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情報過多の時代

04 12月

書く者の立場で変わる
  私たちは、新聞や様々な書籍など活字になった情報に対しては、それが真実であるかの如く受け取りやすい。しかし、新聞を二紙以上購読してみると、よく分かる。

  A紙では重大であると捉えている問題でも、B紙では取り上げもしなかったり、小さな記事で済ませている場合が多い。新聞社の立場で記事の取り上げ方が全く違うからである。読み比べて、自分の頭で考えないといつの間にか洗脳されてしまう危険がある。

  また、物事を考える場合でも当事者として考えるのか、傍観者として考えるのかによってずいぶん異なる。傍観者はただただ批判さえしていればよいのだから気楽なものである。

 やはり、一定の年齢になったら、浮き草のように立場をはっきりさせずに批判ばかりしていないで、自分の立場をはっきりさせて前向きの意見を述べなければと思う。
 
 一定の年齢になると、建設的な意見を述べるよりも、批判的な意見を述べる人は多い。それでは前向きの行動につながらないばかりか、やる気のある人の足を引っ張りかねない。

  最近、ホームページ『ウィキリークス』によってアメリカを始め世界の外交文書がネット上を飛び交っている。何が真実かを見極めることは困難である。今後は、本音で語り難い世の中になりそうだ。情報公開と逆行しそうな部分もある。

  ※ウィキリークス:政府や企業の内部告発情報を一般から募集、公開するインターネット上のサイト。ジュリアン・アサ   ンジ氏が中心となり2006年に活動を開始した。現在は12か国以上の800人超が運営に関わっているとされる。

  インターネットの情報は、新聞や雑誌やテレビとは異なり、活字も映像もあっという間に時間や国境の枠を超えて世界へ広がっていく。

  このごろつくづく思う。ものにはすべて表と裏がある。プラスの部分とマイナスの部分があるのだ。情報の海におぼれながら、世界はどこへ向かうのだろうか。(少し大げさかな)

『片瀬豊年ばやし』は余興で終わるか、それとも郷土芸能として残るか(片瀬の新穀感謝祭で)。

(日記:午前中数学のホームページ作り。事務所の部屋で家内が締太鼓の防音のためのパッドを作ってくれている。太鼓の練習で困ることは騒音が出ることである。特に、練習中の音は近所迷惑になるからだ。午後も作業を継続。途中で、大根とカブをとる。私は.漬け物がなければ食事をしたような気がしないというほど、漬け物好きだ。家内は夜、さわらび会の会合に出かけた。新年の余興も考えるという。)

 
 

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