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Archive for 12月, 2010

今年の芸能納め

11 12月

奥越地区ふくさとづくり大会に出演
  今日は、午前10時半より勝山市福祉健康センターで『奥越地区ふるさとづくり大会』が開かれた。表彰式の後、実践発表が行われた。

銭太鼓スナップ1(左端が私)

  歓迎のアトラクションとして我が地区の新作郷土芸能『片瀬豊年ばやし』を発表した。今年最後の発表だ。9月に創作した、まだ新しい郷土芸能だが少しずつ板についてきたようだ。

  県での発表も打診された。この発表の後、会場を移して『ふるさと料理試食会』が行われた。この会場で何人もの人から「よかったよ」と声をかけられた。発表したメンバーも気持ちがよかったようだ。

  夕方、5時から居酒屋で反省会を行った。大いに盛り上がった。もっともっと新しいメンバーを加えて村の郷土芸能として定着させたいとの声が多かった。9月以来結構忙しかったが、それぞれに満足できた年でもあった。

  片瀬のまちづくりや特産物づくりと並行してこの郷土芸能を発展させたいと思う。まだまだ改善の余地ありだ。餅つきバージョンも作りたいと思う。餅つきを実演しながら銭太鼓を披露できたらと思う。

銭太鼓スナップその2(女踊り登場)

(日記:午前8時に自宅を出て福井へビデオカメラを買いに出かけた。戻ってすぐ、午前10時半から始まる福祉健康センターでの『奥越地区まちづくり大会』のアトラクションに参加。ふるさと料理を味わって帰宅した。その後、事務所で数学のホームページづくり。午後5時より居酒屋で今日の芸能発表の反省会。)

銭太鼓スナップその3(左が家内)

 
 

自分との戦い

10 12月

健康を守るのは自分
 私は、二ケ月に1回定期的に病院へ通っている。今日は、それとは別に、昨年のドッグでの再検査のために福井の済生会病院へ行った。毎年一度は定期的に脳などの検査を行った方がよいと言われた。

  考えてみると、人体とは精密な機械だ。身体の隅々まで栄養や酸素を運ぶのは血液の役目だ。その血液の通り道が血管であるが、血液が健康的でない場合には、血管に余計なものができたりして取り返しのできないことになりかねない。

  身体には太い血管から、細い血管まで様々な血管があり、まちの水道管のように、体中に張り巡らされている。脳や目や臓器などには細い血管があり、血液がどろどろしている場合には、たちまち不具合が生じることになる。

  その、不具合を招くのは私たちの日々の生活習慣によるところが多い。健康を維持するには、栄養(食生活)や運動、休養のバランスがとれていなければならないと私は考えている。

  しかし、食べ過ぎたり、飲み過ぎたり、バランスを欠いた食事をしたり、酒やたばこや甘いもの、脂っこいものを食べ過ぎて不健康になる場合が多い。

  ついつい誘惑に負けてしまって、これらを口にしたり、日々の運動を怠ってしまうことが多い。私のように、ある程度歳をとると、不健康な生活をすると身体の不具合がすぐに現れてしまう。

  健康を維持するのは一種の戦いであると思う。自分との戦いである。弱い自分との戦いである。怠けたい自分との戦いである。これからは、忘年会や正月がやってくる。

  肉や魚を食べ過ぎたら、次の日は野菜を多くとるなどして健康な日々を送りたいと、毎回、検診がある度に反省する私である。

(日記:午前中、自宅を7時前に出て済生会へ向かう。3種類の検診を受ける。その後、買い物をして帰宅。午後は、歯医者へ行く。その後、数学のホームページづくり。午後7時半から福祉健康センター「すこやか」で、明日の郷土芸能発表(『片瀬豊年ばやし』)のリハーサルを行う。)

 
 

雪のシーズン到来

09 12月

早速スノータイヤ入れ
  午前中、いつもののように事務所で、数学のホームページづくりをしていた。10時半頃、医科大から帰る妻から電話がかかってきた。
「急に雪が降って動けない。」
「今どこや」
「北郷の近く。スノータイヤをはいていないので動けない。」
「今行くから、近くのコンビニで待っていなさい。」

  私の事務所の窓から見る限りは、雪はほとんど降っていなかった。帰宅してスノータイヤを入れて家内の車のスノータイヤを持って出かけたら、かなりの時間がかかってしまう。

  そこで、今すぐゆっくり走っていこうと決めて、ノーマルタイヤのまま北郷方面へ向かった。確かに、市街地を過ぎると路面にも雪があり、かなり激しく雪が降っていた。ゆっくり走り、家内の待つコンビニに着いた。

  車を交換し、ゆっくり運転して帰宅した。いよいよ冬が到来だ。これからは、家の周囲の雪よけや雪下ろしが待っている。スキー場に雪があって、道路には雪がないことを望む。

早速、車庫でスノータイヤの交換。いよいよ冬将軍の到来か。

 昼食後、早速2台の車にスノータイヤを入れ、スタンドでタイヤに空気を入れ、ガソリンを満タンにした。タイヤを交換しながら、いつも思う。インパクトレンチでタイヤを締め付けるのだが、締まったかどうかはわからない。

  そこで、最後は専用工具を使って手動で締めながら締まり具合を点検している。やはり、自分の手で確かめるのが一番だ。デジタルとアナログはどちらも大切だと思う。しかし、今は、デジタル流行だ。

(日記:午前中、数学のホームページづくり。今日から第2段階に入り、『一問一答』を作り始めた。午後は、スノータイヤの入れ替え。その後も、ホームページづくりを継続。午後7時半より、『片瀬豊年ばやし』の練習。日曜日に、『すこやか』で開催さえる奥越地区のまちづくり大会で発表するための練習だ。)

 
 

高校卒業50年

08 12月

来年は高校卒業50周年記念同窓会
  朝、事務所にいたら高校時代の同級生(福井在住のTさん)が尋ねてきた。「来年は勝山高校卒業50年にあたるので記念の同窓会をやりたい。発起人になってほしい。」ということだった。

  思えば、昭和33年4月に私たちは勝山高校へ入学した。勝山中学校を卒業した春休みには課外授業を始まった。そして、英語は、いきなり教科書の全文暗記が課せられた。おかげでその一部は今でも覚えている。

  特に、学業の他は、体育祭などが印象に残っている。あれから、50年。まもなく、70歳になろうとしている。ここまでくると、現在の状況はいろいろである。いまだに現役の者、退職して悠々自適の者など様々である。

  これまでも同窓会は行ってきたが、「今回はもしかしたら最後になるかもしれない。」とTさん。全国各地に散らばっている者が一堂に会することは楽しいことだろう。

  私の場合、中学校の同窓会はたびたび行われてきた。勝山中学校の卒業生だが、一クラス56人だった。当時はこのような人数が当たり前だった。

  同窓会をするに当たって一番の問題は、住所のわからない者が何人かいることだ。個人情報保護の立場から教えてもらえない場合もあるのだ。それでも、これからは住所のわからない人たちを探し出して、案内状だけは出したいと思う。

大人になるための単位
 雑談の中で、 「大人になるにも単位が必要だ」と私。同意してくれたTさんも、「海老蔵さんは芸能の単位は◎Aかもしれないが、社会人としての単位は未履修だったのだろう。」と同意してくれた。

  ニュースを聞いていても、「今回の出来事が勉強だ」という人は少なくない。今回の出来事は、高価な“授業料”かもしれない。この頃、単位未履修の大人が多いように思う。人ごとではない。私も、私の子供達も未履修の単位があるかもしれない。

  今後、単位不足の社会人が増えそうである。そのたびに、理解に苦しむ事件が起こりそうな気がする。人はその字のごとく、支え合うものだが、この頃は自分勝手に生きられると勘違いする者が少なくない。

  これからは、どんな時代が来るのかわからないが、単位不足のオトナが続出しないように、配慮しなければならないと思う。雑談をしているうちに、1時半になってしまった。それでも楽しいひとときを過ごすことができた。

NHK『龍馬伝(「大政奉還)』の一場面。残すは後1回のみとなった。

(日記:午前中、数学のホームページづくり。途中で高校時代のTさんが事務所へやってくる。午後も数学のホームページづくり。いよいよ第2段階に入った。午後4時から、『津軽じょんから節』の個人レッスン。楽譜をなぞることだけはできたが、人前で演奏するにはまだまだ道は遠い。教わっていて、今日も目から鱗の部分があった。夜、『竜馬伝』を2回分見る。とうとう最終回を残すのみとなった。今日の2回目は“大政奉還”であった。 )

 
 

原点に返って再出発

07 12月
子供太鼓ができないか
   そ「小学校低学年の子供でも太鼓をたたけるのだろうか?」 今から20数年前、私は子供あっちが曲太鼓を打てるのだろうかと、小学校2年生の長女と幼稚園児の長男に和太鼓を教えてみた。

  その結果、教えようによっては、予想以上に子供達は太鼓を打つことができるとわかった。そこで、近所の子供も集めて和太鼓を始めることになった。

自宅で練習する長男(左)と本を読んでいる次女(中)。二人とも高校では和太鼓活に取り組む。

  ちょうどその頃、越前大仏の建立が決まった。当時、私の地区の多くの人たちは門前町への出店を考えていたようである。私は、子供達に何か郷土芸能が作れないかと考え、和太鼓集団『越前勝山春駒太鼓』を創設した。

  創設したと言っても、和太鼓は高価で簡単に手に入れることができなかった。グループ創設の頃は大野市の『奥越太鼓ジュニアサークル』の指導者だったKさんに太鼓をお借りすることにした。

  普段の練習は、自動車のタイヤに台をつけて我が家や集会所で練習を行った。当時出場した『県下曲太鼓競技会』では子供の部で3年連続優勝したこともあって、子供太鼓は評判となり、市内外での出番が多くなった。

創立50周年記念のアトラクションで和太鼓を演奏する子供達

 その後子供達が高校生になったのを機会に、高校でも和太鼓を始めた。それと同時に、市外の高校や盲学校、福祉施設、市内の子供達にも和太鼓の楽しさを教えてきた。今も、いくつかのグループが私の作った曲を演奏してくれている。

  そして、20年以上が過ぎた。ここしばらくは、高校のOGと一緒に和太鼓を練習してきたが、やはり原点に返って子供太鼓を再開してみたいと思っている。

 

5つある締太鼓にはブルーのカバー、5つある長胴太鼓にはオレンジのカバーを掛けた。大太鼓にもカバーがある。

再出発に備えて

  新年度からの再出発に備えて、今日は終日、家内の助けを借りて和太鼓の防音カバーを作った。和太鼓というと、その音の大きさのために、練習には神経を使う。

  騒音に、無神経な指導者も少なくないようだが、部外者にはあれほどうるさい楽器はないだろう。特に、練習中の音の大きさは、周囲のものには公害と言われても仕方がない。

  私の考えた騒音カバーの中には、絨毯が2層、そしてウレタンが1層の3重が入っている。バチでたたくと、太鼓のように多少の弾力があり、音量は3分の1以下だと思う。私のスタジオで叩いても近所迷惑にはならないだろう。

全国大会で演奏する子供達

  和太鼓の練習を通して、子供達に太鼓の楽しさ、チームワークの心地よさ、礼儀作法、思いやり、表現の楽しさ、創造力などを教えることができたらと思っている。希望者が集まるかどうかはわからないが、準備だけはしている。

  現在は、北部中学校の選択音楽で和太鼓を教え、アメリカ人4人に和太鼓を教えているが、いずれも、継続できないのは寂しい。今年の夏も、せっかく教えたアメリカ人達が帰国してしまった。今いる連中もたぶん2,3年後には全員帰国してしまうのではなかろうか。

勝山市の代表として朝倉遺跡に出演した子供達

(日記:事務所で家内と一緒に、和太鼓の防音カバーづくり。朝から午後7時頃まで作業をしていたので外食にした。)

 
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初舞台に向けて

06 12月

楽しみはハーモニー
  オカリナを指導を頼まれて一ヶ月が経った。別に、私はオカリナが上手なわけではない。音楽が好きなだけだ。個人的には、『津軽じょんから節』を習っている。しかし、頼まれた以上は楽しい『オカリナ教室』にしなければと、いろいろ準備をしている。

初めての発表に向けて練習に励む『オカリナ教室』参加の皆さん。

 今日も、午後は、オカリナ教室の準備に明け暮れた。先ずは、個人練習用の伴奏CDづくりと楽譜を準備することだ。全員が一斉に同じメロディーを演奏するのはあまり楽しくない。ハモったり、掛け合ったりして異なるメロディーを吹いたりするのが楽しい。

  午後7時前に事務所へ出かけた。少し予習をしておいた。三々五々にメンバーが集まってきた。全員が集まったところで、前回の復習から始めて新しい曲に取り組んだ。みんな意外と上手だ。みんなで合奏するととても楽しい。

  来週の日曜日(19日)と再来週の土曜日(25日)が出番だ。どちらもクリスマス関係のイベントだ。オカリナは勝山ではあまり馴染みのない楽器なので、見に来てくださった皆さんの反応はどうなるだろうか。興味のあるところだ。

(日記:午前中、火災報知器を三つ設置。あと2カ所はほしいと思う。その後歯医者へ行く。通院の時間は本当にもったいない。通院後、昼まで数学のホームページづくり。午後は、北部中学校で和太鼓の指導。今日はリズムづくりの授業を行った。帰宅後、オカリナ教室の教材づくり。夜はオカリナ教室。結構忙しい一日だった。)

 
 

一区切り

05 12月

第1段階終了
  退職してから最もやりたかったことは、高校生のための『数学のホームページづくり』だった。一人で、自分の思った通りのものをつくろうとしたら、おそらくは十年以上かかるだろう。

   それでは、完成したころには相当歳をとってしまう。そこで、思い直して、第1段階としては、数学Bの数列に的を絞ることにした。

ホームページに登場する女子キャラクター

  先ず、基本となる代表的な『基本例題16問(同種の問題を数えれば全部で31問)』について、対話調に解説を進めることにした。

    一人の教師と男女一人ずつの高校生の3人が対話しながら、問題を解いていく形になっている。今後は、読者も話の中に加わるようにしたい。

ホームページに登場する男子キャラクター

  それぞれの問題には、第1ヒント、第2ヒント、第3ヒントと視聴者のレベルに合わせてヒントを見ることができるようにしだ。

  一番苦労するのは、数学の記号の入力だ。普通の入力法ではほとんど記号葉入力できない。大きな文字、指数などの小さな文字、Σなどの数学記号、分数など様々なものが出てくる。

ホームページに登場する私のキャラクター

  すべて画像化して進めることにした。しかし、これは非常に時間のかかる作業だ。ものによっては1ピクセル単位で描いたり消したりしながら作業を進めた。

  そして、ようやく第一段階のこの部分が完成した。と言っても、変更しなければならないところはたくさんある。

  ホームページの形をとっているので、リンクもしっかりしなければならない。この部分はまだまだ未完成だ。

  完成した部分と、毎日更新する“読解部分”、そして、基本的な公式などを編集して、数列の部分は終わることにする予定だ。今月中に、一部分でもオープンにしたいと思っている。

(日記:午前中、午後とも数学のホームページづくり。ようやく、第1段階だけ完成した。といっても、目標としている部分の20分の1位かもしれない。今日も録画で『龍馬伝』を見る。)

 
 

情報過多の時代

04 12月

書く者の立場で変わる
  私たちは、新聞や様々な書籍など活字になった情報に対しては、それが真実であるかの如く受け取りやすい。しかし、新聞を二紙以上購読してみると、よく分かる。

  A紙では重大であると捉えている問題でも、B紙では取り上げもしなかったり、小さな記事で済ませている場合が多い。新聞社の立場で記事の取り上げ方が全く違うからである。読み比べて、自分の頭で考えないといつの間にか洗脳されてしまう危険がある。

  また、物事を考える場合でも当事者として考えるのか、傍観者として考えるのかによってずいぶん異なる。傍観者はただただ批判さえしていればよいのだから気楽なものである。

 やはり、一定の年齢になったら、浮き草のように立場をはっきりさせずに批判ばかりしていないで、自分の立場をはっきりさせて前向きの意見を述べなければと思う。
 
 一定の年齢になると、建設的な意見を述べるよりも、批判的な意見を述べる人は多い。それでは前向きの行動につながらないばかりか、やる気のある人の足を引っ張りかねない。

  最近、ホームページ『ウィキリークス』によってアメリカを始め世界の外交文書がネット上を飛び交っている。何が真実かを見極めることは困難である。今後は、本音で語り難い世の中になりそうだ。情報公開と逆行しそうな部分もある。

  ※ウィキリークス:政府や企業の内部告発情報を一般から募集、公開するインターネット上のサイト。ジュリアン・アサ   ンジ氏が中心となり2006年に活動を開始した。現在は12か国以上の800人超が運営に関わっているとされる。

  インターネットの情報は、新聞や雑誌やテレビとは異なり、活字も映像もあっという間に時間や国境の枠を超えて世界へ広がっていく。

  このごろつくづく思う。ものにはすべて表と裏がある。プラスの部分とマイナスの部分があるのだ。情報の海におぼれながら、世界はどこへ向かうのだろうか。(少し大げさかな)

『片瀬豊年ばやし』は余興で終わるか、それとも郷土芸能として残るか(片瀬の新穀感謝祭で)。

(日記:午前中数学のホームページ作り。事務所の部屋で家内が締太鼓の防音のためのパッドを作ってくれている。太鼓の練習で困ることは騒音が出ることである。特に、練習中の音は近所迷惑になるからだ。午後も作業を継続。途中で、大根とカブをとる。私は.漬け物がなければ食事をしたような気がしないというほど、漬け物好きだ。家内は夜、さわらび会の会合に出かけた。新年の余興も考えるという。)

 
 

地位が人を育てる

03 12月

人を育てるために
 自分のことしか考えられなかった人間がある地位を得て、急に活躍することはよくあることである。

 教員の世界で言えば、教頭や校長などの管理職になると、大丈夫かなと心配するような人でもそれなりに以前と比べて視野が広がり、他に指導できる人間になるから不思議である。

 また、昨日まで学生だった者が教員になったとたんにそれらしく振る舞うから不思議である。周りから「せんせい、先生」とおだてられ、すっかりその気になって自分の力を過信するのは困ったことではあるが。

 教員免許は、教員になれる資格があると言うだけで、本当の教員になれるかなれなかはいかに自ら学ぶ気持ちを持ち続けるかであろう。

  PTAの役員でもそうである。学校や子供のことをあまり考えなかった者が、委員長や会長になると立派な挨拶をし、教育に関心を持つから不思議である。

  もっとも、私も、子供のおかげで親にしてもらったようなものである。妻のおかげで夫に、そして男にしてもらったようなものである。

 こう考えてくると、人はどのようにも育つように思われる。置かれた環境、立場によって、考え方まで変わり、それが行動にも影響を及ぼすのである。

 しかし、こうした立場や役職の中には、失われるものもある。いつまでも、会長でもあるわけではないし、いつまでも社長であったり、いつまでも先生であるわけでもない。

   しかし、いつまでも昔の名前で人前にしゃしゃり出て周囲のひんしゅくを買う人がいるが、そうはなりたくない。辞めてもなお“役職風”を吹かす者は鼻持ちにならない。

  地位を離れたら、その立場で肩の力を抜いて人生を送ればよいではないか。少なくとも私はそう思う。

 全ての地位を退いてなお渋く光る人間がいるが、それこそ本物であろう。間違っても“昔の名前”では生きたくない。せっかくの人生だから。

 今私たちが為すべきこと、それは、『若者にこそ、彼らに相応しいポジションを与える』べきではなかろうか。『彼らに相応しい活躍の場を与える』ことではなかろうか。

『数学的帰納法』の説明のために今日描いた“ドミノ倒し”の図(数学ホームページより)

(日記:午前中はもっぱら数学のホームページ作り。午後1時頃から久々にプールへ行く。プールの中を歩き、泳いだ。ジャグジー風呂で80歳過ぎのおばあさんから話しかけられる。今なお、子供の送り迎えもやっているという。素晴らしいことだ。その後、再び、ホームページ作りに没頭する。基本例題16問中15問はだいたい完成した。今月中には一部公開したい。夜は9月に放映された『龍馬伝』のビデオ3回分見る。)

 
 

“任せること”……論理的であること

02 12月

部下に任せられる組織を作るのは上司の責任
 昔の上司には、部下に向かって、「思い切ってやれ、責任は俺が取る。安心してやってみろ!」と言ったタイプが多かったということを時々聞くことがある。

  一見、度量がある上司のようにも見えるが、これには前提がある。安心して任せられる部下がいる場合か、そのように部下を育てている場合である。

 先日、テレビを見ていたら、それでも、最終結論は社長ではなく、社員というカリスマ的経営者H氏についての番組が放映されていた。

  しかもこの経営者は、破綻したリゾートやホテル・旅館等を次々と再生させているというのである。次々と実績を上げているのである。

   “社長でなく、社員が決定を下す”にも前提があり、この前提に私たちが、学ぶことが非常に多い。それは、結論に至るまでの過程を非常に重視していることである。

  例えば、旅館の経営再建の場合には、下足番、料理人から仲居さん、支配人に至るまで、全ての職員が平等に意見を言える場を設定していること、そして、出される結論が論理的である(ロジックがしっかりしている)ことをH氏が要求していることである。

  思いつきでは駄目だということである。過去の客層を徹底的に分析させ、どの層に一番焦点を当てるべきか、そして、その層にどのようなサービスを提供すべきかを全職員が一丸となって徹底的に話し合うことを要求しているのである。

  こうして、導き出された結論に対しては異議を挟まず、任せきるということであった。H氏が納得するだけの結論を導き出せば、安心して現場に任せられるということであろうし、全責任をH氏が引き受けるとのことであった。

  そうでなければ、数十億、数百億の赤字を抱えた企業を次々と何社も再建できるはずがない。『任せること、信じること』とは、任せられるだけの社員を育てる仕組みを具体的に作っていることである。

  漠然とした目標ではなく、説得力のある結論、論理的な結論を部下が出せるよう職場環境の整備に努めていることであろう。

  そのために、一般的に行われているピラミッド型の組織を廃し、フラット型の組織(小グループを作り、グループリーダーは自ら申し出る)を作って、一人一人の職員の能力を十分に発揮させる仕組みを作っていることも特筆すべきであろう。
 
 事を為すのは人であり、人こそ最高の財産であることを私たちは今一度認識し、人を信じて彼らに活躍の場を与える組織を作ること……、私が最も参考になった部分である。とても有意義な番組であった。

(日記:午前中数学のホームページ作り。途中で歯医者へ行く。午後も3時頃まで作業を継続。午後3時過ぎから事務所の資料の整理や掃除をする。モノがあり過ぎてストレスがたまる。捨てるモノがあるとほっとする。午後7時半より、『片瀬豊年ばやし』の練習。突然、出番ができたためだ。12月11日に市の教育会館で披露することになったのだ。)