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Archive for the ‘未分類’ Category

伝統芸能となるか

15 9月

伝統を活かして創作芸能
  今月の片瀬の秋祭りに向かって、祭りを見直す動きが始まっている。自信を持って次の世代へつなげる何かを見つけ、それらを通して次世代を育成し、地域の活性かを願うというものである。

  具体的には、小中学生女生徒による「浦安の舞」の練習と片瀬の創作郷土芸能「片瀬豊年ばやし」の練習だ。前者は、どの神社でも行われていて、型がしっかり決まっている。いかに、優雅に踊るかだ。

片瀬に伝わる昔の銭太鼓に登場する女性の出で立ち。どじょうすくいのため、小さなザルを持っているが、新作の銭太鼓『片瀬豊年ばやし』ではザルを持たない。服装はこれに近いものにしたい。

 後者は、今一種懸命、創作しながら練習しているのだ。まだ、改善の余地はあるが、とにかく歌ができた。後はこれを吹き込み、CDを作りたいのだが、まだ、試聴盤ができたところだ。また、男性が演ずる銭太鼓の振り付けも決まった。後は、早乙女姿の女性が演ずる踊りの振り付けだ。

   踊りの振り付けを考える場合には、自分が実際に踊りながら、前後のつながりを考慮に入れて創作しなければならない。また、男性の銭太鼓と同時に演ずるので、男性の動きと女性の動きが、調和していなければならない。

  そんなことを考えると、女性の振り付けを考えることはかなり難しい。しかし、難しいなどと言ってはいられない。何故なら、祭りまであと9日間しかないのに、今、振り付けを考えている状態だ。

  盆踊り復活にもかなりエネルギーを使ったが、今度の村の郷土芸能づくりにも、それに負けないくらいエネルギーを使っている。

今日は稲刈り助手
   今日は、朝6時に起きて、朝食を作り、7時半過ぎに、家を出た。「農事法人・かたせ」の稲刈りを手伝う日だ。私の役目は、前回と同じでコンバインが脱穀した籾を軽トラックに乗せてカントリーへ運ぶのだ。

 朝は、稲が露に濡れていてコンバインで刈ることができないので、予定より遅く始まった。ところが、午後3時頃雨が降ってきたので稲刈りは中止となった。米作りはかなり天候に左右される。

  ところで米作りだが、昔はもっともっと米作りの作業が多かった。コンバインは、稲を刈り、脱穀して、藁は細かく刻んで田んぼへばらまくのだ。そして、乾燥以後の仕事は、お金を払ってカントリーにやってもらうのだ。このコンバインの仕事の部分だけでも、昔なら、もっともっと沢山の作業があった。

   午前中稲刈り。 → 刈った稲は稲株の上に並べて乾燥させる。 → 午後は、それらを束にしながら、裏返しにしてさらに乾燥させる。 → 夕方、荷車に積んでハサ(稲を乾燥させる竹で組んだもの)へ運ぶ。 → 夜、運んだ稲をハサに掛ける。 → 稲を数日後ハサから降ろして、脱穀する。

 コンバインはこれらの作業を一度に行うのだ。昔に比べれば全ての部分で、機械化された。米作りは殆どの部分で、男の仕事になった。昔はかなりの部分が女性の仕事だったが、機械化されて、事情が変わってしまったのだ。

 
 

『片瀬豊年ばやし』試聴版完成

14 9月

試聴版CD完成
    私が歌を作ると、吹き込みをお願いする人は決まっている。民謡や演歌なら、先ずは旭義明さんだ。今日は村の銭太鼓の練習があるということで、試聴版を吹き込んでもらった。2時ころ旭さんが事務所(児童館)へ試聴版のCDを持ってきてくださった。

 さすがに旭さんだと思われるできであった。 本当は、前歌は女性が歌い、本歌から旭さんに歌ってもらうつもりだが、今日の試聴版では、前歌も本歌も旭さんが歌っている。今週中にはしっかりと吹き込みしたい。

  早速夜7時半からの銭太鼓の練習に披露した。みんなも気に入ってくれたようだ。いよいよ本番まで2週間を切った。まだ早乙女姿で踊る女性陣の振り付けができていない。早く振り付けなければと思う。今週も忙しくなりそうだ。推敲中だが、とりあえず下記のような歌詞を作った。

                        片瀬豊年ばやし

1.前歌 村の後に ひかえし山は 
     越の白山(しらやま) 開いた御仁(おかた)
     泰澄ゆかりの 大師山 大師山

   本歌 ハア アーアーアー  
     春は桜で 秋紅葉
     季節彩る 守り神 守り神
    「ワラビぜんまい 山の芋
     薪に材木 山の幸」
     山の麓(ふもと)にゃ 大仏と
     団子まきする 佛母寺(ぶつもんじ)
     山を守るにゃ 道づくり  道づくり

2.前歌 先祖ゆずりの 大事な田畑
     村を潤す 豊かな恵み
     守りつなげよ いつまでも いつまでも ヨホホー 

  本歌 ハア アーアーアー
     片瀬自慢の 芋ショウガ 
     それに加えて うまい米 うまい米
    「春はみんなで 植えた苗 
     秋にゃ稲穂が お辞儀する」
     祝えめでたや 秋祭り
     歌え踊れや 秋祭り
     今年ゃ豊年 満作だ 満作だ ヨホホー

3.前歌 我が子よその子 みんな村の子
     明日の片瀬を 支える宝
     守り育てよ 世のために 世のために

   本歌 ハア アーアーアー  
     一人ひとりで できなけりゃ
     力合わせりゃ 楽になる 楽になる
    「人のためにと やることは
     回り回って 我がために」
     人を信じて いきましょう
     持ちつ持たれつ いきましょう
          心合わせて まちづくり まちづくり ヨホホー

4.前歌 親の代から 伝わる芸は 
     赤と白との めでたいバチが
     飛ぶぞ回るぞ 銭太鼓 銭太鼓

   本歌 ハア アーアーアー  
     村の伝統 いつまでも
     伝え残そう 子へ孫へ
    「バチのさばきも 軽やかに
     響く銭音(ぜにおと) 軽やかに」
     歌に合わせて バチを振れ
     呼吸(いき)を合わせて バチを振れ
          村に希望の 花が咲く 花が咲く ヨホホー

(日記:午前中、家内の入院している医科大へ行った。一生懸命リハビリをしているところだ。午後、帰宅してから、1時間ほど旭さんと、午後3時から2時間ほどTさんが遊びに来てまちづくりなどについて話し合った。午後7時より試聴版のCDを使って銭太鼓の練習を行った。結構せわしい一日だった。)

 
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家事も立派な仕事

13 9月

以外と多い家事
  家内が入院したために、ここ1ヵ月間は一人で生活しなければならない。朝は2時間ぐらいは家事にかかってしまう。先ず朝起きたら、食事の準備だ。野菜を中心に、多少のタンパク質を加えている。みそ汁を作り、それなりに野菜サラダなどを作って栄養が偏らない結おうにしたいと思っている。

  漬け物が大好きだが、今は毎食、ぬか漬けを食べている。食べるだけではなく、次々とナスやキュウリ、黒瓜を補給しなければならない。糠床の糠も絶えず補給しなければならない。食べれば食べたで、食器類を洗わなければならない。

  また、家事の時間を有効に使うために、選択もしなければならない。暑くて一日に何回か着替えたりシャワーをすることもある。洗濯物は見る見る増えていくことになる。一つ一つを干すだけでも時間がかかるし、干したものを取り入れるのにもかなり時間がかかる。

  8月の終わりにはなりやんだキュウリだが、秋ギュウリが実り始めた。オクラも大きくなる。黒瓜もニガウリもどんどん大きくなる。ししとうも。一人では消化しきれない。昨日は畑近くのお店の人に沢山の野菜を差し上げた。今日も、畑近くの奥さんに野菜をあげた。

 ナスもオクラもキュウリもニガウリも、放っておくと大きくなり過ぎて食べられなくなる。家事の合間に自分のやりたいことをやっている状態だ。私自身は、結婚以来、家事や子育ても大切な仕事だと思ってきた。自分がやってみるとその思いはなおさら大きくなった。

私の給料は2人で稼いだもの
  私は、結婚以後、自分の給料袋を自分で開けたことがない。銀行振り込みになってからでも、自分でお金を引き出したことはない。この給料は、私が稼いだものではなく、妻の支えがあって得たものだ。家事を支える妻がいてはじめて安心して外へ出て働くことができたからだ。

  子ども達にもこのことは何度も言ってある。「お前達に20万円与えるとすれば、それはお父さんが10万円、お母さんが10万円与えたものだ。」
家内のおかげで、安心して外でいろんなことができた。

  共稼ぎの場合が、当然両者が分担しなければならないであろう。必ずしも何でも平等に同じことをすることではない。それぞれの特徴に応じて、分担するという考えが必要ではなかろうか。実際そうしている人も多い。

  さて、退職した今はどうか。食事の準備も分担してやろうと2人で決めたが、実際には上手く分担はできていない。一日のうち、少なくとも、2、3時間は家庭や家族のために時間を使い、後は、地域や自分のために時間を使いたい。そう思って、ここまできたが、家内の入院で生活が乱れている。

  それでも、なるべき外食をしないで3度の食事を自分で作って乗り切りたいと思っている。朝も昼も夜も、さて何を作って食べるか、いつも考えている。頭にはいいかもしれない。

画像で問題を表示(黒板をイメージしている)。数列の基礎問題(基礎『解法編』より)

 

(日記:午前、午後とも、数学のホームページづくり。数学の内容よりも、ホームページを作る能力のなさに四苦八苦している。特に、数学の記号が上手く表せないので、全て画像にして処理している。時間がものすごくかかる。無職でよかった。)

 
 

統廃合は子供の視点で

12 9月

いろんな人から意見を求められる
  今、勝山市では中学校の統廃合問題が関心を集めている。3月まで教育委員会に務めていたために、いろんな方々からこの問題について意見を求められる。自分としての意見はあるが、ただこの問題を考える全ての人にお願いしたいことがある。

  子供の視点で、純粋に教育という観点で問題にしてほしい。そのためにも、単に統廃合かどうかを問題にするだけではなく、統合した場合にはどのように変わるのか。現行のままで中学校を存続させるとの違い、すなわちメリット・デメリットを示して市民が考える材料を提示してほしい。  

  「5年後に2中学校を廃校とし、1校に統合するのか?」、「それとも、ここ当分の間は3中学校を存続するのか?」、「それとも2校に統合するのか?」、「もう少し先送りするのか?」

  いろんな場合が考えられる。登下校の問題にしても単純ではない。特にスクールバスによる下校の場合は、下校のために何便のバスを用意するのか?昨日の新聞には、「1中学校に統合された場合には、58人から38人に減るという。」

  もしそうだとすれば、同じ生徒数を3校に分散して(現行のまま)58人の教員で指導するのと、1中学校に集めて38人の教員で指導するのでは、何がどう変わるのか?メリット・デメリットを現場の教職員が保護者に知らせる責務があるのではないのか?

  郵政民営化を「賛成するのか?」、「反対するのか?」といった単純な政治問題とし、十分な議論のないまま、選挙に突入し「賛成派」が多数を占めて、自民党が圧勝した。しかし、その後、郵政では何が起こったのか、その他の問題では何が起こったのか?

  行政側も、学校側も、保護者や子供を含む地域住民が判断できる情報を提示して進めてほしいと切に願う。郵政の二の舞になるような、短絡的な設問ではなしに、「教育は国家百年の大計」という言葉をかみしめて、この問題を進めてほしいと願う。

(日記:午前中、数学ホームページ研究。昼近くに、大根を植える畑の3分の1に種を播いた。8月中に種を播くと早く成長するので今日種を播いた。後2回に分けて種を播きたい。そして、すぐり菜をお浸しにしたり、アゲといっしょに味噌煮にしたり、選った大根を漬け物にしたりして食べるのは美味しい。午後、家内の入院している医大へ出かけた。家内は歩行練習をしていた。また、2人で気ままな旅をしたいものだ。朝・昼・夜、3食とも自分で作って食べた。)

 
 

二つの“一区切り”

11 9月

北部中学校文化祭で和太鼓演奏
  昼過ぎに、北部中学校へ向かった。今日は文化祭で、『選択音楽』をとっている16人の中学3年生(全員女子)がステージで発表するのだ。まあまあ上達したので、服装も私達のチームの法被を全員に貸すことにした。

  法被を着たり鉢巻きをつけるのも子ども達にとっては簡単ではない。予想通り、法被の掛け合わせを、洋服のようにしている子が3分の1ほどいたので慌てて直させた。鉢巻きもつけ方によってはダサい感じになる。鉢巻きも締めてあげた。

  いよいよ本番。私も直前まで子供達の衣装を着けていたので、本番で首にタオルを巻いたまま篠笛を吹いていた。練習通りにはできた。初心者が舞台で陥ることは、リズムが速くなることである。強いリズムであったり、細かいリズムになると速くしなければとどんどん速くなるのである。今回もそうであった。

  なにはともあれ、終わった。私の主義としては、済んだらあれこれ文句は言わないことにしている。その代わりに、本番直前まで、指導をするタイプである。少しでもよいステージになるために、練習では結構厳しく言う。しかし、本番で誰かが失敗したとしても、個人攻撃は絶対しないようにしている。

  今回の和太鼓指導を通して、楽しく、練習することができた。子ども達はそれぞれどんな思いであっただろうか。4月に家内と2人で気ままに九州を旅行中、北部中学校の校長から「和太鼓を教えてほしい」と電話がかかってきたのである。

    即座に引き受けて以来、今日の発表までそんなに時間はかかっていないが、どうにかこうにか1曲は人前で演奏できるようになったのだ。良しとしなければならないだろう。私にも、多少なりとも子ども達と人間関係ができて、「いっしょにやった」という満足感はあった。一区切りがついた。

新民謡『片瀬豊年ばやし』の作詞ができる
  今月末の片瀬の祭りで披露する銭太鼓のための新民謡の歌詞がようやくできた。満足できる「でき」ではないが、今日の午前中でようやく作り上げた。年のせいか、産みの苦しみが強くなるようだ。

  この民謡の作詞については、区民の皆さんも大いに新しい歌詞を作ってほしいと思う。今日は楽譜をプリントアウトした。そして歌詞を入れた楽譜を作った。また、音の高さが二種類のカラオケCDも作った。そこで、これらを持って歌を吹き込んでいただく大野市在住の旭さん(平泉寺出身)の所へ出かけた。

   これまでも、私の作った民謡の殆どをこの旭さんに吹き込んでいただいているのだ。今回も旭さんにお願いすることにした。曲を作るために四苦八苦、銭太鼓の振り付けを考えるために四苦八苦、歌詞を作るために四苦八苦……と、苦労の連続であった。

  数日後には我が家で吹き込みを行うことになる。そして、歌の入ったCDができる予定である。これまでは、歌の入っていないCDで練習してきたのだが、歌が入れば銭太鼓の練習も盛り上がるだろう。とにかく、一区切りが突いた。

  今日は二つのことが“一区切り”ついた。少しほっとしている。いつも何かに追われているという感じだ。お盆までは盆取りに追われ、今は村の郷土芸能づくりに追われている。それでも、充実はしている。

 
 

たらい回しと鉢巻きづくり

10 9月

咳が出る
 今日も医科大の病院で泊まった。どうもこの頃寝ていると咳が出る。特に寝ているときに咳が出る。あまりいいことではない。少し、心配になる。特に、クーラーは気持ちのいい反面寒気がする。

「せっかく医科大にいるんだから診てもらったら」
と、妻が言う。病院の受付は8時半からとのこと。1時間前の7時半にならびたいので、8時から始まる食堂では朝食はとれない。

 そこで、自販機でおにぎりと唐揚げを買って食べ、1番になるようにと待合室で待っていた。8時半ちょうどから受付が始まった。待っていたかいがあった。1番乗りだ。ところが、「咳が出ます」と受付に告げると「内科もいろいろありますから、あちらの受付で聞いてきてください。」とのこと。

  そして、言われたとおりに別の場所へ移って受診した。レントゲンも撮った。ところが、耳鼻科へも行ってくださいとのこと。昼までには終わると言うことなので、耳鼻科で待っているとなかなか自分の番が来ない。lこのままでは、北部中学校の太鼓に間に合わない。

  やむなく、耳鼻科は待っていただけで、受診は断念した。7時半から12時頃まで、わずかに診察してもらっただけで、ただ待っていただけのようなものである。そして、次のスケジュールのために診察を断念した。お金を払うと5000円以上であった。

 時間のない人だったら頭に来るだろう。私も今日に関しては、半日しか余裕がなかったので、いらいらした。病人はお医者さん頼みだ。腹を立ててもしかたがない。待っている間に、一生懸命村の新しい民謡の歌詞を考えていたが、なかなかいい言葉が出てこなかった。

和太鼓に使う鉢巻きづくり

鉢巻きづくり
 いよいよ明日は、北部中学校の文化祭。きょうは最後の練習。ステージでも練習を行った。テンポが速くなることは少し気になるが、初心者が5月から週1回の練習で、まあまあ人前で演奏できるようななったのは上出来だ。

  ユニフォームは、私の春駒太鼓の法被を使うことにした。鉢巻きは、全生徒16人分がなかったので、黄色と黒の布で作ることにした。生徒を助手にして16人プラス顧問の先生の分17本を作った。今の若い人達は、たぶん縄をなうことはできないだろう。

  私の場合、親からノルマを課せられて縄を一定の長さなうことが仕事だった時期がある。友達といっしょに藁仕事をした頃が懐かしい。おかげで子ども達が使う鉢巻きは自分で作ることができる。このように、今の若者達ができない技術は、私達の同年代の者は皆持っている。

 鳥かごだって作れる。魚を突く鉄砲ヤスだって作れる。ほうきも作れる。いろんなものが作れるがこれは私だけのことではない。私達の年代のいなかの者なら誰でも作れる。

  鉢巻きを作りながら生徒達といろんなことを話すことができて、時間の経つのも忘れた。いよいよ明日は本番だ。生徒達の活躍を期待したい。衣装は万全だ。生徒達が本気で演技をしてくれることを望むばかりだ。

 
 

難しい歌詞作り

09 9月

今日は、家内の手術があったので病院に泊まった。午前中は、病室で村の新民謡の歌詞作りを行った。かなり切羽詰まってきた。歌詞作りは困難をきわめた。例えば、七五調の7と言っても、3・4の7と、4・3の7があるので、まるでパズルのようだ。愚作だが、8割はできた。昼食時に医学部の外国人の先生と知り合いになり楽しい時間を持つことができた。午後は北部中で和太鼓を教えた。本番間近で少し気合いが入ってきたようだ。帰宅してシャワーをし、再び病院へ戻った。

 
 

医学の進歩に感謝

08 9月

無事手術が終わる
   午前中、医大で家内の手術が行われた。関節を人工的な者に取り替えるのだ。昼過ぎに手術を終えて病室へ戻ってきた。医学の進歩に感謝したい。今はしっかりとリハビリをして、一日も早くもとの生活に戻れるよう祈るばかりである。

  あまり役に立たないうだろうが、付き添うことにした。寝返りもできないような付き添いの折りたたみベッドの上で、何度か夜中に目が覚めた。普通の生活のなんとありがたいことか。何にもないということも、幸せなことだと実感した。

  病院の中を見渡すと、いろんな所を手術する人のなんと多いことか。人間も機械と同じように、長年使うといろんなところが劣化するのだろう。手足が自由に動くということは、身体の中にある骨と骨の間の軟骨が滑りをよくしているからだろうか。

  しかし、長年の生活習慣から、ある人は腰を、ある人は背骨を、ある人は首の軟骨を痛めて、痛みを感じ、手術をするのだろう。体重が増えることに無神経でいると、膝を痛めたり、腰を痛めたりするだろうし、内蔵にもよくないだろう。これからは、体重の動向にも注意を払いたい。

  それにしても、看護婦さん達は皆親切であった。頭の下がる思いがした。職務に忠実だと言えばそれまでだが、表情から、親身になって行動しているかはよくわかる。皆笑顔を忘れず親切であった。

 
 

「できる」か「できない」かではなく「やる」か「やらない」

07 9月

中学女子の和太鼓
 北部中学校の選択音楽で、週に一度、和太鼓を教えている。和太鼓は、譜面通りにリズムが叩けるだけでは、見ている人に感動を与えることはできない。太鼓を叩いているときはもちろんのこと、叩いていないときも姿勢は大切だ。もちろん叩く姿勢も重要だ。

  しかし、このことを生徒達に伝えることは簡単ではない。しっかりとした構えで叩かなければいい音が出ないし、見た目にも美しくない。少し難しい場面になると「できない」と考える者は多い。「できる」か「できない」ではなく、「やる」か「やらない」で決まるのだ。

  太鼓を始めて最初の時期よりはみんな上達している。ここから先、さらによくするには、生徒達がしっかりしたフォームで「やろうとする」か「しない」かだ。なんとか今週末までには、しっかりしたフォームで叩けるように指導したいと思う。

文化祭に向けて和太鼓を練習する北部中学校3年生(女子)の皆さん。右端が私です。

私の「津軽じょんから節」
 実を言うと私はこれまでも「津軽じょんから節」を弾きたいと考えていたのである。そして、昔担任をした生徒(今は校長)から「津軽じょんから節」の楽譜をもらったが、「こんなものはとても弾けない(できない)」と長い間あきらめていたのだ。

 しかし、このブログを通して知り合いになった河間氏にお願いして8月より「津軽じょんから節」を教えていただくことになった。譜面をいただいて弾いてみると「とてもこんなものは弾けそうにない」と思ってしまった。それもそのはずだ。基礎を勉強しないでいきなり応用問題を解くようなものだからだ。

  特に、最初の1、2回は苦しかった。無理なことをやっているなあと思う。覚えは確実に悪くなっているし、手も動きが悪い。しかし、ここ1週間は時間を見つけては毎日少しずつ練習していたのだ。無理だ無理だと思っていた部分が、少しずつ弾けるようになっていくのだ。

  まだまだだが、進歩を感ずることができるようになった。やろうとする気持ちがあれば、練習も真剣になり、少しずつ進歩していくのだ。できるかできないかを考えるよりも、やる気があるのかないのかを自分に問うべきだと思う。

村の銭太鼓
  今日も銭太鼓の練習があった。始めて練習しに来た者が言う。
 「これはとてもできん。難しい」
と。そんなときこう答えることにしているl。

「一日でできたら、そんなことは値打ちがないやろ。練習しなけりゃ上手くならないことをやっているから値打ちがあるんや。誰でも最初はできんのや。できないのが当たり前なんや。」

  結局、ここでも「できる」か「できない」かではなく、本人が「やる」か「やらない」かだ。本気になれば、人はかなりのことができるのだ。しかし、それができないのは、簡単にあきらめてしまうからだ。自分自身を“できない人間”と決めつけてしまっては自分自身に申し訳がないことになる。

 自分自身を信じて、とにかく毎日すこしずつでもやってみることだ。わたしの「津軽じょんから節」でも、“少しできる→できたところもできなくなる→できないところを繰り返す→できるようになる→……”と言う繰り返しで進歩するのだ。

  「なせばなる、なさねばならぬ何事も、ならぬは人のなさぬなりけり(上杉鷹山)」に通じることだ。

(日記:数学ホームページの研究。午後2時より、北部中で和太鼓指導。午後4時より河間氏に「津軽じょんから節」を教えていただく。夜7時半より村の銭太鼓練習。)

 
 

人間も機械のよう

06 9月

手術前の説明から
 午後5時から医科大で妻の手術の説明を受けた。その説明を受けながら、いろいろ考えることがあった。人間の身体も機械のようだと思った。部品が悪くなれば取り替えることができる。現時点では、身体の全ての部分は移植したりはできないだろうが、かなりの部分で可能になっている。

   生身の人間の臓器を移植するだけではなく、プラスティックやセラミックや金属や繊維などで置き換えることもできるようだ。簡単に取り替えられるからといって安易に考えてはいけない。

 病院では、足や腰や首などが痛んでいて手術をする人が多い。その原因の一つにスポーツがあるように思う。ある時期、一生懸命スポーツをすることはすばらしいことだが、十分健康に気をつけながら取り組まなければならないと思う。

  今では、少年野球で無理に変化球を投げさせることを禁じているが、これは、成長期に無理な肘の動きをすることによって肘を痛めてしまうからである。相撲取りは、大きな体で激しい運動をするために、膝や腰を痛めている場合が多い。関取に、満身創痍という言葉がよく使われる。

  重量挙げの選手が腰を痛めている場合も多い。野球やゴルフの選手で腰を痛めている人も少なくない。狭義によって痛める部分が異なるようだ。特に、若い子ども達のスポーツには十分気をつけなければならないが、大人になっても、十分な準備運動をするなどして、身体を痛めつけないようにしなければならない。 

  一般の人でも、無理に運動をして足腰を痛めているものも多い。スポーツに取り組む場合には、身体にどのような媼負荷がかかっているのかを知りながらやるべきだと思う。特に、人間の軟骨は再生しないのだから、重いものを持つ時などは姿勢に十分気をつけなければならない。

  医科大には、あちこちを痛めて手術をした人が多いために、自分も気をつけなければならいと改めて感じた次第である。

(日記:午前中、産業支援センターでDVDを返却し新たなDVDを借りた。その後医科大へ寄って帰宅した。午後1時頃から2時間、北部中学校で和太鼓の指導を行った。週末に文化祭があり、『選択音楽』をとっている子ども達が、和太鼓演奏を行うからだ。午後5時から医科大で主治医の手術前の説明があった。あらゆる可能性を話してくださるので怖いという部分もあったが、全面的に医師にお願いするしかない。)