創作仲間
今日の午後、今から40数年前の昭和42年度、43年度の2年間、平泉寺小中学校(併設)で、教員として共に過ごした先輩のWさんが、私の事務所へ遊びに来た。
平泉寺勤務時代には、本当には楽しく過ごすことができた。Wさんは、陸上部の顧問をしながら詩を書いたりしていた。スポーツマンであり、文学青年でもあった。
私は数学の教員だったが、小さな学校だったので、音楽も担当した。大学時代にバンドでドラムをやっていたという経験があったからだ。Mさんも専門の国語以外に他の教科を担当していた。
あるとき、二人で平泉寺を題材にした歌を作った。タイトルは『森のある町』であった。この歌は、合唱曲に編曲して市の連合音楽会に生徒達に歌ってもらった。いい思い出だ。
40数年の間に、短時間ではあるが2、3度会ったことがあった。しかし、話し込むことはなかった。今日は、Wさんは、自作の詩を持って、午後1時に私の事務所へやって来た。そして、約4時間いろんなことを話し合った。
これまで、短編小説や詩のいくつかを読ませていただいたが、とてもすばらしい作品だった。そのいくつかは、映画にしてみたいぐらいだった。映像が浮かんでくるのだ。私の能力では、とても映画は作れないが、作ってみたいと思わせるぐらい魅力のある小説だった。
とても、楽しかった。 なぜ、楽しかったのか、それは「ムカシ君」にならなかったからだ。昔話は、ほとんどしなかった。Wさんは、今も毎日、小説や詩を書いている。今を生きているので、今の話ができる。それがとても楽しいのだ。
今日出会って、二人で約束したことがある。それは、二人で歌を作るということだ。創作活動や歌作りについて時々インターネットを見ながら話した。創作意欲がむらむらとわいてきた。
日々の忙しさの中に、歌作りを組み込みたいと思う。あれこれしたいことがあり過ぎて、時間が足りない。しかし、W産と一緒にぜひとも、何か歌を作りたいと思う気持ちが強くなった一日だった。本当に楽しかった。
(日記:午前中、久々に数学のホームページ作り。午後、旧友Wさんがやってきて旧交を温めた。午後7時から、文化祭のために『片瀬豊年ばやし』練習。)