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Archive for 10月, 2011

町民運動会で盆踊り

11 10月

平泉寺小学校で民謡指導
  私は、これまで全市を対象に盆踊りの復活を目指してきた。そして、村岡町、遅羽町、旧町の一部、猪野瀬のさわらび会の皆さんなどが積極的に民謡復活に力を入れて下さった。

   近くにいながら平泉寺とは,全く接点がなかった。しかし、夏祭りの前に盆踊り練習会を開かせていただいたこと、平泉寺の壮年会の皆さんが平泉寺の秋祭りで盆踊りを復活させようと力を入れて下さったこと等により、平泉寺でも盆踊りが今年は復活しかけたように思う。

平泉寺の全校児童と盆踊りの練習。若い I 先生にしっかりと覚えてもらって子ども達に伝えてほしいと、私の横で練習してもらった。

  その他、高齢者サロンで民謡を取り入れて下さったこと、民謡を復活させようと真剣に取り組んで下さる方も生まれて今後も、平泉寺では、盆踊りが復活していくのではないかと思われる。

   また、平泉寺の祭りの際、壮年会の方に、町民運動会に盆踊りを入れたらどうかと話したところ、快く賛成して下さり、運動会の昼休みに盆踊りをすることになった。せっかくなら、子ども達も参加した方がよいのではと話すとこれにも同意して下さり学校で盆踊り練習会を開催することになった。

  今日は、その練習会の日だ。壮年会長さん、地区の婦人会の皆さん、公民館の職員も参加して下さった。体育館に、全校児童と先生方が集まった。練習が始まる前に、何人かの子ども達は私の顔を覚えていてくれたようだ。

   平泉寺の祭りで盆踊りを指導したこと、紙芝居『平泉寺物語』を上演した際平泉寺の子ども達が見に来たことなどもあって何人かは私の顔を覚えていたようだった。

  運動会では町民の皆さんに三曲踊っていただくつもりで、「勝ち山ほがらか音頭」、「千本搗」、氷川きよしの「ときめきのルンバ」を選んだ。勝山の民謡に加えてリズミカルな氷川きよしの歌で踊ることも考えた。どれだけ乗れるかが問題だ。

  「何だ、盆踊りか」という風に、あまり真剣に取り組まない児童も見かけられた。最後に、一言話して学校を去ることにした。その一言とは次のようなものであった。

最後は輪になって盆踊りの練習。先生方も、真剣に練習して下さった。

「私が君たちに伝えたいのは、どんなことでも、やるからには“一生懸命やる”ということだ。盆取りはこれからの勉強やスポーツやいろんなことにそんなに間に合わないかもしれないが、“一生懸命やる”ということは、どんなことにも役に立つ。もちろん大人になってもだ。やるからには一生懸命やってほしい。」

  運動会で盛り上がることを期待したい。高齢者も子ども、そして、男も女も一緒にできるということはそう多くはない。いかに、多くの町民が踊りの輪に加われるかだ。

(日記 午前中、家の植木の剪定作業。午前中いっぱいかかった。午後2時から平泉寺小学校へ出かけ、町民運動会で踊る盆踊りの練習を行った。帰宅してから、演奏会に使うDVDを作ろうとしたができないので、南小学校のS先生に助けを求めた。S先生は我が家に来て下さり、映像編集の手順を教えて下さった。何度もやっているが、なかなか覚えられない。今度こそものにしたいと思う。夜は、家内と新曲『足羽側慕情』を練習した。OB会で披露するつもりの歌だ。 )

 
 

「わかる」ということ

10 10月

現役の高校教員と語る
   今日、現役時代に一緒に勤務した高校教員のNさんが私の事務所へ訪ねてきた。学校の活性化や学習指導やコース編成などについて話した。楽しい充実した時間を持つことができた。

   今も思うことは、生徒達にそれぞれの教科を理解してもらう方法はまだまだたくさんあると思った。今も、生徒達を分からせる方法はまだまだあるはずだし、教員自身がもっともっと勉強しなければならないと思っている。

   「わかる」とはどういうことだろうか?分からせるにはどうすればいいのだろうか。
   「何のために学ぶのか?」を大人達は子ども達にはっきりと説明できるだろうか。
  「させられる勉強」から「する勉強」にどうすれば転換できるだろうか。
  「考えることのできる生徒を育てるためにはどうすればよいか」“考え方”をどうすれば教えることができるか?
  「学校の取り組みをいかにして地域の人たちに情報発信できるか?
  「学校の信頼を得るために学校は何をどうすればよいか?」

  こんなことを考えている時間はとても楽しい。午前9時に始まって午後1時頃まで話し込んだ。現役時代の反省も込めて、自分の考えていることを述べ、相手の考えていることを聞いた。

   私が信じていることは、言葉で直接指導できることと、言葉ではなく態度で示した方がよいことがあると言うこと。例えば、子ども達が夢を持つことを望むならば、「夢を持て」と話すより、.自分が夢を持ち、その夢を語った方が伝わるのではないか。

  直接的な指導と、間接的な指導法があるはずだ。後者は、「背中での指導」と言い換えてもいいかもしれない。教師は、両方がなければならないと思っている。しかしながら、夢を語れる教員はそんなに多くないと思っている。

   いつになっても夢を持っている者は若くいられると思う。逆に、昔を振り返るばかりの者は、相手に伝えるものは少ないと思う。過去を生きるよりも、今を生きたいと思う。

   そういう意味では、大学の軽音楽同好会のOB会が今週末、浜松で開かれるが、「昔バンドをやっていた」ではなく、再び楽器を持ち、OB会で演奏会が開かれることは素晴らしいと思う。私も久々に真剣に練習した。昔の何倍も苦労するが、それでも楽しい。

(日記 午前中、級友のNさんと教育について昼過ぎまで語り合う。午後、1時より、「おじさんバンド」の最後の練習会があった。今日も、名古屋や石川県からメンバーが私の事務所へやって来た。午後7時まで練習した。私も、ハワイアンギター、エレキギター、クラシックギター、ドラムを演奏することになった。特にロック調のドラムは、速すぎて手がスピードについて行けない。苦労した。覚えも悪くなった。これを少しでも克服するには練習しかないと思った。でも、みんな音楽が好きだ。みんなで演奏することは本当に楽しい。今日で練習会は終わった。後は本番で頑張るしかない。)

 
 

健康野菜「ニンニク」「生姜」「高麗人参」

09 10月

今日は「にんにくデー」
   今年は、1列余分に組合から畝を借りた。里芋と生姜でそれぞれ1列、今年はそれに野菜の畝1列を増やしたのだ。それら3列の畝に、今日は、家内と二人で黒マルチをかけた。そして、野菜畑に借りた1畝にニンニクを植えることにした。

   私は、40歳代の頃から、薬効成分のたくさんある「ニンニク」と「生姜」と「高麗人参」に興味を持ち、いつか地域の特産にならないかなあとおぼろげながら考えていた。

開けた穴にニンニクを植える家内。かなりの量であった。

  そして、生姜は家庭菜園で細々と作り続けてきた。しかし、昨年は、郷土芸能『片瀬豊年ばやし』を創作したのを機会に、少し本腰を入れて組合から畝を借りて「生姜」と「里芋」作りにチャレンジしたのだ。

  今年は、自分の家庭菜園で「ニンニク」を作ってみた。まあまあできたので、来年は組合の野菜畑から畝を1列借りてニンニクをたくさん作ってみようと考え、今日ニンニクの球根を植えた。

  球根は、福井の「ふくたね」で買った「ホワイト六片」とホームセンターで買った「ホワイト六片」、そして、今春自分が作ったニンニクを植えた。どれくらい必要か分からなかったのと、種があまりにも高価なので、自分が栽培したものも使ったのだ。

   このニンニクだが、我が勝山市では荒土町の牛ヶ原地区が地区の特産として栽培している。市外では、上志比村もかなり作っているようだ。 しかし、日本的となると、青森県の田子町が有名だ。世界的には、アメリカのギルロイ市が有名だ。

・・・・・・ギルロイ市の概況(インターネットより)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ギルロイ市は、サンフランシスコから南へ150㎞、ハイテクのメッカとして知られるシリコンバレーに隣接する人口約50,000人の街です。
 米国で生産されるにんにくの約90%をカリフォルニアの農場が占めており、そのほとんどがギルロイ市周辺で生育、加工のためにギルロイ市へ集まるため、ギルロイ市は『世界のにんにくの首都』と呼ばれています。
 毎年7月に開催される「ギルロイガーリックフェスティバル」では、にんにくを使った様々な料理を味わうことができ、世界中から3日間で約13万人の観光客が訪れます。
   東西を山脈に囲まれた平坦な盆地に広がる街並みは静かで気候は温暖。その立地条件の良さから都市のベッドタウンとしての人気が高く、住宅地や大型ショッピングモールが次々と建設され、人口は年々増加しています。

◇青森県田子町がギルロイ市と姉妹提携を結んだ経緯◇
  田子町がギルロイ市と交流を始めるきっかけとなったのは、昭和61年に放映されたテレビの旅番組でした。番組では「ギルロイガーリックフェスティバル」の様子が紹介され、その熱気溢れる賑やかな祭りに町づくりのヒントを得た町職員ら4名が、翌年7月にギルロイ市を訪問。

 ギルロイ市との交流を強く希望し、ロベルタ・ヒューワン・ギルロイ市長に交流を打診しました。当時、「にんにく日本一」の称号を得ていた田子町では、9月に「にんにくとべごまつり」を開催しており、両町の交流の第一弾として、ギルロイ市長やガーリックフェスティバルで選出されるガーリッククイーンら12名を祭りへ招待。

  一行は、町民の熱烈な歓迎と暖かいもてなしに感激し、9月27日の歓迎レセプションではヒューワン市長が「この日を田子町
とギルロイ市とのフレンドシップデーにしたい」と宣言、友好の日が定められました。
  翌63年、田子町は町制施行60周年を迎える中、第三次田子町総合計画で国際化を掲げ、渡部剛己町長がギルロイ市を訪問、4月18日ギルロイ市議会議場において姉妹都市締結の調印が行われました。

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 以後、田子町はギルロイ市と留学生の交換はじめ様様な交流を深めている。その後、ニンニクを通して韓国の忠清南道の瑞山(ソーサン)市とも交流している。

  実は、昭和61年(今から20数年前)、私もギルロイの「ガーリックフェスティバル」の様子を自宅のテレビで見ていたのだ。そして、感激したのを覚えている。この番組は当時有名な旅番組だった「兼高かおる世界の旅」だったのである。

   その番組を見たために、当時、私は、いつの日か「ニンニクをたくさん作ってみたい」と思っていた。しかし、田子町の人たちは翌年ギルロイ市へ出かけ、首長の相互訪問の後、姉妹都市提携を結び、様々な交流を始めたのである。

  生姜とニンニクを自ら育ててみたが、高麗人参は簡単ではないと思っている。しかし、ネットを見ると、苗も販売されているので、一度はチャレンジしてみたいと思う。

組合から借りた畝で収穫した最後の生姜。まあまあのできだった。満足だった。今年はたっぷり生姜を食べることができる。

(日記 午前中、里芋と生姜の黒マルチかけ。その後、ニンニクを植える畝にも黒マルチをかけた。そして、種を植え始めたが、昼になった。そこで、コンビニでパンを買い、帰宅しないで、ニンニクを植えた。その後、最後の生姜を収穫した。帰宅したのは、午後1時半過ぎだった。少し休憩して、今度は、家庭菜園を耕し、春菊を植える場所を作り、種を播いた。今日は、終日、農作業。明日は、「おじさんバンド(じいちゃんバンド)」の最後の練習日だ。名古屋や石川県からもメンバーが私の事務所へやってくる。明日は、晴れてもバンド練習だ。来週の土曜日が、本番。浜名湖の湖畔にあるホテルで大学の「軽音楽同好会」のOB会があり、そこで、演奏会があるのだ。遊びではあるが、それなりに練習をしてきた。そして分かったことは、動きが速いと思うように手や指が動かないと言うことだ。残念ではあるが、頭の体操だと思って頑張ってみたい。夜、横浜の孫達とウェブカム。早く会いたくなった。)

横浜の孫達とウェブカム。2対4の会話は賑やかだ。

 
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日進月歩の世界

08 10月

技術の進歩についていけない
   パソコンや携帯など電子機器の進歩はすさまじい。ソフトを買っても、マスターしないうちに次の新しいバージョンが出てくる。おそらくそれぞれのソフトの何十分の一も活用していないように思う。

  しかし、新しいバージョンが出るとほしくなる。そして、次々と購入してきたが、今は無理だと分かるので、あきらめている。パソコンで困るのは、パソコンが動作しないときだ。

   こんな時、パソコンはただの箱でしかない。ここであきらめたら二度とそのソフトは使えないであろう。マラソンで言えば、走るのを止めたようなものだ。順位はどうであれ前へ進んでいかなければならない。

  こんな時、私には強力な助っ人がいる。今日も、北谷町に住む息子の友人のY君に「ソフトをインストールすること」と「新しく購入したウインドシ・ンセサイザーを正常に起動させること」をお願いした。

   ウインド・シンセの方は、デスクトップパソコンでは正常に起動するが、ノートパソコンではどうしても起動しないのだ。来週のOB会の演奏で使用するつもり購入したが、最近あきらめていたものだ。

   彼は、事務所のデスクトップパソコンとノートパソコンにソフトをインストールしてくれた後、いとも簡単にウインドシンセが正常に起動するようにしてくれた。

   他の人たちは、パソコンが起動しなくなったときどうするのだろうか。もっとも、私の周囲にいる同年代の人の多くは、インターネットもしていないようであるが。これから先、情報格差はますます広がるであろう。

   パソコンドクターが必要な時代が来たように思う。パソコンなどのデジタル系の機器は正常に動作しないときは、素人にはどうしようもなく、泣きたい気持ちになる。

  今、私は、パソコンで歌作りをやっているが、映像編集もしたいし、絵ももっと描きたいと思う。機器はどんどん発達して何でもできるようになってきているが、その前に立ちはだかるのは、それらを使用する能力だ。技術と言ってもいいかもしれない。

  今日、彼は私に新しい描画ペン(ソフト)をん紹介してくれた。「絶対にほしくなりますよ。」と前置きして、インターネットで近々発売されるその品物を見せてくれた。

  簡単に言えば、特殊なペンを使って白い紙に絵や文字をかけばそれがそのままスキャナーなどを使わず、パソコンに取り込めるのだ。パソコンを持ち歩かなくても、手帳や白い紙に自由にスケッチを描けば、それが帰宅してからでもそのままパソコンに取り込めることになる。

  これだけもすごいが、例えば「人物のいる風景」を描きたい場合には、見た目には一枚の絵でも、背景と人物を分離できるのだ。さらに手前にものがあれば、それも別の画面にできるのだ。これはパソコンで絵を描く者なら誰でもうれしくなる機能だ。

   まだまだこの方面は進歩を続けるだろう。しかし、そうした機器やソフトに無縁の人とそれらを使いこなす者の間ではどんどん格差が広がっていくように思われる。私もどちらかと言えば、取り残されるグループになっていきそうだ。

  それにしても、アップル創業のスティーブ・ジョブズ氏の発想のすばらしさには驚嘆するものがある。機械的にはアイフィオーンやアイパッド等は日本でも簡単に作れるが、そのアイディアは日本人の及ばない独創的なもので簡単には作れない。

(日記 午前中、部屋の清掃。午後、お寺さんと役僧さんが報恩講参りで我が家にやってこられた。昔は各家庭で行われていた報恩講さんも今や各家庭で行われなくなった。午後4時より親子太鼓教室。子どもの主力は、保育園の年長組と小学1年生だがかなり上手になってきた。次回の練習にはユニフォームを考えなくてはならない。30年前、自分の子ども達が和太鼓を始めた頃のことを思い出す。)

 
 

里芋作り終盤戦

07 10月

里芋作りに初挑戦
   今春から「農事組合法人かたせ」から里芋や生姜を作るために里芋専用の畝を2列借りることにした。種は家内の実家の平泉寺からもらい、周囲の人の指導を受けながら初めて里芋作りに挑戦した。

   最初の作業は、里芋の種を植えることだった。これは専用の道具を使い、黒マルチに穴を開けて種芋を放り込み、上から土をかけるだけだった。その後、マルチの一方をめくり化成肥料を追肥。

  後は、次々と生えてくる里芋の軸を切り取る作業が何度か続いた。そして、9月中旬に試し掘り。商品にするのではないので自分としては、自家用と親類や子ども達に配る分があればそれで十分だ。

掘り取った里芋の修理をする家内。

  今年は、春までたくさんの里芋を食べることができる。我が片瀬地区の3大作物である“芋と生姜と旨い米”を自分で栽培したり、生産に関わることができてよかったと思っている。

   昨年創作した『片瀬豊年ばやし』もこの3大作物については、しっかりと歌詞に入れた。先日も、三室祭りで『片瀬豊年ばやし』発表の際、我々の着ていた法被の襟に書かれた「芋と生姜と旨い米」の文字を見て、年配の方が「昔から片瀬の生姜はよく知られていましたね」と話しかけてきた。

  今のうちに、これらについては、大いに宣伝したいと思う。そのためには、私自身が作ってみなければということで、畝を借りて里芋(初体験)と生姜(毎年少量は作っていた)をたくさん作ってみたが、一応満足できるレベルであったと思っている。

 自信を持って人にも話せる。芋と生姜は、私の大好きな作物でもある。この里芋だが、掘り取るときは、それなりに苦労するが、親芋に小芋がたくさん付いているのを一つずつ取り外す作業はとても楽しい。収穫の喜びを感ずることができるからだ。

   芋を洗うのは苦労するが、少量なら桶を使って手動で洗えばよい。今日はかなりたくさんあったので家内の実家の「芋洗い機」を借りて洗った。これなら芋洗いも苦にならない。昔と比べると何でも機械化しているものだと感心する。

家内の実家の「里芋洗い機」のおかげで土の付いた里芋はきれいになった。

   実りの秋、収穫の秋を感ずることができた一日だった。そして、すでに来年の作業は始まっている。里芋を植える畝には糠を撒き、畝の形を整えた。数日中には黒マルチをして、雑草の生えるのを防ぎたい。土との生活は本当に楽しいものだ。

(日記 午前中、パソコンの不具合を息子の友達のY君に直してもらった。感謝、感謝である。その後、家内と二人で里芋掘り。里芋畑には常に誰かがいる。そして、会話を楽しんだり、苗を分けてもらったり、作物の育て方を教えてもらったりできる。法人の貸し出しでいる集団栽培地は、毎年あちことへ移動するので作物栽培の最大の敵である連作障害を防ぐことができるだけではなく、楽しい出会いの場にもなっている。畑にいるNさんから生姜の煮物をもらった。また、里芋の保存法も教えてもらった。自分勝手にやっていたら、こうしたこともよほど前向きでないと学べない。集団農場はとても楽しい。その後、家内の実家の平泉寺で芋洗い機を借りた。とても便利な機械だった。帰宅してから、和太鼓の練習用CD作り。11月6日には市民の皆さんに我が『越前勝山春駒太鼓』の新しいところを見せたい。)

 
 

第二の人生をいかに過ごすか

06 10月

教員OB会開催
   元教員のOB会(正式名称は別)が開催された。午前b9時半の南小学校近くをバスで出発し、会員を拾いながら、福井市宮ノ下にある「コスモス広苑」へ向かった。減反の田んぼだろうか、広大な広場にコスモスが植わっていた。

   コスモスの植わっている畝の幅が広いので雑草が生い茂っていたのは少し残念だった。遠くから見れば美しく見えるだろうが、近くへ寄ると、雑草が気になった。それにしても、米など農作物を作ればかなりのものが取れるだろうと思われる広大な地面にコスモスが植わっていた。

  この後、「すかっとランド九頭竜」へ行き、温泉に入り、総会が開催された。その後、昼食を兼ねて懇親会が行われた。懇親会の途中で参加者が「近況」を述べることになった。

   それぞれが、地域の仕事をこなしていることがよく分かる。現役時代にはできなかったことを、今、返しているような人も少なくない。私も、そんなところがある。特に、私も、米作りについては,一昨年までは「あなたまかせ」であった。

福井市宮ノ下にある広大な「コスモス広苑」。まだ、5分咲きぐらいであった。

   それぞれが、自分流の生き方で毎日生活しているのだなあと感心した。退職者は一つの基準で大きく二種類に分けられる。一つは、農家の人、もう一つは非農家(街の人)であろう。

  私と同様農家の者は、何らかの形で農業に関係していた。地区の米作りの中心になって頑張る者。自家用米の生産に励む者、ネギを出荷している者。家庭菜園で農作業に励む者。本格的なレベルから楽しむレベルまで様々である。

   退職すると、農家の者は、することがないという状況にはならない。ありがたいことだと思う。私も、今、生き生きできるのは、農作業があるからだ。農作業があるから、他の趣味的なことにも没頭できるのだと思う。

   非農家の人は、自らすることを見つけなければならない。趣味に生き甲斐を見つけて頑張っている人も少なくない。80歳を過ぎても元気で毎日農作業に励んでいるHさんなどを見ていると、私も頑張らねばと思う。大いに励みになった。

  そんな中で、同級生の僧侶野Yさんの話も興味深かった。家族の変化や自分の仕事についての話だが、昔は、「三世代同居」が多かった。その後は、「核家族」になり、今は「ホテル家族」になっているという。

   「ホテル家族」とは、家族がいつ帰ってきたのか、いつ出て行ったのか、いつご飯を食べたのかが全く分からない。家族の一人一人がホテルの宿泊者のようであるとのことだった。そして、今このような家族が増えているということであった。

  一僧侶としては、檀家回りよりも、悩み相談を受けることが多くなったと話していた。数十年前に、『日本には家庭がない』という
本を買ったが、まさに家庭が崩壊しているように感じた。そして、この傾向はますます進んでいくだろうと思う。

(日記 午前9時半から午後4時頃まで、教職員のOB会。平日の真っ昼間に、温泉に入り、仲間と語れることはうれしいことだ。旅行をするにも、平日に出かけることができ、費用面でも助かるとのことだった。私も同感である。帰宅後、和太鼓の新曲の練習用CD作り。)

 
 

雨もまた良し

05 10月

田舎育ちの性か
   我が家には、と言っても主に家内にしか通じないが、“かぶる”という言葉がある。「かぶる」とは「帽子をかぶる」の“かぶる”である。これは、ヘッドフォンを帽子のように頭(耳)に付けることである。

   なぜ、ヘッドフォンを装着するか。それは、私が夜遅く、コンピュータミュージックをするとき、大きな音を出して家族に迷惑をかけないように、ヘッドフォンを付けるのである。こうすれば、誰にも気兼ねなく、音楽を楽しむことができるからである。

  そこから、“かぶる”という言葉は、我が家では“パソコンをする”という意味になってしまった。田舎育ちのせいか、晴れた日の昼間は“かぶって”いても落ち着かない。同じく田舎育ちの家内もいい顔をしない。

   晴れた日は、農作業など外での仕事をするのが当たり前で、そんなとき、“かぶっている”のはどこか後ろめたく感ずるのだ。天気予報通り、今日は雨だった。昨日は快晴だったので、終日、農作業だった。

   今日は、雨なので、心置きなく、好きなことができる。家内と二人で、福井へ向かった。最初は、久々に指のリハビリにM整形外科へ。その後、スティールギターの弦を注文するために楽器屋へ。特殊な弦なので普段は楽器店には置いてないのである。

   次に、野菜の種を買うために、「ふくたね」へ。そこで、畑へ植えるニンニク、ワケギの球根、そら豆、エンドウ豆などの種を買い求めた。そして昼食。その後、各種のファイルなどを買い、ショッピングセンターへ。

   そして、楽器店でCDを買い、本屋で本を2冊買った。まさに買い出しである。午前9時頃家を出たのに、福井で午後5時を回ってしまったので、勝山へ戻り夕食も外食。

   晴れていたら落ち着かなかっただろう。雨だと分かったので福井へ向かったのだ。田舎者の性か、特別な日でない限り、一日中遊んでいたら夕食は美味くないし、晴れた日に屋内で趣味に没頭していたり、“かぶっている”のも気分がよくない。

  雨の日もまた良しである。落ち着いて、好きなことができるからである。「晴耕雨読」ならぬ「晴耕雨電(パソコン)」である。また、楽器店や本屋巡り等のショッピングも雨の日なら心置きなくできる。晴れも良し。雨もまた良し。

(日記 午前、午後福井へ出てショッピング。午後7時半より、春駒太鼓の練習。今、みんなで新曲作りに励んでいる。発表は一ヶ月後の11月6日だ。見ている人たちに楽しんでもらえるよう頑張りたい。)

 
 

快晴の空の下で新年度に向けて農作業

04 10月

農作業の一日
   一昨日、組合で借りる私の畝が「くじ引き」で決まった。私は、里芋と生姜を植えるために、里芋畑の2畝を借りると決めた。しかし、今日、新たに、野菜畑の1畝も借りることにした。今年度よりも、1畝多いのだ。

  新たに増やした野菜畑の1畝には、ニンニクとタマネギなどを植えると決めた。ニンニクは健康に良さそうだ。今年もたくさんのニンニクを作ったが、来年はもう少し増やしたいと思う。

  ニンニクの一番美味しい食べ方は、天ぷらだ。ホロホロしていてとても美味しい。おまけに、においもあまりしない。次が、溜まり漬けだ。醤油の中に漬け込んでおくのだ。それから、餃子などの味付けに使うのも料理を引き立てる。

「農事組合法人かたせ」の集団里芋畑。ぬかを撒いてあるのが私の借りた畝。名札も立ててある。畑から我が家(矢印)が見える。

   里芋畑にはすでに肥料が入っている。そのため、今日は畝の上にぬかを撒き、土でそれらを覆った。そして、かまぼこ形の高い畝にした。しばらくしたら、黒マルチをして来年まで待てばよい。種芋は来年春に植えればよいのだ。鍬を使うこの作業は、かなりハードだ。腰に来る。

   午後は、野菜畑の1畝に、先ず、ぬかを撒き、ミニ耕耘機で耕し、次に、六呂師から購入した堆肥、JAから無料でいただいた堆肥を入れ、最後に効き目の長い化成肥料を入れて耕した。そして、最後に、この畝も鍬で「かまぼこ形」に整えた。

   鍬を使うことは、農作業の中でもハードな部類に入る。腕の力が必要なことと、腰が疲れるからだ。それでもどうにか今日だけで全ての準備作業が終わった。後は、野菜畑の方も黒マルチをしてニンニクを植え、玉ネギの苗を植えればよい。

   収穫は、いずれも来年春だ。たくさんのニンニクとタマネギを収穫したい。種は明日、福井で買いたい。組合の畝を借りたので、自分の家庭菜園のスペースに余裕が出てきた。そこで「勝山水菜」を植えたいと思う。苗は菜園仲間のNさんからいただくことができる。来春、積雪をよけて収穫するのは大変だろうが、春一番の緑野菜はとても美味しい。

  その後、ゴーヤの支柱などを解体した。今年は、たくさんのゴーヤを収穫することができた。一部は「ゴーヤチャンプル」にしたり、「佃煮」にしたが、残りのほとんどは、「ゴーヤジュース」にして冷凍庫に保存してあるのだ。

  家内は、紫蘇の葉や実を摘んでいる。紫蘇の葉は紫蘇ジュースにし、実は佃煮にするのだ。ジュース類は、冷蔵庫にかなり貯まっている。明日は雨が降るだろうというので、今日は一日農作業をすることにした。青空の下での農作業は本当に気持ちがよい。現役時代には味わえなかった充実感だ。

(日記 午前、午後とも、農作業。午後7時より,平泉寺公民館で「町民運動会」の総踊りのための盆踊り練習会に出向いた。運動会当日どれだけの人が踊りに参加するだろうか。来週は平泉寺小学校での「町民運動会」総踊りの練習会があるのだ。子ども達にも、民謡の楽しさを教えてあげたい。)

 
 

モノ探しを少しでも防ぐために

03 10月

自分の容量オーバーか
   人生の時間の何パーセントかは「モノ探し」をしているのではないかと思われる。我ながら情けない。一番よく探すものは、携帯、デジカメ、免許証・車の鍵だ。デジカメはブログのために常時持ち歩いている。

   次に、探すのが、音楽関係の種々の品物だ。オカリナ関係では、三種類のオカリナと楽譜と数枚の練習用のCDだ。それに、出番があるたびに使う小物もある。

   親父バンドでは、これも楽譜と自主練習用のCD(他のメンバーのためにも作っている)、ギターのピック、弦等の小物。民謡関係では、振り付けを書いたノート、練習用のCD、歌詞カードなどがある。あちこちへ出かけることが多いので、一つでも欠けると差し支える。

家庭菜園にイチゴを植える家内。来年の豊作を祈りたい。

   和太鼓関係でも楽譜やCDなどがある。現役メンバーのものもあるが、子どものものもある。出かけるためには、これらの品物をバッグに入れても持ち歩くが、ものの入れ替えも大変だし、捜し物も少なくない。

  そこで、最近、この鞄にはこれを入れておく、この鞄にはこれを入れておくというように、鞄によって入れるものを変えている。「民謡カバンは?」、「親父バンドのカバンは?」、…….とカバンさえ探せばそこには必要なものが入っているようにしている。

   問題は、そのカバンをどこに置くかだ。カバンそのものを見失ったら大変だ。そこで、カバンの置き場をだいたい決めている。それでも、時には捜し物をすることがある。

   また、パソコンも一つのものの置き場だ。もしも、何かの都合でパソコンのハードディスクが壊れたら悲惨だ。膨大な音楽データを失ったら、それこそ立ち直れないような大きなショックを受けるかもしれない。

   自作の音楽データの場合、それぞれの楽曲に使われる楽器のデータ、それぞれの楽器にどのような指定をしているのか、音の広がりは、ボリュームは、響きは、使う楽器の音色は……は、どうだったか。全て指定しているのだ。

  そうしたデータをなくしたら、おそらく元へ戻せないだろう。これは、音楽だけではなく、自分がパソコンで描いた種々の絵やイラストもそうだ。二度と同じものを描くことができない。

組合から借りる畑の畝を決めるくじ引き。道に近いほど作業はしやすい。

   こう思うと、まだまだデータの保存は不十分だ。気になって、時々データの保存を行っているが、まだまだバックアップが十分ではない。これまで、2度大きなショックを受けた。パソコンの不具合を直してもらっている時の出来事だ。

   人生の時間の多くを「モノ探し」に使わなくてもよいように、その保存法を考えなければならないと考えている今日この頃である。この調子では、カバンがどんどん増えていきそうだ。

(日記 午前7時より、来年借りて使う組合の畑の場所を決めるくじ引きがあった。これによって来年自分が借りる場所が決まるのだ。その後、部屋の整理とデータの整理。午後は、家内とイチゴの苗を植える。来年のために、今から始まるのだ。イチゴが多く取れれば家内がジャムにして保存している。その後、新米の精米。組合の田んぼから藁をもらいに行った。藁は来年の農作業の資材としていろんな使い道がある。最後は、ショウガの掘り起こし。保存用の味噌漬けや酢ショウガ(ガリ)を作るためだ。

 
 

『片瀬豊年ばやし』が三室祭りに出演

02 10月

村外で初めての『米俵芸披露』

今日は日曜日だが、スケジュールが重なっている。先ず、午前11時より、「三室祭り」出演のための準備をする。出番は午後0時40分。今年の村祭りから、これまでの『片瀬豊年ばやし』に加えて、曲の途中に、「米俵芸」を加えることにした。 

『片瀬豊年ばやし』全景。

  今日はその芸を、村以外で披露する初めての舞台だ。うまくいくかどうか分からないが、楽しく演じたいと思っていた。私自身は、老人役で米俵芸に出演した。まだまだ未熟だが、自分なりに一生懸命頑張ったつもりでいる。 

   お世辞かもしれないが、「楽しかった」と言って下さる人がいてありがたかった。これからも、芸能としてこの「片瀬豊年ばやし」を磨いていきたいと思う。 

米俵を使った力比べ。

  ところで、今日の三室祭りだが。いろんなイベントがあって盛り上がっていたように思う。私も、遅羽では多くのことに関わっているので、よその地区へ来たとは思えない。 

   先ず、和太鼓だが、私自身が指導を請われる始めたもので、遅羽地区の皆さんが大人も子どもも頑張っておられることに感謝したい。また、自作の「勝山ほがらか音頭」を「三室ほがらか音頭」に替えて皆さんが踊って下さることにも感謝したい。 

  特に、今年は、三室小学校の子ども達も踊りに参加していたことがうれしかった。子どもが頑張れば地区も盛り上がると私は確信している。遅羽の皆さん方の、取り組みに敬意を表すると共に、うらやましくも思った。 

(日記 午前中は、事務所の整理とおじさんバンドの自主練習。今日は、午後1時からおじさんバンドの練習会だ。今日を入れて後2回しか全体練習はないのだ。メンバーの多くは県内だが、今日も、名古屋と石川県からも私の事務所へやって来た。午後7時頃

3番手に登場した私の俵芸。

まで練習した。練習の途中で、三室祭り会場へ2回出向いた。1度は出演のために、1度は踊りに参加し、踊りの状況を見るために。とにかく慌ただしい一日だった。でも、充実した一日でもあった。) 

私の米俵芸。酒を口にして俵を持ち上げる。しかし、腰が……。

 

三室小学校の生徒達も踊った『三室ほがらか音頭』。校長先生も踊っていました。