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Archive for 7月, 2010

ミニミニコンサートでお別れ

21 7月

「えっ?三宅を知ってるの?」
 「趣味は何ですか?」
 「和太鼓です。大学で三宅を勉強しました。」 「福井のカルチャーセンターで和太鼓を習っています。」

 これが全ての始まりです。和太鼓に興味のある外国人と輪太鼓好きの男が出会うのに外国語の壁などありませんでした。まもなく、彼女たちは私の元へ通うことになりました。好きであるということは大切なことです。

 わずか半年の付き合いではありますが、左義長祭りには地域の集会場へ出向き練習させてもらったり、櫓へ登らせてもらうこともできました。4月からは、普通の和太鼓の練習を始めました。

 彼女たちにとっては和太鼓の練習になったでしょうし、私にとっては英会話の練習になりました。いつでもたくさんの質問をしました。

 「英語でなんと言うの?」

が、私の口癖になりました。特に外来語の発音には大きな差を感じていました。「オカリナ」でも彼女たちが発音するとまったく違うものに聞こえました。

 そして、今日最後の和太鼓のミニコンサート。Kさんの通っていた北部中学校の校長先生ご夫妻始め勝山の先生方、そして、彼女の仲間のALTの先生方もたくさんおられました。

 一区切りができて私も満足しています。

ミニコンサートポーズを決めるALTの二人(遅羽公民館で)

 

かっこいいフォームで「三宅」を演奏中の二人

 

初対面の方が賛助出演
 私のブログで知り合った福井市のKさんがこられました。初対面でした。そして、私が40数年前に作った『勝山小唄』と『津軽じょんから節』を歌ってくださいました。とても、上手な歌と三味線で感心しました。ミニコンサートに花を添えてくださり感心しました。

 人生において、人は何処で誰と知り合いになるかは、まったくわかりません。しかし、一ついえることは、前向きに生きていれば、誰とでも知り合いになれるということです。前向きに生きていれば、いろんな友達ができるということです。

 初対面の方が、一緒のステージに立てるなんて、すばらしいことです。今後とも、何らかの形でつながっていけるのではと感じています。何かで共演できればと思っています。

ミニコンサートで40数年前に私の作った『勝山小唄』を歌い演奏するKさん夫妻。私は即興の和太鼓でお付き合い。

 

 その後、外国人の方々に太鼓に触れていただきました。最後に、再結成した私のメンバーが練習中の『白山物語』を演奏しましたが、8月15日に向けての練習中の曲でまだまだということを痛感しました。

 ミニコンサートのあと少し練習し、私の事務所(山児童館)へ戻り、午後10時過ぎまで練習しました。メンバーは社会人になり仕事も忙しくなりました。その上、勤務地も福井が3人いて、しかも3人とも土日の勤務もあるなど、練習時間には大きな制限がありますが、今しかできないことにがんばってくれればと願っています。

 実に来てくださったかたがたに感謝したいと思います。また、二人のALTとはお別れすることになりました。彼女たちの洋々たる前途に幸多かれと祈りたいと思います。また、新しいALTが「和太鼓を教えてください」と言ってきています。また、0から始めたいと思っています。

(日記:午前中、ALTの和太鼓練習に付き合う。午後、ミニコンサートの準備。ホームセンターで丸棒を買ってきて練習用のバチを作る。
午後6時よりリハーサル。午後7時よりミニコンサート開始。その後、チームの和太鼓練習。かなり疲れた一日だった。)

 
 

盆踊り練習会と童話講座

20 7月

昼の練習会
 今日は夏祭りの「盆踊り練習会」の2回目を教育会館で行った。午前9時半から午前11時までの1時間半だ。昨年は勝山の民謡中心だったが、知っている民謡も入れてほしいという声があったので、勝山の民謡以外にも3曲練習した。

 別に私は盆踊りの指導者ではない。しかし、盆踊りを復活させようと思うと、やはり練習をしないわけにはいかない。そうした関係上、知っているいないに関係なく、民謡の指導をするハメになってしまった。

 しかし、私一人が指導するわけではない。盆踊り復活のアクションから生まれた村岡地区の『踊り隊ひらり』の誰かが必ず駆けつけてくれるので安心だ。今日も、『ひらり』のメンバーが3人駆けつけてくれたので助かった。輪の中心で踊ってもらっている。

 この他にも、私の地元猪野瀬地区の『さわらび会(食生活改善委員)』の皆さんや、遅羽地区の皆さん、浄土寺区の皆さんも毎回参加してくれているので心強い。

 前回より参加者が増えた。これで午前中の練習会は終わりだ。今後は、昼働いている人のために、午後7時から練習することにしている。また、今後の練習会には、伴奏隊や歌い手も加わることになっている。

夏祭りの盆踊りに向けて練習に励む皆さん(於:勝山市教育会館)

会員の作品を題材にしての童話講座
 午後7時から市民大学の『童話講座』が教育会館で開かれた。前回は所用で童話講座に参加することができなかった。今日は二人の受講者の作品3編を題材に講座が開かれた。

 受講は初めてだというIさんの作品は、初めてにしてはとてもよかった。私と同い年だが、なかなかスピード感のある童話を書いていた。彼女は、いろんなことにチャレンジしている。素晴らしいことだ。特に、小学校で童話の読み聞かせを長年やっているらしく、読み方も、上手かった。

 取り上げられた3つの作品は、三人称の立場で書かれたものと、一人称で書かれたものがあった。私も、3年間この講座に参加していて、一人称で童話を書くことを覚えた。主人公になったつもりで、文章を書くと、意外にすらすらと言葉が出てくるのには驚いた。

 最後に講師の藤井先生から宿題が出された。これからの二ヶ月間の間に童話を書いて提出するというものだ。楽しみではあるが、産みの苦しみを味わうことになるかも知れない。

 これまでの自分の作品に自分で絵を書いて童話集を作ってみたいと思っている。読み聞かせに使えるような絵本ができたらいいなあと思いながら今準備を続けている。

(日記:午前中盆踊りの指導。午後、和太鼓に使う篠笛の楽譜書き。夕方、ポンプで野菜の水やり。午後7時より市民大学の『童話講座』を受講。)

 
 

ラストレッスン

19 7月

発表の機会でやる気を
 思えば、今の二人の外人との出会い仕事の延長からだった。日本に来ている外国人の先生が問題なく、快適に暮らしているのだろうかということを尋ねるために会を持った。その会の最後に、「あなた方の趣味は何ですか?」と尋ねたときのことだった。

 三人のうちの二人が「趣味は和太鼓です」ということだった。おまけに二人のうちの一人は「アメリカの大学で三宅を勉強しました」という返事だった。

 三宅太鼓は、太鼓を横向きに、低い太鼓台に乗せてたたく独特の和太鼓である。リズムは比較的簡単だが、構えは全身を使う独特のもので決まればとてもかっこよいものである。

 そして、まず最初に左義長太鼓を教え、4月からは和太鼓を指導した。しかし、彼女たちは7月にはアメリカへ帰るという。いくら熱心でも3ヶ月あまりで人前に出て太鼓を打つことはとても困難である。

 そこで彼女たちに提案したのだ。「最後に友達を呼んで発表したら……」と。彼女たちは乗り気であった。しかし、時間がない。練習用のCDを持たせた。忙しくてもきっちりと練習した。

ラストミニミニコンサート
 そして、明後日、遅羽公民館でミニミニコンサートを開催するのだ。彼女たちの友達が少しは来るだろうということだった。今日は彼女たちは忙しそうだった。しかし、今日は彼女たちにとって私の事務所(山児童館)での最終練習日だ。

 地(ベースリズム)の異なる3曲を教えた。初心者にしてはとてもよいところもあるが、曲を途中で忘れてしまってミスすることも多かった。果たしてどうなることやら、21日が心配である。

事務所のミニ・スタジオで太鼓の練習をする二人のアメリカ人ALT(外国語指導助手)

せっかくの機会だからCDを
 彼女たちは歌が上手い。とくにD三はとても上手だ。彼女のために何かを作って歌ってもらいたいと思っていたが、なかなか時間がなかった。昨日から、今日にかけて曲を作った。幾つ作っても、気に入ったものができない。通常は一ヶ月以上かけて一曲作るのだが、今回は二日ほどで作らなければならない。

 彼女たちが帰国してしまうからだ。昨日作った曲を今日聴いてみると、全く気に入らない。朝から、コンピュータの前で、曲作りに集中した。頭からメロディーを搾り出そうとするが、なかなか出てこない。その前に疲れてしまった。

 ギターでメロディーを考える → パソコンに入力して聴いてみる → 修正する

 この繰り返しだ。パソコンで聴いてみるとおかしな所がよく分かる。しかし、それ以上のメロディーを作るとなると簡単ではない。正に「産みの苦しみ」だ。

 そして、ようやく、午後5時に不満足ながら、メロディーはできた。CDにした。歌詞はまだ十分ではない。今晩から明日の昼にかけて歌詞を作らなければならない。寝ている時間がなさそうだ。

(日記:終日歌作り。午後7時より9時まで太鼓のレッスン。本当に疲れた一日だった。パソコンと太鼓で腕は棒になった。)

 
 

監督は90歳

18 7月

日雇いゲートボーラー
 猪野瀬地区(勝山の1公民館区)のゲートボール大会が開かれた。3日前に選手が足りないので出てくれないかということで参加させていただくことにした。過去にも、一度誘われたことがある。

 午前8時の開会式に間に合うように弁天緑地のゲートボール場へ出かけた。我が片瀬地区からは3チームがでることになった。私はBチーム。監督は90歳のNさん。ゲートボール歴は長い。あれこれ指示が出た。第1ゲートを通過するのに苦労した。

 このNさんのように高齢になってもこんなに元気でいられるだろうか。ゲートボールが上手くて、ゲーム全体を把握していていろいろ指示を出すなんて本当に素晴らしい。

 弁天緑地は、桜の木の下に入れば涼しい風が吹いていた。ここで昼寝をしたら気持ちがいいだろうなというような爽やかな川風だった。試合を待っている間いろいろ話すことができた。我がチームは1勝1敗だった。決勝へは出られなかった。

 会場には、元気な高齢者がたくさんおられた。あの年まであの元気で頑張りたいと思った。目標ができてよかった。

反省会は4時間
 12時から村はすれの居酒屋で反省会が始まった。50歳代から90歳までの男女が集まり、生ビールや生酒を飲みながら、交流を深めた。今日に関してはゆったりとした時間が流れた。

 いろんな話が飛び出した。農業のことやまちづくりのことなども出た。腹が一杯になったが、みんな去りがたく、4時過ぎまで反省会が続いた。昔は、このようにゆったりとした時間の中で話すことができたが、近年はとてもあわただしかった。

 ゲートボールに出たことよりも、こうしていろんなことを話し合えたことが収穫であった。退職したものの特権かも知れない。このゆったりとした時間の中で、地域のためにできることをやりたいと思った。

(日記:午前中ゲートボール大会。午後4時過ぎまで反省会。その後、外国人に歌ってもらうための歌作りを行った。短時間ではなかなかいいメロディーが浮かばなかった。夜、区長のTさんが来て秋祭りや奉納芸能について2時間ほど話し合った。今日は、二人の娘がやって来た。上の娘は二人の子どもを連れて福井から、下の娘は大阪からやって来た。)

 
 

コンサートとマナー

17 7月

私語を慎んでほしい
 今日は、家内の両親と一緒にサンドーム福井へJA主催の『伍代夏子とコロッケ』のコンサートを見に出かけた。私は運転手をつとめた。演歌を作っている私としては、何かと参考になることが多かった。

 特に、コロッケの芸能生活30周年記念曲である『生まれた理由』は、とてもよい曲だった。さだまさしの作った歌だそうだ。物まねをせずに歌っていたが、きっと流行するだろうという予感がした。

 いつもコンサートになると気がかりなことがある。それは私語が多いことだ。歌、語りのいずれの場面でも、隣と延々と会話を交わすのである。気になってしょうがない。やむなく、「静かにしてください。」と優しく言ったが効果はまったくなかった。

 以前に同じサンドームで『ボリショイサーカス』を見たときのことだ。3人の子供を連れた母子が私の前でこのサーカスを見ていた。子供は走り回り、うるさいやら視界をさえぎるやらでサーカスを見るどころではなかった。

 家内は止めたが、私は我慢ならずに「どうにかなりませんか」と言った所、若い母親は食ってかかってきた。他人に迷惑をかけているという気持ちがまったくないのだ。今でもサーカスの中身は忘れたがこのことだけはよく覚えている。

 今日は高齢者が多いのか、私語など当たり前であった。いちいち隣と感想を言い合うなど、周りに気配りできない高齢者が多いなあと思った。

高低差のない席では帽子をとってほしい
 今日もそうであったが、大きなつばのある帽子をかぶって席に座っている人がところどころに見られる。私の隣の人もぼやいていた。「あの帽子のおかげで何も見えない」と。

 これは今年に入ってからのできごとだ。フェニックス福井でのコンサートの時のことだ。私の前に、大きな帽子をかぶった男性が座っていた。指定席券を買ったのだが、この帽子のために舞台が本当に見難かった。家内に「前の人に言うぞ」というと、家内はやめてと言う。サーカスの件を思い出しているのだろうか。

 せっかく高価な指定席券を買ったのに、この帽子のおかげで台無しだ。どう言おうか少し考えた。

 「すみませんが、コンサートが始まったら帽子をとってもらえませんか」とやんわり言った。

 前の席の男性は、即座には帽子をとらず、コンサートが始まってからとってくれた。他人に言われるまでもなく、大きな帽子をかぶっている人は、他人の迷惑になることに気付いてほしいと思った。高低差のある席ならまだしも、フラットな会場ではなおさらだ。

 今日は、隣の席の人が帽子のために見えないので、困っていた。代わりに言ってあげようと思ったが、帽子の人はひとつ隣の席へ移ったために、結局のところ、言わないままになってしまった。

 いかなる場所であろうとも、他人の迷惑にならないようにすべきである。特に、高齢者になると、他人の迷惑になっていることに気付かないでいることが多い。自分も気をつけなければならないと思った次第である。

(日記:午前中はジャガイモをとった後の畑を耕した。暑くて汗で着ているものがずぶぬれになるくらいであった。その後、トマトの支柱を直した。午後は、サンドームへ歌を聴きに出かけた。)

 
 

産みの苦しみ

16 7月

生きることは“つくる”こと

 たとえ「物まね」「人まね」であっても、作ることは楽しいものだ。しかし、そうはいっても、「つくる」ということは簡単なことではない。歌詞を作る、曲を作る、編曲をする、文章を書く、木で何かを作る、絵を描く、本を作る、……と、作ることはたくさんあります。

 もっと範囲を広げれば、システムを作る、地域を作る(まちづくり)、会社を作る、……と、まだまだいろんなものがあります。どれもこれも苦労は多いものだが、それだけにやりがいもある。

 しかし、たとえ演歌一つでも、作るとなると大変なものだ。何を歌にするのか、なぜ歌にするのか、素人だけに自分なりの理由が必要になる。メロディーも少し作ってはパソコンで聴き、少し作ってはパソコンで聴き……の繰り返しだ。これは昔とは違うところだ。

 作ったものは、他人に聞いてもらうために、CDにする必要がある。しかし、CDを作ったからといって聞いてもらえるものではない。手っ取り早いのはインターネットだ。

 こう考えると、作ることはなかなかたいへんな作業をともなう。それでも私は、常に何かを作り続けたいと思っている。それが生きている証になるからだ。

我が家の庭で、育つ「玉子瓜」。グラフ用紙のような支柱のために生育状況がよく分かる。

 

作物を育てることも“つくること”
 最近の我が家の食卓を見ると、動物性タンパク質を除けば、我が家の菜園で採れたものが並ぶ。じゃがいも、モロッコ(豆)、インゲン、種々のトマト、なす(米なす・長なす・丸なす……)、キュウリ、ニガウリ等が連日食卓に並ぶ。オクラも採れ始めた。

 これらの作物の成長を見ることはとても楽しいものだ。小さな家庭菜園でも、野菜作りの楽しみがある。家の庭の一部に、友達からもらった「玉子瓜」やトマトがなどが育っている。

 庭に野菜の苗を植えたのは今年が初めだ。連作の関係から、やむをえず植えたものだ。毎朝ラジオ体操をしていいるが、野菜の成長を見るのはとても楽しい。

(日記:午前中、手の怪我を診てもらうために病院へ行く。ついでに、整形外科で首と肩を診てもらう。どうも、パソコンの使いすぎらしい。待ち時間がとても長いので、Ipodでマライアキャリーの歌を聴きまくる。音楽のシャワーだ。アメリカ人のために歌を作ろうとしているが、忙しくて時間が取れない。午後は、家庭菜園で作業。夜は、7時から10時まで我がチームの和太鼓練習。みんな本気になってきたようだ。新曲に多くの時間を割いた。)

 
 

宝の山

15 7月

 携帯電話は世界一の金鉱脈
 何時の時代も、人々は「金」を探し求めてきた歴史がある。アメリカのゴールドラッシュ、佐渡の金山、……「金」は貨幣として、装飾品として、人々を魅惑し続けてきた。金鉱山を持つ国は、それだけでとても経済的に有利だった。

 「金」は、貨幣や宝石としての価値ばかりではなく、現代の文明の利器と言われる携帯電話やパソコンなどにも使われて、価値を維持し続けている。ところが、この「金」を携帯電話などから取り出している企業がある。

 都市の中から、「金」を見つけ出すということである。こうした電子機器から、「金」を取り出すことができるということは、都市もまた一つの鉱山であると考えられる。特に日本では、使用済みの携帯電話から「金」を取り出す事業を軌道に乗せたことでとても有名である。

 この「金」だが、世界最大の金産出国である南アフリカの優れた金鉱山でも、鉱石1トンから取り出せる「金」は5~8グラムだという。ところが、1トンの携帯電話からは、驚くことにその30倍の150グラムの金が採れるのである。しかも、「金」だけではなく、「銀」や「パラジウム」など貴重な金属もたくさん採れるのである。

 役目を終え、廃棄される運命にあったパソコンや携帯電話だけではなく、メッキの廃液、歯科の材料、壊れた宝石などからも非常に有用な金属を採集することができるとのことだ。

リタイア人材は宝の山
 役目を終えた電子機器と人間を比較することには抵抗があるが、リタイア人材にも同じようなことが言えると思う。教職員や研究員、役所の職員、技術者、熟練工、銀行員などのうち、定年で第一線を退いた人達は、正に宝の山である。

 社会に役立つからといって、こうした人達が何時までも社会の第一線で働き、活躍し続けることは、後進の育成という観点からは必ずしも好ましいことではない。しかしながら、こうした人達の長年の経験や技術、アイディア、能力を眠らせてしまうこと、社会の大きな損失であるとも考えられる。

 長年働いてきた人達に、さらに働くよう促すということは酷なことではあるが、後進を指導するという立場、後進と共に働くという立場、様々な意見を述べるという立場などいろんな立場でその能力を発揮してもらうことは、社会にとって大いに有用であるように思われる。

 こうした人達だけで、新たに起業することも考えられる。効率や経済性、対費用高価等を重視するのではなく、社会貢献、生き甲斐などを重視した働き方があるはずである。前向きに、夢を追いながら、新たな人生を送ることは、後進に対して大きな励ましになるのではなかろうか。子ども達にも、高齢者が生き生きと活躍する姿は好ましい影響を与えるだろうと思われる。

 次世代育成という観点からも大いに意義のあることではなかろうか。

 リタイア人材は宝の山であり、これを活かさない手はないと思う。これを活かすことのできるまちこそ、さらに発展を続けることができるのではなかろうか。私もまだまだ何かはできると感じているし、そう思っている者が周りには沢山いると思っている。

(日記:午前中、資料整理。盆踊りで三味線をお願いする人と打ち合わせ。午後、外人女性に和太鼓特訓。玉の汗をかきながら、和太鼓の練習をする。その後、篠笛の楽譜書き。)

 
 

映像編集

14 7月

退職グッズ
 退職したら手に入れたいと思うものを1年前から考えていた。パソコンはデスクトップ(少しでも速いもの)とノート(できるだけディスプレイの大きなもの)、そして、なるべく最新の「絵を描いたり映像を編集するためのソフト」、「歌作りのための音楽ソフト」、「文章を書くためのソフト」を手に入れた。

 残りはハイビジョン撮影可能なビデオカメラだ。そう思って決めかねているうちに、手持ちのデジカメが壊れてしまった。修繕するには最低15,000円以上はかかるという。諦めてデジカメを買わなければならないはめになってしまった。

 と言っても、一眼レフのデジカメは持っているので、気軽に持ち運べる機種を手に入れたいと思っている。考えてみれば、今までかなりの種類のデジカメを買ったことになる。「フジ」、「コダック」、「カシオ」、「キャノン(一眼レフ)」、「キャノン(小型)」といろいろ手に入れた。最も愛用していた小型のデジカメ(キャノン)が壊れてしまったのだ。

 先日、大野までデジカメを買いに出かけた。少し迷ったが、後継機(キャノン)を買った。これまでの機種と異なるところは、ハイビジョンで動画撮影ができるというところだ。タッチパネル式で、被写体の好きな部分にピントを合わせる機能もついている。

 しばらくは、ハイビジョン撮影可能なビデオを買わなくてもすむのだろうか。このデジカメの映像で動画編集を練習したいと思っている。

YouTubeで動画発信
 時々YouTubeで動画を見ることがあるが、ただ見ているだけではなく、投稿したいと思っている。以前に少しだけ、動画編集をかじったことがあるが、もう少し真剣に動画編集を勉強してみたいと思っている。

 そして、自作の歌に映像を付けて編集し、情報発信したいと思っている。例えば、勝山の映像なども、自作の音楽に乗せて紹介したいと思っている。

 アドビ社の動画編集ソフト「プレミアCS4」を手に入れたが、まだ勉強中だ。家内に「的を絞ったら」と言われるが、絵を描きたい、動画や静止画を編集したい、歌を作りたい、文集を書きたい。この3つより少なくは的を絞れないので困っている。

 これからは、動画の時代だろうし、3Dも普及してくるだろう。何とか、動画編集の入り口には、到達したいと思っている。 ただ残念なことには、いったん覚えても、忘れてしまうことである。毎日少しでもかじっていないと、忘れてしまうということである。

 若い頃は、二つ三つ同時に事を運ぶことができたが、今は一つがやっとだ。

 せめて、YouTubeに動画を投稿できるまでにはがんばりたい。

担ぎ桶胴太鼓の振り付けや隊形を考える春駒太鼓のメンバー(山児童館スタジオにて)

 

(日記:午前中は資料の整理。途中でパソコンショップへ行く。新しいデジカメの電池を注文してあったのでそれを取りに大野へ行く。午後も自宅で資料整理。午後5時より外国人の和太鼓指導。彼女たちは、今月下旬にはアメリカへ帰国する。そこで、最後に「ミニコンサートをしたら」と提案したら彼女たちも乗り気であった。7月21日午後7時より遅羽公民館で行うことになった。午後7時より、今度は我がチームの和太鼓練習。7時頃にメンバーが集まってきた。来週の日曜日の「越前大仏夏祭り」にも出演するので、今は週二回、それぞれ3時間ずつ練習している。)

 
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仲間作り

13 7月

事に当たって必要なものは
 何か新しいことを始めようとするとき、一人でできることもあるが、一人ではできないことも多い。また、一人でできることでも、仲間とやった方が楽しかったり、よりよいものができる場合も多い。

 私の場合、趣味にパソコンを使うが、技術的なサポートとなると、いろんな人の助けを借りなければならない。もちろん、マニュアルで勉強はするが、それだけでは十分ではない。また、マニュアルだけで勉強しようと思うと、時間がかかりすぎる。

 I T の一番のサポート役は息子であったが、昨年の8月より東京へ出てしまっているので、以前のようには教えてもらえない。開発のために、夜遅くまで働いているようなのでなおさらだ。時には、土日の出勤もあって今は以前のようにはなんでも頼めない。

 代わりに、息子の友達のY君にはかなりお世話になっているし、他にも映像編集に関しては教えてくれる仲間が二人がいる。さらに勉強したければ産業支援センターがある。8月上旬にも、朝の9時から5時まで3日間みっちり講習を受けるつもりだ。

 また、趣味で歌作りをしているが、作詞を応援してくれる人、歌を歌ってくれる人なども周りにいてサポートしてもらっている。おかげで拙い曲でも、CDにすることができる。こうした人達のおかげだ。

 歌と言えば、今太鼓を教えているALTは歌がとても上手い。帰国するまでには、何とか歌を作りたいと思っている。彼女たちとは来週でお別れだ。急がなければと思う。

 ここ数年、盆踊り復活に力を入れている。この中から踊り隊が生まれた。彼女たちは盆踊り復活に大きな力を貸してくれている。また、食生活改善員の皆さんも協力してくれている。他にも、歌、尺八、三味線などで協力してくれる人達がいる。

 こうした人達のおかげで盆踊り復活の運動が何とか続けられている。今や、とても頼りになる私の協力者だ。

 今春の退職によって、職場のつながりとしての人間関係は、ご破算にしたつもりだ。職場とは全く無関係にできている人間関係は今も変わらない。

仲間づくり
 前向きに生きていれば必ず仲間はできると確信している。退職した仲間内の中で最も苦手な人間は、昔の自分を自慢するタイプだ。「自分はあれもした、これもした」と自慢するのを聞いているのは時間の無駄だ。全く消費的時間だ。多少はいいだろうが、昔のことばかり話すのを聞いているのは本当に時間の無駄だ。 

  また、『退職○○会』というような会もあまり好まない。特に、役職の付いた名前の会はなおさらだ。退職てまで昔の役職を引きずっているのは世間の人からしたら奇異に感ずるだろう。退職したら、全くフラットな立場で、話したり、酒を飲んだりしたいものだ。

 勝間和代さんの話に「生産的な時間」と「消費的な時間」という話が出てくるが、同じ時間を使うなら、生産的な時間の使い方をしたいものだ。

 とにかく、前を向き、今を生き生きと生きている人は話していてもとても楽しい。自分にも勇気がもらえる。こうした時間は「生産的な時間」に入ると思っている。

 これからも、前向きに生きていきたいと思う。

(日記:午前中、教育会館で夏祭りのための盆踊り指導。午後は、村岡の「踊り隊ひらり」のメンバーに『勝山よいとこ』の男踊りを教えた。女性ばかりのグループなので、一番背の高いTさんに男踊りをマスターしてもらいたいと思っている。直線的な男踊りと、曲線的な女踊りを同時に踊ればどちらも引き立つはずだ。夕方は、外国人のALTに和太鼓を指導した。彼女たちの友達も丸岡から見に来た。 )

 
 

「守ること」と「攻めること」

12 7月

「攻めること」の気楽さ
 参議院議員の選挙の結果が出た。「オウンゴールで民主党が、敗北しただけで必ずしも野党が勝ったとは言えない」というマスコミの論調もよく聞かれた。
 
 考えてみれば他人の弱点を攻めることは容易だ。政治の世界では、与党の欠点を攻めるのは比較的楽だ。元与党以外は攻められることがない。ただ、攻め続けていればそれでよいのだから気楽だ。

 税の問題(財源の問題)、防衛の問題(普天間の問題)、教育・介護・福祉の問題、年金の問題、そして、疲弊する地方の問題、地方分権、景気の問題(経済の問題)、公務員制度改革、……、各政党が、特に野党がこれらに対してどのような考え方を持っていたのか、私も含めてほとんどの国民は理解しないまま、投票したのではないだろうか。

 攻める側は、もっぱら相手の弱点を攻め続けていればそれでよいのだ。野党でいる間は、何をどう言おうと、自由だ。しかし、与党になったとたんに、ありとあらゆる問題の解決が迫られ、至る所で未熟さが露呈することになる。

 野党時代にかなり無責任に与党を攻めていたことが、いざ与党になってみるとそう簡単に物事が進まないことに気がついて、前言取り消しとなる。自己矛盾が当たり前となる。国民から見れば、政治不信以外のなにものでもない。

「参議院」の役割とは
 世の中、多様な考えがあるのは当たり前だ。一つの政党が一枚岩であろうとすると無理が通ることになる。多様な考えがあって当たり前なのだ。かつての「郵政選挙」のように、考えの違うものを追い出した上で、刺客までおくる陰湿さだ。

 いろいろ議論を尽くして最も国民の幸福に繋がる政治を行ってもらいたいものだ。何でもかんでも相手の言うことを反対するのでは、外野席としての支持は受けても、いつまでたっても与党とはなり得ないのではないか。

 参議院の役割は、自ずと衆議院とは異なるはずだ。薩摩だ長州だ、幕府だと行っている江戸末期に、各藩の下級武士達は藩を越えて手をつなぎ、日本の将来を憂いて国をまとめたではないか。

 「出でよ!平成の龍馬!」と言いたい。意見が異なるのは、同じ政党にあっても当たり前だ。まして異なる政党では意見の異なるのは当たり前だ。しかし、政党が異なっても、日本のために手を握れる場面も多いはずだ。

 参議院の役割を自覚して、日本の舵取りをしてもらいたい。勝った負けたと言っている場合じゃない。与党になるだけの支持を得て日本の政治を長期にわたって安定させる力を持つまでは、勝者ではないと思う。

(日記:午前中パソコンを」使って画像整理。午後、北部中学校の選択音楽で和太鼓指導。帰宅してからも、パソコンで画像整理。時々テレビをつけると、勝った負けた、責任問題など選挙の話題で持ちきり。日本の国をどうするか等の前向きに話題は少ない。このようなレベルの問題ばかりで、情けない。ニュースには事欠かないと思った。)