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子ども達は地域の一員として育っているか

28 8月

地域社会の崩壊
   いろんな地域の人たちと交わり、いろんな地域の人たちと話していると、「地域社会の崩壊が進んでいる」と私は感じている。表面的には、地域で様々な活動が行われ、活気があるように見えるが、実際にはごく一部の者しか活動していない場合が多い。

  その一部の人間とは誰か。それは係(役員)である場合がほとんどだ。形式的には、いろんなことが行われているが、効果が上がっているかどうかは疑わしい。いかに、役員以外の人たちを地域の活動に巻き込むかが問われている。

  地域の将来を担っていくのは、紛れもなく子ども達である。そこで、各地域の大人達が、「子ども達を地域の一員」として扱っているかどうかだが問題だ。

  一例を挙げると、今春、某地区のOさんから誘われて、左義長の練習会に何度か参加した。地区の集会所の1階には幼児や小学校低学年の子ども達が、2階には小学校高学年の子ども達が熱心に練習していた。

  そして、小学生の練習が終わると、時間を区切って、中学生や高校生、大人と順次会場に現れて練習が始まるのだ。お囃子部隊もたくさんの人たちが集まり、熱心に練習に0取り組んでいた。この地区では、当分の間は、後継者不足に悩むことはなさそうである。

  しかし、仕組みはしっかりしていても、旧町の一部では少子化が進み、指導しようにも肝心の子ども達がいないという悩みを持っていた。とにかく、地域の将来を担う子ども達を地域でどのように育てるかが今一番問われていると思っている。

  しかし、現実には、多くの地区の子ども達は、習い事やスポーツ活動に忙しく、地域の一員としての活動は、地域の行事に(お客さんとして)顔を出すくらいではないだろうか。習い事やスポーツ活動を否定するのではなく、これらと同様に地域との関わりが大切だということを力説したい。

  高校を出て勝山を出るとき、子ども達はそれぞれの地域を「ふるさと」と思うであろうか。子ども達の年齢に応じた地域との関わりを私たち大人が真剣に考えないと、子ども達には地域を「ふるさと」とは認識できず、将来帰るべき所であるとの気持ちは弱くなるであろう。

    子ども達が地域をふるさとと認識する際の一歩は、地域の人との交わりではなかろうか。地域での温かい人間関係は子ども達を地域の一員であると認識できる第一歩であると私は考えている。

  自分を認めてくれる人が地域にいるということは子ども達にとっては心地よい感覚ではなかろうか。子ども達を地域の一員として育てることが過疎化を防ぐ一つの方法ではないかと思っている。

   盆踊りも、地域の子どもから大人までが参加して地域で復活すれば、左義長がそうであるように、地域に一体感が生まれ、地域づくりに役立つのではないかと思っている。今、平泉寺町でも、盆踊り復活の兆しがある。全面的に協力したい。

(日記 午前中、部屋の片付け。妻は、黒瓜で「奈良漬け」作りとヤーコンの葉でお茶作り。午後は、少し休んだ後、家内と二人で家庭菜園の整理。とうとうキンカン瓜の蔓もまくった。畑の隅のある「イチジク」が大きな実をたくさんつけ、毎日数個は収穫できる。家内は、紫色の紫蘇と青紫蘇の葉を採っている。夜、紫蘇ジュースを作っていた。家庭菜園のおかげで保存食品が増えていく。)

 
 

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