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Archive for 12月, 2012

大晦日に思う

31 12月

生産的時間を多くする
  今年一年を振り返ると、時間の使い方が全くうまくいっていなかったと思う。やっていたことはどれも好きだったが、だからといって何でもやればいいというものでもない。

  好きな食べ物を10種類上げることはできる。しかし、それらを全部食べようとしても、途中に満腹になってしまい、食べることができない。もしかしたら、食べられなかったものの中に一番美味しいものがあるのかもしれない。

  同様に、やりたいことがたくさんあっても、一日は誰にも等しく24時間しかない。優先順位を決めて取り組まなければならない。その中には、のんびりした時間も必要だ。スケジュールいっぱいでは時間に追われてろくなものができないからだ。

  新年に向けては、やることを整理することだ。これは「断捨離」にも通じることだ。このブログも含めてやっていることの全てを総点検して再出発したい。この1月から3月はこれからの行動方針を考える期間としたい。

  同時に、ライフスタイルも再考したい。「二兎を追う者は一兎も得られず」と言うが、「五兎を追ったら全部に逃げられて徒労感が残る」だけだろう。紅白歌合戦を見ていたら、東北応援ソングを是非とも作ってみたいという気になった。

「晴耕雨パソ」。パソコンでいい仕事ができますようにと、ミニ鏡餅を飾りました。

(日記 午前中は、宮番のため我が班の者が村の白山神社へ集合して初詣のための準備をした。本殿と拝殿の清掃をし、幕を張り、飾りつけをした。その後、境内の清掃。7班あるので7年に一度宮番が回ってくることになる。午後は、仏壇のそうじ。仏具を磨き、仏花を飾り、鏡餅を備えた。同様に神棚もしめ縄などで飾り付けた。その後、床の間に天神さんの掛け軸を吊るし、鏡餅を飾った。自宅の準備の後、事務所(山児童館)にも正月の飾りつけをしに出かけた。我が家では、あちこちに「ミニ鏡餅」を飾り付ける習慣がある。居間や自分の部屋、子供たちの部屋にも飾り付ける。そして、いい仕事ができるようにと祈るのが何十年と続いている習慣だ。午後5時に風呂へ入り、仏壇の前で『正信偈』と『仏説阿弥陀経』を読経。読経の最中に孫達もお参りに来た。これも、毎年行っている私の大晦日の勤めの一つだ。夕食は、これも何十年と続けている定番のすき焼き。なぜすき焼きか?それは私の子供時代には肉は一年に二度しか食べられなかった。一度は、臼摺りの日、もう一度は大晦日だった。いつでも肉の食べられる時代が来たが、それでも我が家では大晦日は毎年すき焼きだ。車が動かなかった豪雪の大晦日の日、家内はリュックでを担いで町まで歩いて行き、肉を手に入れてくれた。おかげですき焼きができた。食後、紅白歌合戦を見ながら、いろんな事をしている。ビデオに録ってあるので集中していなくてもよい。下手でもいいから、東北の応援ソングを作りたい。できなければ応援の紙芝居でもできたらと思う。)

 
 

あっという間の一年

30 12月

多少は明確な目標を持たないと
  月日の過ぎるのははやい。なすがままに任せていると、何もできずに時間ばかりが過ぎていく。それはそれでよいが、何かは形として残したいという気持ちもある。残したいというよりも、やってみたいという方が正確かもしれない。
 
  毎年、正月が過ぎたかと思うと、あっという間に春が来て、農作業が始まり、暑い夏が通り過ぎて秋になり、時雨れて雪の冬になる。そのサイクルが年々はやくなるように思う。

  我が家のカレンダーは、一、二ヶ月前には真っ白であるが、当月になってみるといろんな予定で埋められ、いつの間にか真っ黒になってしまう。暇ではないが、何となく流されていく感じがする。

家族総出の餅つき。それぞれ役割を決めて丸餅を作った。最後につきたての餅に、あずき、おろし、黄な粉をつけて食べた。

  私たちは「時間の道」を生きているのだ。誰にも等しく時間は進む。そういう意味では公平だ。そして、この時間の道は決して後戻りできないのだ。そうなると、この時間の道をゆっくりと楽しみながら、自分に納得しながら歩かなければと思う。

  当てもなく歩くのも悪くはないが、やはりときには確かな目標を持って歩んでみたいと思う。昔の人はうまく言ったものだ。「一年の計は元旦にあり」と。何かをなそうと思ったらある程度は目標を持っていなければどこへも到達しないだろうから。何も実現できないだろう。

(日記 午前中は年賀状の最終仕上げ。ようやく年賀状を書くことから解放された。午前10時半頃に1回目、昼近くに2回目の餅をついた。二臼目には、つきたての餅を黄な粉餅、あずき餅、おろし餅にして食べた。孫達も美味そうに食べてくれた。午後しばらくすると小2の孫から「爺ちゃん勉強、お願いします」と言ってきた。夏休みに毎日行っていた「じいちゃん勉強」をこの冬休みにも行うことに決めた。楽しみにしているのかもしれない。最初に算数の応用問題、次に、自作のカラオケに合わせてマイクで歌う音楽、リズムダンスを行う体育の三つの学習を行った。楽しそうであった。)

我が家の定番になった『じいちゃん勉強』。下の孫(手前)は文字(ひらがな)の練習。

 
 

「雪」に思う

29 12月

帰省の孫達
  午後2時2分の列車で横浜の息子の家族が、3人の子供(孫)を連れて帰省するというので家内と二人で福井まで迎えに行った。そして、途中でショッピングセンターへ寄って帰宅した。

帰宅するやいなや、家の前の少ない雪で遊び始めた二人の孫。

 我が家へ着くなり、長旅の疲れも忘れて上の孫二人は雪遊びを始めた。1シーズン前に私が作ってやった雪のうさぎを上の孫は作っていた。南天の実を目にするところも同じだった。

  雪のほとんど降らない地域から来ると、雪はとても珍しいものなのだろう。その気持ちは分からないでもない。この雪に関しては、地元の者は、道路の除雪や屋根の雪下ろしなどマイナス面を思い浮かべがちだ。

  しかし、子どもたちには「雪は遊び相手」であり、「工作の素材」であり、「遊びのグランド」であるのかもしれない。雪のほとんど積もらない地域の者には、雪のプラス面しか見えないのかもしれない。

  雪以外のことで考えてみても、身近にいる者には「ものごと」のマイナス面ばかりが目に入り、遠くの者には「プラス面」がよく見え

雪兎を作ったり、雪玉を作ったりして雪と戯れる二人の孫。

るようだ。こうした考えを頭に置けば、観光の考え方もまた違ったものになるだろう。

  そんなところから、まちづくりには「馬鹿者」、「若者」、「よそ者」が必要だと言われる。観光面でも、やって来るのは「よそ者」だから、その「よそ者」の目で田舎がどう見えるのかをしっか把握しなければならない。

 今回の「雪」や夏休みの「昆虫」なども都会の子にはとても興味あるものに映るのだろう。私の二人の孫もそうだった。「よそ者」の視点を失わないように物事を進めなければならない。

(日記 午前中は年賀状書きに追われた。もう少し早く書いておけばよかったと悔やまれる。というのは、年賀状管理のソフトが故障して住所をプリントアウトできなかったからだ。やむなく、手書きで住所を書き、全体の3分の1だけ投函することができた。午後1

急に賑やかになった我が家の食卓。いつもは二人なのに今日は七人になった。

時に自宅を出発し、福井へ孫たちを迎えに行った。夏休み以来の再開である。急に夕食の食卓が賑やかになった。夕食後、再び年賀状作りを始めた。)  

 
 

発信力

28 12月

発信力のある人、ない人
  発信力のある人とない人の違いはなんだろうか。私の考えは、立場をはっきりさせることが発信力ある人間になるための第一歩ではないかと思う。あやふやな立場で反対ばかりする人がいるが、それでは、誰もその言動を信用せず、結果的に発信力はないことになる。

  常に前向きであることも、発進力を持つための必要条件ではなかろうか。前向きでないということは、停滞しているか、否定的な意見を多く述べる人のことだと思うが、これではその言動は他人には伝わりにくい。 前向きに考える人の周りには仲間は集まるものだ。

 どんなすばらしい内容があっても、自分の言葉で語れなければ意図するところは相手に伝わらない。誰かの書いた原稿を読む人と原稿なしで思いを語ることができる人がいるとしたら、明らかに後者の方が伝わりやすい。自分の考えを持ち、自分の言葉で語ってほしい。

  最後に、自分の意見を持つことができるかどうかで発信力が決まるように思う。誰かの受け売りばかりしているようではこれまた説得力がなく、そんも言動は軽くなってしまう。結果的に、いくら言葉を多く語っても何も伝わらない。

  しかし、発進力があるかどうかは結果を見なければわからないときもある。前政権では発進力がありそうな人を重要なポストに選んだが、場当たり的な言動が多く、すっかり信頼をなくしてしまったからだ。

  発進力があるとは、説得力があると言い換えてもよいかもしれない。そんな政治家が出ることを期待する。「出でよ!平成の龍馬!」は私の若者達に対する期待のフレーズだ。

  自ら「龍馬」を名乗ったり、龍馬気取りをする人がいるが、本物の龍馬に申し訳ないではないか。船出した「阿倍丸」の中にどれだけ発信力のある政治家がいるのだろうか。自らの指針を持たず、党の方針のみに右往左往するようでは国民の信頼は得られないだろう。

  事の本質を見抜けないようでは、悲しい。物事には裏表があるからだ。実体験を積んで、机上の空論のみを振り回すことのないように願いたい。全ての国民の納得する政治を行うことは最初から無理な話だろうから、より多くの国民の願う方向へ向かって進んでほしい。

(日記 午前中は、自分の部屋の整理。四苦八苦する。午後は、区の雑務。特別区費をいただいている会社などへ領収書を配りに出る。また、図書館の本を返却し、新たに十冊の本を借りた。その後、年末年始に向けて精米したり、灯油を買ったりした。そのうちに暗くなってしまった。昨日娘が東京から帰省した。少しずつ我が家か賑やかになっていく。)

 
 

「ピンチ!あと一日あれば……」

27 12月

想定外の出来事
  私は、第2、第4木曜日に瓦版を発行している。特に、第4木曜日はA4換算で4ページの瓦版を発行する日だ。一昨日から編集を始めて昨日も作業を継続、そして、予定通り午後3時に編集を終えた。

  後は、詳細印刷でプリントアウトし、コンビニでA4裏表印刷をすれば一連の作業が終わる予定だった。そして、今回もどうにか間に合った。そう思って、印刷を始めようとしたとたん、いやなメッセージが出てきた。

上下の絵に七つの違いがある。これを見つければ小学生に粗品進呈だ。(『かたせ瓦版』19号より)

 「ファイルデータに不正な構造が見つかったため、読み込みを中止しました。」と書かれているのだ。ヘルプを見ると一つだけ、修復できるかもしれないという方法があったので試してみたがダメだった。ファイルが開けないなんてまったく想定外の出来事だった。

  たった一つだけ保存しておいたファイルを更新しながら作業を進めていたので、他にバックアップしてあるファイルはない。この時点で、今日の発行を諦めるか、今からもう一度一からやり直すかのどちらかだ。

 「最大のピンチ!」、「もしかしたら瓦版の中の“間違い直し”をしようとして子どもたちが待っていてくれるかもしれない。」
そう思うと、とにかくやり直すしかないと思えてきた。

  「3時間で完成」を目標に、最初から瓦版を作り直し始めた。文章は、完成したものとは異なるが、とにかくやり直さなければならない。これほど空しいことはなかった。完成させてのんびりしたかったのだが、なおさら忙しくなった。

  同じことを二度やることほど、時間の無駄使いで情けないことはない。しかし、そんなことを言ってはいられない。どうにかこうにか、文章を書き直した。そして、午後6時前にようやくできあがった。早速詳細印刷してコンビニでコピーし、各班へ他の配布物と一緒に配って歩いた。

  配布を終えたのは午後6時半だった。今回もまた「あと一日あれば……」というセリフを吐くことになった。次号はあと一日早く始めなければと思う。いい勉強になった。パソコンを使っていると、想定外のことが起こるのだということを勉強することができた。

(日記 朝からもっぱら瓦版作り。午後3時に編集を終えたが、保存したファイルが開かれず、作業をやり直し。全く想定外の出来事だった。全く同じ作業をやり直し。当然、最初に書いた文章とは異なるだろう。全く無駄な作業だがそんなことを言ってはいられない。やり直したために完成が3時間ほど遅れた。それでも、午後6時半に各班長へ配り終えてほっとした。帰宅して玄関で「バンザーイ!」と叫ぶ。午後7時過ぎに、私のパソコンドクターであるY君がパソコンの不具合を直しに来てくれた。おかげで音楽ソフトが生き返った。これで心置きなく歌が作れる。Y君がいなかったら私のパソコンライフは行き詰まっていただろう。歌作りも、絵を描くことも今の半分もできなかったであろう。今回もまたY君に感謝、感謝だ。)

 
 

安倍内閣発足

26 12月

経済優先、デフレ脱却
  左記の衆院選挙で自公は大勝し、民主は予想通り大敗し、第三極の中には善戦したところもある。果たして、どのような世の中になるのだろうか。若者が、将来に希望を持つような世の中にしてもらいたい。

  ただ気になるのは、選挙では重要な問題については名言せずに、もっぱら経済優先・デフレ脱却を掲げて選挙戦を戦った。大勝の勢いを買って暴走しないようにしてもらいたい。

  一例を挙げれば、自民党は「TPP反対」を掲げていた。それは農村部を基盤とする候補者が百数十名も抱えているからだ。結果的には、多くの候補者が当選した。しかし、阿倍氏は、選挙後「TPP反対」の前に前置きをつけて発言しておられるようだ。

  それは「国益を損なうならTPP反対」というものだ。逆に言えば、国益にかなうなら、TPP賛成というわけだ。選挙中は「TPP反対」を声高に叫んではいたが、今は、必ずしもそうではない。今日の記者会見でも新総理はTPPについては言葉に詰まっておられたようだ。

  民主党のていたらくと経済優先の文言に踊らされて問題が霞んでしまったようだ。ちょうど小泉さんの「郵政改革選挙」のときのように。それにしても、健全な野党が育たない風土は国民にとって不幸なことだ。

  何度も言うが、「安全性」と「経済性」を天秤にかけて原発再開を考えることは止めてもらいたい。それにしても、安全か、そうでないのかを決める人間がいないのは不幸なことだ。

 原発の下に活断層があるという学者と、活断層はないという電力会社の対立はいったい何だろう。これまでは、電力会社に安全性の確認を丸投げしていたようなことがありはしなかったか。それが「原子力村」を作ってきたのではないのか。

  野党も、何でも反対ではいずれは国民に見捨てられてしまう。先ずは、私たちは、自民党に託すことになったのだから、その様子を見守りたい。期待と不安があるが。

  国会では種々の問題を十分審議してもらいたい。国民は自民党を船長とする日本丸に乗っているのだから、タイタニック号のごとく氷山にぶつけないでもらいたい。

(日記 午前10時より鹿谷公民館で「銭太鼓」の指導。3月の出番までには、全員上手になるだろう。可能性はかなりあるように思う。帰宅後、明日発行の『かたせ瓦版』の編集作業。もう少し早く編集作業を始めればよかった。)

 
 

写真や記事の整理

25 12月

簡単ではない分類法
  今日も、部屋を整理整頓しながら楽譜の整理をした。オカリナの楽譜一つとっても、童謡・唱歌、子供の歌、外国の歌、日本の歌、演歌、ポップス、ジャズ、……といろいろ種類があり、楽譜の整理も簡単ではない。親父バンドの楽譜をもあるし。

   また、これまで撮影した無数の写真を、いつでも簡単に呼び出そうとするとよほど分類を上手く考えておかないいけない。自分の描いた絵もまたそうだ。歴史上の人物や一般の僧侶、百姓、侍などたくさんの絵を描いてきた。

  この他、建物なども、一般家屋や城、寺社などを描いてきた。これらもまた、必要に応じて呼び出そうとすると簡単ではない。この他、紙芝居に使ったたくさんの犬や猫や猿等の動物も簡単に取り出そうとしても上手くいかない。

  この他に、文章もたくさんある。これらも分類しながら保存しているつもりだが、上手くできない。パソコンの中のファイルは外から見えないから気分的には楽だが、再利用を考えるとまだまだ工夫しなければならない。

  写真などはその都度、分類しておけば上手く整理できるが、1~2ヶ月分をまとめて整理しようと思うと、整理そのものにもかなりの時間がかかってしまう。この頃、ものを捜すことが多くなった。家の中でもパソコンの中でもだ。

「平泉寺物語」に使った画像(本文とは関係ありません)。

  正に情報過多の時代だ。なければないようにできるので、少しパソコンのファイルも捨てることを考えなければならない。実生活もパソコンの中も「断捨離」が必要だ。「言うは易く行うは難し」をかみしめているこの頃である。

(日記 午前中は、楽譜やCDの整理。少しは捨てたけどまだまだたくさんある。午後は、明後日発行の『かたせ瓦版』第19号の編集を始めた。勝負は明日だ。「何をどう書くか」。悩ましいところだ。)

 
 

クリスマスに思う

24 12月

日本的な行事はないのか
  日本中が、いや世界中がクリスマス、クリスマスと騒いでいるのではなかろうか。子どもたちは、プレゼントがお目当てだろうし、お菓子屋さんは何日も前からケーキ作りに明け暮れているのではなかろうか。

  それから、七面鳥やチキンが食卓に上るだろうし、デパートやショッピングセンターなども、この際とばかりに売り上げを伸ばそうと必死になるだろう。正にクリスマスフィィーバーだ。これらを否定する者ではないが……。

昨晩、家内の誕生日で福井の孫達と「♪ハッピーバースデー……♪」。クリスマスを兼ねたような日だ。

  仏教徒の日本人が、こうも浮かれてばかりでいいのだろうか。家族や友人、地域や世界の人たちのことを思いやり、互いに尊重し合う日になってほしい。自己中心ではなく、周囲のことも考えられる人間になりたいものだ。

  それと同時に、日本発で世界に打って出る精神的なイベントが考えられないのだろうか。仏教徒の多い日本人が考え出した「愛」や「平和」について、家族や地域が自分や周囲の人を思いやり、仲良くする気の利いたイベントができないのだろうか。

 バレンタインーもハローウインパーティーもみんな外国の宗教に起因している行事ではないのだろうか。日本の 「お盆」が「OBON」になるには少し無理な気がする。なければ作るという精神で考え出してもよいのではなかろうか。

(日記 午前中は、奥越の教員OB会の幹事としての事務処理。2年間務めたので次の幹事の大野のHさんに必要なデータを渡した。午後は、100万ボルトでハードディスクやインキやコードを買った。手持ちのデータを整理するためだ。特に、自分の描いた

画像を整理しておけば、自分の描いた4つの紙芝居のキャラクターをいつでも合成できる。「泰澄大師と動物達」

絵をいつでも使えるようにするために整理するためだ。人物や動物や樹木などの背景なども整理しておけばどんな場面にでも使えるからだ。家の整理整頓と共に、パソコンのファイルも使いやすいように整理しておかなければならない。今日は二人だけのクリスマスイブ。福井の孫達も午後帰って行った。二晩私と家内の間に孫(次男)が入り、川の字になって寝た。夜中にけっこう蹴られたけど。)

 
 

道場(寺)へお参りして

23 12月

昔は村の文化センター
  今日は、村の道場で「御正忌」が行われる。浄土真宗の開祖「親鸞聖人」のなくなった日に行う法会のことだ。参加者は、「御燈明料」を持ってお参りするのだ。そして、参加者全員で「正信偈」を唱えるのだ。

  その後、親鸞聖人の一代記を聞かせて頂くのだが、何度聞いても、理解しがたい。少し古いが、日本語で書かれているのに。今日は、道場で貸して頂いた、教本を眺めて文字を追っていたが、それでも理解できなかった。

「御正忌」の参拝者全員で「正信偈」を唱えた(村の道場)。

  そこで、私は、親鸞聖人の紙芝居を作ることを決めたのだが、今はまだ全く描き始めていない。何とか、お参りした者が理解できる程度に紙芝居かしてみたいと思っている。しかし、いつ完成するかは全く分からない。

  二つのお経を聞かせて頂いた後、「ぜんざい」が振る舞われた。おいしい白菜の漬け物とたくあんも出された。参拝した皆さんと話しながら、おいしくいただくことができた。

読経の後、参拝者に「ぜんざい」が振る舞われた。

  昔は、この「御正忌」は、「しちにっつあん」といい、子ども達も、「米ふかし」やみかんや「かち栗(栗を茹でて糸で数珠状につないだもの)」などを持参してお参りしたものだ。子供にとっても楽しみだったのだ。

  この道場だが、私の子供時代には村の文化センターを兼ねていた。また、児童センターのような役割を果たしていたように思う。仏事には、子どもたちも参加し、読経の間は、いろりの周りで雑談したりトランプをしたりしていた。

  そして、説教が始まると後ろの方で来ていたのだ。道場へ行くのは楽しみの一つでもあった。また、「巡回映画」も上映されたし、村の演芸大会なども行われた。

 夏休みには、子どもたちが集まりトランプをしたり、勉強したりしたものだ。今の住職が若い頃、ギターを弾いたりして聞かせてくださった。他にもギターを弾く若い衆がいて、中学生の私もすっかりギターの虜になった。

  ここでの経験が、ギターを始めるきっかけとなった。今、村には集会所があるがこのような役割は果たしていない。道場の果たした役割は大きかった。村の人たちの交流の場であり、楽しみの場であった。

  楽しみが個人的なものになり、テレビやゲームなどが普及して、お寺へお参りする子供は皆無になった。我が家でも、正月だけは、子供も含めて全員でお寺へお参りして一年が始まる。

   しかし、その他の行事には大人の私たちが参加するだけになってしまった。昔行われた様々な行事がなくなり、人と人との交わりがどんどん減ってしまい、代わって、「過疎」、「孤食」、「お一人様」、「孤独死」など、かつてはなかった言葉が生まれてきた。

 道場に集まるのは、かつて道場へ出かけた経験のある人がほとんどだ。道場の暖かさを知っているからだろうか。道場の方も、若い人たちが集まる場として変化を遂げなければならないのかもしれない。

(日記 午前中、道場での「御正忌」に参加。午後は、電気屋でパソコンの付属品を買った。)

 
 

冬休み到来

22 12月

有効使うぞ!時間を
   ここ数ヵ月間、生活に余裕がなかった。自分で勝手に何でもやっているからだ。その中には頼まれたものもあるが、多くは自分勝手にやっていることだ。それにしても、あれこれやり過ぎて、退職者とは思われない生活をしていた。

『ゆめおーれ』で行ったオカリナのクリスマスコンサート。

 最近、「和太鼓」、「地元の郷土芸能(銭太鼓)」、「親父(じいちゃん)バンド」などは冬休み(休止)に入った。今日はオカリナコンサートを行い、これも今日でしばらくお休みだ。「親子太鼓」しばらくはお休みだ。

  ようやく、今晩から退職者らしい余裕が出るだろう。ほとんどが相手のあることなので、その準備は半端ではなかった。編曲、楽譜作り、練習用CD作りなどで多くの時間を割かれた。楽しいが、限りある時間を使うには自分で取捨選択する必要がある。

  私としては、短いかもしれないが、ようやく冬休みが来たという感じだ。この間にしたくてもできなかったことをマイペースでやりたいと思う。その中には創作活動と数学がある。先ずは1月から少しずつ活動を始めたい。いずれも自分一人でできることなのだから。

 今日のクリスマスコンサートだが、終わってみるとまあまあのコンサートではなかっただろうか。聞いている方々がどう思われたのだろうか。演奏した者は、誰もがそれなりの満足感を得られたのではなかろうか。

『オカリナサークルてんとうむし』の演奏風景。

  小さな会場だったので、アットホームな感じのコンサートだった。音楽にはいろんな種類がある。そして、人によって、それぞれ好みがある。演奏する方の好みと聞く方の好みがある程度マッチすると楽しいコンサートになるのだろう。

  童謡・唱歌、ジャズ、演歌、ポップス、ラテン、ジャズ、ウェスターン、ハワイアン、民謡、スクリーンミュージック、タンゴ、クラシック……などいろんな音楽がある。そんな中で、私はあれこれ興味がある。一つに定まっていない。

  いよいよやって来た私の冬休み。最短でも1~2ヶ月はあると思う。今私の気持ちは、夏休みを迎える小・中学生の気持ちだ。あれもやってみたい、これもやってみたいという気持ちでいっぱいだ。計画的に過ごさないと時間はあっという間に過ぎ去ってしまう。

 何をするにも、「プログラム」を」作り、段取りよくやっていきたい。私がいつも心掛けている「毎日パワー」に期待したい。とにかく、一歩ずつ前へ進むことだと思う。「何かはするぞ!私の冬休みの間に!」

オカリナとフルートのコラボで「コーヒールンバ」を演奏。フルートのアドリブはよかったと思う。

(日記 午前9時にオカリナのクリスマスコンサート会場となる『はたや記念館・ゆめおーれ勝山』で会場の準備を行った。その後、もっぱら練習。昼にみんなで昼食を取り、最終の「練習。そして最終準備。午後2時からオカリナコンサート開始。今日のプログラムは、1部 オカリナアンサンブル、2部 楽しいオカリナ(オカリナとそれ以外の楽器のコラボ)、3部 オカリナ体験教室、4部 クリスマスソングだった。来場者にはクッキーとドリンクで持てなした。終了後、会場でお茶を飲んで解散した。帰宅すると福井の孫達がやって来た。いろいろ歌を歌ってくれた。ここ1~2年後には孫達と一緒にコンサートをやれたらと思う。)

演奏会終了後に記念撮影。ご苦労さんでした。