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Archive for 8月, 2011

フラダンスとハワイアン

31 8月

音楽活動の夢の一つ
   今から約50年前、大学へ入ると、私は軽音楽クラブの創立メンバーの一員として音楽活動を始めた。その頃先輩達はハワイアンバンドを編成し、あちこちで演奏活動を行っていた。

  私は、大学ではドラム担当としてレギュラーメンバーであった。しかし、ハワインギターにも興味があったので、アルバイトで楽器を購入して先輩を見習い、練習していた。

   あれから約50年。今、おじさんバンド活動でハワイアンギターをやることになった。昔は勝山でも何人かはハワイアンギターを持っていたように思う。今、市内に、ハワイアンギターを弾く人はほとんどいないのではないだろうか。

  音楽活動は色々やってきたが、夢が2つある。その一つは、ハワイアンバンド付きのフラダンスチームを作って、演奏活動をしてみたいということだ。

私のスタジオでフラダンスの基本練習をする和太鼓のメンバー。メンバーのお母さんが一人参加した。親子で同じことに取り組むのも微笑ましいものだ。

  ハワイアンバンドは最近始めたので、問題はフラダンスチームをどうして作るかであった。そこで、夏祭りの反省会のときに、いっしょに和太鼓をやっているメンバーに「一度、フラダンスをやってみないか?」と声をかけた。彼女たちは、乗り気であった。

  そこで、今日は、和太鼓の練習日であるが、フラダンスの練習に当てることにした。太鼓メンバーの娘達はロングスカートを持って集まってきた。先生は、長年フラダンスを習っているSさんだ。

  「今日はフラダンスの基本を教えてやって下さい」とSさんにお願いした。フラダンス初体験の娘達が熱心に練習した。時々、スタジオを覗くと、それらしく見えた。今日は、23歳の娘達に混じって太鼓のメンバーのSさのお母さんも参加していた。

  休憩時間に、自作のバンドカラオケに合わせて、私がハワインス(ティール)ギターで「南国の夜」を弾き、先生役のSさんが見本に踊ってくれた。その後、同じく「珊瑚礁の彼方」を弾き、全員で基本リズムを復習した。

  もしかしたら、私の音楽活動の中で抱いている一つの夢が実現しそうである。それは、バンド付きフラダンスチームを作ることだが、また夢に一歩近づいたように思う。県内にはフラチームはたくさんあっても、バンド付きのチームをほとんどないのではなかろうか。

  それだけに、価値があるように思う。今後も、太鼓の合間にフラダンスを練習することをみんなで決めた。来春には夢の一つが実現するかもしれない。太鼓のメンバーが乗り気であるのが嬉しい。

(日記 午前中はバンドの編曲作業と楽譜作り。午後2時から、私の事務所で「童話サークル」を作るための発起人会を開いた。集まったのは4人。いずれもこれまで市民大学講座の「童話講座」に参加していた者ばかりだ。10月29日に市立図書館で発会式を開催する予定だ。これもやりたかったことなので嬉しい。夜は、太鼓の練習日だが、フラダンスの基本練習を行った。退職してからもかなり忙しくなってきた。)

 
 

臨機応変

30 8月

突然の稲刈り
   朝、家内と二人で絨毯を洗っていたところ、能事組合法人のMさんから電話がかかってきた。「身体空いているか?稲刈りの手伝いしてもらえんか」との電話だった。

  暇かと言えば、現役時代と同様に目が回るほど忙しい。しかし、どれもこれもはっきりとした「締め切り日」がない。多くのことは、自分がやりたいと思ってやっているだけだし、色々頼まれても、それは自分がやりたいことが多いので苦にはならない。

  私のスケジュールは、臨機応変に先延ばしすることができるのだ。「わかりました」と返事をして作業服に着替えて、軽トラックで法人の農舎へ向かった。

今日の稲刈りスタイル。軽トラックに袋を取り付け、コンバインから直接この中へ籾を入れるのだ。愛車と共に組合の農舎の前で記念写真。

  よく聞いてみると、当番になっていた人達が無断で休んだというのだ。連絡がうまくいかなかったのだろうか。今日は、当番でない者が、稲刈り機操作(オペレーター)1人、補助員二人ノ計3人だった。

  今日の私の役目は、稲刈り機が刈り残した稲を刈ること、軽トラックにコンバインで刈り取って脱穀した籾をJAのカントリーまで運ぶことだ。単純作業であるが、結構暑かった。

   一昨年までは、臨機応変に稲刈りに出るなどは考えられもしなかった。田んぼを預けて全て組合に丸投げであった。その恩返しというわけでもないが、今は自分の仕事を後回しにしても組合に役立つことであれば、積極的に参加したい。

  臨機応変に何でもできるというのは、長い人生の中で、昨年の4月からだ。地域のため、家族のため、自分のためにできることをやりたい。

  子ども達にとっては、いよいよ夏休みが終わる。しかし、私にはいつもが夏休みのような長期休暇であると言えなくもない。これらの時間を有効に使って生き甲斐のあることに励みたい。

(日記 午前中、絨毯洗い。途中で電話があり、村の稲刈りに出た。いい汗をかいた。身体は疲れたが気分は爽快であった。心地よい疲れだ。晩飯が美味しかった。食卓に並んだものは、ほとんど家庭菜園で穫れたものばかりだ。夕食のおかずは、「ナス、シシトウ、ニンニクの天ぷら」、「ササゲのごま和え」、「焼きピーマンの田楽」、「トマト」、「おくらのお浸し」、「カボチャの煮物」、「ニンニクのたまり漬け」、「蔓まくりの甘瓜とミョウガの浅漬け」、そして「魚」。魚以外は全て家庭菜園で穫れたものばかりだ。それに、デザートは「完熟いちじく」。妻曰く。「タンパク質さえ買えば後は畑のもので料理ができる」と。経済的にも結構助かっている。)

 
 

身体も精密機械

29 8月

リハビリで思うこと
 腱鞘炎のため両手の指(左手:親指、右手:中指)の手術をした。特に、右手の中指は長い間放置しておいてからの手術だったために、思うように筋が伸びなくて週に2回リハビリのために,福井のY整形外科まで通っている。

  指を曲げたり伸ばしたりしてもらっているわけだが、その痛みは尋常ではない。思わず顔をしかめ、身体を動かしたくなる。生まれつきの素質なのか、それとも指の使い過ぎなのか、いずれにしても、指を酷使していることは間違いがない。

  若い頃はそれでもよかったのだろうが、歳をとったら無理をしてはいけないと思う。農作業の時でも昔なら簡単に持てた重さが今は苦になる。無理をしないようにしようとしているが、時にはそうもいかない場合がある。

  高齢化社会になったのだから、いろんな「モノ」の重さを2~3割は軽くしてもよいのではなかろうか。肥料の袋の大きさ、米袋の大きさ等々。自分の地区を見ていると、無理をしたと思われる人が少なくない。疲労によってだろうか、肩や足の筋を切った人も何人かはいる。

  そうした人たちの中には、昔から力仕事やスポーツで頑張ってきた人が少なくない。体力や筋力などあらゆる部分が年齢と共に弱くなっているのに、気持ちだけは昔のままでいる場合が多いように思う。

  病院のリハビリの部屋を見ていると、腰を悪くした人、肩を悪くした人、足を悪くした人、腕を悪くした人、指を悪くした人、いろんな人が機械を使ってリハビリに励んでいる。

  そして、リハビリは一日や二日では終わらないようだ。そのため、リハビリ仲間ができつつある。「頑張る」という言葉にもいろんな意味がある。若い頃はともかく、一定の年齢に達したら「無理をせずに頑張る」ことが必要だと思う。

  人間の身体は、精密機械のようなものだ。本物の機械は、一定の年限を経たら悪くなった部品を取り替えればよい。例えば、車なら、タイヤを替えたり、ブレーキを替えたり、時と場合によってはエンジンまで替えることもある。

    家ならば、屋根を取り替えたり、床や窓を取り替えたり、耐震補強をしたりと、色々快適にするためのリフォームができる。しかし、人間の身体はそうはいかない。

   将来はともかく、今のところ人間はごく一部の部分しか取り替えることができない。やはり、今ある身体を健康に保つことが大切だ。身体の筋肉や、骨格そのもの、内臓など様々な身体の部分を大切に扱わなければならないと思う。

   そういえば、私も50肩には本当に泣かされた。手が上へ上げられない。好きなキャッチボールもできない。手を後ろへ回すこともできない。そして、なによりも肩が痛い。数年間、50肩に悩まされたが、いつの間にか直ってしまった。

  肥満、偏った食事、運動不足、寝不足、悪い姿勢、……、身体を悪くする要素はたくさんある。健康のために「私はこれをしている」と自身を持って言えるものを持ち、それを継続していきたいと思う。

(日記 午前中、指のリハビリのために福井のY整形外科へ行く。午後は、オカリナ曲の伴奏(練習)のためのCDづくり。肩がこった。目も疲れた。姿勢も悪かった。指も酷使した。これではダメだ。)

 
 

子ども達は地域の一員として育っているか

28 8月

地域社会の崩壊
   いろんな地域の人たちと交わり、いろんな地域の人たちと話していると、「地域社会の崩壊が進んでいる」と私は感じている。表面的には、地域で様々な活動が行われ、活気があるように見えるが、実際にはごく一部の者しか活動していない場合が多い。

  その一部の人間とは誰か。それは係(役員)である場合がほとんどだ。形式的には、いろんなことが行われているが、効果が上がっているかどうかは疑わしい。いかに、役員以外の人たちを地域の活動に巻き込むかが問われている。

  地域の将来を担っていくのは、紛れもなく子ども達である。そこで、各地域の大人達が、「子ども達を地域の一員」として扱っているかどうかだが問題だ。

  一例を挙げると、今春、某地区のOさんから誘われて、左義長の練習会に何度か参加した。地区の集会所の1階には幼児や小学校低学年の子ども達が、2階には小学校高学年の子ども達が熱心に練習していた。

  そして、小学生の練習が終わると、時間を区切って、中学生や高校生、大人と順次会場に現れて練習が始まるのだ。お囃子部隊もたくさんの人たちが集まり、熱心に練習に0取り組んでいた。この地区では、当分の間は、後継者不足に悩むことはなさそうである。

  しかし、仕組みはしっかりしていても、旧町の一部では少子化が進み、指導しようにも肝心の子ども達がいないという悩みを持っていた。とにかく、地域の将来を担う子ども達を地域でどのように育てるかが今一番問われていると思っている。

  しかし、現実には、多くの地区の子ども達は、習い事やスポーツ活動に忙しく、地域の一員としての活動は、地域の行事に(お客さんとして)顔を出すくらいではないだろうか。習い事やスポーツ活動を否定するのではなく、これらと同様に地域との関わりが大切だということを力説したい。

  高校を出て勝山を出るとき、子ども達はそれぞれの地域を「ふるさと」と思うであろうか。子ども達の年齢に応じた地域との関わりを私たち大人が真剣に考えないと、子ども達には地域を「ふるさと」とは認識できず、将来帰るべき所であるとの気持ちは弱くなるであろう。

    子ども達が地域をふるさとと認識する際の一歩は、地域の人との交わりではなかろうか。地域での温かい人間関係は子ども達を地域の一員であると認識できる第一歩であると私は考えている。

  自分を認めてくれる人が地域にいるということは子ども達にとっては心地よい感覚ではなかろうか。子ども達を地域の一員として育てることが過疎化を防ぐ一つの方法ではないかと思っている。

   盆踊りも、地域の子どもから大人までが参加して地域で復活すれば、左義長がそうであるように、地域に一体感が生まれ、地域づくりに役立つのではないかと思っている。今、平泉寺町でも、盆踊り復活の兆しがある。全面的に協力したい。

(日記 午前中、部屋の片付け。妻は、黒瓜で「奈良漬け」作りとヤーコンの葉でお茶作り。午後は、少し休んだ後、家内と二人で家庭菜園の整理。とうとうキンカン瓜の蔓もまくった。畑の隅のある「イチジク」が大きな実をたくさんつけ、毎日数個は収穫できる。家内は、紫色の紫蘇と青紫蘇の葉を採っている。夜、紫蘇ジュースを作っていた。家庭菜園のおかげで保存食品が増えていく。)

 
 

平泉寺で盆踊り復活

27 8月

踊り再開で秋祭りに賑わいを取り戻す
   一月ほど前に、平泉寺のOさんから電話がかかってきて、「祭りに盆踊りを指導して下さい。」ということになった。その平泉寺の祭りが今日だ。天気予報では夕方は雨が降るという。しかし、午前中はよく晴れていた。

   午後7時半近くに平泉寺の神社へ行く。天気は良かった。はたして平泉寺で何年ぶりかの盆踊りが復活するだろうか。予定の8時近くになってもあまり人が集まらなかった。しかし、予定通り午後8時に開会の挨拶があり、「踊りの夕べ」が始まった。

  私は,一応指導者ということと、平泉寺では久しぶりの盆踊りということでなので、踊り方を説明しながら、「おどり隊ひらり」の皆さんの協力を得て、参加者の皆さんに説明するつもりでいた。

   そこで、「千本搗」から1曲ずつマイクを使って踊り方を説明し、CDに合わせて踊り始めた。「やっと覚えたのでもう1回やってほしい」との声があったので、2回ずつ踊ることにした。

平泉寺の祭りで復活した盆踊り。今後さらに発展する予感がした。

  「千本搗」、「勝ち山ほがらか音頭」、「ときめきのルンバ」、「平成音頭」、「花笠音頭」の5曲を順次踊った。ここでいったん休憩し、その後これらの5曲を続けて踊った。

  予想以上に沢山の人が来て踊ってくれた。関係者は、「来年も続けたい」ということだった。踊りを経験した世代から、若くて盆踊りは初体験という人まで参加していた。

   平泉寺全町を対象に「盆踊りを楽しむ会」を立ち上げたいと考えている笹尾のTさんも踊りに来ていた。踊りが好きであることと、盆踊りの意義を理解している人だから、頼もしい。できる限り応援したいと思う。

  休憩時間に、「町民運動会で子ども達といっしょに踊ったらどうですか?子供の指導なら私が引き受けますよ」と平泉寺の壮年会の連中に提案した。「今度の会合で話してみます。」ということだった。

平泉寺の神社と壮年会の役員(左2人)と私と「おどり隊ひらり」の皆さんで記念写真。

  この調子なら、平泉寺では、盆踊りの復活も遠くないと感じた。特に、平泉寺町で最も大きい集落の平泉寺区が盆踊りを始めたのだから、頼もしい。

   今度は、これらの人達が一堂に会して盆踊り大会を開催したいものだ。地道な運動だが少しずつ成果が上がっているように思う。今日は楽しい一日となった。

(日記 午前中は、ウドの植え替え作業。春、山菜教室を受講した際にいただいたウドをこれまで鉢に仮植しておいたが、今日は半日陰の家の前に植えた。その後、ショウガに」土をかけた。その後、トマトの脇芽切り。午後は、おじさんバンドで演奏する予定のジャスの曲「朝日のごとくさわやかに」の練習用のCDづくり。結構時間がかかった。午後8時より平泉寺の祭りで「おどり隊ひらり」の皆さんの協力を得て盆踊りの指導。予想以上に多くの人が参加してくれた。平泉寺では盆踊りがもっと盛んになる予感がする。)

 
 

民主党代表選挙

26 8月

政治は数
   「風が吹けば桶屋が儲かる」ではないが、「政治と金とつながる」と思ってしまう。特に国政に於いてはそうでなかろうか。常に金にまつわる問題が起こる。

 「風が吹けば桶屋が儲かる」では、風が吹けば土ぼこりが立つ→土ぼこり目に入って盲人が増える→盲人が増えれば三味線を買う人が増える→三味線に必要なネコの皮が必要になり、猫が殺される。→猫が減ればネズミが増える。→ネズミが増えれば桶をかじる。→桶の需要が増え桶屋が儲かる。」ということらしい。

   政治は数で決まる。→政治で力を持つには派閥の数を増やさなければならない。→派閥の数を増やすには金が欲しい→金を集めるには金を出す人間を増やさなければならない。→金を出して貰うと、金を出してくれた人の言うことを聞かなければならない。→金で政治が動き正しい政治ができなくなる。

  このようにならなければよいがよいがと思ってしまう。原発でも不明瞭な金が動いていたのではと思ってしまう。いち早く原発再稼働を表明した某町長の実弟が原発関係の工事で多額の利益を得ていたとの報道があったが、やっぱりと思ってしまう。

  原発では、相当不明瞭な金が動いているように思われる。やらせの問題も後を絶たない。国策を進めるために行う様々な市民の集会ではこれまで何度も「やらせ」が問題になった。

  まだまだ、日本は政治的には未熟ではないかと思ってしまう。政治不信が今ほど高まっているときはない。しかし、これらの責任は必ずしも政治家だけの問題ではない。そうした人達を政治の場に送り出した私たちの責任でもあるのだ。

本格的に実り始めた大粒のいちじく。私も家内も大好物だ。

  今日、管総理が退陣表明を行った。民主党の代表を巡っての派閥(グループ)の動きが活発である。脱小沢か親小沢かで代表選挙が行われそうである。結局は数の論理で結果は決まるであろう。数の多いグループが結果を左右しそうである。

  しかし、沢山の数で押された当選した者は、その数に見合うポストを用意しなければならないであろう。手足を縛られて政治を行わなければならないであろう。どちらを向いて政治を行うのであろうか。やるせない気持ちでいるしかない。

  またまた、新総理を巡って足の引っ張り合いが始まるであろう。政治不信が増幅されそうである。まだまだ、日本は近代国家にはなっていないように思われる。政治不信のまま、増税では国民もたまったものではない。

(日記 午前中、ショウガの消毒。初めての消毒だ。某しょうが産地では30数回消毒をするそうだ。その後、畝の間にある土をショウガの根本にかけた。午前中いっぱいかかった。午後は、楽譜の整理。夜、ふくいのKさんと大野のMさんが「親父バンド」の打ち合わせにやってきた。午後7時半から、教育会館で行われる旧勝山町の婦人会の民謡教室に参加。途中で退席しなければならなかったが村岡の「おどり隊ひらり」の皆さんが来てくれたので、後のことをお願いして教育会館を後にした。慌ただしい一日だった。)

 
 

盆踊り復活アクション(平泉寺区)

25 8月

平泉寺の祭りで盆踊り
  「平泉寺の祭りで踊りを指導してもらえませんか?」と、平泉寺壮年会のOさんから電話がかかってきた。誰かに何かを頼まれたら多くの場合、私は断らないことにしている。即座に「わかりました」と返事をした。

   しかし、当日お宮さんへ行って「皆さん踊りましょう」と叫んだところで、おそらく誰も踊らないだろうと思う。そこで、「一度くらい練習会を開いたらどうですか?」と提案した。その練習会が今日だった。

「平泉寺生活総合センター」での秋祭りの踊り練習会。皆さん楽しそうに踊っておられた。

   私は、盆踊りに対して少しだけ考えを変えた。今の若い者や子ども達に盆踊りを普及しようと思ったら、少しはそれぞれの年代に合わせなければと、先日の春江町中庄地区の盆踊りを見て考えを変えた。

   盆踊りに取り組む曲を次の三つにしてみようと考えた。
  (1)地元の歌(地域の歌)
  (2)県外の民謡
  (3)流行の歌

 今日は全部で5曲練習することに決めた。(1)の曲として、「千本搗」、「勝ち山ほがらか音頭」、(2)の曲として「花笠音頭」と「相馬盆歌」、(3)の曲として氷川きよしの「ときめきのルンバ」を練習した。

  (1)、(3)、(2)の順に曲数を多くした方がよいと思う。(2)で「相馬盆唄」を取り上げたのは、勝山市に避難してきている人はほとんど福島県の人であるからだ。福島県のことを忘れないということもある。

  聞いてみると、今日来なかった人の多くは、「盆踊りを忘れた」というものだった。忘れるも何も、元々覚える必要などないのだ。みんなといっしょに踊っていれば自然と身につくものだ。

  参加した皆さんは楽しそうに踊っていた。休憩時間には、踊り指導の応援に駆けつけてくれた「おどり隊ひらり」の皆さんに「勝山よいとこ」を踊って貰った。この1曲だけはどちらかと言えば「小原おどり風」の踊りだ。他は簡単に踊れる「郡上踊り風」の踊りばかりだ。

休憩時間に行われた「おどり隊ひらり」の皆さんによる「勝山よいとこ」の踊り。

   はたして、明後日の平泉寺の祭りに踊りの輪が立つだろうか。心配ではある。できれば今日練習に来た人達が中心になって頑張って欲しい。当日も、「おどり隊ひらり」の皆さんに応援して貰って短時間でも大きな踊りの輪ができればと願っている。

  嬉しいことに、平泉寺町全体で「盆踊りを楽しむ会」ができそうである。今日の練習会にも、その中心になりそうな他地区のTさんが練習会に参加してくれた。村岡、遅羽に次いで、平泉寺でも少しずつではあるが、盆踊りが復活しつつあるようだ。

   今日も、練習会の最初と最後に、地域づくりと平泉寺の歴史の魅力について話した。そして盆踊りの意義についても触れた。平泉寺の人達にも自信を持って貰って、まちづくりに励んで貰いたい。

(日記 午前中リハビリのために、福井のY整形外科へ行った。午後は、今日の盆踊りの練習会のための準備をした。時々、時間を見てエレキギターの練習をした。若い頃と比べるとずいぶん指の動きが悪くなっている。記憶力も悪くなっている。OB会のために毎日少しずつ練習したい。午後7時半より「平泉寺生活総合センター」で秋祭りの踊りの練習を行った。当日、踊りの輪が立つことを祈るばかりだ。)

 
 

稲刈り始まる

24 8月

稲刈り助手を務める
   「農事組合法人かたせ」の稲刈りが昨日から始まった。しかし、昨日は雨だったので実質は今日が初日みたいなものだ。今日は私が、法人から指示された作業日だ。

  一昨年までは、全てを組合に任せていた。ただ、田んぼを預けているだけで、あった。しかし、昨年の3月に退職したのを機会に、指示された日の作業は気持ちよく務めることにしている。

たまたま、今日は私の田んぼの稲刈りも行った。

   今日は、朝8時から作業を始める予定だったが、昨日の雨で田んぼが乾いていないので、午前9時からの作業開始となった。私の役目は、コンバインを動かして稲を刈る人(オペレーター)の手元(助手)だ。

   コンバインが刈り残した部分の稲を稲刈り鎌で刈るのだ。特に、田んぼの角(コーナー)を回ったりする場合に刈り残しができるが、それらを刈り取ることも多い。

  また、刈り終えて田んぼを移る場合に、道路を泥で汚すことになるが、それらをスコップですくって田んぼへ戻すのも私の役目だ。午後は、昨日の遅れを取り戻すために午後6時半過ぎまで稲刈りを行った。

  たっぷり汗をかいた。自然にダイエットができてしまう。たまに、こうして肉体労働をするのも悪くない。退職してから、こうした肉体労働をするのは、私にとっては気分転換になる。

たまたま今日は私の田んぼの稲も刈ったので、家庭菜園の材料にするために藁を細かく切らずに田んぼへ落として貰った。、

(日記 午前9時から、昼食をはさんで午後7時近くまで、組合の稲刈り作業の助手を務める。午後7時半より「春駒太鼓」の練習。今日は、チャッパの曲を練習した。)

 
 

夏野菜は終盤戦

23 8月

家庭菜園はいよいよ秋の準備
   私の最近の生活スタイルは、「晴耕雨パソ」、つまり、晴れたら家庭菜園か、法人で借りた里芋やショウガやヤーコンなどの世話で、雨が降ったらパソコンで絵を描いたり、曲を作ったりしてきた。

  家庭菜園の方は、夏野菜がピークを迎えている。ジャガイモやトウモロコシは終わってしまった。最初は不調だったナスも今はよく実っている。トマトも今年は沢山食べることができた。まだまだ収穫できそうだ。

  黒瓜は、食べきれないのほど沢山穫れるので、家内が「奈良漬け」にするために塩漬けにしてある。かなりこれから酒の粕に漬け込むのだ。キュウリも一度にたくさん収穫したときには「キュウチャン漬け」にしてあるのだ。5回ぐらいは、作っただろうと思う。息子達も大ファンだ。

保存食として「奈良漬け」にする黒瓜。一夜漬けでも美味しい。

  沢山実っても食べるしかないのが、キンカン瓜だ。最近では、フルーツ(野菜?)と言えば、キンカン瓜だ。しかし、このキンカン瓜などは簡単には人にあげられない。というのは、もし甘くなかったら申し訳ないからだ。他の野菜ならいくらでもあげられる。

  これから、秋野菜の準備だ。大根は何段階にも分けて種を播くのだ。そうすれば、いつでも「すぐり菜」」が食べられるのだ。少し大きくなれば、アゲといっしょに「味噌煮」にする。私の大好物だ。

   秋も遅くなると、来年の春のために、エンドウの種を播いたり、ニンニクを植えたりするのだ。年がら年中、小さな家庭菜園の野菜が食卓に並ぶ。毎日、オクラ、ナス、キュウリ、トマト、ジャガイモなどが食卓に並ぶ。

  果物としては、家庭菜園の傍に植えてある「キウイ」や「いちじく」も、今年は豊作のようだ。自分で作ったものを食べられるのは幸せだ。農薬などはほとんどかけないからだ。

今年は大豊作のキンカン瓜。昔懐かしい味だ。

   また、法人から2畝を借りて作った作物の収穫も楽しみだ。初めて作った「里芋」や「唐の芋」の収穫も待ち遠しい。それに、いつもの倍ほど作ったショウガも楽しみだ。ヤーコンも少し作ってある。

(日記 午前中、家庭菜園の整理。秋野菜の準備などをした。家内と二人で、午前中いっぱいかかってしまった。午後は、和太鼓とオカリナの楽譜作り。)

今年は沢山食べられそうな「いちじく」。家内の大好物だ。ようやく毎日食べられるようになった。

今年は大豊作のキウイ。半分ほど摘果したけどそれでも沢山実っている。

 
 

米という字

22 8月

米作りの簡素化
  「米」という字は“八十八”と書く。それほど米作りには沢山の種類の仕事があるのだ。しかし、最近の米作りは、機械、化成肥料、農薬などによってずいぶん簡略化したように思う。

  私が知っているだけでも、ずいぶん簡略化したように思う。昔と今を比べるとずいぶん違う。

《田作り》 馬を使い、「鋤」で荒起こしをし、次いで「輪車」で土を砕き、さらに「万鍬」で土を砕き、田んぼを水平にし、最後に「いぶり」で田んぼをならすのだ。肥料は、馬の糞などで作った堆肥をまいたりした。……今なら、トラクターだけでこれらの作業をこなす。しかも何倍の速さで。肥料は化成肥料で済ませる。

《苗作り》 水につけて芽出しをし田種を、苗代に播く。成長を促すために燻炭を播いたりする。……今は、JAから苗を買う。

《田植え》 苗代から、苗を取る。一方田んぼの方は、水を落とし、枠を回して田んぼに苗を植えるために印を付ける。ここに、人力で苗を植える。時間のかかる退屈な仕事なので、「結い」によって一気に終える。……今なら田植機一台で終わる。能力は人間の比ではない。

《除草》  手で草を取ったり、人力の除草機を回す。かなりの重労働だ。……今なら農薬で終わる。しかし、農薬も万能ではないが。

《稲刈りと脱穀》 稲刈りには稲刈り鎌を使って、人力で行う。例えば、午前中稲を刈ったら、株の上に並べておく。乾燥のためだ。午後、それを裏返しにしながら束ねる。さらに、それらを夕方田んぼから運び出し、荷車で「はさ」まで運び、「はさ」に架けて乾燥させる。「はさ」から下ろした稲は、自宅へ運び脱穀する。脱穀した籾は、むしろを並べて何度も天日で乾燥させる。この乾燥作業はホコリが立ち、身体が痒くなる。……今なら、コンバインで稲刈りと脱穀を同時に行う。

《精米》 機械で臼すりを行うことによって、籾が「玄米」になる。……今なら、コンバインで刈り取り脱穀した籾はカントリーへ運び、乾燥、臼すりなど全てを行う。

かがむと顔に稲があたり、痒くなるので、ほおかむりをしながら「ヒエとり」をした。

  機械化などによって、作業効率は上がり、手間もかからなくなった。米という字は「十」と書いても良いくらいだ。とは言っても、例えば除草剤などはうまく使わないと「効き」が悪く、ヒエや雑草などが生える。

  私の田んぼも法人に預けてはいるが、水の管理や畦の草や稲の中に生える草取りは、原則として田んぼの持ち主がやることになっている。ただし、できない者は法人に頼めばよい。昨年までは私もそうしてきた。

  もし自分の田んぼの雑草などを取った場合には、ちゃんと賃金が出るのだ。時給は今年から1,000円だ。これが、農事組合法人のやり方だ。ヒエとりは簡単だが、長時間続けるのは大変だ。でも、短時間なら、こうした作業をそんなに苦にならない。退職してから、そう考えられるようになった。

(日記 午前中、福井のY整形外科で、腱鞘炎の手術の後のリハビリに出かけた。午後は、自分の田んぼのヒエとり。その後、里芋の小ずいき切り。秋に美味しい里芋がとれるだろうか。楽しみだ。午後7時半からオカリナ教室。終わる直前にみんなで民踊を踊った。平泉寺の祭りの踊りの指導を頼まれているので、みんなで事前に練習してみた。)