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Archive for the ‘未分類’ Category

『花の咲くまち』を目指して

26 2月

花とつながる水やり
勝山市の『四季折々の花の咲くまちづくり事業』に参加し、集会場やそれぞれの自宅の通りに面した道路に花を植え続けて2年になる。どうせ花を植えるなら、片瀬オリジナルでやりたい。

そう思って、ここ2年いろいろ試みてきた。先ず花を植えるプランターだが、市販のものをそのまま使うのではなく、独自のものをということでまず区民の皆さんと竹プランターを作りこれに植えていただいた。

その後、コア(製材端材)を使って木製のプランターも作ってみた。そして、前記、後期、それぞれの季節にふさわしい花を植えてきた。

前期は、春から夏、秋にかけて咲く花を植えてきたが、一番大変なものは真夏の水やりだった。一日2回の水やりは、消極的な気持で取り組むと負担になる。楽しむことが肝心だと思って始めた。

夕方水やりを忘れると、小さな竹プランターの花は、翌朝ぐったりとしていた。「かわいそうに」と思って朝たっぷり水をやると、花々は夕方には元気な姿を見せてくれた。

そんなことを繰り返していると、花と友情関係が芽生えたと思っている。花も自分も生き物である。元気な姿はお互いを生き生きさせると思うようになってきた。

枯らしては気の毒だと思うようになってきた。春の花はきちんと世話をすると秋になってもしっかり咲いていてくれる。翌春の花に植え替えようとするが、多少くたびれているがそれでも咲いているので、簡単に引き抜いて捨てることはできない。

春の花も同様だ。夏、秋の花に植え替えようとしてもしっかり咲いているので、そっと引き抜いて土のある所に置いて水やりを続けた。

やはり、花といえども生き物だ。生きているものを扱うにはいろいろ気を遣うことも少なくない。花とつきあうことによっていろいろ学ぶことも多かった。そして、今日は春の花を植えた。

まだ2月。急激な温度変化だけは気をつけなければならない。天気予報に注意しなければならない。0°C以下になるようなら、屋外に並べた花を室内に入れなければならない。早く、気温の変化が気にならない春になってほしいものだ。

(日記 午前中は、事務所で『かたせ瓦版』の編集作業。事務所で昼食後、家内と二人でウオーキング。PM2.5の注意報が出ていたので短時間で切り上げた。そして、春の花の苗を買い込み、集会場にある空いたプランターに植えた。集会場には、昨秋植えた花が冬を越して咲いている。2月はじめには少しでも日光に当てたいと思って南向きの屋根の下に並べて置いた。4月になったら今日植えた花と一緒にきれいに咲いてくれるだろう。その後、瓦版づくり作業を継続。夜10時前に完成した。)

 
 

『農事組合法人かたせ』の総会

16 2月

理事者側と組合員側
「総会」というと、理事者側は早く無事に終わりたいと思うだろう。組合員の多くもそう思うかもしれない。しかし、組合の発展を考えると、そうばかりも言えない。

それは、改めるべき部分はやはり改めなければ組合の発展を望めないからである。そのためにも、耳が痛くても、一般組合員の意見には耳を傾けなければならい。

私は、一般組合員として参加していたが、なるほどと思われる意見も数多く見られた。趣味の会や誰かが個人的に立ち上げた会ならばなあなあでも済むかも知れないが、法人となるとそれでは発展は望めないだろう。

私は、基本的には“議論”が好きだ。自分の想いを自由に言うことは大切だが、それは建設的であること、前向きであること、相手を個人攻撃しないことが大切だと思う。

物事を決める前に、いろいろな意見を出し合うことはとても大切なことだと思う。そういう意味では、おおむねそのような総会であったと思う。耳の痛い人もいただろうが。

(日記 午前中は『農事組合法人かたせ』の総会。午後は、福井の孫の誕生祝いに家内と二人で出かけた。長女の息子(孫)が四月から小学校へ入学するので嫁の実家である我が家から学習机を贈ることにしたが、その机が今日入るというのだ。業者が来て組み立てていった。我が子が小学校に入学した頃のことが思い出される。その子ども達が、中学、高校,大学と進み、社会人になって結婚、そして親へと時間が経過していった。そうこうしているうちに、我々夫婦は歳をとってしまった。時の流れは早い。)

 
 

上げ底

09 2月

「外箱と中身の違い」に違和感
東京都知事選が終わった。前々知事の突然の辞職(I氏に関しては私には予想できたが)、そして前知事の辞職により、急に知事選が行われることになった。

いろいろ下馬評があったが、最後に都民の決断が下された。今回の知事選に多くの国民が関心を持ったのは、都政が時には国政を動かすことがあるからだ。

表だって政党が応援できない状況にあったようだ。どうも最近の政治には違和感を感じる。それは“上げ底”の品物をもらったような感じだ。

一般国民に向けたは、もっぱら、「景気対策」「経済対策」「デフレ脱却」……と景気のよう話が並ぶ。多くの国民はもっぱら経済問題に関心を持っているように思われる。しかし、これらの政策には恩恵の得られない国民が多いのに。

しかし、国会では、「特定秘密保護法」、「憲法改正」、「集団的自衛権」、種々の「増税」……など十分議論が為されないまま、巨大与党の勢いで決められようとしている。電力も原発問題も十分な議論や反省のなされないまま再稼働に前のめりになっている。

消費税はその性格上、どんどん上げられる運命にあるそうだ。私自身は、政治家に信頼があれば上がってもやむを得ないと思う。しかし、今は必ずしもそうはなっていないように思う。

上げ底の饅頭をもらって食べているうちに、饅頭箱の上げ底の下に思わぬ「モノ」が潜んでいるような感じだ。今回の都知事選の結果がこうした傾向に拍車をかけることのないようにしてほしい。

何でも反対の野党的では困るが、最近は野党にも二通りあって、「責任野党」という言葉までできている。与党にすり寄る(賛同する)野党のことだろうか。

上げ底の饅頭を食べているうちに、上げ底の下に隠された得体の知れないモノが効いて来て、不治の病にならないようにしたいものだ。

(日記 午前中は、一人で事務所で作業。午後は、家内と一緒に事務所で作業。午後7時から、村のTさんが話に来た。2時間あまりまちづくりなどについて話した楽しい時間を持つことができた。)

 
 

終日事務所で作業

06 2月

ラジオを聞きながら
今日は朝から事務所で作業をすると決めたが、歯が痛くてそれどころではない。先ず朝一に歯医者へ。膿んでいるという。消毒し、薬局で抗生物質をもらって帰宅。この時点で午前10時。

早速事務所へ行く。家内はすでに事務所で作業(手芸)中。午後1時過ぎに昼食。電子レンジが使えるのでありがたい。食後コーヒーを飲んで再び作業。

今日もノルマの数学参考書作り、1ページを完成。正月以来20数ページができあがった。この調子で一年続ければかなりのページになるだろう。幸い、高校数学は6科目(数Ⅰ・数A・数Ⅱ・数B・数Ⅲ・数C)に分かれているので、どれか一つは冊子にできると思っている。

午後3時頃数学を打ち切り創作民謡『片瀬豊年ばやし』の三味線の楽譜を作る。どうにかできあがった。村の若い衆に弾いてもらいたいと思っている。ギターを弾ける者は何とか早く弾けるようになるのではなかろうか。

週刊誌の紹介えどうしても読みたかった本。いつか読後の感想を書いてみたい。

週刊誌の紹介えどうしても読みたかった本。いつか読後の感想を書いてみたい。

家内も私の三味線を使って練習したいという。そうなれば私も、篠笛でも弾けるようにしなければと思う。ギターとキーボードもやりたいし、三味線と篠笛もやりたいし、……。

事務所での時間を有効に使って今のうちにやりたいことをやらねばと思う。家にいるよりも、事務所の方が時間を有効に使えそうな気がする。まだまだ事務所の部屋は片付いてないが仕事をしたくなる場所にしなければと思う。

(日記 午前中は、歯医者。その後事務所で種々の作業。弁当持ちだった。午後4時過ぎに、プリンター2台と大型スキャナーをゴミ処分場へ持って行った。愛着のある品だったが、使えなくなってはやむを得ない。しかし、他人事ではない。私自身もだんだんそうなるのだろうか。最後に昨日注文した本を取りに本屋へ行ってきた。 )

 
 

牛に引かれて……

29 12月

早速スキージャムへ
今日は、終日雪が降るという天気予報だ。しかし、スキージャムへソリをしに行くことになった。午前10時に家を出てスキージャムへ。雪が絶え間なく降っているがかなり多くの人が来ていた。

スキージャムのゲレンデを背景に「ハイ、チーズ」。

スキージャムのゲレンデを背景に「ハイ、チーズ」。

風も吹いていてかなり寒い。しかし、子どもたちは飽きずに滑っている。息子と家内が二人の孫に付き合っている。大人の方が「休もう」と言っても「もっと滑りたい」という。

雪が降りしきる中、ごく短時間休んだだけで子どもたちは滑り続けた。ソリコースで滑り、ソリコースではないところにジャンプを作って滑ったりしている。

私は、途中から、暖房の効いた部屋の窓から見ているだけだった。子どもたちの根性にはまいってしまった。しかし、考えてみればこれが子どもかも知れない。

「いくよー!」。坂を下りるスピードがたまらない。

「いくよー!」。坂を下りるスピードがたまらない。

子どもたちの、やる気を削いでいるのは大人の方かも知れない。本来、子どもたちは、いろんなことを粘り強くやる根性を持っているのだろう。

しかし、大人の方がこうした子どもたちの気持ちを失せさせる方向に動いているのかも知れない。子どもたちの元気さに驚くと共に、子どもたちのこうした粘りを大切にしなければと思う。

そう言えば、昨日も、子どもたちに独楽の回し方を教えたら、回るまで諦めないで取り組んでいた。大人の方が根を上げて「もう遅いから明日にしよう」と言わざるを得なかった。

坂の上から見たロッジ全景。

坂の上から見たロッジ全景。

子どもたちのやる気をなくさないように大人は接することが大切だと思う。子どもたちのこのような気持ちを大切にしたい。そんなことを考えた一日だった。

それにしても、子どもたちのおかげでスキージャムへ来ることができたのだ。まさに「牛に引かれて……」だ。そう言えば、親は子どもたちのおかげであちこちへ行くことができたんだ。

(日記 午前10時から、スキージャムへ。子どもたちの元気さに驚いた一日だった。午後3時過ぎから、みんなで買い物。ここでも、「昨日テレビで見ましたよ」という声を聞いた。テレビってすごい。) 

雪の上で孫達の記念写真。

雪の上で孫達の記念写真。

 

年賀状

27 12月

年末恒例行事
 昨晩、年賀状の図案を考え、今日住所を書いた。昔なら、数日がかりの大仕事だが、今では、実質一日で完成する。図案を考えれば、後はプリンター任せだ。

 図案と言っても、この一年、自分が取り組んだ主な出来事を組み写真にして載せるだけのことだ。興味のある人に見てもらえたらと思うからである。

 住所は、プリンター任せ。印刷をしている間は、年末恒例の掃除をすることができる。表裏とも完成したら、手描きで短いコメントを書くことにしている。

 しかし、全てにコメントを書くわけではない。ほとんど交流がない場合にはコメントを書きにくいからである。いずれにしても、今はパソコンのおかげで手軽に年賀状を作ることができるようになった。

 その分、手描き時代と比べると味気なくなったかも知れない。しかし、昔の生徒達がどんどん成長して立派に社会人として活躍している様子を知ることは楽しい。

 また、彼らが親として子どもたちとの楽しげな写真を賀状で紹介してくれることが多いが、自分の昔を思いだしてなつかしい。時間はどんどん流れていく。誰かが何かで書いていたが、年を取るスピードは年齢とともに早くなるらしい。いや、早く感じるらしい。

 あと四日で今年も終わる。雪が解けて、春が来て、家庭菜園に取り組んでいるうちに夏が来て、実りの秋。そして雪の冬が来てしまった。来年こそ何か残るものを作ってみたいと思う。紙芝居の他に。

(日記 朝から年賀状作りと部屋の整理整頓。今日も捨てきれなくて、苦労した。「まだ使えるのに捨てるのはもったいない」と「何かに間に合うのでは」と思うとつい捨てる気持ちが萎えてくる。明日は、孫達が帰省する。一気に我が家は賑やかになる。)

 
 

年末断捨離“第三弾”

26 12月

整理したい雑誌類
 定期的に購読している雑誌も1年、2年と経つと本箱のかなり場所を占めるようになる。そこで、順番に捨てることになるのだが、中には捨て難い記事もある。

 そこで、そうした記事をカッターで切り取ってスクラップしている。ところがそのスクラップも上手く整理しないと、どんどん増えてどこに何があるのか分からなくなっている。

 問題は、何のためにスクラップをするのかということだ。そこの所を考えると、スクラップしているねらいがぼやけてくる。

 若い頃スクラップしたものも、少しずつ捨てざるを得ない。目的が変わってくるからだ。さみしいことだが、自分には何ができるかを考えて、的を絞らなければならない。

 こうして、自分を納得させながら少しずつものを捨てていかなければならない。そして、これからどこに力を入れるのかを考えながら、ものを集めたり捨てたりしなければならない。

 かなり捨てたつもりだが、まだまだ捨てきれない。毎月のように買う本もそうだ。よほどの本でない限り二度読むことはないと思うのだが、捨てきれない。

 今のところ、捨てたい本は事務所の本棚へ持って行くことにしている。ここで何年か寝かせてから捨てるかどうかを考えればいい。断捨離のなんと難しいことか。

(日記 今日は、区の事務処理と自分の部屋の整理整頓。昼頃、区民の境界設定に関して立ち会い。根拠となる図面は明治の頃の手描きの地図が元になっているようだ。百年以上も経つと樹木は大きくなり、石垣なども崩れ、境界を確定する作業は簡単ではない。そんなことを考えながら、立ち合っていた。夜は、途中から太鼓の練習に顔を出す。なんとなく気ぜわしい年の暮れだ。帰宅して、年賀状のデザインを考える。例年の通り、組み写真にすることに決めた。大小8枚の写真を組み合わせてはがきに取り込み、簡単にメッセージを付け加えて印刷を開始した。住所は明日だ。 )

 
 

瓦版づくり

25 12月

テーマを何にしようか
月に二度、『かたせ瓦版』を発行している。「メインの記事を何にしようか」と迷う。地域の人たちに関心を持ってもらいたいものをメインに使用としている。

裏面は、組み写真にすることが多い。文字が多いと読んでもらえない可能性があるので、昔のなつかしい写真をいくつか組み合わせて掲載している。

それらを、編集しながら思うことがある。昔(20~40年前)は、区民がいろんなことに熱心に取り組んだことが分かる。地区のために、いろんなことをしたことがよく分かる。娯楽的なことにも積極的に取り組んできたのだ。

楽しいことは自分たちが作り上げたことが多い。今は、楽しいことは“他から与えられる”ことが多い。それも金を出して。

ゲーム、携帯、テレビやDVD、漫画や雑誌……等である。自ら何かに取り組むというよりも、他から与えられて楽しむことが多い。

楽しみを自ら作り上げたり、自ら参加して仲間と楽しむことがめっきり少なくなったと思う。瓦版の『思い出写真』を整理しながらこんなことを考えていた。

(日記 朝から夕方4時頃まで、もっぱら明日発行の『かたせ瓦版』の編集作業。その後、物置の整理整頓。これまで保管しておいて捨てる気になったものを軽トラの荷台に積み込んだ。捨てるものが多いとさみしい反面うれしくもなる。部屋や物置がスッキリするからだ。)

 
 

昭和は遠くなりにけり

24 12月

時代は変わる
今日年末“断捨離”第二弾で、物置の大掃除。保存しておいたたくさんの音楽関係のカセットテープと録画しておいたビデオテープを廃棄することに決めた。完全にテープの時代は終わったのだ。

勉強の後、サンタの衣装でクリスマスソングを歌ってくれた孫達。

勉強の後、サンタの衣装でクリスマスソングを歌ってくれた孫達。

アナログからデジタルへ、時代は完全に変わったのだ。昭和時代が遠くなる。それと同時に、我が青春時代もどんどん遠くなっていくようだ。寂しい限りだ。現在はいつも時代の最先端だ。

しかし、少し時間が経つとあっという間に過去になってしまう。やがてCDも過去のものになってしまうだろう。しかし、その時々に流行ったものはいつまでも心の中に残っている。

特に、それぞれの歌はその歌が流行った時代に自分を引き戻してくれる。そして、演奏した曲ともなれば、その時代やその時の仲間のことが鮮明によみがえらせてくれる。

昨日の掃除で物置から出てきたサンタの人形。電池を入れたら腰を振って“ジングルベル”を歌い出した。

昨日の掃除で物置から出てきたサンタの人形。電池を入れたら腰を振って“ジングルベル”を歌い出した。

しかし、今日はそうした歌の詰まったたくさんのカセットやビデオテープを箱に入れて軽トラックの荷台に載せた。青春時代との別れであるようにも思う。

(日記 午前9時から午後6時まで年末“断捨離”第二弾。今日は特に長年保存しておいたたくさんのカセットテープとビデオテープをほとんど廃棄処分にした。「昭和は遠くなりにけり」と言った気分だ。午後7時半から“爺ちゃん勉強”。終わった後、孫達がクリスマスソングを歌ってくれた。)

 
 

道場参り

23 12月

御正忌
 今日は村の道場で『御正忌』が行われた。浄土真宗では、開祖親鸞聖人の忌日に行う法会である。昔は、たしか「しちにっつぁん」とも言っていたように思う。

 私達の子供時代には、宗教行事ではあったが楽しみの一つでもあった。と言うのも、子供時代にはテレビなどがないために、子どもたちは、喜んで親や祖父母と道場へお参りしたものだ。

 その際、「米ふかし(煎り菓子)」や「かち栗(ゆでた栗を数珠のようにつなぎ乾燥させたもの)」や「みかん(高価なので一つか二つ)」をなどを持参して参ったのだ。

 読経の間は、道場の囲炉裏の回りで雑談をしたりトランプをしたりして遊んだものだ。そして、説教が始まると道場に正座して聞き入ったものだ。

 道場は、宗教の場であるばかりでなく、巡回映画の上映場所、演劇などの舞台、村の総会などの場所、夏には子どもたちの遊び場や勉強の場所でもあった。

 私がギターと出会ったのも確か、この場所だったと思っている。先輩達のギターを聞き、その音色に魅せられてギターを始めたのだ。道場はいろんな思い出のある場所だ。

 今日、道場へ集まったのは、60歳以上の男女が20人前後だっただろうか。そのうち男子は、6、7人。いずれも、昔、道場で遊んだ経験のある者ばかりであった。若者も子どもは一人もいなかった。全員で読経し、話を聞き、お茶を飲んでしばし歓談し帰宅した。

 道場で過ごした経験のある者は50代後半以上ではなかろうか。今後、このような宗教行事はどんどん廃れていくだろう。その他のいろんな行事も簡素化されたり、廃止になっている。

 かわりに、テレビやゲームなどが出て来て、若者や子どもたちは退屈することはないだろうが、大人になるための大事なものを身に付けないで育っていくような気がしてならない。

 成長して、それらが大切であることに気がついた頃には、味気ない社会ができているのではなかろうか。「今さえよければよい」と言って、いつまでも「今」がよくなるとは限らないように思う。そんなことを考えた道場(寺)参りだった。

(日記 午前中は道場参り。午後は、昨日軽トラックに積み込んだ粗大ゴミなどをゴミ処分場へ持って行った。帰宅してからは、数学の問題作り。その後、今週発行の瓦版の絵描き。 )