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ニンニク物語

21 11月

時期遅れかもしれないが
  私はかねてからニンニクに興味を持っている。しかし、家庭菜園でも、タマネギは作ったことがあるが、ニンニクだけは作ったことがない。いかにも健康によさそうな作物だ。

  退職したのを機会にニンニクにチャレンジしてみようと思ったが、種を買う機会を逃してしまった。そこで、失敗覚悟でスーパーに売っているニンニクを植えてみることにした。

  念のためにインターネットで栽培法などを見てみると、多くは10月までに植え終わっているようだ。ところで、スーパーで売っている食用のニンニクは種として使えるかどうかだが、いろんな意見が載っていた。

  発芽抑制処理をしてあるという記事が多かった。しかし、スーパーで買ったニンニクをよく見ると小さな芽が出ているものがある。芽が出ているものがあるのだから、畑に植えても芽が出るだろう。

  そう信じて植えてみることにした。青森屋北海道で10月中には植え終わるなら,勝山では121月中でも何とかなるだろう。そう思って時期遅れを覚悟して一畝植えてみることにした。

  それと同時に、自宅でニンニクをばらして、一粒、少し水を入れた皿の中に置いて発芽実験をしてみた。するとどうだ。一週間ほどでたくさんの根が出てきた。そして,さらにしばらくすると青々とした芽が出てきた。

  これなら根が出るはずだと,今日、一畝ニンニクを植えた。先日植えたニンニクは小さな芽を出し始めている。来年の春にはニンニクを収穫することができるだろうか。楽しみである。

同じテレビ番組を見ていたのに
  昭和61年のこと(1986年)のある日曜日(だったと思う)。私は、ぼんやりテレビを見ていた。兼高かおるさんの『世界の旅』であった。カリフォルニア州ギルロイ市のニンニク祭り(『ガーリックフェスティバル』)のようすを放映していた。

  ところが、青森県田子町の人たちもこの番組を見ていたのだ。そして、なんとテレビ番組を見ていた町有志3人がカリフォルニア州ギルロイ市を訪問し、友好の約束を得て帰国。

  翌年、ギルロイ市長とガーリッククィーンを招待。そして、田子町の渡部町長(当時)が渡米し、“姉妹都市”関係を締結。ギルロイ市から、田子町が求めていたものをそこで発見し、同市との交流を強く希望したのである。

  田子町は、その後日本一のニンニクの産地として、現在に至っている。なお、カリフォルニア州のギルロイ市は全米ナンバーワンのニンニク都市である。

  ニンニクの可能性は、人間が健康食として利用するだけではなく、牛のえさに混ぜたり、入浴剤にするなど、その可能性は無限であるように思われる。

  この日から、私の中には、ニンニクは生き続けている。このほか、ショウガ、朝鮮人参にも興味を持っている。私は、農業者ではないが、いつの日にか、この町でこれらを作る人が増えることを期待したい。

(日記:朝から昼食をはさんで午後2時まで雪囲い作業。午後、2時過ぎから午後6時まで数学のホームページ作り。作業の途中で、ニンニクを植える。うまく育つことを願う。)

 
 

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