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Archive for 11月, 2011

中国技能実習生と楽しい一日

10 11月

研修講座で歌とダンスも
   一月ほど前に、「新しくやって来る中国技能実習生の研修会で何か話しをしてほしい」と依頼された。自分としては、楽しい活動だと思う。そして、今日がその研修を引き受けた日だ。

プロジェクターで写真を示しながら、日本の生活について講義をする私。

   言葉をあまり理解できない人達に何かを話すには言葉だけでは無理だと考えた。私は、パソコンで奥越の季節の移り変わり、日本人の生活スタイル、行事、観光地などの写真をプロジェクターで示しながら話すことに決めた。

  しかし、その教材を作るために大変時間がかかった。ここ、一昨日、昨日はほぼ半日、昨日は午前中と夕方から真夜中の2時半まで作業を続けた。今朝は、午前7時に起きて昨日の作業の続きを行って完成させた。

  午前9時に研修所へ着いた。まずは、スライドを使って日本の様子を伝えた。通訳を入れての説明なので、1時間のつもりが1時間半、時間がかかった。みんな熱心に聞いていてくれた。時々、日本語の練習もしながら講義を進めた。そして、ここで休憩。

  続いて、2限目は、私のアコーデオン伴奏で「ふるさと」と「四季の歌」を指導した。妻の春美もいっしょに来ていたので、研修生と一緒に歌ってもらった。歌詞を黒板にひらがなで書き、少し意味を説明した後、歌ってもらった。

アコーディオンで伴奏しながら日本の歌を指導する私。

  全員で歌ったり、二人ペアで歌ってもらったりしながら「ふるさと」と「四季の歌」を練習した。3限目は、ダンスだ。本当は2曲踊ってもらおうと思ったが、時間の都合で1曲になった。

   盆踊りで踊られる「越前千本搗」と「ときめきのルンバ」を用意していったが、若人が多いので「ときめきのルンバ」を踊ってもらうことにした。それぞれ、部分的に上手な人がいたので、それらを大いに褒めた。終始笑いが絶えないダンスの授業となった。

   結局、半分は日本についての座学、残りの半分は歌とダンスの実習となった。平日は日本語の練習など座楽が多いと聞いていおるので、今日は身体を動かすことを考えて出かけた。みんなの笑顔がとてもよかった。とても楽しい研修となった。日本語が上手になった彼らと再び会いたいと思った。

(日記 午前中は、中国技能実習生の研修会に、講師を務め、日本の生活等について話し、歌と踊りを指導した。午後は、部屋の

リズムに乗って「ときめきのルンバ」を踊る中国技能実習生。笑いの絶えない時間となった。私(右から2番目)も一緒に踊ることができて楽しかった。

整理。思い切って捨てられない自分を情けなく思う。いつかどこかで役に立つのではと思う気持ちがある限り、ものを減らすのは大変なことだと痛感した。しかし、毎回、捨てる「モノ」は確実に増えていると思っている。)

 
 

和太鼓の反省会

09 11月

感謝の清掃と反省会
  「JA祭り(和太鼓で出演)」の終わった日、 メンバーの一人から、メールが来た。「お疲れ様でした。……。9日(水)いつもお世話になっているお礼に児童館(事務所)の掃除をしようと思います。7時から開けてもらえますか?」というものだった。

JA野体育館で出番を待つ春駒太鼓のメンバー

   その日が今日だった。午後7時頃、メンバーが現れた。そして、私の事務所(児童館)の清掃を始めた。ゴミを取り、ガラスを拭き、ぞうきんで床を拭いてくれた。とてもありがたかった。

   その後、車庫に置いてある大太鼓を全員で所定の位置に戻し、反省会の会場へ向かった。そこで、JA祭りの和太鼓のビデオを見た。まあまあのできではなかったかと思う。今後のことや、次回の出番のこと、練習のことなどを話した。

  こんな若いメンバーと一緒に太鼓をやれるとはうれしいことだ。常に、メンバーと共に新しい試みにチャレンジしていきたいと思う。私が曲の骨格を考え、メンバーがそれらを改善し、削ったり加えたりしながらを仕上げていくのだ。

  振り付けはメンバーに任せている。一緒に曲を作り上げる楽しさがある。創作のおもしろさがある。創意工夫をこらせば、まだまだよくなる可能性がある。創作なくして芸事はあり得ないと思っている。

事務所やスタジオを掃除するメンバー。ありがたいことだ。

(日記 遼日産業の新しく来日した中国人研修生のための教材を作った。午前11時頃、研修センターへ行ってみた。プロジェクターの調子を見るためだ。そこで、明日話すことになっている6人の研修生を会った。皆、素直そうで前向きであった。この調子なら短期間に日本語を覚えるだろうと思った。午後は、最後の里芋掘りを行った。今年は、生まれて初めて自分で里芋を作ったのだ。昔は両親が里芋を作っていたが、自分の代になってからは里芋を作ったことがなかったのだ。来年は、少し改めるところがあると思った。午後7時から事務所で太鼓のメンバーと部屋の掃除。その後、居酒屋でビデオを見ながら反省会。週末に孫達が帰省するという。とてもうれしい。会うのは夏休み以来だ。)

 
 

何を伝えるか

08 11月

奥越で働く中国人研修生にスピーチ
   JA祭りが終わり、自分の忙しさもようやく峠を越したようだ。最後に準備の必要な仕事が一つ残っている。それは、奥越地区で働く中国人研修生に、話しをすることになったからだ。

   私は、この奥越地区の1年の生活を「スライド(写真)」で示したいと思っている。
  
  ・四季の移り変わり(雪景色・春の桜・新緑・紅葉・雪景色など)
  ・今の日本の農業(田植えから稲刈り、乾燥、臼すりまで)
  ・成人式などの行事(イベント)や左義長などの郷土芸能
  ・今の私の取り組んでいること

    今の日本の普通の生活を知ってもらいたいと思う。話すだけではなく、写真を示しながら、説明したいと思う。そして、少しでも、日本や日本人に関心を持ってもらえたらと思う。通訳もついているとのことなので、楽しい研修にしたいと思う。

   2限目は、歌と踊りだ。果たして、楽しんでもらえるだろうか。心配ではあるが、仕事以外の面では、日本での生活を少しでも楽しんでもらえたらと思う。新しい外国人と会うことは楽しみだ。

鍋ぶたを使った踊りを練習する「さわらび会(食生活改善推進員)」の皆さん。

(日記    午前、午後とも、明後日の中国人研修生に話すための資料作り。これまであまり整理してなかった膨大な量の写真を分類した。孫達の写真が出てきてとても懐かしかった。午後7時より猪野瀬公民館で、民謡の練習。今日は「鍋ぶたを使って踊るグループ」3人の特別練習日だ。また、このの3人は私の作った新民謡「勝山よいとこ」を男装で踊ってもらうことになっている。そのために、今日は男踊りも練習した。3人とも、これまで練習してきた女踊りとは似ている部分もあるが、全く異なる部分もあるので、いろいろ苦労しているようだった。次回は、「手ぬぐいを使って踊るグループ」の特訓だ。そして、両者合同の練習を経て20日の本番となるのである。)

 
 

パソコンのファイル整理

07 11月

いつでも探し出せる整理とは
  パソコンには膨大なデータが入れてある。いつかどこかで使えるのではないと思ってのことである。しかし、必要なデータを即座に取り出すことは簡単ではない。

   例えば、写真でもいろいろな種類がある。家族写真と言っても、「我々夫婦野写真」、「自分個人のもの(旅の写真など)」、「長女家族の写真」、「長男家族の写真」、「次女関係の写真」、「親戚関係」、「各種イベント」、「季節の移り変わり」、「自分の関わる郷土芸能の写真」、「音楽関係の写真」、「地域の種々のイベントなどの写真」、「旅行関係の写真」、「市内の風景」、「市内の観光地」、……。

データ整理で出てきた春の勝山の風景

  長男家族の写真と言っても、孫の成長と共に写した数々の写真など、さらに細分化される。デジタル時代になってその枚数も半端ではない。これらの保存方法も難しいが、これらを必要なときに瞬時に取り出そうとすると一工夫がいる。

   午前中、写真の整理をしていた。整理も必要だがバックアップも必要だ。日々増える様々なデータをバックアップしようと思うとかなりの作業が必要になる。ハードディスクも消耗品なのでいつ壊れるか分からない。こんなことを考えながら、写真を整理していた。

  それは、以前に「11月10日に遼日産業の研修生に何かを話してほしい」と依頼されたからだ。初めて日本へ来た中国の人たちに話すのだ。私以外にもいろんな人が話すそうだ。

   私は、先ず1限目に、奥越の「四季の変化」と「種々の行事」について、スライドを交えながら話したいと思っている。日本(この地域)がどんなく国であるのかを分かってもらうためだ。

データ整理で出て来た越前大仏の紅葉

  2限目は、「日本の歌」を2、3曲いっしょに歌い、日本の簡単な民謡を一緒に踊りたい思っている。固い話ばかりでは、疲れてしまうだろうから、レクレーションも必要だと思う。

  奥越(特に勝山)の四季の写真と行事の写真をパソコンから取り出すために、先ず、パソコンの中を整理したというわけだ。写真の枚数は万単位に及ぶものと思われる。以前に、数年間、ホームページ『かっちゃまねっと』を開設していたので膨大な写真があるというわけだ。

  ハードディスクの中身は、外からは見えないが、データは整理しても整理しても増える一方だ。これらを整理することは非常に困難な作業だ。でも整理しなければ、パソコンの中はがれきのごとく、手を付けられない状態になってしまう。

  半日かかったが、思うほどうまく整理できなかった。それでも、いろんな写真が出てきて時々作業を中断して見とれてしまった。まだまだ、時間がかかるだろう。「勝山の四季」と「各種行事」についてはかなり見つけることが出来た。

(日記 午前中、パソコンのファイル、データの整理。午後は、昨日、JA祭りで使った太鼓等の整理。最近だんだん太鼓が重くなってきた。午後7時半よりオカリナ教室。13日の村岡文化祭に出演するための練習。衣装なども話し合った。小学生も見ているとのことだが、オカリナの演奏をどう感じてくれるだろうか。楽しみである。)

 
 

峠を越した文化の秋

06 11月
JA祭りに参加
 私の文化祭参加も大詰めだ。今日は、「JA祭り」で勝山開催の番だ。我が『越前勝山春駒太鼓』が出演する日だ。同時に、最近始めた子どもと保護者による「親子太鼓」もデビューする日だ。

ステージ最初の曲は、担ぎ桶胴太鼓による“春馬”の演技。

  この日に向けてそれぞれがここ2、3ヶ月それなりに練習してきたのだ。そして、それぞれがそれなりに頑張ってくれた。子どものような連中と一緒に太鼓を叩き、孫のような子ども達と太鼓を叩くことができるとは幸せなことだ。

2曲目は、“昇竜”で、長女も参加(左端)。和太鼓を楽しんでいたようだ。

  私にとっては、ようやく、文化祭参加も峠を越した感じだ。今回の「JA祭り」は力を入れていた出番だけに、終わってほっとしている。それと同時に、充実感と、「祭りに翌日」のようなさみしい気分にもなっている。また次の目標に向かって頑張りたい。

子ども(保育園と小学校1年生)とその保護者による親子太鼓。

(日記 午前中は、篠笛の楽譜書き。午前10時過ぎに、事務所へ行く。メンバー達は、午前8時半に集合して、担ぎ桶胴太鼓の練習のために、勝山橋の下へ行って練習したらしい。雨が降っていたので、橋の下へ行ったのだ。戻ってきて、彼女たちは、本番に向けて事務所で、化粧し、髪をセットしていた。私は、短縮した曲の篠笛の楽譜書き。昼前に、JAの体育館へ行き、楽器の準備。午後1時半頃本番。楽しかった。福井にいる長女もみんなに交じって久々の和太鼓。いい意味での緊張感を楽しんでいたようだ。その後、「鳥羽一郎ショウ」を見た。やはりプロはうまいと感心すると同時に、また、演歌を作りたくなった。ショウの後、楽器を片付け、帰宅した。午後7時より、「さわらび(食生活改善推進員)」の文化祭に踊る民踊の指導。これは彼女たちが、地元の「猪野瀬地区文化祭」に出演するための練習だ。あと2週間で本番を迎えることになる。うまく踊ってくれることを願いたい。)

楽しいチャッパによる演技。

最後の曲“白山禅定道”でポーズを決める「春駒太鼓」のメンバー。

 
 

あと一息

05 11月

一日二ステージ
   今日は、特別養護老人ホーム 『さつき苑』の文化祭だ。昨年も出演させていただいたが、今年も同じ地区のよしみでか、『片瀬豊年ばやし』にお呼びがかかった。しかも、同じ建物の中で二ステージの演技だ。

「さつき苑」の文化祭で『片瀬豊年ばやし』を演ずる保存会有志。

  2回演技が出来るということで楽しみなメンバーとそうでないメンバーがいるようだ。私自身は、2回演技が出来てよかったと思っている。今日は、いつものメンバーが都合で欠席したが、残りのメンバーで演技した。

   かなりたくさんの知り合いに会った。いつの日にかこういう施設に入るのだろうか。元気だった人が、急に発病して入所している人もいる。身体に気をつけなければと思ってしまう。

  それにしても、ここしばらくは忙しい。文化祭のシーズンだからだ。公民館の出番、.施設の出番などがあってかなり忙しかった。特に、準備のいる出番は大変だ。明日のJA祭りの和太鼓が終わると気分が楽になる。

  明日が終わったら、主な行事が終わり、地元の公民館祭を残すばかりとなる。「さつき苑」での出演を終えて、事務所へ行った。今日は、子ども達と保護者の太鼓の練習日だ。明日デビューする子ども達の衣装も準備した。

『片瀬豊年ばやし』の中で演ずるユーモア溢れる米俵芸。

  自分の子どもがかつて使った懐かしい衣装だ。それを、今、保育園児や小学生が使うのだ。保護者の使う衣装はかつて高校生達が全国大会に出場した際に使ったものだ。

  とにかく、明日は頑張りたい。我が『越前勝山春駒太鼓』の存在をアピールして今後とも、このグループを継続していきたい。見ている若者達が自分もやりたいと思うかどうかだ。見ている人に喜んでいただけるかどうか、楽しみである。

(日記 午前中、明日の準備。Tシャツの印刷をするためにデザインを考えた。昼、集会所へ集まって『片瀬豊年ばやし』の練習。老人ホームの「さつき苑」へ出かけ、場所を変えて2回演技した。とても楽しかった。.、午後4児から、親子太鼓の練習戸衣装合わせ。明日が楽しみだ。夜は、アイロンプリントでTシャツの印刷。そして、明日吹く篠笛の楽譜の準備。かなり忙しい一日だったが、この忙しさもまもなく落ち着くだろう。)

いよいよ爺さん(私)の出番。ここから、いかに芸をするか、楽しんではいるが難しいところだ。

 
 

本番会場でリハーサル

04 11月

いよいよ本番
   若者(女性)達と夏頃から練習してきた我が『越前勝山春駒太鼓も、いよいよ明後日が本番だ。今日は本番の会場でリハーサルを行った。みんな生き生きしていた。

  普段は、近所に迷惑がかからないように、防音パッドを.使って和太鼓の練習をしてきたのだが、今日は思い切って太鼓を叩くことが出来る。心地よい太鼓の響きがして、とても楽しかった。

  これまでは、私と若者達5人の合計6人で太鼓を叩いてきたが、今回は、私の長女も参加して7人になった。今回のJA祭りののステージの大きさだったら、このメンバーでちょうどよい。

日曜日に行われるJA祭りに出演するため、和太鼓の練習をする『越前勝山春駒太鼓』のメンバー。左端は私の長女、今回このグループに初参加するのだ。

  今回の楽しみは、先ず、春駒太鼓の子ども達(保育園年長組と小学校1年生)がデビューすることだ。それも、保護者と一緒に出演するのだ。将来の我が『春駒太鼓』を引き継いでくれるかもしれないメンバーだ。

   私の長女が太鼓を叩くのも楽しみだ。今日の練習で見ている限り、どうにかなりそうだ。後は、場数を踏んでバチが身体になじむのを待つことだろう。身体で太鼓を打てるようになったらしめたものだ。

   今回、ちょっと新しい趣向の曲も演奏することにしている。いろんなグループの太鼓を研究しながら、自分たちのオリジナルの和太鼓曲が作れればそれでよいのだが……。創作は非常に難しくて楽しい作業だ。

(日記 朝食後、今日は何をすべきかを紙に書いた。することがあまりにもたくさんあるので、それらを一つずつ消していくのだ。朝一番に村岡町の文化祭に使うオカリナのカラオケ作りを行った。その後、太鼓のユニフォームのマークを考えた。午後は、和太鼓のリハーサル会場であるJAまで太鼓を運んだ。メンバーは仕事なので家内と二人で車庫にある大きな太鼓と、事務所にあるたくさんの太鼓を運んだ。夜、家内は、村の集会所へ行き『片瀬豊年ばやし』の練習。明日は、地元の介護施設で『片瀬豊年ばやし』を演ずるからだ。明日も明後日も出番がありうれしい悲鳴を上げたくなる。最近、小・中学生も銭太鼓の練習に参加している。うれしい限りだ。)

 
 

あこがれていた東京で

03 11月

今は、「生活するなら田舎が一番」
   私は高校時代東京にあこがれていた。それは、高校時代、漫画家になりたいと思っていたからだ。小学校時代には、クラスに漫画の上手な同級生がいた。自分も絵を描くことは好きであった。 

  中学校になってからは、漫画の通信教育を受けるようになった。また、大阪の親戚の人が務める学校の卒業生に漫画家Y氏がいて、Y氏の指導を受けることになった。

「勝ち山ほがらか音頭」に加えた手ぬぐい踊り。

  しかし、漫画家受難の時で、当時の月刊雑誌のほとんどが、季刊雑誌になり、最終的に廃刊になってしまった。また、貸本漫画の店もなくなっていった。テレビの出現が漫画の世界を一変させたのである。このあたりの事情は、『ゲゲゲの女房』でもよく紹介されていた。

  その後漫画ブームがやってきたが、それは、私が社会人になってだいぶ経ってからのことだった。高校までは「漫画家になりたい、そのためにも東京へ出たい」と言うのが私の願いだった。

  特に晴れた日などは、「こんな田舎でくすぶっていていいのか。早く東京へ……。」と思ったものだ。その後、漫画家になる夢を胸の奥にしまっておいて、音楽に興味を持つようになった。大学では、軽音楽部に入り、音楽に夢中になった。

   今、私が夢にまで見ていた東京で、長男と次女が働いている。東京への夢は次の世代に引き継がれたことになる。今は、勝山にいることに何の不満もない。東京は遊びに出かける場所だと思っているからだ。

「勝ち山ほがらか音頭」に“手ぬぐい踊り”と“鍋ぶた踊り”を加え、最後はみんなで本来の踊り「ほがらか音頭」を踊る計画だ。

   今、私は、演歌を作っているが、ペンネームは「いなかもん」を使っている。周囲には改めた方がよいのではと言う者もいるが、私は“田舎者”に誇りと愛着を持っている。

   子ども達が、東京で頑張ってくれればそれでよいと思っている。しかし、田舎から中央に発信できればと思っている今日この頃である。漫画家になる夢は捨てても、漫画を捨てきれない自分である。

(日記 午前中、車庫の整理。その後、長女の和太鼓の個人練習に付き合った。午後も、車庫の整理。午後7時より「さわらび会(食生活改善推進員)」の踊りの練習に付き合った。50・60・70歳代の人で構成されている。猪野瀬公民館祭の演し物の練習のためだ。彼女たちのお陰で私の作った勝山の民謡が市内で広まっているところもある。「牛深はいや節」を参考に自作の勝山の民謡に新たな振り付けを加えたのだ。果たして、町の人たちに受けるだろうか。楽しみである。)

 
 

「和太鼓発表」本番間近

02 11月

JA祭りに参加
  毎週水曜日に練習してきた和太鼓の練習も、先週と今週は週2回ずつ行っている。今度の日曜日のJA祭りで発表するからだ。今日は私のスタジオで練習する本番目の最終練習日だ。

仲間に混じって大太鼓を叩く私の娘(後列左端)。

  今日から、2児の母である私の娘も加わった。子ども(孫)は家内に預けてスタジオへやって来た。私が和太鼓を始めた頃、娘は小学3年生ぐらいで『越前勝山春駒太鼓』の初代メンバーだ。高校卒業以来ほとんど練習していなかったが、今日から何十年ぶりかにメンバーに加わることになった。

  今日の指導は、10歳ほど年下のSさんに頼んだ。楽譜は読めても、振り付けはまた別のものだ。Sさんは上手に指導してくれた。今や、私は曲を作ればよい。メンバーがそれらを都合のよいように直し、振り付けをするのだ。ユニフォームもだ。

   私一人ならとても恥ずかしくて着られないような衣装を彼女たちは考えてくれた。夏の和太鼓発表の時にはこのユニフォームを着て篠笛を吹いた。今度のJA祭りももちろんこの衣装で出演するのだ。

今練習中のチャッパ芸。今回初めて披露する演目だ。

   娘は、今日初めてみんなと合流したのだ。後は、本番前々日に本番の会場である「JA祭り」の舞台で練習するのだ。今度の和太鼓発表時には、保育園の年長組3人と小学1年生2人がその保護者と共にデビューすることになっている。

  和太鼓を始めた20数年前に戻ったようなものだ。数年したら、幼児達もきっと驚くほど上達しているに違いない。楽しみが先にあることはよいことだ。練習を終えていつものように、お茶をして帰宅。

(日記 昨日は終日農作業。今日は、朝一番に家内達が文化祭で発表する民謡の振り付けや構成を考えた。その後、パソコンのファイルや写真やデータを整理。映像などもあり膨大な量だ。午後は扇風機など夏のものをストーブなど冬の者に入れ替えた。午後7時から和太鼓の練習。福井から私の娘も練習に参加した。)

メンバーみんなで「はい、チーズ!」。後列左端が新しくチームに加入した私の娘。

 
 

来年に向けて終日農作業

01 11月

二種類のタマネギ
  今日は朝から農作業と決め、現在の私のユニフォームである作業服を着用した。朝食後の最初の作業は、里芋掘りだ。これまでに全体の7割ほど収穫したが、まだかなりある。今年は十分里芋を楽しめる。

   その後、村のNさんからタマネギの苗を300本ほどいただいた。そのうち、50本は紫タマネギで残りは普通のタマネギだ。紫タマネギは、生でサラダにすると美味しい。早速、法人で借りた畝にこれらのタマネギを植えた。

青空の下で家内と二人でタマネギの苗を植える。

  午後は、先ず最初、家内の実家の「里芋洗い機」で里芋を洗った。土の付いた里芋が、この機械によって白くなって美味しそうだ。洗い終わった後、今度は、家庭菜園へ移動。余った苗を家庭菜園の片隅に植えた。

   また、来年収穫するエンドウとソラ豆を植える場所に黒マルチをかけた。もう少ししたら、穴を開けて種を埋め込めばよいのだ。これで、来春収穫する作物の準備が終わることになる。雪を割って水菜の成長を待つのもうれしい。

   それに、雪が解けかけた頃、今年少し残しておいた大根を雪の下から掘り出して、大根おろしにし、コウナゴを入れ、ポン酢で食べるのも美味しい。そのうちに、勝山水菜、エンドウ、ニンニク、タマネギ、そら豆、イチゴ……と、今年準備しておいた作物が順次収穫期を迎えるのだ。

 

収穫した里芋を天日で干す私

  家庭菜園といえども、半年後の収穫を目指して準備しておくというのは貴重なことだ。何かと気ぜわしい昨今、ファーストフォードがもてはやされる昨今、長いスパンで作物を育てることは本当に大切だと思う。

   特に、自然を相手にしながらの作業だけに、自分も自然の一部になった気がするのがよい。晴れた日もあるし、雨や風の日もある。日照りの夏もある。そんな季節をやり過ごしながら、作物は成長してくれるのだ。病気も虫害もあるがそれらを乗り越えて。

(日記 午前中、里芋の収穫。タマネギ苗の植付け。午後は、里芋を洗い、エンドウやそら豆を植える場所を整備。カボチャの棚をばらす。キウイの収穫。終日来年に向けての農作業だった。午後7時から、我が家で、Tさんが来て『片瀬豊年ばやし』の歌の練習。次回の出番には男子の歌い手がいないので、急遽代わって歌うからだ。)

今年は食べきれないほど実ったキウイ。今日も50個収穫した。まだまだたくさん残っている。ありがたいことだ。