月

老人会の皆さんとの語る会
  午後1時より、区の老人会の皆さんと役員との“語る会”を実施した。私としては、各種団体に対して、このような会合を開くねらいは、区民の皆さんに区に対して関心を持ってもらいたいと思うからだ。

  この頃、多くの地区ではそうだと思うが、「面倒くさいことには関わりたくない。」と思う若い人が増えていることだ。そのため、団体活動は低調になり、会そのものも解散したりしている。

  そして、区内と人と人との関係が薄らいえいる。一方では、区の3割強が1人、または高齢者の2人暮らしである。5年後、10年後にはこの区はどうなっているのだろうか。誰もがあまり気がついていないのではなかろうか。

  今日集まった高齢者の家庭を見ると、約半数は高齢者の2人暮らしであった。これからますます人と人との温かいつながりが必要になるのだ。そんなことを思いながら、老人会の会長の進行のもと、次のようなテーマで話し合った。

・区の行事に対して
・生活改善について
・区民が互いに気をつけなければならないこと
・その他区民が必要とする問題

について、意見や提案、問題点を述べてもらった。最初の行事に対しても、いろんな意見が出た。行事の見直しから、廃止まで様々な意見が出た。前例を踏襲しなければならない部分と前例を改善しなければならない部分がいろいろある。

ストーブを囲んで老人会の会員と区の役員の語る会(集会所で)。

 また、アンケートの項目で、地区の雰囲気を問う設問があったが、「閉鎖的である」と答えた人も何人かいた。こうした雰囲気を少しでも明るいものにしなければ、地域の明日はないと思う。年を取るにつれて、自己中心的になることだけは避けなければならない。

  行事に関しては、“選択と集中”が必要だと思う。この語る会は、これからも続く。区民の本音を出してもらいたいと思う。そして、その中から、お互いに、区をよくするために何をすべきかを区民みんなで考えてみたい。

(日記 午前中は、『アンケート』を印刷。午後1時から3時過ぎまで、集会所で老人会と『役員会の語る会』を開催。いろんな意見をいただき、最後に、『生活アンケート』を実施した。区の役員会で図り、総会に提案しなければならないこともいくつかあった。) 

 
 

遊びと仕事

12 2月

年齢にとって重要度が変わる
  「遊び」と「仕事」は一見対極にあるように思うが、実は表裏一体のものだと思う。「遊んでばかりいて……」という叱り方があると思う。しかし、両方とも大切だと思う。年齢によって両者のウェイトは変わると思うが。

  子供時代、「遊び」は生きる力そのものだと思う。遊べない者は、成長しても、どこかで力が発揮できないように思う。ちょうど、ビタミン不足のように、「遊び欠乏症」がどこかで現れると思う。それほど子供にとっては、「遊び」は必要不可欠なものだ。

  子供時代、遊べない猿は一人前になれないと聞いたことがある。子供時代、十分に「遊べなかった人」はどこか人間味に欠けているように思われる。

  今日、遊びをテーマにしたのは、用事である店へ出かけた。ここの主人は、かつてはいろいろ関わりのあった人だったが、その奥さんが「近頃、認知症が出て……」と話された。しばし、健康について、立ち話をした。

  青年、壮年期においても、遊びは大切だが、やはり仕事の方がウェイトが大きいだろう。しかし、楽しみながら、仕事に楽しみを見つけて働くことは大切だろう。

  そして、高齢者になったら、遊びと仕事の区別が少なくなってもよいのではないか。楽しみながら仕事をすることが大切ではなかろうか。無理は禁物だ。遊びが脳を活性化するのだから、認知症予防にもよいはずだ。

  高齢者になったら、遊びもまた仕事なんだと思う。そして、高齢者の心身の健康であることは、その家族にとっても非常に喜ばしいことだと思う。高齢者には、遊びもまた仕事だと言っても過言ではない。仕事が、遊びに感ずる人は幸せだと思う。

  私見だが、体操とは、心身の両面に必要であり、体を動かす体操と共に、脳を働かせる体操もあるのではないかと思う。いわゆる「脳トレ」である。しかし、「脳トレ」とは、必ずしも、クイズ的なもの、学習的なものばかりでないと思う。

  脳は、左右、前後、全てをバランスよく使うことが大切だと思う。好きなことをやったり、きれいなものを鑑賞したり、外へ出かけて人と交わることも必要だと思う。脳にとってよいことは、いつまでも人間らしく過ごすことではなかろうか。

  「遊び」は、自動車のハンドルの「あそび」のごとく、豊かに生きるための、必要不可欠なものであることを、いつまでも忘れてはいけない、そんなことを、雑談の中で話した。認知症は人ごとではないとも思った。

(日記 午前中は、紙芝居の印刷作業。といっても、「A3ノビ」の厚紙に印刷するので、かなり時間がかかる。絵を調整しながらやっているので思ったよりも、時間がかかった。午後、プリンターのインキと、紙芝居用の厚紙を買うために外出した。作業中、衆議院予算委員会の質疑を聞きながらの作業だった。北朝鮮の核実験のニュースが一日中、マスコミを賑わしていた。北朝鮮の行動は、だだっ子のようなアクションに思う。)

 
 

植物に学ぶ生き方

11 2月

我慢の時期が必要
  昨日の『福井新聞』の一面の下段にある『越山若水』に、次のような記述があった。

「ゴルフ場では芝生に2,3日水を与えないで、根を張らせる。枯れそうになったところで水を与えるーこれの繰り返しで、たくさんの強い根を精いっぱい生やそう▼田中修さんの著書「不思議の植物学」(中公新書)に教わった。水不足で、芝生のハングリー精神が刺激されるという。稲の穂が出る前に土を乾かす「中干し」も同じ狙いがある▼……(以下略)」

創作紙芝居の表紙。ようやく完成した。

 実は、菊作りにおいて勝山市でナンバーワン(県内でもトップクラス)のTさんがおられる。Tさんの多くの菊の花は、11月3日に開花の照準を合わせている。1本の苗から見事な花がいくつも咲きそろうのだ。感心するばかりである。

 菊作りは、一年中の仕事である。そのTさんが次のように語っておられた。

「夏の暑い日、菊の苗に水を与えなければならない。そのとき、常にたっぷりと水をやると、菊はしっかりと根を張らない。そこで、水を与えないで我慢させるのだという。そうすると、菊は水を求めて鉢の中で根を張り巡らすのだという。そういうことを繰り返しながら、立派な根を育てるのだという。そうして、ここぞと言うときに、肥料を与えれば、肥料に負けることなく、しっかりと吸収し、小さな鉢の中でも、立派な花を咲かせるのだという。 
 ところが、常にほしいだけ水を与えると、菊は根を張る必要がない。そんな菊に立派な花を咲かせようとして、肥料を与えると根が十分生育していないために、肥料に負けるか、肥料を十分吸収できずに大輪の花を咲かせることができないという。」

 なにやら、人間とよく似ている。常に、大人の指導が前面に出たり、ほしいものを買い与えると、働いて自ら稼ごうとか、少しで向上しようとする気持ちが育たないような気がする。ハングリー精神が育たないのだ。

 植物も人間も、生物である限り、同じようなものだと思う。人間ならば、その基礎となる人間力(思考、創造力、想像力、意欲など)を幼いうちに、育てておかないと、21世紀を豊かに生きていけないのではなかろうか。植物に於いて、根を十分発達させておくように。

  この考えを花作りや野菜作り、そして人作りに生かせないだろうか。少なくとも、花作りと野菜作りには、応用できそうである。今年の花作りや野菜作りが楽しみになってきた。

孫達とウェブカム。家内が「おいで、おいで」をするが……。

(日記 午前中、紙芝居の絵描き。ようやく童話の方は完成した。今後は、大人向けの紙芝居に向けて頑張らなければと思う。午後7時から、息子の家族とウェブカム。みんな元気でやっているようだ。いつものように、歌とダンスを見せてくれた。来週は、東京横浜で次女や長男の家族、孫達と会うつもりだ。)

 
 

リーダーに意見の言える組織

10 2月

区の『戦没者法要』とNHKスペシャル『終戦なぜ早く決められなかったか』
  今日は、午前9時半から午後4時半過ぎまで道場(寺)で、区主催の『御法事』と『戦没者法要』が行われた。私も区の戦没者の皆さんのご冥福をお祈りし、焼香した。

  そして、お参りしながら考えた。戦没者の皆さんは、それぞれが若い命を戦場で落とされたのだ。残念だっただろうなと思わずにはいられなかった。その多くの方々が幼子を残して戦地でなくなられたのだ。

  私の同級生も、兄弟4人を残して父親を戦場でなくしたのだ。 犠牲になる人の多くは、一般の人たちだ。政治家の皆さんには、そのことを十分に認識してもらいたい。戦争以外でもそうなる場合が多い。

  帰宅すると、NHKスペシャル『終戦なぜ早く決められなかったのか』を放映していた。後日のために録画しながら見ていた。海外の情報を持ち、これ以上日本は戦えないと分かっていながら、組織の問題から決断できなかったのだ。

説教の中で『紙芝居』をする市内の寺のS住職  そして、広島、長崎を始めとする数十万人の犠牲者を出す結果になってしまった。戦争を終わらせなければならないと多くのリーダーが分かっていながら、決断できなかったのだ。

  重大な決断するときに、リーダーにも堂々とものの言える部下、部下の意見に聞く耳を持つリーダー、多くの情報を分析する能力と組織、……これらが不足していたのだ。そして、これらは何も戦争中だけの話ではない。今でもそうだと思う。

  このような状況は、今もどこにでもあるのだと思う。2つの出来事が私をしてこのようなことを考えさせてくれたのだ。どんな組織でも、リーダーの責任は重い。

(日記 午前9時半より昼食を挟んで午後4時半過ぎまで、道場にて区の『御法事』と『戦没者法要』が行われた。読経があり、説教があった。説教の中で、『紙芝居』も行われた。私も今、創作紙芝居を作っているので、絵と文章の関係をどうすればよいかなど、とても参考になった。私たちは、仏教の基本的なことをほとんど知らないまま仏事に参加している。ここのところを少しわかりやすくできたらと思う。)

 
 

情報発信

09 2月

映像作品を作ってみたい
  昨日の区長連合会の会合で、商工観光課から、「勝山フイルムコミッション」設立の報告があった。映画を作る場合に、市が全面的に協力するということだ。最近勝山を舞台にした映画が増えている。

  早速、同級生の映画監督Oさんにこのことを伝えた。彼は今年も、5月から放映されるテレビの昼ドラの監督をするということだった。また、初めて舞台の監督もするとのことだった。頑張っているなあと思う。

  私は、商業作品は作れないが、趣味で映像作品を作ってみたいと思っている。ホームビデオで撮影して、編集して、音楽を加えて何とかやってみたい。この頃は、ホームビデオでもハイビジョン画質の映像を撮れるのだから。 

  最初は、映像編集の練習のために、風景などを撮して、それを編集して、BGMを加えて、故郷賛歌のような映像作品ができたらと思う。また、自分の作った演歌などに映像を添えてYOUTUBEにアップすることも考えられる。

 しかし、これにしても、相当技術的な勉強をしないと、完成しないだろう。悩みは、今までできたことでも、半年以上やらないと、忘れてしまうことだ。間口を広げすぎている自分が悪いのだが。

  夢のまた夢は、ドラマを撮影することだ。しかし、これは出演者を含めると相当たくさんの人手がいることになるだろう。となれば、何かについて徹底的に記録して、ドキュメンタリーを作ることができないだろうかと思ったりする。

  それよりも、予算さえあれば、Oさんに勝山を舞台にした映画を作ってもらいたいと思う。映像作品を作ってみたいという夢は、今のところ、自分の胸の中で温めている。

(日記 今日も、紙芝居の絵描き。かなり先が目に見えてきた。いつも思う。朝起きたら、早くパソコンの前へ座りたいと。今のところ、パソコンの前が私の仕事場みたいなものだ。4月中には、新作を完成させたい。そして、あちこちで上演できたらと思う。)