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Archive for 11月, 2012

答のない方程式

20 11月

「解なし」の方程式をどう解くか
  衆院が解散されていよいよ選挙が始まる。各党や候補者達は、「こうすれば世の中はよくなる」、」「こうすれば経済がよくなる」と、自説を吹聴している。しかし、そんなに簡単に世の中を変えられるのだろうか。まるで正解があるがごとく、マニフェストに掲げて政権を狙おうとしている。

 世の中には、正解のない問題、答えに近いものしかない問題、答えがあるかどうかさえ分からないような問題、……といろいろあるのだ。それを全て、自分は正解を知っていると言わんばかりに、自説を述べる人がいる。

  答に近いものを目指して日々努力する姿は尊いが、政界の皆さんの答は素人が考えても、怪しい場合が少なくない。議員の皆さんにもっともっと勉強してほしいと思うが、それは無理かもしれない。ここ数年の大臣の言動をみるにつけ、まるで中学校の生徒会よりも悪い場合もある。本当に国の先行きを考え、知恵を絞って事に当たっているとは思えない。

 地方に目を移しても、県都の駅前の活性化を図るために、どうすればよいのか、いろんな人たちの議論しているが、思いつきで、答え、あるいは答えらしきものが出るほど簡単な問題ではないと思う。しかし、専門家と言われる人たちが、勝手に青写真を描く。行政は直接自分の懐が痛むわけではないので安易に実行してしまう。

  よからぬ結果が出た頃には、当事者は他の部署に異動しているか、退職してしまっている。責任を取る者がいないのである。そんなわけで、あちこちに莫大な費用をかけた無用の長物が横たわっていても、誰も関心を示さない。 

  プロ野球を例にとると、春のキャンプの頃は、どの球団も活躍しそうに見える。しかし、いざシーズンが始まると、指定席に落ちつくのである。選挙のマニフェストを聞いていると、これで少しは世の中がよくなるだろうと期待するが、しばらくすると、各党は力を合わせるどころか、足の引っ張り合いを演じることになる。

   この間、国民は置き去りである。「復興予算がいつの間にか、何でこんなところに使うの?」と、思われるような状況になったいる。国会議員のチェックがなかったのだろうか。それとも、官僚の悪知恵が働いたのだろうか。それとも両者の阿吽の呼吸でそうなったのだろうか。

 今の世の中、答えがないのに、安易に答えを出すか、それとも、先送りをするかのどちらかである。高速道の無料化、ダムの凍結……、あれは何だったのか。各党が前々から議員定数を問題にしていながら、今回「0増5減」さえ実行できない。自分に都合の悪いことは先送り、そうでなけれ簡単に答えを出してしまう。

 私の知り合いに、「バカらしくなった。俺は絶対に選挙に行かんぞ」と意気込んでいる者もいるが、貴重な一票を無視するわけにも行かない。突然話は変わるが、私の予想通りに、I氏が「民・自・公の3党が協力していきたい」と早くもアピールしている。今回の解散は最初から出来レースだったのではなかろうか。

 子どもの頃から、答えがあるかどうかわからないような問題を解く練習をしておかなければ、これからの世の中は、生き抜いていけないのではないか。他人の出した答えを丸呑みにしていればそれで済むような簡単な時代ではない。

(日記 朝から晩まで『かたせ瓦版づくり』。腰が痛くなった。「世の中の出来事に関心を持つこと」がいかに重要か。「愛する」ことの反対が「無関心」とはよく言ったもだ。これは全てに当てはまる真理だ。家内は子守りで福井へ出かけた。一人で食べる晩ご飯はわびしい。家内がおかずを作って行ってくれたが、それでも……。)

 
 

貴重な「晴れの日」

19 11月

することがいっぱい
  この頃は晴れの日が少ない。一日快晴だったかと思うと、急に雨の日が続く。冬を前に、晴れた日しかできないことがいくつかある。雨が降れば降ったですることがあるが、北陸の晩秋は晴れの日にすることが多い。

家の玄関周辺の雪囲い。晴れの中でラジオを聞きながらの作業は楽しい。

  今は、勤めに出ていないので、晴れた日を待ち、作業をすればよい。しかし、仕事を持っていた時代には、休みの日が晴れないと困る。昨日は雨が降り寒い一日だった。サラリーマンの皆さんには残念な一日だったかもしれない。今日は快晴だったので、余計残念だったかもしれない。

 今日は、天気予報通り快晴だ。順序よく作業をやらないと、一日が無駄になる。家内と相談して、今日やることを決めた。先ず第一は、雪囲いだ。この前は、樹木の一部の雪囲いをしたが、家の周囲はまだだったので早速作業を開始した。

  昼食後、里芋の一種である「唐の芋」と「八つ頭」を収穫した。まあまあのできだった。その後、秋ジャガの収穫。一畝の半分だけを穫ることにした。春とは比べものにならないくらい大きなジャガイモが収穫できた。

 初めて秋ジャガイモを収穫したが、こんなにたくさん食べられだろうかと思うぐらいの量だった。また、子ども達に送ることができる。その後、法人の農舎横にある糠をビニール袋に入れて自宅へ持ち帰った。米糠燻炭を作るためだ。

 帰宅してから、再び雪囲いを継続。今日は家の前の雪囲いだけ終えることができた。あと一日で雪囲いは完成するだろう。天気予報通り、夜には雨が降ってきた。日本晴れのような快晴から一転して雨が降るのだ。まさに、女心と秋の空だ。とにかく、晩秋は、晴れが一番ありがたい。

晴れ間を利用し。急いで収穫した秋ジャガイモ。まだ、半分以上が畑に残っている。

(日記 午前中も午後も雪囲い。途中で、「唐の芋」、「八つ頭」、「秋ジャガイモの収穫。夕方は、オカリナの編曲作業。夜は、オカリナ教室。12月のコンサートに向けて練習。いつもの倍の時間練習した。少しでもよく聞こえるようにと編曲作業には気を遣う。大変ではあるが楽しみでもある。)

 
 

経験不足

18 11月

実体験の不足
  今日たまたまテレビを見ていたら、二人の国会議員(民主党の細野氏、自民党の甘利氏)と橋下大阪市長、コメンテーターなどが消費税や原発などいろんな問題について話し合っていた。しかし、討論では国会議員は太刀打ちできないような感想を持った。

 それは、国会議員の現場感覚のなさから来ているのではないかと思った。現在の政治は、多くの問題を国が決め、地方がそれに従うことが多い。あまりにも多くのことを国が決め、地方はそれに合わせて動かなければならない。これでは、特色ある地域を作りにくいのではないかと思う。金太郎飴だ。

越前大仏の駐車場で行われた4選を目指す山岸市長の出陣式。

  そうなると、必要のない施設を地方が作り、それになけなしの金を使わなければならないことが多い。机上で官僚が考え、それを議員が決めていろんな政策を実施していく現在の仕組みを少し変えないと、地方はよくならないのではないかと思う。

  国を動かす、数百人の議員や官僚の中のどれだけの人たちが、現場の経験を積んでいるのか気になるところだ。幼い頃から学校や塾との往復、予備校などを経て難関大学へ入学し、各省庁へ入る。こうした人たちが,国民の本当の要望や痛みを実感できるのだろうか。

  テレビに話を戻すと、地方の事情をあまり知らない二人の国会議員が完全に「あなた方は何も知らない」と橋下市長に責められていた。民主と自民が原発などでは責任のなすり合いをしていた。司会者が、何度も「これからどうするかを話しましょう」と二人をいさめていた。

  教員ならば、理解の遅い生徒の気持ちをどれだけ汲んで指導しているのか。農政を語る議員や官僚がどれだけ農業の問題に精通しているのか、気になるところだ。最低3年間ぐらい土と格闘し、現場で何が起こっているのかを体験してから、政策立案に携わっても遅くはないのではないか。

仏母寺で行われた開山忌。お参りをする人は少なかった。読経の後、五百羅漢についての講話があった。

  いずれにしても、今の世の中、世襲の政治家が横行し、庶民の苦しみや、地方行政の問題点をろくに理解しないまま、政治家として活動しているように思われる。首相も1年余りで次々と交代し、大臣も同様に短期間で交代する中で、本当の政治ができるのか。

  アメリカの場合、大統領のほとんどが州知事や州の要職を務めている。いいか悪いかは別として、中国の最高指導者に上り詰めた習近平氏も同様に省の要職を経験し、貧しい田舎での生活も体験している。

 これに比べて、日本の場合には、県知事が、いきなり首相になるようなことはあり得ない。がんじがらめの中で埋没してしまう。派閥の中で動きがとれなくなってしまう。そうした中で、弁の立つ者がタレントとして活躍している。リーダーの出にくい世界だ。裏では多くの金が動いていることだろう。

   実体験の少ない人が国を動かすことが少なくない。机上で考えた政策を実施することが少なくない。社会での実体験をほとんど経験していない世襲の政治家が今回も横行するのだろうか。日本の夜明けは遠い。出でよ!実体験の豊富な実務的、理論的政治家!

(日記 午前8時半より、4選を目指す山岸市長の出陣式に出る。午前10時半より仏母寺で行われる開山忌に区長として参加する。午後は、NHKの日曜討論(録

出陣式の帰りに見た田んぼの稲。刈り取った後なのに、稲穂が出ていた。鶏の餌にでもできそうだ。

画)を見て少し昼寝。その後、オカリナの編曲作業。1曲だけでもかなり時間がかかる。午後11過ぎにようやく2曲目の見通しがついた。)

 
 

政界の行方

17 11月

やっぱり出てきた石原おじさん
  今から2、3年前だったと思う。退職公務員の総会があったので出席した。。政界の行方についての講演があった。講師は、政界の裏話などをおもしろおかしく語ってくれた。非常に興味があった。そして、講演の終わりに質問の時間が設けられた。

  私は、「石原東京都知事が国政に復帰することはありませんか。」と質問した。当然、総理を狙うことがないかという意味も込めて質問したのだ。しかし、講師は明快に否定した。「年を取り過ぎている。復帰はありません。」と講師の先生は「石原氏は過去の人である」とばかりにきっぱり答えられた。

  私は、石原氏は不本意な気持ちで国政から引退して知事に転身したのだが、納得はしていないだろうと当時から考えていた。生きている限り国政に復帰して頂点を狙うだろうと思っていた。しかし、私の質問は参加していた人たちから不思議に思われたかもしれない。

 というのは、2、3年前でも石原氏は80歳に近い高齢者であること、国会議員を引退したこと、そして東京都知事をつとめていること等から、国政に復帰して頂点を狙うなどとは誰が考えてもあり得ないことだと思われたかもしれない。私の質問は、唐突に映っただろう。

  しかし、私は、「男の中には、自分の生き方に納得できなければ、とことん勝負に出る人種もいる」と当時から確信していたのである。しかし、石原氏は新党を作るとか、作らないとか、最近迷走しているような発言を繰り返していた。しかし、私は、彼はまだ人生に区切りを付けられないでいると考えていた。

  私の予想通り、石原氏は、最後の勝負に出てきたのである。作家だけでは人生を締めくくれなかったようである。しかし、石原氏が、自分の描いた夢を実現できるかどうかは、国民一人一人の一票にかかっている。果たして結果はどうなるか、私は予測できない。

 私の予想は、政界再編は行われるだろうと思う。政界は、「昨日の友は、今日の敵」でもあるが、「昨日の敵は今日の友」にもなる。一寸先は闇である。「猿は木から落ちても猿である。しかし、政治家は選挙で落ちたらただの人である。」といわれる。政治家の誰もが望むことは、先ず、選挙に当選すること、その次が、与党になることであろう。

『親子太鼓教室』で左義長太鼓の練習をする子どもたちとその保護者。みんな上手になってきた。

  第3極の出方によっては、民主党と自民党が組むことも十分ありうると考えている。国民不在の政治だけは止めてもらいたいと思うが、簡単なことではないだろう。国会議員の定数削減も、先送りされてしまった。

  消費税だけが上がることのないように、与野党が十分議論して十年後、三十年後、五十年後の人たちが安心できる世の中を作ってもらいたい。誰もが応分の負担は覚悟しているのだから。

(日記 雨が降ったので雪囲いができない。午前中、クリスマスコンサートのオカリナの編曲作業。午後も作業継続。午後4時より『親子太鼓教室』。今日は、『左義長太鼓』の練習。子どもも大人も少しずつ上達している。午後7時より『農事組合法人かたせ』の「収穫感謝祭」と「里芋即売会」についての会議があった。)

 
 

雪囲い

16 11月

冬は創作シーズン
  平地にも雪が降った。いつもより早いので積もるとは思わなかったが、いよいよ冬が来る。急に雪が降って困るのは、庭木だ。枝を広げているイチイの木などは枝が折れてしまうからだ。父親の代から伝わる木だけに折れてしまっては申し訳ない。

 急に雪が降ったので、 2、3日前から雪囲いをしなければと思っていた。晴れる日が待ち遠しかった。天気予報通り、今日は朝から快晴。早速、樹木から雪囲いを始めた。例によってラジオを聞きながらの作業だった。雪囲いを始めると、今年も終わるのだなあと思う。それと同時に、あっという間に雪囲いをとる春が来るだろうとも思った。

イチイの木の雪囲い作業。細い丸太で骨組みを作り(左)、割竹で編んで完成(右)した。この木の雪囲いが一番手間がかかる。

  冬で一番困るのは、屋根の雪下ろしだ。屋根から落ちる危険があるからだ。こうした作業を除けば、“冬もまた楽し”だ。それはたくさんの自由な時間があるからだ。それに、除雪以外に外での作業はできない。農作業はしたくてもできないのでので、落ち着いて“創作活動”に時間を費やすことができるからだ。

  今年の冬は何をしようか、あらかじめ決めて、のんびりとパソコンの前に座ることができる。ストーブで部屋を暖め、机の上にあるパソコンで歌を作ったり絵を描いたり、文章を書くなど、好きなことを始めることができる。ときには、テレビ(の音声)を聴きながらこたつの上のノートパソコンで作業をすることもできる。

  あるとき、市営プールのサウナの中での雑談の最中に、都会から田舎へ戻ってきた人が話したことを思い出した。「雪国はどうしようもない。屋根融雪にすれば一冬に何十万と油(のお金)がかかるし、雪下ろしを頼めば何万と金がかかる。いなかは人の住むところではない。」とさんざん文句を言っていたことを。

  それもまた事実であろう。冬に楽しみがなければ、不便なところばかりがクローズアップされるであろう。しなければならないことばかりが頭に浮かぶであろう。しかし、厳しい冬を経た者でなければ、春のよさを実感できないであろう。春の来ない冬はないのだ。

  有言実行で、今年の冬も何か作品と呼べるものを作りたい。退職以来、しようしようと思いながらできなかったことを、今年の冬こそがんばってみたいと思う。そんなことを思うと、冬も待ち遠しくなる。気の持ちようでどうにでもなるのだ。

(日記 午前中、雪囲い作業。途中で、樫の木の枝打ちを行った。我が家のシンボルの樹木だが、枝が茂り、たくさんの葉を落とすので困る。しかし、樫の木そのものを切るのはよくないと友達が言う。「樫(かし)」は「貸し」に繋がり、人に貸すほど金が貯まるという縁起のよい木だという。そう言われると簡単には切れない。午後も作業を継続。雪囲い作業をまだ2、3日はかかるだろう。)

 
 

「雑談」の効用

15 11月

脳の活性化
  私は、雑談が大好きだ。といっても、後ろ向きの話や誰かの「自慢話」を延々と聞いているほど時間の無駄遣いはないと思っている。「よし、明日からも元気でやるか」という前への意欲が湧かないからだ。

  といっても、村の組合での共同農作業では昔話や農作業や作物の栽培法など、いろんな話が飛び出し、その中から今の時代に必要なものをくみ取りことができる。昔の生活の中での大事なものが再認識できる。

  今日、NHKテレビを見ていたら、雑談の効用が話されていた。あの「きんさん、ぎんさん」の「ぎんさん」の四人姉妹が『クローズアップ現代』に出ていた。彼女たちの平均年齢は93歳だそうだ。

  毎日、四人で雑談しているらしい。長寿について研究している学者が脳の働きを調べていた。それによると、脳の血流は、気楽な雑談をしているときは、かしこまって話をしているときの二倍以上になることが分かったのである。

里芋掘りの合間の休憩時間。作業中も雑談をしていたが、休憩時間は誰かの持ってきた柿を食べ、組合から出されたクッキーを食べながら楽しい語らい。退職してから農作業が楽しくなった。

  雑談をしていると、一人で話すのとは違って、 「そう言えばそうだった」と思うことが多くなるのだ。これは、脳の強化にはとても有効であるらしい。記憶力の強化になるからだ。脳の血流が多くなるということは、認知症の予防にも大きな効果があるそうだ。

  昔は、家族でも話すことがかなり多かった。というのは、農作業などは家族で一緒にしなければならないからだ。当然、話す機会が多かった。また、ゲームやテレビ等の娯楽もなかったことから、日中は友達と過ごし、夜は「いろり」の周りにいる時間もかなりあった。

  また、隣近所の人たちとも共同で作業をする「結」が当然のように行われていた。子どもも含めて、ずらりと一列に並んでの田植え。子どもは大人の半分ほどの「列」を受け持って田植えをしたものだが。

  こんなときは、それこそ雑談のオンパレードである。集団の中には、必ずユーモアのある人がいて、常に笑い声が絶えなかったのだ。人と人とが話す機会は、好むと好まざるにかかわらず、たくさんあったのである。

  研究者が言うには、「“雑談”が認知症や若返りに効果があるのは分かっているが、現代は逆の方向に向かっている。」とのことだった。高齢化するほど、孤立していく傾向にあるというのだ。

  普段気の合わない者同士が、歳を取ったからといって、「急に話をせよ」、「雑談をせよ」と言われても無理だろう。若いうちから、地区の人同士が気楽に話せる環境を作ることが、最後には住民一人一人のためになっていくのだと思うが、果たしてどれくらいの賛同者がいるだろうか。

(日記 朝起きると、雪が振っている。北谷地区では機能から除雪車が出ているという。いよいよ冬か。観葉植物を玄関や家の中へ入れた。その後、区の事務作業。午後は、宝くじ補助金の申請作業の続き。書類は一応役所に提出したが、他に、物品のカタログなどを揃えなければならなかったからだ。家内は、今日も、福井の娘のところへ子守りに出かけた。二人とも仕事で帰宅することが多いので保育園からの迎え等を手伝うためだ。夜は家内の作っていった豚汁を一人で食べた。わびしい。)

 
 

「児童厚生員」研修会で

14 11月

情熱は伝染する
  今日、午後1時半より、児童館職員である児童厚生員に向けて話をすることになった。話すことは大好きだが「何を話すか」が問題だ。「子どもの様子の見方」と「保護者への対応」についても話してほしいとあらかじめ連絡があった。

  指導員の膝に乗ったり、だっこをねだるなど「赤ちゃんがえり」をする児童がいること、言動に問題のある保護者への対応などを聞かせてほしいとのことだった。また、児童館職員としての心構えも話してほしいと言われていた。

講師紹介。過去のことを紹介してくださったが、私は今を生きることで頭がいっぱいだ。(福祉健康センターすこやか)

  話すことはいろいろあるが、先ずタイトルを『情熱は伝染する』とした。それは、児童館のように、不特定多数の子どもが来たり来なかったりする状況で子どもたちを指導するには児童厚生員の前向きな姿勢が必要であると感じたからである。

  職員の姿勢が子どもへの成長に大きく影響すると考えたからである。魅力ある職員になってほしいと思う。子どもと職員の人間関係ができていれば、保護者との意見の食い違いも何とか克服できるのではないかと思う。

  児童と職員の信頼関係をなくして、保護者と職員が理解し合うことは非常に困難であると思うからである。遠回りでも、この方が近回りであると思う。

  もし、私が職員だったら「先ず自分自身が前向きに生きる」ことから始めると思う。そうでなければ、子ども達にとって魅力ある職員(先生)になれないと考えるからである。

若い皆さんへの話はとても楽しかった。いい意味での緊張感もある。

  次に、毎日通ってくる生徒に目標を持たせ(児童自身が目標を考えることが望ましい)、それに向かって毎日少しずつ努力していくことをすすめたい。半年後、一年後、いくらかでも進歩していれば、子どもたちはこつこつ努力することの大切さを実感できると思う。

  これは、また職員(先生)の信頼を得ることにもつながっていくであろう。こうした前提がなければ、モンスターペアレントとは形式的にしか対応できないと思う。人間というものは理屈では動かない動物であるからだ。

  こういうことをベースに、「ことばの力」、「コミュニケーションの大切さ」、「児童理解」、「存在感と自己肯定感」、「子どもに家庭はあるか」、「地域に子どもを育てる力があるのか」、「モンスターペアレントの出現」、「子どもをどう見るか」、「保護者への対応」などについて話した。

 最後に2、3の質問を受けて話は終わった。若い人たちと話すことができてよかったっと思う。私も改めて、前向きに生きていきたいと思う。健康維持については、まだまだ改善の余地がある。反省、反省。

(日記 午前中は、今日の話の資料づくり。アグリー(パワーポイント型プレゼンテーションソフト)での資料づくりだ。午後1時より3時まで市の児童厚生員の研修会で話をした。「先生方はまだまだ若い。いろんな可能性が自分にも子どもにありますよ。」とエールを送って話を終えた。気分よく帰宅することができた。天候は、11月らしく雨やみぞれが降り、冬の前触れだ。雪囲いはまだだが雪が降るまでには晴れる日もあるだろう。)

 
 

「花」と心を通わせられるか?

13 11月

毎日世話をしているとそんな気持ちになる
  数日前、図書館で「子育て」や「いじめ」に関する本を8冊借りてきた。今日はそれらを読みながら、自分の考えをまとめていた。というのは、明日、児童館の先生方に話しをすることになっているからだ。

  その中にこんな一節があった。
【植物は「きれいだね」と毎日語りかけられると、きれいな花を咲かせ、逆に「枯れてしまえ」と毎日言われると、すぐに枯れてしまうそうです。……。これらが科学的に正しいかどうかは疑問ですが、口に出して言ってい感謝の気持ちがわいてきたり、言い続けているうちに、現物以上にきれいにみえるという暗示効果はあるでしょう。逆に「枯れてしまえ」と言い続けたら、無意識に扱いがぞんざいになるのかもしれません。……。】

愛車の軽トラの上でプランターの土を作る家内。

  今日は家内と、地区の集会所前のプランターに色とりどりのパンジーを植えた。今から、ゴールデンウイーク頃まできれいな花を咲かせ続けてくれるはずだ。 

  6月初旬に植えたベコニアは今でもきれいな花を咲かせ続けている。今年の夏もかなり天気がよかった。炎天下に置かれた花々はそんな猛暑を乗り越え、近くを通る人たちの心を和ませ続けてくれた。

  この花々も、水をやる量が少ないと翌日には葉が丸まって水を要求しているのがわかる。たっぷり水をやると、翌日は、いつものようにしっかりと花も葉も元気に伸びているのだ。

  私は、集会所の50本あまりのベコニア、マリーゴールド、サルビアなどにこの半年近く水をやり続けたが、その間、花と対話できたように思う。感謝したり、わびたりしての半年だった。

今日植えたパンジーの前で一休み。。

  今日、それらの花の一部を新たに購入したパンジーに植え替えた。抜き取った花には、感謝の気持ちと申し訳ないという気持ちがわいてきた。半年間つきあった友達が去って行く気分だ。

  数週間前に植えたパンジーやビオラは、プランターの中でしっかりと根を張り、すでにきれいな花を咲かせている。雪の冬を乗り越えて、春には再びきれいな花を咲かせ、私たちの区民の目を楽しませてくれるであろう。

  区民の中には、この『四季折々の花のさくまちづくり事業』に賛同して、表通りにプランターを並べてくださっている。おかげで区民の協力により村のメインストリ-トは花街道になりつつある。花はプランターの中だけでなく、区民の心にも咲きつつあるように思う。

(日記 午前中、明日の研修会の資料づくり。午後は、エンドウを植える場所を耕した。今年は、塩茹でした大好物のエンドウをたくさん食べることができた。来年もそうありたい。その後、集会所前の木製や竹製のプランターに家内と二人でパンジーを植えた。

我が家のキウイ。昨年の10分の1の55個しか収穫できなかった。その分、少し大きめの実を収穫することができた。残念ながら、キウイはイチジクと違ってこのまま食べることができない。リンゴなどとしっよに密閉した袋に入れて追熟しなければならないのだ。

パンジーやビオラは今も花が咲いているが、来春、雪の下から顔を出すきれいなパンジーを想像しながら植えた。午後7時半過ぎに、息子の友人のYくんがパソコンの設定に来てくれた。会社の帰りに寄ってくれたのだ。今回購入して小型モバイルパソコンにはCDを入れる口がないのだ。そこで、デスクトップパソコンににインストールするCDを入れ、それを無線でモバイルパソコンに飛ばしてインストールするのだ。私にはとうていできそうにない作業だ。彼がいなかったら、私はパソコンをほとんど活用できないでいただろう。彼は私のかかりつけのパソコンドクターだ。ついでに、大きめのノートパソコン(これはこたつの上で使うために買ったものだ。このパソコンにヤフーメールを設定してもらった。これでこたつに入って自由にメールができる。)

 
 

「存在感」

12 11月

人間の性
  人は誰でも「自分の存在を認めて欲しい」と思っている。意識する、しないにかかわらず「自分が存在していることを他人に認めて欲しい」と思っている生き物だ。

  これは、大人・子ども、男・女に関係なく誰もが持っている感覚だ。もちろん私も例外ではない。問題は、何で他人に存在を認めてもらおうと思っているかだ。あえて意識しているわけではないが、この感覚は自分の身体の中にある事は確かだ。

 自然に振る舞っていても、自分の存在が相手に伝わる人、無理に自分の存在を相手に認めさせようとしている人、いろいろある。このこと自体は悪いことではない。人の進歩を支えている部分があるからだ。

  派手なファッション、ブランド品を持つことを強く願う人、高価な品を買う人、何かチャレンジする人、金で人を動かす人、勝ちに必要以上にこだわる人、政治家等もこの傾向が強い。

 周りを見渡すと、「とかく相手の弱点を指摘しなければ我慢できないような人」がいる。オレは完璧な人間だと言わんばかりである。存在感はあるが、相手にしたくない人種である。おそらく仲間からどんどん疎んじられるであろう。

  また、「過去の自慢話」ばかりしたがる人がいる。しかも、事あるごとに同じ話を繰り返すのだ。特に酒を飲むとひどくなる。私に言わせれば過去に生きる人だ。地方の政治家に多い。

  これも鼻持ちならない。少なくとも、過去は胸の中にしまっておいて、今を生きたいと思う。自分の力以上自分を大きく見せようとしている人もいる。オレはこんな有名人と付き合っているのだ(あるいは知りあいだ)と言わんばかりに。

 周囲の反面教師から学び、無理なく己の信じるところへ向かって進み、結果的に一人でも自分を認めてくれる人がいればそれでいいのと思う。自然体、これが私の望む生き方だ。我ながらまだまだ人間が出来ていない。

(日記 午前中は、宝くじの補助金申請事務。午後2時頃までかかった。見積書を取りにあちこち歩いたりしたからだ。午後は、オカリナ演奏会のための編曲作業。そして練習用CDづくり。午後7時半よりオカリナ教室。演奏会の打ち合わせなどもあったので午後10時近くまでかかった。私の最大の仕事は、編曲作業だ。私がオカリナ教室に関わっているからには、少しでもよいコンサートにしたい……と、無意識に自分の存在を認めてもらいたいと思っているのかもしれない。悪いことではないだろうが、無理をしないようにしたい。)

 
 

『北谷町文化祭』に初出演して

11 11月
『組み立て舞台』譲渡のお礼に

  今日は『北谷町文化祭』。私たち銭太鼓保存会に出演依頼があった。私たちは快諾した。というのは、北谷町から『組み立て舞台』を無償で頂いたのだ(もちろん区としてささやかなお礼をしたが)。 

『片瀬豊年ばやし』の演技。ステージが狭いので踊りは舞台の下で。

  おかげで今年の秋祭りには、この舞台を使って小・中学生女子による『浦安の舞』、和太鼓の『野良打ち』、『獅子舞』、そして銭太鼓『片瀬豊年ばやし』を演じることができた。 

  『組み立て舞台』を頂いたのはありがたいが、その理由は過疎化により外での夏祭り(恐竜祭り)を開催しなくなったからだという。そこで、この舞台は長年公民館の倉庫にしまい込んであったというのだ。 

  北谷町の人口は明治の頃には3,000人あまりであったのだが、近年は100人あまりに激減してしまったのだ。かつては、炭焼きなどの山仕事があり、たくさんの人が食べていけたのだ。

  それが、炭や薪などを使わなくなり、働く場がなくなってしまったのだ。また、市全体を考えても、魅力ある働き場がなく、大学進学や就職で市外、県外へ出た者がふるさとへ戻ることはほとんどなくなってしまったのだ。

 

歌に合わせて挿入芸「餅つき」を演じる女性メンバー。男がみんな餅つきに失敗した後の逆転の演技だ。

  少子高齢化による過疎化は、我が勝山市だけの問題ではない。また、勝山市の中でも過疎化しているのは山間部だけではない。役所まで車で5分あまりでいける我が集落でもそうだし、市役所や本町界隈の中心市街地でも同様だ。 

  「持続可能」という言葉は、現代社会の一つのキーワードだ。この問題を解決すべき重要課題の一つは、働く場の確保ではなかろうか。そのためには、「既存産業の充実」、「企業誘致」、そして、「起業」が必要だろう。 

   私は、最後の、「起業」に最も興味を持っている。かつて、NHKテレビで、シリコンバレーの特集をやっていた。この地が、I T の先進地になったのは、ヒューレット・アンド・パッカードの二人が先駆者として会社(HP)を起こしてかららしい。 

  テレビを見た当時は、グーグルなどの発展期であった。その頃のシリコンバレーには、約5,000社があり、毎年1,000社が廃業するらしいが、毎年1,000社が新しく生まれるとのことだった。この新陳代謝がまちを、国を活性化させているのだ。 

芸に挿入した「餅まき」。今朝(業者が)ついたばかりの軟らかい餅を播いた。

  「なければつくる」の精神で我がまちでも活気を産み出してほしいと思う。それには、他人に期待するのではなく、誰もがそのような気持ちで前向きに生きて行くことが重要ではなかろうか。 

  私たち銭太鼓保存会一行は、午前11時に北谷公民館へ向かった。控え室で簡単におにぎりや豚汁を頂いて、着替え。正午から、舞台で銭太鼓『片瀬豊年ばやし』を演じた。 

  今日は餅つきバージョン入りだったが、演技に合わせて餅まきも行った。いつかは、舞台で音楽に合わせながら、本物の餅をつき、それをまきたいと思う。20年ほど前には、結婚式の和太鼓アトラクションで実際に舞台で餅をついたこともあるのだから。 

  北谷地区の、超過疎化の問題は、順を追って他の集落にも広がってくるのは間違いがない。都会へ出てしまうのではなく、暮らし方を変え、豊かな生活を送る方策を考えてみたい。かつての「出づくり」は参考になるかもしれない。 

演技の後、北谷町の皆さんに私(右端)から感謝のお礼。

(日記 午前中は、招待されていた『越前大仏シンポジウム』に参加し、住職である山川宗玄老大師の講演「基」を聞いた。その後、『北谷町文化祭』で銭太鼓『片瀬豊年ばやし』を演じた。帰宅後、大野市まで足を伸ばして「パンジーの苗」30本を購入。その後、再び、越前大仏へ戻り、スリランカ出身のウィッキーさんの講演を聴いた。とても面白かった。午後疲れて少し昼寝。午後7時より横浜に住む長男家族とウェブカム(テレビ電話)。二人の孫達のダンスに感激。今春生まれた3番目の孫もだんだん成長してきた。) 

越前大仏シンポジウム。住職山川宗玄老大師(左)の講演とウイッキーさん(右)の講演。

 

ウェブカムで本を読んで聴かせてくれた横浜の孫。