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雪、雪、雪・・・

25 1月

雪の負の面ばかり強調するマスコミ
ここ数日、雪に関するニュースが多い。その多くは、雪によるマイナス面が強調されている。東京では、わずか数センチで大騒ぎだ。よくぞあのつるつるの路面を普通タイヤ野車が走るなあと感心してしまう。

底の平らの靴を履いているため、滑って転んで怪我をする人が続出しているというニュースも多い。滑らない履けばいいものをと思ってしまう。

片瀬にも、除雪のために、ブルトーザーが早朝と昼の2回、やって来た。屋根の下から、一階の屋根の先端の雪を落とした。その後、午前と午後の2回、除雪機を動かした。

確かに、雪はマイナス面が多い。この調子では明日は屋根の雪下ろしをしなければならないかもしれない。簡単な作業ではない。

家の玄関前。庭木も雪だるま状態。雪囲いを外す春が待ち遠しい。

雪は、降り出したら止まらない。雪が降らない土地へ移りたいと願う人は少なくない。かくして、雪国の過疎化は年々進んでいく。冬は、確かに過酷な屋根の雪下ろしが待っている。

しかし、雪下ろしは、多い年は3度ぐらいにはなるけれども、平年は2回ぐらいだ。昔は、どの家も家族が多かったために、かなりの雪が降っても、家族総出で屋根に登って雪下ろしをしたものだ。

かつては、さほど苦になる作業ではなかったが、近年は若い者が都会へ出てしまったために、残された高齢者にはきつい作業となっている。我が家もそのような状況にある。

雪国では、毎日雪下ろしをしているわけではない。かつては、雪国独特の文化があり、豊かな食生活ががあったのだ。冬に備えて種々の漬け物や加工食品を作り、家族がそれらを味わったのだ。

今日は、旅の番組で、そんな文化の一端に触れる番組があった。雪国も捨てたものではないなあと思わせる番組だった。また、雪や氷を生かしたイベントも紹介されていた。

かつては、村の人達は、春の農作業に備えて、冬は藁仕事をしたのだ。米俵を編んだり、縄を作ったり、農作業や日常生活に使う藁製品などを1カ所に集まって作っていたのだ。

親爺達が、藁仕事の場所で、時々花札などをして楽しんだりしていたのを私は知っている。冬もそれなりに充実した生活があったのだ。

あるとき、会合で特に雪の多い地区に住む人達の嘆きを聞いたことがある。私は、「雪のマイナス面ばかりに目を向けていると、悲しくなります。雪があるからできることを考えてみませんか。」と提案した。

今、その地区では、雪を使った独特のイベントを行っている。「沖縄では、逆立ちしたって雪を降らせることはできません。せっかくある雪を活かすことを考えることも必要ではないでしょうか」とも話したことを覚えている。

雪があるから、春が待ち遠しいのだ。特に、雪国の者には春は格別のものだ。左義長囃子が聞こえる頃になると、「春だなあ」と思える。私にとっては、冬は創作活動の季節だと思っている。物事、マイナス面ばかりに目を向けないで、プラス面を考えてみることも必要ではなかろうか。

(日記 早朝から、ブルの音が聞こえる。雪が降ったんだなあと思う。午前と午後、今年買った除雪機を動かした。屋根の端の雪を下から落とした。ジャズの編曲作業。今週末の親爺バンドの合宿までにはCDにしておきたい。家内の話では横浜は晴れているのだという。一人暮らしで気をつけなければならないことは栄養の偏らない食事だと思っている。特に、野菜不足にならないように気をつけている。それにしても、一人暮らしは不経済だ。風呂にしても食事にしても、煖房などにしても。)

 
 

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