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Archive for 7月, 2010

政治に対する信頼

11 7月

ボーナスを何に使うのか?
 参議院議員選挙が行われた。国民の審判が下ることになる。

 先日ボーナスの使い道についてのアンケート結果がテレビで放映されていた。使い道の第1位は「貯蓄」であった。外国人のキャスターが「信じられない」というようなコメントをしていた。

 私見だが、国家、すなわち政治に対する不信感から、多くの国民は「貯蓄をしなければ自分の将来が危うい」と感じているのではなかろうか。従って、消費意欲は持てず、結局、簡単には景気はよくならないのではないだろうか。

 国家に対する信頼感がある国では、安心してボーナスを消費にまわすことができる。巡り巡って景気もよくなり、福祉や教育にまわす財源が確保できるということになる。

世界の消費税は
 世界の消費税を見ると、日本と比較できないほど高い。しかし、国民はそれらを支持しているようである。北欧のスウェーデン、デンマーク、ノルウェーなどは25パーセントの高率である。ヨーロッパのほとんどの国も20パーセントである。日本と比べればかなりの高率である。

 私もノルウェーへ行ったことがあるが、オーバーに言えば、所得の半分近くを税金として治めなければならない国である。しかしながら、小学校から、大学まで学費は無料であり、医療にも無料である。福祉も進んでいる。

 私が訪問した10数年前には、週末にはかなりの人達が、ヨットを持ち生活を楽しんでいたのである。国家に対する信頼感は大きいために、このような税制を支持しているのではなかろうか。

 どうも最近の我が国では、国民の政治に対する不信感が強いのではなかろうか。どの政党に任せたら、国民がある程度納得する方向に日本を持って行ってくれるのだろうか。

 明確なビジョンを示して、それを実行し、国民に対する信頼感を取り戻してほしい。そうすれば、多少の負担を国民は受け入れるだろうと思う。国家に対する信頼感があれば、安心して日々の生活を送ることができ、余裕のお金を貯蓄にまわすだけではなく、生活の豊かさのために使うことができるのではなかろうか。

 景気浮揚はその先にあるような気がしてならない。国民の政治に対する信頼感のなさが今回の結果に表れたり、投票率の低さに表れているのではなかろうか。

(日記:終日、物置の整理。ないと思ったものが出てきたり、どこに置いたのか忘れていたもののありかが分かったりして、疲れはしたが充実した一日であった。思いでの写真もいろいろ出てきた。)

班別学習で手製の小黒板を使いながら「図形の証明」をする平泉寺中学校の生徒たち(昭和46年頃)

 
 

後戻りの出来ない時間の道

10 7月

夢中に生きたあの頃
 今日は一日、自宅にある諸々の収集物の整理をした。自分の高校時代の写真、大学時代の写真、社会人になった4つの学校の写真などが、次々出てきた。 

 夢中になって生きていたあの頃の自分が愛おしい。 

 考えてみれば、「人生とは、後戻りの出来ない時間の道を進んでいる」ようなものだ。ただひたすらに前へ進むだけである。そしてとうとうこの年になってしまった。 

 あちこちで出会う高齢者の方々も、それぞれに青春時代があり、壮年時代があったのだ。ある意味では、時間の道は残酷なものである。後戻りが出来ないのだから。 

 しかし、時間の進み具合は、全ての人にとって全く同じである。全ての人にとって平等であるとも言える。 

 この後戻りの出来ない時間の道を歩まなければならないのなら、それぞれの場所でゆっくり周囲を見ながら進みたいものである。 

高校時代に描いた漫画『石松君』のワンカット

写真を見ると鮮やかに蘇るあの頃
 いろんな収集物を整理していたら、高校時代に描いた漫画が出てきた。私は本当に漫画家になりたかったのだ。漫画を描くためにlかなり学校を休んでしまった。 

 高校時代には、大黒柱の父親がなくなり、現金収入が途絶えて、家庭は、超貧乏だったのだ。そのために、賞金を稼ぎたくて漫画を描いていたのだ。しかし、世の中そんなに甘いものではない。結局一円も稼ぐことはできなかった。 

 奨学資金でやっと高校へ通うことができたぐらいの貧しさであった。そんな高校時代の写真などが、たくさん出てきた。そんな中で、当時描いた漫画もいくつか出てきた。 

 もうあの頃へ戻ることはできない。ひたすら時間の道を前へ進むだけである。しかし、まだ私にはいくらかの時間が残っていると思っている。これからも、創造的に生きて生きたいものである。 

 当時の写真などを見ながらの整理であるために、遅々として進まないが、これはこれでいいと思っている。 

                                                      生きるということは 

                                                                    生きるということは 歩むこと
                                                                    後戻りのできない 時間の道を
                                                                    時には 遠くの山々を
                                                                    時には 道端の草や花々を 見つめながら
                                                                    友と語らい 季節を感じながら 歩みたい 
                                                                   生きるということは 自分を語ること
                                                                   生きるということは 自分の言葉で語ること
                                                                   いつか届くはず 私のメッセージ
                                                                   いつか届くはず 君の胸に
                                                                  生きるということは 夢を持つこと
                                                                  生きるということは 行動すること
                                                                   たとえ嵐が来ても 耐えられるはず
                                                                  生きてる証(あかし) 得られるはず
                                                                  情熱はいつか 周りの人に伝わるはず
                                                                                                        (以下略)  

(日記:一日、物置の整理。夜、横浜に住む息子の家族とウェブカムを楽しむ。家内は、孫とあやとりを見せ合っている。)

 
 

「春馬(はるんま)みたいに行儀が悪い!!」

09 7月

春駒太鼓の“春駒”とは?
 私は、「片瀬地区(私の集落)に日本一大きな大仏ができる」と聞いて、まず最初に考えたことは、子ども達のために何か郷土芸能をつくるということでした。そして、和太鼓グループを創設しました。今から約25年ほど前のことです。

 チームの名前を「越前勝山春駒太鼓」と決めた。「春駒」とは、「春の馬」の意味である。

 私の子どもの頃は、落ち着きがなかったり、行儀が悪いときには、決まって祖母から「こら!春馬(はるんま)みたいに!」と叱られたものである。家で飼われていた農耕馬は、冬の間は約4畳半ほどの小さな馬火屋の中で過ごします。

 そんな農耕馬が、春になり外へ出すと、暴れ回ってしばらくは仕事に使えないほどのものでした。外へ出たために、嬉しくて飛び跳ねているようでした。そんな姿を見て、祖母達は「春馬みたいに行儀が悪い!」と私達を叱ったものでした。

 今の子ども達にも、春馬みたいに“何かをしたくてうずうずしている”そんな元気な子どもになってほしいとの願いから、当時、幼児や小学校低学年の子ども達で作ったこの和太鼓グループに迷わず「春駒=春の馬」と名づけたのでした。

 多少行儀が悪くても“何かをしたくてうずうずしている”、そんな行動力のある前向きの子どもになってほしいという願いからでした。

再結成した春駒太鼓の演技

 

新曲「春馬」とは
 ここ一週間ばかり、“産みの苦しみ”を味わいました。再結成した和太鼓グループのために新曲「春馬」を作っていたからです。太鼓のリズムを作るために、10日間、篠笛のためのメロディーを考えるためにここ二日間考え抜きました。

 そして、今日の午後、ようやく出来上がりました。メンバーが自宅で練習できるようにとCDも作りました。全員若者ですが、働いているために、十分練習時間が取れないからです。

 この新曲に「春馬(春馬)」と名付けたのも、若者達が春の馬のように、元気いっぱいに生きてほしいとの願いからです。この新曲は、まず軽快であること、そしてメンバーの掛け合いが多いこと、楽しそうなことを頭に置きながら、作りました。固定した太鼓ではなく、持ち運びの出来る桶胴太鼓を担ぎながら、いろんな隊列を作って太鼓を叩くのです。

 できばえはまあまあだと思っています。振り付けについては、子ども達に任せています。きっと楽しい振り付けにしてくれるだろうと思っています。出番は、7月25日の「越前大仏夏祭り」と、8月15日の「勝山市の夏祭り」です。

 ここで、春馬のように元気はつらつとしたメンバーの姿を市民のみなさんに見ていただきたいと思っています。

(日記:午前中、祭りのポスターづくり。その後、勝山病院の形成外科へ。そして、午後3時まで新曲“春馬”のためのメロディーづくり。そして、和太鼓練習用のCDづくり。午後、7時から10時まで和太鼓練習。)

 
 

盆踊り復活を目指して

08 7月

お祭り広場をつくりたい
 今年も夏祭りがやってくる。私はここ数年、盆踊り復活を目指して様々なアクションを続けている。しかし、思うようには成果は上がっていない。でも、諦めずに今年も続けている。

 今年の夏祭りの盆踊りは、8月15日である。午後7時から9時頃までがその時間帯である。とても、郡上踊りや風の盆の八尾踊りのようにはいかないが、少しでも多くの人に集まってほしいと願っている。

 昔と違って、ただ盆踊りをやっていれば人が集まるという訳にはいかない。何とか、市民のみなさんに集まっていただくために、盆踊りを盛り上げる企画を考えている。まず、食べ物がなければならないだろうということで、勝山のアマチュアそばの会連合会の代表であるNさんの所へ行って「当日そばを出していただけないでしょうか」とお願いしてきた。

 Nさんは快く協力してくださることになった。有り難いことである。お祭り広場で手打ちそばを味わうことが出来るとなると、帰省しているみなさんに喜んでいただくことが出来る。そう思った。

 また、盆踊りに先だって「芸能発表」を企画することにした。祭りには太鼓も必要であろうということで、今「春駒太鼓」が練習を始めている。20数年前に、創設した和太鼓チームである。若い娘達が頑張っている。

 さらに、民謡隊ひらりのみなさんにも地元民謡で踊りを披露していいただくことになった。後は子ども達が楽しめる企画だが、これは簡単ではない。私は、これまで越前大仏の夏祭りなどで、駄菓子屋やゲームをやったlことがあるが今回はそんな閑がない。踊りが立つように裏方を務めなければならないからだ。どなたか、応援してくださる人がいると有り難いのだが。

 こんな訳で、今日、私は北郷地区のリズムダンスのみなさんの所へ民謡を指導するために出かけた。会員の一人から頼まれたからだ。昨年は50数回あちこちへ民謡の指導に出かけたが、今年も、声がかかれば出かけていきたいと考えている。

 そして、勝山に盆踊りが復活することを密かに願っている。

今製作中の今年の夏祭りのポスター

 

(日記:午前中、歯医者へ。その後パソコンショップへ出かけ、帰宅してから祭りのポスターを考えた。午後は、北郷地区へ民謡の指導に出かけ、帰宅してから、家庭菜園のじゃが芋を収穫した。)

 
 

“つくる”ということ

07 7月

無ければ作る
 欲しいものもの、必要なものがない場合には、「買えばいい」、「貰えばいい」という考え方と、「作ればいい」という考え方があります。私はいつでも、後者の立場を取る人間です。

 「今、我がまちで一番必要なものはなにか?」と問われれば、私は迷わずこう答えるでしょう。「若者達が働く場です」と。さて、この働く場ですが、「働く場がない場合にはどうすればよいでしょうか」と、さらに問われれば、今度はどう答えればいいでしょうか?

 多くの人達は、きっとこう答えるだろうと思います。「企業を誘致すればいい」と。私には、消極的な答えに思えてなりません。私なら、こう答えるでしょう。

 「起業するような前向きの人材を育てなければならない」

と。大手のショッピングセンターや電気店、薬局などが出来て、市内の小さな店舗は閉鎖を余儀なくされています。また、比較的大きな企業も悪戦苦闘していると聞いています。

 そのためには、これまで頑張ってこられた企業に代わって新たな企業を作らなければなりません。また、既存企業の活性化を図らなければなりません。既存企業に頑張っていただくこともとても大切になります。その次に考えられるのが、最後に考えられるのが、企業の誘致ではないでしょうか。

 やはり、一番に考えて欲しいのは、起業できるような創造力とやる気のある人材を育てなければなりません。こうした人材を育てるには、子ども時代からの教育が不可欠であると思っています。与えられることに慣れた子どもでは現代のような難局を乗り切ることは出来ません。

 自ら道を開いていく想像力とバイタリティーを兼ね備えた人材は、起業しなくても、組織の中で十分活躍できると信じています。そんなわけで、「無ければ作る」という根性を持った活力ある人材が今一番求められていると思っています。

 福井県は、児童・生徒の学力(狭義の学力)が比較的高いと言われています。もしそうだとするならば、これからは、自ら道を開いていける創造性と活力を持った人材育成を図らなければならないと思っています。

 今、県をあげてそうした人材を育成しようとしているのでしょうか、それとも、狭義の学力を伸ばそうとしているのでしょうか?

 さすが福井県だといわれるように、広義の学力を育てることに全力を尽くしてほしいと願わずにはいられません。そうした取り組みを県内外へ発信してほしいものです。

かつて作った担ぎ桶胴太鼓の創作曲『春馬』演奏中の写真。(今回は同名で全く新しい曲を作った。)

 

(日記:午前中、和太鼓の曲作り。午後も、曲作り。ようやく完成。夕方、外国人に和太鼓指導。夜、7時から10時まで再結成した「春駒太鼓」の練習。創作したばかりの“担ぎ桶胴太鼓”のための曲『春馬(はるんま)』を練習。)

 
 

盆踊りと演歌吹き込み

06 7月

市民大学講座「踊ろう「勝山の民謡」
 今日は市民大学講座「踊ろう勝山の民謡」の最終回だ。指導をしてくれている「民謡隊ひらり」のYさんから電話がかかってきた。「顔を出してほしい」ということだった。

 受講者に配布するCDを持って教育会館へ出かけた。指導する「民謡隊ひらり」のみなさんは5人来てくれていた。いずれも浴衣を着ての参加だった。受講生と指導者が輪になって民謡を踊っていた。楽しそうであった。

 講座が終わってから記念写真を撮ってあげた。また、「夏祭りにはぜひ参加してください」とお願いした。今年の夏まつりでの「ふるさとの踊り大会」は成功するだろうか。少し気がかりである。

 伴奏の尺八グループにもお願いした。三味線隊にもお願いした。歌もお願いした。後は踊りの練習会に市民のみなさんが何人出てきてくださるかだ。退職はしたけれど、盆踊りが終わるまでは旅行にも行けそうにない。何とか成功させたいものだ。

演歌吹き込み
 今日は、知り合いのYさんに演歌を吹き込んで貰う日だ。一曲は「越前恋岬」だ。この歌は、「越前慕情」として、私が一度作詞作曲した歌だが、詩が気に入らないので、ネット作詞家のKさんにお願いして曲にはめ込んでいただいたものだ。

 実は、最近のプロの歌作りは、ほとんどが曲が先に出来ていて詩を後から合わせる「曲先」がほとんどだそうだ。詩が先にあると詩ののサビの部分と曲のサビの部分が一致しない可能性が大きいので、素人の私には難しい作業である。

 そんなわけで、セミプロの作詞家Kさんに詩を書いていただいたものだ。この曲は、一度はAさんに吹き込んでいただいたものだが、歌い手が変わるとどうなるのかということで、今日は改めてYさんに吹き込んでいただいたものだ。

 もう一曲は、これも先日Aさんに吹き込んでいただいた「平成夢追道中」だ。股旅演歌のつもりで作ったものだ。

 吹き込みは、私の部屋で行った。今では、パソコンを使い、デジタル録音をするのだ。何度か歌っていただいて、一番よい部分もつなぎ合わせればよいのだ。エコーやボリュームなども吹き込んだ後で、自由に調整できるのだ。編曲だって吹き込んだ後で変えることができるのだ。テープレコーダーではほとんど考えられないぐらい、便利だ。

 若い頃にこのような機器があったら、もっともっといろんな歌を作ることができただろうにと思うと、少し残念ではある。

ヘッドフォンから流れる伴奏を聴きながら歌だけを別チャンネルで吹き込むのだ。(私の部屋で吹き込み中の“勝山の五木ひろし”ことYさん)

(日記:午前中、和太鼓の曲作り。その後、市民大学講座へ顔を出す。午後、演歌の吹き込み。その後、家の周りの木の枝を切る。それから、家庭菜園へ出かけて、カボチャ、ニガウリなどの支柱を直す。)

 
 

不覚

05 7月

左の人差し指ばかり
 今日は、アメリカのお姉さん達に和太鼓を教えてあげる日だ。そう思って午後5時過ぎに事務所へ出かけた。玄関を入ったところに置いてあった新しい和太鼓の包装を解こうとして、カッターナイフでビニールテープを切っていたときのことだ。

 誤って、左の人差し指をカッターナイフでえぐり取ってしまった。ティッシュペーパーで押さえたが血が止まらない。隣の電気屋さんでリバーテープをもらいテーピングのテープでぐるぐる巻きにして止血し、勝山病院へ出かけた。

 救急のため裏口で受付をし、当番の医師に診ていただいた。「押さえれていれば血は止まるはずだ」と医者はおっしゃるが、なかなか血は止まらなかった。傷口近くの指の根本に麻酔の注射を打って強く押さえたがそれでも血は止まらない。

 傷口がえぐれているので縫い合わせることも出来ない。最後の手段として、焼いて血を止めるということで、電気で傷口を焼いた。ようやく血は止まった。麻酔が切れたら傷むだろう。

 全く不覚であった。残念無念。今後は十分気をつけなければならない。

同じ人差し指が
 数年前の日曜日、のこぎりで同じ人差し指を切ってしまった。のこぎりで指を切ったために傷口が傷んでいて簡単に血は止まらない。結局縫い合わせることになった。

 今考えてみると、無理な体勢でのこぎりを使っていたのだ。全く不覚であった。今もかすかに傷跡が残っている。

 今度こそ気をつけなければならないと思っている。自分では気がつかないけれど、運動神経は鈍っているのかも知れない。今まで以上に気をつけなければならない。

(日記:午前中、北部中学校の生徒達のために和太鼓練習用CDを作った。その後、区長のTさんがやってきて村祭りについて話し合う。午後(5限目)、北部中学校の選択音楽で和太鼓を指導。その後、家庭菜園で作業。夕方、和太鼓指導に出かけて怪我。勝山病院で治療する。全く不覚であった。)

 
 

林道の草刈り

04 7月

一斉作業
 田舎に住んでいると年に何回かは地区総出の作業がある。午前7時に集会所へ集合。そのために、午前5時半起床。6時朝食。草刈り機のエンジンがかかるかどうかを確認。一年ぶりに使う草刈り機だが、軽やかにエンジンがかかった。スコップ、セイバも持って集会場へ向かった。

 区長の挨拶の後、二台の軽トラックに分乗して定められた場所へ出かけ、道の両端の雑草を刈り取った。今年は、砂防堰堤の工事のためにダンプが行き来して、道の草はあまり生えていなかったので有り難かった。

 予想以上に早く、終わった。その後、林道脇にある通称「横掛け」と呼んでいる清水の清掃をした。昔は、歩いて山へ登り、その行き来には必ずこの清水の水を飲んだものだ。また、大師山の頂上でキャンプしても、炊事のためにはこの清水のあるところまで下って、米をかしいだり、飲料水を汲んだものだ。

 昔は一日に一回は大師山の裏側まで、出かけ薪を背中に担いで家まで運んだものだ。こうした作業は当時の小中学生なら当たり前であった。おかげで結構足腰が強くなったと思うが、今のこどもたちはこうした仕事から全く解放されている。

 体力のないのは当たり前であろう。昔に返ることは出来ないが、昔は、大人も子どもも生きるためには一生懸命働いたものだ。一生懸命働く親の背中を見ていたら、さぼりたいとは考えてもみなかった。時代は変わったものである。

(日記:午前中、林道の草刈り。その後、午前11時頃から夜の10時頃まで、ほとんど休まず、算数・数学や理科に興味を持つためのアイディアづくりに励んだ。オリジナルなアイディアをえ出すのに本当に苦労した。何かの約意に立てばいいのだが。)

大師山林道の草刈り

 
 

平成夢追道中

03 7月
股旅演歌を作りたい

 私は、歌を作るのが趣味だ。特に、これまでは演歌を中心に作ってきた。若い頃は、中学生が歌うような歌も作ったりしたものだ。合唱曲にして中学生に歌ってもらったこともある

  最近は、特に演歌を作ることが多い。理由は単純だ。私の知り合いに演歌を歌う人が多いからだ。歌は、詩と曲と歌い手で決まるが、私のような素人が作る場合には、歌い手の実力も歌の善し悪しに影響する。

 曲を作り、カラオケを作ったら、それなりに歌える人に吹き込みをお願いしている。今は、主に、男性二人にお願いしている。

 今日の午後、一度作ってみたいと思っていた股旅演歌を吹き込んだ。歌は歌謡教室を開いているAさんにお願いした。午後、3時半から、2時間かけて吹き込んだ。

 股旅演歌といっても、現代とはかけ離れたテーマなので自分流に解釈して詩を作った。夢を求めてふるさとを出た若者が、ふるさとを思いながら、頑張って生きていく姿を歌にしたものである。

 都会で頑張るのも、長い人生の道の一部分であると考えて、「道中」とした。平成の今、夢を追いながら、都会を旅している(頑張っている)という設定だ。

 この歌は、私に手を離れたら演歌好きの人に自由に歌って貰いたいと思っている。

 途中で、セリフを入れた。

「お控ぇなすって、お控ぇなすって。手前ぇ生国と発しまするは越前の国……」

 初めてこの歌を聴いた人はどう思うだろうか。時代遅れだと思うだろうか。私は、若い人への応援歌だと思って作っている。また、都会へ出た私の息子へのエールでもある。

 この歌の吹き込みの後、民謡も同時に吹き込んだ。市内のある地区の人から歌詞を貰って作曲を頼まれたものだ。

 メロディーを作り、編曲(どこにどんな楽器をどのように使うか。また、より歌いやすくするためにいろんなメロディーを追加したりする)し、歌い手に吹き込んで貰う一連の仕事は、パソコンで行うのだ。昔と違ってパソコンで録音するために、失敗した部分は入れ替えるなど、自由に編集できるのが嬉しい。若い頃にパソコンがあったら、もっといろんな歌を作れたのにと思うときがある。

山口百恵さん始め数々の歌手の作曲を手がけヒットを飛ばしたあの宇崎竜堂さんでさえディレクターの指示でメロディーを変えることがあるのだ(ジェロさんのデビュー曲“海雪”のサビの部分)。このたたみかけるような早口の部分を私も今度の演歌に取り入れてみた。もちろんメロディーは異なるが。

(日記:午前中、和太鼓の楽譜づくり。午後、大学のOB会(勝山支部)。そして、演歌と民謡の吹き込み。)

 
 

連作を避けるには

02 7月

野菜作りは虫と病気との戦い
 退職してから、私は家庭菜園で野菜を育てることに喜びを感じている。といっても、猫の額のような小さな畑で日常食べる野菜を育てているだけである。

 そして、少し多く取れたときには、イチゴはジャムに、キュウリはキューチャン漬けに、トウモロコシやインゲンなどは冷凍に、そして生姜は梅といっしょに漬けたりガリ(酢漬け)にしているだけである。

 といっても、保存食品は全て家内の仕事ではある。いちごジャムやキューチャン漬けは身内や友達の評判がよいので、妻は全てプレゼントし喜んでいるのである。

 この家庭菜園での野菜作りで、一番苦労するのが病気や虫害である。そして一番気配りしなければならないのは連作である。突然作物が枯れたり、収穫が十分でないからである。

 例えば、トマト、じゃがいも、ナスは同じ仲間なので、よほど考えないと連作になってしまう。他にも同類はたくさんあって、連作になることが多いから厄介である。おまけに、5年以上同じ場所で作ってはいけないというものもある。

 また、同じ苗でも「接ぎ木」の苗は病気に強いということがあるので、やむを得ない場合には、高価であっても、買わないわけにはいかない。家庭菜園といっても、結構苦労はするものである。

 収穫を終えて畑が空いているからといって何でも植えていると次の年にはどうしても連作になることが多いのである。私も退職したので、来年からは狭い畑を計画的に使わなければならないと考えている。

緊急避難で庭に瓜とトマトを
 知り合いから、トマトや瓜の苗をもらった。すでに畑に植えてあって、植えるところがない。、空いている所はあるが、簡単にそこへ植えるわけにはいかない。そこで、今年は、緊急避難で、もらったトマトや瓜は、自宅の庭に植えることに決めた。

 妻は盛んに「家の庭で野菜作りなんてハズイ!(恥ずかしい)」というのであるが、来年以降のことを考えると、せっかくいただいた苗であるだけに、やむを得ない処置である。

 今日は、なるべく庭にマッチするように貰ったトマトと瓜の苗を植え、支柱も立てた。本来ならビニール紐で支柱の竹をくくりつけるのに、今日はシュロ縄を使った。

 明日から、畑と違って家の庭にあるので、成長を見られることが嬉しい。途中で枯れてしまって、来訪者に無様な醜態を見せることはないようにしたいものである。しかし、いちいち問われて説明するハメになるだろうから、それだけは覚悟しなければならない。

庭の生け垣の内側に作った瓜とトマトの支柱

(日記:家の庭で家庭菜園づくり。午後も、3時頃まで続く。その後、担ぎ桶胴太鼓のための曲作り。その後、新曲の股旅演歌の吹き込みについてYさんと打ち合わせ。)