RSS
 

Archive for 3月, 2023

商品か食品か

31 3月

目に見えない汚染
 家庭菜園のように規模の小さな野菜栽培でも、作物の「病気」、「鳥獣害や虫害」、「雑草」が気になり、肥料についてもいろいろ考えることがある。

 たとえ、家庭菜園といえども、これらを全く使わないで作物を栽培することは困難だ。せめて、自分の食べるものについては、多少見かけはよくなくても、低農薬で栽培したいと思う。

 自分で全ての野菜を栽培することができないため、かなりの野菜は店で購入しなければならない。そこでいつも考えるのは、私たちは「食品」を買っているのか、「商品」を買っているのかということだ。

 綺麗なキャベツ、綺麗なトウモロコシ、綺麗な果物、綺麗な……、きっと農薬まみれだろうなと心のどこかでは思っている。でも、食べないわけにはいかないので買わざるを得ない。

 季節によっても違うが、畑を耕したり、種を蒔いたりすると必ず現れるのはカラスか蝶だ。カラスは掘り起こした地面の中から現れる虫やカエルなどを待ち構えているようだ。

 蝶の場合は耕しているときにもよく現れるし、大根や白菜などが成長し始めると蝶がつがいで現れる。きっと卵を産み付ける場所を探しているのではないかと思われる。白菜なども、蝶にやられないようにネットを張ったりしているが、成長すると虫の被害に遭うことが少なくない。

始末の悪い病気
 素人が野菜を栽培していて一番困るのは、様々な作物の病気だ。手遅れになったら全滅しかねない。全てを諦めるか農薬に頼るかだ。農薬に頼っても必ずしも治るものでもない。

 これらを防止するのに一番手っ取り早いのは、様々な薬品類だ。生姜なども、産地では数十回消毒すると言うし、外国産の残留農薬もよく話題になる。

 自家用ならともかく、商品作物となると、そのほとんどにこうした農薬が使われると思った方がよいだろう。安全基準が示されてはいるが、それらが守られているのか、また、その安全基準が正しいのかも分からない。果たしてどこまで安全かも分からない。

 攻めて、自家用の野菜だけは自分が食べるだけに、少しぐらいの見かけの悪さは我慢している。一部が虫に食われたトウモロコシでも農薬まみれの綺麗なモノよりはましだろうと自分を納得させている。

 今年も、いよいよ家庭菜園の季節が始まった。せめて、自分の食べるものだけは、農薬まみれにしたくはないし、有機肥料に少しの化学肥料だけで加えて、楽しみながら畑作業にあたりたいものだ。

 
 

振り落とされそうになりながら

30 3月

悪戦苦闘のデジタル社会
 先日ふらりと福井の電気店へ寄ったところ、スマホ乗り換えキャンペーンの店員に捕まってしまった。言うままに話を聞いていると、よさそうな気もする。

 家内と相談して、スマホの会社を乗り換えることにした。月々の金額がかなり安くなり、使用するギガ数も増えるという。その色々な特典があった。得した気分で帰宅。

 ところが、昨日、ネットが突然不具合に。Wi-Fiも繫がらない。LINEができない。インターネットもできない。パソコンも同様だ。家の外へ出るとスマホは普通に作動するが、家の中ではできない。

 どうしたらよいのか、全く分からない。私も家内も焦る。ネットが繫がって当たり前の生活から、その圏外に放り出されたようで不安がよぎる。家内も同様だ。

 早速、勧誘してくれた店員に連絡する。指示通りあれこれするが動作不能。そもそも何が起こっているのかが理解できない。説明を聞いてもらちがあかない。

 明日、店へ来てくれと言うことで、今日の午後、家内と二人で福井へ向かった。ネットが繫がらないとなると、私のように、ネットを介していろんあことをやる身にはこたえる。

 幸いなことに店員はとても親切だった。向こうも必死になって年寄りの私に説明しようとする。図解も懇切丁寧だ。我が家は、三年前に新築したときに、進められて情報コンセントをあちこちに設定しておいたことを思いだし、それらも説明する。

 帰宅して、言われたとおり、設定すると、昨日までニッチもサッチもいかなかったネットがサクサク動くではないか。繫がってみれば何でもないようなことでも、そこへの道のりはかなり険しかった。

 今の時代に流されまいと、何とか捕まってついて行っている感じだ。泣き泣きペイペイを使い、こうしてネットで情報発信しているが、理屈は全く分からない。それにしてもネットにおける様々なサービスを受けられないまま、日々を送っている人が少なくないのではなかろうか。正に「デジタルデバイド(情報格差)」である。

 役所も、ネットで様々な情報を発信するが、それらに無縁の人が少なくないのではないかと思われる。こんな時代がまだまだ続くだろう。それにしても、今はネットが復活してほっとしているところである。 

 
No Comments

Posted in IT

 

衰退する各種団体

29 3月

何が団体を衰退させるのか
 勝山市では、いろんな団体が次々となくなっていく。市の婦人会や町の婦人会はなくなってしまった。各集落などの婦人会も残っている方が少ないくらいだ。青年団も市の方の団体はなくなってしまった。

 様々な団体がなくなって行く理由の一つに役員のなりでがないということもある。どうしても役員のなり手がない団体では持ち回りにするが、これも問題である。

 平等のようでも、問題がある。役員が回ってくるのを機会に団体を辞める会員が出ることだ。そのうちに、団体がなくなるということも少なくない。

 また、団体に適した人物がいても、持ち回りのために、何年も順番が回ってこないということもあり、そのうちに会員資格を失って退会するということもある。

 もう一つの理由は、自主的な活動をする前に、市から、県から、国から下りてくる様々な割り当て仕事があることだ。全てが悪いとは言わないが余裕をなくした今の人たちには負担感は多いだろう。

 時代の流れもあり、団体の世話にならなくても、自分でそれぞれにすることがあり、生活スタイルが他人の助けを借りなくてもできることも一因ではないかと思われる。

 かつては、隣近所の力を借りなければなかなか仕事が捗らないこともあり、それらを「結い」によってしのいできたのだ。だからと言って、個人的に生きていけないのが人間である。団体の自然な復活を望みたいところだ。


 

 
No Comments

Posted in 雑感

 

止められなくなる前に熟考を

28 3月

始まる前にすることはなかったのか
 ロシアとウクライナの戦争が始まって1年以上が経過したのに、終わる兆しがない。世の中には、一度始まったら、簡単には止められないことは少なくない。

 先の戦争でも同様だった。始める前に止められなかったのか。いざ始まってしまうとよほどのことがない限り止められない。結局、多くの貴重な命が失われてしまった。

 わが勝山市でも似たようなことが起こっている。学校再編問題だ。勝山市単独の話なら再考や計画の見直しもできようが、勝山市・市教委から県議・県関係者を通して県教委へと話が進み、いったんその方向性が定まると、簡単には止められないのだろうか。

 中学校再編には、勝山高校の定員割れが大きくかかわっている。中高を併設すれば高校の定員増が期待されるという。はたしてそうだろうか。私はそうは思わない。これは高校の問題であって、中学校再編を持ち出すこと自体、間違っているように思う。

 私が高校教員ならば、定員割れが続く状態を高校の問題としてとらえ、何とかしようとしただろうと思う。一時の大野高校も、地元の校長が転勤することなく5年間踏ん張り見事に学校を生き返らせたと思っている。

 ところが勝山では、これらの計画が進んできたこの5年間、高校の校長は1年ごとに交代している。高校の活性化や魅力化を望むならばあり得ないことだ。片や校長が5年間頑張り、片やこの5年間校長は1年ごとに交代してきた。

 それで、高校の活性化に中学校を敷地の中に建設するという計画が突然現れた。このような計画は絶対に教育関係者の発想ではない。ありえない発想だ。

 そもそもこの計画は、子供たちのためになるのか、具体的に言えば、中学生にとって好ましい計画か、中学生の保護者や中学校教職員にとって好ましい計画かをよく考えての結論だっただろうか。

 一方、中学生が併設される高校側はどうか?高校生にとってはどうか、その保護者や教職員にとっては好ましい再編計画か。これらを十分に考慮した計画ではなさそうだ。高校の一般教員には一切の話がなく、計画ばかりがどんどん進んでいったようだ。しかも、これらの計画が進んできたこの5年間、高校の校長は1年ごとに交代している。高校の活性化や魅力化を望むならばあり得ないことだ。

 したがって、多くの市民が疑問を呈しているのに、計画の方はどんどん進んでいる。いや、進んでいるというよりも、何が何でもこの計画を進めるのだという固い決意がみられる。はっきり意見を言う人、沈黙を守る人、諦めている人、無関心な人、立場上言いたくても言えない人(現役の教職員や市役所関係者、そのOB)などで市民が二分されているように思う。

 肝心の子供たちを抜きにした計画が、だれも止められずに進んでいく様はどこかの国の出来事に重なり、いつか来た道に重なると思うのは私一人だろうか。

 

前を向いて歩く

27 3月

納得する時間の使い方
 「いかに過ごすか」は 一度このブログで書いたテーマだ。80歳になったのを機会にもう一度このテーマについて考えてみたい。以前、勤めを辞めるに当たって一番心配したことは、「物事に対してやる気が湧くか」ということだった。

 務めているから、あれもしたい、これれもしたいとなるのだが、勤めを辞めたら、時間がたっぷりあって、かえってやる気を失うのではと本気で心配したものだ。

 22歳から働き出して、67際まで現役だった。突然、行き場を失うことがどういうことか、本気で心配したものだ。この切り替えが上手くいかなかった人を知っているから尚更心配だった。

 そんなとき、「仕事を辞めたら暇やろ」と知り合いが声をかけてきたことがあった。しかし、いざ仕事を辞めてみると、「したいこと」と「しなければならないこと」がほどよくあって、心配していたほどのことはなかった。

 あれから13年、今はどうだろうか。やはり「やりたいこと」と「やらねばならないこと」がほどよくあって、時間は足りないくらいだ。テレビの録画はたまる一方。読むために買った本も積んでおくだけになっている。

 1日、ぼんやりテレビを見ている気にはなれない。趣味だけに明け暮れることもできない。やはり、満足感を得られるのは、汗を流して『家のこと(家族のためになること、家を守ること、農作業をすること)』をやったり、『社会に対して何らかの貢献をしたとき』にしか満足感は得られない。百姓生まれの「性(さが)」だろうか。

 テレビで、勝間和代さん(経済評論家、作家、元外資系金融マン)の時間の使い方を知った。時間の使い方を『生産的時間』と消費的時間に分けているそうだ。 勝間さんの言う『生産的時間』とは、次に繋がる時間、自分を高める時間と言えばいいだろうか。

 『消費的時間』は、たとえ経済的に潤っても、自分を高めないような時間の使い方だそうだ。義理的な飲み会もこれに入るらしい。 例えば、講演会も、勝間さんにとっては『消費的時間』だそうだ。自分の知っていることを話すだけでは向上しないからだろうか。

 しかし、本を書くことは、そのために学ぶこともあるので『生産的時間』ということになる。 また、勝間さんは移動にかなり自転車を使うが、それは、自分にとっては、生産的時間であり、スポーツもまた生産的時間だそうだ。健康維持のために時間を使うことは、生産的だからだろう。

 改めて考えてみると、自分にとっては、時間は次の3つに分かれるかも知れない。「家や家族、社会に何らかの役に立つこと」、「じぶんのやりたい創作活動などに時間を使うこと」、そして、「健康維持のために何かをすること」の3つだ。(ラジオ体操は、スマホで朝食前にスクワットと共に、ここ数年間叶と二人でほとんど毎日やっている。)

 これらが適度にミックスしている時が、一番満足感が得られるのではなかろうか思っている。1日でこの3つをやれるとは限らない。そんなときは、一週間で、一ヶ月間で、一年間である程度のバランスを取れればよいと思っている。

 無限に時間はあるわけでもないので、自然体でこの3つをほどほどにミックスしながら。これからも前を向いていきたいと思う。

 
 

サイバー・フライデー

26 3月

プログラミング漫画をプレゼン
 一昨年頃から昨年にかけて『楽しいプログラミング』なるハウツーものの漫画を描いた。内容は、プログラミング入門の漫画だが、そこで使われる言語は、『ICHIGOJAM BASIC』だ。一昔前なら、誰もが学んだBASIC言語の流れをくむコンピューター言語だ。

 今は、何百とプログラミング言語があり、仕事によって各人がそれらを使い分けているそうだ。始めてプログラミングを学ぶ子ども達には、この『ICHIGOJAM BASIC』言語がふさわしいという人は少なくない。

 ところで、この『ICHIGOJAM BASIC』だが、開発したのはJig.jp会長の福野泰介氏だ。そこで、是非、開発者の福野氏に見ていただきたいと考えるようになった。

 幸い、鯖江市にある福野氏の会社では、毎月最終金曜日の午後6時から10時に『サイバー・フライデー』が開催されていると紹介された。誰でも自由に参加できると言うことなので、少し遠かったが思い切って参加させていただくことにした。

 その日集まって来たのは、IT関係者のほかに、他の職種の人、県外の人など様々な人だった。また、福井高専の校長や教員、そして生徒までもが集まってきていた。

【サイバー・フライデー当日、福野氏と】 【会場となったjig.jp本社(鯖江市)】

 大広間で三々五々軽食を取りながら情報交換をしている。私もいろんな話を聞かせていただいた。そして、しばらく経った頃、その場にあるパワーポイントで自分の考えたプログラムなどを紹介する時間になった。

 私も、もしものことがあればと考えて、手刷りの漫画冊子とパワーポイントで資料を作って持ち込んでいたので、皆さんの前でプレゼンをすることができた。

 嬉しかったのは、会長の福野氏が喜んで下さり、出版したらと声をかけて下さったことだ。そして、「私に監修をさせてください」と言われた。その翌日から、漫画の隅々を読んで下さり、いろんなアドバイスをして下さった。また、付録的に受け加えておいた《2進法》については、上手く描いてあるところは褒めて下さった。

 早速、その日のうちにフェイスブックで、私の漫画を紹介して下さった。その後、「出版社を探しましょう」と言うことで、「見本を作って送って下さい」と頼まれた。

 そこで、自前の印刷で漫画本を作り、表紙と製本だけは印刷屋さんに頼んだ試作品を送らせていただいた。少しずつ、夢が実現しそうな方向に進んでいるのでは期待している。また福野氏を通してその道の先駆者とも言える人とも知り合いになれた。

 リアルな人と人との出会いは、どちらへ向いて進んでいくか分からない。そこから、いろんな人との新たなつながりが生まれることだけは間違いないと確信している。

 
 

断捨離とは言うけれど

25 3月

ゴミにできないモノ
 私の生きてきた時代は、戦後の最もモノのない時代から、モノのあふれている時代だ。特に、子ども時代は、使えそうなモノは何でも保管しておく癖がついた。

 その癖は今もなお続いている。いつかは間に合うだろう、いつかは何かの役に立つだろうと思うモノは捨てられない。先ずは使わないだろうと思いながら、保管している。

 例えばそのようなモノの一つに、報恩講などに使う漆塗りのお膳の類だ。他にも、酒に関する銚子や杯の類いだ。これを座敷に並べて食事をすることは先ずないだろう。しかし、昭和の30年代頃までは必ずあったのに。

 これを焼き捨てている人を見たことがあるが、私にはできない。次の世代に任せるしかない。唐箕などの農機具もそうだ。これをたたき壊して燃やすことはできない。ある時期までは農家には欠かせない貴重なモノだった。

 こうしたモノが、我が家にはまだまだある。家内が嫁入りの時に持って来たタンスやその中に入っている着物類。着物の中にはしつけ糸がついたままのものまである。ひな人形や鯉のぼりもある。一度も着たことのない背広もある。体格が変わったばかりでなく、まだまだ着られるからだ。

形がなく捨てられないモノ
 形がなくても捨てられないものがある。ゴミにしたくないものがある。それは、各種のレパートリーだ。ゴミになりかかっている。楽譜を見れば何とかなるものはまだその気になれば演奏できるかも知れない。難しい曲は手(指)が動かない。

 しかし、楽譜を見ながら演奏できないものもある。ハワイアンギターの各種レパートリー。『南国の夜』、『珊瑚礁の彼方』、『カイマナヒラ』……。ギターなら、『夜霧の忍び逢い』、『朝日の当たる家』、ベンチャーズの様々な曲、……。ウインドシンセなら、……といろいろある。時々思い出して演奏してみないとあっという間にゴミになる。

 あれこれやりたいものがあるので、少しずつゴミになりかけている。青春が遠くに行きかけている。何とか引き戻そうとするが……。自作の歌はCDにしていけば、何とか形を留めているが。



 

 
 

 

決めつける前に

24 3月

今年は選挙の年だという
 ただ投票率を上げようとする呼びかけが、今年も統一地方選挙を前に始まっている。選挙権を持つ高校生のために
学校を投票所にすることが過去にはあった。

 しかもそれは、選挙運動の初日にだったように記憶している。選挙運動期間中に、候補者が何を訴えるかを聞く前に、投票をしてしまえというのだろうか。これでは、市民のレベルはいつまでも上がらない。

 高校生も三年生になれば、順次18歳になって選挙権を持つようになる。しかし、その前にすべきことはないのだろうか。それは自分も社会を構成する一員だということを自覚するように、大人たちが指導する必要があるのではなかろうか。

 急に選挙権を持っても、社会に関心を持たなければ棄権するか、選挙に出かけても誰に投票するかわからず、適当に投票するというのでは、ただ選挙に行ったという経験しか得られない。これでは、社会をよくするためにはつながらないのではないかと思ってしまう。

世界のどの国の人も戦争は望んでいないはずなのに
 ウクライナの人も、ロシアの人も、アメリカの人も、中国の人も、生まれながらにして、他人を憎んだり、敵味方を決めつけたりはしないし、できないだろうと思う。

 ところが、指導的な対場の人間が何も知らない大衆を教育し、互いにいわれのない対立を生み出すようにしているように思えてならない。それらが増幅して、互いに敵・味方を作りだしてしまうように思えてならない。

 そして、敵を憎み、味方を守るために、話し合いではなく、武力を使っているように思える。そしてこのようなリーダを選んだのは、教育された一般大衆であるところに、この歯車がいつまでも回り続ける原因があるのだろうか。

 選挙の年に当たって、この歯車を止めなければと思うのだが、簡単ではない。でも、この歯車をより速く回す方には組しないでいたいと思う。今日は、書きたいことをうまく書けないもどかしさがある。 

 

 
No Comments

Posted in 政治

 

「時喰い虫」が繁殖

23 3月

貯えられない時間
 誰にも等しく時は過ぎる。感じ方は違っても時の進み方は誰にも平等である。そして、いつも新しい明日が来る。しかしぼんやりしていると、今日になり、あっという間に昨日になってしまう。こんなに大切な時間をどう使っているだろうか。

 世の中には、時間を好んで喰う虫がはびこっている。人々の貴重な時間を遠慮会釈なしに喰い荒らすのだ。否、喰われると言うよりも無意識のうちに喰われてしまっていると行った方が正確かも知れない。

 その正体とは、一つはスマホであろう。そして、テレビ、そして、ゲーム、……、いろんな「時喰い虫」がはびこっている。怖いのは、幼い子どもが一旦この虫に狙われると生涯寄生される可能性のあることだ。

 このとき「時喰い虫」にはCMという菌もついている。そして、あれこれ買えと寝ても覚めてもあらゆる場面で迫ってくる。この時喰い虫のいない世界に住んでいたらどうなるだろうか。

 想像しなくても、70歳、80さ以上の高齢者なら誰もがそんな世界に住んでいたのだ。それが戦後のもののあまりなかったあの時代だろう。

 あまり贅沢はできなかったかも知れないが、創意工夫をこらし、季節毎に訪れる祭りや様々な行事には時間をかけて丁寧にこなしていたのだ。少なくとも今よりは心の余裕があっただろう。

 「時喰い虫」の全く存在しない世界で暮らすことは今や困難だろうが、それらに振り回されることなく、共生できる道を探らないと、人生は生きていると言うよりも、泳がされている、働いているというよりも働かされている、そんな風になりはしないか。

 若い人たちは、毎日頑張って働いているが、一月単位で考えると、車のために一週間以上、スマホや衣食住のために二週間、残りの一週間が貯蓄や余暇のためだろうか?これで結婚し、子どもができ、その教育費にお金をかけるとなったら、大変だろうなあと考えてしまう。

 国会中継を聞いていて、特に少子化の問題をテーマにしているのを聞いていたら、ついついこんなことを考えてしまった。再度、下記のグラフを掲げておきます。

 
 

大谷選手に続こう……

22 3月

DREAM & ACTION
 今日初めて大きな画面でWBCを観ることができるようになった。WBCの予選が始まった頃は、静止画でスコアだけを見ていた。期間中に、今年大学生になる孫娘が横浜から帰省した。そのときに、既にスマホで動画を見られる状態だった。

 早速、私もその環境にして、スマホで観たり、スマホをスマホで映し、テレビでポントの会わない画面で試合を観ていたが、今日、昨日機器を買って要約普通に観られる環境になった。

 野球の試合は、これまで漫画にもならないような展開で日本は勝ち進み、今日も逆転して、9回表ツーアウトという場面で、最後は大谷選手対トラウト選手という大リーグのスーパースター同士の対決、しかも同じチームという漫画にも描けないような場面。

 大谷選手が、トラウト選手を三振に切って取り、試合終了。侍ジャパンの優勝で幕が下りた。この試合を観て夫々何を考えただろうか。大谷選手の活躍を観て夫々何を感じただろうか。当然、大谷選手は最高殊勲選手。

 大谷マップを見ると、今日の頂点へ至る道は、偶然ではなく、地道な日々の積み重ねと、将来に対する確たる夢を持ち、それに向かってたゆまぬ努力をしたからに違いない。改めて、大谷マップを紹介したい。

大谷マップ ここに書いてある夢へ向かっての日々の取り組みが、今の大谷選手を導いたのは明らか。

「夢を持ち、それに向かって行動しましょう」と言いたい。  DREAM & ACTION!